地震




地震 N001

大昔宝永四年地震津浪聞書

宝永4年(1707) 17.5×23

		
"
大昔(おほむかし)宝永四年地震津浪聞書
宝永四年嘉永七寅迄百四十八年ニ成十月四日未上刻大坂大地震
ニ付舟ニて内川ニ遁(のがれ)居候所俄(にわか)ニ津波ニて破船(はせん)シ皆々死(しに)申候
南組 北組 地震にて潰家(つぶれいえ) 六百二十軒
南組 同 押打(おしうたれ)死人 三千六百二十余人
北組 同 二千三百三十一人
南組 つなみニて水死(すいし) 一万二千人
北組 同 一万二千三十人
落橋(おちたるはし) 二十二  折橋(をれたるはし) 四ツ
道頓ぼり汐込(しほごミ)にて廻船大小百二十七艘(そう)日(にっ)
本(ぽん)ばし迄いやがうへに押来り此処にて留り微塵ニ成
死人惣合二万九千九百八十一人
枚方(ひらかた)ニて川船数艘(すうそう)打破人家押流し此所ニて津浪止る "		

地震 N002

信濃国大地震 火災水難地方全図

弘化4年(1847) 41.5×86


		
"{外題}信濃国大地震火災水難地方全図


弘化四丁未年三月二十四日夜亥刻頃信濃国七郡
大地震にて城下在町の民家一時ニゆり潰し即刻山々火所々
焼失圧死焼死不知数同刻山平林字岩倉虚空蔵山崩れ
犀川に落入川上村々水湛ミ湖のことく丹波島河原水
渇て陸のことし渉るに踵をぬらさす其外所々山沢崩落
て水行不通四月十三日申之下刻一時に秡崩シ波高き
事数丈水声雷のことく川中島より千曲川辺民家
尽く漂流し溺死するもの幾千といふをしらす扶桑略記曰
光孝天皇仁和三丁未年七月晦日信濃国大山頽崩六郡
城■([墟ヵ])払地漂流牛馬男女流死成丘云々自仁和丁未至弘
化丁未ここに九百六十一年又如斯天災を見る唯当国
のミにあらす善光寺如来開扉によりて諸国の旅人
数を尽して死失す 付にいふ
遠境の諸友より右の実説を問ふ事しはしはにて
いちいち筆にまかせかたきをもてあらましをしるして
梓にものするになん尚足らさるハ見る人ゆるし
給へ
稲荷山住  宮匠
{朱}ミな月未つかた彫成いまた昼夜に
五七度震やます "		

地震 N003

善光寺地震(仮)

弘化4年(1847) 22×30

		
"かかる目出度御代に天命のなす
処是非なき珍事おしむへし
爰に弘化四未年三月二十四日夜四ツ
時頃より信州水内郡ゑん近大
地震扨未抑善光寺ヲ始メつよ
くゆりうごき堂塔伽羅かへ堂末
社寺院其外人家夥しくゆり崩
れ村里類焼川々のこう水あん
夜の事ニて夜もすからしんどうし
然ハ人馬之損毛も有り
東は丹波島川田●松代屋代{異筆 真田伊豆守十万石}戸倉坂本{異筆 松平伊賀守五万三千石}
●上田此辺殊につよく
してかい道筋大石道にゆり出
大地さけ田中●小諸追分{異筆 牧野周防守一万五千石}くつかけ
かるい沢上州国辺まで
南は稲荷山青柳会田刈屋原
岡田●松本{異筆 松平丹波守六万石}辺是亦殊外しん
どうし人家中焼失してさうとふ
大かたならす近へんの大川水夥しく{後欠} "		

地震 N004

善光寺地震(仮)

弘化4年(1847) 23×31

		
"頃ハ弘化四年未三月二十四日夜四ツ時頃関八州を
はじめ其他近国地しんすることしバらくのあいだ
なりしが中にも信しう水内郡善光寺近へんハ
甚しくふるひて三十六坊■([虫喰])門仁王門通り中■■([虫喰])
地内ことごとくゆりたをし人々大地のそこへおつるかと思ふ
折からたちまち山門前中見せより火もへあがり黒けふりハ
天をこがして寺中一めん火ゑんとなる折しも開帳の事なれバ
諸こくの男女さんけいの人おびたたしくみな一心に如来の御名を
■■■■■■([虫喰])なさしもに大火も本どう■■■■■([虫喰])して
こをりし人々ハつつがなく夜もほのほのと明にける是ぞ仏のりやく
ならんとかんしけるされ共地しんハつよくして町ハ竹井かうじごん
どう丁田丁がんぜき丁横沢丁西丁たか丁さくらこうじ畑中丁西横丁
下西門西ノ丁はたごや町のこらずゆりたをし火ハますますさかんとなり
人々にげばをうしなひ男■■([虫喰])なきさけぶ有■■■([虫喰])八まん地
ごくのことくますます目もあてられぬ次第なりここにふしきなるハ宿屋
平左衛門の所にとまりし客六百十八人有此内三百九十八人ハ本堂ニてたすかり又本
どうへこもりにゆかんとしたくをなし見せ先迄立出たる客四十九人是ハ大坂のものなり
又七十四人ハ江戸本町大伝馬丁中橋まき丁の人々なり此人々ハ地しんにおどろきて
にげ■■■■([虫喰])つてなれバ本堂をめあてにかけ付しゆへ五百二十■■■([虫喰])しこの外
男女のそんぜし事いくばくといふ数をしらず江戸品川宿の者九人死■■■([虫喰])又信州
北の方ハ吉田宿いなつミ村山口東条あら町宿徳間村新光寺神山中宿高さか
むれ宿小ふるま大ふるま黒ひめ山南の方ハ石堂村問御所中御所あらき村わだか
さま松岡しん田上高田下高田権とう町柳原此近辺大地さけて
牛馬人多くそんじ夫より■■■([虫喰])東の方小伏宿■■([虫喰])さか城下近へん
迄大地さけ土中より水をわき出し人々にげさまよふて変死ス又
さらしな郡松しろ御城下近へん七十余ケ村又おい分かる井沢
くつかけ上州口迄山々しんどうし又すわ郡高島御城下へん
西の方百四十ケ村又佐久郡安ぼし郡北の方百二十余ケ村
家くら多くそんづ又たんばしま川近へんの山くづれ
川へおしこみ水あふれてこれが為に男女の死
すること数をしらす誠ニ前代未もんの
ことなりける
{奥}男女二万千余人 牛馬千二百五十程
土蔵三千戸■([虫喰]) 神社仏■■([虫喰])九百余 信州追分宿丸家与六 "		

地震 N005

信濃国大地震之事

弘化4年(1847) 24.5×34

		
"弘化四年丁未三月二十四日夜四ツ時
信濃国大地震之事
丁家不残焼
大門之内
如斯
本堂一ケ所
大門一ケ所
本坊一ケ所
右三ケ所焼残
其外僧坊不残焼失
坊凡五十ケ寺
此所山ぬけ出ル
水おびたた
しくでる
人数凡六千人程
死失ス
人家焼失
数不知
追分 二三軒焼失
いなり山 不残焼失
此辺地しんはげしく "		

地震 N006

信濃国大地震之事

弘化4年(1847) 22×33

		
"弘化四年丁未三月二十四日夜四ツ時
信濃国大地震之事
丁家不残焼
大門之内
如斯
本堂一ケ所
大門一ケ所
本坊一ケ所
右三ケ所焼残
其外僧坊不残焼失
坊凡五十ケ寺
此所山ぬけ出ル
水おびたた
しくでる
人数凡六千人程
死失ス
人家焼失
数不知
追分 二三軒焼失
いなり山 不残焼失
此辺地しんはげしく "		

地震 N007

信州より書翰之写

弘化4年(1847) 31×46

		
"信州(しんしう)より書翰(しよかん)之写(うつし)
三月二十四日亥上刻より大地震(ぢしん)ニて上田宿町方家潰(つぶ)れねども
ことごとく家ゆがみ大損(そん)じそれより岩鼻(はな)と申処岩石
往来へころび落右脇(わき)道ニ鼠(ねづみ)宿と申所家十五軒つぶれ
清水中条(じやう)家三げん潰れ別所温泉(おんせん)くずれ止りぬくミ無之
又榊ノ宿戸倉宿矢代(しろ)宿家数多崩(くづ)れ尤大地さけ深サ
はかりがたく泥砂(どろすな)吹キ出す事おびただしく篠追分(しのおいわけ)丹波島
稲荷(いなり)山右同断惣不残家崩れ又川中島右同断猶又
善光寺の近辺(きんぺん)も人家大キにそんじ其うへ出火にて家多く
焼失(しやうしつ)いたしされ共 御本堂並ニ山門寺内ニハ少しも別
条無之候由又松代紺屋町馬喰町木町残らず家々
大ひニ損(そん)じ往来筋分りがたく相成怪我(けが)人等おびただ
しく牛馬数多そんじ尚亦丹波島川水さつぱり
無之やう相成同所川上の山中美濃路(みのじ)ばしと申上ミて
にて両岸(きし)より山押(をし)出し川水せき留にハかに洪水(かうすい)と
相成山中の人家三十ケ村余ながれ人大キにそんじ
松代領一面の白海となり此水落口これなく候ニ付又々
丹波島川すじ干(ひ)川と相成何時出水もはかりがたく
上田辺(へん)より中野善光寺松本のあたり皆々居宅に
住ム事をあんじ山林又ハ脇(わき)外の田畑(でんばた)等へ野宿致候由
尤右丹波島川筋の人家は相成何時出水もはかりがたく
ミなミな其心得在之候由前代未聞(ぜんだいみもん)の事也しかれ共
おゐおゐしづまり候も是ひとへニ善光寺如来の御寄瑞(きずい)
ならんと諸人安堵(あんど)のおもひをなしけるとなん "		

地震 N008

信濃国大地震

弘化4年(1847) 36×64

		
"信濃国大地震
信州十郡佐久伊那高井埴科小県水内筑摩更科諏訪安曇ココニ記ス
抑天地不時(ふじ)の変動(へんどう)ハ陰陽(いんよう)こんじて天ニあれば雷雨となり地にいればぢしんをなすアア神仏のおかこニも是をおさむる事かたしされバ此度
弘化四丁末三月二十四日亥の刻より信州水内郡の辺より前代ミもんの大地しんにて山をくつし水をふき火えん天地をくらまし人
馬の損ずる事おびただしえんごく他所にてかの地えんるいのもの安否をたづねなげきかなしむもの少なからず仍てちめいをくわしくあげ遠近に
しらせるハ後代のかたりつたへにもならんか先善光寺の辺ことにはなはだしそれ地しんといふより早くしんどうなし大山をくつし川を
うづめ土中よりくわえんのごとき物ふき出し御殿宝蔵寺中丁屋ハ申に及ばずあるひハつぶれ或ハ大地にめり込大ばんじゃくにうたれ
僧ぞくなん女ろうせうの死人あげてかぞへがたくあまつさへ地火八方にちり不残せうぼうし二十七日迄水火にくるしむ事中々
ひつしにつくしがたし是より北のかた大峰くろひめ山戸がくし山上松北江しんくうじ福岡上の西条吉村田子平手室飯
まち小平落影小高大高柏はらしほじり赤川せき川の渡関所辺よりえちご高田御ぜう下へん二十四日よりゆりはじめ二十九日
午の刻頃別してつよくゆり土蔵寺しや人家をくつし首きでゆりの分ことにひどく大山ハくづれ田畑をうづめ大水にておしなが
し死にんけが人多くその内長沢村と申小村にて死亡の者六十人も是あり皆土にうずまりわづか手足のミ相ミへ
是ハぜんこうじより二三日おそくそうどうに及ぶ同寺よりひがしの方ハごんとう宿問の御所中乃御所あら木此辺より百余かそん
ことにきびしくおばすて山の名ハおろか親ハ子をすて子ハ親をたづね大地におちいり火えんにまなこくらみ地ハさけてどろをふき出し
近辺乃山々一同にくづれ川をうづめ此へん平地と成にげまよう人々やちうといひ山なりしんとう来けむりに方角をうしない谷に落
川にはまり木石にうたれ水になやミ午馬のそんじおひただしく青木島大塚間島こしまた水沢西寺尾田中辺よりはにしな郡
に至り松代の御城辺■■([虫喰])ひしく度々ゆり返しける二十九日の朝晦日の夕方迄つよくふるひ山々よりがんゼきをくづし安庭むら山平
むらさらしな郡の内両村の間に岩くら山といふ高山半面両はらくずれ一方ハ四十丁一方ハ九十丁ほどさい川の上手へおし入其辺のむらむらうづまり
こう水あふれ七八丈■■([虫喰])く数ケ村明水のごとくみなぎり平林かけ村赤しば関屋西条関屋川上下とくら中条横尾今井鼠宿
上下の塩じり村辺つよくちいさがた郡秋和生塚上田御ぜうか西の方ハ八軒丁かミ小しま下小じま此辺山なり地中ハらいのごとくなれハ此
辺の者どもいきたる心ちなく前田手つか山田別所よねざハ沓かけなら本一の沢等およそ百四十三ケ村ほど善光寺より南の方北原ふじ枝
にの宮小島やしろノ内ハ幡志川山田新山此へん山つづき筑摩郡に至りほうふく寺にてあらし赤発田網村おかだ町松岡ありかし水くミより松本様
御城下きんへん百二三ケ村ふるひつよく家居を多くたをす庄内田貫橋ちくま新丁あらゐ永田下新上新三溝より飛だえつちう堺松もと
より西の方あつミ郡宮ふち犬がい■([虫喰])枝渡し中曽根ふミ入寺所熊くら成金丁ほそがやから町とどろき村下より堀金むら小田井中ぼつ
と下鳥羽すミよし長尾柏ばら二十日市ままべ此辺きつ■島池田丁ほりの内曽根原宮本くさを舟場むら度々ゆりかハしひどくして
さらしな郡ノ内小島はしもと大原和田下いちばかるい沢よし原竹房いま泉ミ水めんぞこ小松原くぼでら中のうしろ町人家の損亡多く善光
寺より北の方水内郡小ぶせかミしろあさの大倉かに沢今井赤さハ三ツ又さかいむら茂右衛門村こなだて戸ぐら小泉とかり大つぼ曽根土ばし北ぜう
小ざかいわらびの深沢山なかしんどうちうやゆり動き中にも飯山御ぜう下きびしく大水押出し人馬多く死す善こうじより車の方高井郡らぶん
中じまこう高米持さかい井沢八まん兵部高なし辺左久郡ハ小もろの御城下西ハたきはら市■([欠])本町与良むら四ツ谷馬瀬追ハけかか宿右宿
くつかけ赤沢かるい沢峠町矢さき山あさま山上州ロ迄すハ部山高しまの御ぜうより大和高木此辺はけしく此内八重原大日向ほそ谷平林ぬの引
此辺少しつよく二十四日より善光寺辺ハ二十五日朝やうやう火のしづまり松代えちご路ハ二十五六日より二十九日晦日べつしてつよくちうやのぢしん
御代官様御地頭様よりかくべつの御手配にて水火をふせぎ人民の助けふかく御れんミんにて米銭を御手当在りがたき事爰にたい平の
御めぐミ申もなかなかおろかなり夫大ぢしんをきくに遠きいにしえハさし置中古ハ文録四年豊臣ひてよし公の時代伏見大ちしんにて京都
大仏でんをたをす慶長十八年冬京都大ぢしん寛永十年小田はら大ぢしんにて箱根山をくづし寛文二年京中大ぢしん寛政
四年江戸大ぢしんにて七日七夜さゆる文政十一年霜月えちごの国大ぢしん天保元年京都大ぢしん是ニハ人のしる所なり天地の
へんにして如此数度是あるといへども此たび信しうのぢしんハきたいの珍事なり人馬の死ぼうあげてかぞへがたし凡里数三十里四方
に及ぶしかるに当時ぜんかうじ如来
おかいちやうにて諸国より
参けいの者数万人
此大へんにあひ土地
不案内にてしんたい
■にせまりしうせう
大方ならず本堂に
かけ入御仏にすがり
一心にねんじたるもの
七百八十余人壱人も
けがなく石垣を崩し
大地割たる中に本どう
山門きやう蔵泰ぜとして無
別条ハ仰ぎ尊むべしむべ
なる哉人わう三十代
舒明天皇十三年三国伝来
えんぶだごんの尊ぞうにて百さい
こくより日本に渡す時の
大臣守屋物部うじ
いたんのおしへ神明の
御心にかなハじとなんばの池にすてさせ畢(オワンヌ)
其後信濃国の住人
本田よしミつ池の
ほとりを通行なすに
池の中より金じきの光りをはなちし
せんとおんこえ在て善
光を御よびとめたまふ
よしミつおどろひ池
ちうをさぐりこの
如来の尊ぞう
を得て旧きやう
しなのの国伊奈
郡ざこうじむら
に至り臼のうへに
あんちす然るに
■■■■■■■([折目につき])水
内郡今の地にう
つらせ給ふ御堂ハ三
十六代
皇極の女帝勅願也
けいちやう二年七月
十八日太こうひでよし
公の命によつて如
来を京都大ぶつでんに
うつされしに如来の
仏意にかなわせら
れずしばしばおんたたりつよく還
住のおんつげ是有
にまかせ同年八月
しなのの国江かへら
せ給ふ是あまねく
人のしるところ
にて日本三によらい
のだい一なりされバこの度もかかる
きうへんの折からに御どうつつがなかりしハまつたくもつて仏力のしからしむるところか
末世の利現いちじるしくかつハえんろさんけいの諸
にんもさしてけがとうすくなきよしいよいよ
しんじあふぐべ事こそ "		

地震 N009

信州 二度目 大地震

弘化4年(1847) 24×32

		
"信州二度目大地震
同月二十九日晦日
岩倉山
一方ハ三十丁
同八十丁
くずれ落ル
近辺の山より
石おひ
ただしく
落おぼるる
村かずしれず
さい河またまたから川となり
川上湖水と成
水落口なく
越後の国へ流ル
善光寺
此辺またまたじしんはげしく 丹波島同
はげしく
此辺
じしんはげしく
いい山
此あたり
しらうみになる
松代 "		

地震 N010

信越大地震

弘化4年(1847) 49×68

		
"信越大地震
水内郡 高井郡 埴科郡 更科郡 筑摩郡 佐久郡 安曇郡 小県郡 伊奈郡 諏訪部一ノ宮諏訪大明神
松代十万石 真田信濃守 松本六万右 松平丹波守 上田五万三千石 松平伊貿守 高遠三万三千右 内藤駿河守 高島三万石 諏訪因幡守 飯山 二万石 本多豊後守 飯田一万七千右 堀兵庫頭小諸一万五千石 牧野遠江守 岩村田一万五千石
内藤豊後守 須坂一万五十二石 堀長門守
抑信陽(しんよう)ハ
郡数十部高五十
四万七千三百石に及び
日本高大第一の国にて尤
山川多く四方に水流なし
上々国にて人はしつそにして名産多
五こく豊ぎようの国也然るにいつなるじ
せつにや有けん弘化四年丁未三月二十四日の
夜より古今未曾(ミぞ)有の大ぢしんにて山川へんじ
寺社人家をつぶし人馬の亡失多く火災
水なんに苦しむ事村里の凶へんつぶさに記し
且ハ 御上の御仁恵良民救助の御国恩
を後代にしらしめんがためしるしるすもつとも
三月陽気過度なること数日二十四
日夜四ッ
時より山なりしんどうなし善光寺の辺別
してつよく夫ぢしんとより早く大山ハ
くづれおち水ハあふれ地中めいどうなす
より五寸一尺又ハ五尺一丈と大ちさけ
黒赤のどろ吹き出し火炎のごとき物もへ
上がり御殿宝蔵寺中十八ケ町の人々ハ
おし潰されされ大ちにめり込男女らう少泣声
天にひびき殊にやちうといひにげ迷ひ大石にう
たれ谷川にはまりらうばい大方ならず其内
八方に火えん起りせうしつせり此辺の村々にハ北
ハ大峰戸がくし三上松北松しん光寺西条吉村田子
平手宝坂小平落かけ小高大高あら町柏原のじり
赤川せき川の御関所東ハこんどう間の御所中の
御所あらき青木島大つか間島こしまた水沢西寺尾
田中南の方ハ北はら藤枝雨の
宮矢代向ハまんし川山田小松
はらこくウ蔵山茶臼山丹波島
西ハあら安かミや入山田中林
木辺都にて乍恐御代官様
御支配の分潰家五千三百
九十軒半潰れ二千二百
軒余但し木品ハ打
くだけ用にハ相立す
潰家同様にて死人ハ凡二千七百人けが人
九百人程馬百七十三疋牛二疋大ち
にめり込家数二十軒ほど宮寺四十
六軒郷蔵二十二ケ所是は
六方石ばかりの内也中にもあハれ成ハ此度善
光寺かいちやうにて諸国参詣の男女
同所止宿の者不知案内にてとほうに
くれ二百人余もおしうたれて即死
なす一生ケんめい御仏に願ハんと所の者
旅人本堂にかけ入り一心にねんじたる者
七百八十余人かかる大災別て此辺つ
よく火難の中に本堂山門けう蔵のミ
破損なくさすか末世の今に至るまで三国
でんらいえんぶたこんの尊ぞうにて利
益の程恐れ尊むべし本堂は広間
十八間奥行三十六間東西南北
西方表門にて寺号ハ則チ回ツ有
東ハ定額山善光寺西ハ不十山
浄土寺南ハ南めい山無■寄寺
北ハ北空山雲上寺天台宗ニて
寺領千石尼寺にて山内ハ人
のしる所也扨又水内郡を■
に■ふせ神代あさの大くら
かに沢今井赤沢三ツ又
さかい村茂右衛門村駒たて
戸隠小船とかり大坪曽
根北条小さかゐわらびふか
さハ第一飯山御城下ニ至て
きびしきぢしんにて逃ん
としてハころび足たたず
あをのけにはうより仕方
もなく老子供ハ泣き叫び
地ハさけ土砂を吹き出し山々
ハくづれ男女の死亡丁方
にて四百三十人其外在方
多く此内丹波川かハ付村
一同に押しながし行方をしらず
更科郡ハ内小
じまはし本大原
和田古いち■かる
い沢よしハら竹房
今泉三水あんぞこ
小松原くげ寺中の
うしろ丁宿家々をた
をす中にも稲荷山ニて
二十八軒つぶれたる家ハ二十
八日にハ大水にをしながし
ゆくゑ不知ここに岩倉山
といふ高山高サ十八九
丈にて安庭村山平林
むら両村の間に有
此山めいどうなし
あたかも大雷の
ごとく半面両端くづれ一ケ所ハ三十丁一ケ所ハ八十丁丹波川の上手へおし入近村一同にうづまりこう水
あぶれ七八丈も高く数ケ村湖水のごとく人馬の死ぼう数しれず同少し北の方に六丈ばかりの岩石
有しが是又ぬけおち五丁程川中へ押出し土屋藤倉のりょう村水中へ押し入あつミ郡の分新町と申
所三百八十軒の里ことごとく漬込み其侭出火なし焼失なし夫より大水二丈ばかり高くミなぎり目も
当てられぬばかりにて宮ぶち大かい小桜中曽根ふミ入高竹くまくら成金町ほそかへしうら町とどろき村
堀金村小田井中ぼり上下鳥羽往吉長尾柏原七日市間々ベ狐島池田町堀の内曽根原宮本
草尾船堀むら等大破に及ぶ小さがた郡は秋和生づか上田御ぜうかにしハ新丁上小じま下
こじま此辺山なりしんとうなし地中めいどうす今にも大ちがさけるかと此辺のもの共生たる
心ちなくされど大ちのさける程のことハなしといへど家々ハつぶれけが人多く前田手つか山田別所
米沢くつかけならもと一乃沢凡百四十ケ村ほどちくま郡はまんむら辺至てつよく度々ゆり返し
にんばそんじ多くほうふく寺七あらし赤ぬた泪村おかだ丁松岡ありかし水くみ松本おんぜう下辺
百二三ケ村ふるひつよく庄内田貫ちくま新町あらい永田下新かミ新三みぞ飛弾ゑつちうさかいに至る佐久間ハ小諸御ぜうか下西ノ方ハ瀧原市町本丁与良村
四ッ谷間瀬追分かり宿右宿くつかけかるいざハ赤沢峠町矢さき山浅間山より上しう口度々つよくゆり川付の方至てひどく夫より諏訪郡ハ高島御せうか
大能高木ハ少々にて八重ばら大日向細谷平はやし布引此辺ハ少々強くゆるはにしな郡ハ松代御ぜうか近へん二十四日よりゆりはじめ二十九日朝毎日夕
かたまで三度つよくふるひ大いしをおし出し山々くつれやしろへんことにきひしく人家多くつぶれ川付下手のかた山々岩ばなくづれ人家をそんじ平
はやしかけむら赤しバ関屋西条せきや川上下とくら中条よこ尾いま井ね川ニて宿上下しほじりむら等同やう高井郡のぶん丹波川の東にて
すさか御ぜうか中じま御じん屋川へりの村々ふくしまたかなし中じま別府いい田羽場くり林大俣辺より田上岩井安田坂井等つよくふるひ家をたおす
事少なからずそれよりゑちご路に至りて二十四日よりゆりはじめ段段つよく二十九日の牛の上こくハ大へんのおおちしんにて松ざきあら井辺より
くづれ水ハあぶれ大ばんじやくをころがし中にもながさハむらと申す小村ハなさけなくも大山の為につぶれ七十人ほとちちうにうづまりわづか
手足のミ相ミへたりあハれと申すも中中おろかなれ其上二十九日ハ今町辺大なミに引入られ家家流しつすくなからず此度信越二ケ国の
大ぢしんハ実にもきたいのの珍事にていにしえよりぢしんも数度有之といえどもたいちさけ泥砂をふき出しかくの山山にんばの死亡に及
ひ前代未聞の凶へんなりぜんこうじ辺ハ二十四日より二十五日迄きびしく松代ゑちご路ハ二十九日三十日に至て東西二十里南北三十里山川をくづしようよう
ちしんハしづまれども山山崩れこうずいあぶれわりぐハんにん馬通路ふさぎ且ぢめんわれさけたる所十間位ひ筋つきくろ赤のどろミづ
ふき出し山山くづれ大石ころがり落田畑ことことく変地いたし用水所は欠崩れ谷川等ふるひうづまり一面にどろミづふき出し貯への
俵物ハのこらずくづれどろ水を冠り地中にうづまり別して川中島は大水人力にて揚く事難く一方ニて水を落し候得は一方ハ水難にていか
やうにも相成も不知物の方にて防水致せば東の方のある村々おしながし双方共大変にていかさま騒動にも及ばんくらいの仕合にて然る所御見分
の上御下知無之内ハ双方とも手出し致し候事御差留にて早速掘割人足共さしむけたれ候へども弥こう水溢れミなぎり此辺の者ハ親にはなれ
子にわかれ夫婦の所在もしれず庄屋村役人其外本心を取失ひ候ごとく跡片付の心得もなく潰家の前に家内一同雨露の手当もなくとほうにくれ候只々頻りに
落涙に及び相応ニくらして米穀ハ土をかぶりどろ水入食物のねたんもなく小者なんぎの者ハただ打ふしてなき入てハ死かいにすかりけが人ハおびたたしく苦つうにたへかね死あり何レのむらむら
同様にてたがひにたすけ合ちからもなくさしあたり食事にさしつかへ呑水もかねて用水を持い候間皆どろ水ニてきかつに及びあわれというもおろかニて水内高井両郡田畑
七八分ハつぶれ家をつぶし道具を失い候ぶん八分計りニて此上いかようの満水ニも相成候やもハかりがたく川ぎしの村々山林うち辺■致してゆすりより山々も日々鳴こといたし水勢
{右下}らいのことくにて時に切候へば又々水災わかりかたく諸方御手配りこれありしニ
四月十三日夕七ツ時ニハかに山谷鳴働な 水押ぬき左右の土手を切り
堤の上をのりこし川中島ハ申不及さい川へ逆水押入中々防くことかな
わず松代御代下辺迄水ミちて川ぞへ村々を押ながし高サ二丈計作物ハもち
ろん溺死人けが人多く村々古今希なる事ニて凡三百余ケ村おながし二十四日
より大災ニて又々かく水なんハたとへんかたもなくいかに天へんとハ申なからかくの
災害良民とりつつき成兼候ほとの仕合然ハ御代官様御地頭様ハ慈母之
子をあハれむがごとく御すくい小屋を立米銭ハもちろん御手あてあつく
御れんミんにて御すくひあそハされ候段泰平の御めくミありかたきといふも恐在
然ハ諸人御こくおんわすれんかため一紙につつるのミ "		

地震 N011

地震の戯文(仮)

弘化4年(1847) 18.5×25

		
"いつそ
あんじら
れるよ
古里の
親は
あれさ
はいたよ
つなミの
親
ふね
もう泊た
かへ
往来の
川々
二度目
たからけがを
しまいねへ
しんしうの
娘は
そんなに
おうなりで
ないよ
つぶされ
た人
まことに
いいこころ
もちだよ
しんた
唐人
わたしやもう
いやたよ
しん
しう
ハ
もう
われたかへ
地しんの
じびた
見たらおそろ
しい大
きいよ
じしんの
ゑつ
はやくして
おくれよ
地しんの
はなし"		

地震 N012

相模国大地震之図

嘉永6年(1853) 24×88

		
"相模国大地震之図 並ニ正月二十一日信州善光寺地震の記
夫天地不時の変動(へんどう)ハ陰陽(いんやう)混(こん)して雷雨(らいう)となる地に
いれバ地しんをなすアア神仏の慈護も是を納事
かたし頃ハ嘉永六丑どし二月二日ひる九ツ時より
相州小田原大久保加質守様御領分御城下万町青物
町板はしりやうし町すハ丁寺町御城角やくら並ニ
町家をはしめとして東ハ田村川辺伊勢原あつ木
萩の山中大久保長門守様御領分陶綾郡神戸井こ
大磯宿平つか宿中村金子すす川ミのけ辺大山大に
そんず石尊御社ハ別条なし子安かすやのへん
人家のこらず大住郡近辺山々上村谷村おか本早
川石ばし山二子山此辺ことことくそんじひたち
の国の同者十三人けがある箱根湯本をはじめ
湯場七ケ所畑しん家辺のこらず同所権現御山内
尤御社八別条なし同所湖水あふれさいの河
原辺大にそんず豆州海辺山々真鶴網代海尻
峠ノ岩渡峠とうバ峠あたミ伊東しゆぜん寺此外所々
ミしま宿ハ大にそんじ焼失すするがの国ハぬまつ御城
下原かん原よし原辺も中々のひひきなり又小田
原堂龍権現の御山大ニそんじ御社ハ別条なし
愛甲郡ハ三増はし本辺あれる津久井郡上の原
青の原とうし川辺鼠坂関野辺迄大かたのひひき
なり又藤沢かまくら所々江のしま大にあれる甲州
ハ身のぶ山七面山大ニそんす御堂ハ別条なしはたこや町大工町青柳小むろ其外近郷近村ことことく
八王子辺迄も大かたのひびきなり○又同月同日下野
の国宇都宮大ぢしんにて池上伝馬町しん石町
すべて明神下辺やけるなり尤かぬま合せんバ其外
日光道中筋近辺山々余程の大地しんなりける
が夜九ツ時過まで都合いく度といふ数を知らずと
いへども大ゆれせしハ五度にしてやうやうゆり止り
人々あんとなすよつて諸国のしんるいえん者へはやく
知らせあんぴを告んか為かくハくわしくしるすになん
○信州大地しんの記
当正月二十一日朝五ツ時信州善光寺近辺二郡すべて
二百八十ケ村程の間地しんにて人々きやうふなす
といへども人家のたをれるほどのこともなくゆり
やミしかれども六日半の間度々のことにして
やうやう二十七日九ツ半時頃まつたくゆりとどまり
諸人あんとをなしにける "		

