火事



火事 N001

るいせう道しるべ 上

文化8年(1811) 24×96.5

		
"● 御上屋敷▲ 御中屋敷■ 御下屋敷るいせう道しるべ 上
頃ハ文化八未のとし二月十一日昼七ツ時一ケ谷
谷町より出火しておりふし西北風はけし
く念仏坂より二タ口になり此へんの御組屋
しき残らずかつぱ坂安龍寺京恩寺此辺
一面になり西と北との大風三方へふきちらし
それより尾張様御長屋すミ少しむかふハ
●松平摂津守様御屋しき残らず法弘寺より
四谷おたんす町坂町しほ町竹丁通ハ麹
まち十一丁目十二丁目十三丁目伝馬丁四丁目
角まで若まつ町おし丁おし原横町此辺
御組屋しき石きり横町てん王横丁くわん
おん坂蓮浄院真浄院安らく寺西念寺四
谷御門外■尾張様是より北風はげしく
石をとばすことく御堀はた通酒井様●松平
佐渡守様大久保豊前守様村松様此へん御
旗本様方あまたさめかはし坂迄残らすや
ける紀州様御屋しきへ出このときゑんゑん
として四角八めんにさんらんす巳にきのくに
坂下ふるや町ゆや町それよりあか坂御門
外よりそのつきにくわしきをしるす
おなしく 中
それより表うら伝馬町残らず御火消屋
しき○竹腰山城守様△松平出羽守様○井上
佐太夫様此へん御旗本様御屋しきあまた
黒鍬谷此へん御組屋敷残らず浄土寺浄げ
ん寺△松平安芸守様それより西風つよく
して火ハ下へ出るまた一ト口ハ田町一丁目より五
丁目までうらおもて不残○三浦長門守様一ツ
木町しんまち仲の町此へん御旗本様かた
御屋しきあまた△黒田びぜんの守様△相良
壱岐守様○水野日向守様なつめ様また谷町
ハ町家残らず相馬様御中屋敷御長屋ばかり
すこし此あたり御組屋しきよりなたれ坂へ出る○真田様○松平日向守様○岡部様
○土岐ちから様○山口周防守様○松平大和守様御
うしろ長屋不残御火けし屋敷ようせんじ
てうせんじ○井上様○石川若狭守様○牧野
半右衛門様○本多兵庫様本多越中守様御上
屋しき○酒井出雲守様○稲垣摂津守様南
部内蔵上様御上屋しき此へん御旗本様かた
あまた市兵へ町不残仲の町御旗本様方あまた
そのおハり 下
扨また江戸見坂○土岐美濃守様城山御旗本
御屋敷あまた西ノ久保吹出町入門前てん徳
じ神谷町残らず○仙石越ぜんの守様○木下様
それより広こうじ清光寺青龍寺両門前町
切通シ薬師同境内にてやけとまる上ハ○水の
左近将監様永井町金池院宇津様○馬場
大助様かハらけ町通り不残○青木甲斐守様
○瀧川様森もとへんすこし此とき風は
すこししづまりて赤ばねばしへ出るとき
よふよふ八方の火せいしづまりてしめりしら
するかねの音におや子兄弟くんしん夫婦
あいおふてよろこびのこへともろともに
明かたちかくなりにけり
右るいせうひもとよりけし口迄のミちのり凡
一里半御大名様御屋敷凡三十ケ所寺院町
家ハかぞふるにいとまあらず
此三まいずりをゑんきんにかきらずこけふに
親をもてる人ははやく書状にふうじこミ
そのつつがなきをしらさハ一家一もんの人々
あんしんせバげに孝行の一助ともならんか"		

火事 N002

やけあと道しるべ

文政7年(1824) 53×38

		
頃ハ文政七ツのとし二月朔日夕七ツ時ころ/神田三河町壱丁目へんより出火して遠藤/たじまの守様御上屋しき表御門御長や残りて/御てんむきうら長や残らず島屋半兵衛それ/より養安院やしきかまくら町豊しまや/十右衛門其外出見世迄残りすくなにるいしやう/すうしろハねこや新道松下町ふとう様長富/町ハ壱丁目四けんやしき龍閑町もんとかしハ/すこしにて大久保家ハ御残りかまくらばしハやけおち/る本白かね町壱丁目弐丁目本石町壱丁目弐丁目/金沢丹後金吹町はりまや新右衛門本町壱丁/目ミゑいどう鈴木越後弐丁目にてハ玉や丸角や/革や町三谷三九郎両かへ町下村山城伊達浅/之介するか町ハ三ツ井本店向店北さや町表うら/残らず品川町くぎ店表うらひがきどいやるいしやうす/{後欠}		

火事 N003

御江戸方角分量大略之図

文政7年(1824) 31.5×43

		
"御江戸方角分量大略之図/
延享四丁卯稔開板之安永七戊戌仲春/
再板之大行千世以故梓字磨滅今爾又/
復芟煩補漏新上梓/
文化二年乙丑秋 出雲寺要人原版/
文政元年寅秋又再刻/
同七年甲申春校正改板/
書林 蔦屋重■郎/
村田屋治郎兵衛/
鶴屋喜右衛門/
西村屋与八/
丸屋文右衛門/
岩戸屋喜三郎/
地本錦絵問屋 江戸よし町親仁橋角 山本平吉板/
{以下略} {後欠} "		

火事 N004

江戸大火(仮)

文政12年(1829) 23.5×31.5

		
"{前欠} 又一方ハ大川ばた箱ざきへん御屋敷不残小網丁へん
松しま丁銀座御会所大坂町よし丁人形丁通りごふく店
大まる焼失村松丁とミ沢町へん橋ばし落るさかい丁
三しばゐ不残このへん平一めんニやけるまた内神田は
すだ町よりかまくらがしとしまやへんそれより大通り
今川ばしへん平一めんニなり白銀丁石丁本丁するが町
ゑちごや両たな日ほんばし江とばしあらめばし焼失
伊せ丁通り本ざいもく丁どふりかやば丁海ぞく牧様御組やしき
北南とも八丁ぼり不残此所ニて人多く死ス誠ニあわれのこと共なり
又一方ハ日ほんばし通りより風はげしくしてごふくだな
白木屋焼失それより左右平一めんになり京ばし落る
ぎん座丁通り尾張丁ほてゐやゑびすやしんばしまで
押よせよふよふ此所ニて焼どまる道のり凡丁かずニ直シ一り四方余ニも
相成可申候
文政十二己丑三月二十一日"		

火事 N005

江戸神田佐久間町の大火(仮)

文政12年(1829) 27×40.5

		
"神田さくま町かしより
出火折しも西北の風はけ
しく土手下へ飛火御も
ミくら近辺町家平一めん
と成る塩とめニて焼止る
其節人々東西にまよひ
親にわかれ子にはなれ
けむりにとりまかれ人々
多く死す誠ニあわれの
事とも也右之画図見る
につけても火の
用心可被成候
御屋敷町家ヲよこ
たてを諸々つもり凡
七十二里■■([虫喰])もなる
べし蔵のかず凡
千百五十戸まいの余
凡はし■■([虫喰])大はし
小はしとも二百余
おちる"		

火事 N006

江戸神田佐久間町の大火(仮)

文政12年(1829) 23×32

		
"去ル二十一日朝四ツ時頃外神田さくま町かしざいもく小屋より出火シ折しも
西北風はげしく土手下へ飛火御もみぐら近辺町家平一めんほこり
たち市橋様細川様ヲ初メとしま丁久右衛門町はくろ丁御関代屋しき
柳橋両国橋手前平一めん焼失となるやのくら小笠原様酒井様
越中様永久橋戸田様いつみ様土井様久世様しんかわしんぼり
御ふなてれいがんじま越前様ヲ初メまちやのこらす其外永代ばしより
つくだじま迄の間すまんのふねことことく焼失此ふね大風ゆへニ
やけながらニして佃しまへ吹つけ島つづきニやけるまた鉄砲洲
いなりへとび火いたし夫より段々町家へうつりつきじへん一めんとなる
先あわ様細川様中川様かもん様遠江様小笠原様本多様
右近様伊達久内様土佐様備前様南部様西尾様いなば様
奥平様みそぐち様堀田様周防様すわ様越中様一ツばし様
尾張様御くらやしき御もんぜき地中不残其外御はた本
やしき数かぎりなしまた木挽丁狩野様曲渕様きしう様
御くらやしき柳生様仙石様中川様田沼様青山様芝居並はしばし
おちるまた御はたもと様がたハ数多く焼失す"		

火事 N007

江戸神田辺大火(仮)

天保5年(1834) 16×41.5

		
"天保五申午年二月七日昼/
北風はげしく致シ午ノ時/
より神田佐久間丁二丁目より/
出火仕所々へ飛火致シ豊島/
丁より西ハ松田丁冨永丁冨山丁/
紺屋丁三丁目東がハ御ろう/
内屋敷本白銀丁三丁目南/
より通り十けん店本丁室/
町通一丁目二三四丁目南伝馬丁/
壱丁目まで東がハ不残やけ/
ぬし丁より本材木丁五丁目迄/
南八丁ぼり一丁目つづき二丁目/
三丁めよりてつほうず不残焼/
つくだじま迄類焼東ハとし/
ま丁久右衛門丁馬喰丁四丁目/
西かハのこり東かハよこ山丁米沢丁/
屋げんぼり矢のくら御やしき/
類火酉ノこく西かぜつよく飛/
火致シ大橋焼おち小網丁/
八丁ぼりゑち中守様御やしきわのこり/
れいがんじまてつぽうづ其/
外御屋しき迄不残類焼致候/
{袖}下諏訪五町神沢氏所蔵"		

火事 N008

江戸神田辺大火(仮)

天保5年(1834) 24×61

		
"ころハ天保五年午の二月七日ひる八ツ時西北の風はげしく砂煙を吹/
立或ハ東風を吹廻し砂石を飛す事おびただしすでに外神田佐久間町壱丁/
目へんより出火してあだかも天をこがすにひとしされバ焼失のあらましを左に/
書つづり畢先外神田佐久間丁外通り内神田柳原床店見世無残佐野様富田/
様細川様富松町豊島丁郡代御屋鋪残り大和丁江川丁橋本丁馬喰丁横山町両国広/
小路西がわより南ハ本柳橋津軽様小笠原様佐野様浜町へん御屋鋪不残大橋落る/
馬喰丁より内ハ小伝馬丁大橋西町通鉄砲丁大丸呉服店椙丁芝居二軒吹屋丁芝居/
よし町大坂丁小網丁永代橋迄両国より南ハやげん堀元矢の倉村松町久松丁高砂町へ/
つついがし松島丁へん不残行徳がし浜丁へん御屋鋪ぶん松平下総様溝口様堀田様其/
外所々御屋鋪様酒井様菅沼様牧野様残る又土手より龍かん丁松下町松枝丁市橋様お玉/
か池小柳丁へん紺屋丁本白銀丁本石丁本町室町通東がハより本船丁小田丁伊勢丁/
小船丁堀江丁へん江戸橋より南ハ四日市青物丁方丁箔屋丁新右衛門丁平松/
丁佐内丁小船丁くれまき丁さや丁大鋸丁■南ハ南伝馬町壱丁目表ニて留る/
本材木町五丁目迄海賊橋落る牧様少々残る裏かやば丁通り坂本丁へん/
茅場町小浜様九鬼様此へん北八丁堀不残松平越中守様御屋/
鋪残り亀島御組敷不残本八丁堀五丁目までいなり橋高ばし落/
南八丁堀二丁目より松平右近様井伊様中川様阿皮様松平遠江様少し/
南八丁堀五丁目迄中の橋落本湊丁船松丁十軒丁ニて留る此へん細川様/
松平長門様ニて留るれいがんじま川口町東みなと丁より御船手にて留るこん/
にやくしま残り南新ぼり三丁目おとめ橋落て永代ニて留る霊岸じま/
へん御屋敷ぶん越前様久世様松平いづ様土井様戸田様此へん不残佃/
島不残大船四五艘此外焼失のぶん小さゐに書尽しがたしされども/
夜に入り風しづまり丑の刻に火しづまりけれども焼死人も無之諸道/
ぐ等もそくばへ残り大火と云とも■大江戸大都会の難有/御代なれバ忽造立することうたがゐなかるべしされどもこんきう/
の人々わ是をうれゐる事おひただし依て諸人ともに恐れるへき事と/
もなり謹為ふべし/"		

火事 N009

出火場所方角付

天保5年(1834) 23×30.5

		
"頃は天保五申午年二月七日昼八ツ時頃外神田佐久間町/弐丁目より出火して折節西北風はげしく和泉橋近辺松永丁/佐久間丁より飛火ニて柳原土手丁松下丁九軒丁佐野様御屋敷/夫より龍閑丁鎌倉横丁久右衛門丁代地弁慶橋松枝丁冨永丁辺/石原様大沢様市橋下総守様御屋敷尾玉ケ池横瀬駿河守様並ニ/高橋様其外之御屋敷数多紺屋丁新土手より白銀丁三丁目四丁目/大伝馬塩町鉄砲丁小伝馬丁牢御屋敷石出帯刀様其外町家不残/亦一口は豊島丁細川長門守様御屋敷大和丁江川丁元岩井丁亀井丁/橋本丁小伝馬上町附木店馬喰丁壱町目弐丁目此辺平一面に三丁目/四丁目片かわ並ニ馬場御郡代屋敷焼のこる夫より横山丁三丁目角/両国吉川丁片かわのこる同広小路見せ物小屋両国御橋焼のこる橘丁/四丁同朋町村松丁久松丁浜丁矢ノ倉此辺平一面夫より小笠原様並ニ/津軽様船越様牧野様一ツ橋様御屋敷是より飛火ニて新大橋焼落る/浜丁水野壱岐守様牧野遠江守様永井様安藤様此辺之御屋敷数多/
御類焼亦一口は本石丁鐘堂並ニ本丁三町目より四丁目大伝馬町通旅/
篭丁大丸や呉服店焼る大門通田所丁長谷川丁富沢丁人形丁/
辺平一面堺丁葺屋丁両芝居人形座まて不残焼る並芳丁大坂丁/
竃河岸かきから町銀座御屋敷甚左衛門丁親父橋焼落る稲荷坂松平/
越中守様安藤対馬守様酒井雅楽頭様御中屋敷並ニ奥山様戸田様/
本多肥後守様小野様林肥後守様中屋敷松平玄蕃頭様上屋敷戸田近江守様/
酒井出雲守様尾州様紀州様御蔵屋鋪焼ル永久橋のこる戸田/
采女正様松平和泉守様久世隠岐守様御中屋敷箱崎丁南新堀並ニ/
御船手永代橋きわニて焼止ル又一口は伊世丁瀬戸物丁室町壱丁目より三丁目/
まで東片かわ焼る越後や呉服店のこる小田原丁安神丁長浜丁本船丁/
小船丁あらめ橋焼落る小網丁不残鎧渡牧野長門守様御上屋敷坂本丁/
茅場丁薬師堂霊厳島不残焼る埋立地新■蔵のこる松平越前守様/
御中屋敷向井将監様御船手屋敷夫より佃島新田島不残焼る亦一口/
江戸橋蔵屋敷四日市万丁青物丁海盗橋焼落る通壱丁目白木や/
呉服近江店焼のこる同弐丁目より中橋広小路迄東片かわ音羽丁平松丁/
佐内丁小松町油丁新右衛門丁榑正丁下槙丁本材木町壱丁目より六七丁/
まで中橋さや丁塗師丁ニて焼止る亦一口ハ八丁堀九鬼大隅守様並ニ/
松平中務少輔様御屋敷八町堀神田代地北島丁岡崎丁亀島丁/
其外不残焼る松平越中守様御上屋敷焼のこる松屋丁本八丁堀五丁目/
まで中の橋稲荷橋焼落る向ハ南八丁堀弐丁目松平右近将監様より/
伊井様御中屋敷堀田主税様堀田式部様松平内匠様御屋敷迄是より/
鉄砲州稲荷社焼る松平阿波守様御中屋敷東湊丁船松丁細川能登守様/
松平長門守様御上屋敷同十軒町迄焼る当七日の未ノこくより焼出し/
翌朝卯ノこくニてよふよふ焼止ル也凡男女死人有事いまた不知数江戸/
町家困窮之者江類焼いたし難渋之義筆紙ニつくしかたしなれ共/
此度之大火前代之噺ニもならんかと其あらましを書印ノみ/"		

火事 N010

方角絵図面

天保5年(1834) 31×40

		
"方角絵図面/
頃ハ天保五年二月七日八ツ時/
過より外神田佐久間町二丁目より/
出火いたし西北風はげしくそれより/
一丁目三丁目へもへひらき土手下/
近辺よりお玉ケ池べん弁けいはし通/
さかい丁へんやけるいよいよ風はげし/
く六口程ニなり一口ハかやば丁へん/
れいがんしまのこらずつくだ島へ/
とび火いたしてつほうず舟松丁/
にてやけどまり又一口ハ日ほんはし/
近へん通り一のこる同二三四かたかハ/
やける中ばしぬし丁ニて焼どまる/
又一口ハ両国近へんのこらず八日朝/
やうやく火しつまりけり/
同九日くれかた/
ひもの丁へんより出火/
南風はけしくごふく/
丁へんにてとまる/
同十日朝四ツ時/
過ごふくはし内より/
出火いたし西北/
風はげしくやけ/
ひろがり芝口へん/
にてとまる如此両/
三度の大火ゆへに/
諸人御助のため/
御上様より所々へ御すくい/
ごや相たちあつき御じひ/
のほどありかたき事とも/
なり "		

火事 N011

出火場所方角付

天保5年(1834) 23×31.5

		
"出火場所方角付/
頃ハ天保五甲午年二月七日暁より大風甚々敷/
吹発り土石砂を吹立る事あたかもおそれぬ/
ものハなかりけり折ふし昼未ノ刻よりいよいよ/
西北風強して外神田佐久間町二丁目より出火シて/
松永町平川丁代地佐久間町一丁目より柳はら/
土手下へ飛こし火勢つのりて三方へ分れけん/
松下町元誓願寺まへ市橋下総守様御やしき大沢様/
石原様小伝馬上町代地佐野様冨田様龍閑町/
三島丁浜松丁鎌倉横丁佐久間丁代地久右衛門町代地/
松枝町小泉丁弁慶橋お玉ケ池高橋様藤代様/
横瀬駿河守様御やしき紺屋町新土手向白銀丁/
三町目四町目大伝馬塩丁鉄砲町小伝馬町三町/
牢御やしき石出帯刀様御類焼又一口ハ豊島丁/
細川長門守様御屋敷大和丁江川丁冨松丁久右衛門町橋本丁元岩井町代地岩元町九軒町代地川岸/
甚兵衛橋小伝馬上町亀井丁付木店馬喰丁此辺平一面三町目より西側初音の馬場御郡代屋敷/
焼残る▲横山丁三町目角より▲吉川丁北側▲両国御橋同▲広小路ミせ小屋焼残る南側米沢町並ニ/
薬研堀横山町一町目二丁目橘町同朋町此辺不残久松町村松丁若松丁失ノ倉■小笠原大膳大夫様/
▲津軽越中守様舟越様■一ツ橋様御屋敷御類焼夫より飛火いたし浜丁水野壱岐守様御やしき/
新大橋焼落る山伏井戸水野様小笠原様牧野遠江守様御屋敷浜丁川岸安芸様■永井/
肥前守様松島町不残其外御屋敷方数多御類焼西ハ本石町鐘堂焼落る十軒店本町三丁目/
四丁目大伝馬町木綿店通旅篭丁大丸屋呉服店焼る大門通り通油丁通塩町元大坂町/
元浜丁田所丁弥兵衛丁長谷川丁冨沢丁横店高砂丁和泉丁玄冶店住吉丁難波丁竃川岸/
堀留町乗物丁杉森稲荷焼る新材木丁和国橋焼落る岩代丁堺丁中村座並人形座葺や/
市村座両芝居堀江六軒丁芳丁親父橋落る甚左衛門丁大坂丁かきから町■御やしき/
松平玄蕃頭様御屋敷吉良様小野様戸田近江守様本多肥後守様御屋敷■酒井出雲守様/
奥山様紀井様御蔵屋敷稲荷堀●松平越中守様■安藤対島守様■酒井雅楽頭様尾州様/
御蔵屋敷行徳川岸まで焼る又一口ハ本町塩川岸より伊世丁瀬戸物丁室町三丁日本橋■/
東側焼る▲越後屋呉服店のこる小田原丁安針丁長浜丁本船町魚川岸不残あらめ橋焼落也 "		

火事 N012

方角場所付

天保5年(1834) 23.5×31.5

		
"合印
■御上屋敷▲御中屋敷
方角場所付
その外所々橋々大船やけるなり
見てハなをはなしニ聞てもおそろしき事かな
去二月七日ひる八ツ時頃より西北大風ニて神田
佐久間町二丁目より一丁目三丁目同平川町
町会所久右衛門町鳥屋敷柳原同土手下辺
龍閑町代地平永町冨山町こんや町豊島丁
久右衛門町代地お玉ケ池■市橋様佐の様富田様
細川様元せいくわんじ大和町江川町弁慶ばし
元岩井町橋本町馬喰町亀井町小伝馬町
同上町牢屋敷本銀町南がわ本石町辺
大伝馬町通はたご丁大丸やける油町大門通より
長谷川町此辺不残○堀留堀江町小舟町小網町
新材木町椙の森稲荷乗物町冨沢丁高砂丁
なにわ町住吉町堺町中村座ふきや町市村座
人形芝居共よし町泉町甚左衛門丁銀座松島丁
室賀様戸田様近藤様牧野様永井様安藤様
とうかん堀行徳がし辺紀州様蔵屋敷新大橋
やける■水野壱岐守様▲水野出羽守様同酒井様"		
		
"▲一ツ橋様御屋敷同失([ママ])のくら津がる様▲佐竹様▲
小笠原様同元柳ばし山伏井戸■船越様大岡様
同浜町辺両国広小路片かわ横山丁辺米沢丁同
若松町久松町村松町橘町辺同新大坂丁此辺
一めんなり○今川橋大通り東がわ中ばし広小路
にて大通りやけどまる同大鋸丁松川町此辺やける
本材木町一町目より四丁目辺迄茅場丁■牧野様
並ニやくし堂北八丁堀御組屋敷同九鬼様
同御旗本やしき様神田代地不残岡崎丁松屋丁
同本八丁堀辺高橋いなりばし南八丁堀二丁目
より五丁目迄▲松平阿波守様▲井伊様同御旗本
やしきれいがんじま一めん▲松平越前守様同
御船手屋敷同南新堀北新堀同しん川
夜四ツ頃より西風つよく相成○北ノ方箱崎町へん
本船町瀬戸物町いせ丁本小田原町長浜丁
安針町元四日市万丁青物町音羽町同
平松町佐内丁川瀬石丁南波町新右衛門丁
箔屋丁くれまさ丁小松丁岩倉丁下まき町"		
		
