珍事奇談



珍事奇談 N001

文化十年渡来の象の図(仮)

文化10年(1813) 33×45.5

		
"文化十年酉六月二十七日入津ヲランダ船ヨリ連渡
象歳五才 高サ六尺五寸
頭ヨリ尾際迄七尺 前足三尺
後足 二尺五寸足巡リ二尺五寸
鼻長サ三尺五寸 尾長サ四尺五寸
牙二寸計生
出所
ベンガラ "		

珍事奇談 N002

おとしばなし

文政7年(1824) 23×62

		
"さけをこのミてあく事なき是をぼうといふ色をこのミてたしなむ事
をしらぬ是をらんといふ人として酒色の道ハつつしまずんバ有べか
らずここに下野のくに佐ののほとりに上のむらに高橋源介と
いへるハ世々太守よりたいとうめうじをゆるされける妻ハおしづと
いいてミめかたちうつくしく都人のことく紅白のふんをもつてせざれ
とも色しろくきやらの油をもちゐざれどもかミくろく夫を
うやまい我子をいつくしミこころさまやさしき事ハおしてしり給
べしそのむらに安兵衛といへるハそのおしづがかほよきにまよひ
おりを得てハその事をいいいるれどもおしづハたたやなぎながしにいい
のがれけれどもさらにやむときなくあるよ源介がるすをうかが
ひ今ハ二ツ一ツのへんじきかはやかうしやうにののしれバおしづハにつことわら
いかほよ御ぜんのいへるが事く我つまならでつまハあらじとこたへけれバ
安兵衛もことバなくざしきしらけわかれけりさてしりぞきてかへ
り見るに源介この世にあるゆへに我のぞミかなハざりきとたちまち悪
ねんぞうちやうしてあるよ源介がかへるをまちふせしてこへをもかけ
ずうしろよりたた一トうちにきりかけてとどめさしてにけうせしハことし
より七ねんいぜんの事なるよしここに又妻のおしづハ我ゆへつまをころ
せしとままならぬ世をかなしミて一子宇一郎にその事をものかたり
してつゐにろうがいのやまいとなりてミまかりけりさても宇一郎ハぞ([ママ])の
としようやく十二才なれとも父母のあたハともにてんをいたたかずとハ
おもへどつらきこうでのミしをとつてけんじゆつのけゐこに心をゆだね
ある事すべて五年がそのあいだハふでとりてしるすようもなくつゐに
いぬるとしハ十七才になりぬれバ本望たつするとききたれりと其
うからやからの人々にいとまごひしてすミなれしふる里をたち
いでしハいぬるとし七月の事なるよしさて宇一郎ハ人しらぬせん
しんばんくしてしよこくをへめぐりてこのあきより江戸にあしをとどめ
かたき安兵へ足袋を縫しよくぶんの事をきき及びぬれバたびやく
をたづねあるくうちことし十月九日ひるときすき四谷しほ町
へんにて見あたりまがうようもなき安兵へなれども 君幸の
ひからをおそれあくる十日のたそがれにまち受けれバ安兵へうか
うかと出きたりしをこへかけしかしかといいきかせなんじハ無刀の事なれバ
とてたいしたるわきさしをもたせそのミ刀をぬきはなし二タうち
三うち切あへども安兵へかなハずにけあしせしをにかさしと両足
を切たおしととめさしている所へはせきたる町やくの人々仇うちの
事をものかたりして其町ほうのれいにまかせあふやけのおん
おきてをまつのミ也そのれつぎなる事をもろ人こぞつてかんしけり"		

珍事奇談 N003

神童奇産物語

文政9年(1826) 25×34

		
"蒼々(そうそう)たる姑射の松化(まつけ)して 約(しやくやく)の美人(びじん)と顕(あらわ)
れ珊々(さんさん)たる羅浮山(らふさん)の梅夢に清麗(せいれい)の佳(か)
人となる皆(ミな)是遠(とを)き漢土(からつち)の奇説(きせつ)なり
といへども千歳(せんさい)木の精(せい)すら此(かく)の如(ごと)し況(いわん)
や我(わが)国葦原(あしわら)の昔(むか)し伊壮■(いさなき)伊壮(いさな)
母(ミ)の尊(ミこと)の二神天(あま)の浮橋の上にして
始(はじめ)て男女夫婦(ふうふ)の道(ミち)開(ひ)らけ始りて
より人として男ハ婦(ふ)をめとり女ハ夫(おつと)に
かしづきてこそ子孫(しそん)ハ永く其家国を
保(たも)つなれ古(いに)し永禄(えいろく)の頃(ころ)がとよ丹波(たんば)の国
に何某(なにがし)の娘(むすめ)とて未(いま)だ七才にして子を生(う)む
其子男子にて成長(せいてう)し百余才の長寿(てう)を保(たも)ちけるを其頃(ころ)奇異(きい)
の事(こと)也とて領主(りやうしゅ)へ訴(うつた)へ御検議(けんぎ)の上生涯(せうがい)御扶持(ふち)を為りしとかや茲(ここ)に
此度(このたび)文政九年の只今(ただいま)に当(あた)りて一ツの奇談(きだん)あり処ハ下総の国(くに)
相馬郡土浦領藤代宿(ふぢしろしゅく)といふ処(ところ)の百姓久右衛門といふ者生質篤(とく)
実(じつ)廉直(れんちよく)にして農業(かぎやう)におこたりなく常(つね)に神仏を尊信(しんかう)し領主
村司等(やくにんとう)迄尊教(そんきやう)し平生(へいぜい)慈悲(じひ)の心深く天性(てんせい)の善心なりしが同
類相求(どうるいあいよ)るの譬(たとへ)の如(こと)く妻(つま)よのなる者も夫(おつと)に斉(ひと)しき志なりけれバ
所の人にもよきに敬(うやまハ)れけるが正路(せうろ)にして衰(おとろ)へるハ人間の習(なら)ひニて
其家(いへ) 極(きわめ)て貧しくして朝夕の煙(けふり)さへかすかに立かね夫婦只清貧(せいひん)
にくらしける妻(つま)のよの二十才の時一人の娘をもふけ名(な)をとやと
なづけひとり子(こ)の事(こと)なれば寵愛(てうあい)し甚だ他(た)に正(まさ)り掌中の玉(たま)と
蝶(てう)よ花(はな)よといつくしみけるがこのむすめ奇代の美人(びじん)にして
其上(そのうへ)生得(せうとく)麗利(れいり)にして年の頃(ころ)よりハまして聡明(そうめい)なりけるがここに一ツの"		