地震 N013

相模国大地震の図

嘉永6年(1853) 23×28

		
"相模国大地震之図
並ニ正月二十一日信州善光寺地震の記
家数 二万六百軒余
人数 千二百六十人
馬数 五百七十五匹 {地図内文字略} "		

地震 N014

相模国大地震

嘉永6年(1853) 35×48

		
"相模国大地震
頃ハ嘉永六癸丑どし二月二日
ひる九ツ時相州小田原御城下
町々をはじめとして東ハ
田村川辺厚木萩の山中陶綾
郡神戸井こ大磯宿中金子
すす川ミのけかすや伊セバら
子やす辺大山辺大住郡
近辺山之上村谷村
おか本早川石はし山
二子やま箱根並ニ
七湯の湯場ことごとく
湯本畑宿山中
三ツ谷辺西ハ伊豆
のくにあたミ辺ミ
しま宿海尻峠
岩渡とうハ峠
するが国ハぬまず
辺まで尤原宿
よし原宿辺迄
も中々の
ひひきなり
北ハ愛甲郡
三増川むら
此へん山々
大にあれる
津く井郡
青の原とう
し川下へ
上より鼠坂はし本辺少しあれるよしの
小ハらへん関のへんまても大かたの
ひひきにて夜九ツ時過まて都合
いく度といふ数を知らずといへども
大ゆれにいたせし事五度にして
やうやうゆり止り諸人あんどの
思ひをなしにけるよつて
此よし諸国の親類
ゑん者へ知らせ
ん為一紙に
くわしく
しるす "		

地震 N015

相州大地震画図

嘉永6年(1853) 31.5×40.5

		
"相州大地震画図
頃ハ嘉永六癸丑のとし二月二日正ひる
九ツ時より大地しんゆりはしめ相州小田
原宿町々を初として東ハ田村川近へん
厚木萩の山中陶綾郡神戸井戸大磯
平塚その外三浦ミさき近辺ことことく
あれ家々ゆりくづれ鎌倉辺少しゆれ
藤沢宿近辺の山々是も少しつり
くづれる戸塚辺程ケ谷宿町家
土蔵なぞ少々くづれそれより
宿々ハ言におよばず江戸
表迄も家々土蔵迄も
いたミ数を知らずそれより
小田原辺より伊セ原
子やす大山ハ言に
及ばす石ばし山
二子山箱根山
金時山もくづれ並ニ
七湯の湯場おび
たたしくあれる畑宿
山中三ツ谷辺
三島ぬま津往来
とまりことごとくなんきす
西は伊豆の国あたミ
伊豆山あしろ辺ことごとく
あれる海尻峠岩渡
とうハ峠辺おひたたしく
あれる北ハ愛甲郡
三増川村此へん
山々大ニあれ
る下へ
上より津久井郡青の原とふし川鼠坂はし本へん少し
あれるよしの小原辺関野へんまでもおびたたし
きひびきなり其外山々しんどふしてすさまじ
かりし事ともなり正午時よりゆりはじめて凡
十四五時の間いく度といふ数を知らずといへども
大ゆれせし事五たびにてよふよふしづまるいへとも
それより甲州辺よせ宿ぬくぜり宿上の原宿辺も
少しあれるよふやくゆりしつまり人々あんど
の思ひをなせり誠に信州このかたの
大地しんにて人々おとろくも
尤なり実におそるべき
次第なりとぞよつて此よし
知らせんが為一紙へく
わしくししるすこととぞ
なりぬる "		

地震 N016

相模国の大地震(仮)

嘉永6年(1853) 22×28

		
"上
夫天地不時之変動ハ
陰陽混して雷雨と
なる地にいれハ地震を
なすアア神仏の
慈護も
是を納むる
事かたし
頃ハ嘉永
六丑年二月
二日昼四ツ時
より夜九時
まて大地震
相州小田原
大久保加貿守様御
領分御城下万町
本町板ばしりう
しまち通り
青物町すてを
町寺町
御城角やぐら
町家とも大ニ
損す近村近郷"		
		
"下
酒勾川筋飯すミ
十文字十日市場
子安大山へん
堂龍権現山道
東海道筋小田
原つづきはだ
山中大久保長門守様
御領分村々多く
損ず箱根湯本
七ケ所二子山辺同所
権現様御山内尤
御社は御さわりなし
同所湖水あふれ
おさいの河原辺大ニ
損す夫より豆州海辺
山々真鶴網代伊東
西はしゆぜん寺三島
此外所々大損する
といへどもあらましを
記し高覧そのを
のミ "		

地震 N017

嘉永七寅六月十四日大地震ニ付て

嘉永6年(1853) 18×29

		
"嘉永七寅六月十四日
大地震ニ付て
此度大阪の万民近園に大変(へん)
ありしかども無難(ふなん)に有し事の
うれしさのあまりにて
天下泰平(たいへい)五殻成就(ごこくじやうゆ)家業(かぎやう)長久を
よろこび日夜異形(いぎやう)のふうていにて
諸社(しよしや)へ参詣(さんけい)する事引もきらず
ここにふしぎの珍事(ちんじ)あり摂州
西成郡御影(ミかげ)近辺(ほとり)山崩(くづ)れ
岩(いわ)の間より霊水(れいすい)わきいだし
去年(きよねん)の日でりニこりたる百姓
田畑(でんばた)此水ニて大イニうるをし
みなみな貴異(きゐ)のおもひ
なし此後(こののち)豊年(ほうねん)の
吉瑞(きちずい)とぞ万歳を
うたひける "		

地震 N018

聞書 大地震並ニ出火の次第

嘉永7年(1854) 36×49

		
"山城 勢州 大和 三河 江州 越前  聞書大地震(じしん)並ニ出火の次第
南都二十三日迄ニ八十五度ノゆり
寅六月十四日夜八ツ時よりゆり始メ明六ツ時迄少々
くるひ十五日朝五ツ時より大地震ニて町家一軒も
無事なるハなし家内ニ居る事ならず皆々
野宿明地なとにて夜をあかし往来人一人も
なく目もあてられぬ次第なり
二十一日夜五ツ時田利旧坂町西方寺本堂
くだけ高畑神主高へいのこらず其外家数
くすれたる家かすしれず死人少々有之
死人三百五十人
けが人横死其数をしらず
伊賀上野
同十四日夜七ツ半時地震あれきつく御
城大手御門大損じ町々在々家々たをれ
其外出火ニて焼失島ケ原と申処五十丁
四方螺のためニ沼海の如く相成人家損し
たる数しれず中々あわれなる事目も
あてられぬ次第也おそるべしおそるべし
江州石部
同十四日同刻の地震ゆり出し
所々人家いたミ少々ツツあれたる
所あれども略之
水口土山庄の薬師
同十四日同尅の地震大ゆりニてハ
無之候へとも両宿すこし損シ
るゆえ此所ニ書いだす
亀山
同日同尅のゆり出し西辺ニて
少し家などそんしかくべつ
の大あれニてハ無之候
三河岡崎
同日同尅のゆりいだしにて
東の辺ニて少し人家いたみ度々ゆれども事かるし
京大坂紀州丹波丹後
尾州美濃木曽海道筋
並ニ信州江戸無難ニ御座候
右之国々京大坂同時同様の地震也
二十三日までしらせの事
勢州四日市
六月十四日夜四ツ時ゆり始六ツ時より大地震ニ成
家数五百軒余崩れ昼五ツ時より出火ニて
家数四百けん余焼失
死人凡二百四十五人
しれざる人五百五六十人
和州古市
同日同尅の大地震ニて池われ人家
多分くづれ死人六十七人けが人
数しれずのこる家数三軒ばかりより
これなく義ニ御座候
江州信楽
六月十三日大雨雷鳴事きひしく翌
十四日大地震ニて町々あれ人家たをれ
家数凡看三十軒計土蔵たをれ十八九戸
まへけが人即死かすしれず
ぜぜ御城下並ニ石場
十四日同尅大地震ニて御城下北ノ大手出火ニて
御ぼたい所焼失いたし候事其余御構高へい
こすいへをちこミ大へんの事也又石は舟のり
ば大石とうろうこすいへたをれ横死の人
もあり余ハ右ニ准じはそん所多し
和州郡山
六月十四日夜九ツ時少々ゆり始八ツ時ニ大地震
柳町一丁目より同四丁目迄家数凡三十八軒くづれ
同十八日二十一日六ツ半ニ又ゆりかへし八十五度のゆり
市中凡三分通り家くづれ其外なら同ゆり也
死人凡百二三十人ばかり
越前福井
六月十三日昼五ツ時より出火ニて城下不残焼失
其朝大風ニて九十九ばしより二百町計り両本願寺
寺院百ケ所焼失近在凡十ケ所焼失
夜四ツ時ニしづまり申候
又十四日夜八ツ時より大地しんにて田地など
も泥海ニ成所々の家くづれ死人凡四五十人
誠に誠に其混乱筆ニつくしがたし十六日
くれ方迄ニ大小六十七八度ゆる恐ろしきしだい
勢州四日市
伊賀上野
南山城木津
同十四日夜九ツ半時より東西南北のあやち
なく黒雲ふりくだり石ふり笠置山より大岩
等吹いだし図のごとく近辺大水とまり家
十軒ばかりツツくづれ右まま流れ命をしくとも
にけゆく所これなく夜中の事なれハ誠にあ
われなる次第なり死人いまだ数相わからず
水十五日九ツ時ころにさつぱり引なり
越前福井
{袖}嘉永七寅年六月本しらべ "		

地震 N019

聞書 大地震並ニ出火の次第

嘉永7年(1854) 33×46

		
"山城 勢州 大和 三河 江州 越前 聞書大地震(じしん)並ニ出火の次第
南都二十三日迄ニ八十五度ノゆり
寅六月十四日夜八ツ時よりゆり始メ明六ツ時迄少々
くるひ十五日朝五ツ時より大地震ニて町家一軒も
無事なるハなし家内ニ居る事ならず皆々
野宿明地なとにて夜をあかし往来人一人も
なく目もあてられぬ次第なり
二十一日夜五ツ時田利旧坂町西方寺本堂
くだけ高畑神主高へいのこらず其外家数
くすれたる家かすしれず死人少々有之
死人三百五十人
けが人横死其数をしらず
伊賀上野
同十四日夜七ツ半時地震あれきつく御
城大手御門大損じ町々在々家々たをれ
其外出火ニて焼失島ケ原と申処五十丁
四方螺のためニ沼海の如く相成人家損し
たる数しれず中々あわれなる事目も
あてられぬ次第也おそるべしおそるべし
江州石部
同十四日同刻の地震ゆり出し
所々人家いたミ少々ツツあれたる
所あれども略之
水口土山庄の薬師
同十四日同尅の地震大ゆりニてハ
無之候へとも両宿すこし損シ
るゆえ此所ニ書いだす
亀山
同日同尅のゆり出し西辺ニて
少し家などそんしかくべつ
の大あれニてハ無之候
三河岡崎
同日同尅のゆりいだしにて
東の辺ニて少し人家いたみ度々ゆれども事かるし
京大坂紀州丹波丹後
尾州美濃木曽海道筋
並ニ信州江戸無難ニ御座候
右之国々京大坂同時同様の地震也
二十三日までしらせの事
勢州四日市
六月十四日夜四ツ時ゆり始六ツ時より大地震ニ成
家数五百軒余崩れ昼五ツ時より出火ニて
家数四百けん余焼失
死人凡二百四十五人
しれざる人五百五六十人
和州古市
同日同尅の大地震ニて池われ人家
多分くづれ死人六十七人けが人
数しれずのこる家数三軒ばかりより
これなく義ニ御座候
江州信楽
六月十三日大雨雷鳴事きひしく翌
十四日大地震ニて町々あれ人家たをれ
家数凡看三十軒計土蔵たをれ十八九戸
まへけが人即死かすしれず
ぜぜ御城下並ニ石場
十四日同尅大地震ニて御城下北ノ大手出火ニて
御ぼたい所焼失いたし候事其余御構高へい
こすいへをちこミ大へんの事也又石は舟のり
ば大石とうろうこすいへたをれ横死の人
もあり余ハ右ニ准じはそん所多し
和州郡山
六月十四日夜九ツ時少々ゆり始八ツ時ニ大地震
柳町一丁目より同四丁目迄家数凡三十八軒くづれ
同十八日二十一日六ツ半ニ又ゆりかへし八十五度のゆり
市中凡三分通り家くづれ其外なら同ゆり也
死人凡百二三十人ばかり
越前福井
六月十三日昼五ツ時より出火ニて城下不残焼失
其朝大風ニて九十九ばしより二百町計り両本願寺
寺院百ケ所焼失近在凡十ケ所焼失
夜四ツ時ニしづまり申候
又十四日夜八ツ時より大地しんにて田地など
も泥海ニ成所々の家くづれ死人凡四五十人
誠に誠に其混乱筆ニつくしがたし十六日
くれ方迄ニ大小六十七八度ゆる恐ろしきしだい
勢州四日市
伊賀上野
越前福井
{袖}嘉永七寅年六月本しらべ "		

地震 N020

聞書 諸国大地震並出火

嘉永7年(1854) 36×49

		
"聞書諸国(しよこく)大地震(ぢしん)並出火
京大坂堺河内紀州播州丹波
丹後其外国々少々ツツの不同ハ
あれとも大てい同時同格の大地
震誠ニ稀なる珍事なり十六日くれ方にて七十三度
奈良
寅六月十四日夜八ツ時よりゆり始明六ツ時迄少々ツツ
ふるひ十五日朝五ツ時より大地震ニて町家一軒も無事な
るハなく勿論一人も家内ニ居る事ならず皆々野又ハ
興福寺共外広き明地などにて夜をあかし大道
往来の者一人もなく皆内を〆よていつれに居共不分
毎夜毎夜野宿にて
目もあてられぬ次第也
南方清水通り不残
家くづれ木辻四ツ辻より
西十軒計り崩れ鳴川
町ニて二分通りのこり
北方西手奥通りにて三分残り北半田西丁手奥通り南北
大くつれ川久保町大崩れ家二軒残る中ノ方細川丁
北向丁北風呂辻子町右三町別して大くづれ其内にも
三条通りより北ハ少々くづれ都て奈良中の大そんじ
前代未聞の大変なり
死人凡二百五十人小児五十人けが人数しれず
古市木津も家四五軒のこる
十六日暮方までに七十三度の大地震なり
伊賀
上野十四日夜九ツ時より大地震ゆりはじめ御城大手
御門大ニそんじ市中ハ凡六分通り崩れ四分通りハ菱に
なり猶又鍵の辻より出火にて黒門前迄焼失に
およぶ夫より鳴の原といふ所より大川原といふ所迄螺の
ためニ一面の泥海のことく其混乱筆ニつくしがたし
十六日暮方迄ニ七十五度の地震なり
郡山並ニ南大和
六月十四日夜九ツ時より少々ゆり始メ八ツ時ニ大地震柳町
一丁目より同四丁目迄家数凡三十八九軒くつれ其外
市中凡三分通り家くづれ其外奈良同様也
死人凡百二三十人小児十七八人けか人多し
誠ニあわれ至極也是も十六日くれ方ニて七十三度ゆる
一南大和ゆり出し同時けが人少々死人なし家少々
そんじくつれるほどの事もなし
江州
六月十四日夜九ツ時より少々ゆり始メ七ツ時より大地震にて
三井寺下より尾花川と申所迄家数百軒余(けんよ)崩(くづ)れ其外
せぜの御城少々そんじ土山などハ四五軒ツツ七八ケ所くづれ
此内の人六分通りおしにうたれ四分ハ助(たす)かる又石山ハ別(べつ)して
大イ成岩なども崩れ落殊ニ大そんじ其外御城下
在町大そんじ是も十六日くれ方迄大小共六十八度ゆる
勢州四日市
六月十四日夜四ツ時ゆり始六時より大地震と成家数
三百軒余崩れ昼五ツ時より出火ニて家数四百軒余焼失
死人凡百四五十人しれざる人二百人余
其外勢州尾州其辺の国々大ニそんじ候
越前福井
六月十三日五ツ時より塩町かじや町
より出火東西南北共不残焼失
其朝大風ニて九十九橋より二百町
計り寺院百ケ所両本願寺共
焼失近在凡十ケ所焼失其
夜四ツ時ニ鎮り申候
又十四日夜八ツ時より大地しん
田地なども泥海と成所々の家崩れ死人凡四五十人誠ニ誠ニ
其混乱筆ニつくしがたし十六日暮方迄ニ大小六十七八度ゆる
{袖}嘉永七年 大坂心斉橋通文正堂 "		

地震 N021

大地震早引方角付

嘉永7年(1854) 36×49

		
"山城 大和 河内 和泉 摂津 伊賀 伊勢 尾張 近江 美濃 三河 播州 丹波 淡路 阿波 越前大地震早引方角付
寅ノ年六月中旬より諸方国々大じしん
尾州宮の宿熱田大神宮古来より地しんゆる事
今におゐて無之此度六月十三日神の御つげニて相分り
近辺町屋不残昼夜かがり火をたきして夜をあかし十四日
夜八ツ時よりの大じしん皆皆かねてのこころへ
ふしぎなるかな太神宮境内
地震少しもゆらず誠ニ有がたき
事近国近在
参詣人がありが道引
するが如く引も
きらず神徳の有
がたき御事也
{以下各地の被害状況略}
嘉永七年寅の年六月中旬より十六ケ国の大地しん誠ニをそろし
き事古来よし今ニいたりて誠ニ稀なる諸方のふしぎくわしき事早引
一枚ずりニて後のはなしのたねニ書しるす六月十三日九ツ時じしん少々ゆり
十四日夜九ツ時ごろより諸方国々少々不同あれども誠ニ大じしんゆり
始め大和近辺ハ凡三時ばかりゆりつづけにて少々もやまず地凡
二尺ばかりヅツ上りさがりたびたびの大あれ又家ミなミなくづれ又した
じきになりまことにあわれなり人気ミなミなむくう見へず目まひの
如く誠ニあわれなるしだいなり国々方角にてくわしき事早
飛脚まわりにてききをよぶところ遠方へしらせのためあらまし
書しるすなり
{袖}嘉永七年寅ノ年 "		

地震 N022

大地震記

嘉永7年(1854) 34×50

		
"嘉永七寅年六月十四日夜八ツ時大地震記
伊州上野 崩家七百軒計土蔵百二十余即死凡六百人計けが人数不知
勢州四日市 凡家八部崩し其上出火ニて即死人数不知けが人数不知
同白子庄野亀山 右何レも大あれ野小家住居多シ即死人未不死けが百七十人余
江州土山水口 崩家凡百三十蔵四十五ヨ即死都合十六人けが五十人計
同石部 崩家百二十軒土蔵二十一計即死十六人けが七十人
同膳所 十三日出火 崩レ土蔵二十四計たをれ家九十八計即死七人けが五十人ヨ
同信楽 崩れ家百軒ヨ土蔵十六計即死四十五人けが人百人ヨ
同大津並屋花川 崩れ家八九十土蔵二十八即死三十二人けが六十人
和州奈良 又二十一日夜地しん木ツ辺大アレ 町崩家五百計土蔵八十七即死百五十人ヨけが人不知
同郡山 崩家七十二三土蔵十八計即死二十三人けか七十八人計
京大坂並ニ外々ミぎハ
少々之事ゆへ略ス
六月十三日朝より同夜四ツ時迄越前福井大火町数二百ヨ丁家数五千五百計寺社百十三土蔵六七十
咒歌 大黒柱ニはるべし
ゆるぐともよもやぬけしの要石
鹿島の神のあらんかきりハ "		

地震 N023

大地震記

嘉永7年(1854) 26×39

		
"嘉永七寅年六月十四日夜八ツ時大地震記
伊州上野 崩家七百軒計土蔵百二十余即死凡六百人計けが人数不知
勢州四日市 凡家八戸崩レ其上出火ニて即死人数不知けが人数不知
勢州白子庄野亀山 右何レも大あれ野小家住居多シ即死人未不死けが百七十人余
江州 土山水口崩家凡百三十土蔵四十五ヨ 即死都合十六人けが五十人計
江州石部 崩家百二十軒土蔵二十一計即死十六人けが七十人ヨ
江州膳所 十三日出火 崩レ土蔵二十四計たをれ家九十八計即死七人けが五十人ヨ
江州信楽 崩れ家百軒ヨ土蔵十六計即死四十五人けが人百人ヨ
江州大津 並尾花川 崩れ家八九十土蔵二十八即死三十二人けが六十人
和州奈良 又二十一日夜地しん木ツ辺大アレ町崩家五百計土蔵八十七即死百五十人ヨけが人不知
和州郡山 崩家七十二三土蔵十八計即死二十三人けか七十八人計
京大坂並ニ外々ミぎハ
少々之事ゆへ略ス
六月十三日朝より六月十三日朝より夜西ツ時迄
越前福井
大火 町数二百ヨ丁 家数五千五百計寺社百十三土蔵六七十
咒歌 大黒柱ニはるへし
ゆるくともよもやぬけしの要石
鹿島の神のあらんかきりハ "		

地震 N024

聞書 諸国大地震並出火

嘉永7年(1854) 33×46

		
"聞書諸国(しよこく)大地震(ぢしん)並ニ出火
京大坂堺河内紀州播州丹波
丹後其外国々少々ツツの不同ハ
あれとも大てい同時同格の大地
震誠ニ稀なる珍事なり十六日くれ方にて七十三度
奈良
寅六月十四日夜八ツ時よりゆり始明六ツ時迄少々ツツ
ふるひ十五日朝五ツ時より大地震ニて町家一軒も無事な
るハなく勿論一人も家内ニ居る事ならず皆々野又ハ
興福寺共外広き明地などにて夜をあかし大道
往来の者一人もなく皆内を〆よていつれに居共不分
毎夜毎夜野宿にて
目もあてられぬ次第也
南方清水通り不残
家くづれ木辻四ツ辻より
西十軒計り崩れ鳴川
町ニて二分通りのこり
北方西手奥通りにて三分残り北半田西丁手奥通り南北
大くつれ川久保町大崩れ家二軒残る中ノ方細川丁
北向丁北風呂辻子町右三町別して大くづれ其内にも
三条通りより北ハ少々くづれ都て奈良中の大そんじ
前代未聞の大変なり
死人凡二百五十人小児五十人けが人数しれず
古市木津も家四五軒のこる
十六日暮方までに七十三度の大地震なり
伊賀
上野十四日夜九ツ時より大地震ゆりはじめ御城大手
御門大ニそんじ市中ハ凡六分通り崩れ四分通りハ菱に
なり猶又鍵の辻より出火にて黒門前迄焼失に
およぶ夫より鳴の原といふ所より大川原といふ所迄螺の
ためニ一面の泥海のことく其混乱筆ニつくしがたし
十六日暮方迄ニ七十五度の地震なり
郡山並ニ南大和
六月十四日夜九ツ時より少々ゆり始メ八ツ時ニ大地震柳町
一丁目より同四丁目迄家数凡三十八九軒くつれ其外
市中凡三分通り家くづれ其外奈良同様也
死人凡百二三十人小児十七八人けか人多し
誠ニあわれ至極也是も十六日くれ方ニて七十三度ゆる
一南大和ゆり出し同時けが人少々死人なし家少々
そんじくつれるほどの事もなし
江州
六月十四日夜九ツ時より少々ゆり始メ七ツ時より大地震にて
三井寺下より尾花川と申所迄家数百軒余(けんよ)崩(くづ)れ其外
せぜの御城少々そんじ土山などハ四五軒ツツ七八ケ所くづれ
此内の人六分通りおしにうたれ四分ハ助(たす)かる又石山ハ別(べつ)して
大イ成岩なども崩れ落殊ニ大そんじ其外御城下
在町大そんじ是も十六日くれ方迄大小共六十八度ゆる
勢州四日市
六月十四日夜四ツ時ゆり始六時より大地震と成家数
三百軒余崩れ昼五ツ時より出火ニて家数四百軒余焼失
死人凡百四五十人しれざる人二百人余
其外勢州尾州其辺の国々大ニそんじ候
越前福井
六月十三日五ツ時より塩町かじや町
より出火東西南北共不残焼失
其朝大風ニて九十九橋より二百町
計り寺院百ケ所両本願寺共
焼失近在凡十ケ所焼失其
夜四ツ時ニ鎮り申候
又十四日夜八ツ時より大地しん
田地なども泥海と成所々の家崩れ死人凡四五十人誠ニ誠ニ
其混乱筆ニつくしがたし十六日暮方迄ニ大小六十七八度ゆる
{袖}嘉永七年 "		

地震 N025

伊勢国大地震略図

嘉永7年(1854) 35×47

		
"伊勢国大地震略図
それ天地不時の変
動ハ陰陽混じて
天にあれバ雷雨と
なる地にあれバぢしんと
なすアア神仏のおかごも
これをおさむること
かたし
于時嘉永七寅年
六月十四日夜いせの
国にハかに大地しん
どうなし山々川は損亡
多く翌十五日明方ニ
至りやうやく鎮り
人々安堵のおもひを
なせしと也
伊勢の国
・神路山・天照山・隠の山
・御もすそ川・すずか川
・五十鈴山・あこぎが浦
・あさくまがたけ
・ぬの引山・おとなし山
・あさか山・あひの山
伊賀の国
・風の森・たれぞの
森・こひのミなと
・かしハの・つけ山
近江の国
・あふさかの関
・いぶき山・三上山
・あね川・から崎
・かた田のうら
・田上川
・まのの
 入江
・かがミ山
・しがの
 浦・わが立そま
・いし山寺・かとり
 のうら・びわ湖
・よつのミね "		

地震 N026

尾張国大地震(仮)

嘉永7年(1854) 24×30

		
"ころハ嘉永七とらどし六月十四日のようしのこくやつどきころ
おわりいせあふミミの四かこくおおじしんのしだいとうかいどう
すじなるミじゆくミやじゆくなごやかいどうハいハつか
ばんばかもりさやじゆくつしま五づてんわうもつとも此日
御さいれいにておおこんざつどうしよハじいんそのほかまちや
ハもうすにおよばすあいたおれ候またきたのかたハいぬやま
小まきへんミなミのかたハのまうつミもろ■([虫喰])きへんまで
さや川のにしいせのくにハながしまくわな四かいちおゐわけ
へんのこらずあいくつれ候そのうへ出火にあいなりしにん
けがにんあまたなりおなじくいしやくしせうのかめやま
せきさかの下じゆくへんのこらずあふミのくにハつぢ山ミな
■([虫喰])ちいしべじゆくへんにしきたハミののくに大がきなんぐうたか
すかしはばらさめがいたかミやゑち川むさへんまで
そのほかにしきたのやまやまもうすにおよばすたい
はんおおしんとうにてくづれ候もつとも十五日あけ六ツ
はんごろにやうやうしづまり候それより日々しやうしやう
づつニてぢしんこれあり候ここんまれなるおおぢしん
ゆえにあらましをかきしるししよにんあん
どのためかきしるししらしむるものなり "		

地震 N027

東海道筋並上方筋大津浪大地震之事

嘉永7年(1854) 31×46

		
"東海道筋並上方筋大津浪大地震之事十一月四日辰上刻よりゆれ始メ夫より十日頃迄折々ゆれ申候
江戸より小田原迄格別之義無之候
箱根御関所損し宿内過半つぶれ
三島人家潰れ新町橋際より出火明神前迄三丁程焼
沼津損し宿過半潰レ怪我人有
原 無難
吉原人家過半潰れ出火有
大宮 大つぶれ
富士川洪水ニて山くづれ怪我即死多し
岩淵過半潰レ出火ニて三十軒程焼怪我多し
蒲原人家過半つぶれ出火ニ成
由井 過半つぶれ
沖津大潰れ過半出火ニて焼津浪ニて大損し
江尻大潰レ之上出火伝馬町不残焼
清水湊過半潰レ出火津浪
府中損し町家大潰大火ニ成
丸子岡部此両宿少々つぶれ
藤枝大つぶれ之上出火怪我人死人有
田中損し
島田 半つぶれ出火
大井川水川幅一ぱいの満水
金谷半つぶれ出火少々
日坂普請新敷故歟ゆれ候得共無難
小夜中山 飴餅や皆潰れ
懸川損し人家皆つぶれ大火ニ成怪我死人多し
横須賀損し人家皆つぶれ出火
袋井皆つぶれ大火ニ成怪我死人有
見附 皆つぶれ怪我死人多し
欠塚 半つぶれ之上津浪
天竜川堤ゆれ込無跡形大地割れ泥水吹出し
浜松半つぶれ損し
舞坂大津浪ニて過半押し流し
新居御関所人家共つぶれ其上大津浪
白須賀ニタ川 半つぶれ
吉田 人家つぶれ
御油赤坂藤川
此三宿ハ格別損し不申候
岡崎人家少々損し矢作橋六ケ所ゆれ込候得共通路あり矢作村大損し
池鯉鮒鳴海此両宿格別之義無之
宮大つぶれ之上津浪ニて大損し
名古屋 少々損し
桑名四日市
右両宿とも少々損し浜手津浪
白子 神戸 津
松坂 山田
何れも少々づつ損し浜
方ハ津なミニて損し
石薬師宿より京都迄ハ
格別之損し無之候
大坂寺社方諸々損し市中も諸々損し
大坂は同五日卯刻又々ゆれ
出し又申刻ゆれ出し諸々
潰れ家有之所沖の方雷之
ごとく鳴響キ候と即時ニ大
津浪ニ成安治川口木津川
口より大小之船押し上ケ阿治
川橋亀井橋始メ十ケ所
余落橋天保山近辺人
家へ波押上ケ死人夥敷
御座候兵庫灘伝法
尼ケ崎辺余程損し候
紀州ハ津浪ニて若山湊より
川々ニて死人沢山有之黒江日高
藤代辺ハ浪人家へ押し上ケ死人
沢山有之候
丹波亀山園部辺播州
高崎明石しかま奈良
皆々地震ニて損し家沢山有之候
{奥貼紙}同日地震ニて豊後府内四百軒余潰れ同別府二百軒余つふれ
阿州徳島豊前小倉芸州広島同宮島右之外周防
長門肥前肥後何れも大ゆれニ御座候尤十日頃迄日々ゆれ申候
右之通上方より申来候間此段申上候 島屋佐右衛門
{袖}嘉永七年寅年"		

