施行付



施行付 N001

施行付(仮)

天保4年(1833) 23.5×32

		
"頃ハ天保四巳のとし中秋初め風雨はけしく田畑をくづし米こく出来かたすくなく
諸民心やすからずしかるに恐れながら
台庁より御すくひとして莫大なる御米下しおかれ難有事申も恐れありかかる御代の
御仁徳をしたひ町々有徳なる物持方地面又ハ出入等のものへ金銭米を施し諸人悦ぶ事
限りなし中にも其地めん居町ニかかハらず志し施したる人々をあつめかき記す猶又もれたるハ追々
加入仕候あまりめづらしき施しゆへかかる太平のめでたさをつづり合し梓にゑりて諸君の高覧に備のミ
{上段}
霊厳島十八ケ丁一人前
一金二朱ツツ 鹿島や清兵衛
同七ケ町へ一人前
一金一分ツツ 伊坂市右衛門
大川ばた一人前
一金一朱ツツ 井上村沢
同一ツはし丁内一軒前
一金一分ツツ 小西弥兵衛加せや利兵衛大和や又右衛門千代倉中沢や
同みなと丁一丁め二丁め一軒前
一白米一斗ツツ 伊勢太相源ならや
同 同断
一麦引割五升ツツ 炭や重兵衛
八丁ぼりかめ島上下一軒前
一同一斗ツツ 松や庄助
同
銭一貫文ツツ 近江や茂兵衛
同
一金二朱ツツ 吉田や久兵衛
同
一金二朱ツツ 明石や市良兵衛
同
一銭五百文ツツ 小上馬
同
一銭五百文ツツ 万や清吉
同
一米五升ツツ 美のや冨蔵
但山ばかりにて
同丁内名前人へ
一銭一貫文ツツ かやば丁地主方
同家内の者へ
一銭五百文ツツ寄合
本八丁ほり二丁目丁内
一米一斗ツツ て([屋号カ])大坂や
材木丁四丁目隣町まで
一味噌一貫目ツツ 近江や伊右衛門
深川大島丁一軒前
一金一分ツツ 水田太良五郎
{中段}
深川北川丁四丁四方へ一人前
一銭五百文ツツ 近江や喜平次
但シ一人者七百文ツツ
一金二朱ツツ 池北や清兵衛
同
一金二朱ツツ 同徳左衛門
同中佐賀丁外所々是有一軒前
一米一俵一さつま芋一俵ツツ 堀川町
同上下佐賀丁一人前
一引割五升ツツ 
同清住丁一軒前
一銭一貫文ツツ 内藤氏
同丁内へ ゑんまどうばし
一金二朱ツツ 水戸屋
同十六ケ丁一軒前
一米五升一麦割五升ツツ 万年丁たわらや清右衛門
海辺大工丁上下八丁へ一軒前
一米二升ツツ とうのや儀兵衛
本所相生丁二丁め一軒前
一米一斗ツツ しほ原
同一人前
一麦五升ツツ  ([屋号])きのや利兵衛
同一丁め一人前
一男三百文ツツ一女二百文 溜り屋
小あミ丁三丁め一軒前
一金一分ツツ 久住五左衛門
同
一金一分ツツ 湯浅や与右衛門
せともの丁一軒前
一金一分一そうめん十把ツツ  ([屋号])いせや伊兵衛
大伝馬丁三丁めうら通一軒前
一金一分ツツ 大丸屋
{下段}
外神田平川丁代地一人前
一銭二百文ツツ 島野や平六
同佐久間丁二丁め丁内
一金二朱ツツ 伏見屋
同
一銭七百文ツツ 伏見や五良八
神田川久右衛門丁蔵地丁内一軒前
一米三升一銭二百文ツツ 綿貫政吉
同
一米三升一割五升ツツ 横田五三郎
同
一米三升ツツ 笠倉弥七
同
一金一朱一銭二百文ツツ 伊勢や嘉右衛門
同
一金一朱一銭二百文ツツ 峯村金次郎
本郷四丁め一軒前
一銭三百文ツツ 万や彦次郎
同
一銭二百文ツツ  ([屋号])くすり笹や
同六丁め丸山辺まで
一米一斗ツツ 小島平兵衛
ゆしま三組丁一軒前
一米三升一味噌五百目ツツ 伊勢や利八
本所大徳寺門前一軒前
一銭一貫文ツツ いせや次兵衛
同元町同断
一金一朱ツツ 佐のや庄八
同みどり丁二丁め同断
一金二朱ツツ 大和や忠兵衛
鉄砲洲本湊丁一人前
一銭三百文ツツ 栖原善兵衛"		