		
"不審(ふしん)あり五才の年にして初て経水(けいすい)を見る事世(よ)の常(つね)の婦人の如し
二親奇異(ふたおやきい)の思(おもい)をなしける内当年(とうねん)申の年八才にして男子を出(しゅつ)
生(しょう)す其日九月三日申(さる)の日也年も申の年申(さる)の日出生の刻限則(こくけんすなわち)
ウの刻(こく)也母子(ぼし)壮(すこやか)にして玉(たま)の如(ごと)き男子(だんし)也近郷(きんごう)の人々つどい来(きた)
りて其故ヲ問ふに平生(せい)何(なん)の変(かハ)る事なく去年来より月水ミる事
なくいかなる事と思ふ内日をおい月を重(かさ)ね腹(はら)の様子(ようす)大きくなり
専(もつは)ら妊娠(にんしん)のよふに見へける故いかなる事と色々すかし問けれども
許(もと)より小児の事故(ゆえ)何(なに)のわずらへる事もなく壮(すこ)やかに遊(あそ)びくらしける
未(いま)だ八才の幼児(おさなご)なれば何(いづ)れの男子と戯(たわむ)れ事致せしなどいふ
事はさらになけれバ両親(ふたおや)はじめ村長の者も余(あま)りふ審に絶かね
此旨(むね)領主(りょうしゅ)御役所へ訴へける色々御評議(ごひょうぎ)有之(これあり)出生の小児男子に
あらば早々訴へ可申よし仰渡(おおせわた)されける処(ところ)即(すなわち)当三日誠(まこと)に軽軽(かるがる)と
平産あり出生男子なれば此旨(むね)土浦(つちうら)御領主様(りょうしゅさま)御役所へ訴へ
申上けるにより早速(さっそく)久左衛門夫婦(ふうふ)被召呼段々御尋(おたた)之上御役人方各久左衛門宅(たく)へ御越
委細(いさい)御見分(けんぶん)の上御上より産着(うぶぎ)小袖一重(かさ)ね金子等被下(くだされ)尤大切(せつ)ニ養育(よういく)可致旨夫
婦の元へ被仰渡ける出生の小児其折(おり)からハ至(いたつ)て小(ちいさ)くありしが肥立(ひだつ)につれ
常の赤子にまして大きく目ざしさとく啼声(なきこへ)壮やかに至(いたつ)て
実性(じつセう)の様子也誠(まこと)に不思議と云うべし此娘未(いま)だ男女の
交(まじわ)りにしらず子を生(うめ)る事只(たた)事にあらず親(おや)久左衛門
夫婦平生(わぐ)の廉直(れんちよく)天に通(つふ)し天より陰徳(いんとく)を下し
娘にかかる英児(えいし)を授(さつ)け為ふ物が此児(こ)先年
丹波(たんば)の伊葉の例(ためし)を引ハ百年に長(てう)寿を
保(たも)ち行末(ゆくすえ)長(なが)く繁昌(はんセう)奇随(きずい)疑(うたか)ふ
へからず近郷近在聞伝(つた)へ祝物(■■し)をたつさへ
此児(ちご)を見ニくるもの多く久左衛門思わぬ
引物を得て忽(たちま)ち福公(ふくかう)の身となりしよし
此一談(だん)ハ天性(てんせい)不■の物語(かたり)故近(きん)郷の人ハ
見聞もあらんなれと他郷(たごう)の人ハ聞にもれ
為ん事の本意(ほんい)なく即(すなわち)是を二枚(まい)摺の紙に綴(つつり)写(うつ)して遠邦(をんこく)の土産(ミやげ)に備るのみ
下"		

珍事奇談 N004

読売心中ばなし

弘化4年(1847) 22.5×59

		
"夫人として忠孝なきハ
人にあらず信義五常道
かんようなりといへとも
恋しこそ忠孝をう
しなへ其身を亡しつつ
しむべき第一也こつに弘化四未年
五月六日神田かじ町八百屋
娘ニておひさ十七才ニ相成同
町肴や娘おちか十九才相成
いつミ町酒や娘おてつ十八才
相成右三人とも平常共中能
常盤津けいこほう輩ニて同
けいこ参り小間物屋徳兵衛とゆふ
者八百や娘おひさとハひたしき
中なりといへどもたかへにゑん慮そしたり
ける処右おてつ其中立いたし二人とも
わりなき中とハなりにけり段々と積
恋しの其中に誠以いつとなく三人とも
徳兵衛とゑんりやうもはしもうち捨て
水ももらさぬ中となり五月御節句事
なれハ稽古の御師匠様江礼に行
三人ともあいうちとけて積はなしの
其中に徳兵衛参りおやと顔ハ
かほと顔たがいに見やハせ嬉
しなミたの其中にあすハ女の
節句なりかんをん様かい帳
江明六日うちよりひまをもらひ
芝居こそ行ニけり徳兵衛も
同道ニて芝居参りかへりに
馬道辺の料理茶屋上りうち明てはなし咄しの嬉
しなき三人ニてハとうてそハれぬ悪ゑんとあきらめ
てみてもあきらめすたかいにたかいに時をそうつしけり
時刻もおくれうち江帰りかおそなり三人ともとうそ
徳兵衛さんうちへ行のがおそるるなりわひ事して
内江入ておくれとたのミけり徳兵衛ハわたしにハ参り
にくく外人を御たのミ被成とそ申けるもことハりなり夫
より其茶屋出徳兵衛ハわかれとうそ御三人御うちへ御帰り
と申てそわかれけり三人は徳兵衛にハわかれけり只うつ
らうつらとうちへ帰るけしきもなく只ないて計りそ
あるきけり夫より吾妻橋うち渡三人ともにいいつつハはし
さへも吾妻有ハそばにハわたしあ■■■([虫喰])向うハ
めうと石有はしやいしさへも夫婦有のに此三人
ハ夫のもたれぬいんかなるいかなる前世約束かと只目を
はらしなきむせぶ斗なり夫より大川橋うちあるき三
人ともいきてかいなき此身なりしあんをきめて
いたりけり三人のもの宿ニてハ其夜のそう
とう大かたならす鐘や大いこてさかし
けり親類または長屋の者手わけ
してそわかり兼其親々のあんしハ
いか計や不孝とハいいなから恋じ
の道のやるせなく三人とも手ニ手ヲ
取てもろともニみたの浄土はすの
うてなの旅立は宮戸川のつゆと
そなりにけり夫に付テも男女八才に
して同席ヲせす申事也何様の事も
有らハ其親々の苦労いか計や不孝
の第一也つつしむへし猶幼章の教訓
ニも相成んと貴君へ高覧ニ備んのミ"		