地震 N028

大地震大津波大火次第

嘉永7年(1854) 17×24

		
"諸国東海道大地震大津波大火次第
河州 同四日大地しんニて御城下
大くづれ牢やしき近辺
より出火ニて弥大火ニ相成御城
きわまでやけ翌五日暮方より
大地震ニて地中又々大くづれ
其あとつなミニてむや早さき家々
くづれながれ死人くづれ家其数
しれずおそるべしおそるべし
じしん早引
▲山しろ ○大和
○河内 △◎いづミ
◎△摂州 ○伊賀
△◎いせ △◎しま
△尾張 ▲参河
▲越前 ▲美濃
△はりま ▲丹波
◎△紀州 ▲近江
▲丹波 ▲淡路
△◎□阿波 △駿河
△遠州 △相模
▲此印地震そんじ
○此印中そんじ
◎此印つなみ
△此印大地震
□此印大火
蒲原 問やより東焼けのこりくづれ
見附 大ぢしん六分くづれ
岩淵 六分くづれ四分やけ
浜松 右同断
吉原 丸焼け
舞坂 大ぢしん四分くづれ
由井 無事
荒井 御関所そんじ丁くづれ
興津 大津波出火四分
白須賀 大ぢしん八分くづれ
江尻 丸やけ
二タ川 同五分くづれ
府中 江川丁より出火四分やけ
吉田 同六分くづれ
丸子 大ぢしんのこりくづれ
御油 大あれ
岡部 右同断
赤坂 のこらずくづれ
藤枝 上ノ方六分やけ
藤川 山くづれ七分くづれ
川水なし
島田 大ぢしん五分くづれ
岡崎 のこらずくづれ
金谷 同七分丸やけ
池鯉鮒 大ぢしん大つなミ
日坂 無事
鳴海 七分くづれ
かけ川 大ぢしん不残丸やけ
宮 八分くづれ
袋井 同六七分やけ
桑名 大つなミ大じしん
{袖}嘉永七寅十一月四日五日大あれニて宿々往来とまる
{奥}右国数二十二カ国ニて凡死人凡二([三カ])万七千九百三十人余 "		

地震 N029

本しらべ 諸国大地震大つなミ

嘉永7年(1854) 16.5×24.5

		
"本しらべ 諸国大地震大つなミ
十一月四日より九日迄追々しらセの写
勢州桑名高なミニて大さわき
四日市三四十軒家つぶれ津松
坂山田大あれ同時鳥羽あれ
又々五日夕六ツ時より大つなミ死人凡
一万余等も相わからずト申事
尾州三河美濃辺京大坂同様
播州大地しん大つなミ御城下はん
くづれ死人凡百人余けが人多し
紀州四日大地しん五日夕六ツ半より
大つなミの次第うつし "		

地震 N030

東海道筋大地震大津波大出火

嘉永7年(1854) 36×48

		
"東海道筋大地震大津波大出火
よし原 丸やけ
まり([ママ])子 大ぢしん半つぶれ
見附 半つふれ
桑名 大ぢしん
不二川 水無之歩行渡
岡部 同宿半東つぶれ
浜松 大地しん
四日市 同つなミ
岩淵 半分やけ路つぶれ
ふし枝 同だん
舞坂 津なミニて家一軒も無之
山田 地しん地われる
かん原 問屋場手まへ火やけ路つぶれ
島田 少々つふれ
あら井 つなミニて船一そうもこれなく
庄野大津より 大ちじん
由井 無事
金谷 大やけ
白すか 大地しんニて半つふれ
おき津 津なみ打込
日坂 無事
二川 同断
江尻 丸やけ
かけ川 丸やけ
吉田 同断
府中 江川町より出火通りすしやけ
袋井 同断
宮 大地しん
此外西国筋
又ハ諸方地震
津なミ等有之
よしニ候へ共未だ
未詳候間まつ
今晩しらせの
分如此御座候
追々相しらべ
次へんにくハしく
差出し可申候
{袖}嘉永七寅十一月四日五日之事 "		

地震 N031

十箇国大地震之図(前半)

嘉永7年(1854) 48×37

		
"十箇国大地震之図
夫天地不時の変動ハ陰
陽混して雷雨をなす地に
入れバ地震をなすアア神仏の
擁護も是を納ることかたし
頃ハ嘉永七甲寅年十一月四日
五ツ時大地震にてまづ伊豆の国ハ大島かんず三
倉三宅其外島々大小ゆりつぶれ下田ハいろ
が崎戸田河津いなし赤沢いとう北条にら山
仁田しゆぜんじあたミをせいづれも地をく
つがへすかとあやしむばかりにて家ハしやうぎ
だをしにたをれ一人として生ある心ちハなかりし
とかやしかるに時刻半時ほど過ると思ふころ
むさんなるかなしゆせんじ山一度くずれこの
もの音すごきことたとへんかたなし下田千軒の町大
はんつなミにておしながし大船四十五そう小舟数多
行えしれずやうやうのかれ得たる大船ハ遠州三州の辺迄
浪にひかれ行しとなり箱根宿山中三ツ谷大いにあれ
三島ハことことくつぶれ明神社より西へ五六軒東へ二丁余焼ル
駿州ハ沼津五万石水野出羽守様御城下しやうぎだをしにたをれ
宿半より先ハ焼失する浜手ハ津なミにて人家損亡多し原宿柏
原吉原宿富士の元市場ふじの根かた大にあれつふれ家多し富士川がけ崩れ二丁余り壊
川水わうくわん流れ岩渕此辺家あまたそんじ山々大にあれ崩るるかん原甚つよく由井の宿ハ
焼失する倉沢さつたとうげくずれ奥津内大水におよび奥津宿大につぶれ出火いたす所
是又名にしおふ奥津しら浪と古今の吟のごとくびやうびやうたる風原も一度に大津なミとなり
て清見寺の辺迄おしかさなるばかりに来の宿内人家あまた引かれし事に目もあてられぬ
ありさまなり尤此奥津宿ハむかしからつなみありし所なるとハや清水三保の松バら
甚つよく江じり宿大半つぶれ小吉田辺も同断也府中御城下つふれ焼失す弥勒
辺あべ川是又水かさなり留ル小島一万石松平丹後守様御陣屋下まりこ宿うつの谷峠
の峰大にあれくずれるなりおかべ宿藤枝宿甚つよく田中四万石本多豊前守様 "		

地震 N032

十箇国大地震之図(後半)

嘉永7年(1854) 48×36

		
"御城下ことことくそんじやけ瀬戸川常に水なき川なれとも古今の大水にて候共又渡
りを留ル三軒家辺しまた宿つふれ大井川いにしへよりならびなき大水にして是を
見聞く者きもたましいをひやせしとかや又遠州ハ金谷宿つぶれ同坂とうげきよ
の中山大ぢごく小ぢこくことことくあれ実に是らを大小のぢこぐかとあやしむばかり
なり日坂宿大にそんじ掛川六万石太田摂津守様御城下いたつてつよくゆりつぶ
れ焼失す原川袋井宿見附宿池田いづれも大かたならず大天龍小天龍此川一ツ
一ツになるにもこらずしてつつみ五百軒ほど切れ込人家あまたそんずる也横須賀ヨリ
三千石西尾隠岐守様御城下相良一万石田沼玄蕃頭様御陣屋下浜松六万石井上河内守様
御城下ともにそんじ是より尾州様にいたりてもひびき甚つよく相州根ぶ川辺つよく箱
根山ハ御関所手前畑湯本風の神へんつよく小田原十一万三千百二十九石大久保加賀守様御
城下大いそ小いそ平つか四ツ谷ふじ沢辺かくべつそんしもなくかまくら江のしま
辺ハいたつてつよくりやうし町其外浜手大にそんじるなり三崎浦長州萩の
御大守三十六万石松平大膳大夫様御持場りやうし町其外浦々人家つなミにて家数
二百軒余引ながれる浦賀金さハつなみにてそん亡多くなかなかもつて筆につくし
がたし大津ハ紀後熊本の御大守五十四万石細川越中守様御持場近辺つよくそんしるなり
又とつか宿ひびきつよくほとかやかな川かわ崎大師かわらへん江戸ハ山の手
下町とも所々少々つ々のそんじ所有之甲州ハ身のぶ山大にあれるはたこや町近辺
つるせかつ沼いわさ辺殊さら甲府ハ御城下大にそんしにらさきたいがはら武州ハちちぶ四万
此辺山々大にあれる中仙道ハ信州わだ峠辺より下のすハしほせバえ山ならハ八五原宮こし福
はま御関所辺上ケ松す原の尻辺つよく山々崩れあるひハ谷々大にそんしるなり又坂田
二万七千石堀大和守様御城下ことことくつよくふるびかたさかミや田宿そんじる
高遠三万三千石内藤駿河守様御城下是またいたつてつよく上のすハ宮しま
三万石諏訪因幡守様御城下甚つよく松平六万石松平丹後守御城下是又
大いにそんじ殊さらしやうしつにおよぶ惣して人家牛馬のそんぼう
大かたならず松代十万石真田しなの守様御城下上田辺飯山二万石本多
豊後守様御城下辺いつれ大かたならさるそんしにてぜんかうじ近辺
までもひびきいたつてつよし又三州ハあら井宿甚つよくつなみにて家あまた■([虫喰])れる■([虫喰])ら
すか二川宿吉田七万石松平伊豆守様御城大いにそんじこゆ赤坂藤川岡崎■■([虫喰])其外
尾州路伊勢路紀州路和泉河内摂津ハ大坂町々せんば御城近辺■([虫喰])崎てんましん町辺
安治川口すべて人家あまたそんじ又あぢ川橋ふなつばし高橋安治川■([虫喰])すべて小橋三
十六ケ所人家七百軒余道とう堀芝居泉州堺いつれも同日五日九ツ時頃大つなミにてことことく
流れ大船小船あまたそんじ又尼ケ崎御城下西の宮兵庫ハゆりつぶれやける其外はん州路上
いたつてつよくあわじ島阿波とく島御城下甚つよくやけるさぬき土佐迄も此ひびき大かたならず
紀州くまの浦つなミにて御城下近辺甚つよくふるう高野山なち山大にあれるよつて図面にしるす "		

地震 N033

十箇国大地震之図

嘉永7年(1854) 48×71

		
"十箇国大地震之図
夫天地不時の変動ハ陰
陽混して雷雨をなす地に
入れバ地震をなすアア神仏の
擁護も是を納ることかたし
頃ハ嘉永七甲寅年十一月四日
五ツ時大地震にてまづ伊豆の国ハ大島かんず三
倉三宅其外島々大小ゆりつぶれ下田ハいろ
が崎戸田河津いなし赤沢いとう北条にら山
仁田しゆぜんじあたミをせいづれも地をく
つがへすかとあやしむばかりにて家ハしやうぎ
だをしにたをれ一人として生ある心ちハなかりし
とかやしかるに時刻半時ほど過ると思ふころ
むさんなるかなしゆせんじ山一度くずれこの
もの音すごきことたとへんかたなし下田千軒の町大
はんつなミにておしながし大船四十五そう小舟数多
行えしれずやうやうのかれ得たる大船ハ遠州三州の辺迄
浪にひかれ行しとなり箱根宿山中三ツ谷大いにあれ
三島ハことことくつぶれ明神社より西へ五六軒東へ二丁余焼ル
駿州ハ沼津五万石水野出羽守様御城下しやうぎだをしにたをれ
宿半より先ハ焼失する浜手ハ津なミにて人家損亡多し原宿柏
原吉原宿富士の元市場ふじの根かた大にあれつふれ家多し富士川がけ崩れ二丁余り壊
川水わうくわん流れ岩渕此辺家あまたそんじ山々大にあれ崩るるかん原甚つよく由井の宿ハ
焼失する倉沢さつたとうげくずれ奥津内大水におよび奥津宿大につぶれ出火いたす所
是又名にしおふ奥津しら浪と古今の吟のごとくびやうびやうたる風原も一度に大津なミとなり
て清見寺の辺迄おしかさなるばかりに来の宿内人家あまた引かれし事に目もあてられぬ
ありさまなり尤此奥津宿ハむかしからつなみありし所なるとハや清水三保の松バら
甚つよく江じり宿大半つぶれ小吉田辺も同断也府中御城下つふれ焼失す弥勒
辺あべ川是又水かさなり留ル小島一万石松平丹後守様御陣屋下まりこ宿うつの谷峠
の峰大にあれくずれるなりおかべ宿藤枝宿甚つよく田中四万石本多豊前守様
御城下ことことくそんじやけ瀬戸川常に水なき川なれとも古今の大水にて候共又渡
りを留ル三軒家辺しまた宿つふれ大井川いにしへよりならびなき大水にして是を
見聞く者きもたましいをひやせしとかや又遠州ハ金谷宿つぶれ同坂とうげきよ
の中山大ぢごく小ぢこくことことくあれ実に是らを大小のぢこぐかとあやしむばかり
なり日坂宿大にそんじ掛川六万石太田摂津守様御城下いたつてつよくゆりつぶ
れ焼失す原川袋井宿見附宿池田いづれも大かたならず大天龍小天龍此川一ツ
一ツになるにもこらずしてつつみ五百軒ほど切れ込人家あまたそんずる也横須賀ヨリ
三千石西尾隠岐守様御城下相良一万石田沼玄蕃頭様御陣屋下浜松六万石井上河内守様
御城下ともにそんじ是より尾州様にいたりてもひびき甚つよく相州根ぶ川辺つよく箱
根山ハ御関所手前畑湯本風の神へんつよく小田原十一万三千百二十九石大久保加賀守様御
城下大いそ小いそ平つか四ツ谷ふじ沢辺かくべつそんしもなくかまくら江のしま
辺ハいたつてつよくりやうし町其外浜手大にそんじるなり三崎浦長州萩の
御大守三十六万石松平大膳大夫様御持場りやうし町其外浦々人家つなミにて家数
二百軒余引ながれる浦賀金さハつなみにてそん亡多くなかなかもつて筆につくし
がたし大津ハ紀後熊本の御大守五十四万石細川越中守様御持場近辺つよくそんしるなり
又とつか宿ひびきつよくほとかやかな川かわ崎大師かわらへん江戸ハ山の手
下町とも所々少々つつのそんじ所有之甲州ハ身のぶ山大にあれるはたこや町近辺
つるせかつ沼いわさ辺殊さら甲府ハ御城下大にそんしにらさきたいがはら武州ハちちぶ四万
此辺山々大にあれる中仙道ハ信州わだ峠辺より下のすハしほせバえ山ならハ八五原宮こし福
はま御関所辺上ケ松す原の尻辺つよく山々崩れあるひハ谷々大にそんしるなり又坂田
二万七千石堀大和守様御城下ことことくつよくふるびかたさかミや田宿そんじる
高遠三万三千石内藤駿河守様御城下是またいたつてつよく上のすハ宮しま
三万石諏訪因幡守様御城下甚つよく松平六万石松平丹後守御城下是又
大いにそんじ殊さらしやうしつにおよぶ惣して人家牛馬のそんぼう
大かたならず松代十万石真田しなの守様御城下上田辺飯山二万石本多
豊後守様御城下辺いつれ大かたならさるそんしにてぜんかうじ近辺
までもひびきいたつてつよし又房州上総の両こくともいたつてつよく房
州なかうの浜津なミ人家そんぼう多くなかなかもつてあわれといふもお
ろかなり惣して人家ハいふにおよハず土蔵並ニ大船小舟のそんぼういくばく
ともごんごにのへかたしやうやう七日夜日かづ四日にしてゆりやミ諸人あんとな
すとハいへども未だきやうぶの思ひハさらさりしとかやかかる折から諸国のゑん
者いかで人じゆうとしてあんじさらんものハあるべからず一刻もはやくこの
あんびを告げあんどなさしめんこ専一なれバ其たよりにもなるへきまま
委細を図面にあらわしかくハしるす
{右下}御大名様方御城下十八ヶ所
郡数 五十六ヶ所
寺社 千二百余ヶ所
里数 立百二十リ余巾七十リ余"		

地震 N034

大地震之図

嘉永7年(1854) 33×71

		
"遠江駿河甲斐伊豆相模武蔵大地震之図
よみはじめ 頃ハ嘉永七甲寅年十一月四日あさ五ツ時六ヶ国大地しんの次第をたづぬるに御府内ハ水道橋へん
小石川へん町やしきとも諸々そんじ駒込より下谷池のはたへん大小ゆり家少々そんじおかち町通り
表うらやしき少々そんじ本所深川木バにて余ほど立家そんじつきじてつほうづ少々のけが人
あり丸の内にてハ御やしきなが屋諸々いたむ夫より東海道は品川宿はじめ川さき
かな川程がや此へんも余ほどふるひ本牧金ざハ浦が三さき此へんも余ほど
ふるひつなミにて人家大にそんじ城ケ島つなミにてそんじるかまくらハ
八ツ七郷七りがはま江のしまつなミにて往ら
いとまる又道中すぢハ戸
つかふじ沢平つか大いそ小だ原
へんハ少々ふるひ箱ねハ殊の外つよ
くふるひ山々くすれ大石大木のふる事
あらましの如し出火も両三か所あり
根ぶ川の御関所
いづ山
まなづるつと
川ないなとり
下田大にふるひ山
しんどうして空一
めんにくろく出火あま
たの上其丈二十丈余の大
つなミ人家をまき込ゆくへ
しれず大船漁船を山におし上
地ひびきハ百千のいかづち一度に
おちるが如くしいづ一ゑんにゆりとをす
夫よりミだ松さきへんよりあまぎ峠のくづ
るる事おびただしくわうらいとまり又三しま
宿ハ明神より西へ少々東へ二丁半そんじ御社
につつがなしぬまづの御城下そんじやける原よし原
かんバらともに少々いたミゆ井の宿やける
おきつハ入つなミにて家大にそんじ江尻
宿いたむふ中御城下ことことくゆり町家
あまたそんじるまり子おかべふじ
枝宿にハ多分の事なし
しまだ宿大にゆり
大井川まん
水にてわうらひ留ル
金や宿大にそんじ
菊川高水小夜中山ふるひ
日坂少々也掛川御城下大にゆれるふくろ井見付ハ少々
天龍川まん水はま松御城下ちう夜三日の間ゆりまい
坂あらゐハかく別の事なしといへ共入つなミにて人家そんじる
今切の御関所にさわりなし白すか二タ川吉田五ゆ辺
まで大にゆれともかくだんの事なし又かけ川より秋は
ほう来寺道守町一のせこなら川までの所ハ多分
の事なしいぬ井秋は山ハ樹木大石をたをしおびただしく
ふるふといへとも焼亡のうれいなしうんあ石打くま
大平す山大の迄の所少々ゆりほう来寺ミね
の薬師等すべてゆりたをしかどやしん城大木
ことごとくゆり又東海道ふじ川ハ水ひ上り
わう来三日とまる岩ぶちより右へ身
のぶ道ハまつの村さかい川水あふれ
万沢南部へんあまた
ゆり身延七面山ハ
七ツの池水あふれ
出る事をびただしく
波木井里ハ人
家あまたゆり
たをし下山切石
分てかじか沢ハ
おびただしく
此所にて手な
らい子ども
六十余
人一同
に
けがあり青柳ふせ此辺もおびただしくふる
ひ市川辺も余ほどつよく甲ふ四十六ヶ町やしき共
ことごとくふるひ分てみどり町柳町あたご町ハ人家を
ゆりつぶしことごとくあれる信州わう来ハにらきさきだいがハらつ
た木甲信境金沢峠上のすわ御城下此へん殊にてひどくゆり池
の氷くだけ四方へさんらんして人々なんじうに及ぶ下のすわ
ハかく別の事なくしほ尻峠ききやうが原村井此へんことことく
ゆり松本御城下分そんぼう同国松代御城下大にゆり又わき道
ざい郷のそんじあまた也といへどもかぞへあぐるにいとまあらず只
大略をのミここにしるす又江戸表より東ハ下さ下さぼう州とも
にゆるといへ共分て下さちやう子ハつなミにて人家多くそんじ
大船漁船あまた行へしれす常州の海へん諸々つなミ多く
人家そんず近年まれなる大地しんなれども人命ニ
かかわらざるハ全く太平のよたく神国の徳風にして
あをぐべしたふとむべし
{左枠内}◯太平御治世以来寛文五年越後国大地震元禄十六年
関東大地震文化九年十月四日同関東大地震文政十年
越後国大地震天保元年京都大地震弘化四年三
月二十四日信州一円大地震嘉永六年相州小田原箱
根大地震同七年十一月四日より六日迄諸国大地震◯寛
文九年大坂大津なミ寛保元年松前大津なミ文化元
年奥羽両州山つなミ天保十二年松前大つなミ◯
延宝四年諸国洪水天和三年江戸大水享保十一年長崎
洪水同十三年江戸大水寛保二年東国洪水両国橋落ル
寛延二年小石川大水安永六年関東大水寛政三年諸
国大水同四年江戸大水文化五年関東出水文政七年同出水
其後格別のつなミ洪水なし当年海辺のつなミ古今稀也"		

地震 N035

諸国大地震並大津浪

嘉永7年(1854) 46×68

		
"諸国大地震並大津浪
嘉永七寅年十一月四日大地しん
大津浪の次第書記す
先東かいとうすじハ左之通り
紀州浦々ハ別紙ニいだす大地しん
大津浪諸国共大がい五ツ時より四ツ時迄
志摩国一ゑん大津浪にておしながす
伊勢国ハ同日同刻神辺御成下並ニ
白子町大じしん津なミ津の御城下
松坂町ニ大ししん大津浪ニて大そんじ
山田町ニハ同断其上焼しつなり
朝熊山大あれ二見辺大津なミ在々大そんじ
尾張国ハ野間辺もろきみた辺大津なミなり
ちりうミや辺ハ無事なり亦三河国ハ同日
五日過二川宿大そんじ吉田御城内大そんじ
町方在々あらましそんじ御油宿赤さか宿
藤川宿少々そんじ岡ざき御城下丁ニハ
少々なり同国田原御城そんじ丁々在々大そんじ
同国西尾御城町家ともそんじつなミにて
在々大そんじ遠江の国は先金谷宿
大そんじ日坂宿そんじ掛川御城内
大そんじ丁家不残焼しつ袋井見付宿そんじ
浜松御城内ことことく大そんじ町家在々迄大くづれなり
舞坂あらい大そんじ七り海大あれにて人家大いにそんじ
御ばん所も大そんじ白すかもどうだん同国松から御陣屋
大いにそんじ人家不残大つなミにておしながす横須賀
御城内町家在々とも殊の外大そんじ秋葉山辺
山々しんとう大くづれ駿河国ハ沼津御城大そんじ同宿
不残つふれ焼しつ原よし原かん原宿大いにそんじる由井宿
つぶれ焼しつなり沖津宿つなミにて大そんじ江じり宿
つぶれ大そんじ清水のミなと大つなミにて大はんおしながす
府中御城内大そんじに相成町かづ九十二丁内
焼しつ又御城石がきくつれ宮寺町方
土蔵まで大半くづれ死人けが人多分
なり焼しつ場所ハいものし丁江川
丁横田丁院内丁下横田丁
御だい所丁八わた丁迄焼失
申下刻火しづまるなり
二丁町ハ大くづれ田中御城内外
大いにそんじ焼しつすまり子宿うつのや峠
岡戸宿ふじ枝じゆく大つなミにてつぶれ
又大井川ハ古今の大ミつにて川とまる
伊豆国ハ五ツ半時頃下田ミなと
御陣屋をはしめ家かつ千二百
間の所大つなミにてのこらず
おしながすやうやう五六間
のこる大しま其外島とも
はなはたつよく大地山々しんどうにて
われる大船三四十ほかにふね数た
いくへしれずまた白はまハつなミにて
五百けんほどながすふじのニしと云所十二丁ほど
くがなり是人三百石つミの大船頃あがる其外
五百石つミ二そう是また右在方へうちあげる
其外にら山御陣屋あじろいとうあたミ真つる
外のかたハいろさきていし至るがにじま太田へん
ことことく大そんじ大つなミなりわけて豆州駿州
遠州ハ死人けが人多し三島宿ハ大そんじ明じんより
西ヘ五六けん東へ二丁ヨやける相模国ハ箱根しゆく
大そんし御関所も大そんじ山々しんどう大石をふらし
ゆもと納メ七とう共大そんじはた山中辺ハ甚だつらし
しまいハかいどう迄水を吹也けかいどう一ゑんニとまるなり
小田原御城内ハ少しそんじ沼中ハ余同どそんじ大蔵かづ
三十ケ所ヨくづる是より大いそ平つかふじ沢戸つか程がやかな川
川さき宿在々迄かくべつのいたミなしかいがんすハしハ本もく辺ハつなミ少々
金沢辺つなミ浦賀大津ミさきへんハいづれも大つなミにて大そんし
又かまくら江のしまへんも大つなミにて余ほどのそんじなり
夫より江戸の方六郷川大もりはねだはま川さめづへん
品川高輪へん少々宛のそんじあり扨大江戸ハ小石川辺より
丸の内西御丸下辺外さくら田辺屋しき方久保丁あたこ下辺
余程のいたミなり日本はしすしハかくべつのことなし本所並
深川辺ハ諸々そんしるなミあらくうミなり大汐を
うちあぐる其外下総てうし九十九り辺ハ余ほどのそんじ
上総かいがん房州かいがんハ津なミにて諸々
あれる其外山々在々かきつくしかたし
{下段}頃ハ嘉永七寅年十一月四日東海道
すじと同日同こく朝五ツ時甲州
信州上州大地しんニて諸方大そんじ
先甲斐国は府中御城内ことことく
大そんじ石かきくづれ御城下ハまつ
八日町一丁目うら通りのこらずくづれ
二丁目ハ中ほどまで大そんじなり
さかな丁一丁目中ほど迄二丁目
三丁目四丁目ハかくべつのことなし
五丁目ハ不残大そんじくづれ候
尤二丁目ハかたかわ大はんくつれ
山田丁おもてうらどおをりともくづれ
けが人あまたありやなき丁ハ大
半くづれれんじやく丁あらまし
くづれ片は丁にしのかたハ
ぶなんあとハ大そんじ金手丁
西之方ハみなくつれ東之方ハ
無じなり桶やまちくづれ
其外町家大半くづれそのうえ
出火ニて御城下町家大はん
焼しつにおる也又にらさき宿
白さきしゆくも大はん大そんじ
其うへ出火ニてやける身のぶ山
七めんざんも山山大しんどう
ニて大いにあれる■([虫喰])府手まへハ
石和宿大そんじかつ沼つるせ
両宿大そんじ其上焼しつ
くろのだはつかりはなさき宿
も大そんし富士道ハやむら
おのま吉田宿ふじ北口へん
まで大あれ大そんじなり
大づき宿駒はしさるはし宿
大そんじさるはし大いにいたむ
とり沢犬目のだじりへん又
つる川上の原宿とも少々そんじ
郡内すじハ余ほどのそんじなり
相がミぶん関のにしのおとら宿ハ
少々ニて相すむ小ほとけ駒木の
へんハかくべつのことなし秩父も右
同断八王子日の府中ぬのた高井戸へんハ江戸くらゐにて相すむ也
又信州路ハ仲仙道すじ福しま
辺かけはし辺宮のこしやぶはらなかや
にへ川此へん少々のそんじなり
又は所によりいたミおおし本山せハしをしり辺ハ
余程のそんじ高島御城下高遠御城下
とも大はんそんじくつるる下すハ並ニすハ
辺そんじミづかミ大そんじ和田峠大くつれ
大いにあれる長久保あしだもち月八わた
しをなだハ少々宛のそんじあり岩村田宿ハ
大そんじ大半くづれ小田井追分へんハ少々なり
小むろ御城下上田御城下とも少々のそんじあり
松本御城内大ハそんじ町家ハ大かいくづれ其上
出火にて焼しつなり松代御城下辺もいたむ
川中島たんば島善光じへん少々つつにてすむ
くつかけかるい沢浅間山辺大いにあれる又
あさま山けむり此日一向にいでず其外山々
大しんどう坂もと松井田宿所々そんじる
安中御城少々宿中も少々そんじ板はな宿
高さき御城少々そんじ町家所々そんじあり
倉かのしん丁ハ少々本居ふかや熊か谷宿
江のすおけがわあげを大ミやうらハわらび
いたばしすじハ江戸ほとにてすむなり
ここにまた下野国日光御山門諸国
同日同刻より御山大あれにて大風
大あめにて四日五日六日迄ちうや共
三日のあいだ大■■■([虫喰])りにて御山ハ
いふにおよばずはち■([虫喰])辺いまいち
へん大さわへんえいくかし子といふ
かづをしらずかミなりおつる
人家山川田はたのきらいなく
所々ヘおつるまた中せんじハ
なをきら山あれ大せき大
ぞくをうちをる
同日同こく五ツ半過
飛騨国一ゑん高山御城
大そんじ人家ことことくくつれ
横山おち合大そんじ村々出火
の場所も所々にあり都合国数
むさしさかミいづするがとをとをミみかわ
おわりいせしま紀州せつつやまとかわち
いつミひだしなのかうづけしもつけ
合十八ヶ国ヨなりよつてゑん国の
しるべえあんひをつげんがためにここに記す "		

地震 N036

大地震の図

嘉永7年(1854) 40×55

		
"遠江駿河甲斐伊豆相模武蔵 大地震の図
頃ハ嘉永七甲寅年十一月四日朝五ツ時伊豆駿河甲
斐遠江相模武蔵六ケ国大地しんにて甲州ハ甲府
迄つよく伊豆ハ下田辺七島とも甚つよく家つぶれ大
地山々われ大ふね四十五そう小舟あまた行えしれず
白浜つなミニて五百軒ほどながす其外赤沢仁田真つる
伊とうふせあたミ修ぜんじ辺大にそんじ箱根山
大にあれる三しまハ家つぶれ明神より西へ五六軒
東へ二丁ヨやけるするがハ沼津水野出羽守様御城
下そんじやけるはらよし原かん原ともつぶれ
家多し由井宿ハやけるおきつハ入津なミに
て人家大いにそんじ江しう宿つぶれ府中
御城下大にふるひ二丁町ハつぶれる又田中本多
豊前守様御城下大にそんじやけるまりこうつ
のや峠岡べ藤枝島田宿そんじ大井川古今の
大水にて留ル也遠州ハ金谷日坂とうげ大にあれる掛
川太田摂津守様御城下横須賀西尾おきの守様御城
下ことごとくそんじふくろ井見付浜松井上河内
守様御城下辺迄殊之外そんしる也相州小田原大久
保加賀守様御城下大いそ平つかふじ沢へんかく
べつのいたミもなくかまくらへん武州かなざハ
べ([ママ])ん大にそんじうら賀又三崎ハ入津なミにて
そんじる其外此辺つよくいる也戸つかほとがや
かな川川さき辺江戸にても少々づつのそんじ
あり房州なごの浜津なミにてなかれる又中
仙道ハ信州路大に山々くずれわうらい留り
昼夜何ケ度となくゆりやうやう六日の夜
しづまり諸人あんどなすよつて遠国の
親類へあんぴを告んが為ここにしるす "		