"中通りハ此辺よりぬし町迄東ハてつぽうづ同稲荷同みなと丁へん
一めん大風ニて佃島不残なを又大船やける同いなりばし高橋
やけるなり○同九日ひる七ツ半頃より南風はげしく相成
桧物町辺より出火ニて上まき丁北がわ不残川岸通り一石ばし
まで西がし丁呉服町中通り新道不残元大工町新すきや丁同
通一町目より同四丁目西がわのこらすやける又々十日ひる九ツ
半時頃より呉服ばし内丹波様伯耆様いよの守様御中屋敷林様
■ゑちご様阿波様土佐様南町御奉行御屋敷同能登様
いづミ様京極様かぢばし御見附やける同すきやばしやける南ハ
芝口二丁目東がわ通りわき坂様屋敷まで塩留同橋残る
北は先焼一所ニ相成大通りハおわり丁銀座町不残東ばしやける竹丁
南でんま丁一めん南こんや丁五郎兵衛町かじ町桶町此辺不残西北風つよくなり三十けんぼりよりとび火ニて木挽丁不残森田座
同人形芝居とも不残同■奥平様みぞ口様▲せんたい様加納
様■やぎう様すわ様西尾様▲細川様板倉様堀田様同
■だて様本多様南八丁堀一丁目同あさりがししんふくじばし
やける又々風つよくなりうねめケ原へんより万年はしむこふ
■はたけ山様稲葉様並ニ西もんせき様つきじハなを又
南小田原町辺紀州様御蔵屋敷いよの守様▲とさ様
御はたもと様方御屋敷迄南ハ海までやけいでる也
同十一日九ツ時すぎより小石川御門外より出火して
とび火ニて小川町辺やける也まことニまことニおそろ
しき大火なり
第一ハ火之用心なり第一ハ火之用心なり"		

火事 N013

方角場所付

天保5年(1834) 30.5×39.5

		
"方角場所付/
同九日ひもの町辺より/
出火南風はげしく元大工丁/
へんよりごふく丁にしがし/
にてやけどまる/
御役御上敷/
■御中屋敷 □のこる/
●御下屋敷/
頃ハ天保五午年二月七日/
八ツ時頃外神田佐久間町/
二丁目より出火して西北風/
はげしく同三丁目少々焼/
お玉ケ池近辺土手下近辺/
元せいかん寺御屋敷方/
あまた弁けい橋通りいよいよ/
風はけしく六口程成小伝馬町/
本銀町より本石町本町辺室町/
小田原町いせ町近辺小舟町/
小網町近辺ふきや町堺町/
芝居近辺不残松島町御屋/
敷方又一口ハ茅場町北八丁堀/
亀しま町飛火致候本八丁堀/
南八丁堀霊岸島不残佃島/
飛火鉄砲洲御屋敷方/
舟松町二丁目焼留又一口/
日本橋向青物町しんば/
近辺通一残る同二三四/
かたかわ中ばしおか丁ぬし町/
焼留る又一口は横山町/
両国近辺不残浜町御屋/
敷方新大橋半分焼落/
后十日ごふくばし内より出火/
西北風はげしく御屋敷方所々/
御類火それよりすきやばし御門/
外通よりいよいよ西風はげしく/
つきじ御門跡辺不残やけ塩留/
ばしへんわきざかサマ御やしきより/
仙だいサマ御やしき少々やけ芝口/
にてやけどまる如此大火ゆへ/
諸人御たすけのため所々江御たすけごや相立難有事共なり "		

火事 N014

方角絵図面

天保5年(1834) 31.5×40.5

		
"方角絵図面
御紋御上屋敷
■ 御中屋敷
● 御下屋敷
黒印のこり
御救小屋場所
人数多き所ハ御小屋五間ニ十間余也但シ二 棟或ハ三棟の処も御座候
一西両国 一佐久間町がし 一四日市
一八丁堀松やばし 一すきやがし 一つきじ御門跡まへ
頃ハ天保五甲午年二月七日八ツ時過より外神田
佐久間町二丁目より出火いたし西北風はげしく
それより一丁目三丁目平河丁代地へもへ
ひらきそれより所々へ飛火いたし柳原通り
土手下かまくら横丁内神田お玉ケ池へん
九軒丁松下丁佐野様富田様浜松丁
龍閑丁松枝丁小泉丁岩本丁佐柄木
丁代地元せいがんし前市橋様川口様
横瀬様高橋様細川様此辺御屋敷町家
立よこ無残類火としま丁元岩井丁冨松
丁橋本丁久右衛門丁大和丁江川丁亀井丁
小伝馬丁らう屋敷此辺立横無残鉄砲丁
本銀丁三丁目四丁目北かわのこり南かハより
十軒店本丁石丁室丁迄西の方のこり
東ハ無残類火通一二三四丁南伝馬丁迄
西の方のこりぬし丁より本材木丁五丁目
南八丁堀てつほうづ佃島迄類火東の
方ハ馬喰丁三四丁め並御郡代やしき柳原
同ぼう丁吉川丁残り是より横山丁米沢
丁やげん堀矢の倉浜町山ふし井戸
久松丁冨沢丁此辺無残とび火にて
水のいき様並新大橋やけ落る松島丁
住よし丁よし丁いづミ丁ふきや丁さかい丁
両芝居人形丁のり物丁田所丁新大坂丁
大伝馬丁しほ留いせ丁小舟丁あらめばし
和国はし落るおだハら丁あんじん丁
本船丁此辺竪横無残類火
小あミ丁北新ぼり南
しんぼり新川北八丁堀
御大名小名御組やしき
紺屋丁御やしき町家無
残やける松平越中守様
御屋敷のこる八日朝五ツ
時てつほうづ舟松丁ニて
火やうやくしづまりけり
▲同九日くれ六ツ時日本ばし
ひもの丁辺より出火いたし
一石はしきハ迄やけ
西かしにてとまり
元火ハ上まき丁迄やける
▲同十日己の刻頃より
ごふく橋御門内より出火西
北風はげしく絵図面の如く
御やしき御類火かじ橋すき
やばし両御門類火いたし南
牧丁より通り丁京ばし辺ハ無残
三十間堀こびき丁南八丁堀
つきじ無残海て迄南ハ新橋
芝口一丁目二丁目両がハのこり
東の方ハ脇坂様しほどめ
奥平様御浜御堀ニてとまり
翌十一日朝四ツ時火しづまりぬ
▲同十一日ひる頃小石川辺少々御類火
飛火にて小川丁へん御屋敷御類火也
▲十三日ひる七ツ時より出火いたし本郷おい
わけ辺御やしき御組やしき町家一ツ時ほど
類火いたし候処雨ふり出し早速しめりける
かくおいおいの大火にて難渋の者多候ニ付此度
御公儀様より所々へ御救小屋御建被成下朝夕の
御たき出し御飯迄御手当頂だい仕候儀誠ニ以
有がたき事なりけり"		

火事 N015

大坂大火

天保5年(1834) 31.5×44.5

		
"大坂大火
天保五午七月十日夜子ノ刻より出火
南西風つよく北東へ焼出し又翌日
十二日卯中刻ニ火しづまる
火元
一 堂島北町家数七軒竈数九十九軒
一 永来町家数三軒竈百七十五軒土蔵一ヶ所
一 中一丁目家一軒竈一軒
一 うら二丁目家八軒竈七十二軒
一 曽根崎一丁目家三十軒竈百八十三軒土蔵三ヶ所
一 同二丁目家四十四軒竈二百十四軒
一 堂島一丁目家四軒竈七十五軒
一 同船大工町家二軒竈二十四軒
一 天満船大工町家二十五軒竈二百八軒
一 同下半町家三軒竈百十軒鍋島御蔵やしき崩一軒
一 老松町家四十六軒竈百七十八軒蔵三ヶ所
一 十一丁目家十三軒竈九十九軒
一 小島町家四十軒竈百八十五軒道場一軒
一 南小ハた町家二十三軒竈九十七軒土蔵二ヶ所
一 北同町家三十二軒竈二百二十軒土蔵二ケ所
一南富田町家二十四軒竈百三十五軒土蔵五ケ所道場一軒
一北富田町家二十軒竈二百四十五軒土蔵二ケ所
一 猶村屋敷家一軒竈六十五軒土蔵一ケ所
一 砂原屋敷家六十五軒竈百九十七軒土蔵一ケ所
一 観音寺屋敷家六軒竈二十五軒
一 西寺町前家一軒竈二十五軒
一 東西寺町二十けん
一 樋之上町家一軒竈一軒
一 西たるや町家四軒竈二十一軒崩三ヶ所
一 堀川町家十六軒竈五十四軒土蔵四ケ所
一 源蔵町家二十一軒竈七十四軒
一 いせ町家三十七軒竈三百十軒土蔵十一ケ所御預り所堀川堤家一橋一カ十七
一 北森町家二十六軒竈七十六軒土蔵一ケ所
一 在馬町家二十七軒竈六十五軒土蔵十六ケ所
一 越後町 納屋三ヶ所
一 摂津国町家四十九軒竈二百八十三軒土蔵一ケ所
一 わたや町家三十軒竈百七十軒土蔵一ケ所
松平備前守様御やしき
一婦夫町家二十三軒竈八十四軒
一 池田町家三十軒竈二百十五軒京極御蔵やしき土蔵一ケ所
一 大鏡寺前家七軒竈三十三軒
一 東寺町前 竈一軒
一 曽根崎むら家百六軒竈二千六百三十五軒土蔵十六ケ所寺五ケ所天神一ケ所
一 北の村家七十二軒竈四百五十軒寺四ケ所社二ケ所
一 川さき村家五十五軒竈三百四十軒土岐 蔵やしき土蔵九ヶ所
町数三十九丁
内町続在領三ケ村
家数八百九十八軒
かまど七千五百六十軒
土蔵八十ケ所
穴蔵九ケ所
寺三十ケ所
社お初天神目神八幡堀川戎社北ノ神明四ケ所
神主屋敷二ケ所
納屋三十四ケ所
道場二ケ所
蔵屋敷四ケ所
町橋寺町ばし新地樋ノ北橋二ケ所
西町御屋敷一軒
南町同八軒
惣〆八千五百八十軒 已上"		

火事 N016

大坂大火

天保8年(1837) 23×33

		
"大阪大火
天保八年酉二月十九日
朝辰ノ剋より出火北西風つよく
翌日二十日西北風ニて東南へ焼
出し酉の下刻火鎮る
一町数 百四十二丁外ニ東堀築地
一竈数 一万二千五百七十八軒
一土蔵 四百十一ケ所
一社 てんじん座外平の町神明おたび三ケ所
神主並ニ社家屋敷十ケ所
屋敷五ケ所
用場二ケ所
一橋数 天神ばし高らいばしよしやはし今はし平のはし五ケ所
東
外ニ屋敷三十七軒
右焼跡
東西広キ所七百六十間
南北同 千十間
御すくい小家御蔵あと 天満はし 京はし三ケ所
一家数 三千三百八十九軒
一明家 千三百六軒
一空蔵 百三ケ所
納屋 二百三ケ所
一寺 十四ケ所
 道場 二十二ケ所
一銀座 天満組惣会所
秤座 尼崎山村居宅
東ヨ
一町屋敷 二十九軒
同分 四十六軒
西
一町屋敷 二十九軒
同 二十六軒
東寺町前
大鏡寺前
東寺町
川崎村"		

火事 N017

日本橋本船町火事(仮)

天保9年(1838) 23.5×30.5

		
"頃ハ天保九年戊 四月十七日南風はげしく
日本橋本舟町より出火して此辺一面なり
伊勢町かし二軒残る室町三町安針丁小田原丁
瀬戸物町両替町さや町釘店より駿河町
ふな丁雉子町新白銀町此辺一面なり
本町四丁メ角 石町四丁メ 本白銀丁 今川ばし 泊り九十 泊り 四丁メ泊り 本ぬり物丁
かぢ町 鍋町西河 紺屋町二丁メ 白壁町 一丁メ二丁メ 泊り 泊り中ノ橋落るまん中残る
一番組 松田町 冨山町二丁メ泊り
小柳町中程 泊まり 八ばん組 西神田 長冨町四丁大工町一丁
品川町三丁 りうかん丁 たて大工町 鎗([ママ])蔵町 三川町四丁 酒井様ニて泊り
川井新石町一丁 新川屋町 本ぬりもの町
柄木町 丹波清兵衛様津田様半分泊り 連雀町 山本様泊り
四軒町近藤織部様ニて泊り 小川町土岐様 水野様"		

火事 N018

大坂大火(仮)

天保13年(1842) 37.5×52.5

		
"竪横町間
谷町筋 南北 四十四町二十八間
天神橋筋 南北 五十九町四十三間
堺筋 南北 三十四町二十五間
京橋 東西 四十町十間
高麗橋 東西 二十九町四十間
久宝寺町 東西 三十六町
天満市ノ側 東西 五十三町
○新地年記
堂島安治川 元禄元戊辰年開地
堀江富島 同十一戊寅年開地
曽根崎 宝永五戊子年開地
難波新地 享保八癸卯年開地
高津新地 延享元甲子年開地
同 明和二乙酉年開地
江戸堀堀江古川
本町東西曲ノ立売堀 同年増地
阿波座堀海部堀
江戸堀江ノ子島鼻 安永八己亥年増地
今橋西詰蟹島 天明三癸卯年増地
西横堀炭屋町新地 天保十二辛丑年増地
天保十三壬寅年六月吉旦
浪花書林 平野町通淀屋橋西 石川屋和助版"		

火事 N019

青山権田原辺火事(仮)

弘化2年(1845) 23.5×30.5

		
"頃ハ弘化二乙巳年正月二十四日昼九ツ半時頃
青山権田原三筋町辺より出火致シ六道辻御組
屋敷横たて共不残焼青山通り御手大工町若松町
浅川丁五十人町同御組屋敷不残焼青山下野守様
少々焼向大膳亮様抜屋敷其より麻布龍土谷出羽守様
井上様鍋島安次郎様
焼鍋島摂津様伊達様松平石見様
残る此辺御組屋敷焼 ([家紋]) 毛利様御中屋敷残る内藤様中
此側ハ皆残る片側六本木通り丁屋寺共不残焼
大久保様中焼五島様残る鳥居坂通戸川定太郎様
京極壱岐様向戸田隼人様戸田孫十郎様京極様亀井様焼る永坂通り大田原様角有馬様残る永坂町屋屋敷
寺不残焼る一ト口ハ芋洗坂上御組屋敷南北日ケ窪町
小笠原備後様毛利左京亮様内田様此辺不残桜田
町通りハ町屋寺々不残焼内藤因幡様松平石見様中
北條様下遠山様下秋月佐渡守様山崎様此辺之御組
屋敷不残焼氷川様通りハ残る南部信濃様木下
肥後様広尾町不残焼堀田摂津様下焼留是より坂上酒井様
亀井様下南部遠藤様下本村町近辺不残焼る
仙台様同坂両側残る土屋妥女様下焼る向側
残る又一トロは日ヶ窪通り宮下町新網代地十
{後欠}"		

火事 N020

青山権田原辺火事(仮)

弘化2年(1845) 23.5×30.5

		
"頃ハ弘化二乙巳年正月二十四日昼九ツ半時より
青山権田原三筋町辺より出火致シ六道辻
御組屋敷横たて共不残焼青山通り御手
大工町若松町浅川丁五十人町同御組屋敷不残
焼青山下野守様少々焼向大膳亮様抜屋敷
其より麻布龍土井上様谷出羽守様鍋島安次郎様
焼鍋島摂津様伊達様松平石見様残
此辺御組屋敷焼毛利様御中屋敷残る
内藤様中此側は皆残て片かわ六本木通り
町屋寺共不残焼大久保様中焼五島様
残る鳥居坂通戸川定太郎様京極壱岐様
向戸田隼人様戸田孫十郎様京極様亀井様
焼永坂通大田原様角有馬様残る永坂町
屋敷寺不残焼一口ハ芋洗坂上御組屋しき
南北日ケくぼ町小笠原備後様毛利左京亮
様内田様此辺不残桜田町通八丁程寺々
不残焼内藤因幡様松平石見様中北條様
下遠山様下秋月佐渡守様山崎様此辺の
御組屋敷残ス焼氷川様通ハ残て
大南部様木下肥後様広尾町不残焼堀田
摂津様下焼留是より坂上酒井様亀井様下
{後欠}"		

火事 N021

焼原方角付あらましの分

弘化2年(1845) 23×27.5

		
"焼原方角付あらましの分
比ハ弘化
ニ巳ノ年正月二十四日
朝より西北の
風はけしく土けむりを
まきあけ
砂石を吹
飛す事
おびたしく
されば同日午の
刻すぎそら
一面にわき雲り
何なくものすごき
{後欠}"		

火事 N022

諸国へ出ス手紙之文

弘化3年(1846) 27×32.5

		
"諸国へ出ス手紙之文
当午年正月十五日八ツ時頃より西北風はげしく
小石川上地辺より出火いたし夫より
本郷丸山のこらずやける本明寺やける
同所坂之上ニてとまる又一ト口ハ本郷
五丁めへでる松平加賀守様表通り
めくら長屋少々やける又一ト口ハ春木丁
金介丁三組丁迄やけるゆしま天神
地内門前一丁程のこる是より風かハり
北風はけしくつまこへいなりやける
此前とふり御やしき少々のこる向ハ
酒井新太郎様ニて留る夫より神田明神
本社残り其外地内のこらすやける
せいどううら通り不残やける昌平橋
おちる又一ト口ハ本郷元丁ゆしま六丁め
へんやける御ちやの水火消やしき夫より二口ニ
わかれ一ト口ハ外神田わら店仲丁御なり
かいどう石川ニて留る夫より内神田するが
だい太田姫稲荷より東へやける"		
		
"すじかい見付ハのこる松平伊賀守様
松平しなのの守様稲ば様ニてとまる
又一ト口ハ三川丁より西神田不残やける
夫より東神田お玉か池一ツ橋様ニて留る
柳原土てもミぐら残る其外不残やける
小伝馬丁二丁めニて留る大伝馬丁二丁めニて留る
ろうやしきのこる一ト口ハ堀江丁小舟丁やける
おやじハしおちるふきや丁よし丁
元大坂丁迄やける江戸橋日本橋おちる
小あミ丁箱さき新川新堀八丁堀
不残やける此へんはしばしおちる
御やしき不残やける鉄砲づいなり橋落ル
佃しまへ飛なり又日本橋とふりハ
西かわのこる京はしニて留る
一ト口ハこびき丁一丁めニて留る
よく日十六日八ツ時ニやけとまる
尤風はげしく人多く死す
右之通りニ御座候間火の元大切ニ被成候"		

火事 N023

江戸本郷辺大火(仮)

弘化3年(1846) 22×29.5

		
"頃ハ弘化三丙午年正月十五日昼八ツ半時西北はげしく
本郷丸山辺より菊坂丁田町此辺より出火して安部様ノ御屋しき
少々焼跡残らス此辺ノ御組屋敷残らス焼長泉寺火之中ニて残る
本妙寺本堂残る地中来岳院本立院本霊院本行院
焼本妙寺坂三浦又十郎様立花様小笠原様古江兵左ヱ門様高木
幸次郎様古屋金之助様菊坂之上佐野新三郎様焼火之中ニてこうじや
二軒残る丸山台町木福寺裏門前地少々残り又一ト口ハ本郷六丁目残る
五丁目賀々様御飛脚がい所焼其向角松本ト申たバこ店残り同四丁目
心光寺焼同三丁目いづくら並ニかねやす横丁加賀様御辻番焼裏
長屋少々焼向角近藤岩見守様ニて止り夫より二丁目一丁目残らス
湯しま一丁目より六丁目迄焼湯島円満寺焼同横丁前田又五郎様
土井能登守様御中屋敷大塚鉄次郎様御晋請奉行村田阿波
守様小林半左衛門様稲葉様酒井岩見守様前用定之丞様佐藤
捨蔵様永井伝左ヱ門様相原信吉様本郷御弓丁かたかわ元町
残らス焼竹町同西竹丁参念寺残らス川瀬勝三郎様此近へん
不残春木町一二丁目焼三丁目残る大根バたけ新町傘谷近辺残らス
焼霊音寺残る御茶ノ水火けしやしき酒井様焼湯島天神
門前一丁程手前にて止り同三組町残らス焼夫より妻恋稲荷本社
残らス焼島田弾正様三枝佐平様残るごミ坂の下ニて止り上は残らス焼
又一ト口ハ聖堂表通り残る学文所少々焼夫より駿河だいへとび火致シ
岡村竹十郎様加藤駒五郎様松下生駒様本多主税様吉田虎次郎様
大竹庄九郎様原田勘蔵様松永源蔵様ニて止桑原孫之丞様
三川口鎌五郎様能瀬鎌三郎様村田林左ヱ門様平賀三五郎様八木津様大野
佐内様富永甚三郎様能田甲斐守様近藤平角様ニて止貝塚庄九郎様
{後欠} "		

火事 N024

江戸本郷辺大火(仮)

弘化3年(1846) 23×30.5

		
"頃ハ弘化三年午ノ正月十五日九ツ時すぎ西北ノ
風はけしく土けむりをふきたて何となくものすご
きおりから本郷むねつき坂へんより出火して
あたかも天をこがすがことく老若男女ともに諸道
具等を持出し四方にみちみちたり扨焼失のふん記と
いへ共其あらましをここあらハす出火の元ハむねつき坂
それより谷合御組屋敷不残菊坂へん丸山本明寺まへ
此へんより本郷五丁目よこ丁加賀様御屋敷角少々
やけ近藤様御屋敷角少しやけ同四丁目より一丁目迄
両かわのこらす此へん御屋敷多やけ寺々しん道迄もやけ
ゆしま五丁両かわ不残同一丁目藤堂様村田様ゑんまん寺
からかさ谷此へん御やしき多やけ大こんばたけ金助丁春木丁
神田明神様西町御門まへ不残御本社ハのこるうら谷合より
ゆしま天神まへ町両かわつまこい稲荷まへ丁こみ坂
すじかい外ハ金沢町小柳丁代地すだ丁二丁目代地仲丁一二■
牛込さかな町代地花房町西ハ竹町御茶ノ水御火けし
御用屋敷此へん御やしき多く前田様までやけるセいどう
のこる内御がくもん所ハやける昌平橋焼おち内平岡様久世
様松平伊賀様土井様松平佐衛門様さいき金田様
津田様するがだい飛火太田ひめいなり残向がわ佐来様 {後欠} "		