珍事奇談 N005

諸国の奇談(仮)

弘化4年(1847) 24.5×31.5

		
"三月二十六日夜
小阿ミ丁辺ニて
十一才のむすめ
男子を
うむ
外に
青山長者
まるにて
百姓の女房
狐の子を
二疋うむ
四月上旬
紀州様御領分
にて
七ケ村地さがる
同奥州
仙たいの
わうらいすじ
すこし
ひくくなる
四月のはじめ頃
三州やはぎのはしの
本にてゆう女を捨おく
是も■■のわざなるか
四月中旬ゑちぜん
丸岡にてほら出て
一里ほどの
ぬまできる
正月十三日の
夜丹後国
宮津の村
むぎばたけ
おしあげ
大山出来ル
並大石を
いだす
三
月
二十四日信州
大じしん
火事
洪水
人多く
シ
す "		

珍事奇談 N006

小金井村おかんの継子殺し(仮)

嘉永7年(1854) 24×31

		
"頃ハ嘉永七年四月
上旬武州小金井
在百姓庄右衛門
後妻おくわん
いふもの常々にまま
むすめ七才になり
ケるをしやケんにいたし
手ならいにつかハし跡より
どく弁当を持行あ
たゑんとせしがししやう
これをあたへすとくと
せんさくし立もどらせんと
右むすめをかへさず留おきしが心なき小児事ゆへ
いつの間にやら立ちもとりしが大がまにゆをわかし
いたりしがむすめをとりおさへむざんやゆの中へ
うちこミしらぬ体にいたしケるが手ならいし
しやう跡よりきたり取しらべただならぬやうすな
れ此よし庄屋へとどけいろいろせんさくいたしケるところとうとうなまこをかまゆでに
いたしケるよしつふさに相わかりけるとかや
よつて一紙にのべ高らんに備るなり"		

珍事奇談 N007

浜田御城下旧鼠之一説

安政2年(1855) 27.5×40

		
"石州那賀郡浜田御城下旧鼠之一説(きうそのいつせつ)
夫天下泰平国家安穏弓ハ
袋に太刀ハ鞘治る 御代は
大君の御威徳奉仰下万民
に至る迄枕を高ふして国も豊
に万歳を唱ふそが中にも少の
小災(こさい)ハある物也是天の成(なせ)る所なり
就中(なかんつく)去寅年夏冬(かとう)の地震(しん)有
茲(ここ)に又柳の災(わざわい)あり其故ハ石州
浜田侯の御領分ニ当春頃より鼠
夥(おびただ)しくわき出しかも其大きさ宛(あたか)も
猫(ねこ)のごとく其来由を尋に沖中白波うづ
たかく鰯(いわし)の集りたるごとくなりケれハ漁師(りやうし)
網を入磯部(いそべ)へ引あげ見れバ魚にあらず大き
なる鼠ニて四足とも水かきあり夫より追々弥増(いやまし)
終(つい)に其数(かず)幾(いく)万といふかぎりなし少々田地等
もあらし又ハ白昼(はくちゅう)ニ往還(わうくハん)へ出てややもすれ
バ往来(わうらい)の人に喰つかんとすありさまさ
もおそろしくかるがゆえに国守より御下知(げち)
有て家別ニ人そくをいだし右鼠かりを
被仰付候所凡二十四万九千疋余うち
ころし候へ共一向へらすそれゆへ
又国守より御家中へ命(めい)じて退(たい)治の
義被仰付ニて又三十万余都合ニて
五十五万余疋打ころしたりといへども
中々絶(たへ)る事なくやはり以ぜんの
如くなるよしあまりめづらしき
事ゆへ聞書の通り板行(はんかう)ニ著(あらハし)
候ものなり
安政二卯八月大新板"		

珍事奇談 N008

新吉原の怪談(仮)

安政4年(1857) 23×28.5

		
"干時安政四巳年
五月なかごろ新吉
岡([ママ])■■([虫喰])とかやよなよな
ふしぎあることたひたひ
なりといへども昔うハさ
咄シにききし箱根より
ほかニようかいハなしといへども
ここニふしきのことあり
たひたひ害ありといへども
とちうにてかへるものあればうた
がう人ありてある夜
三人にてあがりけるに
わかいものこの三人をもてなし
やりてしんぞうまでもよろこび
客ニそのままあかりぬそれより
酒肴もちろん芸者をあげそれより
三人とも床いりしところへ女むやミと
そでをしきけれバきやくハまこと
になりこれさそこおはなし■([虫喰])しろ{以下欠} "		