地震 N037

諸国大津波大地震

嘉永7年(1854) 37×54

		
"諸国大津波大地震 夫天変ハ神力を以ふせぐべからす嘉永七甲寅年十一月四日朝
五ツ時大ぢしん大津なミにてまづ伊豆ハ大島其外しよしよゆりつふれ下田
不残大つふれご三島宿ハことごとくつぶれ明神社ハ左右ハやける相模武蔵
の国ハ格別の事も無之三浦三さきの辺大津なミ潰箱根山中あれ
駿河ハ沼津宿つぶれ宿半よりやける浜手ハ津なミ原宿吉原宿ふし山
ほか永山あし高山中あれるふし川がけくずれ二丁余むまる岩淵蒲原
由井宿焼興津宿津浪人家牛馬共死多し三保の松原清水辺流死
江尻宿つふれ府中御城下大そんじ七分通やける鞠子岡部しまた甚しく潰
大井川古今の大水也甲斐ハ身のぶ山川内辺かしか沢市川甲府御城下
町在大つふれ信濃ハ飯田御城下辺町在中あれ高遠御城下諏訪御城下
中通松本御城下三分通そんしやける松代御城下同断上田御城下善光寺へん
ひびき大かたならず遠江金谷日坂峠崩さよの山中掛川袋井見付宿
大あれ天竜川大水浜松舞坂あら井宿{異筆くずれ}大津浪人家牛馬死数しれず
三河ニタ川吉田御油赤坂辺迄損し数多なり尤赤坂より京都までハ宿々
中あれ次立自由也尾張路ハ一ゑんそんし有之伊勢津御城下そんし有
松坂あさま辺大あれ山田大神宮両社別条なし田丸御城下
大ゆれ津なミそんし志摩鳥羽さきべん三さきから津波損
伊賀上野御城下大そんし大和郡山辺大あれ春日社上三輪
大そんし河内国大かたならず紀伊ハ熊の浦大津之人家共
数多あわれなり高野山なち山汐見山大あれ和歌山御城下片浦
大あれ和泉大津なミ人家共あわれ也摂津大坂御城別条なく町々
大そんし五日夕刻より天保山沖大津なミニて崩沖中ニかかりたる大舟
小舟人家の家根ニあたり大そんしはし数多くづれ流死人数しれず
川筋に死人三千人ヨかかる泉尾新田辺不残村々に迄水入込
大そんし尼ケさき御城下池田伊丹須摩うらへん大そんし丹波路ゆれる
山城京ふしミ淀の辺まて中あれ近江大津草つ石部水口土山辺同断
播摩明石御城下姫路御城下高さご脇坂御城下三日月林田赤ふ御城下
辺一ゑん大そんし備前岡山御城下在々山々迄大崩備中松山御城下
大そんし備後福山御城下町在共中あれ安芸広島御城下大ゆれ宮島
大そんし周防国ハ中あれ長門長府御城下下の関大あれ阿波一ゑん
あれ徳島御城下やける其外在々そんし淡路須本へん浦々津浪人家流
讃岐高松御城下辺そうづ山金ひらへん大そんし伊予西条小松辺今治
御城下辺大す御城下町在共大そんし土佐高知御城下其外小松崎大津浪
にてことごとく流けか人死人数知れす筑前筑後両国ハ格別之そんし無之豊前
一ゑん大そんしにて中津御城下小倉御城下ことごとくふるう也豊後まない郡
中下原丁辺杵筑御城下辺田うら高崎日出御城下岡御城下辺佐伯
御城下へん長おかさかの関辺そんし浦々大津浪肥前大村御城下辺
いさはや佐賀御城下辺其外浦々長崎大津なミなり平戸御城下辺とも
大にそんしる肥後白川へん八代御城下熊本御城下人吉辺大にそんし海岸大津浪
日向延岡御城下大そんし大隈さわりなし薩摩御城下近辺そんし有越前
福井御城下丸岡御城下町在とも大そんし若狭ハ一ゑん中あれにして
格別の事無之依之此所下ニしるすなり "		

地震 N038

関東大地震図

嘉永7年(1854) 35×71

		
"関東大地震図
嘉永七寅年十一月四日朝
五ッ半時過頃関東すじ大
地しん先南の方ハ伊豆国
下田のミなと御陣屋をはじめ
町家在々ハいふにおよバず家
かづ多くうちくづれ中にも海(うミ)
べきん辺ハ大づなミにて百けん
余も打ながされ夫よりにら山
御ちん屋其外あじろ伊とう
あたミまなづるへん外(そと)のかたハ
て石ひるが小島北(ほう)でうへんは
ことごとく打くづれ夫より駿河の
国ハいちゑん田中御城ハ町家とも
のこらずくづれ其上焼しつなり
府中の御城もやける町家大い
にそんじ出火なり江じりおきつ
大つなミ由井かん原ハ半やけなり
沼づ御城も焼しつ町家大そんじ
其外海道すじ在々迄大しんどう
又三島宿ハ皆くづれ其上出火
相模国ハ一ゑん箱ね。山ちうハ
山々しんどうくづれ大石をふらし
ゆもとを初メ七とう共大いにうち
崩れ御関所きんへんこすいハ
大なミをかいどう迄うちあげる
夫より小田原手前ハ少々にて相
■むかいへんのかたハ本もくへん
相州うらが町々在々山中に
いたる迄大つ辺三崎辺ことごとく
しんどう東海道すじハ江戸
より品川しゆく大森羽田へん
川さき大しがわらかな川
ほどがや戸つかふじ沢へん
江のしまかまくら金ざハへん
ことごとくしんどう又むかい
ぢの方ハ安房かづさ下総
きんへんのこらずうミなかの
うミめいどう大なミうちあげ
大せん小せん多くそんじ
西北之方ハ上州一ゑん武州
熊ケや宿より中仙道江戸の
かた大いにそんじ又ちちぶやま
ハしんどう大くづれ甲州かい
どうハ高井戸府中。郡ない八王じ
小ぼとけ辺甲府ハ焼しつなり
夫より身延富士手前より
相州路在々山ちう迄しんどう
凡七八ケ国ほどの大地しん
同日夜四ツ時過又々しんどう
同時七ツ時ごろ二どほどしん
どう又々次之日夕七ツ時過
ころしんどう
所方にて人家人馬かづ
しれずそんず又かいへんは
船そんじ候事そのかずを
しらず先あらましをしるす
さて大江戸ハまるの内どおりより
西のおん丸下通り日比谷御門うち外
近ぺん外さくらだへんハ南部様御長屋
ことごとくうち崩れ松平時之助様御屋
しき其外大小名御やしきうちそんじ
夫より南之方ハ久保丁兼ぼう丁へんを
初メ町方大きにそんじ夫よりあたごの下通り
御やしきあまたうちそんじ芝へんハ大いにしん
どう北之方ハ小石川ごくらく水きんぺん
町家多く御やしき方もうちそんじ又山の手
へんハ少々にてあいすミ東之方ハ大川すじ
本所ふか川木バヘん立川すじをはじめ
中にも釜やぼりきんぺんハ殊の外そんじ
又ふか川かいへんハ大いにしんどうミ中ハ
めいどうころしもひきしおの所又々
二三ど汐うちかえし候其外にもつなミ候
ふねもおおくミづうちいれうちかえし又は水中へ
しづミ候ふねもあまた有之候其外近在ハ書つくしがたし "		

地震 N039

大坂の大津波(仮)

嘉永7年(1854) 17.5×24.5

		
"{前欠} 納屋等に至る迄悉(ことごと)く大船の為に打砕(うちくだ)かれ且
道頓堀川筋ハ日吉橋汐見(しほミ)橋幸(さいわい)橋住吉橋この
四ツの橋押落(おしをと)し其音百雷の落来ることく漸
大黒橋にて水勢三方へわかれる故此所ニて
船止る込合居候船千石已上已下の船凡三百余
艘釼先(けんさき)以下の小舟凡千艘崩(くず)れて形(かた)ち無之
舟数を知らず又安治川は同様の勢ひなれ共(とも)
川はばひろく道頓堀川筋よりハ死人破船(はせん)等も
すくなく橋ハ安治川橋亀井橋二ケ所落ち堀
江川筋落橋水分橋黒金橋長堀川高橋落る
道頓堀西横堀金屋橋帆柱(ほばしら)にて半崩れ実(じつ)に
あハれ成ハ地震最中(さいちう)に上荷茶舟等の小舟
にておもひおもひに地震を除(よけ)んとて内川に
舟住居(ふねすまい)致し且ハ浜側(はまかハ)の明地(あきち)へ逃出(にけだ)し居候
男女老若右の津浪にて一人ものこらす水
死(し)いたし候恐るべし恐るべし "		

地震 N040

大阪川口大つなみ混雑記

嘉永7年(1854) 36×48

		
"大阪川口大つなみ混雑記(こんさつき)
{上段}摂津大地震二編
ざま宮絵馬とうくづる
いなり石とうろう同おたびのざしき
新町東扇やざしき
願きやうじまへ七八ケん
なんば安如じつりかねどう
てんま妙見ゑまどう
南御堂北ノ辻角
四天王寺しやかどう
こつ堂前の花たて石
諸堂大そんじ
梅田きんへんくつるる
花御やしき土蔵そんずる
さのやはし北つめうら長家くづれ
御池はし西つめにしかし高へい
町々かまや其外とうふやそんじ
下寺町浄国じ本どうくつれ
寺々はかしよ石ひこける
柏はら村家くづれ出火す
堺つなミニてつきぢはし落死人あり
さのつなミして大さハぎ
兵庫七八軒家くづれる
西みやなだ大坂同だん
奈良春日 社町家大くづれ鳥居金とうろうくづれ落
{下段}于時嘉永七寅十一月
五日昼七ツ半時大地震
同暮六ツ時震ふ同時に
大坂天保山沖安治川
木津川尻なし辺大津
なミにて沖の大船二千
石積以下三百石くらゐニ
いたる迄ことことく川口へ
打登し又ハ海岸へ打
上るもあり川岸などの
家を舟にて打くたき船どうかこ夥しく溺死に
及ふ其数しれず其外上荷茶船小舟等ハ大船
の下しきとなり溺死のもの数しれず尚又町内
より舟にて地しんを避んと沖へこぎだし又ハ内
川につなぎ居もありしかるに波矢よりもはやく
して退く事あたハすついに数多込入舟におそふ
ハれ舟くたけ人死する事おびただしく又橋々を
帆はしら大船の為に打くたくはし名別ニ有其騒動こん
さつなる事目もあてられぬありさまハ実に七難三災
かくやあらん誠に古今稀代の珍事也其外
新田天保山大あれにて筆紙ニ
つくしがたし
落橋
かめ井はし 安治川はし
国津ばし 並高はし
水分はし くろかねはし
日吉はし 汐見バし
幸はし 住吉はし
金屋はし
大黒はしにて
とまる
{袖}嘉永七寅十一月五日暮六ツ時 "		

地震 N041

摂州大坂津波の大略

嘉永7年(1854) 17.5×24

		
"摂州大坂津波の大略
図のごとく安治川
筋ニてハ新堀近辺より
松ケ鼻上博労下博労都て
此あたり一ゑんに
数千の大船大山の如く
のりかさなり百石位已下
以上の船又ハ小船又ハ皆々
したじきニ相成又ハ彼ノ船
はしる事幾何艘の限り
なくすべて海近辺ハ
どろうミのごとく
小家などハことごとく
ながれあるひハくづれし
家またハ死人■■■([虫喰])
数しれず津なミは
夜八ツ半時ごろニおさ
まり候得ども地しんハ未だ
おさまり申さず候誠に
古今稀なる大変ニ御座候
遠方へしらせのため本しらべ
{袖}嘉永七寅年十一月■([虫喰])日  "		

地震 N042

泉州 堺津波之絵図

嘉永7年(1854) 25×36

		
"泉州堺津波之絵図
嘉永七寅十一月五日酉ノ上刻
より大地震中ニ津浪来て市中
殊之外驚キ兵庫沖より風吹キ
来て一面之とろ水ニ成大船
小船ニ至迄一時ニ川中へ入込橋々
悉突落怪我人死人夥敷
何れも水入白海之如く誠ニ前代
未聞之騒動大方ならず
其荒増を知ス
橋落
死人
凡五十七人 "		

地震 N043、N044、N045

聞書諸国並大阪大地震つなミ

嘉永7年(1854) 35.5×48 、嘉永7年(1854) 36×48 、嘉永7年(1854) 34.5×47

		
"聞書諸国並大阪大地震つなミ諸国早飛脚へ申参り候由
尼ケさき
十一月四日朝五ツ半時より大
地震トなりつき地凡家数
二百けん余りくづれ辰己のわたし
南詰宿屋茶見せ共残らず
くづる市中凡三百軒余り崩
内川八尺余りの高水トなる
五日夜まで三十五六度のゆり
死人数凡百人余けが人数知ず
失人数有之由誠ニ哀至極目も
当られぬ次第也
六日の朝迄三十二度ゆり一尺二寸
西ノ宮灘同神戸兵庫皆々
同様の大ぢしんにて家数
多くくづれ死人数知レず
けが人多く失人凡八百人
いづれもゆり同様
丹波園部
同四日五ツ時より大ぢしんとなり
家かず凡二百軒余り死人二百人余
失人数しれず近在五六ケ処
大にそんし
亀山凡百軒あまりくすれ
三田凡七十軒余くづれ
其近在九ケ村大にそんじ
家数凡百五十軒余り崩
けが人多く死人凡五十人計
失人数しれず何れもゆり同様
大坂つなみ
十一月四日朝五ツ時より大地震ト成
委しくハ下段にしるす
同五日又々度々はけしくゆり
市中人々あわて舟へかけ出候所又々
大つなみにて新田其外島々
水につかり大船浪ニ追れ内川へ
のり込にて逃出る舟人橋々崩おち
人損じ又ハ岡へ打上りさんざん之所
逃候人々舟々向ふより追れ大船に
敷れあたりさまさまして死す人凡千
人共千五百人共かず不知
大船凡三百艘余小舟千艘あまり
くづれ破そんのふね数しれず
大船の為にくつれたる橋の名爰に記
道頓ほり川筋日吉橋田蓑ばし
幸橋住吉ばし大黒橋にてとまる
かふやばしくずれる堀江川筋水分橋
くろがねバし長ほり高橋江子島かめ
井ばし安治川橋落る 凡ゆり八寸
奈良
同四日朝五ツ時より大地震と成一人も
内にゐる者なし家内蔵くづれ清水
辺西手貝通り五六軒くづれる
五日より昼夜かけて又々はげしく先に
残たる家ミなミなくづれ
郡山大体同様の大地震也
逃る人幾千とも数しれず
たびたびの大地震ゆへ其混乱
筆につくしがたし
大坂大地しん
清水舞台ミちんトナル
天王寺村所々大ニそんじ
さのやばしすじ塩町北へ高へい崩死人アリ
京町ほり羽子橋ばし北詰四五けんくづれ死人あり
かごや町角間口十七八間くづれ
北久太郎町丼池北へ入四五けん同断
永代はま大土蔵 同断
ざま石鳥井ミぢん崩絵馬堂崩
さつまぼり願教寺たいめん所くづれ
北ほりへ四丁目五軒崩あミた池西ノ門
一すぢ西の辻南へ回四けん幸町東へ極
より南へ五六ケん堂じま桜橋南詰西ヘ
七八軒順けい町丼池東へニケん崩かかり
本町狐小路禅寺高へいくづれ上極
島天神の門井戸家形北江戸ぼり一丁目
高塀十五ケん崩天満天神御霊いなり
高津皆境内井戸抜絵馬堂大に
そんじあハち町中ばし大道
われる安治川三丁目十四五けん崩
同所順正寺茶の間本堂くづれ
いたちぼり中ばし宿両かわ崩
其外うらうらかし屋またハ
土蔵などハ一々筆につくし
がたし
天王寺境内いろいろ損じ並ニ
太鞁堂くづれる寺町辺々損じる
福しま五百らかんくづれる
凡ゆり 五寸
市中毎夜毎夜如此にて大道へ
畳杯を敷屏風或はむしろにて
かこひ夜を明し内に
ねる者一人もなく
誠ニ誠ニ哀至極
なる事
前代未聞
の事なり
{袖}嘉永七甲寅年十一月 "		

地震 N046

大地震大津波

嘉永7年(1854) 49×36

		
"摂州大坂泉州河内大和紀州大地震大津波(おおじしんおおつなミ) 都合五ヶ国
頃ハ嘉永七寅年十一月五日夕七ツ半時大じしん
同日暮六ツ時又々大じしん同時に大坂天保山
沖大つなミして安治川すじ木づ川尻なしのへん
おき中の大船二千石づミ以下三百石づミぐらいに至ル
までことごとく川口へうちのぼし又ハ海岸へうち上ヶ
かしなどの家をふねにてうちくだきせんどうかこの者
おびたたしく死する者共かづしれず其外上荷茶船
小ぶね等ハ大船の下しきとなり死する者かづしれず
尚又町々より舟にてぢしんをよけんとおきへのりだし又ハ内川
へつなきいるもありしかるに大なミ矢よりもはやくして
しりぞくことあたわずついに数多こみ入る船におそハれ
船くだけ人おぼれ死することおびただしく又橋ばしをほ
ばしら大船のためにうちくだく其はしはしにハかめいばし
安治川ばし国つばし高ばしミづわけばしくろ金はし日吉はし
汐ミばし幸ひはし住吉はしかねやばし大こくはしにて止る
其そうどうこんざつ成こと目もあてられぬありさまなり
まことに古こんきたいのちんじなり其外しんてん天保山
近べん大あれにて筆紙につくしかたし●其外市中
大そんじのぶんざまのミやゑ馬とうくづるるいなり社とう
ろうくづれおたびのざしきしん丁東あふぎやさしきトモ
くづれる願きやうじまへ大はんくづれなんば安にふじ
つりかね堂大くづれてんまふけんゑまどうくづれ南の
ミどう大そんじ北のづちかどくづれ四天王寺しゆろう
とうあつ堂前のはなたていし並諸どう大そんじくづれ
梅だきんべんくづるる御屋しき土蔵多くくづるさのやばしきた
くら長屋くづれ御池ばしにしうら町々かまやとうふやハ
大そんじ下寺丁深国し本どうくづれ其外寺々大そんじ
柏原むらくづれおとす其外ハ書つくしがたし
同国尼ケ崎ハ大そんじ西のミやなだ大坂同だん
兵庫ハ右同断大そんじ●泉州ハ一ゑん也
中にも堺大つなミにてつきぢばしぶち死人多し
又さの橋ミさき貝づか辺大つなミ人家多く
おしなかす●河内国も一ゑん大ししん大そんじ
一中にもさ山たんなミへんハ大そんしなり
一大和のくにも一ゑんにて中にも奈ら春日
やしろ大そんじ社家町家とも大くづれなり
鳥居或ハ金とうろうくつれことことくおつる
郡山御城下ハ大じしんにて諸々そんずるやぎう
にいづミ高とり御城下もことの外そんじるやなぎ
もと辺ミわはせのへんも大そんじ又吉のやま
ハ大あれにて山々より六水ふきいだすなつ川
へんも大そんじ大ミね山迄なとも大しんとう
にて諸々くつれミづわきいたし人家ハおおく
大そんじになる其外諸々かきつくしがたし
●紀伊国ハ一ゑん海かんにハ先かだのうらへん
大なミをうちあけ人家大いにそんじ和かのうら
へんふし代かいがん大そんじ由らのミなと大つ
なミ田辺辺おなじく大そんじ内のさき江うらへん
おなじくいづもざき日高うら近へん大つなミにて
人家多くながし人じにおおし又新ぐうへんハ大そんじ
和歌山御城下ハ少々にて高野山ハ大しんとう又ハ
大あれにて殊の外山内くつれそんする其外ハ
もよりもよりにて大小のそんじあり
其外志摩国伊勢の国ハ次へいだし書しるす"		

地震 N047

摂州大坂並ニ諸国大地震の図

嘉永7年(1854) 27×41

		
"摂州大坂並ニ諸国大地震の図
頃ハ嘉永七甲とら年十一月五日六日摂州
大坂大地震にてせんば御城近辺堂島てんま
新町道とんぼりへん安治川口すべて人家多く
そんずる又あぢ川辺大津なミにて天保山崩れる
安治川ばしふなつばし高橋其外小橋三十
六流す安治川辺人家七百軒ほどながれ大船
小船そんじ其かづしれず尼ケさき御城下大いに
いたミ西の宮辺池田伊丹辺兵庫ハ家つふれ
又ばん州ハ明石加古川辺迄もひびきいたつてつよ
し四国ハ阿波とく島御城下ことごとくゆり焼る也
其外近郷のこらずふるうさぬき土佐もひびき
つよしあわじ島ハ惣してことごとくつよく紀州
ハくまの浦大津なミ人家あまたながれるわか山■
く大いにそんじ加田辺田辺辺本宮新宮日高辺
いたつてつよくふるひ那智山高野山大ゐにあれる和泉
ハ岸和田辺宿々惣してつよく堺ハつなミにて人家損
ぼうおおし河内国分藤井寺辺宿々在方とも
いたつてつよく大和ハなら郡山はせよしの惣
してつよく伊勢ハ田丸辺山田内宮外宮両
社ハ別なし其外近辺つよくそんじ多
し久居御城下八田の辺甚つよくふるひ津
の御城下ハことごとくふるうかんべしろこ
桑名四日市辺より大津辺迄もひびき
甚つよくおいわけやましな辺
ふしミ近辺是又ひひきつよく
淀ひらかた橋本守口辺ことことくそ
んじ又尾州ハ格別のことなく三州ハ
吉田辺つふれ家多く其外宿あら井ハ
つなミにて損亡多し遠州掛川辺つよく
宿々のこらす駿州おきつつなミにて流す
富士川がけ崩れ埋府中宿やける沼津御
城下三島宿とも焼夫する伊豆下田ハ
大いにゆりつなミニて人家損ほう多し
よつて諸国のゑん者へあんびをつげる
たよりにもなるべくまま委細を図面にし
ここにあらわすなり"		

地震 N048

大阪大地震津波記

嘉永7年(1854) 23.5×31.5

		
"大阪大地震津波記 難波本清板
嘉永七甲寅十一月四日朝五ツ半刻大地震同五日七ツ半刻より夜
五ツ半時迄大地しん津波にて安治川木津川辺につなぎおき
たる所の親船大津浪にて一同に道頓堀の川へおし入日吉ばし
汐見はし幸橘住吉ばしを押やぶり大黒橋にてとまる川中ハ
大船にて十文字たて横におし破りかさなり合候ゆへ浜川蔵
屋しき町家土蔵納屋ことごとく船さきにて押しやぶり小舟
茶舟等ハ大船におしつぶされ道とん堀大こく橋迄元船入こミ
候事ハ実に前代未もんの大さうどうに有之候
一大坂地震にてくづれ候場所ハ左之通せんば辺ハ座摩の社内鳥居
ならびに門たをれ北久太郎町其外大くづれ塩町佐の屋ばし角
堀死人けが其数しれず南本願寺御堂ハ北西へそんじ御霊
の社井戸くづれじゆんけい町辺丼池大くづれにて出火致し程なく
しつまり長堀へん板屋はし北詰大くづれ阿波座さつま堀へん
願教寺たいめん所つぶれ永代橋京町堀へん三四軒やける天満
の社内うら門近辺池田町ひがし天満へんハくつれば所数しれ
す中のしま辺常あん橋角大にくづれ西横ほりへん新町遊女
屋の所大くづれ堀江へん四ツはし御池通り土佐様御やしきの堀
くつれあミたが池の辺大にくづるる安治川九条へん南ハ永町辺
幸町ノ辺栄ばしへん西づめ大くつれなんば新地しん川辺また
あんにう寺の鐘つきとうつふれ住よしの石とうろう残らすたをれる
その外末社くづるる上町へんのばく上本町へん玉つくり辺御祓筋
くづれ二けん茶屋へん上町清水ぶたいつぶれ天王寺近へん此
外市中くづれ場所数しれす
摂州尼ケ崎の御城はそん御城下五十軒程つぶれ西ノ宮兵庫なだ
三ケ所大坂同様南海紀州熊野浦よりしま遠江なた伊豆大浦迄
凡百五里余の海がんの人家津波にて大半流失致候猶追々
諸国の場処出板仕候 "		

地震 N049

摂津大ぢしん

嘉永7年(1854) 32.5×46.5

		
"摂津大ぢしん
四天王寺清水寺舞台崩レ落ル本堂聊も不損
舟場いなり西鳥居そんす
舟場御りう社内井戸家形くずる
舟場狐小路本町寺の高へいくずる
舟場順けい町どぶ池南東角やしきくずる
堀江あミだ池うら門西之辻くずる
南ほりへ四丁目かめばし西之辻南くずる
幸栄はし西詰南へ入くずる
しらが町観おん前せんこだい横町高へい
さつまほり願教寺たいめん所
あハざ戸や町西ゆきあたり此辺多し
永代はま大土蔵
新中はし大そんじ
ざこば石津丁角
北江戸堀一丁目高へい十軒計り
丈さいはし東へ入土蔵つくり
常あんはし南かど
浄正はし土蔵一ケ所
汐津ばし南土蔵同北一ケ所
上ふくしま天神門同中井戸家形土蔵
板本社同下絵馬堂其外五六ケ所
羅かん本堂北門同野中丁十軒計り
さのやはし筋塩町北入高へい崩
舟場北久太郎町どぶ池北入西かハ家三軒
本町心さいはし東入うら長屋
天満天神井戸家形
安治川順正寺茶の間本堂大そんじ
安治川三丁目十二三軒ばかり
国津はし東西一ケ所づつ
道修町せんだんの木高へい
阿ハぢ町西土蔵
町々瀬戸物店又ハかハらや大そんじ
材木やことことくたをれる
西成郡惣社座摩宮石鳥居崩落ル
中寺町当麻寺掛所門
同となり本堂そんじ
同源正寺門
寺町浄ごくじ
高津はし正院高へい
御くらあと家四五けん
はご板はし北詰角
なんばてつげん寺釣かね落其外諸堂大そんじ
堺平の八尾久宝寺其外近辺ことごとくそんず
同ぎおん石とうろうこける
大仁村せん寺本堂くするる
尼崎城下大そんじ
{袖}嘉永七寅十一月四日五ツ半時震
{奥}此外数多在之候得とも繁多ゆへ篤と相しらべ後編ニ出す"		

地震 N050

諸国大阪 大地震大つなミ末代噺

嘉永7年(1854) 35.5×49

		
"諸国大阪大地震大つなミ末代噺
町家くつるる分
北久太郎町どぶ池北へ入 三軒
じゆんけい町同 二軒
堂しまさくらばし 四五軒
あわざ葭のよこ町 六軒
かごや町両ごくばし 十六軒
長ほり御堂すじ裏 六軒
高はし牢御やしきまへ 一軒
立うりほり中ばし 両角 江戸ぼりけん才はし北つめ 一軒
幸町東堀南へ入三けん
ぐわんきやうじうら門 二十軒
ほりへかめばし西の辻角
あミだ池うら門西の辻
幸栄はし西づめ
常あん町南角 三軒
本町心才ばしうら 五軒
京町ほりはご板ばし北づめ
東在三ツ鳴村
本町丼池辺
家たをれて
火事となる
さのやばししほ町角死人アリ
道雲町両こくばし東
しらが町くわんおん堂
江戸ぼりけん才ばし
本町浄久寺
高津寺南御堂
土佐おやしき
高へいくづれる
天ま天神
福しま中の天神
御りやう社
丸かめ金ぴら社
井戸やかたくづれる
下の天神
延岡御やしき
丸亀金ぴら
天王寺町金ぴら
えま堂くづれる
中の天神
坂本
上ノ天神
表門
鳥居くづれる分
座摩の社
天神御たび所
長町びしや門堂
浄こくじ
たへまてら
源正寺
門くづれる
永代浜
汐つばし
弾正ぱし
あわぢ町
舟大工町
高津新地御蔵跡
土蔵崩る
清水ぶたい落ル
王造りいなり同大そんじ
五百らかん
大仁むら
あじ川順正寺
本堂くづれる
しらが町くわんおん
なんばてんけんじ
■■安ゆうじ
釣かね落ル
十一月五日七ツ半時
二度目大地震
諸方のあれ損したる次第筆紙に
尽しかたく其あらましを記ス
座摩社えま堂いなりの社
石とうろう新町扇やざしき
くわんきやう寺前天満妙見堂
下寺町浄国寺本堂あ
わ座戸口町近辺凡百軒計り
高原蝋や納家十三軒
せと物町本町北福島一ツたい
大崩れ安治川富島戎島
高津新地玉造り近辺近在
生玉寺町本堂たをれる
其外所々方々崩れ損じ
筆紙ニ書つくしかたく候
尼が崎
大坂同時刻の大地
震家数三百軒
余り崩れ辰巳の
渡し宿や茶店
残らずくづれ内
川八尺余りの高水
となる築地家
数二百軒崩れ
死人百人計り
在之
西の宮灘目神戸兵庫
いづれも同事の大あれ家数
多く崩れ並ニ明石播州
路前同事の大あれなり
摂州伊丹池田並ニ其近在
大地しんなれ共崩れたる所なし
服部辺寺二ケ寺大くつれ
天神様お宮くづれかける百性
家崩れたる所数多あり
住吉石とうろう八分たをれる
末社大損じ
天王寺しゆろう堂たをれ所々
大そんじ
河内村々二軒三軒四軒計り
も崩れたる所数多在之
其外追々出板仕候
大坂市中
並ニ近在共
毎夜毎夜図
のごとく大道
明地へ畳敷
屏風むしろ
にてかこひ夜
を明し内ニ
寝る者一人も
なし誠ニ誠ニ
あわれなりける
有さま前代
未聞の事なり
干時嘉永七寅十一月
五日夕七ツ半時より
再度の大地震と
相成半時計り震ふ
同時に沖雷の如く
うなり出しつなミ
となり丈計りの
大波打沖の大船
矢を射るごとく馳
込其勢ひに橋を
打くだき又ハ川端
の人家土蔵を崩し
船頭加子数多溺死ス
大船斯のことく馳込事
ゆへ三百石已下又ハ釼
先茶ふね上荷小船ハ
下敷となり或ハ吹
飛され又ハ破船し
しづミ其こんざつ
筆紙に書尽し
かたく候
諸川落橋の分
安治川はし
かめいはし
国つはし
長ほり高はし
水わけはし
くろかねはし
木津川江尻なし
川前文同やうの
事にてなんば島
寺島勘弁島
其外近辺大水
あぶれ出ミなミな
家根へ上り助け舟
を呼ぶこへ誠に
あわれなり水ハ
早速引候へとも
家の内を気遣ひ
老人子供ハ舟に
乗せ浜辺につなぎ
おく所右大船馳
込事ゆへ小舟ハ破
溺死又ハ行方不知
船数多目もあて
られぬ次第なり
道とんほり川下より
落はしの分
日よしはし汐見はし
幸ばし住吉ばし
金やばし西よこほりの
南のはし
木津なんば村
尻なし川
新田はたけ中へ
千石船打上候
此辺り家
そんじ候
勢州
四日市大坂同時震出し
凡一時計り翌五日卯の刻再
度之大地震人家五十軒
崩れ怪我人少々在之
山田右同事大半崩れ
大混雑其外近辺大てい
同事
尾州
宮名古や近辺大てい大坂
同事にて所々大ニ損ス
関坂の下石部草津
大津其外近辺大てい前ニ同事
志州鳥羽
大坂同時の
大地しん
翌五日大つ
なミにて
御家中市
中大かた
流れ込死人
数しれす
其外勢州
白子神戸桑名同事
奈良
清水辺家土蔵余程崩れ西
天目大道ニて五六軒樽井町ニて
二三軒五日八ツ半時までニ十ぺん
ゆる春日鳥井崩れる
伊賀上野
其外近辺南部同事
山城木津
前同事家数少々崩れけが
人少々在之
京都
四日五日両日共大坂同事震
町ハ別条なく神社仏閣高
見之所ハ少々損ス
丹波園部
四日五ツ時より大地しん家数二百
軒計り崩れ死人失人数不知
亀山
同事凡百軒計り崩れる
三田
凡七十軒計りくづれ其
近在九ケ村百四十軒計り崩る
泉州紀州海辺大坂同事の
大あれ大つなミにて人家共
大損じ
{袖}嘉永七寅十一月四日己上刻翌五日酉上刻"		