火事 N025

江戸本郷辺大火(仮)

弘化3年(1846) 31.5×46

		
"頃ハ弘化三丙午
正月十五日昼八ツ半
時より本郷丸山辺
より出火にて
神田明神近
辺残らず
焼る明神
ハ残る西北
の風はげしく
昌平橋焼落る是より
明神下焼る佐久間町ニて
留る一口ハ駿河台飛火し
今川橋辺不残類焼す
是より本町通日本橋江戸橋
落る永代橋辺霊岸島
鉄炮洲佃島又一口ハ通
四町仲橋辺不残焼る
京橋竹河岸ニて翌九ツ時ニて
よふよふ静り人々安土の思ひを
なしにける
火元より火先 一里十丁余
町数 五百八十家町余
此度大火類焼ニ付
御公儀様より御すくひ小や
御立被下其上一人ニ付
弁当被下候事ま事に
御仁徳の程難有
御代世に生るる人の
幸なる哉
八丁堀松や町
日本橋四日市
佐久間町"		

火事 N026

江戸本郷辺大火(仮)

弘化3年(1846) 34×48

		
"弘化三丙午年正月十五日昼八ツ半時より
出火本郷丸山上ケ地より一口ハ御弓町又一口ハ本郷通より妻恋明神下
御成道○御茶の水より駿河台へとぶ小川町西神田不残東神だ
少シ残る本町辺日本はし中橋京ばしにて焼止る
西中通り片側のこる○大伝馬町一二より堀江丁通り
甚左ヱ門町稲荷堀小網町箱崎霊岸しま辺
不残八丁堀鉄砲洲佃島飛ふ
さむさはしにてやけ止る
明ル十六日夜四頃迄
橋数多落る
土蔵百六十六ケ所
落る
残りの分
本郷真光寺天神社
同門前共
神田明神本社未社共
湯島天神門前一丁程
明神下御台所丁片かハ
残る
神田辺ハ
小川町さかひ
かまくらかし
東神田小柳丁
お玉ケ池さかひ
外ハわら店
仲丁にて止る
焼止ル所
小伝馬丁一丁め
大伝馬丁二丁め
堀留丁ふきや丁
大坂丁箱さき
築地境
御救小屋
場所
佐久間町川岸
松屋町川岸
四日市広小路"		

火事 N027

江戸本郷辺大火(仮)

弘化3年(1846) 31×45.5

		
"頃ハ弘化三丙午
正月十五日八ツ
時頃本郷丸山
辺より出火致シ
菊坂辺阿部様
下屋敷本郷通り
加賀様少々焼湯島六ケ
町御茶水聖堂焼ル神田
明神残ル外神田旅籠町
仲町辺佐久間町一丁目にて
留ル昌平橋焼落駿河台へ
飛火致シ御旗本様多ク焼ル
筋違内伊賀様土井様左ヱ門
尉様小川町稲葉様神田橋
通本多豊前守様其外御旗
本様多ク焼ル内神田三河町辺
大工町辺多町辺須田町通り
東神田小柳町白かべ町お玉ケ
池此辺不残新石町なべ町かぢ町紺屋町
新土手下のり物丁今川橋通り本銀町通り
本石町通り小伝馬町一丁目ニて留ル牢屋敷
残ル本町通り大伝馬町二丁目ニて留ル室町通り
日本橋焼落瀬戸物町駿河町両がへ町品川
町魚がし此辺平一面ニなり江戸橋荒布橋焼
おち小舟丁堀留堀江丁親父橋焼おちふき
や丁よし丁大坂丁辺とうかん堀安藤様下やしき
尾張様蔵屋敷小網丁通り箱崎土井様久世
様伊豆様北新ぼりみなと橋焼おち御舟手
組屋敷ニて留ル南北新川はま丁大川ばた辺
其外れいがん島十八ケ丁焼ル越前様むかい
将監様組屋敷ニて留ル高橋亀島橋やけ
おちかやば丁薬師八丁ぼり残らず久鬼様
越中様細川様下やしき焼海賊橋しんば橋松屋橋弾正ばし
中の橋いなり橋ミな焼おちる本八丁堀通り南八丁堀通り本多様
堀くら様かもん様下やしき遠江様少々阿波様下やしき鉄砲洲稲荷焼
湊丁船松丁十けん丁細川のとの守様松平長門守様ニて留ル佃島へ飛火して焼ル
又一ト口ハ四日市青物丁辺左内丁小松丁しんば肴かし通り本材木丁八丁目迄
日本橋通りハ一丁目より南伝馬丁三丁目まで八丁両かわ焼ル西中通りハ
西河岸よりたたみ丁迄東がわ焼ル西がわ残ル京橋きわまでやける
よく十六日九ツ時すミ丁竹がしにてやうやうしづまり人々あんどの思ひをなす
焼失 御大名様上中下御屋敷三十五ケ所
御旗本御屋敷九十軒余
町数 三百六十ケ町余
橋数 二十ケ所
本郷丸山より鉄砲洲迄
道法凡一里十六丁余
神田
佐久
間町
江戸橋
四日市
八丁堀
松屋丁
右三ケ所へ窮民御
救小屋取立候間類
焼困窮成者勝
手次第御小屋入
可願出もの也
正月十七日"		

火事 N028

江戸大火(仮)

嘉永2年(1849) 23×31.5

		
"頃ハ嘉永二酉とし八月
二十四日九ツ半とき弁けいはし
辺より出火折ふし北風はげ
しく此へんのこらす松技丁
松下丁代地こんヤ丁九軒丁
大和丁岩井丁上納地もと
岩井丁夫より大門通亀井丁
うらおもて小伝馬一丁めより
三丁メ迄同新道油丁
片かハ中ほと迄大てんま
二丁め三丁目迄 ([屋号]) のこる
通りはたこ丁田所丁
はせ川丁三光新ミち中程迄
人形丁のとふりいつミ丁のこり
堺丁また一口ハほり止より
新材木丁杉のもりのり物丁
かくやしん道ふきや丁よし丁
甚左衛門丁大さか丁小あミ丁
一丁めよこ丁にてやけ止り
あくる五ツとき風もやミ火
しつまりて諸人やうやう
あんどのおもひをなし候へハ
そのあらましをしるす"		

火事 N029

焼場独案内

嘉永2年(1849) 36×47.5

		
"焼場独案内(ひとりあんない)
仁義礼智忠信孝悌の八ツは
しばしもわするへからずわけて孝行ハ
善道のつかさ也夫人として孝なきハ人に
あらず江戸おもて出火とききくにくに
在々親兄弟へさつそくつげしらせべき
こと第一也時に嘉永二酉八月二十四日夜
九時内神田弁けいばしより出火して同所
よこ立のこらず松しだ丁小いづミ町
久右衛門丁四丁目代地やまと丁岩井丁
上納地やける北がハのこる也同所どうゆふ
やしきかど此辺所々一番二ばん五ばん八番
消留元柳原丁六丁目十番組消留元岩
井丁かめい丁北側のこる南方五番ふか川組ニて
けし留小でんま丁一丁目二丁目三丁目木戸際ニて
一番六番消留油丁通り東がハのこる西がハ一ばん
五番本所組ニて消留はたご丁西がハやける東がハ大丸のこる
同新道中程五番消ほり留焼田所丁西がハ焼東がハのこる六番
本所組ニて新大坂丁東側弥兵衛丁住よし丁のこる大さか丁西がハ
やける銀座のこるやしき前通一番二番八番組ニて消留夫より
甚左衛門丁両かハやける牧野河内守様御中やしきけし留小網丁
一丁目よこ丁きど際ニ番組けし留貝じやくし店半焼也又一口ハ
らうやしきのこるうら門通やくし堂まへ小伝馬丁中程一番組
二番組九番消留大でんま丁二丁目木戸ぎハ一番二番ニて消留また
一口は人形丁通り杉のもり新道同所いなりの社やける乗物丁
新材木丁はせ川丁西かハやける木戸際ニて六番組消留る三光
じんミち九番組消留三光いなりのこる庄助やしきさかい丁
ふきや丁よし丁やけるいなかしるこのこるがく屋新ミちやける
ふきや丁川岸通り一ばん組二番ぐミニて消とめるおやぢばし
へんのこる二十四日の夜より二十五日の五ツ半すぎまで凡六時の
間に百万の屋舎ことごとく灰と成り七珍万宝一へんの
煙と変ずアア恐れてもおそるべきハ火也またなくて
かなハざる物なれバ数多心がけ気を付べしいささかのことより
大火事となる必ゆだんすべからず火の用心
火の用心"		

火事 N030

江戸出火場所細見

嘉永3年(1850) 37×49

		
"嘉永三庚戌二月五日辰ノ中刻ヨリ
江戸出火場所細見
かうじ町五丁目火元
西北風つよくして
品川口海辺まで
凡二り計
御大名様御屋敷
凡五十五ケ所
御旗本御屋敷
凡百五十ケ所
同五日夜
丑の刻火鎮"		

火事 N031,N032

焼場方角付

嘉永3年(1850) 35.5×96

嘉永3年(1850) 36×96

		
"焼場方角付
凡(およそ)世上の災(わざわひ)といへる内雷火(らいくわ)天火等ハ天の
所為(しよい)にして人力もて量るべからず
されバ平生より心がけなく火をバ
粗略(そりやく)になし其身計に
あらで其余災(よさい)他人に
及事偏にいたハし
からずやいま
嘉永三戌
とし
二月
五日
朝
五ツ
半
時より
北風
烈折から
麹町五丁め
裏通より
出火して
高貴の
御館をはじめ
御はた本其外
大小の御やしき
且ハ神社
仏かくあまた
類焼なしけるゆへ
諸人力をつくし
防消(ふせぎけす)といへども
風強くして
思ハず広(かう)
大にいたり
冬天を
こがし煙
雲を染
家居の崩(くづるる)
おとすさ
まじく
遠近に
きこへて
おびただし
其夜の亥
刻に火ハ静(しずまり)
て諸人安堵
の思ひをな
すといへ
ども斯
も世の
わづらいと
ならん事其恐
少からず家も人も
つとめて火の元を大事になし
殊に下人なとに猶よく示て
火を敬ひつかふときハかのつち
の神の恵(めぐミ)をかふむりその
いへますます富さかえ
て火災をのがるるよし
古書に見へたり其外
火ハ人を養のとくありて
其恩をしらずミだりにあつかふ
ことゆめゆめ在へからず是によりて
只々世の人のためにもなりぬべきことと
遠方の人にもしらせん便ともならんと図をしるし拙言を
添るのミ"		

火事 N033

江戸麹町辺大火(仮)

嘉永3年(1850) 22×28.5

		
"合印●御上屋敷■御中やしき▲御はた本
嘉永三戌年二月五日五ツ半過北風はげしく麹町五丁目辺より
出火同所より一丁目迄夫より山王丁三丁迄隼丁平川丁二丁目まて
御医師並小屋敷あまた類焼京極飛弾守様▲御火消神保様
●松平兵部大夫様●三宅土佐守様▲石丸様▲谷帯刀様▲菅谷兵部様
▲竹内様▲柴田様▲野々山様▲矢島様▲土屋様▲中畑様▲五島様
▲永井様▲島津様▲阿部様▲野口様▲戸田様▲小田切様▲駒井様
のこる▲屋代様▲折井様▲玉虫様●木挽丁四丁め上納地代地裏
●馬場●平川天神社のこる門前より御医師篠原様●湯島
亀有丁代地此小屋敷あまた類焼■島居丹波守▲赤松様
▲高木様●大村丹後守様●松平豊前守様のこり●細川豊前守様
▲依田様▲夏目様▲岡野様▲松平様▲永田様●松平あきの守様
▲有田様●井伊掃部頭様▲徳長様●九鬼長門守様●松平玄蕃頭様
▲大久保様■本田豊後守様■内藤紀伊守様▲佐の様■丹羽様
▲杉浦様▲鳥居様■内藤紀伊守様▲内藤様▲松平様▲後藤様
▲勝田様▲安部様▲渡辺様▲佐藤様●山王御宮のこり門前
{後欠} "		

火事 N034

火之用鎮道しるべ

嘉永3年(1850) 23×16

		
"火之用鎮道しるべ ■印上屋敷
●印中屋敷
▲印下屋敷
頃ハ嘉永三年庚戌二月五日五ツ半時より出火致し
麹町五丁目辺よりおりしも西北風はげしく此火一丁目迄
のこらず北かハ十軒計りのこる但シ一丁目自身番残る又一ト口ハ
大横町玉井番太郎のかハのこる西側のこらす平川丁一丁目二丁目材
木町天神焼る此辺根本彦右衛門様矢の立蔵様高倉助太郎様
村つか様荒木田源次様大津右門様蓮池兵助様竹矢文左衛門様
此辺不残三丁目谷高倉義十郎富田文行亀井伊三郎岡村勝二郎様"		
		
"田村宗哲青山義兵衛様安井仲平殿隼町やける火消やしき
神保三千次郎様■松平兵部大輔様うら門より御堀はた表長やのこる
■三宅土佐守様元山王残■井伊かもんの守様松の三平様朝比奈
弥太郎様三宅助三郎柴田日向守竹内斧次郎川久保平助星野
久庵杉の谷将監内藤四郎竹内玄道島津伊与守様三枝
惣十郎谷井監物三けんやのこらずの口清兵衛様同野口様池田
貞之助中畑宇右衛門沢幸助▲細川越中守様土屋勝右衛門様
諏訪数馬依田源十郎■細川豊前守様夏目左近将監岡の
大学稲垣安太郎奥村長蔵■大村丹後守様此口留る又一ト口ハ
山王通永田町大岡佐太郎勝田左京松平大膳輔永田伊織
●芸州様五島中務大輔大久保甚右衛門本多豊後様
●内藤紀伊守様■丹羽左京大夫様山王御地内町家のこらす焼
■京極備中守松平登之丞此口留佐の日向守松平玄番
いよいよ風つよく霞ケ関芸州様御向やしき■九鬼長門守様
●丹羽様徳永様伊原啓助杉浦様井上啓次郎様松平万二郎
岩本様水の岩之丞小倉鉄之丞林武部少輔保科永次郎
加藤権之丞■高木もんと正■松平美濃守様御門より
北かハ表長屋のこる村瀬平四郎■松平伯耆守様■内藤能
登守様少々残る弥風烈しく寅ノ御門より飛火いたし御勘定
御屋敷久須美佐渡守様■京極長門守■稲葉富太郎様桜田"		
		
"備前丁伏見丁かじ丁兼房丁此辺やける伊賀保力之助様
■木下主斗守様九鬼様■田村左京大夫様稲葉元三郎
二ケ保内記■堀田豊前守様有馬様伊藤様尾沢様■毛利
阿波守様松平治郎兵衛松平秀之丞大島様●細川様●田村
松平小十郎曲渕甲斐守●松平丹波守様堀様石の様
■加藤越中守様狩野様谷かずへ様■相良志摩守様杉の
諏訪様増田与右衛門富永様光野様宇津木様畑様徳永
富五郎朽木周防守様是より風はげしく火ハ三方ニワかれ天徳寺
地中不残門前丁焼る▲戸田淡路守本多弥八郎田村伊与守
■片桐助作様愛宕山焼る身替り不どう真福寺青松寺
地中のこらす小出助四郎●牧の様井戸鉄右エ門▲堀田様
川勝様■松平隠岐守様■池田中務少輔■米津越中守
■秋田阿波守様●植村駿河守●仙台様■有馬日向守様
■柳生飛弾守様仁木様井上様平の兵庫之助様芝御山門
地中凡七十軒程焼る大門片戸びら焼る文一口ハ柴井町兼康
ゆうけんよりうら日かげ丁宇田川町神明町浜松町四丁目迄
のこらず神明社内門前共のこらず芝大門通り中門前片
門前通り焼将監殿はしニて止又一ト口ハ■森越中守様
少々残新銭座町並新網町のこらす徳■寺光陽寺上
随寺此辺十一ケ寺程焼る■大久保加賀守様表御門残る
金杉橋少ゝ焼金杉一丁目より四丁目迄芝橋ニて止又一口ハ"		
		
"●松平因幡守様より火先つよくしく海手まて
のこらすやけるやうやく夜亥ノ下刻比静り
人々安堵のおもひをなせり
凡土蔵二百四五十程焼落
凡宮寺百八十軒程同断
此焼場方角つけハ外の板行トハ違ひことの外ニ
めいさいなれハ遠国他郷の御音信にハ調法之
品ニて候外々と御見競べ御求可成候"		

火事 N035

江戸大火(仮)

嘉永3年(1850) 35.5×48

		
"頃ハ嘉永三戌二月五日昼四ツ時
麹町四丁目浦町より出火ニて西北
之風はげしくいハき舛や焼ル夫より五丁
目より一丁メ迄山本丁隼房丁平川丁
天神社此辺不残焼ける明石様
三宅様伊井掃部頭様
又一口ハかいざうより
三けんやとふり此へん御はた本様
六十ケしよほど安芸守様御向ひ
やしき黒田様やける山王さま表門どふり
大村様細川豊前守様いながき様
丹羽左京すけ様京極右近様内藤紀伊
守様御やしき夫より本多豊後守様
松平玄蕃頭様九鬼様松平伯耆守様
高木主水様内藤能登守様夫より虎御門外へ
とび火御勘定御やしき京極長門守様金びらさま
やける佐ケ良様木下様稲葉様土方様久保町
善左衛門丁ふしミ丁堀田様毛利河内守様田村様
中やしき御はた本様御類焼田村様上やしき毛利様半
やけ井上様仙台様中やしき柳生様柴井丁宇田川丁
▲下へ
上より▲木村越中守様関様残ル
又一口ハ西の久保通栃木様
加藤のとの守様
天徳寺あたご
山青正寺井上様御はた本様
やける片桐様松平おきの守
様本多様池田様米津様
御山内エ飛火夫より宿坊寺
院多やける芝神前どふり三
島丁神明社不残しん明丁浜松
丁一丁メ四丁目迄中門前片門
前不残やける大門通り大久保様
紀伊様御やしき残ル新網丁
浜辺迄やける金杉一丁目より
四丁メ迄さいおふ寺もん前のこる
いなばの守様やける本芝一丁目
とふりニて焼留ル人々安どの
おもひをなしぬ"		

火事 N036

方角の図

嘉永3年(1850) 36×49.5

		
"方角の図
頃ハ嘉永三戌年二月五日あさ五ツ半時より西北の風はけしく
そらハ一面にかきくもり土けむり■ふきたてすなをまきあけ
何となくものすごきをりから麹町五丁目へんより出火して同四丁
目三丁目二丁目一丁目ハかたかわのこる火けし御用屋敷石丸様
松平兵部大夫様三宅土佐守様谷様菅谷様竹内様柴田様
野々山様矢島様中畑様五島様永井様島津様阿部様
野口様戸田様小田切様屋代様伊井様玉虫様木挽丁代地
馬場此へんのこらす平川天神本社のこる門まへのこらずやけ
亀有丁代地此辺御屋敷多類焼鳥居様若松様より
高木様大村様松平豊前守様ハのこる細川様依田様
鳥居様夏目様岡野様松平国之助様永田様松平
げんば様大久様([ママ])本多様内藤様佐野様丹羽様杉浦様
鳥居様内藤紀伊守様松平様野田様安部様のこる
後藤様佐藤様山王御社のこる前町焼る丹羽様鳥居様
此辺のこす松平あき守様ハ少々やけ黒田様表御門より東長家のこる
岩元様小出様高木様松平伯■([耆カ])守様■■様寅の御門
外御■屋敷のこる御勘定御用やしき■より京極様谷様
松尾様木下様土方様おく田様此辺のこらす稲葉様
一柳様土方様毛利様曲渕様堀田様細川様
田村様牧野様酒井様秋田様仙台様
柳生様三島丁七軒丁神明御社類焼
増上寺地中殊外しやうひつ大門外
片門前中門前土手あと金杉ばしのこる
又一口ハ芝居丁宇田川丁はま通り
大久保加賀守様
神明町まへ通り
はままつ丁
はまかわのこらす
金杉四丁目より
芝ばしにて
暮六ツ時に
焼とまる
火の用心火の用心"		

火事 N037

江戸麹町辺大火(仮)

嘉永3年(1850) 31.5×40.5

		
"頃ハ嘉永三
戌年二月五日朝五ツ半時頃
かうじ町五丁目うら町中
ほどより出火して北がハへやけぬけ
岩城升屋ごふく店やける夫より
四丁目三丁目二丁目一丁目はや
ぶさ丁平川丁一二三丁目
天神社三軒家小田切様河
内様其外御はた本様二十軒
やける夫より西北風ことごとくはげしく
御火けしやしき明石様御上屋敷東がハ
表長屋残る井伊かもん様細川様大村様
夏目様安芸様ハ残る永田町岡の様焼山王
社のこる町家やける丹羽様内藤様九鬼様京ごく
様其外御はた本やしきのこらすあき様御中屋敷
たんバ様黒田様表御門東長屋のこる高木様伯耆様
内藤のと様やけ夫より虎御門外へ飛火して御用やしき残る
京ごく様御勘定屋敷相良様木下様いなバ様
桜田久保町びぜん丁いづミ丁善右衛門丁やける又一口ハ一柳様
毛利様堀田様あべ様少し焼る土方様加藤様西のくぼ新下谷
町かたかハ青山様御下屋敷にて留ル夫より天徳寺しんぷく寺登宿山
やける青正寺此辺寺院のこらす片桐様松平をき様田村様秋
田様米津様うへむら様平の
様御山内東通りやける柳生様
仙台様御中屋敷芝井町
中ほどにて留ル夫より宇田川丁
神明丁神明社やける三島丁
中門前片門前丁橋ぎハまで浜
松丁一二三四丁目海手ハ大久保
様森様少シ残る新網町や
ける金杉一二三四丁目浜通り
残らす因州様御中屋敷
本芝一丁目浜通りハざ
こバの人之あつまりことごとく
ふせぎ消す是にて夜五
時やうやう火しずまり諸人
あんどの思ひを
なす此よし一刻も
はやく遠国の
諸しんるいへ
つけさせんと
ゑづめんに
書あら
ハす也
●印ハ
御上屋敷"		

火事 N038

江戸麹町辺大火(仮)