珍事奇談 N009

文久新板都繁栄百不思議初編

文久1年(1861) 24×34

		
"文久新板都繁栄百不思議初編
六角白木や某所持の
馬の画のうけもの天明の
大火に焼失す馬ハ
ぬけ出し今ニあり
真事ニふしき也あたひ千金
ぎをんかぐら所には鳥のついたて
あり近年ぬけいづるとて金の
あミがはれし事真ニふしぎなり
きたの天まんぐうの井戸やかた
ひわたふきにきよはいあり
外にるいなく日本一也
東とういん姉小路上ル町車よけに
青き海石あり五寸四方の穴有
年中水のたゆる事なし妙也
すわの町万寿寺下ル町地蔵さまづし
仏三たいなり天明の火災をのかれまた
安政の大火にのこり給ふ事ふしぎ也
松原愛覚寺に北条の両六はらの
陣門有矢のかへし穴あり凡六百年火さい
なく市中にハめづらしき古門なり
東六条山門の戸びら天明八年大火ニ
残り文政六年火之上に残安政午の
としの火に残りおなし戸びらか三度残りし也
けんにんじだらにのうねハかも川葉
下ルふちよりありかし事きめう也
ぬまんじのかねハすまでらのかね也
東大たに御ひよう所のうへにとら石あ
り風雨はけしき夜渡事あり世に
渡とらといふ真事奇妙ふしぎ也
おいけ高くらの南東むきかべに
破風と火灯口がありなんのために
こしらへてあるやらふしぎ也
高だいじ表門ニ狐のほりもの有たり
甚五郎さいく也近辺の若者か石
をあてけれハ其夜より狐つきし也
さめかい魚のたな上ル丁
井戸若狭より南都
二月堂へ行水此井戸にて
休なり其間水あふれる也
きよ水寺にけいあんたいへいき京年の
大将加藤一右衛門惣各三郎兵へか上し
絵馬今ニあり
姉こうじ両かへ町の辻に
石の四ツ橋あり
ふしぎなり
五条富小路西きようじやの家一けん
大ぶつ石かけまへ上ル町かしわやとゆう
やどやの家此二けんきをんの地也
四条小ばしの詰に門あり妙也寺町
仏光寺南に唐水ごてんろちしんか
のちのちてつぼう有寿妙也
一のはしたきをのはいでんの天井に
金五百両にて彫上し龍か釣て
ありねつから人の目に付でふしぎ也
まつ原六はらでら表門北むきなり
宇治平等いん北むき也この北向ハ
日本に此二所より外になし妙也
きよミづでらおくのゐんのせつちんハ
おつつじのかたちなり奇めうな
せつちんかあるもの也
四条ほり川の辻
はしか一ツ風呂やか二けん床か
三げん通りか四条五(ご)りせうハ六(む)かし
もいまもあらたな七(なな)つじいなりさま
むかいに八ツはしやト一から八まで
ようそろうて真事ニふしぎ也
三条と五条の引あたりに両かへや有
五条と伏見すみ染ト一りのあいだ有
むかひ同しに宿や有きめう也
知おん院山門の下ニ井戸あり
三条にかじ家迄弁けいの長刀を打時
此いどの水を湯かげんにもちいし也"		

珍事奇談 N010

諸国の奇談(仮)

不明 24.5×31.5

		
"或書ニ丙午丁未ハつつしむ事あるへしと書たり扨も世にハ珍らし
とばかり七ツあるないよふに聖人是をいましめ置玉ふ▲ここにくるハ
江戸町二丁目海老やと申大見せのかかへ遊女光扇といふ十七才ニなる
全盛当四月はじめの頃年頃七十歳位に相成候老僧と同道
致シ三州矢はぎの橋の本ニてそばやありけるが其内の二階へ右之老
僧ハかの遊女たのむと計りいいすて姿わきへてうせニける此女むごんなり
いつかふにわけしれず依之御奉行所様へ御届けニ相成申候由なり
扨又東海道筋へも年屋宿おゐて九州方西国方侍両人御一騎打けんくわト
相成勝はいわしれず此事ハ其地ニて御聞たもふべしとかや
▲又小阿ミ町ニハ舟宿渡世の者ありしか此者十一才にて男子
を産なり是ハ三月二十六日の夜の事也▲又おなじ頃に青山ニハ
長者が丸と申所のたんぼの出はづれにて百姓ごん太郎が女房
狐の子をはらミて二疋うミしといふ▲扨又神田今川ばし辺にてハ
十六才より十九才迄の女共大川へ身なげせしといふ其次第口あらず
▲扨又ゑちぜんの国丸岡にてハ四月中ば頃大あらしにてやまより
ほらの貝をすまんと出てどろを吹出シ一里間大泥となる▲又奥
州仙台様御領分海道往来筋地面少々ひくくなりし也▲扨又
丹後国宮津にてハ当正月十三日夜麦畑を押あげ一夜の内
高サ八丈余程の山出来る也▲又々紀州様御領分にてハ春七ケ村ほど
地面ひくくなる也▲又五日島原においてろう人三十人計つかる者召取ト相成
▲扨又三月二十四日五六日信州大地震けが人三万余手負五万人程と
申也其後又二十七八九日越後国度々じしんニて山畑をあれくづし洪水あぶれ
人多く損ず▲又毎夜毎夜五ツ半頃善光寺如来星となり西之方ニ出候也
大地震ニてなんじうの物共へハ御上様より御救被下候ありがたき事也"		

珍事奇談 N011

代略話

不明 24×32

		
"■代略話
神武天皇ヨリ正保四年迄是より
慶安四 同二年武州川越に大あられふる
同四年正雪忠弥ちうせらるる
承応三 同元年二月六条通じゆう
焼ける同二年琉球人江戸へ来る
明暦三 同元年てうせん人来る同二年正月赤き雲西の方に出る同三年十八九日丸山大火十万八千人死す回向院できける
万治三 同元年日本ばし
はじめてかかる也同二年神田川ほりわり江戸両国ばしかかる
寛文十二 同元年正月京大火同二年五月大じしん三月六日より二十日迄月日いろ赤し同四年四月京大佛木ぞうに改む同十年八月大坂大火死す人多し
延宝八 同元年五月九日京大火同二年巾一丈ばかりのくろ雲出る同三年はるききん
天和三 同元年日れん上人四百年忌 同二年八月七日八百やお七火刑同三年越後ニて ひびと云けものをとる
貞享四 同元年こよミをあらためる同二年二月二十二日流星東より西へとぶ同三年和田大八大矢殺し
元禄十五 同八年江戸永代はしかかる同十五年十二月赤穂義士四十七人吉良ニうち入
宝永七 同三年江戸根づごんげん立四年富士山やけるそれより宝永山できる同五年綱吉公ほうず
正徳五 同元年正月七日てうせん人江戸にきたる
享保二十 同三年火消人足改同七年江戸町家ハ土蔵造初る同十六年江戸大火かんろふる
元文五 同元年きんぎんふきかえ初る同二年家治公御たんじよう
寛保三 同二年大あめふりつづき東国大水ニて死人多し
享延([ママ])四 同二年江戸大火同三年大坂大火 
寛延三 同二年八月江戸大ミず
宝暦十三 同十年江戸大火同十一年六月八日家重公御たたかへ同十二年六月大坂大雷
明和八 同三年七月大坂ゆきふる
安永九 同元年江戸大火ぎようにん坂より出火同二年七月大風あめふりつつき大水
天明八 同二年江戸大ぢしん同三年信州浅間山やける国々砂ふる東国大ききん
寛政十二 同四年五月大坂大火同五年正月大じしん同十二年ふじ山へ女のぼる
享和三 同元年十二月大かミなり天王寺炎上同三年大坂はしか大ひにはやる
文化十四 同三年三月四日高輪かし町より出火同四年深川八まん大祭
永代ばし落る死人多し同九年下総にて八才の女、子をうむ
文政十二 同十一年八月九州大つなミ家ながるる同十二年
三月二十一日江戸大火死人おおし
天保十四 同五年二月七日江戸大火同七年百日のあいだ大雨同八年大塩平八ぼうどう大坂をさわがする
弘化四 同二年江戸大火人多く死す同三年ひのへ午年の大火
嘉永六 同元年異国せんうらがへきたる諸大名かいがんへげんぢうにかためる同三年二月五日江戸大火
安政六 同元年京大火同三年八月二十五日江戸大あらしつなミ同二年江戸大じしん死人かづしれづ同五年ころりはやる同六年よりかくこくこうゑき始てはじまる
万延元 元年三月三日江戸大ゆき桜田の事件
文久三 同二年はしかはやる同三年文久銭できる
元治元 去年大坂大火京せんそうあり
慶応三 同元年浅草田原町より出火ニて雷門やける同二年金札できる
明治元 同年ふしミせんそう同上野せんそう此時せうぎたいいくさやぶるる
同二年 江戸東京ト改む奥州せんそう
同三年 大坂こうらいばし鉄きやうになる
同四年 同年五月大風ふく金銀貨つうよう
同五年 太陽暦改正はくらん會始ル
同六年 諸券印紙はじまる
同七年 たいわん国せんそう
同八年
同九年 天皇奥羽へ御巡幸なり
同十年 西国せんそう西郷せんしす
同十一年 大久保利通を要殺す
同十二年 琉球藩をはいし
同十三年 山梨三重京御巡幸あり
同十四年 北海道御巡幸
同十五年 てうせん降る五十万円償金とる
同十六年
■([欠損])
同十七年 第二きようしんはくらん会始る
同十八年 荒川大水せんじ大はし同京ばしもおつる
同十九年
同二十年
同二十一年
{袖}一銭五厘
{奧}一銭五厘
■九年六月一日御届 編輯出版人 下谷御徒士町三丁目十二番地 稲垣多吉"		