地震 N051

摂州大津波の次第

嘉永7年(1854) 35.5×48.5

		
"摂州大津波(せつしうおおつなミ)の次第 十一月五日じしん 委(くわ)しくしらべ遠国へしらせのため
五日七ツ時より大地震ゆり夫より七ツ半時よりほらの
鳴出したる如くたたし雷よりハおそろしく鳴音市中へ
とどろき何事成とふしきニ思ひ夫よりくれ六ツ時つなみ
しかたわかりかね候へども二丈五尺計りなる大波立来ル
事大方ならず道とんぼり大ふね小ふね数そう押上ケル
其数しれず大ふね凡三百せき計り小ふねハ其数わかりが
たし大船に押つぶされわかちなく大体崩れ候ふね
数しれず又ハ船頭行方しれざるも有けが人有事多し
其大ふねにて橋つき落しか往来くんじゆの人々川中へ
橋とも落込候ハ誠に誠におそろしきあハれノ次第又道頓堀
にてハ日吉はし唐金はし幸ばし住よしばし中程ニておれ
くぼみ但し大こく橘迄数艘の大ふね小ふね押よせ小ふねハ
大ぶねにはそ([ママ])まれ打割又ハよこに成も帆柱さけたるも有
さんざんに船くづれあハれなる事世にハおそろしき事中中
述がたく又ハ前々よりの大地震をのがれんため茶ぶね上荷
三十石ふねを仕立老人女子ともなど多く乗置候処へ数
多のふねのりかけ打わり男女手を合おがみたすけくれよと
其声あわれなり尤たすける人多くあれども助ケる
ことあたわず身ころしに成事数しれず
堀江川黒金ばし水多し此所船皆道とんぼり同やうニなる事
即死けが人数多なり長堀高ばしハ両方ニて少しのこり真中ハ
大ふねかためニさけ落此処ニても即死けが人多くあり四ツ橋
船二艘踏くいへもたれみじんニなる事立売堀船二三十
艘押よせけるも少しの事ニ候阿波座ほり右同断是よりさこば
近辺船あまたくずれけが人少々御座候寺島辺浜手死人
波ニて打上候事まことにあハれなり此近辺へ船あまたおしよせ
混雑すること大方ならず安治川船ニて押おとし小ふね
大ふね一度をしよせ右同断そく死あまた有事其数多し
亀井ばし船ニて押おとし候へども船くづれる事少し也
天保山近辺少々そんじ又ハしりなし所々のしん田
大ニそんじ木津川大井([ママ])ニ損じ木津又ハ右なんばむら
少々そんじ住吉浜手よほどあれ申候堺市中浜手
大方ならず物音いたし人々何事ならんと大きニおとろき
夫よりさわき候へどもあちらこちらとさわぐ内大つなミ故
いかかせんとしんぱいいたし候へどもいづれへゆく事もあたわず
誠にあハれなる事いい方なきしだいなり飛脚肴や等
商ばい相休か事候是よりいづミ辺紀州まで此大へん
言語にのべがたしけが人数多あれども遠パう
にて相わからず略す
西口井戸の辻東南角大くつれ家十軒計りの事同東ノ辻西角六軒
大方くづれ立売ほり近休表こけかけ座摩絵馬堂くづれ
七福寺山北がわ三軒大くづれ安二川一丁目しん正寺本堂くづれ
同二丁目六七軒大そんじ南安二河三丁目両かハども大そんじ
大渡北両かハとも大そんじ此外数多損じ略ス伝法村
寺二ケ寺大くずれ百姓有大そんし有大和国四日五ツ時
五ツ時ゆり出し家くづれる又五日七ツ時ゆり出し和州
春日石とうろうおよそ二百本計崩れる同二月堂
石とうろう三本くづれる外ニけがなし同郡山人家六けん
くづれる外ニけがなし河内国すミの堂辺の崎此近辺
村々大くづれ其外ニそんじ候処多し平の凡三十間余大くづ
れそんじ候所致しれず此外諸方数多そんし候所も
ある也
{袖}嘉永七甲寅年十一月五日"		

地震 N052

浪花大地震の次第

嘉永7年(1854) 36×48

		
"浪花大地震(ぢしん)の次第 並ニ他所
▲天満天神井戸やかた大
くずれ夫より東寺町寺院
門塀くづれ此近辺少々
ヅツいたみ家たをれかけ
候所数多御座候住家ならず
▲西寺町金毘羅さま鎮守
堂大くづれ不動寺本堂
ひしなりに大そんじ其外
此近辺ゆがみたをれ大
そんじ堀川戎境内少々
のいたミ此辺東西南北
少々ツツのそんじ有
▲堂島此近辺少々のいたミ
あれともさして大そんしなし
新地うら町曽根崎むら
此辺少々そんじ大ゆがミ
の所下はら辺にて大損
したをれ候処数多有
▲福島上天神大くづれ
同うら門鳥居たをれケれ
同中の天神はいてん大
くづれ同下天神絵馬
堂大くづれ社内そた家
四五軒西手ニて大くつれ
▲五百らかん門袖かへ大
くづれらかん堂大くづれ
尤羅僧像堂外へ出たるも
又ハ下じき哉其侭ニなるも
あり同大台大ひづミ光智
ゐん玄関くづれ本堂た
をれかれ其外寺々大そんじ
▲汐津ばし北づめ東ニ入人家
四五軒大くづれ同南詰
の大きなる土蔵前一方壁
おちくづれ福しま此辺
町家所々大くづれ又ハたをれ
かけ大そんじの所も沢さん
有之くだけかけ候て住家
ならず常安ばし南づめ
西角往来半ぶんたをれ
かけ其辺少々いたミ多
くあり
▲ざこば両国ばしかごや町
南西角十二三軒大崩レ
此近辺たをかけ候所二三所人往来不成
▲きの国ばし南詰西へ入表少々
くづれうら長家二三軒大
くづれ京町堀はご板はし
角人家大くづれ又ハ半丁
はかり西角五けん計たをれ
かれあわざならやばし
すじおくび丁角人家たをれ
かけ住居なりがたく同小間
もの棚西南角右同断
戸や丁はしはぶのよこ町
六七軒大くつれ戸や町すじ
あわばし西へ入南がハうら八軒
はかり大くづれ其外大そんじ
あまた有
▲願教寺たい面所大くつれ
境外あまたそんじ又は
帯や町北かハうら大土蔵島
蔵大くづれ見る物いたいたしく
▲北ほり江六丁目人家四五軒
大くづれ此辺くづれかけ
候処あまた有あミだ池本
堂少々いたミ境内少々い
たミ多くあり
▲塩町さのやはし高塀
西へたをれ即死二入有
おそるべしおそるべし
▲長ほりさのやバし東へ入
うら長家人家八九軒計
大くつれ住家ならず
▲順けい町丼池人家大ゆがミ
住家ならず二軒計りの事
▲久太郎町丼池北へ入人家二軒
大くづれ
▲南御堂少々そんし候事
本町狐小路寺大台うらて
くずれ
▲座摩表門寺内へをれこミ
又ハ門の柱をれ小宮少々いたミ
▲御堂井戸やかた大くつれ
此辺少々いたミ有之とも略
▲清水ぶたひ西へこけ大
破損と相成其侭留りぬ
▲天王寺辺少々いたミ有之
▲のばく蝋や納や十二三間計り
在候所土も蝋も一所ニ相成候事
▲高津じんち高津はし南ニ入
江かわや納や十軒計り大くづれ
▲玉造二軒茶屋一丁計
東大くづれ此の辺東西南北
そんじたる処其数しれす
▲道とん堀芝居少々損じ
いく玉烏居こけ神主
やしき近辺少々そんじ
▲寺町通寺町少々いたみ
うか見世辺遊行寺勝光
近辺いたミ候て住家ならず
▲天下茶や塀入廻り少々
くづれ外ニも少々有
▲梅田辺大くいたミ大仁むら
百性([ママ])家二軒くづれ寺下家
大くづれ浦郷むら安楽寺
本堂大くづれ百姓家一けん
大くづれ其外いたミ候ところ
数多ニ候由筆紙ニつくしがたし
▲北安治川通り大くづれ数多
御座候住家成がたく略
▲南安治川どくろ辺大に
そんじくづれたる所あまた
有之九条むら花だれじま
寺島富しま戒じま此辺
大くづれ損じ多く略しぬ
▲亀ばし土蔵川中へくづれ
こみいたわしき次第なり
▲辰巳の渡し近辺大くづれ
▲尼ケ崎町家四十軒余
大くづれ損したる所其数
しれす池田伊丹大じしん
なれどもくづれたる所なし
▲服部辺寺二ケ寺大くづれ
天神様宮くづれかけ百姓
家くづれたる所大ニあり
一河内村々二軒三軒四軒計り
も崩れたる所数多在之略ス
当夏已来大地震も御座候へとも此度の地震ハ古今
未曽大ゆり驚く事かきりなし余りめつらしき
故取あへず書しるす諸方遠方へ急ニしらさん事を
ここに略候
{袖}嘉永七寅年霜月四日朝五ツ半時より此夕方迄ニ四五度ゆる又夜中二三度ゆる"		

地震 N053

諸国大地震大津波 三編

嘉永7年(1854) 35×48.5

		
"諸国大地震大津波(おおじしんををつなミ)三編
御公儀様難有
御仁誠に依て市中
の人々是を悦び寔ニ
有がたく思わぬもの
一人もなし然るに
諸色米万端何ニ
不寄直段追々下直ニ
相成悦ぶ事限りなし
依之市中の人々第一
火の用心大切ニ相守り
万事の事心を懸物
事諸人ニ至る迄相慎
候事
大坂川口大津波の大略
安治川凡近辺死人凡
三百人ヨざこば近辺死人
凡二百入ヨ寺島同死人凡
五百五十人ヨ堀江川近辺
同三百人ヨ道頓堀木津川
近辺ニて凡三百人ヨ其ほか
所々二十人三十人あるひハ
十人五人と即死いたし候
事ハ世にハめづらしき事也
もつともけが人ハ其数し
れず即死の数凡二千余
に聞へ候此人々一度ニ声
をあげなきわめき其
あわれさはなすニはなし
きれ申さす候
十一月五日くれ六ツより夜
五ツ時過までの事ニ御座候
伊勢山田並志州烏羽
右同日大地震大あれ
にて人家大体半分
はくづれ大いなる
こんざつなりその
あわれさ申にたへず
ここに御筆のことく成ハ
御師さまハ年頭の
したくをいたされ
大坂表へのぼり此度
の大坂のつなみニて暦
等進物のたぐい難
船せし御方もあり
まことにまことに前代未
聞の事也尤大神宮
御社並ニ末社社家の
家々地震がために少々
いたみ候所数多く
▲志州鳥羽辺は同日ニ
大地震一通りならず
大ゆりニて人家くずれ候
事ハ大体其国ハ半ぶん
はかりくづれ候所へ大
津波打来り御家中
町家とも大半ながれ
人々の難義致し候ハあハれ
なり其大変文面の
しらせのうつし是ニしるす
尾州路 書しるす事数多有とも略ス
同日同刻大地震にて
町家損じたる事その
数をしれず寺院名古や
御城下御家中ハ申ニ不及
大地震ニて大崩言語に
のべがたくまことにまことに
あはれなる次第なり
伊勢四日市 十一月四日辰ノ半刻より
大地震ゆりはしめ其
おそろしさ弁述に
のべがたくもつとも
家かず三十けん計り
ゆりくづれ男女
子どもにいたる迄その
混雑おそろし事成ニ同日
申ノ刻ニ迄ニ又ゆり大地われ
益々強くゆり人々其中へ
落込候事ハ其数しれず
又同日いせ津へん同様なり
尤家かず二十四五けんも
くづれそんじたるを
其数しれず外ニ白子
かんべ松坂桑名へん
大しじんなれども
少々のいたみ
{袖}嘉永七甲寅十一月四日五ツ半時より"		

地震 N054

本しらべ大坂大地震大破略記

嘉永7年(1854) 35.5×49

		
"本しらべ大坂大地震大破略記
西宮八十軒計家つぶれ
一北久太郎町丼池筋西北角
家半分計りゆがみ
一同北どなり一軒くずれ
同北どなり半くずれ
一順慶町どぶ池すじ東南角
同東となり二軒余くずれ
一塩町さのやばし筋東北角より
北へ丁さかいめまで高塀くすれ
けが人あり
一長ほり御堂筋北づめ浜西へ入
北かわ納屋一ケ所うら借家
五六けんばかり崩れ
一さま宮表門石鳥居崩れ
一天満天神境内井戸家形崩レ
同所土蔵くずれ
一御霊境内井戸家かたくずレ
一南御堂高塀くずれ
一福しま天神表門くずれ
一中之島延岡御屋敷鎮守
八幡宮絵馬堂くづれ
一天満梅がへ寺町行あたり正容寺
境内金ひら社絵馬堂くつれ
一本町狐小路浄久寺西手
横高塀くすれ
一淡路町中ばし辺大道われる
一福島中の天神本社拝殿共
くずれ
一同所下の天神絵馬堂崩レ
一あミだ池一丁西うら町
家二十けんばかりくづれ
一せと物町本町より北
たをれ三けんばかり
くづれ
尼三十軒ばかり
家くづれ
一京町ぼり羽子板ばし北づめ
西角浜がわ家二三けん計り
くずれ出火ニ成候由
一同西両こくばしかごや町
西南角間口十六間ばかり
くずれ
道雲町両国橋すじ東へ入
高塀くづれ
一江戸ぼり大才ばし北づめ東入
家一けんくずれ
一さつまぼりくわんきやうじ
境内たいめん所くずれ
一同所うら手長家二十軒計り
くずれ
一あわざやぶのよこ町西がわ
家五六軒計りくずれ
一立売ぼり中ばし筋南北
両角くずれ
一幸町東樋より南へ入人家
二三軒計りくずれ
一堂じま桜ばし南詰西へ入家
五六軒くずれ
一福しまかうちん前家一軒
くすれ
一高原牢御家しき前の家一軒
くずれ
一西高津新地御蔵跡辺土蔵
一ケ所くづれ
一天王寺清水ぶたい大破
一ふくしま五百羅かんくずれ
仏くらしくすれる
一大仁むら民家多くくずる
一同五日七ツ時半時ばかりゆり
同五日くれ六半より安治川口より
大つなみ凡千石舟より小舟
数しれスつぶれ並死人かず
しれス並はしつぶれ
住吉橋 さいわひばし
しほミばし 日吉ばし
黒かねばし かなやばし
天王寺からん御慶亀井水
大こうどう生玉かくら所
下寺丁両国寺本どう
つぶれ委敷ず後偏ニ出し
{袖}嘉永七寅十一月四日巳上刻より凡半時計りの間 "		

地震 N055

大阪大津波の図

嘉永7年(1854) 24×36

		
"大阪大津波の図
嘉永寅年十一月四日朝五ツ半時より
仲雷のごとくいうなりつなミと成高サ
一丈余り大波打来り天保山近辺寺島勘介島
なんば島家根へ上り又ハ船をかり家内をのせ侯船ハ
みなみないのちをうしなひ凡人数千とも二千とも
数しれずつなみにて道とんほり下日吉はしより
唐かねばし幸ばし住よしばし四ツのはし押おとし
大こく橋迄千石已下のふね凡二三百計り入込
釼さき茶ふねてんまとも堀江川下水分はし
黒金橋長ほり下高ばし安治川はし
みなみな橋おしおとし筆紙につくしがたし"		

地震 N056

大地震大津波場所書上之覚

嘉永7年(1854) 23.5×31.5

		
"一大坂より四国路中国筋九州の辺ハ四日五日より八日迄の間日々しん
どう相やミ不申候又尾州宮宿内大にそんじ浜手二十三軒つふれ
御役所つぶれ亀崎半田大津浪津しま名古屋清須のへん
少々のそんじハ数しれず伊勢桑名御城御城下共大にそんじ
長しま辺四ケ市つぶれ家四十三軒はま手ハ大津浪庄野石薬
師へんハ地われつぶれ家多し亀山御城そんじ町家大にくづ
るる神戸田子へん少々津の御城町々共大にそんじ浜手大津
浪山田の町ハ家蔵大にそんじ恭くも両御宮ハ御別条なし
田丸御城下八岡山越大にくづれ往来とまる紀州田辺御城
下へん新宮御城下辺熊野へん惣名九十九浦黒江日方藤代
大津浪ニてゆかより三尺計り汐上ル同広浦七分とふり流失いたし候
又河原箕しま由良の湊流失いたし大崎有田日野加太日高
へん大にそんじ泉州岸和田大にそんじ堺の町ハ大坂同様に
大そんじ摂州高つき御城下辺八幡山崎辺淀の御城下伏見町々
京都洛中洛外山城大和河内少々のくづれハ其数しれず
一越前福井の御城下大にそんじ同つる賀辺丹波亀山同その部辺
四国路一円阿州徳しま御城下大にそんじ其上出火五百羅かん辺大に
そんじ土佐国大つなミ淡路しま大津浪丸亀御城下へん高松御
城下大にそんじ予州大地しん摂州三田御城下辺池田伊丹播州
明石御城下大ニそんじ姫ちへん赤穂へん備前田の口下村辺備中倉
舗玉しま備後尾の道鞆福山御城下へん三原御城下へん安芸
広しま宮しま周防長門豊前小倉御城下へん鶴ざきへんつぶれ
家多し豊後国府内御城下四百軒程つぶれ同別府御代官所
二百三十四軒つぶれ同鶴崎熊本御領分大地震大つ浪日向
灘汐のさし引ふ時にて大海大に荒れる肥前肥後長さきつぶれ家
四百軒唐人屋敷おらんた屋敷大にそんず古今希なる事故ここに記ス
浪花本清板"		

地震 N057

諸国大阪 大地震大つなミ末代噺

嘉永7年(1854) 31.5×37.5

		
"諸国大阪大地震大つなミ末代噺
町家くつるる分
北久太郎町どぶ池北へ入三軒
じゆんけい町同二軒
堂しまさくらばし四五軒
あわざ■のよこ町六軒
かごや町両ごくはし十六軒
長ほり御堂すじ裏六軒
高はし牢御やしきまへ一軒
立うりぼり中ばし両角
江戸ぼりけん才はし北つめ一軒
幸町東堀南へ入ご三けん
ぐわんきやうじうら門
二十軒
ほりへかめばし
西の辻角
あミだ池うら門西の辻
幸栄はし西づめ
常あん町南角
三軒
本町心才ばし
うら五軒
京町ほりはご板ばし北づめ
東在三ツ島村
本町丼池辺
家たをれて火事となる
さのやばししほ町角死人アリ
道雲町両こくばし東
しらが町くわんおん堂
江戸ぼりけん才ばし
本町浄久寺
高津寺南御堂
土佐おやしき
くづれる
天ま天神 井戸家形くづれる
福しま中の天神
御りやう社
丸かめ金ひら社
下の天神ゑま堂くづれる
延岡御やしき
丸亀金ぴら
天王寺町金ぴら
中の天神
坂本 上ノ天神表門
鳥居くづれる分
座摩の社
天神御たび所
長町びしや門堂
浄こくじ門くづれる
たへまてら
源正寺
永代浜
汐つばし
浄心ばし 土蔵崩る
あわぢ町
舟大工町
高津新地御蔵跡
清水ぶたい落ル
王造りいなり同大そんじ
五百らかん
大仁むら 本堂くづれる
あじ川順正寺
しらが町くわんおん
なんばてんけんじ 釣かね落
木津安ゆうじ
十一月五日七ツ半時
二度目大地震
諸方のあれ損したる次第筆紙に
尽しがたく其あらましを記ス
座摩社ゑま堂いなりの社
石とうろう新町扇やざしき
くわんきやう寺前天満妙見堂
下寺町浄国寺本堂安
下座戸や町近辺凡百軒
高原蝋や納家十三軒計り
せと物町本町北福島一たい
大崩れ安治川富島戎島
高津新地玉造り近辺近在
生国寺町本堂たをれる
其外所々方々崩れ損じ
筆紙ニ書つくしがたく候
尼ケ崎
大坂同時刻の大地
震家数三百軒
余り崩れ辰巳の
渡し宿や茶店
残らずくずれ内
川八尺余りの高水
となる築地家
数三百軒崩れ
死人百人計り
有之
西の宮滝目神戸兵庫
いづれも同事の大あれ家数
多く崩れ並ニ明石播州
路前同事の大あれなり
摂州伊丹池田並ニ其近在
大地しんなれ共崩れたる所なし
服部辺寺二ケ寺大くづれ
天神様本宮くづれかける百性
家崩れたる所数多あり
住吉石とうろう八分たをれる
末社大損じ
天王寺しゆろう堂たをれ所々
大そんじ
河内村々二軒三軒四軒計り
も崩れたる所数多有之
其外追々出板仕候
大坂市中
並ニ近在共
毎夜毎夜図のごとく大道
明地へ畳敷
屏風むしろ
にてかこひ夜
を明し内ニ
寝る者一人も
なし誠ニ誠ニ
あわれなりける
有さま前代未聞の事なり
干時嘉永七寅十一月
五日夕七ツ半時より
再度の大地震と
相成半時計り震ふ
同時に沖雷の如く
うなり出しつなミ
となり丈計りの
大波打沖の大船
矢を射るごとく馳
込其勢ひに橋を
射打くだき又ハ川端
の人家土蔵を崩し
船頭加子数多溺死ス
大船斯のごとく馳込事
ゆへ三百石已下又ハ釼
先茶ふね上荷小船ハ
下敷となり或ハ吹
飛され又ハ破船し
しづミ其こんざつ
筆紙に書尽し
かたく候
諸川落橋の分
安治川はし
かめいはし
国つはし
長ほり高はし
水わけはし
くろかねはし
木津川口尻なし
川前又同やうの
事にてなんば島
寺島勘介島
其外近辺大水
あぶれ出ミなミな
家根へ上り助け舟
を呼ぶこへ誠に
あわれなり水ハ
早速引候へとも
家の内を気遣ひ
老人子供ハ舟に
乗せ浜辺につなぎ
おく所右大船馳
込事ゆへ小舟ハ破レ
溺死又ハ行方不知
船数多目もあて
られぬ次第なり
道とんほり川下より
落はしの分
日よしはし汐見はし
幸ばし住吉ばし
金やばし西よこほりの
南のはし
木津なんば村
尻なし川
新田はたけ中へ
千石船打上候
此辺り家
そんじ候
勢州
四日市大坂同時震出し
凡一時計り翌五日卯の刻再
度之大地震人家五十軒
崩れ怪家人少々有之
山田右同事大半崩れ
大混雑其外近辺大てい
同事
尾州
宮名古や近辺大てい大坂
同事にて所々大ニ損ス
関坂の下石部草津
大津其外近辺大てい前ニ
同事
志州鳥羽
大坂同時の
大地しん
翌五日大つ
なミにて
御家中市
中大かた
流れ込死人
数しれす
其外勢州
白子神戸桑名同事
奈良
清水辺家土蔵余程崩れ西
天目大道ニて五六軒樽井町ニて
二三軒五日八ツ半時までニ二十ぺん
ゆる春日鳥井崩れる
伊賀上野
其の外近辺南部同事
山城木津
前同事家数少々崩れけが
人少々有之
京都
四日五日両日共大坂同事之震
町ハ別条なく神社仏閣高
見之所ハ少々損ス
丹波園部
四日五ツ時まで大地しん家数二百
軒計り崩れ死人失人数不知
亀山
同事凡百軒計り崩れる
三田
凡七十軒計りくづれ其
近在九ケ村百四十軒計り
崩る
泉州紀州海辺大坂同事の
大あれ大つなミにて人家共
大損し
{袖}嘉永七寅十一月四日己上刻翌五日酉上刻
{袖に異筆}此図より場■見候ても舌ヲ巻テ
驚申候大変なり
{奥に異筆}余り恐敷事故
朱書いたし候由也
{天に異筆}格別之
大火ニも無之
無し
{天に異筆}此処之死人
乳母一人子一人
馬士一人也
{天に異筆}石ノ大鳥居高サ
一丈八尺計り
ニて継目無之
一本之立石也
{奥に異筆}四日より九日迄右之通り広場にて
小屋掛いたし住居候事"		

地震 N058

大地震末代噺種  二

嘉永7年(1854) 17.5×23.5

		
"大地震末代噺種
座摩(ざま)宮
鳥居門
石とうろう
絵馬堂崩る
本社無事
怪家(けが)人なし
△本町心斎ばし筋東へ入
うら長や惣くづれ
△北久太郎町丼池北へ入所
西側家二軒崩る
△本町狐小路東側寺の
高塀崩る
△同所南の辻角より北へ
七八軒大そんじ
△南本町心さい橋筋東へ入
北がわ人家一軒大そんじ
△南御堂北西手の塀(へい)少々
そんじ南の門大ゆがみ
井戸やかた崩る
△博労町いなりの鳥居大
ゆがミ石燈篭倒(たふ)れる
△御霊(ごれう)社内井戸屋はた崩る
△塩町さのや橋筋角より
北へ半丁ばかり一丈余の
高塀(たかへい)西手へくづれ落(を)ち
死人三人あり
{袖}二"		

地震 N059

大地震末代噺種  三

嘉永7年(1854) 17.5×23.5

		
"大地震末代噺種
○道修町せんたんの木筋
高塀十間ばかり崩る
○順慶町丼池東南角人家
二軒大損じ天満
不動寺(ふどうじ)
大そんじ
本尊(ほんぞん)
菱形(ひしなり)に
なる
右の近辺ゆがミ倒れ破
損等おびたたし
○堀川の夷境内少々の
いたミ此辺東西南北
少々づつの損じあり
○天満妙見絵馬堂崩る
○淡路町西の土蔵(どぞう)くづれる
○長ほりさのや橋北詰の
裏長屋七八軒大崩れ
○天満天神井戸屋かた
土蔵大崩れ夫より東シ
寺町寺院門塀崩れ損じ
多し此近辺少々づつの
いたミ家倒れかけ候所
あまた有之住居ならず
天満
西寺町
金比羅(こんぴら)の
絵馬堂(えまどう)
大くづれ其外
損じ数カ所
あり
{袖}三"		