嘉永3年(1850) 31.5×40.5

		
"頃ハ嘉永三
戌年二月五日朝五ツ半時頃
かうじ町五丁目うら町中
ほどより出火して北がハへやけぬけ
岩城升屋ごふく店やける夫より
四丁目三丁目二丁目一丁目はや
ぶさ丁平川丁一二三丁目
天神社三軒家小田切様河
内様其外御はた本様二十軒
やける夫より西北風ことごとくはげしく
御火けしやしき明石様御上屋敷東がハ
表長屋残る井伊かもん様細川様大村様
夏目様安芸様ハ残る永田町岡の様焼山王
社のこる町家やける丹羽様内藤様九鬼様京ごく
様其外御はた本やしきのこらすあき様御中屋敷
たんバ様黒田様表御門東長屋のこる高木様伯耆様
内藤のと様やけ夫より虎御門外へ飛火して御用やしき残る
京ごく様御勘定屋敷相良様木下様いなバ様
桜田久保町びぜん丁いづミ丁善右衛門丁やける又一口ハ一柳様
毛利様堀田様あべ様少し焼る土方様加藤様西のくぼ新下谷
町かたかハ青山様御下屋敷にて留ル夫より天徳寺しんぷく寺登宿山
やける青正寺此辺寺院のこらす片桐様松平をき様田村様秋
田様米津様うへむら様平の
様御山内東通りやける柳生様
仙台様御中屋敷芝井町
中ほどにて留ル夫より宇田川丁
神明丁神明社やける三島丁
中門前片門前丁橋ぎハまで浜
松丁一二三四丁目海手ハ大久保
様森様少シ残る新網町や
ける金杉一二三四丁目浜通り
残らす因州様御中屋敷
本芝一丁目浜通りハざ
こバの人之あつまりことごとく
ふせぎ消す是にて夜五
時やうやう火しずまり諸人
あんどの思ひを
なす此よし一刻も
はやく遠国の
諸しんるいへ
つけさせんと
ゑづめんに
書あら
ハす也
●印ハ
御上屋敷"		

火事 N039

京都焼場方角付

嘉永3年(1850) 23×31.5

		
"頃ハ嘉永三戌の年四月十六日ひる九ツとき京都万寿寺通ふや町
西へ入町南がハ四軒目より出火にて折ふし西南の風はげしく
松原通へ焼ぬけ火二口になり東ハ高せ川をこへかも川限西の方ハ
柳馬場の裏とふり迄高辻通ハ西にてとミの小路北じり迄仏光寺
通にてハ柳馬場裏通東がハ迄綾小路通にてハ富小路西へ入町
北がハ五けん目迄
北の方ぎおん御たびの
南の方より五条大はし
手まへ迄西ハ柳馬場
東ハいつれも加茂川
まで類焼寺町
通にて名高き
寺院あまた
類焼市中
御やしき神社
多く焼同日
夜五ツ半時
やうやう火しづ
まり諸人
安堵の思ひ
をなす誠ニ
京都にてハ
めづらしき
大火なり
京都へ縁
ある人の
たよりにも
ならんと
其あら
ましを
しるす
{袖}京都焼場方角付 京六角通室町西へ入町吉田屋宦兵衛板"		

火事 N040

江戸通一丁目辺大火(仮)

嘉永3年(1850) 23×29.5

		
"頃ハ嘉永三年五月八日暮六時過
元四日丁中ほどより出火して東風
はげしく翁いなり社やける
御納屋役所残る本材木丁
一丁目■■物店角一番二番組
中組三四六七十十六組にて消留ル
此辺しり火つよく四日市通り
中ほどへやけぬけ此所十番組
中組北組五六八九十十一十三十四十六
組にて消留同所上丁迄やける
此処酒井左衛門尉様御人数二番
十番組中組八組十六組にて消留
万丁角五番六番消留ル南がハ
中ほと迄やける通一丁目横丁
木わら店秋元但馬守様御人数
六番組消留ル音羽丁木戸ぎハ
迄やける左内丁両かハ十番組
北組一二三四五六十一十二組にて消
留ル川瀬石丁しん道木戸きハ迄
平松丁木戸際酒井左衛門尉様御人数
中組五組八組消留ルしきふ小路やける
南油丁木戸際酒井左衛門尉様秋元
但馬守様御人数二番六番組消留ル
新右衛門町中ほと両かハ酒井左衛門尉様
間部下総守様秋元但馬守様五番
五七八九十十六中組消留やうやうにして
火しづまり夜もほのほのと明かり
諸人あんとの思ひをなしにける
されバかかる一小紙なれども遠国に
縁ある人々のたよりにもなり
ぬべきとづふさに書あらハす
ことしかり 丁数一丁巾にして凡二十丁余"		

火事 N041

江戸四谷辺大火(仮)

嘉永4年(1851) 22×55.5

		
"頃は嘉永四亥四月三日昼九ツ時頃より四ツ谷塩丁
横町辺より出火いたし折節北風夥敷して
同ひしや横丁浄運寺横町しほ丁二丁目三丁目
南かハ不残やける大木戸田安侯御下屋敷太田様
残る内藤様御下敷([ママ])のこるそれより飛いたし内藤新宿
中町下丁同所八分通りやける尤上丁のこる一口は
忍町同おし■■([虫喰])横丁御旗元方此外御武家方
あまたやける岸豊次郎様火中ニてのこる南寺
町此辺寺々焼る法忍寺残る此辺諸御武家御家敷
あまたやける信濃殿丁岡部様御屋敷ニて火とまる
向側御屋敷やける右馬殿横丁諸御大名御下
屋敷同所つづき長安寺門前丁屋やける大番
御組屋敷同大番町御旗本御武家方此辺横たて
町つづき不残やける此外諸御組屋敷御直参の
御組衆御役宅あまたやける青山三筋丁御組屋敷ニて止る
又一方は伝馬町新三丁目船板よこ町同所平力
門横丁同二丁めあらき横丁同一丁目やける同所
新堀江町残る伊賀町少々やける向側天王よこ丁
天王社并ニ寺院此辺残る宝蔵寺横丁少々残る
是より西風はげ敷麹丁十三丁め同よこ
同十二丁目横町四谷御たんす町少々やける
同所伝馬町一丁目新道横たて不残焼る
向がハ御医師御武家屋敷やける天徳寺門前丁
替地少々やける尾州様御下屋敷松平宮内様
残る四ツ谷御門外御堀端通り町家不残焼る麹丁ハ
十一町め俗ニ竹丁といふ四ツ谷坂町此辺残る
同処御ほり端通りしほ丁一丁目御医師千葉
先生残る此時漸々其夜五ツ時ニ火鎮り人々
あんどの思ひをなし火の用慎こそ肝要也
▲凡焼失之場所横三町又ハ五丁余 堅([ママ])御堀端より火先迄三十一丁余"		

火事 N042

江戸神田辺大火(仮)

安政1年(1854) 24.5×66

		
"頃ハ安政元十二月二十八日夜五ツ時頃神田れんじやく丁
より出火して西北の風つよく火口ハ二口也一ト口ハす田丁
一丁目二丁目東がハのこる通りしん石町なべ丁かじ町
小柳丁へん馬のくら横丁へん松田丁富山丁へんお玉が
池市橋様御やしきぎハまでしらかべ丁こんや丁一丁目
二丁め代地ともやけ夫より今川ばし通り又一ト口ハ多丁
一丁め二丁め川合しん石丁ぬし丁立大工丁横大工丁
きじ丁三川丁一丁めより四丁めまで皆川丁へん永富丁
しんしろかね丁ろうそく丁せき口丁かまくらがしへん
としまややける夫よりりうかん丁白かね丁四けんやしき
本しろかね丁一二三四丁めまで本石丁一丁めより四丁め迄
同所しん道かねつき堂やける本丁一丁めより三丁め迄
四丁目少ししん道やける岩つき丁日本橋通りハむろ
丁一二三するが丁ゑちこやのこらず本両替町
ときハばしかし通りやけうきよ小路せともの丁小田
ハら丁へんふな丁あんじん丁へん金ふき丁品川丁
北さや丁うらがし一こくばしぎわまで又一ト口ハ
神田ばし御門外本多様御やしきへんまで三川丁
うら通り御やし敷がたにてやけどるやうやく明
二十九日四ツ時頃火しづまり人々あんどの思を
なす誠ニ近年まれ成大火なりこれによつて
遠国近国きんざいの人々へ知らせんか為一紙ニ記す"		

火事 N043

江戸日本橋辺大火(仮)

安政1年(1854) 31×46.5

		
"頃ハ安政元とら年十二月二十八日夜五ツ時神田多丁
二丁目より出火して折しも西北風はげしくれん雀丁
両かハ御やしきかたかハ六番九番本所組消止るしん白銀丁
立横大工丁きじ丁三川丁一丁め二丁め三丁め四丁め四軒
丁やける御勘定やしき本多豊前守様御やしき
残るミな川一二三丁目残らすかまくら町
りうかん丁永とミ丁一二三四丁め四軒
やしきもんとがしかわいしん石丁上白
かべ丁ろうそく丁関口丁さへ木丁すだ
丁二丁目表がハ残る一丁目やける通り新
石丁なべ丁かじ丁二丁目■([虫喰])め小
やなき丁一丁め二丁め三丁目九番
六番本所深川組消止る平永丁
十番本所深川組消止る松下
丁一丁目代地六番本所深川
組消止るくろ門丁松田丁
三しま丁代地岸丁
とミ山丁永井丁
のこるさへ木丁
代地少しやける
こんや丁一丁目二丁め三丁目
少し残る下白かべ丁元のり
もの丁同代地同所小橋焼落る今川橋
残る白かね丁一丁め二丁め三丁め四丁め本石
丁一丁目二丁目三丁目時のかねやける四丁目東大
よこ丁一番二番組消とめる岩付丁本丁四丁目
西角少しやける三丁目東よこ丁一番二番組消と
める同二丁目のこらず一丁目北がハやける南がハ
おもてどをり並ニときハばし御門外少し
のこる十けんだな辺のこらす両がへ丁品川丁
針店北さや丁一石ばしかどことことくやける
かねふき丁本かハや丁するが丁ゑちごや
ごふく店いと店両がへ店ともやけ落るむろ
丁一丁目二丁め三丁め此辺のこらずせともの丁
中ほどより東ハ残る三番五番組本所深川
組消止る本小だわら丁一丁め二丁めのこらず
ながはま丁あんじん丁ほんふな丁江戸はし
角一番二ばん組けしとめるいせ丁かしどほり
中ほど少々やけるけぬ一番二番三ばん八ばん本所
深川組けしとめる日本ばし江戸ばし一石ばしいづれも
別条なし魚がしのこらず是にてやうやう火しづまり諸人
あんどの思ひなすよく二十九日朝まで都合七時半の間しやう火におよぶよつて遠こく
近郷の諸しんるいへ一こくもはやくあんぴをつけてあんどなさしめんこそかんやうなれバ
其たよりにもなるべくままいさいを図にあらわすなり
店中消口 九軒丁かし店中 元岩井丁同店中 堀江丁店中 永富丁代地店中 小網丁店中
原若イ者店中 小船丁道有屋敷 小伝馬丁店中 鉄砲丁 店中 浅草田原丁
岩井丁上納地店中 亀井丁店中 松下丁若者中 ○右ニてこんや三丁目河岸角消留ル"		

火事 N044

江戸小網町辺大火(仮)

安政2年(1855) 31×44

		
"頃ハ安政二卯年三月朔日夜八ツ時小あミ町一丁目辺より出火して折しも南風
はげしく堀江丁四丁目てりふり丁のこらず小あミ丁一丁目二ケ所一番二番組
五番組消留ル小舟丁三丁目角二番五番六番本所組消留ほり江丁二丁目三丁メ
のこらず同一丁目少々やける五番六番組消留ルおやじ橋残る同所南角残る堀江
六軒丁甚左衛門丁元大坂丁やける銀座やしきのこる小あミ丁一丁目横丁角一番
二番組消留ルふきや丁さかい丁しんざいもく丁かし通りやける西角五番六番
本所深川組消留ルほり留丁西がハのこる杉のもりいなり社やける庄助屋敷
しんのり物丁岩代丁元大坂丁代地三光じん道新いづミ丁げんや店やける
住よし丁かたがわやけるなにハ丁うらがし水野出羽守様秋元但馬守様
御人数二番組本所深川組にて消止ルせんき新道がこやじんミち高砂丁
人形丁どほりはせ川丁田所丁しん大坂丁元はま丁弥兵衛丁
とミざわ丁此辺のこらすやける通りはたご丁大丸新道片
かわやける西角六番大伝馬店中にて消留ル大丸ごふく
店のこる通あふら丁東かわ一番二番組消留ル
同所しんミち通りの小橋やけ落るたちはな丁
一丁目二丁目三丁目やける久まつ丁残る村松丁
西かわのこらす東がわ少々やける若松丁横山
同朋丁やける此辺屋敷地細井百助様小児いし
竹内吉田大八木伊原高梨片山中村依田
和田林村越隠岐守様御やしき萩原
あら井竹内名倉やける前通りやける
雷権太夫火の中にて一軒のこる雷
門寺中にて消留ル臼井原小の
山本此角一軒残るやげん堀
米ざハ丁三丁目残る
二丁目一丁目名倉
弥次兵へやける也
又一口ハ通り
しほ丁
残らず
かし通り▲
▲残るよこ山丁一丁目二丁目三丁目ばくろ丁
一丁目北がわのこる南がハ中ほど五番八番九番
十番本所深川組消留ル同所二丁目中ほど十
ばん 組消留ル三丁目四丁目はつねのはば脇迄
やける御ぐん代やしき附木店のこるつば店浅草
御門御多門やけ落る御番所外御門御橋とも
のこるよし川丁角店番消留ル両かハ東かど
少々残る柳橋ハ残る平右衛門丁角之五ケ町少々づつ
のこる本所組店番中消留ル同所かし通り■の
つかいなり第六天社やけるかや丁一丁目二丁目西がハのこる
御くらまへ片町代もりた丁代地天王丁代地はたご丁代地
かわら丁東かど二番五番八番九番組酒井左衛門尉様松平
下総守様立花飛弾守様御人数消留ル松平伊賀守様御中屋■
御書替役所やける是にて翌二日四ツ半時やうやう火しづまり
諸人あんどの思ひをなしにける
火の用心慎べしおそるべし"		

火事 N045

江戸浅草辺大火 (仮)

安政2年(1855) 23×28

		
"頃ハ慶応元年十二月十二日
夜四ツ時浅草田原丁一丁目
辺より出火して折しも西北風
はげしく同所二丁目三丁目
門前丁ミしまやしき
本願寺残る
掘田サマ
大岡兵
庫サマ
加藤サマ
少々のこる
はたご丁
代地天王丁
上町代地
とりこへ代地
ふくとミ丁三間
丁西東仲丁
広小じ茶や丁
並木丁駒かた材
木丁すハ丁くろ舟
丁かや寺角少々残る
三よし丁御馬やかし
にてとまる又一口ハせい
くわんじ門前しや骨湯浅草寺地中
らいしん門やける
寺々あまた中
ミせハ両かハのこ
らずやける仁王
門くわんおん御堂
てんぼういん共
のこるそばや角
のこるゑぞうしや
のかハ別条なし
南馬ミちかたかハ
少々やける花川
戸少々のこる山の宿
丁ハ別条なしあづま
ばし少々やける渡りに
さわりなし扨本所ハ
北わり下水石原しん
まちへとび火して御
くミやしき中の郷代地よし
田丁一丁目吉岡丁二丁目西尾サマ小
笠原サマ■([篠カ])本サマ三笠丁一丁目少々
残る二丁目長岡丁同二丁目長崎丁小やしき
あまたやける入江丁
半やけ岡のサマにて
止ル四ツ目うら丁少々
是にて翌十三日九ツ
時やうやう火慎り
諸人あんどの
思ひなす"		

火事 N046

江戸浅草辺大火 (仮)

安政2年(1855) 23×28

		
"吉原は慶長の頃ハ所ゝにありしが小田原の庄司甚内といふ/
者ねがいにより元和三さかい丁辺に二丁四方の地を下されけいせい/
町とて遊女御免ありしに明暦三正月十八日本郷丸山の大火ニ/
やけ此とき三谷百姓の家をかりこゝにてきやくをとりしなり是/
夜見世かり宅の初めなり夫より今の地にうつる江戸町/
京町角町さかい丁ふしみ丁是を五丁町といふ其のち/
あげやを立是をあげや町といふ又天保十三八月所ゝのおかば所/
新吉原に引うつるまた吉原の出火ハ延宝四辰十二月揚や町より明和五/
子四月六日江戸丁ヨリ明和八卯四月二十三日あげや町ヨリ明和九辰二月/
二十九日目黒行人坂より天明元丑八月晦日江戸丁二丁目より天明四辰/
四月二十六日あげや町より天明七未十一月九日角丁より寛政六寅四月二日江戸丁/
二丁目ヨリ寛政十二未三月七日龍泉寺より京町へとび火文化九申十一月二十一日/
たん介小屋よりとび火文化十三子五月三日京町ヨリ文政七申四月三日京町/
二丁目ヨリ天保六未正月二十五日角丁ヨリ天保八酉十月十五日角丁より弘化二/
巳十二月五日京町二丁目より安政二十月二日出火とも十七たび焼ルなり/
所ゝ仮宅出したる{以下番付につき略}"		

火事 N047

江戸下谷辺大火(仮)

安政3年(1856) 23×29.5

		
"頃ハ安政三辰年二月十四日夜西北風はけしく
八ツ時すきより下谷広徳寺前おたふく横丁より
出火致し御はた本小やしき焼る大御番御組
やしき焼る辻番やしき丁焼る立花様残ス
焼る表御門ハ少々残る加藤遠江守様少々
焼る此所会津様藤堂様中川様榊原様
大関様御火消留ル此辺御はた本小屋しき
焼る加藤様御中屋しき焼る佐竹様御殿向
残ス焼る北長家と西長家ハ残る柳沢様焼る
小笠原頼母様ニて留る此所本所組深川組ニて
消留ル松平下総守様御下屋しき焼る小笠原
左京太夫様御中屋しき焼る松浦一岐守様
焼る表御門残る此所一番二番組ニて消口取此所
ニて留り明十五日五ツ時よふよふ火しづまり人々
あんとのおもいおなしニける"		

火事 N048

焼場方角付

安政5年(1858) 35.5×47.5

		
"焼場方角付
頃は安政
五歳午
二月十日
夜五時
日本橋小
田原丁辺より
出火して折しも
西風はげしく
小田原丁一二丁メ
せともの丁角一番
八番組消口取向角北組
十一十二十三十四十五組消口取
いせ丁がし通り半分残る
八番十番組五六八組消口取
室丁一二丁メ表通り少々残る
五番六番八番九番消口取
本ふな丁残らすやけるそれより
飛火して四日市万丁青物丁
平松丁佐内丁小松丁南
あぶら丁川セ石丁新右衛門丁
くれまさ丁此辺残らすやける通り
一二三丁メハ残る又一口ハ海ぞくばし焼る牧野河内守様
御上屋しき残る坂本丁一二丁メかやば丁やくし山王御たび所
うら表かやば丁代官やしき此辺残らす焼失ス九鬼様細川様
御屋しき残る八丁ぼりハ北じま丁てうちんかけよこ丁かじ丁
七けん丁竹じま丁此辺残らすやける神田代地半分のこるそれより
れいがんじま富島丁へうつり一二丁メ少々残る長崎丁白かね丁川口丁
東ミなと丁一二丁メ御船手向井将監様御組此辺残らすやける又一口ハ
八丁堀水谷一ノ場々火之見残る金六丁岡崎丁長島丁きたこんや丁日比谷丁幸丁
長沢丁亀じま屋しき此へん残らすやける松平越中守様御やしき
中与力丁残る上大通り高なハ代地松や丁南八丁ぼり二丁メ三丁メ代地
屋根や丁本八丁ぼり一二三四五丁メ残らす焼失中之はし落る南八丁ぼり
三四五丁メやけるてつぽうづいなり火中ニて残る堀田土左守([ママ])様半分やける
松平阿ハ守様本ミなと丁ふなまつ丁一二丁メ細川のとの守様御やしき此辺残らすやける▲
▲十けん丁ハ松平あハぢの守様御やしき半焼ニて二番組三番
組消口取飛火ニてつくだじま半分やける住吉大明神
やしろつつがなしやうやく風しづまりて火十一日ひる
八ツ時焼とどまる是によつて人々あんどのおもひおなス
遠国身より親類へ町名おしるしてあんひおつげ
しらせんが為一紙つづり諸君の高らんに備ふのミ
一家員数 六万余
一土蔵数 千三百ヨ
一穴蔵数 三十余"		

火事 N049

江戸日本橋大火(仮)

安政5年(1858) 45×50.5

		
"安政五午年二月十日の夜
戌ノ半刻日本橋安針町より
出火致し西北之風烈しく
翌朝四ツ半時消防致し候
慎てもつつしむべきハ火の用心火の用心
類焼町数
凡八十五ケ町
長十丁程
幅平均
二丁半程"		

火事 N050

出火

安政5年(1858) 47.5×34.5

		
"安政五むま二月二十五日出火しよほうゑしらセのためこれお印候
ひる九ツ半時よりよる八ツ時まてしづまらす
南西かぜはげしく七ツ時より北東風ニ相なり
はやき事やよりはやし又四ツ時ニ大じしんあり
人々おいニなんギいたし候"		

火事 N051

大阪大火

安政5年(1858) 48.5×37

		
"大阪大火
安政五年午二月二十五日未上刻道とん堀
太左衛門橋南つめより出火いたし西南風烈敷
芝居五ヶ所不残東ハひのうへ橋迄夫より
川北へとびこへ島の内ハ太左衛門ばし北詰より東ハ
相生ばし焼をち下大和ばし北ニて竹や町まで
三つ寺すしニてハ北かハ残り候所も是あり
夫より東北風ニ相成ひのうへより西高津
新地より長町ハ一丁めより四丁め迄夫より
坂町へん千日まへほうぜんじ■なんば
新地たいら一めん見せもの小や不残南ハ野がハ
迄夫よりなんバどばしへん新川へんのこらず
すもふバ九郎右衛門町不残尤なんば村飛火ニて
少々焼失いたし夜丑の刻火鎮り一同
安心いたし候誠ニ火ハ五行のつかさにして
尊き事此上なしもし是をあやまつ時ハ
世間の大難義となる事なれバ平生大切ニ
相心得そまつなきよう致度もの也
火の用心火の用心
かまど凡三万余
火入土蔵凡三十ケ所
道場凡五ケ所
本しらべ諸方しらせの為
手がミいらず"		