施行付 N002

前代未聞再度施

天保6年(1837) 23.5×85.5

		
"前代未聞再度施これニもれたる御方は追々相調書加へ奉入御覧候八丁ぼりかぢ丁 松坂屋吉蔵板
頃ハ天保七申ノ七月十八日八朔右両日風雨はげしく田畑をあらし諸作物を損じ諸人心
安からず然るに乍恐 御公儀様より御れんみんを以江戸中の町家へ御救として
去秋あまたの米銭を被下置其外神田佐久間町並柳原土手へ御すくひ小屋御建
被遊町会所より日々御手当有之病人等へハ御医師を以りやうぢ被仰付其後
酉三月中旬品川千住板橋内藤新宿右四ヶ所へも御救小屋御建被遊又候中宮より
御米被下猶又当酉の三月下旬両御番所様より御米被下四月下旬
御公儀様より鳥目被下置候事難有事申上ルも恐ありと諸人
君の御恵ミを奉仰時ニ御府内家持有徳なる人々太平の御代の御仁徳をしたひ
自分の地面又ハ出入之者へ金銀朱銭を施し中にも近辺隣町迄も是を施さるる其
上右町人衆又候再度の施しを出さるる事あまり広大にして目出度ゆへあづさニのぼして
諸君にそなふそれ天地ひらけてよりききんをかぞふるに人皇二十二代の帝武烈天皇
八年諸国に饑饉火のあめふりて万民土あなにすむといへり草木みな色をへんず
これより二百三十三年めにあたり
四十五代聖武天皇天平{年号文字白抜き以下同様}五年同五十年め五十代桓武帝延暦八年より同百四年め
五十四代仁明天皇三年同十年めにて同十三年それより百五十年め六十五代一条院
長徳二年より八十八年め七十一代白河帝永保二年より三十八年め七十三代鳥羽院天永二
年より十六年め七十四代崇徳帝長承三年同三年め保延二年より九十七年め鎌くら
将軍頼経代寛元三年この時執権北条武蔵守泰時その身をつめて万民を大に
すくふ同二十九年め宗尊親王代正嘉二年五代目執権相模守時頼の命にて青砥
左衛門藤綱鎌くらの諸人をすくふ百二十年め足利三代目将軍義満康暦二年
此とき管領細川武蔵守頼之京洛中の民をすくふ同二十七年め応永十三年より
四十三年め八代目将軍義政代文安五年細川勝元諸人をすくふ同二十五年め九代
目将軍義尚代応仁の大乱より大いに乱れ百姓業をなす事あたはず京町奉行
多賀豊後守これをすくふ二十二年め十一代義澄将軍永正元年より以来違乱やむ
事なく天正慶長にいたりて四海たちまちおさまり永正より百四十年めにて
御当代様寛永十九年同二十九年めにて寛文九年同七年め延宝三年同八年め
天和二年五十五年めにて享保十七年五十四年めにて天明四年より同七年め其後
寛政元年諸人御救の為として町会所もミ蔵立同文化五年関東のききんより
同天保五年同八年迄神武以来二千六百年の間二十六度におよぶ後世の人此
文を見てたとへ豊作たり共米こくをそまつにすべからず子孫へも是をつたへて長久を
ねがふへきもの歟○今年より豊も君の徳若と万歳楽をうたふ出来秋 鶴亭亀成
{施行付}日本橋通一丁目
一 金二両三分ツツ
須原屋茂兵衛黒江屋太兵衛大国屋勘兵衛伊達屋次郎吉松屋長左衛門近江屋彦右衛門山崎屋伊右衛門近江屋三右衛門近江屋惣兵衛白木屋彦太郎{施行付長文につき後略}
{袖}天保八丁酉年新板 "		

施行付 N003

御府内町人衆施名前巨細付

不明 23×31.5

		
"御府内町人衆施名前巨細付
十六ヶ町へ一軒前銭五百文ツツ浅草堀田原池田屋市兵衛
御救米被下節弁当代として三千八十人へ一人前銭百文ヅツ同南馬道松屋新兵衛
同当日弁当三千八十人前同所佐の倉安兵衛
辰丁並地面十三ヶ所へ一軒前金一分ツツ家主三十九人へ三分ツツ番人七人へ一分ツツ都合百五十五両一分二朱外ニろ組合之二百四十九人へ金一分ツツ差遣ス日本橋通二丁目山本嘉兵衛
窮民八分通り男三百六十二万七千五百六十二人但白米五升ツツ女三百四十七万四千七百四十一人但白米三升ツツ盲
人二千三百七十四人但シ五升ツツ此米四斗相場にして惣〆金高七十一万○八百五十九両三分二朱ト銀四匁二分也
支配のこらずへ当日弁当焚き出し浅草茅町名主朝田権之丞
六ヶ所へ一軒前金二朱ツツ家主へ金一分ヅツ老人子供四百文ツツ神田久右衛門丁伊勢屋八郎兵衛
当日弁当千二百人前赤飯焚出し浅草駒形丁内田甚右衛門
当日弁当代として一人前二百文ヅツ同所中島屋百助
所持地面内並ニ居丁へ白米五升ツツ家作たなちん直さげいたし浅草山谷町伊勢屋喜八
門前町之者へ一軒前金一分米五升ヅツ浅草菊屋橋行安寺
名主矢部与一へ支配内九ヶ町へ一軒前白米七升ヅツこうじ町一丁目はら長
近辺不残へ一軒前白米七升ヅツこうじ五丁目岩城枡屋
八ヶ町へ一軒前白米一升ヅツ本所徳右衛門町山形屋甚兵衛"		