地震 N060

聞書諸国大地震並ニ出火

嘉永7年(1854) 37.5×50.5

		
"{右上} 聞書諸国(しよこく)大地震(ぢしん)並ニ出火
京大坂堺河内紀州播州
丹波丹後其ほか国々少々の
不同あれとも大体同時同様の
大地震誠ニ稀なる珍事也
奈良
寅六月十四日夜八ツ時よりゆり始メ明六ツ時迄少々ツツ
ふるひ十五日朝五ツ時より大地震ニて町家一軒も無事な
るハなく勿論一人も家内ニ居る事ならず皆々野又ハ
興福寺其外広き明地などにて夜をあかし大道
往来のもの一人もなく皆内を〆よせいつれに居とも
不分毎夜毎夜野宿ニて
目もあてられぬ次第也
南方清水通り不残
家くづれ木辻四ツ辻より
西十軒計り崩れ鳴川丁
ニて二部通りのこり
北方西手貝通りにて三部残り北半田西丁手貝通南北
大くづれ川久保町大崩れ家二軒残る中ノ方
細川丁北向丁風呂辻子町右三町別して大くづれ
其内ニも三条通りより北ハ少々くづれ都て奈良中
大そんじ前代未聞の大変なり
死人凡二百五十人小児五十人けか人数しれず
古市木津も家四五軒のこる
十六日暮方までに七十三度の大地震なり
伊賀
上野十四日夜九ツ時より大地震ゆりはじめ
御城大手御門大ニそんじ市中ハ凡六部通り崩
れ四部通ハ菱になり猶又鑓の辻より出火
にて黒門前迄焼失におよぶそれより島の原
といふ所より大川原といふ所迄螺のために
一面の泥海のごとく其混乱筆ニつくしがたし
■([虫喰])迄ニ七十五度の地震なり
郡山並ニ南大和
六月十四日夜九ツ時より少々ゆり始八ツ時ニ大地震
柳町一丁めより同四丁目迄家数凡三十八軒崩れ其外
市中凡三部通り家くづれ其外奈良同様也
死人凡百二三十人小児十七八人けが人多し
誠ニあわれ至極也是も十六日くれ方迄ニ七十三度
ゆる南大和ゆり出し同時けが人少々死人なし家
少々そんじくつれる程の事もなし
江州
六月十四日夜九ツ時より少々ゆり始七ツ時より大地震にて
三井寺下より尾花川と申所迄家数百軒余崩れ其外
ぜぜの御城少々そんじ土山などハ四五軒ヅツ七八所くづれ此内
の人六部通りおしニうたれ四部ハ助かる又石山ハ別して
大イ成岩なども崩れ落誠ニ大そんじ其外御城下
在町大そんじ是も十六日くれ方迄大小共六十八度ゆる
勢州四日市
六月十四日夜四ツ時ゆり始メ六ツ時より大地震と成家数
三百軒余崩れ昼五ツ時より出火ニて家数四百軒余焼失
死人凡百四五十人しれさる人二百人余
其外勢州尾州其辺の国々大ニそんじ候
越前福井
六月十三日五ツ時より塩町かぢや町より
出火東西南北共不残焼失
其朝大風ニてつくもはしより
二百町計寺院百ケ所両
本願寺共焼失近在凡
其夜四ツ時鎮り申候
又十四日夜八ツ時大地震
田地なども泥海と成所々の家崩れ死人凡四五十人十六日
くれかたまてに大小六十七八度ゆる
{袖}嘉永七年一ばんニ出ル
{右下}
早飛脚廻りにてくわしき所本しらべ大地震
諸国国々少々ツツの不同あれども大体同時
同やうの地しん也六月十四日より地震二十一日くれ
半時ニ又ゆり夜八ツ時に又ゆり都合八日の
間ニ凡二百七十五度の大じしんなり
和州奈良
六月十四日夜九ツ半時ゆり始メ大小とも度々
ゆり朝六ツより半時計大地震ゆり奈良東町あち
こち図の如く崩れ其時家の内ニ一人もいる事
ならず皆々野又ハ興福寺等其外ひろき
明地等ニて夜あかし南ハ清水通不残木辻の四ツ辻
より十軒計くづれ鳴川町辺ハさつぱり北西手貝通り
北半田西町南北大崩れ川久保町西川町北向町北風呂辻子町
此辺別して大くづれ死人凡百三十人けが人かずしれづ
同郡山死人凡七十五人計りけが人多し
同十四日夜八ツ時より十五日朝五ツ時ゆりつづけの大地震ニて町家
一軒も無事なるハなく勿論一人も家内ニ居る事ならす皆々野
はたけなど広き所の明地或ハやぶなどニて夜を明し大道往来の
者一人もなく皆内をしめよせいつれニ入ともわからず十六日くれ方迄大小
五十七度ゆる毎夜毎夜野宿ニて目も当られぬ次第也柳町一丁目より四丁目
迄凡七十五六軒くづれる其外町々右同やうの事也
同古市
同十四日夜八ツ時大地震処々ゆり朝明六ツ半
時より大地震町家一軒も不残崩れ家の内ニいな
がら死者も在門へ出て死者も在誠ニ誠ニ
あハれなると聞およぶ又ハおやしき町家
少々のこる誠ニまれなるおそろしき大地震也
死人凡大人百五十人計小児三十七人けが人数しれず
伊賀上野
右同日同時大地震にてお城大手御門口大そんじ市中凡六部通
くづれ鑓の辻より出火にて黒門まへ迄やけ夫より島の原といふ所より大川
原といふ処迄ほらのために一面のとろ海のごとく其そうどう筆に
つくがたし十六日くれかたまで五十七度のじしん也
死人凡二百余けが人おびたたし
伊勢四日市
同十四日夜四ツ時よりゆり始明六ツ時の大
地震也崩れ家凡三百六十軒あまり昼
五ツ時より出火ニて崩れ家とも四百七十軒
計りやけ大地震の上出火ニ付死人かず
しれず凡五百余りと所の人のうわさ
六月二十日やはり少々ヅツ地震ゆりながら
くれ半辺よりかみなり鳴出し大小とも
度々なり近辺へ七所おちる
明二十一日九ツ時まへ頃やむ
摂州大坂
六月十三日九ツ時ニ地震少々ゆり其日八ツ時又ゆり十四日
夜九ツ半時ニ大地震ゆり始メ大坂立町あちこちそんじ
両御堂少々崩れ損じ在神社境内皆々石燈ろう鳥井
等崩れ十五日朝五ツ時頃より四ツ時頃迄の内西北野里渡し
場辺残作てはたけの中深サ一丈計穴明黒土の泥水涌
出し其近辺暫泥海のごとし皆々驚ふしぎを書記ス也
山城京都
六月十四日夜八ツ時ニ大地震ゆり京町大さハぎニて東西南北東町
少々そんじ東山辺も南北神社寺院少々そんじ竹田海道七
八けんくづれ十五日しばらく往来とまる
尾州宮より佐屋海道筋又中仙道名古や辺少々そんじびや島ばし
清すすの又或ハ美濃路近辺雨大地震ニて人々大イニこまる
泉州さかい町家あちこち少々そんじ京町凡三軒計りくつれ家の
下敷ニなり凡五人計死けが人少々在安立町も少々損じけが人も少々在
三州岡崎近辺
同十四日夜七ツ半時より大地震ゆり始御城下町家
無残家の内ニ入者なし町々大そんじ又ハ田地ひらき
われ数万人の人之おとろき着るい金銀を用意して
大川原ひろき処へにげさる事なり但し
矢はきのはし少々そんじしハらく往来とまると云う
南山城木津
同十四日夜九ツ半時より東西南北の
あやちなく黒雲まい下り石ふり
かさぎ山より大岩等吹出し図の如く近辺大水と
なり
{袖}嘉永七年寅年二ばんニ出ル
{左上}
山城勢州大和三河江州越前聞書大地震(じしん)並ニ出火の次第
南都二十三日までニ八十五度ノゆり
寅六月十四日夜八ツ時よりゆり始メ明六ツ時迄少々
ふるひ十五日朝五ツ時より大地震ニて町家一軒も
無事なるハなし家内ニ居る事ならす皆々
野宿明地なとにて夜を明し往来人一人も
なく目もあてられぬ次第なり
二十一日夜五ツ時四坂町西方寺本堂
くだけ高佃神主高へいのこらす其外家数
くすれたる家かすしれす死人少々在之
死人三百五十人
けが人横死其数をしらず
伊賀上野
同十四日夜七ツ半時地震あれきつく御
城大手御門大損じ町々在々家々たをれ
其外出火ニて焼失島ケ原と申処五十丁
四方螺のためニ泥海の如く相成人家損じ
たる数しれす中々あわれなる事目も
あてられぬ次第也おそるべしおそるべし
江州石部水口
同十四日同刻の地震ゆり出し
所々人家いたミ少々ヅツあれたる
所あれども略之
土山庄の薬師亀山
同十四日同刻の地震大ゆりニて
無之候へども両宿すこし損じ
るゆゑ此処ニ書いだす
三河岡崎
同日同刻のゆりいだしにて
東の辺にて少し人家いたみ
度々ゆれども事かるし
京大坂紀州丹波丹後
尾州美濃木曽海道すじ
並ニ信州江戸ぶ難ニ御座候
右之国々京大坂同時同様の地震
にて二十三日まてしらせの事
勢州四日市
六月十四日夜四ツ時ゆり始メ六ツ時より大
地震ニ成家数五百軒余崩れ昼五ツ
時より出火ニて家数四百軒余焼失
死人凡二百四十五人しれざる人百五六十人
和州古市
同日同刻の大地震ニて池われ
人家多分くつれ死人六十七人けが
人数しれずのこる家数三けん計り
よりこれなく義ニ御座候
江州信楽
六月十三日大雨雷鳴事きびしく翌
十四日大地震ニて町々あれ人家たをれ
家数凡百三十軒計土蔵たをれ十八九戸
前けが人即死かずしれず
ぜぜ御城下並ニ石ば
十四日同刻大地震ニて御城下北大手出火ニて
御ほたい所焼失いたし候事其余御構高
へいこすいへをちこミ大へんの事也又石は舟
のりハ大石とうろうこすいへたをれ横死の人
も在余ハ右ニ推ししるべし
和州郡山
六月十四日夜五ツ時より少々ゆり始八ツ時ニ大地震
柳町一丁めより同四丁め迄家数凡三十八軒くづれ
同十八日二十一日六ツ半ニ又ゆりかへし八十五度のゆり
市中凡三部通り家くづれ其外なら同様也
死人凡百二三十人ばかり
越前福井
六月十三日昼五ツ時より出火ニて城下不残
焼失其朝大風ニて九十九ばしより二百町計り
両本願寺寺院百ケ所焼失近在凡
十ケ所焼失夜四ツ時ニしづまり申候
又十四日夜八ツ時より大じしんにて田畑など
も泥海と成所々の家くつれ死人凡
四五十人誠ニ誠ニ其混乱筆ニつくしがたし十六日
くれ方迄ニ大小六十七八度ゆる
{袖}嘉永七年六月本しらべ三ばん出ル
{左下}
一 和州奈良二十一日夜五ツ時より又々土地ゆり出し西方寺本堂
くづれ候へとも死人なし又神主家敷高塀築山ミなミな
くづれすべて奈良中ハ先の地震ニのこりたるところことことく
くつれ今ハ住家らしき所一軒もなし
一 郡山岡町菊屋と申宿にて泊り人二十五人死ス門外五丁目
花やと申宿ニて四十三人死郡山町中二十三日まて死人改三百八十
人家数六百三十軒土蔵百八十ケ所寺四ケ寺
一 古市地震ニて大水出御屋敷をはじめ町家不残ながれ木津近辺も
笠置山くつれ岩なと落是も大水と成ミなミななかる
一 江州大津近辺石ば船番所等湖水へたおれこみ横死三人
信楽辺其外江州一円ニて家数八百三十軒土蔵百七ケ所死四百七十人尤けが人多し
死人改伊賀上野凡千百八十人奈良凡五百三十人勢州四日市凡七百五十人和州郡山凡四百五十人
地震ゆりの寸法
奈良伊賀上野一尺八寸郡山イセ四日市一尺五寸河州九寸和州古市木津辺一尺五寸江州辺一尺一寸
越前福井一尺京五寸大坂堺紀州丹波丹後播州凡三寸ゆり前代未聞の事也
右此度地震ハ奈良伊賀上野郡山勢州四日市和州古市南山城木津江州信楽
ぜぜ御城下石山辺三井寺右之国々ハ今ニおいて折々少々ツツゆりも御座候へとも先をさまり申候
土山水口石部庄の薬師亀山三州岡崎尾州越前福井河内其外国々先納り
此たびのふしぎハ奈良二月堂観音堂境内ニては地しんなし大仏そんじ
なし春日社石とうろうハこけ候へとも社ニおゐてハそんしなし尾州熱田の宮にてハ
十三日の夜ゆめのつけ御座候てそれより熱田近辺ハ御宮へあつまりかかり火をたき
まち居候ところ十四日の夜大地しんに御座候えとも熱田宮けいたいニては
地しんなしそれゆへ地内へ近辺の人々みなみなくんじゆいたし候事間ちがひ
無御座候神徳在かき([ママ])き事広大無へんなり此外ふしきも御座候へ共略之"		

地震 N061

諸国大地震

嘉永7年(1854) 37×96

		
"諸国大地震
地震之弁
抑地しんとは寒暑(かんしよ)温冷(おんれい)の平順(へいしゆん)なるときハ安全にして
異変(いへん)震雷等有ことなしいん気陽(やう)に押いれ発(はつ)生
する事なりがたしきにより大小のぢしん在ハその気の
強ぢやくによるところなり惣してふじゆんのせつハ天雷
ぢしんのきう変あつて其気の甚しきところハ
■■■([虫喰])をかい中へ引入大舟を山岳へ打上
■■■([虫喰])を■ミあらたに泉わきて出地裂(さけ)て
火気■■■((虫喰])とやく等在バ諸人心得あつてりんし
■■■([虫喰])にて今度嘉永七寅年十一月四日
五ツ時大ぢしん大つなミの入し国々を委細しるす
東海道をはじめ先さかミの国ハ小田原大久保加賀守様
御城内少々そんじ宿中ハ土蔵三十余くづれ町
家大はんそんじけが人ておい多し箱根ハ少々
そんしけがにんすくなし山中ハ人家大はん
つふれ三ツ谷崩れ御関所そんじ山々しんどう
なし大石大木うち折湯もと近へん
はしめ人家大ひニつふれそんじける
三島宿ハ人家をたをし其上新町
はしきハより出火いたし明じん前
伝馬町久保町方へ三丁ヨやける
ぢしんハますますつよくなり死人
けが人七十ヨ人きり馬迄
やけしす又うつなり死するものも有
あハれといふもおろか也■■([虫喰])の国ハ
大しまかんず三倉三宅其■([虫喰])しま
しま大いにゆれいろをかさき戸田河津
いなし東さハいとう北条にら山仁
田しつぜんじあたミへん一同につぶれ
死亡のもの多くけがにん少なからず下田ハ
千二百けんよの人家つなミにて押ながし
あと十五軒程のこる人々大てい山上へ
にげあがりたすかるもの少なからすと云
あしろ大せん四十そうよ小舟かずしれ
ず又は山上へうちあけ破そんの舟おおく候
しらすかも大あ■■■([虫喰])てゆりつふす
人家五百ヨつなミにしかれ死亡けがにん
すくなからすふしのこしハ二三百石づミの船二
そう十二三丁ほどくうちへうちあけるするがの国
沼津水羽出羽守様御城下大そんじにて
家ハつぶれ出火となり又も浜手ハ大つなミに
人家のそんほうおびただしく凡このところにて
二百人よておいけが人ありあるひハ牛馬迄死
かん原宿由井おきつハ人家そんし出火
なし七分とふり焼失なす江しり宿ハ清水
のミなと町家不残つふれ大火となりてをい
けが人少からす老若男女八方へさんらんいたし
そのこへ天地にしひきまことめもあてられことなり
同日おなしこくケんふし川のがけくつれ二丁ヨ埋ル
川水わうくわんに流れるさつたとうげくずれ
■■■(虫喰])よく吉田辺も同断なり
■■■([虫喰])大はんそんじやけるなり弥■
へん■■■([虫喰])にてとまる小島一万石
松平丹後守様御じんや下まりこ宿うつのや峠
ミね大あれにてくつれおかへ宿藤枝宿甚つよく
田中本多豊前守様御城下大そんし人家ハ
大はんつぶれ焼失に及ぶせと川まん水ニて留
三ケんやしまだ宿つぶれ大井川古今の大
水ためし少シ金谷大はんつぶれ日坂同断
さよの中山大地ごく小ぢごくことごとく崩れ
しんとうなすかけ川太田摂津守様御城
下大はんそんじ宿中大ひにつふれしゆつ火
となり六分どふりやける袋井宿見付宿ハ
同断池田いづれも大そんし大てん龍小てん龍
此川一ツになるにもたらず五百軒程つつミ切
人家あまたそんする也横須賀西尾おきの守様
御城下大そんし人家つぶれうつまるなる袋井見
付宿ゆりくすし出火となり三分どふりやける
浜松井上河内守様御城内人家そんじる舞さか
あら井大はんつなミになかすなを又七里のうミハ大あれ
にて人家大はんなかすしらすか二川三分とふりそんし
吉田松平いづの守様御城内少々そんし町や大はん
つふれや多し御油あかさかふぢ川大あれ宿々ハそん
しなりおかさき御城下人家少々そんしる也
同こく田原三宅対馬守様御城内町家そん
しるなりちりうなるミ宮の宿長しまへんそんじ
桑名松平越中守様御御城少々人家もそんし
少々四日市つふれ家四十三げんはまて大つなミ
神戸本多いよの守様御城下白子上の
三分とふり大そんなり津藤堂いつミの守様
御城下大ゆれならどもそんじ少し
くもつ月本六ケん松坂くしだ小ハだ山田
丁ハ家蔵大ひにそんじ宇治ばし二見かうら
大はんそんじ恭も内宮外宮御別条近へんの
人々少もけなく恐れ尊べし石やくし庄の宿
亀山石川日向守様御城下そんし町家ハ
大ひにくつれ伊賀の国ハそんじすくな
■■■■■([虫喰])大はんそんしる也
■■■([虫喰])つふれ土蔵ハ
くづれ御役しよそんし
かめざき半田大つなミ
名古屋清須少々そんじ
摂津国大坂安倍川ぐち
すじあち川ばし大仏
じま九条崎このへん人家
大はんそんしる御舟奉行
御蔵御番所舟つばし大そん
山田町兵庫丁ミなとばし六
左衛門丁みななばし常安へん大つなミにて
ながす仁兵衛丁床村軒田之口丁次郎
へいてうふくしま天神正せんじ本町狐辻
あハち丁大ちわれすな水ふきあけ町屋ハ
二十けんほど■■■([虫喰])せとのまちかく川道
ふき丁江戸ほりしんさいばし三まいばし
二十けんよつぶれあぢ川大つなミにて大舟
小ふねおひただしく押上はしばし三十ハなかす
又ハ大黒ばし迄大船四五そうゆりあげ
てんまふね小舟とうハ大ふねにあたりて
大はんミちんと成死人けが人かず多し
天保山大そんしかいけたいたミよしの
之へん兵庫大そんなりあまがさき
松平とをとをミの守様御城下そんしる
三田九鬼長■■■([虫喰])様御城下へんそんじ
あさ田青木かいの守様御しんや大そん也
山城国淀の御城下伏見京都大和河内ハ
大ぢしん也紀伊国ハくまのくら大つ浪
家々大ばんそんじるわか山紀伊様御
城下そんじる田辺安藤飛弾守様新くう
水野土佐守様御城下大ひにそんじる
人家大半つふれ惣て九十九浦黒江日方
藤代大つなミにてゆり下三尺計り汐上
同広うらとふり流失いたし候河原箕
じまゆらのミなとながれる大しま有田の
加太目馬辺大そんし泉しうきしのわだ
大そんじさかへの丁大坂同やうニそんじ
■■([虫喰])御城下大そんしるなり
同■■([虫喰])波亀山同そのべ四こくぢ
■■■([虫喰])しま御城下大
にそんじ其上五百らかんへんハ
大はんそんじ土佐のくにハ大そん
しるあハじ島大つなミ丸がめ
京極土佐守様御城下そんしる也
いよのくに少々播しうハ赤かう
森ゑつ中の守様御城下そんじる
びせんたの口下むらへんひつちうくら
敷玉しまへんひんご尾の道鞆ふく
山 阿部いせの守様御城下へんハ
少々そんじ鶴さきそんじ少肥後の
くま本御領分大ちしんつなミにそんじるなり
日向のなた大ひに海あれる肥前之国少々そんし唐人(ナカサキ)やしき内
この外同時しんしうわた峠辺下のすハ福しま
御関所へん上ケまつすハらの尻へんいたつてつよく
そんし飯田の御城下大そん也松本御城下大はん松代御城下
つふれ家多しなかなか筆紙につくしがたくここに略す"		

地震 N062

諸国大地震之図

嘉永7年(1854) 46×72

		
"越前あすハ郡ふく井松原郡越前守様御城下
へん丸岡城下へん大の郡大のかつ山あらめ
ほバらなるミ辺ふちう板とり三つや脇
もとさかへつるがへん大にそんしる若狭ハ
一ゑん中あれにして格外の事も無之
よつてここにしるすなり
夫天変ハ神力をもつてふせぐべからず頃ハ嘉永七甲寅年十一月四日朝五ツ時諸こく大ししん大津
なミにてまづ伊豆ハ大しま其外しまじまことことぐゆりつぶれかも郡下田ながつかすさきいなとり
かわづ赤ざハ川な辺田方郡伊とう宇さミあじろあたミ大加郡石あねうらまつさききミざハ郡
戸だ井つ三しま宿ハことことくつぶれ明神やしろより左右ハやける下田千軒の町五丈ヨの
つなミにて人家ことことぐ流す相模武蔵の両こくハ格ぐわいのこともなく三うら三崎のへん
津なミにて大いにそんじ箱根山ハ中あれなり駿河ハ駿とう郡ぬまづ宿水野出羽守様御
城下ことことくつぶれ宿半より先ハやける浜手ハつなミにて流れるうきしなはら宿
よしはら宿ふじ郡今いづミ辺ふじ山ほうゑい山あしたかやまいつれも大いにあれる
ふじかわがけくずれ二丁よむまるいわぶちそんじいたつてつよしかんばら宿由井の
宿やけるあべ郡しだ郡辺くらさハさつた峠くずれるおき川宿ハつなミにてことことく打な
がし人家牛馬の死ぼうかぞへがたし三保の松ばら清ミづの辺のこらずつぶれそんじる
江じりも同断なり府中御城下是又大いにそんじやけるまりこ岡べしまだいつれも
甚しくそんじる田中本多豊前守様御城下是またことことくつぶれる大井川古今の
大水なり甲斐ハこま郡身のぶ山かさハなんぶかじか沢たけださいいじやう甲府御城下へん
山しな郡つるまかつぬまくり辺つる郡よしだ三さき中川辺八代郡さくら市川辺いつれも
ことことぐそんじるなり信濃ハいな郡ふせちかきやこまバ飯田堀石見守様御城下辺
かハたいわた宮田しほじり辺すハ郡きの下いなば辺高遠御城下青やぎ高しま諏訪因幡守様
御城下辺松本松平丹波守様御城下辺殊さらやけるなり上田御城下松代真田信濃守様
御城下ぜんかうじ辺まてもひびき大かたならず遠江ハ東城郡かなや宿日坂とうげくつれ
きく川さよの中山大ぢごく小ぢごく日坂宿大にあれるかけ川太田摂津守様御城下山力郡
いわた郡ふくろい宿ミ附池田相良田沼げんば頭様御りやうぶん山な郡横すか西尾
おきの守様御城下すべてはいばら郡辺一ゑん大そんじなり天竜川大水にてつつミきれる浜松
井上河内守様御城下まい坂辺あら井宿大津なミにてりやうし町ながれる人家牛馬死すこと
数しれず三河ハ二川よし田松平伊豆守様御城下辺ごゆあかさかかも郡はまだ田原御城下
辺ミた郡辺までそんじあまたなり尤赤坂より京都までハ宿中あれにて次立自由也
尾張路も一ゑんそんじ所有之なり伊勢ハ安濃郡かんべ本多豊後守様御城下
白子安の津藤堂和泉守様御城下ことことくそんじつぶれるくもづ月本松坂
へんいいの郡宇治あさま山へん大いにあれ山田大神宮両社ともさわりなし
わたらい郡いなき川小またへん宮川の尻へん田丸御城下辺浦々大いにあれる殊に
つなミにて人家多くなかれる志摩ハとうし郡鳥羽はぎわだいつもあく川ミさきうら辺是
又つなミにてそんじ伊賀■ハあが郡辺一ゑん上野御城下なばりあわやな本辺大いにそんじ
大和ハうた郡山べ郡辺大のわしか木津よしのぶミね山上三りならかすケ社高所郡御城下
辺郡山松平甲斐守様御城下辺いつれも大あれなり河内ハ一ゑん大かたならぬそんじにて
しき郡ふる郡八上郡のへん山々ことことくくづるる紀伊ハむろ郡本宮新宮辺くまのうら大つなミに
て人家あまた流れるありたはてなし辺高野山なち山汐見山大にあれる日高郡辺あべ郡若山
御城下田辺のへんかだうらいづれも大いにあれそんじる和泉ハひね郡岸和田岡部みのの守様
御城下へん大とり郡へん惣して宿々堺ハ大つなミにて人家あまた流れるなり摂津ハ大坂町々
ことことくそんじよく五日夕刻より天保山沖大つなミにて天保山くすれるあぢ川すじ木づ川すじ
おき中にかかりいたる大船小船あまた入こミ又ハ人家の家ねにあたりことことくそんじせんどう
かこのもの死亡数しれずあぢ川ばし玉つばし高ばしてつばし水わげばし日吉ばし汐見
ばし幸ばしかねやばし大ごくばしいづれも入こミの大船をしかうさんじに打こわし大船
小船のそんじ何ほど共かそへがたくすべて此川すじにて死亡の者三千人ヨといふ泉尾しん田
かん助じま今木しん田月正じま木津村なんばしん新田なんば村いつれも水入り家ことことくそんじる
けが死亡の者あまたにて目もあてられぬありさまなり又しま郡高つき永井遠江守様御城下
十三かんざき尼がさき松平遠江守様御城下西のミや池田伊丹兵庫辺大にそんじ須磨の辺うわら郡
へん大そんしなり又丹波路もひびき甚つよし山城ハ京都ふしミ淀の辺まて中あれなり
近江ハ大つ草ついしべ水口土山へん是又中あれなり播磨ハ三木郡明石松平兵部大輔様御城下
かこ川ひめぢ酒井うたの頭様御城下辺高さご尾のへしかまへん立の脇坂あわじの守様御城下辺
三日月林田ふく本とくら川上辺赤ほ森越中守様御城下一ゑん大いにそんしる備前ハ三の郡ふく田
牛窓くまごふくうらわけ郡いわり郡岡山松平内蔵頭様御城下其外在々大にそんじるゆうが
山ことことくあれる備中ハあさろ郡くろさきふしど小島郡くぼや辺上ふち郡松山板倉周防守
さま御城下これハ下ばら辺大にそんじるなり備後ハふかつ郡ぬま郡三ツぎ郡辺甚つよく福山
御城下へんあふこ火も吹つかミなべ辺惣してつよくふるうあそ郡の辺中そんじなり安芸ハ
ハ一ゑん大そんじにてかも郡川原三ツ内うミ川じりあき郡府中広島松平あきの守様御城下
さわら辺いづれもつよく宮じま大にそんじる周防ハくが郡岩国辺神代小せ川山代とく山
辺とんだふく川さい川辺大にあれる吉しき郡辺ハそんじかろし長門あつき郡か川中山
本山よし田長府松平大膳大夫様御城下辺下の関辺大ゐにそんじる阿波は一ゑんあれなか郡かば
白はま辺つなミにてなかれしん川小川なるせかつ浦辺徳島松平阿波守様御城下やける其外在々
そんじる淡路ハ須本へん大いにふるひ浦々大津なミ家あまたなかれる讃岐ハがん川郡石田白しま八島郡
だんの浦高松松平讃岐守様御城下辺そうづ山金びら辺いづれも大にそんじ伊予ハうわ島川くなとり
川石づけ辺西条小松辺今治松平わかさの様御城下のま郡辺いよ大ず加藤遠江守様御城下辺かさ山かんとう
坂大そんじなり土佐あき郡中村安田川まき山長岡郡辺国分寺ミね寺辺高知松平土佐守様御
城下大平佐川やき山辺ふっくうら内うら小松崎辺大つなミにてことことく流すけが死亡数しれず筑前
筑後両国ハ格別のそんじ無之豊前ハ一ゑん大そんじにてうき郡中津奥平大膳大夫様下毛郡小倉
小笠原左京大夫様御城いづれもことことくふるうなり豊後ハはやミ郡まない郡中下原丁辺とびら安
こくじ辺杵筑御城下辺田うら高崎日出御城下辺大分郡岡中川修理大夫様御城下辺木はらよこ川
へん佐伯御城下辺長おかさかの関辺そんし浦々大つなミなり肥後ハあそ郡かす木白川辺八代御城下辺くま本
細川越中守様御城下人吉辺大にそん海岸大つなミすへてひご一ゑん大そんじなり肥前ハかんさき郡早つ高い■([虫喰])つた
大村御城下辺いさはや佐賀松平肥前守様御城下辺其外浦々長崎大つなミなり平戸御城下とも大にそんじる日向ハ
延岡内藤のとの守様御城下辺小川かわち高つか辺大にそんじる大隅ハくわ原郡辺迄にて外さわりなし薩摩ハ
いさ郡辺宮さつる田辺高さ郡辺迄そんじ所々也真筆事かう代無へんの大地震なれバ図面にくわしくしるす"		

地震 N063

大地震相撲取組

嘉永7年(1854) 18×24.5

		
"嘉永七甲寅十一月
大地震相撲取組 頭取世直シ震蔵世話人白米安右衛門
{右列より}
巳ノ時震(ユリ)出シ 二度目仰天 堂崩レ土煙 永来(エライ)目ニ阿武ノ松
浪花潟大恵羅 清水舞台飛 大道夜明シ 西ノ方黒雲
大震(ユリ)肝潰 座摩ノ宮鳥居倒(コケ) 伝法潟蔵倒(ヘタリ) 馬場人ノ山
大破損変宅 材木矢大悦 吹(フ)イ子(ゴ)大不寄 夜通シ逃(ニゲ)支度
普請方幸ヒ 南御堂門斜(イガニ) 高塀皆倒(コケ) 神仏(シンブツ)大祈(イノリ)
瀬戸物大割レ 起番(オキバン)酒はつミ 用心軒(ノキ)丸太 尼ケ崎半崩レ
都方静カ 伊勢ノ海大荒レ 四日市夏通リ 商ヒ半休日(ハンヤスミ)"		

地震 N064

嘉永七甲寅厄暦

嘉永7年(1854) 48.5×31

		
"嘉永七甲寅厄暦
{右}
大地震
二ぎりめしハむまいこと
四んだよふになつてミうごきもようせん
六ろくにたつている事もでけん
七(なぬ)かもゆりづめでハこらへてよふいぬ
八まんさんさいせんとりそこない
十ぢうこわがつてうちをさる人ばかり
十二(とに)かくにひつしのおもひ
{左}
小方動
正しよの人にげるのにどううしない
三(ミつ)かミよさちよつともねやせん
五りやうさんのおわたりおがミにいくどころじやない
震(ふるひ)七屋のくらもいがんでそんぷがたつ
九にしてゑらうろたへ
十一屋からのふれもとらまへどころがない
{以下略}
{奥}弘元 笑福亭梅香愚作"		

地震 N065

口述

嘉永7年(1854) 18×24.5

		
"口述
一今般地震津浪火災鎮
市中為安穏当二十五日より来ル
十二月二日迄於四社御神前事
御祈祷執行可軸丹誠ニ
猶御町々家別御参詣御座候様
宜敷御披露奉願上候以上
寅十一月 住吉中仲太夫
山上金太夫
御年寄様
御会所 "		

地震 N066

江戸の大地震(仮)

嘉永7年(1854) 35.5×24

		
"{前欠}
大せん小せん多くそんじ
西北之方ハ上州一ゑん武州
熊ケや宿より中仙道江戸の
かた大いにそんじ又ちちぶやま
ハしんどう大くづれ甲州かい
どうハ高井戸府中。郡ない八王じ
小ぼとけ辺甲府ハ焼しつなり
夫より身延辺富士手前より
相州路在々山ちう迄しんどう
凡七八ケ国ほどの大地しん
同日夜四ツ時過又々しんどう
同明七ツ時ごろ二どほどしん
どう又々次之日夕七ツ時過
ごろしんどう
所方にて人家人馬かづ
しれずそんず又かいへんは
船そんじ候事そのかづを
しらず先あらましをしるす
さて大江戸ハまるの内どおりより
西のおん丸下通り日比谷御門うち外
近ぺん外さくらだへんハ南部様御長屋
ことごとくうち崩れ松平時之助様御屋
しき其外大小名御やしきうちそんじ
夫より南之方ハ久保丁兼ぼう丁へんを
初メ町方大きふそんじ夫よりあたごの下通り
御やしきあまたうちそんじ芝へんハ大いにしん
どう北之方ハ小石川ごくらく水きんぺん
町家多く御やしき方もうちそんじ又山の手
へんハ少々にてあいすミ東之方ハ大川すじ
本所ふか川木バへん立川すじをはじめ
中にも釜やぼりきんぺんハ殊の外そんじ
又ふか川かいへんハ大いにしんどううミ中ハ
めいどうころしもひきしをの所又々
二三ど汐うちかへし候其外にもつつミ候
ふねもおおくミづうちいれうちかへし又者水中へ
しづミ候ふねもあまた有之候其外近在ハ書つくしがたし "		

地震 N067

江戸大地震巨細録

安政2年(1855) 9×19

		
"江戸大地震臣([ママ])細録 全
{表紙}
山王権現 日本橋より二十六丁
神田明神 同十六丁
湯島天神 同二十三丁
深川八幡 同二十五丁
浅草観音 同一り二丁
市ケ谷八幡 同二十五丁
平川天神 同二十七丁
氷川明神 同三十一丁
芝明神 同二十七丁
亀井戸天神 同一り八丁
王子権現 同一り二十丁
"		
		
"夫天変大にして諸民これに窮
す時は安政二乙卯年十月二日
夜四ツ時過より俄に大地震ゆり
いだし所々出火となりまことに
奇意の思ひをなし家に不住
して野宿す只夜明るを待
わびぬ翌朝五ツとき所々の火
鎮り初めて安堵のおもひをなし
依之臣([ママ])細にあらハし終ぬ
目録
一 千住宿より小塚原へん
二 新吉原より田町へん
三 浅草金蔵山門前へん
四 箕輪金杉坂本へん
五 千駄木へん"		
		
"六 湯島より妻乞坂へん
七 本郷より白山へん
八 下谷広小路へん
九 御成道へん
十 浅草見付内へん
十一 一ツ橋邊りへん
十二 赤坂御門外へん
十三 牛込御門外へん
十四 小石川へん
十五 小川町へん
十六 両国より横山丁へん
十七 丸の内辺所々
十八 日本橋より京橋辺
十九 京橋向より小梅へん
二十 永代橋向より洲崎辺
終
{中略}"		
		
"土蔵五十三万九百二十余損じ
同 焼失の分ハ数しれず寺院堂社の破損ハ
一万二千三百余損じ死亡の者十三万五百二十人余
怪俄人の数ハしれずかくなる大地震にて難渋のもの多
きゆへ 御仁徳の君よりそれそれ
御手当の救米被下且家をうしなひ
たる軽きものにハ御救小屋立おき
被下候ハ実に難在次第なり御救
場所左に印し候"		
		
"幸橋御門外
浅草広小路
上野広小路
深川海辺新田
同八幡社内 "		