火事 N052

京都大火

安政5年(1858) 37×51.5

		
"安政五年午六月四日午上刻より出火
京都大火
すわの町西かハより北西風はげしく飛火して
東本願寺之残又富ノ小路より土手町へ飛火火ハ■
ひろがり本願寺かくりよ焼ル町通松はら通万じゆ■
五条せきだや町下坂きこくのはんバ上中下じゆじゆ■
七条通北南寺町より七条迄五幸町ふや丁○
○富ノ小路下寺町
のこらず柳馬ば
さかい下高くら
あゐの町東洞
ゐんあけづからす
丸すわの町室丁
しん町
夜九ツ時
目出たく
火鎮ル
極々
本し■■"		

火事 N053

京都大火図

安政5年(1858) 32×46.5

		
"京都大火図
{袖}安政五午六月四日午刻ヨリ "		

火事 N054

京都大火極本しらべ

安政5年(1858) 35.5×49

		
"京都大火極本しらべ
六月四日午ノ中刻
下諏訪丁万寿寺
西側ろうじより出火折
節西北風つよく東南へ
火移り東ハ柳馬場
南側より東六条へとび
火いたし室町まで七ツ
時ころより風かハり東
北風に相成西ハ新
町通り松原より南ハ
七条迄室町ハ万寿寺上ル処より七条まで
烏丸右同断東洞院
松原通り下ル処より七条
迄間の町高倉右同断下
寺町南側寺々不残焼
失夫より七条新地土手丁
上之口辺東六条御境内
不残御類焼穀御
殿東ハ高瀬川辺まて
遊行寺も焼失仕候
漸四日夜戌の刻ニ
火鎮り申候
六月五日朝仕立便
{袖}安政五午六月四日午の刻より"		

火事 N055

京都大火

安政5年(1858) 36.5×48.5

		
"京都大火安政五午六月四日午上刻出火致シ
同夜七ツ時頃火鎮り申候凡町数百丁程
釜戸数凡二千軒程土蔵数およそ
二百戸前程と相見へ申候他国為知之図"		

火事 N056

焼場方角一覧

安政5年(1858) 34.5×48.5

		
"焼場方角一覧
頃ハ安政五年午十一月十四日
夜暁七ツ時下谷ねりべい
小路新屋しき辺より
出火して折しも西北風
はげしく相生丁三丁六軒
町牛込代地仲丁高砂
屋ニて焼留ル藤堂様辻番
所やける夫より花ぶさ
丁佐久間丁不残
和泉橋やけ落る
又一口ハ内神田
小柳丁平永丁
すだ丁さへぎ丁
四軒丁きじ丁
れんじやく丁ろう
そく丁新石丁
なべ丁かじ丁一二丁メ
田丁横大工立大工
丁皆川丁松下丁
かまくら川岸不残
三河丁一二三丁メ伊賀守様
南御長屋少々焼ル御勘定御屋しき
残る又一口ハ九軒丁へ飛火してお玉が池
こんや丁三丁弁慶橋松枝丁豊島丁
片かわ市橋様焼ル岩元丁元岩井丁
江川丁久右衛門丁富松丁はし本丁亀井丁
附木店馬喰丁一二三丁目ニて焼止る通り
あぶら丁残る又一口ハ通りしほ丁大門
通り人形丁通り小伝馬丁三丁同上丁
大伝馬丁一二三 ([屋号])や残る本丁石丁白銀丁
凡此辺一辺ニ火の手さかんにしてあたかも
天をこかす有さまなり十軒店むろ丁
三丁両替丁するが丁 ([屋号])屋焼ル本かハや丁
品川丁さや丁金ふき丁針店日本橋
両かハ焼落る又一口ハ田所丁少々ほり留丁
杉の森新ざいもく丁のり物丁和国ばし
焼ルほり江丁三丁小舟丁三丁ふきや丁
よし丁甚左衛門丁元大坂丁てりふり丁
小あミ丁あらめばしおちる伊せ丁
瀬戸もの丁塩川岸浮世こふじ
小田原丁三丁高砂しん道
本ふな丁江戸ばしのこる
四日市不残尤元四日市
の方ニて少々残る夫より
万丁青物丁おとハ丁平まつ
丁佐内丁小まつ丁川瀬石丁
新右衛門丁はくや丁少々本ざいもく丁
一二丁メニてやけ止るしんさかなば焼る
通り一丁目西がハ残る白木屋やける
二三四丁目不残ごふく丁北かハ少々
西がし残る大工丁ひもの丁
焼川岸どふりにてつむじ
風吹おこり諸道具一
ゑんにもえあがりけが
人たぶん有之
候よし夫より
上まき丁下まき
丁少々富まき
丁中ばし
桶丁一二丁目
南かじ丁一二
丁メ五郎兵衛丁
不残大こん
川岸のこる
竹丁少々
中通り
東かハ
残り
やなぎ丁
ときハ丁
すすき丁
松川丁
ぬし丁
さや丁
正木丁
をが丁
凡此辺
少々
づつ
やけ込
のこる所
あり此時
西南風吹込
よく十五日夜
五ツ時ごろ火
しづまり諸人
安との思ひをなす
遠国親類へこまかに
つげ知らせんか為
一紙にしるす
為きうミんのさ久間丁川岸
通り御すくい小家立
御仁恵の有かたきを記ス
凡土蔵数 二千八百五十程
凡穴蔵数 千百二十七程
凡 町数 二百九十三ケ町程
凡 ケガ人七百六十人程"		

火事 N057

焼場方角一覧

安政5年(1858) 35×48

		
"焼場方角一覧
頃ハ安政五年午十一月十四日
夜暁七ツ時下谷ねりべい
小路新屋しき辺より
出火して折しも西北風
はげしく相生丁三丁六軒
町牛込代地仲丁高砂
屋ニて焼留ル藤堂様辻番
所やける夫より花ぶさ
丁佐久間丁不残
和泉橋やけ落る
又一口ハ内神田
小柳丁平永丁
すだ丁さへぎ丁
四軒丁きじ丁
れんじやく丁ろう
そく丁新石丁
なべ丁かじ丁一二丁メ
田丁横大工立大工
丁皆川丁松下丁
かまくら川岸不残
三河丁一二三丁メ伊賀守様
南口長屋少ゝ焼ル御勘定御屋しき
残る又一口ハ九軒丁へ飛火してお玉が池
こんや丁三丁弁慶橋松枝丁豊島丁
片かわ市橋様焼ル岩元丁元岩井丁
江川丁久右衛門丁富松丁はし本丁亀井丁
附木店馬喰丁一二三丁目ニて焼止る通り
あぶら丁残る又一口ハ通りしほ丁大門
通り人形丁通り小伝馬丁三丁同上丁
大伝馬丁一二三 ([屋号])や残る本丁石丁白銀丁
凡此辺一辺ニ火の手さかんにしてあたかも
天をこがす有さまなり十軒店むろ丁
三丁両替丁するが丁 ([屋号])屋焼ル本かハや丁
品川丁さや丁金ふき丁針店日本橋
なかバ焼落る又一口ハ田所丁少々ほり留丁
杉の森新ざいもく丁のり物丁和国ばし
焼ルほり江丁三丁小舟丁三丁ふきや丁
かし丁甚左衛門丁元大坂丁てりふり丁
小あミ丁あらめばしおちる伊せ丁
瀬戸もの丁塩川岸浮世こふじ
小田原丁三丁高砂しん道
本ふな丁江戸ばしのこる
四日市不残尤元四日市
之方ニて少々残る夫より
万丁青物丁おとハ丁平まつ
丁佐内丁小まつ丁川瀬石丁
新右衛門丁はくや丁少々本ざいもく丁
一二丁メニてやけ止るしんさかなば焼る
通り一丁目西がハ残る白木屋やける
二三四丁目不残ごふく丁北かハ少々
西がし残る大工丁ひもの丁
焼川岸どふりにてつむじ
風吹おこり諸道具一
ゑんにもえあがりけが
人たぶん有之
候よし夫より
上まき丁下まき
丁少々富まき
丁中ばし
桶丁一二丁目
南かじ丁一二
丁メ五郎兵衛丁
不残大こん
川岸のこる
竹丁少々
中通り
東かハ
残り
やなぎ丁
ときハ丁
すすき丁
松川丁
ぬし丁
さや丁
正木丁
をが丁
凡此辺
少々
づづ
やけ込
のこる所
あり此時
西南風吹込
よく十五日夜
五ツ時ごろ火
しづまり諸人
安との思ひをなす
遠国親類へこまかに
つげしらせんか為
一紙にしるす
為きうミんのさ久間丁川岸
通り御すくい小家立
御仁恵の有かたきを記ス
凡 土蔵数 二千八百五十程
凡 穴蔵数 千百二十七程
凡 町数 三百九十三ケ町程
凡 ケガ 人七百六十人程"		

火事 N058

焼場方角付

安政5年(1858) 36×45

		
"焼場方角付
安政五年
十一月十四日
あけ七時頃
おりしも
西北風はけ
しく下や
ねりへい小ふじ
より出火してさ
く間丁一二はま
まつ丁久永やし
き花ふさ丁代地
不残藤堂様
のこる和泉はし
おちる亀井丁
はし本丁此へん
やける小伝馬丁
一二三牢やしき
本沼丁一二三四本
石丁一二三日本丁一二
三四金ふき丁堀とめ
杉之森やける人形丁
田所丁新大坂丁
はま丁大伝馬丁一二三
ふきやすよし丁てりふり丁
小あミ丁一丁目半やけ小船丁
堀へ丁いせ丁せと物丁小田
原丁魚かしのこらずやける
するか丁両替丁浮よ小路
室丁やける又一口ハかんだかじ
丁一二す田丁通しん石丁
たてよこ大工丁れんじやく丁
まつ田丁まつ下丁三川丁一二三
四きし丁やける本多豊前守様
やけかん定本多様のこる鎌くらかし
やける
又一口ハ江戸ばしくらやしき新さへ
木町四日いち青もの丁万丁やける
日本ばしおちや通一丁目西がハ
のこる白木ややける同二三四丁め
中ばし南伝馬丁一二三丁メ
上下まき丁ごふく丁すずき丁
ときわ丁ぬし丁おけ丁やなぎ
丁竹かし此へんのこらすやけろ([ママ])
大こんがし五郎べい丁かしどて
ミしまやしきしん右衛門丁
川せ石丁さない丁元大工
丁すきや丁ひもの丁一円
のこらすやけるそれより此せん風
ますますはげし
これよりさらにかしばし
内遠藤様御屋しき
少々やけるやや先
ハ五口ほどなれ
どもよく十五日
くれ六時頃
ようやく
しつまる
人々あんど
のおもの([ママ])
なしぬ"		

火事 N059

江戸焼場方角付

安政5年(1858) 36.5×97

		
"江戸焼場方角付
頃ハ安政五戌([ママ])午年十一月十四日夜西北はけしくおりから明け七ツ時頃より
下谷御かち丁ねりべいこふしより出火いたしさくま丁一丁目二丁目やける藤堂
和泉守様残るかと辻はんやけいつミばしとふり藤堂様西門おもてやけるいつミばし
落かんた相生丁仲丁大よこ丁まつ永丁八けん丁わら店二十かしからし丁平川丁
代地はなふさ丁なとり様御門前北の様きくち様やける佐竹様板倉様御やしき
のこる内神田へんけいはしとふりへ飛火いたし冨田様やける其外小やしきやける
またひと口須田丁しん石丁なへ丁かし丁今川はしへん一ゑんやける又ひと口ハ
れんしやく丁さへ木丁多丁きじ丁四けん丁三河丁一丁目おてつほたんも分
ニてやけとまる本多ふぜんの守さまやける同辻はんのこる青山しもつけの守様うら
長ややけるかまくらかし皆川丁せき口丁ろふそく丁永とミ丁しん銀丁
たて大工丁横大工丁また東神田小柳丁平永丁まつた丁とミ山丁しつ
かへ丁こんや丁もミくらあとうけおい地お玉が池へん一ゑん細川げんば様ニて
やけとまるばくろ丁一丁目少々やけとまるとしま丁かたかハのこるつけ木店かめ
井丁小伝馬丁やけるとふりはたこ丁やけ大丸やのこる大伝馬丁鉄ほう丁
本銀丁本石丁かね吹丁十けん店本丁むろ丁するか丁れうかへ丁品川丁
きたさや丁くき店本ふな丁本小田原丁せともの丁いせ丁塩かしともやける
また下口ハほり
とめ小ふな丁ほり
へ丁てりふり丁小あミ丁
一丁め中ほとまてやけこむ
また一ト口ハにんきやう丁とふり
にしかわこのへん一ゑんやける
新さへもく丁すきのもり
さかへ丁ふきや丁よし丁大坂
丁しん右衛門丁やける銀座酒井
様中やしきのこるあらめばし
落る日本ばし北之方中程より
おち夫より佐内丁小松丁南
あふら丁川せ石丁新右衛門丁
はくや丁やける新さかなハ
▲にしかわ
やけるとふり
一丁目西かハ
のこる同二丁め
柳や角かし
のこるごふく丁
北かハのこる
元大工丁すき
や丁ミしま
やしきひも
の丁上まき丁●
●とミまき丁南まき丁おけ
丁ミなミ大工丁南かし
五郎へい丁たたミ丁やける
大根かしのこる岩くら
丁下まき丁中はし
うめ地大か丁南ぬし丁
南さや丁このへん少しやける
すずき丁やけるときハ丁半丁やける夫より丸の内へ飛火いたし
松平さがミの守様やける翌夕上る夜五ツ半時京はし竹かしニてやけ
とまるようよう人々あんどうのおもひなしける
凡死人数 百十二人 十一月 怪我人 数多し"		

火事 N060

大江戸焼場方角付

安政5年(1858) 23.5×31

		
"大江戸焼場方角付
頃ハ安政五午年十一月十四日
夜北風烈しき折八ツ半時過
外神田相生丁より出火して
夫より佐久間丁おかち丁通り
長者丁此辺一ゑん和泉橋落ル
弁慶橋とふり龍閑丁松枝丁
平永丁小柳丁岩井丁お玉ケ
池此へんのこらす須田丁新石丁
鍋丁鍛冶丁白かべ丁大工丁
田丁連じやく丁横大工丁雉
子丁三河丁四丁とも釜倉がし
木戸きわニて消ス同本多様
御屋しき焼とまる又一口は
{後欠} "		

火事 N061

大江戸焼場方角付

安政5年(1858) 23.5×32

		
"{前欠}
間宮新右衛門様小堀勝五郎様小川健吉御火事し屋敷戸田孫十郎様
三浦様橋爪善十郎様春田与五郎様平岡丹波守様又一ト口ハ昌平橋おちる
松平伊賀守様久世大和守様松平左衛門之尉様松平稲葉守様金田様
土井様川崎平左衛門様須田鉄五郎様岩瀬様近藤信濃守様矢島
七右衛門様手島宇十郎様松平友三郎様岡田将監様本多豊前守様
神田橋外御勘定牧野大和守様鎌倉がし通り不残焼又一ト口ハ神田
明神残る町鳥居焼夫より女坂ノ下とうぼう町少々焼大岡兵庫守様
止ル神田旅籠丁仲丁金沢丁わら店此近辺不残牛込袋町
代地岩井丁代地拝領地ニて止ル夫より下谷御成かイどう石川ト申両替
店ニて止ル又一ト口ハ神田小柳丁もミぐら少々焼同松下丁一丁目代地
残る小伝上丁代地残るお玉ケ池市橋主殿頭様裏通り焼表御門御てん
残る向大沢弥三郎様焼本丁通り大伝馬丁一丁目二丁目中程ニて止ル
掘留焼二丁目少々残る新材木丁通り葺屋丁不残堺丁口元少々
焼よし丁少々残る大坂丁甚左衛門丁元大坂丁銀座ニて止ル夫よりおやじ
橋おちててりふり丁小網丁小船丁不残しあんばしおちて夫より
とふかん堀牧野河内守様ニて止ル向安藤対馬守様御中屋敷焼
行徳かし焼松平伊豆守様御中屋敷久世出雲守様土井大炊頭様
田安様御中屋ハ残る湊橋おちる箱崎二丁目少々残る御船手御組
屋敷焼永代橋きわニて止ル北新堀南新堀大川橋通り不残
霊霊([ママ])島浜丁白銀丁陸丁四日市長崎丁川口丁此辺十八ケ町
不残亀島橋落ル又一ト口ハ此時西風はげしくして伊勢丁通り江戸橋落ル四日市本材
木丁しんババかし通り同しんババ橋おちるかいそくばしおちる牧野
河内守様御上屋敷木かやバ丁薬師堂夫より坂元丁八丁堀南北御組
屋敷亀島丁北じま丁岡崎丁長沢丁華丁日北([ママ])谷がし不残"		

火事 N062

江戸神田辺火事(仮)

安政5年(1858) 22×29.5

		
"九鬼様御上屋敷細川様御中屋敷松平越中守様表御門御辻番残る
夫より禅正ばしおちる南八丁堀一丁目焼二丁目残る本八丁堀通り不残
本多様御上屋敷少々焼夫より堀内藤頭様焼仲ノ橋おちる伊井
かもんノ守様御中屋敷堀田主税様松平内匠頭様ニて止ル稲荷橋
おちて松平阿波守様松平遠江守様御上屋敷細川能登守様
松平長門守様角少々焼止ル鉄砲洲湊丁船松丁不残此辺之
小橋二ヶ所落ル十軒丁ニて焼止ル夫より高橋おちる松平越前守様
御中屋敷向井将監様御中屋敷夫より向へとひ火してつく田島不残
住吉様町屋少々残る夫より又一ト口ハ須田丁通りより二丁目かたかわのこる
通り新石丁鍋丁鍛冶丁元乗物丁白壁丁松枝丁龍閑丁松永丁
富永丁ぬし丁夫よりきじ丁連雀丁皆川丁富山丁新白銀丁
立大工丁横大工丁下駄新通り柄木丁紺屋丁平永丁此辺ハ不残
焼夫より石丁小伝丁大伝馬横丁牢屋敷残る室町鉄州丁越後
屋両店残らス焼両替丁金吹丁瀬戸物丁品川丁釘店小田原丁
安じん丁あらめ橋落ル又一ト口ハ日本橋おちて近江店白木屋不残
焼通一丁目より四丁目中橋南伝馬丁三丁北さや丁夫よりしつ火
つよくして万丁青物丁左内丁音羽丁小松丁平松丁新右衛門丁
橋正丁南油丁伯屋丁岩倉丁福島丁又一ト口ハ西がし残るごふく
丁一丁目残る数寄屋元大工丁檜物丁上槙丁北槙丁槙丁桶丁
南大工丁此通り西がわ残る鍛冶丁一丁目残る二丁目焼稲荷新道
狩新通り夫より向中通松川丁因幡丁鈴木丁具足丁柳丁常盤丁
京橋竹丁十六日九ツ半時ニしづまる人々安堵之思ひヲなしニけり
此度大火ニ付野宿窮民之者共格別之御慈悲ヲ以御救小屋
被仰付難有仕合也神田佐久間丁江戸橋広小路八丁堀松屋丁右三ヶ所也 "		

火事 N063

やけば方角十八手

安政5年(1858) 36.5×48.5

		
"やけば方角
十四八組手がら消口
頃ハ安政五年午の
十一月十五日暁七ツ時過頃外かんだ
相生丁辺より出火し折しも西北のかぜ
はげしくまつ御やしきがたにハねりべい
こうじふかや様わか林様うへの様かがの様
ふく井様まへ原様かハべ様中野様
高しま様ほしの様手づか様
たかにし様大谷様くり林様
内藤様鳥村様此所たち花
ひだ守様御人数にてけしとめ
山もと丁代地はなぶさ丁
代地ハ九番ぐミ消し口をとる
仲丁やける同一丁め中の
よこ丁ゆや向ふ六はんぐミ
八番組九番組くミ消とめる
角たかさごやの所ハ六番ぐミニてけす
片丁ハ八番ぐミけし留東のかたとふどふ様
御やしきのこる辻番計りやける同まへ丁
やけきく地大介様御やしきやける山下様松
もと様やけて水野様御屋敷ハ松平下総
守様御人数にてけしとめさくま丁一丁目不残
川岸までやける同二丁め同三丁め中ほどニて松平主計頭様御家来消留同所八番
ぐミ消口をとる夫より内かんだもミ蔵立跡
すじかい御門ならひとこみせ十けん程残りあと
不残やけ柳原山いなりの社とくるまやばかり
火の中にてのこるとしま丁三丁め二丁目やけ
同一丁め中程にて八番九番十ばんにて消留
富まつ丁久右衛門は十一のくミ十二十三十四の
くミかかる同所火の主の下ハ店火けしにてけす
同所番や半やけぐん代やしき残るばくろ丁一丁め二三けん
やけのこり店火消はたらく同二丁め中程かたかハ一番組
消留同所ばばかさいやといふやどや一けん残るそのへんにて
十一二才の男の子ちいさきまとひを持背中に■組といふ
ひけし札をせおひしじう火中をはたらき所々を立きるありさまいと
めさまし夫より小伝馬丁ろうやしきやけてつほう丁しろかね丁石丁
どふり扨またかんだすだ丁通りしん石丁なべ丁かぢ丁西かんだ
さへ木丁やつぢが原青山下総守様うらながやひとむねやけげたしん
ミち坂じんミちろうそく丁に白かべ丁辺三河丁ハ一丁め角酒やの所六番
八番九番二番ぐミにてけし留かんだばし御門外入口十四五けん残る近藤様
御やしきハねりべいばかりやけ浅の一かく様かこひ計りやけ又金田様わか
はやし様ハ小がさ原様右京太夫様御人数ニて消留石川様すずき様田■
様御やしきハ松平ぶぜんの守様御人数にてけし留本多様かこひ少々■
岡だ様ハおもてながや残るねこやじんミちかまくらかしやけ御ほりばた■
ミせの方残るもんとがしざいもくかし南ハ十けん店本丁通り大でんま
通はたご丁 (屋号)ハ向ふ仕立やとものこり大門通り田所丁はせ川丁人形
富沢丁のり物丁いつミ丁やけけんや店にて留るまた一方ハさかひ丁西
がハはんふんやけふきや丁一ゑんやけ小あミ丁一丁めやけ小ふな丁いせ丁
本ふな丁やけ日本ばしやけおちる通一町め西かハのこり西かし丁
のこりごふく丁半ぶんやけかとししん番小池といふか■やニて
けしとめそれよりひがしのかた青物丁通りしんはハ (家紋)残りいけ
だいやく所のかた十けんほど残りこれより新右衛門丁すじかいにやけ
こミいわくら丁ニて此火ハとまり此ときつむし風ふき西のかたへ
やけこミ上下まき丁へん一番二番はたらき南ミさや丁おけ丁
ぬし丁すずき丁南大工丁かぢ丁一丁め二丁め五郎べい丁■たたみ丁
大こんがし北こんや京ばしきハにて火しづまる所々のもへニて御やしき
御人数いろはぐミ火消にて諸方さつそくあんたいに火しづまりめでたし"		