珍事奇談 N012

下谷治兵衛弁天信心の奇談(仮)

不明 23.5×32

		
"此度(このたび)下谷(したや)下谷町治兵衛と申者兼々(かねがね)長病にて
取臥居(おり)常々(つねづね)弁(べん)天を信心(しんじん)いたし居(おり)候所是(これ)に
不思議なる事三夜(や)ニ及(およぶ)千住在(ざゐ)奥郷(おくごう)村と申
中に原(はら)あり右之原に白蛇ある事実々(しつしつ)なり
弁才天(てん) 納(おさめ)くれよとの御つげ
あり然(しかる)る上者(うへハ) 私(わたくし)病気之事
故(ゆへ)何卒(なにとぞ) 全快(ぜんくわひ) 仕(つかまつり)候へば
可納由(おさむべくよし)ニて臥拝(ふしおがミ)み
後日(ごにち)親類(しんるい)之内(うち)鉄五郎ト申者
相たのミ彼地(かのち)へ差遣(さしつかわし)候所あんに
不違白蛇あり奇成(きなる)かな左候へば直様(すぐさま)弁(べん)天
に可納訳(わけ)なれ共長病に取臥居(とりふせりおり) 気分者(きぶんハ)
宜敷(よろしく)とも未(いまだ)歩行(ほかう)六ヶ敷候まま延引(ゑんいん)におよびて
且(かつ)ハ白蛇(はくじや)之儀(ぎ)ハ一度(ひとたび)拝(はい)せば開運(かいうん) 出(しゆつ)世と聞(きく)
覚(おぼへ) 依是(これによつて)御信心(しんしん)之御方様へ御目にかけ申候"		

珍事奇談 N013

太宗寺ゑんまの奇談(仮)

不明 31×24

		
"「さてはゑんまのめをとりに
はいる人こそしよこしよこと
よるそろそろめぬきにはいり
やしよ「ソレじやんじやかかんかん
ねんぶつどぼさまにどろぼかしか
られた玉ハはいはいかへしましよ
玉をおいてサアいきなせへ
「さてもよし原いろりでかへりを
わすれていつだけでむすこ
ぶらぶらおかこでかゑりましよ
「ソレなんだかなんだかなんだかけんのんだ
うちでハおやじにしかられてたた
みゑほうほうとてつるてんサア
きがついてきなせへがつかりまへりましよ
「さてもあさくさかんおんさまへ
かいてふまいりがしよこくから大
ぜいぶらぶらならんでまいります
「ソレじやんじやかじやかねんぶつどふば
さまハこどもをひきつれてこむらはうはうとてつるてんおつれも
サアきなせへ三大うらもまいり
ましよチヨチヨンガヨイヤサア
太宗寺ゑんま大王ハぶつし
うんけいのさくなり御丈一丈六尺
目の玉ハ八寸のめがねなれバ
うばいとらんと当三月六日
の夜とふぞくしのびいり
くりぬかんとせしが
たちまち御目より
こうめふはつし
きぜつなし
かた目を
くりぬきて
もち候まま
たをれふしたり
をやの目をぬき又
主のめをぬきあまつさへ
地ごくの大王の目をぬ
かんとなせしにもくぜんに
御ばつをこふむる世の人これに
こりて主おやの目をぬすむるを
つつしミ玉へとおしゑのはしにも
なれかしとひろむることにこそなりけり"		

珍事奇談 N014

山猫退治(仮)

不明 23×31.5

		
"{前欠}扨又ここに大番頭鍋島様此時
小山ことき猪しし一疋飛来り是を
自から手取ニ被遊まことに昔富士ノ
裾野ニ仁田忠常もかくやと計の
御高名也次ニ近藤登之助様世ニも
めづらしき大かみ一疋手おいに
相なり欠来り是を片手ながらに
いけ取たり此時はるか北の方より
土煙りを欠たて数万の勢子を
なやませ乍飛来る毛物有
是をつくづく見るにからだハ虎
ごとく面ハ狐のごとく尾ハ七ツさけて
すさまじき勢イニて欠爪を立て
たち木をたおし其有様龍虎ノ
あれたることく是則チ数千年へたる
山猫成るべし是を三浦之助様
御両人ニて打取真事に前代ミもん也
此時数多高名手柄有之候へ共
余ハ略ス万代ふえき目出たかりケる
御狩なり "		