地震 N068

関東大鯰類焼付

安政2年(1855) 36×46.5

		
"関東大鯰類焼付(おほなまづるゐしやうづけ)
陰陽相たたかふて天地を震動せしむるの不事天災大都会に充満なす
人々の安危存亡を遠国のしんるゐ一家の者へ知らしむるの一助たらんかと
巨細に是をかきしるすに頃は安政二卯十月二日夜四ツ半時俄に大地しん
ゆりいだし北の方ハ千住じゆくより大にくずれ立小塚原ハのこらずくずれ中程
より出火して残らす焼る新吉原ハ江戸町一丁目より出火地しんの上又々
角町より出火して大門口まで焼る也五十間の西側はかり少々残るなり
夫より田町大おん寺前山のしゆく聖でん町此辺惣くずれ花川戸より
芝居町三丁とも残らず焼るなり南馬道北馬道大半焼るなり
浅草観音御堂つつがなく地内残らすくずれ並木通り惣くずれ
すわ町より出火して駒形辺迄残らず焼る田原町辺残らすくずれ
御屋敷通りハ大半くずれ夫より広徳寺寺通りハ菊やばし辺より
安部川町馬([ママ])かた横町此辺のこらず焼る也下谷辺ハ三味線ぼり
佐竹様少々くすれ七軒町より出火したや上野町長者町伊賀様
小笠原様類焼上野広小路伊藤松坂屋より井の口の側
残らす焼る夫より仲町裏通りくすれ表通りあらまし残る茅屋町ハ
二町目より一町目まで焼るむゑん坂上ハ備後様焼千駄木団子坂此辺
少々くずれ谷中善光寺坂上少々残る根津二町ともくずれ本郷より出火して
湯島切通し迄焼る加州様御一手にて消同天神社少々いたミ門前両側
土蔵付ハ惣くずれ同三組町はたけ新町家横根坂霊雲寺門前かうじ一円
われて大地さける妻恋坂ハ稲夜の社本社土蔵くずれ町内一軒もくずれず同坂
下酒井溝口少々建部様内藤様表長家つぶれ神田昌平橋通り惣くずれ筋
違御見付つつがなく内神田ハ飯田町より十間店まで町々大半いたミ本町通りより
両国迄大半くずれ中にも馬喰町ハ少々也此所ハ立川通り相生町緑町林町吉田
町惣くずれ石原より出火東橋向周防様御殿焼る又大通りハ日本橋裏表
中通り惣くずれ南伝馬町二町目より出火西裏ハ大工町かじ町五郎兵衛町畳町
此辺残らす焼又具足町柳町常盤町鈴木町白魚屋敷京橋竹がし迄焼る也
夫より新橋迄大半くずれ芝口ハ柴井町宇田川町焼る神明前品川宿まで大半ゆり
寅の門内大半くずれ霞ヶ関安芸様黒田様少々八代洲河岸ハ上村但馬守様
相模様火消屋敷等残らす焼鍋島毛利様類焼其外ハ大くずれ和田原内ハ下総
様肥後様大くずれ神田橋内ハ酒井様森川様此辺御大名のこらずくずれ小川町より番町辺大
くずれ小石川伝通院前より白山鶏声ケ久保此辺くずれ山の手ハ丸山駒込牛込四谷赤坂かうし町青
山麻布広尾辺諸々大くすれ人家の損亡大かたならす然れども御城内両山御役屋敷等ハ一人たりとも怪
我あやまちなき事全く仁君の御徳沢の余慶にて地しん出は追々に静謐なる事めでたしめでたし
{題下枠内}江戸町数五千七百二十三町 右之土蔵〆十一万四千四百六十九也
御大名様方 一万四千五百八十六なり
御旗本様方 二十八万五千八百八十六なり
寺院 五千八百十五なり
土蔵数惣〆凡一億四十二万七百三十六余なり 瓢磐堂 "		

地震 N069

関東大鯰類焼付

安政2年(1855) 35.5×47.5

		
"関東大鯰類焼付(おほなまづるゐしやうづけ)
陰陽相たたかふて天地を震動せしむるの不事天災大都会に充満なす
人々の安危存亡を遠国のしんるゐ一家の者へ知らしむるの一助たらんかと
巨細に是をかきしるすに頃は安政二卯十月二日夜四ツ半時俄に大地しん
ゆりいだし北の方ハ千住じゆくより大にくずれ立小塚原ハのこらずくずれ中程
より出火して残らす焼る新吉原ハ江戸町一丁目より出火地しんの上又々
角町より出火して大門口まで焼る也五十間の西側はかり少々残るなり
夫より田町大おん寺前山のしゆく聖でん町此辺惣くずれ花川戸より
芝居町三丁とも残らず焼るなり南馬道北馬道大半焼るなり
浅草観音御堂つつがなく地内残らすくずれ並木通り惣くずれ
すわ町より出火して駒形辺迄残らず焼る田原町辺残らすくずれ
御屋敷通りハ大半くずれ夫より広徳寺寺通りハ菊やばし辺より
安部川町馬([ママ])かた横町此辺のこらず焼る也下谷辺ハ三味線ぼり
佐竹様少々くすれ七軒町より出火したや上野町長者町伊賀様
小笠原様類焼上野広小路伊藤松坂屋より井の口の側
残らす焼る夫より仲町裏通りくすれ表通りあらまし残る茅屋町ハ
二町目より一町目まで焼るむゑん坂上ハ備後様焼千駄木団子坂此辺
少々くずれ谷中善光寺坂上少々残る根津二町ともくずれ本郷より出火して
湯島切通し迄焼る加州様御一手にて消同天神社少々いたミ門前両側
土蔵付ハ惣くずれ同三組町はたけ新町家横根坂霊雲寺門前かうじ一円
われて大地さける妻恋坂ハ稲夜の社本社土蔵くずれ町内一軒もくずれず同坂
下酒井溝口少々建部様内藤様表長家つぶれ神田昌平橋通り惣くずれ筋
違御見付つつがなく内神田ハ飯田町より十間店まで町々大半いたミ本町通りより
両国迄大半くずれ中にも馬喰町ハ少々也此所ハ立川通り相生町緑町林町吉田
町惣くずれ石原より出火東橋向周防様御殿焼る又大通りハ日本橋裏表
中通り惣くずれ南伝馬町二町目より出火西裏ハ大工町かじ町五郎兵衛町畳町
此辺残らす焼又具足町柳町常盤町鈴木町白魚屋敷京橋竹がし迄焼る也
夫より新橋迄大半くずれ芝口ハ柴井町宇田川町焼る神明前品川宿まで大半ゆり
寅の門内大半くずれ霞ヶ関安芸様黒田様少々八代洲河岸ハ上村但馬守様
相模様火消屋敷等残らす焼鍋島毛利様類焼其外ハ大くずれ和田原内ハ下総
様肥後様大くずれ神田橋内ハ酒井様森川様此辺御大名のこらずくずれ小川町より番町辺大
くずれ小石川伝通院前より白山鶏声ケ久保此辺くずれ山の手ハ丸山駒込牛込四谷赤坂かうし町青
山麻布広尾辺諸々大くすれ人家の損亡大かたならす然れども御城内両山御役屋敷等ハ一人たりとも怪
我あやまちなき事全く仁君の御徳沢の余慶にて地しん出は追々に静謐なる事めでたしめでたし
{題下枠内}江戸町数五千七百二十三町 右之土蔵〆十一万四千四百六十九也
御大名様方 一万四千五百八十六なり
御旗本様方 二十八万五千八百八十六なり
寺院 五千八百十五なり
土蔵数惣〆凡一億四十二万七百三十六余なり 瓢磐堂
{奥に異筆}死人ノ義は御公儀様よりうわさ六ヶ敷候故不印 "		

地震 N070

やけば方角付

安政2年(1855) 36×48.5

		
"江ど
大ぢしむ
十月二日夜
やけば方角付
天地和順せざる時ハ地中に陰気わだかまりて一時にはつす是地震なり
これが為に家を破り命を十るもの多かり天災除がたきなれど人民心懸れバ
大難小難の差別あらんか是勧善の大事といふべし茲に安政二卯年十月二日夜
四ツ過き一時に震動して坊舎を崩すこと忽也即時出火出来て又人命を終ること
おびたたしマツ御府内ハ新吉原町より出火移り五丁不残やける五十間片側のこる夫より
千住宿大イに崩れ小塚原■([虫喰])不残やける山谷田中ハ崩るるのミ端場ハ崩る上少し焼る
今戸橋ぎハやける聖天丁山の宿崩れ田町山川丁北新丁より芝居町三丁やけ東かハ少し残る
北馬道南馬道北谷中谷の寺院のこらずやけ花川戸半丁にてやけ止る尤此辺崩多く
観世音損じ少く並木通多崩駒形中程よりやけすハ丁黒船丁三好丁にてやけどまる
御蔵前より見附迄崩多新堀辺少く浅草寺丁の寺院大半つぶれ御門跡恙なし
茶やぎハ少しやける同堂前仁太夫やらい内つぶれやける夫より坂本へんハ二丁目三丁め
やける三のわ金杉ハ崩のミ大音寺前も崩れ多く根岸谷中ハ崩少し駒込根津ハ崩
多く池の端茅丁二丁目一丁めつふれ候上二丁共やける仲町ハ片かハ丁崩多く両側町ハ
少し御数寄丁つふれ多し東叡山恙なし上の広小路東かハ中程より出火して上の町長者町辺
御成道御屋敷やけ中御徒町ニて止る外神田筋違湯島辺崩れつまごひ丁より天神の
台少しくづれ本郷ハ麹室大いに損じ崩る所多し夫より内ハ小川町 ([家紋]) 内藤駿河守
様 ([家紋]) 戸田長門守様 ([家紋]) 板倉いよの守様 ([家紋]) 松平紀伊守様本郷丹後守様 ([家紋]) 榊原
式部大輔様やける神田東西共崩多く本町伝馬町ハ大いにくづれ日本橋近辺崩少し
人形町通小網丁辺崩多し馬喰丁より両国辺崩少しはま丁辺大橋迄少し箱崎霊岸島
新川辺ハ崩多く大川端町少し焼る鉄砲洲辺ハ崩多く ([家紋]) 松平淡路守様やける
築地辺くづれ少ク佃じまハ猟師町やける夫より日本橋南ハ通り丁東西此通り
両河岸通八丁堀辺迄崩る所多し中橋ハ南伝馬町三丁め京橋きハまで
南大工丁かぢ丁五郎兵衛丁鈴木丁具足丁炭町本材木丁七八竹がしにてやけどまる
夫より南ハ銀ざ尾張丁木挽丁南鍋町新橋辺芝口辺ハ御屋敷町家共崩少し
路月丁より会津様しんせんざ辺崩れ多く柴井町一丁やける神明丁三島丁ハ
かして崩れ多く神明宮無事也芝御山内も格別のことなく金杉橋向本芝
田丁高輪ハ崩少し品川宿も同断ニて三田赤羽根飯倉ハ崩つよく麻布青山
渋谷辺ハ崩少し赤坂ハ崩多く四ツ谷かうじ丁ハ少崩るる番町いひ田町は
崩なし市谷牛込も多分の事なく小石川小日向ハ崩少し又神田橋御門内より
御大名様何れも崩多く中にも ([家紋]) 酒井雅楽頭様同御向やしき ([家紋]) 森川出
羽守様程の口御大名小路辺御屋敷所々ゆり崩れ八代洲河岸ハ定御火消やしき
([家紋]) 松平相模守様御中やしき ([家紋]) 遠藤但馬守様やける其外つふれおほく幸橋
御門内ハ ([家紋]) 柳沢甲斐守様 ([家紋]) 伊東修理太夫様やける ([家紋]) 亀井隠岐守様半
分やけ ([家紋]) 薩州御装束屋敷 ([家紋]) 南部ミのの守様やける桜田霞が関辺大崩
和田倉御門内馬場先御門内ハ ([家紋]) 松平肥後守様 ([家紋]) 松平下総守様やける
([家紋]) 内藤紀伊守様やける此御屋敷崩多く候へと御城内ハ殊ニ御無事ニて難有
ことかぎりなく●又北本所東橋きハ中の郷辺崩おひただしく ([家紋]) 松平周防守
様御下屋敷やける番場石原割下水辺大崩れニて石原弁天小路牛の御
前御かりや近辺やけ其外つふれ多く法恩寺橋向に半丁やける亀戸橋向
町家二ケ所やける又竪川通りハ相生町二丁めより二ツ目迄緑町より三ツ目花丁
にてやけ止る又一ト口ハ深川御船蔵前町より八名川町六間堀中の橋通り
森下町ぜんのふちときわ町高橋にて留る此辺地しんつよく火の中にて
神明の宮のこる又深川相川町より熊井町辺大島町はまべり丁永代寺
門前仲町八幡宮鳥居ぎハにて留る神殿無事也三十三間堂つつがなし
▲最初三十二口燃立候へ共即時に五ケ所一煙となり三ケ所一所なりしゆゑ
凡二十七ケ所となる其外ゆりつぶし候所おびただしく中々筆紙ニ尽しかたく
只実事を正して其あらましを挙るのミ
{袖}諸国御たよりのため"		

地震 N071

地震被害の番付(仮)

安政2年(1855) 36.5×52

		
"{中央}
関八州
五街道
市中四里四方
坂東川筋
近郷近在
{張り出し右}
ほり川常盤町最寄 潰ノ上焼失 三線堀 岸通石垣損
常盤橋御門内 辰ノ口焼失 上のかし 土蔵壁落
京ばし常盤町近辺 崩なし焼失 同 練塀破損
江戸大地震安政二卯年十月二日夜四ツ時其後毎日夜ニ震凡及二十五六日同日同刻より新焼場所付 ぢしん変
板家 山ノ手崩少シ 正格
{張り出し左} 富沢町近辺 土蔵大崩 三筋町 富坂町辺
富ケ岡八幡境内 焼残り恙なし 上のぶん 格別崩なし
富永町最寄 新キ家又損 同 先者安体
江戸御屋舗二万四千六百軒余
江戸崩焼失町数五千七百七十余丁
江戸神社寺院二万三千五十三ケ所
三所 土蔵崩焼失二百八十七万九千三百余戸前
新古焼失の部
焼 三座芝居去年ト二度 猿若三町
崩 本堂つつがなし 金龍山地内
{中略}新崩焼失の部
焼 大つぶれ死人多しいつハりなし変事 新吉原
焼 せう天横丁けが人おほし 田町片門
{中略}御救小屋 浅草広小路
なまづの頭押 鹿島太神要伊四
大丈夫 市中桁張丸太
座敷 市中崩家たつ
  "		

地震 N072

江戸大地震出火次第

安政2年(1855) 36×48.5

		
"当十月二日夜五ツ時大地震
ゆり出し人家七歩通り潰れ
土蔵大そんじ大半くだけ
申候由橋々ハ無事なれども
右之地震於市中一統誠ニ
大混雑の所へ又々出火に及
び大半焼失致潰れ家ハ辻
々にくずれ立山の如く重り目
もあてられぬありさまなりけが
人死人もおひただしき様子なり
右ニあらまし町名しるす
日本橋通り京橋前渡芝口より品川迄
すべて此辺六七歩通りくずれ
焼失之所も沢山あり
駿河町十軒店乗物町払原両国辺
永代橋本町小伝馬町浅草石付
此辺すべて同断也三芝居丸やけ
かや町はたご町駒がた並木花川戸
山の宿此辺出火甚敷六歩焼失
し候新吉原七歩つぶれ之処々出火
にて丸やけすべて江戸近辺大てい
半つぶれ申
候ところもあり
東エイ山浅草観音両本願寺芝神明
佃島天神亀井戸廻向院増上寺
五百羅漢神田明神忍池弁才天其外
神仏仏閣大躰本社ハ無事なれども
小宮神主坊鳥居ハ残らずた
おれ又ハ焼失申候
毎日毎日ゆりかへしにて残らず往来
にて野宿致候よし前代未聞の大
こんざつなるべし
出火ハ三日巳刻ニ鎮申候 "		

地震 N073

関東江戸大地震並ニ出火場所

安政2年(1855) 33.5×47.5

		
"関東江戸大地震並ニ出火場所
ころハ安政二卯どし十月二日夜四ツ時過大ぢ
しんにわかにゆりいだし北ハ千住じゆく大にくづれ小塚原ハ
ぢしんの上出火にて残らず焼るしん吉原ハ五町まち大くづれ
江戸町一丁目より出火角町より出火にて残らす類焼田まち
大おんし前花川戸山の宿聖天町此辺地しん出火家々のくづるる
事おひた々しく芝居町ハ三丁とも焼るなり金龍山浅草寺ハ
本堂つ々がなく雷神門そんじる馬道ハ大半焼るなり並木
通りハ残らずくづれすわ町より出火して駒形通りまで残らず
焼るなり夫より御蔵前通り残らずそんじ広徳寺まへの寺
院町家火ひに損らる下谷辺ハ藤堂立花其外御大小名
御やしきのこらずそんじ上のまちより長者町焼七軒町
中ほどより出火して和泉橋通りまでもへ出る夫より仲町
うら通りくずれ表通りあらまし残るひろかうじハ井口の
かハ焼同かや町二丁目より一町目まて焼る根津ハ二町
とも残らすくすれ中程にて二三けんのこるむゑん坂の
上ハ松平備後守様御やしき焼キ千駄木団子坂
此辺あまたくづれ谷中善光寺上少々残る也
夫より本郷通りそんじ切通し辺焼加州様御
人ず惣がかりにて消口をとる湯島天神社少々
いたミ門前両側町家土蔵つきハ惣いたミのこらず
そんじる同三組町中程ニて二軒たをれ木戸きわにて
一軒崩れ其外畑新町家霊雲寺門前少々いたミ
霊雲寺ハねりへいくつるる妻恋町稲荷社つ々が
なく町内一軒もくづれず扨大通りハ浅草かや町
両側そんじ見附石かき飛いづる馬喰町横山
町大伝馬町小伝馬町ハ格別のふるひなかれしも
諸々そんじるあづま橋むかふハ松平隠岐守御殿くつれ類焼本所石原辺より御船ぐらの
本町くづれ又深川一の鳥居まで焼同州崎鉄砲州霊がん島塩町佃島辺まで焼る又神田
通りハ出火なしといへとも筋違より今川橋辺まで諸々くつれ又日本橋辺ハ少々くすれ南伝馬二丁目より
畳町五郎兵へ町具足町柳町ときわ町すずき町かじ丁白魚やしき京橋きわハ竹かし■■此辺
横立十文字に焼る夫レより芝口橋通りハ一丁目二丁目三丁目まで諸々くつれ宇田川町より
出火して金杉辺まで諸々くつるる高縄ハ大地一尺ほどさけ砂をふき出し諸々大
くずれ品川しゆく焼る御台場一ケ所類焼さミづ大もりへんまで大にふるひ東
海道ハ大地七尺ほどさけじやりをふき出し大にふるふ又御城内ハ大名小路西丸下まで
大じしん出火所々にあり神田橋御門内ハ酒井雅楽頭様森川出羽守様
類焼和田倉内ハ松平下総守様松平能登守様大くづれ類焼八代州
海岸ハ上村但馬守様松平相模守様火けやき残らず焼けるなり
其外鍋島毛利南部様類焼其外ハ大くづれ小川町ハ本郷丹後守様
松平紀伊守様さかき原式部大輔様板くら戸田此辺残らず焼失
{後欠} "		

地震 N074

江戸大地震出火本しらべ

安政2年(1855) 36×48

		
"江戸大地震出火本しらべ
当月二日亥の刻より大地震ニて天地くつがへる計人家土蔵七歩通り崩レ其中より
所々出火ニて死人怪我人数しれず出火三十八ケ所の火口と相成候趣追々申来り候左之通
浅草御馬や川岸茅町瓦町材木丁御蔵前黒船丁諏訪町駒形丁並木丁
花川戸山の宿猿若丁芝居三軒不残今戸辺より三や吉原のこらず
田町金杉辺下谷上の広小路御成海道外神田佐久間丁辺御
丸の内ニて四ケ所出火御大小名様方過半御類焼のよし
虎の御門外京ばし前後芝増上寺神明大損ジ
深川一円永代寺焼る本所辺回向院それより
亀井戸天神柳島小梅辺五百らかん築地
御門跡鉄砲洲佃島まて焼るあたご下二ケ
所出火芝口高なわ泉岳寺東海寺
三田白かね目黒辺大そんじ伝
通院白山根津こま込追分辺
いづれも大あれにて死人怪我人
おびたたしく右之外人家残りの
分ハあるひハゆがみ又ハ半くづれ
なんどにて皆々野宿いたし候趣
地震ハいまだゆりやまず候へども
出火ハ漸々四日巳之刻鎮り候由
古今めづらしき大変の次第
昨ばん四度目追状ニて申来り候
本しらべにいたし差出し申候余ハ尚
委敷後篇ニ仕差出し可申候
{袖}安政二卯ノ十月七日 "		

地震 N075,N076

地震類焼場所付

安政2年(1855) 17.5×94

		
"一筆啓上仕候其御地皆様御機嫌能被為
入大悦至極ニ奉存候然は此度江戸表之珍事
御知らせの為其委細左ニ申上候地震発候ハ
十月二日夜亥之刻過俄ニ震動致崩候家より
出火致最初三十二口程一時ニ煙立後ニは一煙と
相成翌三日朝双方鎮り候以今少々宛地もゆれ候也
町々御屋舗方共類焼又者崩候分如斯御座候
御屋舗御焼失之分
西之御丸下ハ 松平肥後守様 松平下総守様 内藤紀伊守様
八代州河岸ハ 松平相模守様 同御役屋敷 定御火消屋敷
遠藤但馬守様
大手御門ハ 酒井雅楽頭様 同御向屋敷 龍の口角森川出羽守様
幸橋御門内ハ 柳沢甲斐守様 伊東修理様 新橋角亀井様
山下御門内ハ 鍋島肥前守様 薩州御装屋敷 南部美濃守様
小川町辺ハ 榊原式部太夫様 戸田長門守様 松平紀伊守様
内藤駿河守様 堀田備中守様 本多佐渡守様
松平駿河守様 本郷丹後守様 此辺小屋敷多し
右御焼失之近辺大半崩多損亡おびた々しく候尤
此外ニハ御■■([虫喰])中屋敷等場末にて一焼候所も有之候
類焼いたし候町之分
京橋辺ハ 南伝馬町二丁目三丁目炭町具足町柳町常盤町畳丁南鍛冶町狩野屋敷五郎兵衛町北紺屋町大根川岸白魚屋敷等なり
芝口ハ 柴井町一丁やける
霊岸島ハ 境町南新堀町大川橋町ニて二丁余やける
深川ハ 相川町熊井町諸町富吉町中島町小川町大島町下蛤町永代寺門前仲町山本町等也又和倉辺佐賀町代地続石原代地続町家焼る
又深川ハ 御船蔵前町より御籾蔵脇八名川町六間堀町南北森下町三間町井上様太田様小笠原様御やしき又扇橋ぎハ深川西町やける常盤町辺やけ高橋際ニて留る六間堀神明崩れず
本所ハ 緑町一丁め二丁やける三丁目残る又四丁め五丁めやけて花丁ニて留る向川岸徳右衛門町一丁め二丁目やける又下口ハ中の郷松平周防守様下やしき一軒やける石原荒井町弁天小路辺崩多くやける又法恩寺橋際町少しやける又亀戸町天神門前二所ニてやける
千住宿ハ 大千住崩多く小塚原町やける
新吉原ハ 江戸町一丁目より同二丁目角町京町揚屋町伏見丁共不残ゆり崩し候上やける五十間片側のこる
浅草辺ハ 田町二丁目山川町田町一丁目聖天横町より
芝居町三丁不残東側から町少し残る金龍山北谷
南谷之寺院ことことく焼亡し北馬道南馬道不残聖天町山の宿ハ崩るるのみ花川戸町ハ馬道より焼続
半丁計ニてやけとまる今戸橋きハ焼る橋場銭座焼る
同御蔵前通り広徳寺前ハ駒形丁中程より出火諏訪町黒船町やける西側ハ正覚
寺門前にて留る東側ハ三好町御厩川岸にて焼止る又一ヶ所ハ新寺町菊屋橋際左右ヘ小半丁やけ入通りハ行安寺本立寺門ニて留る此裏通堂前山本仁太夫構ヒ内やける其外寺院崩れ多く焼たるも同然なり
池之端ハ 茅町二丁目焼いなり向横町より一丁目木戸橋迄大崩の上やける山手御屋敷ハ恙なし池の端仲丁ハ片側つよく御すきや丁切通シ下ハ崩おひた々し
下谷辺ハ 広小路東側中程より伊藤松坂屋やけ向がハへ移り御成通御大名御屋敷上野下より長者丁中御徒士丁にて焼止る
佃鉄砲洲ハ 船松丁東側松平淡路守様やける佃ハりやうし丁やける
以上新焼之分ニ御座候
御府内不残大地震ニは候得共軽重之差別有之候間其内
大破之分地名御屋舗御名前書抜左之通ニ御座候
丸之内ハ神田橋通り常盤橋内大名小路馬場先辺外桜田一円
麹丁四ッ谷ハ上水格別之水あふる々赤坂ハ格別いたむ青山麻布崩少し
芝口露月丁辺よりさき芝神明前通甚いたみ多し本覚より品川宿迄
崩少なし日本橋より南少し中橋より京橋迄わろし京橋より新橋向迄かろし
日本はしより北本町辺より神田東西共崩多し御成道小川丁崩多し
駿河台ハ少々市谷番町牛込ハかろし小石川辺崩多く本郷ハ少し
尤麹室くゑ([ママ])て損し多し下谷湯島根津ハわろし谷中駒形ハかろし
根岸三之輪ハかろく金杉坂本ハわろし山谷田中ハ尤わろし猶又本所
深川ハ大崩にて葛西二合半迄ゆり崩所多し其府迄二十里四方
出入之人々此音信を聞ざる日なく候へとも諸民困窮之ものへ
上様より御手当を被下猶又おすくひ小屋等御立被下置日々
御行届ニ相成故うゑたるものも無之ただただ御国恩のみを
仰ぎ奉り一同安堵の思ひなし候
御救小屋幸橋御門外 浅草広小路 深川海辺新田 深川八幡境内 上野御山下 下谷広小路
猶くハしくハ後便ニ申上候先者相訂候上実事
のみ書抜奉御覧入候以上
卯十月十五日改
地震類焼場所付 江戸在中"		
		
"一筆啓上仕候其御地皆様御機嫌能被為
入大悦至極ニ奉存候然は此度江戸表之珍事
御知らせの為其委細左ニ申上候地震発候ハ
十月二日夜亥之刻過俄ニ震動致崩候家より
出火致最初三十二口程一時ニ煙立後ニは一煙と
相成翌三日朝双方鎮り候以今少々宛地もゆれ候也
町々御屋舗方共類焼又者崩候分如斯御座候
御屋舗御焼失之分
西之御丸下ハ 松平肥後守様 松平下総守様 内藤紀伊守様
八代州河岸ハ 松平相模守様 同御役屋敷 定御火消屋敷
遠藤但馬守様
大手御門ハ 酒井雅楽頭様 同御向屋敷 龍の口角森川出羽守様
幸橋御門内ハ 柳沢甲斐守様 伊東修理様 新橋角亀井様
山下御門内ハ 鍋島肥前守様 薩州御装屋敷 南部美濃守様
小川町辺ハ 榊原式部太夫様 戸田長門守様 松平紀伊守様
内藤駿河守様 堀田備中守様 本多佐渡守様
松平駿河守様 本郷丹後守様 此辺小屋敷多し
右御焼失之近辺大半崩多損亡おびた々しく候尤
此外ニハ御■■([虫喰])中屋敷等場末にて一焼候所も有之候
類焼いたし候町之分
京橋辺ハ 南伝馬町二丁目三丁目炭町具足町柳町常盤町畳丁南鍛冶町狩野屋敷五郎兵衛町北紺屋町大根川岸白魚屋敷等なり
芝口ハ 柴井町一丁やける
霊岸島ハ 境町南新堀町大川橋町ニて二丁余やける
深川ハ 相川町熊井町諸町富吉町中島町小川町大島町下蛤町永代寺門前仲町山本町等也又和倉辺佐賀町代地続石原代地続町家焼る
又深川ハ 御船蔵前町より御籾蔵脇八名川町六間堀町南北森下町三間町井上様太田様小笠原様御やしき又扇橋ぎハ深川西町やける常盤町辺やけ高橋際ニて留る六間堀神明崩れず
本所ハ 緑町一丁め二丁やける三丁目残る又四丁め五丁めやけて花丁ニて留る向川岸徳右衛門町一丁め二丁目やける又下口ハ中の郷松平周防守様下やしき一軒やける石原荒井町弁天小路辺崩多くやける又法恩寺橋際町少しやける又亀戸町天神門前二所ニてやける
千住宿ハ 大千住崩多く小塚原町やける
新吉原ハ 江戸町一丁目より同二丁目角町京町揚屋町伏見丁共不残ゆり崩し候上やける五十間片側のこる
浅草辺ハ 田町二丁目山川町田町一丁目聖天横町より
芝居町三丁不残東側から町少し残る金龍山北谷
南谷之寺院ことことく焼亡し北馬道南馬道不残聖天町山の宿ハ崩るるのみ花川戸町ハ馬道より焼続
半丁計ニてやけとまる今戸橋きハ焼る橋場銭座焼る
同御蔵前通り広徳寺前ハ駒形丁中程より出火諏訪町黒船町やける西側ハ正覚
寺門前にて留る東側ハ三好町御厩川岸にて焼止る又一ヶ所ハ新寺町菊屋橋際左右ヘ小半丁やけ入通りハ行安寺本立寺門ニて留る此裏通堂前山本仁太夫構ヒ内やける其外寺院崩れ多く焼たるも同然なり
池之端ハ 茅町二丁目焼いなり向横町より一丁目木戸橋迄大崩の上やける山手御屋敷ハ恙なし池の端仲丁ハ片側つよく御すきや丁切通シ下ハ崩おひた々し
下谷辺ハ 広小路東側中程より伊藤松坂屋やけ向がハへ移り御成通御大名御屋敷上野下より長者丁中御徒士丁にて焼止る
佃鉄砲洲ハ 船松丁東側松平淡路守様やける佃ハりやうし丁やける
以上新焼之分ニ御座候
御府内不残大地震ニは候得共軽重之差別有之候間其内
大破之分地名御屋舗御名前書抜左之通ニ御座候
丸之内ハ神田橋通り常盤橋内大名小路馬場先辺外桜田一円
麹丁四ッ谷ハ上水格別之水あふる々赤坂ハ格別いたむ青山麻布崩少し
芝口露月丁辺よりさき芝神明前通甚いたみ多し本覚より品川宿迄
崩少なし日本橋より南少し中橋より京橋迄わろし京橋より新橋向迄かろし
日本はしより北本町辺より神田東西共崩多し御成道小川丁崩多し
駿河台ハ少々市谷番町牛込ハかろし小石川辺崩多く本郷ハ少し
尤麹室くゑ([ママ])て損し多し下谷湯島根津ハわろし谷中駒形ハかろし
根岸三之輪ハかろく金杉坂本ハわろし山谷田中ハ尤わろし猶又本所
深川ハ大崩にて葛西二合半迄ゆり崩所多し其府迄二十里四方
出入之人々此音信を聞ざる日なく候へとも諸民困窮之ものへ
上様より御手当を被下猶又おすくひ小屋等御立被下置日々
御行届ニ相成故うゑたるものも無之ただただ御国恩のみを
仰ぎ奉り一同安堵の思ひなし候
御救小屋幸橋御門外 浅草広小路 深川海辺新田 深川八幡境内 上野御山下 下谷広小路
猶くハしくハ後便ニ申上候先者相訂候上実事
のみ書抜奉御覧入候以上
卯十月十五日改
地震類焼場所付 江戸在中"		