		
"八ヶ町へ一軒前金二朱ヅツ本所横川丁丸屋長八
所持地面家作内へ一軒前銭一貫文ツツ同所かわら屋三左衛門
当日弁当代として一人前二百文ヅツ浅草堀田原酒店ばばアかじ川湯や米屋
門前地之者へ一人前白米三升銭二百文ツツ下谷ばんずい院
当日居丁へ一人前銭百文ツツ浅草田町一丁目尾ハりや太郎兵衛
家作へ一軒前金二朱ヅツ同山谷町山形屋喜兵衛
当日弁当千三百二十五人へ焚出し同今戸町まちだふじたよろづや
当日弁当折詰一ツヅツ浅草田町二丁目けんばんいいん宅だいこくや
当日赤飯九百人前帰り船差出ス本所かやば丁三丁目ふくたややまだや
門前地之者へ一軒前金一分白米五升ツツ浅草菊屋橋東国寺
門前地之者へ一軒前白米三升ヅツ同所専光寺
家主へ一人前白米三斗ヅツ地面内へ一軒前白米一斗ヅツ下目黒町家持治右衛門
六ヶ町へ一軒前麦一斗五升ツツ家主へ金一分ツツ相川丁へ一軒前四百文ツツ深川中佐賀丁山屋喜助
当日弁当代として一人前銭百門ツツ浅草明神前西島屋
当日あハ雪切手一枚ツツ京橋南伝丁三丁目かんふづたな伊せ八
当日のりまきめし一人ニ付九本ツツ浅草田町角べにかん
四ヶ町へ一軒前金二朱ヅツ新鳥越二丁目岡田屋忠七
当日弁当七百六十人前焚出し浅草はしば高木丸沢
当日弁当として五千人へ銭百門ヅツ南かやば町鴻池儀兵衛
店子之者より一ヶ月分店賃うけとらず両人より地主へ弁納いたし遣ス浅草寺地中不動院地借家主喜十郎同人衆たつ後見衆政五郎
当日三千八十人へもちぐわし十五ヅツ浅草馬道大三ツ治郎左衛門
右三人より町内店借之者並ニ家主へ白米其外金子等手当致つかハす浅草新鳥越町一丁目家主伊兵衛かうし町五丁目喜右衛門地借新七浅草寺地中梅園院地借家主市右衛門
三百七十軒へ一軒前白米五升ツツ家主三十九人へ金二朱ツツ市ヶ谷七軒丁鍋屋善五郎"		

		
"新宿中並所持地面十六ヶ所へ一軒前金一分ツツ家作並出入之者ヘハ一軒前金一両ヅツ内藤新宿上町三河屋徳左衛門
居町ヘのこらす一軒前白米五升ツツ浅草山谷町山形屋伊兵衛
町内ヘ一軒前銭三百文小豆三升ヅツ山谷浅草町つくばや半兵衛
居町ヘ不残へ弁当代として銭五百文ツツ小石川春日町三河屋六右衛門
当日弁当九百七十人前焚出し深川六間堀下の橋あべ川伊勢屋伊八
所持地面不残外十ヶ町ヘ一軒前金二朱ヅツ深川木場万屋和助
当日弁当代八百人前差出し浅草新鳥越町名主柳川玄蔵
居町ヘ一軒前ニ付金二朱ヅツ同福井町家主玄助
同一軒前白米一斗ツツ日本橋佐内町和泉や佐右衛門
地面内のこらす並居町ヘ一軒前白米一斗ツツ同所たけや清三郎
当日弁当まきすし一人ニ付九本ヅツ浅草田町二丁目かくま川
当日弁当焚出し銭百文ツツ本郷一丁目越せんや彦四郎
丁内ヘ一軒前金二朱ツツてつほうず十けん丁明石屋
居町ヘ一軒前金二朱ニ白米五升ツツ十軒町ヘ一軒前白米五升ツツ出入之者二十五人ヘ白米五升ツツてつぽうず明石町なら屋善兵衛
近辺のこらずヘ一軒前白木綿六尺手拭一筋ヅツ日本橋万町きんきち
近辺不残ヘ一軒前麦三升ツツ但シ切手ニいたし出スかうじ町五丁目玉井番太郎
横川丁松倉丁ヘ一軒前銭三百文ツツ本所横川町亀屋治郎兵衛
当日弁当八百六十一人前焚出しすきやがしよし浦
当日弁当千四百五十人前焚出し小石川すハ町地主中
右同断千百七十五人前焚出し同安藤坂地主中
当日弁当九百八十人前並銭二百文ヅツ元鮫ヶ橋八軒丁家持源兵衛同権右衛門
当日弁当千二百三十人前並銭四百文ツツ同所寺町家持久右衛門外五ヶ町九久
右同断六百八十九人前焚出し浅草山谷町地主中
当日弁当焚出し家主ヘ一人前金二朱ツツ書役番人ヘ金二朱ツツ浅草福富町地守作兵衛
居町外六ヶ町四百四十四軒ヘ銭七百文あるひハ五百文ツツ家主ヘ二朱ツツ出入之者二十六人ヘ四石四斗五升都合五■七■三分浅草福富町岡蔵地借稲垣市兵衛
銀五枚通り二丁目家持嘉兵衛
銀三枚新鳥越二丁目同忠七
銀三枚福富丁岡蔵地借稲垣市兵衛
銀二枚市ヶ谷七軒丁家持善五郎
銀二枚久右衛門丁代地家持八郎兵衛
銀二枚かうじ丁一丁目家持長兵衛
銀二枚
右之外茅町名主朝田
権之丞をはしめとして
外三十五人町御奉行
所様ヨリ御誉被下置候
"		