珍事奇談 N015

さかへるまちひゐきのあらそい

不明 20×27

		
"さかへるまちひゐきのあらそい
さかい町に名たかき中村勘三郎は寛永の
はじめより数代其業打続き三座第一の
やくらにしてひゐきあふき事ハ仁(ひと)々の知り給
ふ所なりいぬるかほ見世より名人のやくしや多く
あつまり群(なか)にも中村歌右衛門ハ下れるはつふたい
よりあたり続きて一幕(ひとつ)もふかくをとらずこれぞ奇
々妙々といふなるべし夫は偖おきことしやよいせつく
よりせゐげんのものぐるいと鹿子道成寺所作事
とを歌右衛門に踊(つとめ)させぬれハ見物山のことくに来り"		

珍事奇談 N016

むかで山のゆらい

不明 18×39.5

		
"むかで山のゆらい
近江国野洲郡、
百足山ハ、むかし、へん
げの大百足すみて、
山を七まきにす
となり、此百足、
ねんぢうまい夜、
せたのりうぐう
じやうにいり、
りうによを
とりくらふ、
りうわう大
きになげき、
たわらとうだ
ひでさと、
せたの
はしを通り
けるとき、りう
神人のすがた
となりて▲
▲ひでさとに
むかひ、むかで
たいぢをたのミ
玉ふ、ひでさと
しやういんす、
やはんすぎより、
百足のあらなミ、百千
万のたいまつのごとく
にて、りうぐうじやうえ
むかふとき、ひでさと、
五人ばりに、十五そくの、
弓矢をもつて、ゐころす、
りう神よろこびの礼と
して、たわら一ツ、おり物
一まき、つりかね一ツ、ひでさ
とに進上す
其鐘いまに石山三井寺にあり
江州せた
大橋長サ
九十六間
此次に
中島あり
小ばし長さ
三十六間
せたの
から橋
より
むか
で山
まで
二里あまり"		

珍事奇談 N017

浅草の不義談(仮)

不明 22.5×31

		
"所ハあさくさ亀おか丁にてくつ
とせゐをいたし候■■清吉と
いへるものまま母すへと年久しく
不義のちぎりいたし深き
中にてありけるを妻のむら
是を心になげき常々
貞女にておつと清吉へいけんなすと
いへども清吉一かふに用ひずますます
ふかき中にて有し内母すへ
くわゐにんして安々と女子
をうミおとし清吉の子の
よしをねにもはぢず
手がらがほにいいふらし兎かく
妻むらをじやまになし
日々のそふどふおおかたならずとなり
近所をさわがす事度々なり
妻是をいきどふり腹立の
あまりうらミをかへさばやと
折ふし出入の弟子に
福井丁にて清二郎といへる
ものをさそひ出し
道にてまくらかわし
ふ義をなし夫婦の
かたらひかたくちぎり
日ごろのしまつくわしく
かたり用心して夫と清吉へ
うらみを返さんと一まづ横はま
さして逃はしる折から清吉より
両人のふ義御うつたへ申上しかバ清二郎
むらともに御めしとりと成し事前代ミもんの
事どもなり"		

珍事奇談 N018

信州善光寺の霊牛(仮)

不明 29.5×40

		
"むかしこの信濃国(しなののくに) 小県(ちひさかた)
郡(こほり)に心(こころ)さかなきをんな
ありある日軒(のき)ばに布(ぬの)
をさらしけるにいつこよりか
牛(うし)一ツいてきてその角(つの)に布(ぬの)を
引(ひき)かけてゆきけりをんなはら
たちてにくきものかな
布(ぬの)をのすミてなににか
するとておひかけて
ゆくに牛もとく
あゆみてつひに
善光(せんくわう)寺に参(まゐ)りけれハ
日ハくれて牛ハかきけすやうにミえす
なりぬされと仏(ほとけ)の光明(くわうミやう)ハひるのことくにて
かの牛のよだりやかて文字のやうにぞ
ミえけるそれをよミみれハ
うしとのミおもひはなちそこの道に
なれをミちびくおのがこころを
となん有けるをんなたちまち
菩提(ぼだい)の心をおこして
そのよハ仏(ほとけ)のミまへに
ミなとなへつつあか
してかの布のゆ
くへを尋(たつね)る
心ハなく家に
かへりてその
わたりの観音(くわんおん)の堂(たう)にも参り
けるにかの布ハゆくりなうその
菩薩(ぼさつ)のみもとにそありける
かかれハ牛と見しハ観音の化(け)
現(げん)にておハしける也けりとて
いよいよ善光寺仏を信(しん)して
めてたき往生(わうじやう)をとけしと
なんその菩薩ハ今に
布引の観音とておハ
すなり是(これ)を世に牛にひか
れて善光寺まゐりとハ
かたりつたへしにこそ"		

珍事奇談 N019

ほうねんの次第 おやかうかうの次第

不明 23.5×32.5

		
"ほうねんの次第 上
上酒小売
此度上州ぬまた大いり村百姓甚八せかれ
三之介むまれつき正しきにしてめつらしきおやかうかう
なり内ニて酒の小うりをいたし日ましニはんしやう
なる所ニ去冬下り酒おふく仕入置此さけ何とか
いたしあしわひわるく成おやのねたり候めらしきかい酒
この金子ニもこまりとほうにくれいたりけるに当正月元日ノ
夜いつくともなく誠ニうつくしき人二合五夕いり
ほとのへうたんをもちさけかいニ来り銭三百文
出しけれハ元より正直なる三之助此ふくへの中へ
なかなか一升とも入へきよふなしと申けれハ
何にもせよ入て見たまいと言三升あまりやすやすと
はいりけり誠ふしきなる故ニせつしや仕入■■([虫喰])候"		

		
"おやかうかうの次第 下
一粒山万倍寺
開帳
酒かわりなんぎいたし何とそなおり申よふ御おしへ
くたされと両手をついてねかいケれまれ人こたへていわく
おやニかうかうなるニよりきつかふ事なし是をひたせと
菊のはのよふなるもの四五枚くれ此正月よりよの
いつとう大ほうねんと成五こくみのり十分なり印ハにわ鳥
ときをつぐるニ羽はたきをせず又われらニもなかきしゆ
めうをさつけ子そんはんゑいうたかいなし猶も忠かうはけむ
へしとて山おくふかく帰りケるもらいしはお酒に入候へハたちまち
酒なおり三之助よろこぶ事かきりなし村内のもの口々ニ
むかしのほうそうしやうしやうかありかたき次第なりと
三之介かかふかふをうらやましくやおもひケん是迄
ふかうのもの迄もミなかうかうとぞなりニケり"		