火事 N064

青山大火場所付

安政5年(1858) 23×59.5

		
"青山大火場所付
頃ハ安政六年末二月二十一日夜九ツ半時頃南大風はげしくして
青山おんでん松平近江守様近辺より出火いたし井上様御下屋敷前町
緑丁不残やける夫より久保田町通り高(こう)徳寺門
前焼る此辺人多く損じ山じりへん
熊野権現北原宿長安寺妙安寺
此辺小やしき多く焼る夫より弾正様
御屋敷龍岩(りうがん)寺応(おう)覚寺焼る是より
千駄ケ谷へ飛火して松前様外小屋敷
三枝(さへぐさ)様龍光寺前町不残焼る千駄
がや御焔硝(ゑんせう)蔵万焼是より長養(よう)寺へ
飛火して花房様其外御旗(はた)本様
御家人御屋敷三十二ケ所ほど
焼る也又々四ツ谷大番丁
大御番御組屋敷東がハ
中程迄焼一ト口ハ四ツ谷
塩丁へ飛火して西ハ大木
戸迄同塩丁三ケ町
伝馬丁二丁目三丁目
北角油店南側酒店
にて留る也夫より杉大門
御屋敷方並ニ寺々焼
此辺人多く死す
松平摂津守様御類焼
表御門残る御先手御組屋敷
板倉様御下屋敷市ヶ谷谷丁
不残焼る此辺ニて人馬多く死す
とやま尾州様御下やしき
少々御類焼月桂寺(げつけいし)やける
夫より伯耆(ほうき)様外御小屋敷焼るなり
小笠原様残る是より牛込原丁へ飛
火して同二丁目三丁目小屋敷寺々
十八ケ寺やける早稲(わせ)田不残焼けて
穴八幡夫より牛込馬場下より高田迄
焼る又々目白台下へ飛火して小屋敷
多く焼る並ニ町家少々やける也
これよりまた飛火して音羽護(ご)
国寺門前音羽丁一丁目二丁目まで
焼る也又一方ハ目白台細川様御下
屋敷飛火ニて御庭(にハ)お茶屋残り
焼又雑司ケ谷(そうしがや)辺少々やけて翌二十二日
昼四ツ半時頃漸々(ようよう)火慎(しづま)り人々安堵の思をなしけり
一道法里数青山おんでん辺より音ハごこくし辺迄南北凡一リ二十六丁ヨ
一御大名様 御やしき数三十七頭
一御旗本様 三百八十軒
一御小屋敷 数しれず
一寺の数 百五十ケ寺
一町の数 八十八ケ丁ヨ
{袖に異筆}吉安"		

火事 N065

青山大火場所付

安政6年(1859) 35×70

		
"安政六未歳二月二十一日青山大火場所付
頃ハ安政六年未二月二十一日夜九ツ半時頃南大風
はけしく大石を吹飛し人家をも倒(たを)すばかりの有さま
なりける折から青山おんでん辺より出火して松平近江守様
少々井上様緑(ミとり)丁長安寺焼妙円(めうゑん)寺残志摩様半
やけ原宿丁少々同横丁山尻町焼松平左兵衛様熊野
権現社龍がんじ応覚(おうがく)寺焼水野和泉守様少々是より
千駄かやへ飛火して十軒丁半丁計り御小やしき御先手組少々
佐橋小路御小やしき方立法(りうほう)寺寂光(じやくこう)寺神明社焼此外所々御焔硝(ゑんせう)蔵
残る又一ト口ハ大番丁通り御屋敷かた丁家焼同所組御やしき
此辺御屋敷にて焔硝(ゑんせう)に火うつり其ひびき数千の石火矢を一度に
打はなす如くにて此音に驚(おとろ)き気絶(きぜつ)する者ありしとかや剰(あまつ)さへ
此火空中(くうちう)へミだれ飛四方八面ゑんゑんともへ上り是より火いよいよ
さかんと成て信濃殿丁通り花房様長養(よう)寺焼久野様残り永井
様焼森川様半やけ同東側御小やしき所々永井若狭守様やける
岡部様半焼長安寺門前丁ハかざ下ニて残る左門殿丁所々焼
お岩稲荷残る大御番組屋敷とびとびに二十軒程焼安部様半焼
忍原(おしハら)横丁ところところ早川様残る夫より四ツ谷通り■([虫喰])伝馬丁
二丁■([虫喰])三丁目南側ハ三河屋と申酒店の土蔵ニて留る
北がハ角油店の所二番組三番組五番組深川中組にて消
とめ同うら通り中程五番組消留忍(おし)丁うら表不残焼塩
丁二丁目三丁目不残大木戸迄一ゑんささ寺焼田安様ニて留る龍昌(りうせう)寺横丁柳生(やぎう)様やけ湯屋よこ丁浄(ぜう)うんじ横丁菱(ひし)屋横丁
此辺御小やしき七十二軒寺方十軒程杉大門へ荷物を持出し
又ハ立のきし人々ハ荷を焼或ハ焼死けが人多し夫より船板よこ丁
車門横丁御小やしき三十八軒焼け荒木横丁残り津の守様
半焼おひおひ火の手つよくなりくらやミ坂へ飛火して修行(しゆげう)寺
門前丁やけ本堂ハ残る御先手組屋敷市ケ谷たにまち
不残此辺にて人馬多く焼死ぬ半焼に成りし馬狂(くる)ひ
荒(あれ)まハる故人にけが多し夫より板倉様やけ米倉様
残る此辺御組やしき小やしきあまた焼る谷丁坂上ハ
大小御やしき二十五軒焼る此火先松平新三郎様ニて留る月桂(げつけい)寺焼同前ハ松平佐渡様御中屋敷尾州様御下やしき
伯耆様やけ小笠原様のこるまた一ト口ハ新宿うらへ飛火
して五十騎御組屋敷より一ツ橋御屋敷御家人丁五十軒余
焼大久保通り朽木様にてとまる此辺小屋敷六十軒余焼とやま
尾州様焼同所御旗(はた)本家敷数多やけ桜井様ニて留る又原丁通り
一丁目ハ八番九番六番消留同二丁目中程にて十番組消留水野
土佐様其外御屋敷焼若松丁三十人丁御小屋敷十軒余やける寺々
数ケ寺焼根来(ねごろ)百人組より和泉様越後様石川様焼此辺浄泉(ぜうせん)寺谷丁といふ
処也感通(かんつう)寺本性(せう)寺ハ火の中にて残る是より馬場下丁少し残り早稲田(わせだ)丁不残
榎木丁八六番組湯屋にて消留穴八幡ハ本社鐘楼堂(しゆろうどう)大門供所(くうしよ)不残焼山門ばかり
無事同処冨士山社焼是より水稲荷辺町寺共高田ばば際(ぎハ)迄不残やけ夫より目白
台へ飛火いたし関口台丁松平大炊(おおい)様半焼細川様少々高田四ツ谷丁三ツ角焼
此あたり小屋敷横立五十六軒焼小野大介様ニて留又一ト口ハ雑司ケ谷(ぞうしがや)清土(ど)村へ
飛火して堀田様焼其外所々飛火ニて五軒十軒或ハ二三軒又ハ半焼
とう有此辺一番九番六番の消口所々に有是より又音羽青柳丁へ
飛火いたし音羽一丁目護(ご)国寺門前にて焼留る近年無類の大火ニて
翌(よく)二十二日昼四ツ時半頃漸々(ようよう)諸方の火慎り人々安堵(あんど)の思ひをなしけり
右の火災(くわさい)早速(そく)おだやかに納りしも全く御仁恵(じんけい)と泰平(たいへい)を悦し奉る
一道法里数青山より音羽まで凡南北二り二十八丁ヨ
一御大名様御屋敷三十七頭
一御旗本様五百八十軒
一御小屋敷数しれず
一寺院数百七十ケ寺
一町数百八ケ丁
一焼死並けが人二百八十人余
一土蔵数五百九十八戸前"		

火事 N066

江戸浅草辺大火(仮)

万延1年(1860) 22×28.5

		
"頃ハ万延元庚申年八月二十七日
夜六ツ時南風大雨励しき折から
浅草芝居丁一丁目より出火
いたし同二丁目三丁メ三座並ニ茶
やとも残す焼ル夫より未じん道
南馬道中程へ焼抜大師道
残ル裏長屋半やけ此辺の裏
長や数百軒焼北馬道両
側山川丁二丁共残らす焼田丁一丁目
中程袖摺稲荷社際にて留ル
又一口ハ北新丁竹門梅堀聖天丁
中程江焼中程より片側残ル道哲
の森高尾塚焼又飛火
にて吉原土手中ノ番や
一軒焼此辺江出したる荷物
のこらす焼夫より三谷橋向ひへ
移り新鳥越丁五丁残らす焼
山谷丁浅草丁両側小塚原口て
少シ残り漸く暁七ツ時頃火鎮り
人々安堵の思ひをなス"		

火事 N067

江戸日本橋辺大火(仮)

文久2年(1862) 23.5×46

		
"頃ハ文久二年二月十九日五ツ時
江戸橋南詰より出火致し
大ろじ四日市翁いなり焼ル
青物丁万丁小松丁音羽丁通
丁東うら所々焼左内丁平松丁
南油丁しんば魚がし不残焼ル本
材木丁八丁共不残新右衛門丁川
瀬石丁くれ正丁はくや丁福しま丁
下まき丁大が丁枚([ママ])木丁松川丁
さや丁ぬし丁いなば丁鈴木丁
ときハ丁此辺不残南伝馬丁
三丁共東かわ焼西かわ残ル
具足丁やなぎ丁竹丁迄焼ル
又夫より高なハ代地ニとび火
して松やばしおちる松や丁
本八丁堀一丁め焼るてのじ
にてとまる又一ト口白魚や
しきへとび火して水谷丁
すミのいなり焼ル又一ト口ハ
南八丁堀へとび火して内新道
共焼ル又一ト口ハ佃しまへ
とび火して焼
凡町数三十九ケ町
家数一万八千軒の余
明六ツ半時火よふよふしつまり
人々あんどのおもいを
なしニける"		

火事 N068

大坂大火場所付

文久3年(1863) 22×30

		
"大坂大火場所付
頃ハ文久
三亥年
十一月
二十一日夜四ツ時
西横ぼり
辺より
出火いたし
折しも西北
風はげしく
平右衛門丁勘四郎
丁しほ丁通り
安堂寺通り
じゆんけい丁金沢丁
久宝寺通り
久太郎丁唐物丁
通り
南本丁
通り
残らす
やける
それよりいよいよ風はげしく
して向川岸へうつり
両替丁ふしミ丁
のうにん丁通り
追手丁江戸丁泉丁
さいもく丁此辺のこらず
やけるしゆもく丁
すずき丁しミづ丁
山家屋丁
はんにう丁
かしハ丁
此辺
残らす
御屋
しき
様方
やける
にしハ
堺ばし
南ハ
長
ほり
迄
東ハ
玉造り
いなり
ばた
杉山迄
明る
二十二日
七ツ時
ようよう
火しづ
まり
人々
あんどの
思ひを
なしに
ける"		

火事 N069

江戸飯倉辺大火(仮)

文久3年(1863) 22×28

		
"頃ハ文久三亥年六月二日夜あけ
七ツ半頃より飯倉五丁めより出火尤
南風はげしく同四丁め三丁めかたかハ
るいせう御さうじ丁かたかハ小御やしき
やける水野様御やしき少々やける
西の方ハぞうしき小やしきるいせう
西のくぼ八まんやける尤御ミやハのこる
それより仙石様御やしき松平うこん
せうげん様御るいせうおもて御門ハのこる
それよりかミや丁ふきで丁下やまち
そのほか天とくじ門前よこ丁少々
やける竹中様御やしきあを山様
御やしきますだ様内とう様のせ様
そのほか御小やしき御るいせう
さがら様御やしきハ少々やける
京ごく様御やしき内こんぴらさん
けいの門やけるそれより御かんぜう
やしきやけるそのわきなる御用
御やしき少々やけるとらの御門うちにハ
べつぜうなしそのそとにてやけどまる
やうやく人々あんしんなす前夜より
よく日三日八ツ時すぎにちんくわなす"		

火事 N070

江戸馬喰町大火(仮)

文久3年(1863) 22×29

		
"頃ハ文久三年九月四日夜九ツ時頃より馬喰一丁メ
辺より出火いたし西風ニて通塩丁両かハ
やける小てんま丁三丁メ角かハ焼る同向北木戸
際店火消ニて留ル通油丁北かハやける同中程
二はん組一軒消口取同西木戸きハ九はん組ニて
消留る大丸残る大門通四五軒焼る馬喰丁
一丁メ南かハ焼る中程二三軒残る一ばん本所消口取
同二丁メ半丁程やける一はん十はん組消留る同横丁
角九はん十はん一はん組消口取横山丁両かハやける
同二丁メ片かハやける酒井左衛門尉様一はん六はん
八はん本所深川消留る同うら通半丁程やける
十はん本所組消留る立花丁一二三丁共やけるむら
松丁久松丁両かハやける横山同朋丁やける此辺
小やしきやける若松丁やける大川端船こし様
少々やける永井ひせんの守様やける此辺小やし
きのこらすやける小笠原左衛門佐様御やしき
半分やける牧野遠江守様御やしき残ス
やける一ツはし様御やしきやける山伏井戸
辺御はた本残スやける細川越中守様御やしき
ニて二はん組消留る明五ツ時火しつまり人々安トなス"		

火事 N071

大坂大火本しらべ

文久3年(1863) 47.5×35

		
"文久三亥十一月二十一日大阪大火本しらべ
文久三年亥十一月二十一日夜戌之上刻
西横堀新町橋東詰北へ入処より出火
同二十三日辰の刻鎮り候東ハ玉造り
二軒茶屋北ハ上町ニてハ谷町通り
追手筋南ハ九之助橋迄舟場ニてハ
北ハ備後町横より南ハ長堀まで
猶町数家数等委敷取しらべ
追々出板仕候
{貼紙}
文久三亥十一月二十一日初夜時より新町橋
東詰より出火して東へ追々焼広がりて
翌二十二日の夜七ツ時に火鎮るなり
凡家数二万三千余
なりとぞ
蔵数七千六百六
火の入之土蔵七百六十四
神社十三ケ所
仏堂三十七ケ所"		

火事 N072

大坂大火

文久3年(1863) 35×47.5

		
"大坂大火
文久三年亥
十一月二十一日の夜
子の刻新町橋
東詰北へ入所より
出火いたし折節
西風はげしく
殊の外大火と相成
北ハ安土町南ハ
長ほり東ハ玉造
まて焼抜同月
二十三日午の刻
火鎮り申候誠ニ
前代未聞の
大火のゆへ
遠国へ
知らせの為
図に
出す"		

火事 N073

火之用心・大阪今昔三度の大火

文久3年(1863) 48.5×74.5

		
"火之用心大阪 今(むかしより) 昔(いままで) 三度の大火
心得の為
世に火ハおそろしきものとハ
しりなから足にてふみけす人
多し大に心得ちかいなり
火ハ陽にして木火土金水の
司なり火は実ニ有用の随一
にして勿体なきものなり
ただ大切にして火ニ礼をいふ
心得にて始末をすれバかかる
火災をまぬがるべし
よくよく人々の心を合せて
火を用ひ為ふべし火災ハ
ただ火を廉末にするもの
を天よりいましめ為ふなり
よくよく心得為ふべし
むかしより今年ニいたる迄
かかる大火ハ三ケ度也ゆへに
今三ツを図して出すものなり
文久三癸亥年十一月二十一日夜五ツ時新町橋東詰北ニ入所より
出火いたし候所西風はげしく
して東へ一時に焼行夫より北西風ニ
なり巽へうつる又西南ニ風かわり
丑寅へやけゆく事はげしく夫より
上町へ飛火して火勢ますますはげしく
せんば上町とも一事ニもへあがり誠に
大坂中火となるやう相見へ候まことに
老若男女のおどろき筆紙につくし
がたし終にハ大坂東のはしまて焼失仕候
見る人大坂市中のそうどふさつし為ふべし
同月二十三日昼四ツ時ニ火鎮り申候
町数 百五十二丁
家数 四千七百余
竈数 二万五千余
土蔵 三百二十余
神仏八十余 死人四十六人
けが人数しれず
往古より大坂ニてハかかる大火めづ
らしき事也依て後世咄しの種且ハ
火の元心得のためにもならんやと
一紙に図して諸人の見覧ニそなへ
たてまつる
天保八酉二月十九日朝五ツ時
天満より出火風はげしくして
所々へ飛火いたし上町御城辺まて
焼失北せんば長者町大家
処々焼失夫より南え本町まで
やけ然るに火事場にて何物とも
しれず御やしき風俗ニて大坂市中
あれ廻り人々の昆([ママ])雑いわんかたなき
次第それゆへ諸国在々へ逃候もの
実に蜘の子をちらすがごとく
にて日本国中ニ其節ハ此大火の
噂サはかりなり
実ニ希代の大火大そうどふ也
町数 百十二丁
家数 三千三百八十九軒
かまど 一万八千五百七十八軒
土蔵 四百十一ケ所
穴蔵 百三十ケ所
寺社 三十六ケ所
死人怪我人数しらず
享保九年辰三月二十一日のひる
九ツ半時南堀江橋通り二丁目
金屋妙智といふ人の宅より出火いたし
南風はげしく新町へやけ出終に北野迄
焼抜西ハあミた池迄東ハ木綿はし辺
にて火鎮り西横堀北へ焼新博労町
北がハへ火移り夫より北ハ船場のこらず
焼失又天満へ飛火川崎迄中島
堂島西天満東天満のこらず焼失
二十二日朝北東風ニなり上町へ飛火致
追々北風はげしく上町一面ニ成それより
高津へ移り島内一円それより道頓ほり
芝居へ飛火いたし火先いくつニも相なり
難波新地長町不残焼失す
其節大坂四百八十余町之内四百三十町余
実ニ大坂初マツテの大火ニて親子兄弟
はなれはなれとなり五畿内ハ勿論丹波
丹後伊賀伊勢江州播磨淡州等へ
にけ誠ニ其なんぎいわんかたなし
家数 二万八千余
かまと 九万八千七百余
土蔵 二千八百余
死人 凡三万余人
けが人 十二万余"		

火事 N074

武州加奈川横浜出火略図

文久3年(1863) 38×48

		
"武州神奈川横浜出火略図/
慶応二年寅十月二十日/
昼五ツ半時より出火吉原/
廓大門口際より出火/
折ふし殊の外なほ/
大風にてよし原廓内/
のこらず焼失それより/
よし原道衣もん坂/
とふりより横浜五丁目/
土手通り本町うら中/
通り太田町/
四丁目五丁目/
海岸まわり/
海辺まで/
弁天とふりハ/
四丁目半分/
本町とふり/
四丁目海手/
まで突ぬけ/
それより五丁目/
御運上所/
西中とふり/
本町四丁目/
五丁目焼しつ/
二十三日いまた/
火鎮り/
不申候/
と也 "		

火事 N075

焼場方角付

慶応2年(1866) 29.5×108.5

		
"焼場方角付
頃ハ慶応二年
寅十一月四日よ九ツ
時より深川相川
町より出火いたし
相川半丁蛤丁
外紀殿丁うハ丁
福島橋おちる
八幡橋おちる
中橋町北川丁
黒井丁中丁
大島丁少々のこる
蛤丁横店留
吉町貞川丁
通黒井丁橘
下中丁山本丁門前
かし八幡前十二間
いなり横丁自身
丁馬横丁たたみ
横丁坂■大門内
やける才人息寺
横丁黒井丁
うらかし大橋■
黒井丁代地
ニてやけとまる
頃は慶応二丙寅年
十一月九日夜八ツ時神田
新かハや丁より出火いたし
折しも西北風はげしく
皆川町一二三焼る三川
町一二三丁目中程迄焼る此所八番九番十番
組にて消留るかぢ町一二丁目ニて焼留る横
大工町たて大工町白かね町留又一口ハらふ
そく町野島屋敷もんとがし鎌倉がしとしまや
のかわ四軒残る此所五番六番本所深川組ニて
けし留る神田橋外永井肥前守様屋敷やけ
本多伯耆守様御屋敷残るげたやしん道やける
一口は石町一丁目半分焼河岸通焼る本町一丁目
片かわ焼中程ニて留る本両替町するか町三ツ井
茶店焼るむろ町一二西がわ焼る品川町北さや町
針店まき河岸ニて留る此所ハ一番二番三番五番
にて消留る一石橋焼落るまた一口ハ呉服町へ飛火し
西かし町十九文横丁元大工町すき屋町桧物町上まき町
北まき町南まき町はとや新道不動新道狩野しん道桶町
一丁目二丁目かし通り焼る此所ハ二番三番五番六番組消口をとる
南大工町南かぢ町一丁め二丁目五郎兵衛町たたみ町こん屋町ニて焼留る
此所をバ一番二番三番五番組にて消し留るまた一口ハ通一丁目
二丁目三丁目四丁目中橋広小路南伝馬町一丁め二丁目三丁目
より京橋にて留る此所ハ二番三番五番組にてけし留る
又一口ハ四日市青物町ひら松町おとハ町佐内町川せこく町
新右衛門町しきぶ小路小松町はく屋町くれ正町岩くら町
ふく島町下まき町大鋸町さや町ぬし町すずき町
因幡町松川町ときハ町炭町まで焼中の橋
残る此所ハ本所深川組八番九番十番組にて
けし留るしんば本材木町一二三四五六七八
丁目通り白魚はしニて留るしんハ橋焼落る
夫より八町堀にいたり松平越中守様御屋しき
久世出雲守様御屋敷焼高輪代地町まつ屋町
神田ぬし町代地しん白かね町代地八町ほり北紺屋町
七けん町岡崎町水谷町こんや町大昇忠左衛門拝領
屋敷焼る家根屋町南八町ぼりたて七丁やける
くつき近江守様御やしき松平阿波守様御屋敷堀内多起様
御屋しき井伊掃部頭様御やしき松平遠江守様御屋しき
中川修理太夫様焼又一口ハ三かく家根やしん道近江屋しん道
玉子や新道日比谷がし一二三かしニてやけ留る長沢町幸町
かめじま橋焼落る亀島残らず同所河岸にて留る
此所ハ一番六番八番九番十番組にてけし口を取竹島町焼る
夫より鉄砲洲にいたりて稲荷ばし半焼稲荷やける本湊町
一丁目船松町十けん町明石町辺残らず榊原越中守様
御屋しき奥平大膳太夫様御屋しき土井様御屋しき細川能登守様
御屋敷松平長門守様御屋敷焼島会所にてやけとまる●
●此あたりの海上に
うかべる船にも火
移りて焼亡
するも少からず
猶余は盛んに
して佃島に飛火し石川橋にて焼留る翌る十日朝
五ツ半時全く火しづまり人々安堵の
思ひをなせりさしも繁栄の千万戸
一夜の内に灰焼となる事嘆くべく
かなしむべし故に念に念を入るべきハ
火の用心なり衆人ゆめゆめ怠り給ふ
事なかれ
▲また十一月十一日朝五ツ時新よし原
江戸町一丁目より出火し同二丁め
角町揚屋町仲の町残らす焼る
やうやう八ツ半時火しづまる花の
廓もまたたく間に
焼亡せし事
悲しむべし
土蔵百五十三ヶ所
死人七十五人
町数六百八十五丁 "		