		
"嘉永四辛亥歳大坂施附
去ル極月中より風邪人数多有之ニ付
今般御公儀様ヨリ以御仁恵ヲ諸人御
すくひの為男ハ一人ニ付白米五升ツツ
女三升ツツ被置下其大数あら増左に記す
▲御府内四里四方町数三千六百丁右三十六
町一里にして凡百里なり町家数百七十
七万五千七十六軒此人数八百八十七万七千
八百八十人内男四百五十三万四千四百五十三人
女四百三十四万三千四百二十七人なり▲右の内
窮民八分通り男三百六十二万七千五百六十
二人但シ一人ニ付白米五升ツツ十七万九千七
百七十八石八升両ニ四斗相場にして金四十四
万九千四百四十五両ト銀四匁五分女三百四
十七万四千七百四十一人但シ一人ニ付三升
ツツ十万四千二百四十七石四升八合此代金
二十六万六百十七両二分ト銀七匁二分ト也
盲人二千三百七十四人米高百八十石七斗
此代金二百九十六両三分二朱なり
右四斗相場にして
代金惣〆七十一万○八百五十九両二分銀四匁二分也
大阪施名前巨細付
去ル戌年六月以前より京大坂とも米こく高直ニて
一升代二百文内外之相場にて困窮民もの多く
是によつて富家の面々より施差出シ候名前左ニ記ス
市中借家住居のこらずへかじき町鴻池善右衛門
一人前ニ付銭五百文ツツ別段困窮申立来候出入之者ニハ四斗俵一俵ツツ
三十二ヶ町ヘ一人まへ銭七百文ツツ平の町米屋平右衛門
十九ヶ町ヘ一軒まへ白米三升ツツ永ほり住友吉次郎
居廻り十六ヶ町ヘ一人まへ金二朱ツツ西横ぼり鹿島屋久右衛門
二十八ヶ町ヘ同銭五百文ツツかじき町両替鴻池善五郎
右同断同所鴻池又右衛門
三十六ヶ町ヘ同当百四枚ツツ同所平野屋五兵衛"		

		
"同麦五升ツツふしミ町いつミ屋六兵衛
十二ヶ町ヘ銭三百文梅干一桶ツツあハじ町山家屋権兵衛
一軒前ヘ金二朱ツツ大かハ町かじまや作次郎
同切餅三十切銭二百文ツツ堀すじ平野や仁兵衛
同麦三升米二升ツツ平の町茨木屋安右衛門
十五ヶ町ヘ一人前銭五百文ツツ同炭屋安兵衛
十二ヶ町ヘ一人まへ銭五百文ツツてんまてんまや市右衛門
一軒まへ銭三百文かつほふし三本ツツ米や町升屋伝兵衛
同米七升ツツあハじ町天王寺屋忠兵衛
同ミそ三百目銭三百文ツツかうらい橋大庭次郎右衛門
十九ヶ町ヘ一人前麦三升ツツさつまぼり中の橋かざり屋六兵衛
十三ヶ町ヘ同金二朱ツツいたちぼり両替近江屋権兵衛
{奥}○右ほどこし付名前之儀は大坂市中木戸々会所ヘ張出シ候ニ付其まま写取
文通ニ差越候ヲ書あらわし申候尚委細ハ追々差加ヘ高覧備るなり "		

瓦版 所蔵リスト
図書室トップページ