珍事奇談 N020

下の巻

不明 23×31.5

		
"{前欠}
下の巻
かくて四人のものハ
なにニもせよちん
じゆへさんけい
して御わびせんと
村のうぶすなへ
まゐりけるが
わに口の
ひもをとらんと
するにたちまち
此ひもへびとなり
母のくびへまきつくにぞ
しつてんばつとうして
くるしむゆへ甚七たまらず
正光寺といふお寺へかけゆき
おしやうをたのみきとうしけれバかのへび
わに口のひもとなりくびをはなれけれバ
わか家へつれかへりけれどもおうしとなりて
ものいハず百せうなかまあつまりて百まん
べんをくりかぢきとうをつくせどもさらに
そのしるしなししかるにあるときたびそう
一人きたりてわれきとうしてとらせんとて
へいそくをきりこれにてたびたび
なてべしとて右の僧ハうせにけり
かくてあとにてたびたびなでけるに
からだハ人げんにてかしらハ馬の
かたちになりためおきたるこくもつを
見れバたハらの中よりミなへびとなり
けるにそおそろしけれ此事を見きくに
つけてもしゆうに忠をつくしおやに孝を
おこなふべしおそるへしつつしむべし "		

珍事奇談 N021

孝子東賢気

不明 23.5×66

		
"板本孝子東賢気(こうしあつまかたぎ)麻八ふミまつりこととあらたまる所のとし四月二十七日ひたちかしま
郡いその浜にて仇討のありし事をたつぬるに相州の藩(ハン)中に有竹
伴介といへる人いささかのあらそいよりいいつのり同し家中に朝田
唯右衛門といへるひとをやミうちしてたちのきしハ去ル文政二年
の事なるよし其ようしに朝田管衛弟文次郎両人ハかたき
伴介がくびきりて父のうつぷんはらさんと君に願出るといへども
あたうちの事ハ公(オオヤケ)にたいしおそれある事なれハさらにきよやう
なかりけれバ管衛文次郎両人ハいかんともすべきようなくぬけ
いでこ是をうてバ君命にそむきうたざれバ孝道まつたからずいつ
れか是(ゼ)ならんいづれか非(ヒ)ならんと忠孝の二ツに心をくるしめいた
づらに月日をかくるのミなりしかあるひさつとおもひ付もし仇
うちゆるし給ハらざれハ死を給ハるべしとその事をねがい
ぶミにしたためちちの為に身命をなげうつて願ひうつたへ
けれバ国君そのかうしんなるをかんじたまい二人の志を
君のもとに召出されなんじらちちを伴介にうたれ其仇
うちせん事をねがう孝心もだしがたくゆるしつかわす
なれとも三■([虫喰])のミやこにて討バ公(オオヤケ)のおそれすくなからず
かならず是をはばかるべしまたかへりうちのうれいある
ときハそのはぢかいだいにながれてなんじかろくだんぜつに
およバんかならすうんをてんにまかすべしとはげミの
おんことばをたまハり御ゆるしぶミと金子一刀をそへられ
うやうやしくもたまハりけれバ兄弟くんおんきもに
めいじありかたきよし御うけを申上御いとまをたまハ
りけりそのよく日たびようひしてすミなれしふる里
をうちたちしハそのとしの九月のことなるよし
されバそれハおきてかたき伴介ハ人をあやめたる身
なれバかミほとけもこれをにくミたまふらんせんしん
ばんくしてここかしこにさまよいしがこのはるのころ
よりひたちかしまの里にあしをととめなをよろづ
や九兵へとなをあらためきざミたばこをうりてそのひをいと
なミそのところにてそうあうのつまをむかへふうふむつま
しくくらしけるこれぞしんめいのおんひきあハせならん
にや管衛文次郎きやうたいハそのかくれかにたづねゆき
かたき伴介と見るなりもはやくもたくにかけ入ていうに
伴介なんじをたつぬる事としつもりて五かねんじん
しやうのしやうぶせよといいけれバ伴介もちんじいつはるに
しのひづたたぎやうてんぞするのミなりしかるに其つま
なる女のいへらくたとへあくにんにもせよ我つまとさだ
めたる人のきうし一しやうのばしよにげるに道なし
あいてハ二人おんミハひとりわれすけたちして夫のなんぎを
すくハんと戸棚に有し大小取出し夫にかたなわがミハ
わきざしかいこミて見せさきへおどり出四人一度にぬき
つれてしばしがあいだうちあいしがつゐに伴介一かたなに
きりたをされてをおいながら妻のおとハ二人がそでにしがミ
つきともにころせとののしれバなんじ夫伴介がためにしんめいを
いとハぬハ一たんのれつぎなれどもわれらなんしにつミもうらミも
なけれバころすべきいわれなしといいきかせ伴介がくびきりて
ちちがいはいにたむけその一ぶしじゆうをむらおさにことハりけり"		