火事 N076

焼場方角細見記

慶応2年(1866) 34.5×47

		
"焼場方角細見記
頃ハ慶応二丙寅年十一月九日夜八ツ時頃神田永富丁辺より
出火いたし殊ニ西北風はげしくしてミな川丁へうつり夫より三河
丁三丁めまでやしき少々やけ永井さま御やしきうしろ通り少々
かまくら丁同かし通りのこらず中にとしまや外四五けんのこり
向がしとこミせ少々のこる東ハ松下丁同代地ともしんかハや丁
しらかべ丁しん白かね丁元のりもの丁せき口丁ろうそく丁少々
四けんやしきごとうやしきりうかん丁しんごく丁一たて大工丁
此辺のこらず通りニ出かぢ丁二丁め中ほどより一丁めうし
ろ通り前ハ少々のこる今川ばしあと本こく丁一十けん店
もんとがしうけをい地本白かね丁本石丁かねふき丁右
がハばかり本丁一丁め左りがハ中程のこり本両がヘ丁
きんざ北さや丁一石ばしをちる本かハや丁するが丁
片かハゑちごや本店のこり両がへだな京だなやける
品川丁同うらがし室丁一二りうがんにくかんばんのこる
通り丁へ出両がハ京ばしまてのこらず西がし丁より
かし通りごふく丁此通りかし北こんや丁までのこらず
中のはしをちる京はしらんかん
やける北へもどりて万丁あを物
丁本ざい木丁かし両か
ハのこらずやなぎ丁
すミ丁まで
此火竹がしにてとまる
それより松やばしをちる
まつや丁同上のうち本八
丁ぼり一丁めより五丁め迄
のこらず丁御くミやしき
大はんやけをかざき丁
此辺所々の代地のこらず
北じま丁しんぼう小じ
てうちんかけよこ丁代官
やしき少々亀じま丁かし
通りのこらず全六丁ミづ
たに丁同上地与作やしき
たけじま丁北こんや丁
貞ミねやしきかめや
やしきかめざハ丁
南丁ぼり一三
五代地同二丁め
代地中のはしをちる
永しま丁さいはひ
丁ひびや丁
又元へかへりて
ゑつ中さま
御やしきほそ
川さま少々
しんばばし
やけをちる此火
てつぽうづへうつり南八丁ぼり一丁めより
五丁め迄両かハのこらず朽木さま井伊さまあわさま
堀田さま土井さまとうとうミさま中川さま御やしきハ
かし通り御長やのこる此辺小やしきやけをく平さま
半やけけんとうばし両小はしをちるてつぽうづいなり
やしろばかりのこる本ミなと丁船まつ丁同二十けん丁ほそ川さま半やけ
松平さがミさま御やしきさむさばしニてとまる御台場表へハ少々やける
此火佃じまへとび石川さまりやうし丁大はんやける翌十日昼六ツ時
過漸火鎮り人々安土の思ひをなす唯火の用心ハかんやうなり "		

火事 N077

江戸神田大火(仮)

慶応2年(1866) 38×51.5

		
"慶応二丙寅年十一月十日
暁八ツ時ごろ神田
永富町より出火致
北風はげしく鎌倉町
同川岸通り三河町
一丁目二丁目竪大工町横大工
町新石町鍛冶町一丁目同二丁
目半分塗師町乗もの町
今川橋葺屋町四軒屋敷
本銀町一二石町一丁目
本町一丁目本両替町
駿河町南がハさや町
品川町釘店室町
一丁目二丁目
西がハ一石橋焼落
夫より西川岸町へ飛火致シ
日本橋通一丁目二丁目三町目
四丁目中橋埋立地南伝馬町一二三丁目迄
不残四日市町南がハ万町青物町ごふく町
平松町元大工町新右衛門町すきや町▲
▲左内町上槙町五郎兵衛町桶町おが町
本材木町八丁不残八丁堀御屋敷
松平越中守様同岡崎町北島町本八
町堀五丁南八丁堀不残鉄砲洲
本湊町船松町此辺焼死人多シ
夫より佃島へ飛火致七分通り
焼昼九ツ半時漸々鎮火致候
前代未聞の大火故人々
案内のため爰ニしるす
売買五百枚限 "		

火事 N078

江戸神田大火(仮)

慶応2年(1866) 38×51.5

		
"慶応二丙寅年十一月十日夜
暁八ツ時ごろ神田新かハ屋丁
より出火致同永富町
北風はげしく鎌倉町
同川岸通り三河町
一丁目二丁目竪大工町横大工
町新石町鍛冶町一丁目同二丁
目半分塗師町乗もの町
今川橋葺屋町四軒屋敷
本銀町一二石町一丁目
本町一丁目本両替町
駿河町南がハさや町
品川町釘店室町
一丁目二丁目
西がハ一石橋焼落
夫より西川岸町へ飛火致シ
日本橋通一丁目二丁目三町目
四丁目中橋埋立地南伝馬町一二三丁目迄
不残四日市町南がハ万町青物町ごふく町
平松町大工町新右衛門町すきや町
▲左内町上槙町五郎兵衛町桶町おが町
本材木町八丁不残八丁堀御屋敷
松平越中守様同岡崎町北島町本八
町堀五丁南八丁堀不残鉄砲洲
本湊町船松町此辺焼死人多シ
夫より佃島へ飛火致七分通り
焼昼九ツ半時漸々鎮火致候
前代未聞の大火故人々
諸国たより案内の
ために爰ニしるす
売買四百枚限 "		

火事 N079

大坂大火之図(仮)

慶応4年(1868) 35×38.5

		
"両村共焼失二十三日申の刻ニ火鎮り申候
東よし橋
の人橋
焼落る
本しらべ "		

火事 N080

明治二年東京大火(仮)

明治2年(1869) 31.5×40.5

		
"頃ハ明治二年
十二月二十七日夜
四ツ半時過すきや
丁辺より出火して
折しも西北風は
げしく南なへ丁尾わり丁一
二丁目ゑびすや
ほていやこふく店
落る竹川丁出
雲丁金はるやし
き南大坂丁山下
丁南さへ木丁
宗十郎丁守山
丁内山丁
山王
丁
たき山
丁つく
バ丁かが
丁八けん丁
丸や丁山しろ
がし土ばし
にて留ル又一口ハ
しば口一丁目二丁目
中ほどにてとまる中川
様少々やける汐とめ残らず
▲脇さか様せんだい様少々のこるしり火つよくすきや丁
のこらず弥左衛門丁やり屋丁しんさかな丁少しぎんざ
丁四丁目三丁目中ほとにてとまる此へんしん道こと
ことくやける三十間ほり三丁目中ほどより四丁目
五丁目六丁目七丁目金ろく丁まで又一口ハこひき丁
五丁目より六丁目七丁目汐留はしきハまてのこらす
又五丁目橋通りハ狩野様酒井右京さまやける外務
省のこる此辺小やしきあまた近どうさま仙石様
溝口様奥平様御上やしき宮原さま松平
ゑつ中さましんやしき板倉内ぜん
さまやける増山さま尾わり様残る
其外小やしきあまたやけるなり
加賀宰相様少々のこる是にて
翌二十八日朝五ツ半時過やうやう
火しづまり諸人あん
どの思をなし
ける
遠国の縁
者へしらせ
が為一紙ニ
あら
わす也 "		

火事 N081

明治五年東京大火(仮)

明治5年(1872) 32×40

		
"水火ハ世界の司にしてよく用をなすといへども時として害におよぶ事甚敷恐るへき
の第一なり爰に明治五壬申歳二月二十六日早朝より烈風にていさごを飛し
土けむり大空に立のぼり人々心安からず折しも昼八ツ時過頃和田くら
御門内より出火いたし増山様御やしきへ飛火致近所元御大名様方ハ元より
松平土佐守様松平阿波守様をはじめ馬場先内鍛冶橋御門の内一ゑんに焼失
折しもいよいよ北風殊の外烈敷数寄屋河岸へ飛火お弓町をはじめとし
南紺屋丁立うり新肴丁弥左衛門丁箔屋丁不残焼失ニ相成尤もびくに橋より
中之橋京橋中バしハ残るといへども白魚やしきをはじめ銀座新両がへ丁ハ四丁目
まで尾張丁元地二丁め迄焼失に相成四方棚の方ハ金六町水谷丁ハいふに
更なり三十間堀すじ六丁目迄一ゑん残る方なく
焼おち老若男女東西へ逃げまどひ其なげき大方
ならず言語にものべつくしがたき有さま成に風
増々はげしく紀の国橋焼落し三原橋ハ残ると
いへども松村町より木挽丁通りハ六丁目まで
焼けはらひ万年橋の方ハ采女か原陸軍所
焼失におよび
大島町の方新庄様と
伊達様のミ残り夫より
島原へ焼入片かわニて焼止る也
築地ハ一ゑん合引橋ハ残り
松平土佐守様御やしきをはじめ其外御やしき大小悉く焼落
牛馬会所ヲはじめ西本願寺御門跡ハ御堂ハ元より残りなく焼おち
軽子橋の方ハ新栄ばし異人館一軒丸やけ貿易商社少々計やけ南
飯田町ハ角少々計残り上柳原町小田原町南本郷丁も惣じて
一ゑんほてる館焼落海岸ニてやふやふ火鎮り夜四ツ時頃やうやくに
風薄らき火勢静り人々あんどを思ひをなしぬ
{袖に判刻}御やしきハ元の御名 "		

火事 N082

諸人安堵乃為火事場急報

明治13年(1880) 31.5×40

		
"諸人安堵乃為火事場急報
明治十三年十二月三十日午前第九時ごろより
神田かじ丁より出火いたしおりふし西北
風はげしく同丁中程より大通りへもへだし両
かわへうつり西福田丁ぬし丁東今川丁本銀丁
三丁目又一ト口ハたて大工丁より新石丁千代田丁
西今川丁本銀丁二丁目一丁目半やけ本石丁
二丁目一町目より川岸へもへたし金吹丁本丁
一丁目二丁目かわや丁両替丁するが丁品川
丁同うらがし北さや丁一石ばしきわまで又
大通りハ室丁西がわ一丁目二丁目三丁目うら
通りともやける警部巡査
方ヲはじめ消防隊消防組
御ほねおりニて日本ばし
釘店ニて午後第二時にけし
留市中の人々安堵の思ひ
をなし諸人安心の為諸
県まで一枚紙ニてしらす "		

火事 N083

大垣町火災地略図

明治24年(1891) 26.5×37.5

		
大垣町火災地略図 		

火事 N084

江戸出火

不明 24×17.5

		
"江戸出火
子二月三日夜戌上刻白銀町一丁目四軒屋
舗辺より出火西北風強く本銀町一丁目東へ
半丁程同二丁目大半焼本石町一丁目大半
二丁目不残本町一丁二丁目金吹町本革屋
町南両替町駿河町焼十軒店通室町三丁目
西側不残北鞘町又塗町新革屋町高石もん
と川岸大はん焼失丑上刻火鎮申候
二月九日
{奥に押印}大阪船越町
江戸飛脚問屋
尾張屋惣右衛門
{奥に押印}江戸
定飛脚仲間
三度
江戸出火
子二月三日夜戌上刻白銀町一丁目四軒屋
舗辺より出火西北風強く本銀町一丁目東へ
半丁程同二丁目大半焼本石町一丁目大半
二丁目不残本町一丁二丁目金吹町本革屋
町南両替町駿河町焼十軒店通室町三丁目
西側不残北鞘町又塗町新革屋町高石もん
と川岸大はん焼失丑上刻火鎮申候
二月九日
{袖に押印}江戸三度■■■飛脚
大坂内■■■■■
津国屋十右衛門
{奥に押印}江戸
定飛脚仲間
三度 "		

火事 N085

江戸出火

不明 23×22

		
"江戸出火
子二月三日夜戌上刻白銀町一丁目四軒屋
舗辺より出火西北風強く本銀町一丁目東へ
半丁程同二丁目大半焼本石町一丁目大半
二丁目不残本町一丁二丁目金吹町本革屋
町南両替町駿河町焼十軒店通室町三丁目
西側不残北鞘町又塗町新革屋町高石もん
と川岸大はん焼失丑上刻火鎮申候
二月九日
{奥に押印}大阪船越町
江戸飛脚問屋
尾張屋惣右衛門
{奥に押印}江戸
定飛脚仲間
三度
江戸出火
子二月三日夜戌上刻白銀町一丁目四軒屋
舗辺より出火西北風強く本銀町一丁目東へ
半丁程同二丁目大半焼本石町一丁目大半
二丁目不残本町一丁二丁目金吹町本革屋
町南両替町駿河町焼十軒店通室町三丁目
西側不残北鞘町又塗町新革屋町高石もん
と川岸大はん焼失丑上刻火鎮申候
二月九日
{袖に押印}江戸三度■■■飛脚
大坂内■■■■■
津国屋十右衛門
{奥に押印}江戸
定飛脚仲間
三度 "		

火事 N086

江戸出火

不明 24.5×34

		
"二月十九日酉下刻江戸橋南つめより出火北
西風強四日市青物丁万丁音羽丁佐内丁平
松丁小松丁川瀬石丁南油町新右ヱ門丁箔屋町
岩倉町榑正町中橋埋地本材木丁一丁目より
八丁目迄福島丁下槙丁大鋸丁夫より南伝馬
一丁目東側半丁二丁目三丁目ぬし丁鞘丁
まさ木丁松川丁鈴木丁因幡丁ときわ丁柳
丁具足町竹川岸通不残川向白魚屋舗金六
丁水谷丁不残八丁堀高なわ代地弁天横町
本八丁堀一丁目二丁目不残南八丁堀一丁
目本多様きわ迄焼翌辰の刻火鎮申候
又外に十九日夜戌刻佃島辺より出火同所
御屋敷とも不残焼失同夜子刻火鎮申候
同二十日午刻麻布市兵衛丁辺より出火同所二丁
余も焼失同日未中刻火鎮申候
二月二十六日
{押印}大阪船越町
江戸飛脚問屋
尾張屋惣右衛門
{押印}江戸
定飛脚仲間
三度 "		

火事 N087

江戸出火

不明 24.5×11

		
"江戸出火
当三月十日申刻小網町二丁目裏通より出火
同丁裏表焼失夫より三丁目不残焼失戌上刻
火鎮申候
三月十七日
{印}大阪船越町
江戸飛脚問屋
尾張惣右衛門
{印}■■
定飛脚仲間
三度 "		

火事 N088

江戸出火

不明 29×24

		
"江戸出火
子三月十三日丑上刻室町二丁目東側中程
裏より出火同所三丁目東側不残折節南風強
瀬戸物町伊勢町裏川岸安針町小田原町一
丁目本船町半分同二丁目塩川岸長浜丁
うき世小路本町三丁目同四丁目大伝馬町
一丁目北新道鉄砲町本石町四丁目大伝馬
塩町丸太川岸小伝馬町一丁目同二丁目
小伝馬上町亀井町柳原岩井町元岩井町
横山三丁目代地元柳原六丁目松枝町小泉
町佐久間町四丁目代地豊島町一二三丁目
大和町代地冨松町鎌倉横町小伝馬上町代
地九軒町岩本丁橋本丁四丁目半分久右衛門町
代地右焼失郡代屋敷迄東ハ柳原土手迄焼
十四日午刻火鎮申候
三月十八日
{印}大阪船越町
江戸飛脚問屋
尾張惣右衛門
{印}江戸
定飛脚仲間
三度 "		

火事 N089

江戸出火

不明 23×11

		
"江戸出火
未八月十七日夜子刻より京橋五郎兵衛町古着
新道より出火同丁片側半丁計焼失子中刻
火鎮申候
八月五■日
{押印}大阪船越町
江戸飛脚問屋
尾張屋惣右衛門
{押印}江戸
定飛脚仲間
三度 "		

火事 N090

江戸出火

不明 24×10.5

		
"江戸出火
当月八日午中刻通三町目東側中程より出火
北風通四丁目東側不残焼申刻火鎮申候
十一月十二日 尾張屋
惣右衛門 {押印}江戸
定飛脚仲間
三度 "		

火事 N091

江戸出火

不明 24.5×8

		
"江戸出火
当月八日午中刻通三町目東側中程より出火
北風通四丁目東側不残焼申刻火鎮申候
十一月十二日 尾張屋
惣右衛門
{押印}江戸
定飛脚仲間
三度 "		

火事 N092

江戸出火

不明 24×22

		
"江戸出火
当月三日未中刻四ツ谷鮫ケ橋南町より出火
西北風同丁不残安しん坂上より紀州様御長
屋しり二むね焼失酉上刻火鎮申候
同四日夜亥下刻深川熊井町より出火相川丁
諸町冨吉町中島町黒江町大島町蛤丁加賀
屋舗外紀殿丁永代寺門前丁西横丁八幡丁
鳥居失倉下表失倉下山本丁裏門前丁同川
岸通永代寺裏門前同十二間川岸通不残
五日暁寅刻火鎮申候
十一月十二日
{印}大阪船越町
江戸飛脚問屋
尾張惣右衛門
{印}■■
定飛脚仲間
三度 "		

火事 N093

江戸出火

不明 28×31.5

		
"江戸出火
当十五日朝寅刻佐久間町辺より出火北風強
相生町松永町八官町平川町代地焼夫より内
神田小柳町平なか丁紺屋丁代地九軒丁
市橋様御屋敷おたま池松田丁白壁丁紺屋
丁通す田丁新石丁鍋丁鍛冶町今川橋十軒
店室町一二三日本橋迄西ハれん尺町佐柄
丁田町白銀町新石丁龍閑丁松下町三川丁
鎌倉川岸白かね町一二三四石町一二三四
本町一二三四駿河丁品川丁東ハ小伝馬町
馬喰丁一二三大伝馬丁田所町はせ川町西
側少々さかい町葺屋町よし丁照降町小船丁
本船町せ戸物町小田原町日本橋四日一青
物町万丁佐内町通一丁め東側こ松町新右衛門
丁通二三四丁目中橋南伝馬町一二三京橋
迄西川岸丁残呉服丁南側御堀端迄大工丁
桧物丁上槙丁桶町南大工丁五郎兵衛丁焼
子刻火鎮申候飛火にて因幡様屋舗少々焼
十一月尾張惣右衛門
{印}江戸
定飛脚仲間
三度 "		

火事 N094

江戸大火(仮)

不明 24×33.5

		
"{前欠}
そのつぎ
室町一丁目島半同二丁目長浜町本船町ふん
どんいせや本小田原町一丁目二丁目あんじん町に
いせ町此所にてやけとまるはやしののめのころとかや
それハおきてそのよ五ツときすぎおとハ九町目
さくらき町のほとりより出火して此へん目しろ
だい中ほど迄ひら一めんにるいしやうして長光
じまてやけたまふ九丁目はしハ残れども夫より
せきくち水道町同新まち水くるま松がへ
町高源寺本どう残りてくりばかりるいしや
うすにしふる川町まてひら一めんめしろの七ツ
しののめかしめりしらするかねのねに二ケ所の
火事ににげのびしおやこけやうだいくんしんふう
ふあいあふてよろこびのこへもろともによハほのほの
とあけにけり此二まいふるさとある人々ハ手紙
にそへてしらせ給ふならバあんしんならんかといふのミ "		

火事 N095

大坂大火(仮)

不明 36×47.5

		
東ほり末吉ばし /同 安堂寺ばし /同 久宝寺ばし/同 農人ばし/焼けおちる 		

火事 N096

江戸新橋辺大火(仮)

不明 31.5×41

		
{省略} 		

火事 N097

三田・田町辺大火(仮)

不明 21.5×27.5

		
"おりから青山六道の辻わき小名鼠穴辺より出火してあたかも天をこが
すがごとく老若男女ともに家財諸道具を持出事四方にみち
たり扨焼失の分記といへとも其あらましをここにあらハす出火の元は
青山鼠穴辺より六道の辻三すじ町五十人町此辺御やしき御組やしき
数多しかきつくしがたしこうか町おそふじ町御手大工丁岩松丁ごんだ
ばら青山様まへ道り足がる町道り御組屋敷浅井老東様鍋島様
うしろ通りよりあさぶりうど町へ飛火して光専寺此かたかハいもあらいさか
教前寺門前丁六本木道り日ケくぼ町毛利様京極様戸川様戸田様
小笠様加見権兵衛様大水市左衛門様松平伝一郎様長坂町谷町
やぶ下町のうず十ばん町引紙丁まきがし向道り小山黒田様半分芝南
新門前代地自しんばんにて此所焼とまる又一口ハあさぶりうど谷町京雲寺御
組屋敷百性町桜田町稲荷宮明谷寺法雲寺専称寺其外町々
正光院一本松辺秋月様なんぶ様とう山様木下様ひろふ町堀田様ほしの様
天元寺あら木様土屋様善福寺門前町そうしき町此辺小屋敷数多し云
門へしがたく古川道り青木様山の内様大俵様直井様木村様田島町かし道り
魚らん下町道り門まへ道り大信寺三田小山台丁いさらご台町細川様
おもて商家のこるまへ町道りたかなわ台町二本ゑの木町こく正寺幸覧見寺此外
寺々多ク焼失本多様大和様有馬様大久保様さか町大崎加藤様ニてとまる
又一口ハ芝三田辺のこらず焼失札の辻辺田町二丁目三丁目四丁目五丁目
六丁目七丁目八丁目九丁目茶屋町大木戸牛町セんがく寺門前たかなわ海
辺通りへ諸道具いるゐ等持出し我も我もと老若男女右おう
左おうにさんらんしてそのまま焼すてにしなり人々思ひよらざる
大なん中何とたとゑんよふもなし火の用心大切にすべしなり
ほとなくたかなわ仲町にて焼とまり安どの思ひをなす事しかり "		