珍事奇談 N022

夫婦合体 欲の獣

不明 35×43.5

		
"夫婦(ふうふ)合体(かつたい)欲(よく)の獣(けだもの) 一名おタメごかし
此欲獣(このよくじゅう)ハ原(もと)市川(いちかわ)の流(ながれ)より成田(なりた)の
山に篭(こも)り寿海(ことぶきのうみ)にすミてのち
浪花(なにハ)の里(さと)に窩(ひそむ)む事先年(せんねん)なり
老功(ろうこう)を経(つね)にしたかひいよいよ妾子(せふし)の
愛(あい)におぼれ強欲(ごうよく)に闇(くら)がる眼(まなこ)ハ人並(ひとなミ)をはづれ
好事(かうず)の贅沢(ぜいたく)ハ人の持物(もちもの)を (もら)ふ計(はかり)ごとなるべし
達吟(たつぎん)の狂歌(ざれうた)に不実(ふじつ)の薄情(はくじやう)をあらハし
よく黄金(わうくわん)をむさぼりながら夫婦腹合(ふうふはらあわせ)に
縫(ぬい)たる財布(さいふ)にそこの■きこそおかし
実子(じつし)の猿(けもの)をかミころして修羅(しゆら)の陰火(いんくわ)を
燃(もや)し愁傷(しやうしやう)の涙(なミだ)のうちに金(かね)がほしいほしいと
鳴声(なくこへ)しきりなり
角(つの) つのハとかりて二ほんあるといへども心のつののミ
にてなきがことしこれを欲(よく)にハ方角(ほうづの)ないといへり
面(つら) 欲(よく)つらの皮(かハ)を鉄面皮(てつめんひ)といふ涙面(なきつら)ハ八(はち)が刺(さし)たから
でござりましたよくつら■■([虫喰])恥(はじ)が■■([虫喰])りますふ
目(め) おやの欲目(よくめ)がすきたるゆゑおか目から見る時ハ
おた目にならぬ七代目かき目を見る目さしつ目た
しに目ハ此世百年目だ目な事■■■■■([虫喰])ハれてもこの
は目ならハ是非(ぜひ)もない目いどの客(きやく)と成田屋が三十二才を
一期のゆ目はかなくさめし八代目目のよる所へ玉藻前(たまもまへ)だつきとよぶも
尾(を) 九ツの尾(お)になぞらへて九代目にするきも
だまのさる知恵(ちゑ)ハ尾(お)にをうける欲心(よくしん)なり
手(て) 手(て)ハ晋子(しんし)が書風(しよふう)を学(まな)ひ
老年(ろうねん)ニ至(いた)りてハ光悦■(かうえつふミ)交(まじ)へて
しごく寂(さび)のある手なり
足(あし) あしハ諸国(くにくに)へんれき
して当地(とうち)にとどまらず
旅行(りよこう)やまざるといういふ書(てほん)を
いだせし如(ごと)くしりのおちつか
ざるも今ハ浪花の足といふ
あしなり
爪(つめ) つめハ信する不動の法にあらずして三角(さんかく)の
法を修(しゆ)しぎりとかく事をかく恥(はぢ)をかく也常(つね)に爪(つめ)に
火をともすといへり
心(こころ) これを大欲心(たいよくしん)といふおのれ
より己(おのれ)をせめあとへもさきへもゆかぬやうになりても
いまたはなれぬよくしんなり
屎(くそ) けつの穴(あな)せまくおのれハ
くそつたれといハれてもただただ人に金(かね)くそをひらせん事を
のぞむ夫婦かつた欲心(よくしん)の第一なり
京都(きやうとう)にてハ仕様(しやう)かない
大坂(おおさか)にてハ道頓堀(どうとんぼり)
御当地(ごとうち)にてハ欲(よく)の上野(うへの)の
山師(やまし)たから強欲(かうよく)
ひど小路(こうじ)におきまして御■([虫喰])に入レます
とりわけじやけん堀(ほり)の
非道(ひどう)の縁日(えんにち)などにハ
大入(おほいり)おほ繁昌(はんじやう)いたします
小人正銘(せうじんしやうめい)のけだものかんばんに
いつわりなしサいらしてごろうしろ
非道(ひど)せんハおもどりおもどり"		

珍事奇談 N023

百面相人形(仮)

不明 17×24.5

		
"両国回向院ニおいて
百面相人形の内おい
らんの義ハ上なる生方
御覧ニ入候所此度夜八ツ時頃より
人声並酒もりのていものにぎ
わひ候ニ付番人のものうかがひ
見候ところうがうがと申こゑ
あいきこへ右ニ付うかハいなり様
の事に候間いなりの社をま
つり申候ふしぎの事に
御座候以上 "		

珍事奇談 N024

市川団十郎に不動明王の加護(仮)

不明 23×30

		
"其むかし祐天上人ハ
ふどう明王の霊夢に天
くにの宝けんを呑と夢
ミて悪血をはき夫より
才知人にすぐれかかる
上人とハなり為へし
とかやしかるに当五月
二十三日夕七ツ時すぎ
御ひゐき市川
団十郎俄に悪
血をはきし事
二升あまりにして
気をうしない
一言のこたいもなかりし
かバひとひとハきやう
てんなしさまさまかいほう
いたし中にもおくり万吉栄次といふもの髪を
おろし御蔵前なる成田ふどう尊へ大願をかけ日
さんをはしめけるがふしぎなるかな其夜
九ツ時ごろやうやうしやう気つきしかバミなミな
よろこびかぎりなく日にまし全快におもむき
近日出きんもなるべきハ全くふどう明王の利やく
によつて蘇生なしたるものならんと人々おそれ
ざらんものハなかりけるおそるべしおそるべしおそるべし "		

珍事奇談 N025

小岩村の奇談(仮)

不明 23×30.5

		
"夫正法にふしぎ
なしとや信心す
ミやかなる時ハ神仏
かんおうまします事
うたがいなし▲
▲ここに西かさい
小岩村百姓彦右衛門といふ者の
庭にて当三月二十一日五尺余の
へびひきがへるをくわへ来り一ト
のミに致さんとなしたる所又々
ひきがえる四疋といふもの出来りへびの
のどくびはらのあたり其外処々をくひ
やぶりとうとうへびをくひしとめ一疋の
かへるをたすけしこそふしぎにおもひ
彦右衛門常に弁才天しんかうゆへへびの
右ていなるを気がかりにそんじうかがひを
立し処我娘のふじといへる十七才になるを
かのへびミ込いたりしものにて弁才天の使しめとして人間をミ
込し事深くにくミたまへ
殊に彦右衛門信心のとくによつてかかるぎやく
はミなさしむる処なりとつぶさに事わかり彦右衛門家内とも恐
慎ミ尚々信心ふかかりしとかや "		

珍事奇談 N026

三つ子の出生(仮)

不明 29.5×23

		
"積せんの家にハかならす余けい有とハ古人■([虫喰])
結むへなるかな今度南品川二町目伊和や
といへる旅籠や有平生徳実成人にて
常々いん徳をほとこし他の人の心にかた
らわす家内繁昌しけるニ日本橋辺の
生ニて妙年よりきへる豆と名付け候
女子有去暮より何か気おもにて
左りの方おつかきとり腹大きく成故
医者おつくせとも何のかいなく
あまりなかき事ゆへ打捨をき
しか当午とし二十五日昼時ころ腹いた
み候故雪隠に参ると立あかりし
ままに玉のよふなる男子を産家内
繁ゑいの記とやあまり珍ら敷事ゆへ
一紙につつり諸向の高覧に備のミ
鳥
目
五十
貫文てうたい
いたし
柴井町
■兵衛■
閏七月二日
朝六ツ時
男子三人生
銀屋
安五郎
妻
さと
三十九才"		

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