火事 N098

江戸図(仮)

不明 29.5×36


火事 N099

せんハ上丁 大火ノ図

不明 24×32.5

		
"せんハ上丁大火ノ図
当十一月二十一日夜五ツ半時より新丁ハシ東ツメより
焼火いたし折西風つよく
南久ほうし丁ハ西よこほりより東ほり迄
ばくろ丁ハ同
順けい丁ハ同いなり社やけかぐらどのこり
安トシ丁ハ南かハのこり東ヘハやけバ迄
内久ほうし丁ハ上本丁迄
いつミ丁同玉造いなり社二軒茶ヤ迄ヤケ
両がへ丁ハ谷丁迄
久ほうしハシやきおち
大よそ町かず七十丁ヨ
南北久太郎丁四丁メより東ほり迄
唐物丁本丁安トシハシ末吉ハシヤキおち
やけとまり二十三日ヨル八ツ時 "		

火事 N100

三田・田町辺大火(仮)

不明 23.5×31

		
"南部遠江様下本村町近辺不残焼仙台様同
坂両側残る土屋采女様下焼向側残る又一口は
日ケ窪通宮下町新網代地十番辺不残焼一本松
坂下町焼善福寺残る松平中務様保科様
是より平一面ニ成三田飛新門前甲斐守様中
黒田加ゐ様半焼小山織田様島津様前町屋
寺焼有馬様会津様青木様ハ残る三田寺町
焼る一口ハ三田二丁目同朋町通新町札の辻久留
島様焼しり火ニて芝田町二丁目迄田町蔵屋敷
不残焼三丁目より九丁目迄焼牛町車町高輪北
町サツマ様前留一口ハひぢり坂下三田三丁目通松平
紀伊様下寺々不残焼伊皿子台町芝台町
細川様魚らん辺寺々町共焼さぎの森辺松平
市正様下白銀伊達紀伊守様下上杉様毛利
左京様下不残五六丁目少々裏有馬熊五郎様留
一口は樹木谷清正公焼向角高野寺残る松平
丹波様九鬼様ニ本榎通寺々不残大和守様有馬様
本多豊後様此外屋敷奥平下水野下留
猿町品川台町ニて留夜四ツ時頃ニしつまりけり
よふよふ人々安との思ひをなしけり
一赤羽根川岸通り御すくい小屋二ケ所立
{後欠} "		

火事 N101

江戸大火(仮)

不明 22×28.5

		
"{前欠}
町家類焼●丹羽様●京極様●内藤様●さざいしか残る
▲佐野様□丹羽様▲鳥居様此辺御やしきあまた類焼
●松平安芸守様少々●黒田様表門のこる▲岩本様▲小出様
□高木様●松平伯耆守様●西尾様●三浦様のこる飛火にて
寅御門外御用やしきのこる御具足所焼●京極様▲谷様●
松良様●木下様▲土方様▲奥田様此辺御屋敷あまた類焼
●稲葉様●一柳様夫より●土方様●毛利様▲毛利様▲曲淵様
□堀田様□細川様●此所にて火別ニて田村様□牧野様●酒井様●松平
隠岐守様●秋田様□仙台様●柳生様●有馬様●芝井町
新道三島丁神明丁夫より西手大久保様●森様●関様
夫より宇田川丁浜松丁みなミ迄一口ハ▲朽木様天徳寺
裏門通寺中此辺御はた本あまた類焼あたこ下通
交代平野様辺より神明前片門前金杉四丁目迄此
辺御屋敷類焼おおし●凡火元より火先迄一里半余
右のごとく類焼なして諸人の心得にもなるべくすべて
火の元大せつになし為へと此よしをしるす "		

火事 N102

江戸大火(仮)

不明 23×29.5

		
"御火けし御用やしき其外御屋敷多やける此へん不残
三川丁四けん丁きち丁ろうそく丁へん神田大道り
松平友三郎様岡田セうけん様本多ふセん守様
三河丁一丁目よりかまくら丁かし
りふかんばしのこるもんどかし小橋二ケ所やける又一口ハ
すた丁二丁目かたかわのこる平永丁こんや丁村田様
市橋様松田丁白かべ丁こんや丁しんごく丁なべ丁
かち丁しろかね丁十間店むろ町するか丁ゑちごやこふく店や
けるのりもの丁てつほう丁しほ丁こく丁セトモの丁
小田原丁本船丁又一口ハ田丁川井新石丁永とみ丁
今川橋より此へん不残それより北さや丁品川丁
日本橋やけ江戸ばしやけおち四日市へんしきぶこうじ
あぶら丁新右衛門丁下まき丁おか丁南さや丁竹丁
又は本白銀丁かし石丁かし本丁一丁目かしさや丁かし
西かし少々呉服丁元大工丁すき丁まき丁ひもの丁
上まき丁北まき丁南槙丁桶丁南鍛冶丁南
伝馬丁西かしより此分かたかわ竹かし京橋にて留る
東ハ白魚はしにて留る本八丁ほり中のはしやける南八丁
ほり一丁目少々残るほり様阿わの守様御中やしき
{袖}二
{奥}つくたじまへとび火して大ふねあまたやける "		

火事 N103

江戸大火(仮)

不明 23×29

		
"{前欠}
{前欠}
又一口ハ神田小柳丁御もみ蔵一トむねやける平永丁
土手下岩井丁こんや丁三丁目代地きし町留
山丁市橋様半分やけるとみ川一丁目
松下丁一丁目永留丁二丁目代地松枝丁
一丁目お玉ケいけ向かわこんや丁一丁目二三
大伝馬しほ丁小伝馬丁一丁目てつほう丁
本丁もめん店ほりとめ丁こさ店大伝馬丁
二丁目てりふり丁ほりゑ丁ほりゑ六間丁ふきや
丁おやぢ橋やけおちよし丁元大坂丁甚左衛門
丁小あみ丁箱崎町久世様土井様新堀御組やしき
みなと橋焼おち南しんほりこんにやくし■かやば丁
かいそくばしやけしんば橋やけ八丁堀へん九鬼様より
細川様松平ゑつちう様大道り古ぎ店本ざいもく丁
七丁松屋丁幸丁岡崎れかんじま不残御船手
御組やしきみなと丁みなとばしやけいなりばし
やけおちてつほうづ稲荷御社堀様伊井かもん様
松平たくみ様掘田土佐守様本みな
と丁すみかし本船丁明石丁明石橋やける十間丁
此所にて焼留り人々あんとの思ひをなす事
しかり「猶又次第不道ぜんご重言御用十可被下候
{奥}三 "		

火事 N104

江戸大火(仮)

不明 33×24

		
"{前欠}
又山の手ハ麻布まミあな広尾まミあな此辺所々出火諸々大くすれ
四ツ谷堀町より麹まち惣のこらすくすれ出火あり小石川伝通院門前
諸々くすれ出火ありお茶の水より番町辺まて残らすくすれ焼るなり
赤坂一ツ木辺より青山六堂のつじ極楽水此辺そうくつれ諸々に出火あり
其外御府内十里余方ハ仲山道大客辺まて大地さけくすれ上総
下総まて大地しん行とくふなばし辺ハことに手ひどくゆり人家のくすれ
大かたならす又葛西二合半日光道中ハ岩つきさつ手辺ところところ
大地しん諸々より出火ありいちいちこれをかそへあふここにいとまあらす
よく日まで焼る地しんハ一両日の間ハ刻々時々にゆり人家ハ翌日
より其夜大道往来に野じゆくしてこれをさける翌日も又かうし町
下谷辺に出火あり人々安きこころもなかりしかやうやくに
地しん出火しつまりて安堵の思ひをなす此よし諸国
の親類縁者のものにしらしめて親子兄弟の存亡を
つけしらしめんがために一紙にしるして読にそな■
▲町数三千十二町そんし出火
三十二ケ所より出御府内大半その外
土蔵数十万二千余戸まへくつるる
▲御屋敷火災三百余軒
御はた本お屋しきあまたそんじる "		

火事 N105

東京の火事(仮)

不明 30×39.5

		
"神田松枝町二十二番地塩崎組次郎方物
置より一月二十六日午前一時三十分頃出火して折ふし
西北の風烈しく忽ち四方へまん延して日本橋
本所深川の各区内へ及ぼし午後三時ニ至り
鎮火す
一 焼失町数凡五十一町
一 同戸数一万千百余戸
一 怪我人焼死人等ハ追て記す
一月二十六日午後六時頃浅草
南元町六番地橋本嘉右衛門
方物置より出火シ三十七戸余
焼失
同時間北品川宿二十九番地
酒井勘七郎より出火し六十二戸
余焼失す
同夜七時頃千住南組其他在
方ニ二三ケ所も出火し直ニ鎮火 "		

火事 N106

江戸大火(仮)

不明 23.5×30.5

		
"小船町三丁堀江丁てりふり町小網町三丁目まで箱崎丁■久世隠岐守様■松平伊豆守様
■戸田采女正様■土井大炊頭様類焼●田安様御やしきのこる北新堀御船手御やしき
高尾明神社焼る▲永代橋▲乙女橋焼のこる西の方ハ坂本町海盗橋落る牧野山城守様
御屋敷茅場丁薬師堂焼る鎧渡より表茅場丁霊岸島▲埋立地新籾蔵油会所
残る夫より南新堀大川端町塩町浜町南四日市町新川大神宮焼る霊岸島丁川口丁
白銀丁長崎丁東湊町上下御船手御屋敷是より佃島新田島へ飛火ニて不残焼る
此所に有し大船焼る西の方ハ▲江戸橋蔵屋敷元四日市町万丁青物丁音羽丁木原店
▲日本橋きわ船宿片側焼のこる▲通一町目近江店▲白木屋▲呉服店焼のこる通二町目より
中橋広小路まで東側焼る平松丁川瀬石丁新右衛門丁南油丁泊屋町くれまさ丁福島丁
岩倉丁下槙丁材木丁一町目より六丁目まで新肴場中の橋おが町柾木丁狩野新道さや丁
ニて焼留る東ハ八町堀九鬼大隅守様御屋敷松平中務少輔様御類焼 神田新白銀丁
ぬし町松下丁代地北島丁岡崎丁南北御組屋敷不残亀島丁同橋焼る水谷丁
紺屋丁代地金六丁日比谷丁幸丁長沢丁永島丁大通り家根屋町与力丁本八丁堀
代地比辺不残焼る松平越中守様御屋敷焼残る松屋丁本八丁ぼり一町目より五町目迄
平一面ニ焼る中の橋落る南八町堀二丁目■松平右近将監様■伊井掃部頭様
堀田式部様堀田主悦様松平内匠頭様御屋敷ニて留る又一口ハ本八丁堀高橋並ニ
鉄砲州稲荷橋同稲荷社焼る本湊町■松平阿波守様御類焼船松町一町目二丁目
川通り不残細川能登守様御屋敷松平長門守様御やしき焼のこる同十軒町ニて
焼止るなり七日未の刻より翌日辰ノ刻迄凡十時の間人々おどろく事
いふもさらなり男女ニけが有事不知数前代見もんの種と書印也
時節当来といへども翌九日酉の初刻南風甚々発して日本橋桧物丁
より出火ニて数寄屋丁元大工町三崎長屋川岸通り呉服町二丁両川岸通
跡火ハ上槙丁北側より通四丁目西側一町目まで焼る日本橋御高札場
焼残るま事ニ目もあてられぬ次第なり "		

火事 N107

京都大火大功記十段目抜文句

不明 31.5×45

		
"古めかしく候得共
京都大火大功記十段目秡文句
しあんなげ首かり家建る人
はや本国引き為へ奉公人衆
あらわれ出たる長浪人衆
聞ゆる物音心得たりと御固の人々
末世の記録ニのこしてたへ焼絵つ
行方しれすなりにけり品もの焼あと
女童のしる事にあらす町々のうわさ
浜手の方に陳所をかまへふしみ御かため
操のかかミくもりなき祇園の御旅所
是 今世のいとまこひ家を出る時
ぬきあしさし足うかがいよる蛤御門
たかひの身のしやわせ焼残りの人々
あたりまバゆき出立は御かため交代の人
左様なれは御遠慮なしに同居する人々
詞はゆるかぬ大はん石 御築内
百万石にもまさるそよいろいろ施行出ス人
おかむわいのと手を合セ見舞に来る人に
心残りの無イように焼残うり払 田舎へ行人
残念至極とばかりにて祇園山の角力
他家縁付して下され四条両側のしはい
追々 都へはせのほる諸国よりのほる材木
一心変せぬゆうきの眼色烏丸下立売天満宮のこま犬
ところ云内時こくがのひる道具かた付る人
われ又 孫呉のひじょゆつを尽し手細工に小屋建る人
御恩は海山かへかたし御救米
印ハ目前これを見よ西山のかかり火
目出たい目出たい家内にけかの無イの "		

火事 N108

羽後国飽海郡坂田港 火防行列之図

不明 31.5×104


火事 N109

防火戯詞(仮)

不明 19.5×27

		
"{一段目}江土火元之姓本国尾張
大火ケンノンノ
大事
大焼軍火出の
一難焼多分火
言の末流地雷
災由井焼失の
後損
屋ケ多号
火元之大焼後称明暦炎-焼次初明和九郎後火前守改-焼為火後守実ハ文化寅之助-焼増-米高粉丸
{二段}○かじ出し御門外
文政十二丑年三月火督
おじひ少将
江土火多守焼増
御内室佐久間尾張守火元娘
天上青空屋根ナシノ篭
拝領ニギリメシ
酉辰寅丑九月産婦病人命ノ御暇
{指物の説明}二本はしら火の中にならぶ
銀火らしや
押地こんや丁つくた島火も
御嫡江土粉丸米高
御内室八ツ戸甲斐守喰増娘
{指物の説明}いいつらの皮かぶり
一本鼻の先にたつ
駕もんせきかじの茶五ツ前
時炎上
三月霊岸島の人死船町の焼魚
土蔵の火入高直の草鞋
柳原の時変昼中御救小屋夜け間男
{三段目}火老
焼中阿武内
逃迷三郎
命野内記
屋ツ戸逃太
一石落内
側用心
大橋残ツ太
用人
飛火隼人
目ツ谷啓内
十時昼弥
明方喜右衛門
芝口留太郎
籾蔵矢毛太
火掛り五九郎
高水丸太
三座焼太夫
付
火消越前
添役
橋落安房手之助
逃田沙汰郎
御城使
金銀入ル兵衛
類焼宗
火のつきじ 本願寺
類焼高江戸下町一円焼之どふしやう小屋掛之住主
明暦三酉年正月江土大変大火以来百七年目ニ当り明和九
辰年二月二十九日目黒行人坂ヨリ大火又三十五年後文化
三寅年三月四日高輪牛町ヨリ大火又二十四年後文政
十二丑年三月二十一日神田佐久間町ヨリ及大火
当時 江土火多守以後禁之 "		

火事 N110

火用道具

不明 15×42

		
"{前欠}
火用道具
龍吐水一番上代一貫目同中代七百目
同二番上代七百目同中代五百五十目
同三番上代五百目同中代三百八十目
半龍水上代三百目中代二百五十目
六龍水二人遣ひ五尺五寸代七十目
同一番五尺代五十八匁
同二番四尺五寸代四十八匁
同三番四尺代三十八匁
同四番三尺五寸代三十目
生龍水三尺金筒代六十目同木筒代四十五匁
同二尺八寸金筒代五十目同木筒代三十八匁
同二尺五寸金筒代四十五匁同木筒代三十五匁
同 二尺木筒代二十五匁
同 一尺八寸同代十八匁
同一尺三寸同代七匁五分一尺一寸同代六匁
以上
本家 水鉄砲細工所
京寺町通五条上ル西
細工人平井権七 "		

火事 N111

火事道化(仮)

不明 21×28

		
"ゆうぜいいん
つくかねの
なるよりはやく
みなとび火
しこそつなりて
はらとなりぬる
かわらのさだいじん
みちのはた
たんすもちだし
かしゆへに
ミなゆきすてて
われならなくに
くわうくわう天わう
しうのため
やけのにいでて
はいをかき
わがこづかひに
くぎをうりつつ
中なごんゆきひら
たちいでて
にげるもみんな
火じゆへぞ
のこるときかバ
またかへりこん
文やのやすひで
ふくからに
西北風が
つよけれバ
むしやうに火事ハ
やけしといふらん
大江のちさと
やけぬれバ
ひびに
ものこそ
かなしけれ
わがみひとつの
やけニハあらねど
くわんけ
このたびハ
なにとりあへず
はいをかき
こやがけたてて
かりのまにあい
三でうのうだいじん
なにしあふ
やけののはらで
あめやくわし
人にかくれて
うるよしもがな
中なごん
かねすけ
からつ原
のこりて
そとハかんだ川
いづミばしこそ
おちにけるかな
ミなもとの
むねゆきあそん
山のてハまこと
にぎやかまさりける
人もわがみも
こすとおもへバ
きのとものり
しかたなく
ひとりするよの
ばんにんハ
じつこころなく
はらのへるらん
けんとうこう
あハれともいふべき
人ハおこやいり
みをおとしても
かせぐべきかな
元よししんおう
わびことの
できたも
みんな火事
ゆへぞ
身をつくしても
ださんとぞおもふ
ふじはらの
よしたか
きみがため
おしからざりし
いのちでも
火じのときにハ
にげにけるかな
うだいしやう
みちつなのはは
なげきつつ
ひとりぬるよの
こやがけハ
いかに久しき
ものとかハしる
せいせうなごん
よをこめて
とりのなく
まで
めをさまし
どうくのばんハ
こころゆるさじ
左京大夫みちまさ
今ハただ
火じのはなしで
日をくらし
人よりあふて
いふよしもがな
さきの大そう正
ぎやうそん
もろともに
あハれとおもへ
やけしにん
あなよりほかに
いるとこハなし
三でうのいん
こころにも
あらぬうき
よに
丸やけハ
こいしかるべき
わがきないかな
のういんほうし
あらしふく
ひのての
くるが
おそろしや
かんだの川も
にしきなりけり
ごとくだいじさ大じん
ほつといき
やけつるかたを
ながむれバ
ただあけがたに
はいぞのこれる
たういんほうし
おもひだしさても
いのちハたす
かれど
くらのおちたで
なみだなりけり
さいぎやうほうし
なげきつつ
つきやハ
うすをころが
して
あふなそふなか
わがとどもかな
じゆんとく
いん
ももひきも
はかず
はだしで
にげいだし
なをうらめしき
火もとなりけり
{奥に異筆}火事道化、江戸市民ノ酒脱ナル気風ヲヨク表ハセリ "		

火事 N112

ふれ出し風の薬

不明 18.5×24.5

		
"{前欠}
ふれ出し
風邪の薬
▲昼夜に一廻り 五百文
▲半廻り代 二百五十文
▲一時分代 四十八文
▲抑此御役法ハ上々よりおこり下々のうれひをのぞき
第一火の元のわざハひの手あてなりおこたりなく割竹
かなぼう引つづけ土蔵六腑のかわきをさり後にハ安気
おさまる事妙なり此役法金銀入用をいとハず多く
人数をもつて詰きり候ハハいかほどむづかしき風なり
とも少しも気遣なし
▲一廻り昼夜たへまなく十二時に用ゆはけしき風にハ拍子木を
くハひてよし
禁物
▲酒ハ少しも無用▲鉄棒廻り候節拍子をとり又ハかけ■ならす
▲碁打棋ならず▲居ねむり無用なり
▲家のわるきによしかまど其外火所へ念を入べし明家ハ別して
心付べしはげ敷風にハ龍吐水用ゆ大火渡世の者ハ大切に心付
べし夜商人五ツ時かぎるべし
▲猶又空の色かハり候程に風つよく候ハハ別して守方大切にして拍子
木打つき候時ハ大切ニこけら茅屋根ひさしへ水上用心してよし
触次所
京室町通り東がわ角内田志屋告右衛門
木カタ日本橋通り西がわ拍子木屋成太郎
江戸照ふらす丁大喜仁五九郎
製法所   自身番丁日比野玄十製
{袖に異筆}読売滑稽
{奥に異筆}火事ニ対スル心得ヲ滑稽ニ書キタルモノ
江戸市民ノ洒脱ナル気風ヲヨク表ハセリ "		

火事 N113

地震之用心火乃用心

不明 30×39

		
"地震之用心火乃用心
{柱}この用心書を目につく所にはりおき日々用心する方は地しんと火事の災難を免れ玉ふべし版元東京市下谷区下根岸町二十五番地石井方伊勢辰立退所
{右側}地震之用心
地形もり土やおき土の上に住む人は地震の時にあぶないと知れ
建築 細柱瓦のやねに大かぐらあだま勝なる家ぞあぶなき
火元火鉢ガスすべて火の元厳重にまツさきに消せ地震する時
あわて平日の用心足らぬあわて者瓦に打たれ塀に潰さる
津波来る時は地震間もなく来るものぞ津波津波といつまて怖る
震返ゆり返し本ゆりよりは小さいもの鯰でツかち尻ツこけなり
逃場 頑丈な長火鉢なとを盾にとれまさかの時も出るにはまさる
二階 棟の下に三角の明きあれバこそ二階のけがは下よりは無し
薬品リウサンに塩酸キハツ油なと火を出すものはころばさぬやう
避難 屋外にさけるに越すハなけれども其の時々の程に従へ
{左側}火乃用心
主人風呂だんろ煙突なとの火の元は主人自ら吟味なされよ
風向 考へず無茶に飛出す上ケ句也風向と地理でなんぎするのは
ポンプ万両の御輿を造る金有らば小さいぽんぷを各町におけ
用水泉水や掘井戸有らば潰さずに永く火防の神と仰がん
非常袋ろうそくにマツチ提灯大風呂敷 細子を入れて長押にかけおけ
生命 昔から生命あつての物たねといふハ真実ぞ見限り大切
宝物ヤレ土蔵ヤレ金庫といふものの無二の宝は身につけて出よ
持出常々に目につくやうにきめておく非常持出す物は何々
身支度身支度はたびにざうりにかぶり物手にのみ水か氷砂糖か
電線うろたいて電燈線に引かかり凧のまねして命とらるな
{袖}根岸二松軒案 "		

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