地震 N077

江戸大地震

安政2年(1855) 24×34

		
"江戸大地震
一当二日亥之刻類焼左ニ新吉原不残土手下五十
軒馬道通さる若丁不残聖天丁山之宿不残東
橋通迄凡丁数五十丁程焼失浅草観音様寺内
焼失不残又ハ駒形堂辺より出火黒舟丁迄南側不残
夫より下谷御成海道中程より出火上の長者丁広小路
迄東がわ不残池のはたかや丁より根津迄不残焼失
湯しま天神下御屋敷少々焼小石川ニてハ小日向隆慶
橋近辺御屋敷方町家共焼失
一深川六軒堀川西二丁程夫より熊井丁より一の鳥居迄
不残いせ崎丁冬木丁不残本所ハくわしく相分
不申候
一芝ニてハ柴井町焼失
一京橋かじ町一二丁目五郎兵衛丁畳丁北紺屋丁一二丁目大
こんがし竹丁南伝馬丁二三丁目具足丁柳丁鈴木
丁いなば丁松川丁本材木丁七八丁目八丁ぼり水谷
丁辺よりてつぽうす辺焼失築地は門跡残り同様
所々焼失其外遠方之義は筆紙ニ尽かたく候死
怪我人数しれす此段しらせ申上候"		

地震 N078

江戸大地震(仮)

安政2年(1855) 24×34

		
"一小川町辺御屋敷松駿河様松豊前様榊原式部
様堀田備中様内藤駿河様戸田竹次郎様伊藤
若挟様之火けし屋敷其外之はたもとがた
百けん余焼失
一西之丸下辺会津様松下総様内藤紀伊様松玄
番様迄焼失之本丸下酒井雅楽様等成川出羽
様迄焼失
一大名小路因州様遠藤但馬様本多中務様
永井遠江様林大学様八代洲がし之火けし
やしきまで不残焼失
一外桜田大毛利様少々大鍋島様朽木近江様
小笠原佐渡様少々大南部様有馬備後様亀井
様伊東様柳沢様薩州様之しやう束やしき
少々右御屋敷方町方焼失漸々四日申之刻
火鎮り申候由申参候
卯十月九日 江戸屋平右衛門"		

地震 N079

江戸大地震(仮)

安政2年(1855) 24×35

		
"安政二乙卯十月二日震火両災図
◯千住より吉原浅草辺
日本橋より北の方ハ千住宿大伴
崩小塚原両側不残焼る新吉
原崩候上江戸町京町二ケ所出火
五町不焼る火心外五十軒高札
之側残る田中山谷新鳥越町は
家土蔵共町家寺院不残崩る
事夥し又田町二丁目同一丁目山川丁
北馬道金龍山北谷中谷之寺院
不残焼失聖天横町より芝居ノ
三丁焼る東かハ少々焼る南馬道より
花川戸町中頃にて留る瓦丁聖天
町山の宿崩多く出火の患なし金
龍山観音堂恙なし夫より並木田原
町仲町崩れ多く駒形町中ほと
西側より出火当所谷中清水観音
門前谷中八軒町代地少々焼る駒
形堂より両側共諏訪町黒船町
三好町御厩川岸にて焼留る極寺
門前焼ける三間丁森下辺新ほり
辺大いたみ御蔵前通りより茅丁
左右代地福井丁鳥越辺崩多し
◯橋場今戸山谷辺
橋場丁ハ崩多く東側少し
焼る今戸ハ崩レ半にて橋際少々
やける此辺寺院損亡多し
◯東門跡広徳寺前辺
東本願寺御堂別条なく地中
崩多し菊屋橋向新寺町両かハ
小半丁焼る
◯堂前より山崎下辺
堂前山本仁太夫ごふむね矢来内潰る
上出火して此所のみ焼る山伏丁
御切手町山崎丁崩多し
◯坂本より三の輪根岸谷中
坂本二丁目三丁目焼る御たんす町
少々焼込組一丁目より金杉三輪
辺大音寺前辺崩多し根岸ハ
格別之事無し谷中辺所々いたミ
天王寺五重塔九りん落る三崎
団子坂少々崩る々
◯上野御山より池之端辺
東叡山御別条無之宿場のみ
そんじ少々池の端茅丁ハ二丁目
一丁目池の上不残焼る山側焼る
尤潰多し切通し下大崩仲町
両かハ町少なし片かハ町と崩多し
御すきや町不残崩天神下御
屋舗崩多し右故人々も
けが人死人尤有之よし
◯広小路より御成道御かち丁
下谷広徳寺前通り裏表御組
屋舗格別之崩無し上野広小
路東側中程より出火して北大門丁
元黒門丁上野町一丁目二丁目同
朋丁新黒門丁上野御家来屋敷
御成道井一万石井上筑後守様東北の角
少々焼る大門丁車坂町長者まち
一丁目二丁目下谷町二丁目代地焼
中御徒士丁片側にて留る三輪はし
横丁ハ鈴木石川酒巻福井山崎
様焼る三枚橋ハ角より中根様半焼
大沼大塚山木太田焼る皆川松井
焼る成田堀江田村飯原利根川
杉山真下津田平野大岩杉江
山本様焼る赤井山田戸谷藤川
岡村様焼る伊藤様火の中にて
残る太田杉田永田清水若安様
焼る三谷長谷川中西様焼る船橋
谷村渡辺速水川島出口村田様
焼る加納様半焼広瀬様にて
やけ留る此所東側美濃部葛
山大久保様ノ軒焼る又まりし天
横丁ハ桃井森下大八木井上
平尾吉川高木長谷川松もと
手島望月様焼る上野町横町ハ
袋丁にて礒戸石井吉村高田
中村様焼る又青石橋横町青
店通りハ高田山本宮川小倉
桃井太田焼る森田西郷様残る
上の丁二丁目横町市田坂本山本
飯田坂田原木木村様迄焼同一
丁目横丁ハ亀山秋山佐藤伊原
若名吉田ニて留る長者丁向側ハ
有田榊原小笠原坂口小倉東王地
伊藤三間吉田根谷内曲稲村
黒田佐藤市田梶山手島吉川
藤井三浦三田村湯川田口大谷高
井鈴木伊藤田中相沢清田竹内
様焼る安間高木様残る山口
様焼る志村様残る辻元様焼る
狭間残る新屋敷両和角久
保田藤井河原様焼留る
◯御成道より明神下神田辺
御成通西側ハ ([家紋]) 石川主殿頭様
([家紋]) 黒田豊前守様焼る此辺に屋
敷大半崩伊賀様焼る又明神
下通りハ建部内匠頭様内藤豊後守様表長屋崩る明神下
御台所丁同明丁金沢丁旅籠丁
大半いたむ昌平橋少々崩る々
湯島横町同一丁目ハ崩少なし
神田明神別条なし筋違御門外
ハ花房町仲町一丁目二丁目此辺御成
道町家東西共大半崩松永町
相生町少し崩佐久間町藤堂様
御門前川岸共崩所少し新シ橋
通崩多シ又七曲りハ医学館多紀様
跡部様伊井兵部様松浦肥前様
酒井左衛門尉様御中屋敷佐竹様
御中屋敷佐竹一岐様池田様巨
勢様阿部様小玉様何れも所々に
崩有又三味せん堀ハ左竹様はじめ
格別之いたみ無之塀崩候のミ
◯両国より日本橋十軒店迄
浅草御門内馬喰町通り辺柳原
通りハ崩少々橋町薬研堀村松丁
浜町辺ハ崩少々富沢丁崩つよく
人形丁通東西所々崩多し親仁橋
あらめ橋小舟丁堀江丁堀番伊勢丁
せと物丁魚がし宝町釘店両かへ丁
本町大伝馬町石丁白銀丁油町
塩丁辺すへて土蔵多くいたみ崩
多く依て家は崩シ怪我人多シ
◯神田東西共
神田ハ橋本町堂島丁少々小柳丁
平永丁大に崩今川橋通り所々
崩多し西神田ハ少しつ々いたみ候迄
◯小川町辺神田橋外
小川町ハ筋違御門より水道橋稲葉
長門守様土屋采女守様此辺そんじ
([家紋]) 一万千石戸田大炊頭様焼る
([家紋]) 二万三千石内藤駿河守様焼る表御門
長家残る向ハ田中唯一様残る猶又
([家紋]) 十一万石坂田備中守様半井出雲守
様一軒焼る溝口八十五郎様佐藤金兵
衛様伏屋様大久保様柘植様焼る
依田様一軒残る神織部様荒川様
曽我様青木様本多様新見様迄
焼る河内様小林様佐藤様焼る夫より
神保小路間下長坂守荒井様迄焼
五所橋通り明楽様雨森様大岡崎
定火消屋敷焼る ([家紋]) 榊原式部
大輔様半焼 ([家紋]) 本田豊前守様
半焼戸田加賀守様焼少し残る
鷲巣淡路守様焼る長谷川駒井
様二軒残る山本様少々にて焼となる
又一口ハ雉子橋通り小川町本郷丹後守様焼三番原ハ ([家紋]) 五万石松平豊前守様焼る塙宗悦様渡辺三之助
様一色丹後守様一色邦之助おく
少々焼る尤崩候事夥敷候
◯小石川御門内
([家紋]) 松平駿河守様焼る此へん
御組屋敷其外一円焼る黒
川様ニて止る小石川御門より西ハ少々也
◯飯田町番町麹町辺
まな板橋九だん坂崩少し番町
辺麹町大通り平川町隼山
本町谷町右何れも少々いたミ候
◯四ツ谷御門外新宿青山目黒
四ッ谷伝馬町通り大木戸辺まて
所々崩内藤新宿成子丁辺少々
玉川上水樋そんじ水あぶる々天王
横丁より鮫が橋そんじ青山善光寺
前通り崩道玄坂町より渋谷小沢
相か谷下目黒長者丸笄ばし
日ケ羅龍土麻布広尾白銀
目黒辺何レも少々崩れ有
◯本郷湯島王子迄
本郷湯辺崩ハ少々尤麹宝が
くゑて損亡夥し小石川焼菊
坂下町ハ崩多し
◯駒込白山巣鴨辺
駒込千駄木辺ハ少々崩なく白山
下より指が谷町下富坂ハ崩れ多く
巣鴨染井王子坂辺迄崩少々
◯小石川御門外牛込高田辺
小石川御門外ハ水府御屋敷百軒
長家向側御屋敷不残崩五七軒
焼る牛天神下すハ町より安藤坂辺
崩多く龍けい橋 ([家紋]) 松平讃岐
守様御屋敷焼る伝通院通り
崩少くなく裏門通崩多し小日向
辺関口青羽少々目白辺少し牛込
所々崩政代丁大崩高田辺も崩候
◯和田倉大手先八代洲川岸
和田御門内見張り番所焼る ([家紋]) 二十三万石松平
肥後守様始御大名様方半ハ崩
馬場先外ハ ([家紋]) 一万二千石遠藤但馬守様始
御火消屋敷焼る数寄屋橋内ハ崩
多く御大名様方凡焼る又日比谷御
門御番焼る猶御屋敷方七項焼る
幸橋御門内凡焼る龍の口角より大手
先 ([家紋]) 十五万石酒井雅楽頭様焼る外御屋敷
崩多分也
◯外桜田霞ヶ関永田町辺
外神田ハ都而御大名のみ多く小屋敷
無之所々崩江戸坂永田町少々崩
山王御社恙なく赤坂御門御やし
き何れも崩候所々有之
◯芝一円品川迄
幸橋御門外通りあたみ下久保町
新シ橋増上寺辺所崩芝露月町
汐留仙台様辺迄ゆるやか也柴井町
一丁焼る是より大門浜手共崩多く
浜松町より三田辺格別之事無之赤羽
根玄馬様崩水天宮様悉なし白銀
二本榎御殿山少々にて伊皿子高輪
辺損じ多し且高輪辺ハ少々
品川宿共格別之事無之橋向は
潰多し
◯日本橋南新橋八丁堀辺
日本橋より南ハ東西中通り呉服丁
辺中橋迄格別之事無南てんま町より
崩多くかぢ丁南大工町五郎兵衛丁焼る
畳丁残る跡ハ京橋上焼る橋向ハ
所々損し三十間堀木挽丁築地辺も
損し少々土橋辺格別之事無し
八丁堀通少し鉄砲す辺大崩尤
稲荷社恙なし霊岸島辺崩多
新川新堀大川橋丁一丁焼る箱崎
丁より浜丁大橋迄所々崩有之候
◯本所深川一円ニて終る
本所ハ惣て崩つよく御大名様方
御旗本様町家共に無事成ハまれ
なり東橋向松平周防様御下やしき
焼る小梅辺少しやけ荒井丁辺一面
清水弁天小路辺やけ下口ハ天満宮
前亀戸二ケ所焼柳島辺潰多し
吉岡丁辺御竹蔵前通り堅川通り
両岸大崩緑町四丁目五丁目やけ
其外一円潰家多し手負死人多し
深川ハ御船蔵屋敷より焼始ハ老川丁
辺やけ其外御屋敷方共やけるまた
北六軒堀神明宮恙なし北の方
のこる同門前やけ常磐町太田様
にて焼止る元町潰れ田安様前通
やけ一軒残る扇橋猿江西丁東丁
大ニ潰れ土井様やけ外大損し
又海辺大工町清須潰多し伊勢崎
町焼る平野町永代町此辺大崩れ
三角寺町大半崩和倉焼る又一口ハ
相川町より熊井丁富吉町中島丁大伝丁
八幡橋際火の中て三割のこる又一口ハ
黒江丁永代寺門前仲町十二けんやける
八幡宮恙なし岸町少々残る也
又東黒江丁一色丁北川下奥川丁
佐賀町辺大ニ崩れ是か為に
死亡する物数万人誠に目も当
られぬ有様也 "		

地震 N080

泰平震華鑑要

安政2年(1855) 35.5×49

		
"泰平震華(しんくハ)鑑要(かんゑう)
安政二卯年十月二日夜四ツどき
大ぢしん在是其中にて所々出火
に付潰家(つふれや)土蔵等の焼失数も
しれず右騒乱(そうらん)ゆへけが人等も
多く在之由ニ候此書ハ遠国へ
告達(かうたつ)の便にならんと委細(いさい)に
相た々し其印を付置候扨又
此度の義ハ前代未聞(ぜんだいミもん)の義ニ付
御上にも格別(かくへつ)御仁恵ふかく
御すくひ小家を立御手当(てあて)厚(あつく)
いたハらせ給へハ遠国の縁者に
ても安心致べき事にて今より
御心得にも可相成義と此段書記候
{左上部}御救小屋場
浅草広小路
幸橋御門外
深川海辺新田"		

地震 N081

泰平震華鑑要

安政2年(1855) 36×49.5

		
"泰平震華(しんくハ)鑑要(かんゑう)
安政二卯年十月二日夜四ツどき
大ぢしん在是其中にて所々出火
に付潰家(つふれや)土蔵等の焼失数も
しれず右騒乱(そうらん)ゆへけが人等も
多く在之由ニ候此書ハ遠国へ
告達(かうたつ)の便にならんと委細(いさい)に
相た々し其印を付置候扨又
此度の義ハ前代未聞(ぜんだいミもん)の義ニ付
御上にも格別(かくへつ)御仁恵ふかく
御すくひ小家を立御手当(てあて)厚(あつく)
いたハらせ給へハ遠国の縁者に
ても安心致べき事にて今より
御心得にも可相成義と此段書記候
{左上部}御救小屋場
浅草広小路
幸橋御門外
深川海辺新田"		

地震 N082

泰平震華鑑要

安政2年(1855) 36.5×49

		
"泰平震華(しんくハ)鑑要(かんゑう)
安政二卯年十月二日夜四ツどき
大ぢしん在是其中にて所々出火
に付潰家(つふれや)土蔵等の焼失数も
しれず右騒乱(そうらん)ゆへけが人等も
多く在之由ニ候此書ハ遠国へ
告達(かうたつ)の便にならんと委細(いさい)に
相た々し其印を付置候扨又
此度の義ハ前代未聞(ぜんだいミもん)の義ニ付
御上にも格別(かくへつ)御仁恵ふかく
御すくひ小家を立御手当(てあて) 厚(あつく)
いたハらせ給へハ遠国の縁者に
ても安心致べき事にて今より
御心得にも可相成義と此段書記候
{左上部}御救小屋場
浅草広小路
幸橋御門外
深川海辺新田"		

地震 N083

江戸大地震出火場所付

安政2年(1855) 35×90.5

		
"夫江戸九分通大地震と聞より国々の親兄弟のなげきかな
しミいかばかりぞ片時もはやく安否聞セ可為安堵事第一也
頃ハ安政二年卯十月二日夜四ツ時よりゆり出し家蔵
潰れ死人けが人数多く其上出火なり二十五ケ所一同に
もへ上り大火となり先日光道中こが宿さつて宿栗
橋宿草加宿かすかべ宿大沢宿かうしがや宿竹のつか
梅田村千住宿五丁目四三二一かもん宿小塚原等ハじしん
の上出火ニて残らズ焼る浅草丁新鳥越丁三丁目二一
一口は新丁三のわ丁一二丁目坂本丁三丁目二一大をんじまへ
大くずれ新吉原江戸丁一丁目出火いたし揚や丁京丁
一丁目二丁目角丁江戸丁二丁目伏見丁焼る死人三千七百
人けが人数しれず田丁二丁目一丁目竹門北馬道丁南馬道丁
猿若丁三丁目二丁目一丁目やける役者新道残る聖天
丁瓦丁山之宿丁花川戸丁半分残る也だいしん門前
焼るくわんせおん二王門つつがなく並木丁駒形通り
すわ丁黒舟丁八まん丁中程ニとまる通はたご丁森
下丁戸丁一口者田原丁三丁目より広徳寺まへの寺院
町家大に損る下谷藤堂立花其外御大名御やしき
残■損る上野丁長者丁三丁目二丁目魚店七軒
丁内■より出火して和泉橋通迄もへおち夫より仲丁
うら通りくずれ表通あらまし残るひろこうじ井口側
焼る同かや丁二丁目一丁目迄やける根津ハ二丁とも大ニ
そんじ死人四百人けが人数しれズ二軒残るむえん坂上ハ
松平備後守様御やしき焼る千駄木団子坂此
辺あまた潰れ谷中善光寺坂上少々残る也
夫より本郷通りそんじ切通し焼る加州様人数
惣がかり小消口とる湯島天神少々いたミ
門前両かハ町家本蔵附惣いたミ同三組丁
中程より二軒たおれ其外畑新丁家霊雲
寺門前ねりへい潰れ妻恋丁いなりの社つつ
がなく町内潰れ浅草かや丁両側損る御見付
石がき飛いづる馬喰丁横山丁大てんま丁小伝
馬町格別■([虫喰])損る東橋向松平隠岐守
様御やしき潰れ焼る本所石原辺より御
船蔵前潰れおもて丁少々三ツ目緑丁一丁目二丁目
四丁目四ツ目ばし木ハまでやける一口は箱崎丁菊新
ほりしん川北しんほりれいがん島大川端迄やける
深川相川丁富吉丁もろ丁はまぐり丁北川丁
けきどの丁熊井丁中島丁黒江丁仲丁
永代寺門前残らす焼る死人百二十七人うら
通り新通右木場黒舟いなり松平
あハの守様下やしき残る入舟丁少々いたミさか
丁より川岸通りいしき丁まで大にそんじ
寺丁平の丁損木場大にそんじ大和丁
此へん残らズ人数四十人焼死今川橋
日本橋通南之方てんま丁二丁目少々三丁目
たたみ丁五郎兵衛丁かじ丁一丁目
二丁目すずき丁因幡丁ときハ丁
{五字程あけてある} 具足丁柳丁大根
がし焼る又一口ハ神田ばし内
酒井雅楽守様森川大名小路
遠藤但馬守様御火けしやしき
因州様越前様等残らす焼る
酒井左衛門様小笠原様少々潰れ
永井飛騨守様本多中務大輔
様やける土井様半焼け松平右京
亮様少々和田倉御門之内会津様
松平下総守様内藤紀伊守様馬
場さき御門御番所焼る外さくら田御門外
山下御門鍋島様南部様伊東様松平
時之助様やける薩州様長州様三草
丹羽様上村様焼る一ツ橋通りきじ橋通り
小川丁本郷丹後守様松平紀伊守様榊原
式部大輔様板倉戸田此辺残らすやける
又山之手麻布まミ穴此辺大潰れ四ツ谷
しほ丁よりこうじ丁平川天神前残らす潰れ
此より御茶の水番丁青山六堂辻板橋迄
潰れ又一口ハ京橋より芝口三丁少々潰れ
源助丁露月丁新せん座肥後守様へいくつれ
柴井丁より出火いたし宇田川町両側焼る芝神明
前両側潰れ脇坂あわぢ守様仙台様少々崩れ
浜松丁四丁目金杉四丁目少々いたミ品川東海寺
山内不残崩本宿新宿坂両側大崩高輪
松平大和守様御やしき崩有馬中努大輔様
練塀崩薩州様表長家崩南三丁崩中程
高輪家十軒程潰れ三丁崩如来寺本堂家根
崩門前崩石橋二ツ所路庚申堂石門いがむ
太子堂崩芝車丁崩伊皿子長応寺表門
崩魚籃寺へい并ニがく堂崩七軒別
条無く東禅寺門崩芝田丁八九七崩
四三無別条八まん宮石垣石坂かな
どうろう崩レ五六少々崩レ二一大に
崩レ本芝四丁崩レ
ようようしづまり諸人安土おもいを
なすめてたしめてたし
江戸町員五千七百町
土蔵数十一万四千四百六十
御大名様方四百余
御旗本様方十八万五千八百
寺院宮社六千二百余
死人十一万八千六百余
けが人三十二万六十余
御救小屋
上野
浅草
窪町
外ニ九軒
〆十一軒 "		

地震 N084

江戸大地震出火

安政2年(1855) 34.5×47

		
"江戸大地震出火本しらべ
当月二日亥の刻より大地震ニて天地くつがへる計人家土蔵七歩通り崩レ其中より
所々出火ニて死人怪我人数しれず出火三十八ケ所の火口と相成候趣追々申来リ候左の 通
浅草御寺や川岸茅町瓦町材木丁御蔵前黒船丁諏訪丁駒形丁並木丁
花川戸山の宿猿若丁芝居三軒不残今戸組に三や吉原のこらず
田町金杉辺下谷上の広小路御成海道外神田佐久間丁辺御
丸の内ニて四ケ所出火御大小名様方過半御類焼のよし
虎の御門外京ばし前後芝増上寺神明大損ジ
深川一円永代寺焼る本所辺回向院それより
亀井戸天神柳島小梅辺五百らかん築地
御門跡鉄砲洲細島まて焼るあたご下ニケ
所出火芝口高なわ泉岳寺東海寺
三田白かね目黒辺大そんじ伝
通院白山根津こま込追分辺
いづれも大あれにて死人怪我人
おびたたしく右の外人家残りの
分ハあるひハゆがミ又ハ半くづれ
なんどにて皆々野宿いたし候趣
地震ハいまだゆりやまず候へども
出火ハ漸々四日巳の刻鎮り候由
古今めづらしキ大変の次第
昨はん四度目廻状ニて申来り候
本しらべにいたし差出し申候余ハ尚
委敷後御篇仕差出し可申候
{枠外右}安政二卯ノ十月七日  "		

地震 N085

安政二乙卯歳十月二日夜ル四ツ時震始メ末代

安政2年(1855) 38.5×53

		
"安政二乙卯歳十月二日夜ル四ツ時震始メ末代
御大名方類焼の部
酒井雅楽頭様
森川出羽守様
松平肥後守様
松平下総守様
内藤紀伊守様
松平長門守様
伊藤主理大輔様
北条彦之丞様
永井遠江守様
本田中務太夫様
上屋采女守様
林大学頭様
松平豊前守様
遠藤但馬守様
松平因幡守様
松平玄蕃守様
松平一岐守様
南部信濃守様
有馬備後守様
三浦相模守様
松平大膳太夫様
松平時之助様
村上但馬之守様
松平肥前守様
伊藤若狭守様
松平駿河守様
内藤駿河守様
堀田備中守様
戸田竹治郎様
板倉伊予守様
亀井隠岐守様
小笠原佐渡守様
柳沢監物様
朽木近江守様
松平紀伊守様
松平豊後守様
松平周防守様
内藤能登守様
松平甲斐守様
榊原式部守様
安部播磨守様
北條美濃守様
薩州装束家敷
津軽御下屋敷
定火消御家敷
定火消御家敷

卯十月二日夜四ツ時大地震ゆり始大崩れニて
出火等有増の所付丸之内大手先酒井雅楽頭
森川出羽守様より出火又松平肥後守様より
出火松平下総守大崩れ出火八代町から村上
但馬守様御火消屋敷不残やけ松平相模
守様焼失町屋夫より京橋五郎兵衛町より出火
具足町柳町白魚やしき此がし南伝馬町
二丁目三丁目大しんがくふるぎ相たたみ町
一丁目二丁目かぢ丁一丁め二丁目同三四大工丁一丁め
二丁目三丁目おけ丁一丁め二丁目鈴木町いなば丁
ときわ丁松川丁本材木丁五丁めより八丁目迄是より
南八丁堀辺不残やけ又しば口一丁目より源助丁
迄所々くづれ又うた川丁より出火金杉迄不残
消失のこり所々くつれ夫より高なわ別してゆり
つよく大地さけ中より砂計吹出シ所々くづれ
大混雑それより東方御ばんがはら
四はんばら松平紀伊守様より出火
榊はら御家敷戸田竹治郎様小笠
原様小川町火消屋敷土屋采女
様其ほかまな板ばし迄御家敷不残
焼失残所ニハくづれ又小石川小びなた
りうけいはし近へん屋しき町
家とも焼失伝通院処所々くづ
れ出火ありそれよりお茶の水ばん丁
迄くづれ焼るなり赤坂一ツ木
へんより青山六堂辻極楽の水
此へんは惣くづれ出火ありそれ
より四谷境丁のりもの丁石切よこ丁
此辺より新宿甲州かゐ道すじ
右同断

御府内ハ十里余方ハ千住宿
大くづれ小塚原じしんの上
のこらず焼失夫より仲仙道
大宮辺まで地さけくづれ上
総下総まで大地震なり
舟はし辺ハ殊のほか手ひど
く人家申およハず又かさい二
合半日光道中ハ岩つきさつ
手辺ハこどこどくくづれ出火
出火此数しれず凡火の手上り
数百五十九ケ所二日夜より今に
大小刻々時々にゆる事やまず
中に三日夜ハかうし町下谷出火
あり安き心ハさらになし此よし
諸国親るい縁者方もたより
しがたく親子兄弟一ツ所ニ寄合
毎日かなしむ事あわれなる
次第なり
一団子坂此辺大くづれ谷中
善光寺坂それより本郷どふり
大損じ切どふし辺のやけハ加州様御人数
惣掛ニて消口を取此辺のたすかりハ
中々かうたいもなく有かたき事此上なし
御大名様御屋敷
大そんじ 百九十五ケ所
焼失 百二十ケ所
はた本御屋敷数しれず
寺社くずれ百九十五ケ所焼失九十一ケ所
御家人衆様大損シ五千余焼失 九百五十余
町数三千十二丁
大くづれ焼失数しれず
出火三十二ケ所
土蔵十万七千余
但し戸前くづれとも "		

地震 N086

東都珍事実録咄

安政2年(1855) 38.5×52

		
"東都珍事実録咄
十月二日亥ノ刻より大地震差をこり
人家崩れ夫より出火となり市中八方へ
火の手上り大火となり市中の人々是ニ
おどろき其混雑めもあてられぬ
しだい也又御家敷様方御殿様
御奥様方御立退或鑓長刀
を携御切十市中の騒動上を下へと
申方なし大坂表と市中の事替り
或ハ押にうたれ或ハ火にまかれ死
すも有○亥の刻より地震止事なし
故ニ老若男女たすけくれの大声上り
助くる事不能見ごろしなる事数
しれず又江戸表ハ諸国より入込たる
人多く土地不案内にてあれハ逃
てハ門ニむかひすわやといふ内大火
山の如くむらがり来り其横死の声
今ニやまずあわれなる事たとゑ
がたし寺院社宮ハ申ニおよハす
土蔵崩れあるひいろいろわれ
たる数筆紙につくしがたし大震
の場所人形町辺人家七分通
潰れ尤橋々ハ格別の事無之
市中所によりてハこけ家山の如く
かさなり山の如し前代未聞の次
第なり
此度番付外とニも数多く有之
候へ共外方の分ハ別してくわしくは
江戸表より所々細ぎんミいたし書面参り候
中にも諸国ニて出火所わけいたし
まま図ニてうつしとんと間違なし
猶死人数ハ相わからずしれ
しだい小付にて差出し申候

麹町五丁目岩城
サや大崩レニて
家内死人多し
崩れ出火為右崩れ
四ッ谷伝馬丁通り
二十四五軒くづれ
市ヶ谷町家
十五六軒たをれ
御屋敷ハ数
多くねつ谷
中くづれ家
少々土蔵並
蔵造りの家
不残くづれ
本郷湯島外
神田旅籠丁
又さくま丁くつれ
家二百七八十けん
くつれ但し出火なし
地震大ふるいの部
日本橋室町小田原丁此近辺
十軒店本町するか丁越後屋道辺
大伝馬丁大丸辺油丁横山丁人形
丁田所丁堀江丁此辺又富沢町
長谷丁新乗物丁高砂丁川岸どふり
両国広小路浅草御門外福井丁
かや丁御蔵通り又日本はし通り白木屋
すハしゃ但し蔵造土蔵とも人家八分
どふりだをれ又日本橋より芝大木戸
までくづれ家数しれず高なハ大半
くづれ品川上宿少々下宿六分通りくづれ
中にもあわれなるハ旅人又ハめしもり女ハ
とう方ニくれやみもいふ内ぢごくのさたを
見るが如く其時のこへ蚊のなく如く
あわれなる事此上なし

水汲の図
此度大じしんニ付水道とま([ママ])
われ水の手とまり水きれ
にて町々人々大ニこまり
ほりぬき井戸迄
くミニゆく事二丁
三丁五丁七丁
とゑんほうへ
くミにゆくこと
さつ一通ならす
井戸はたハ
たがひに
こうろう
のようだい
なるへし

大地震ニて七分くづれ其上出火と
相成不残焼失五十軒茶や町
田町引手茶やのこらず馬道通
不残東ハ聖天町瓦町猿若町
三芝居役者町楽屋新みち
其外諸商人のこらず焼失役者
衆即死も有又ハ片岡我堂丈ハ疵
多く山の宿花川戸北馬道川岸
通材木町並木町駒形すわ町
黒ふね町御馬屋川岸辺不残
又ハ三間町のこらす焼失別して
新吉原女郎客衆其ほか
歳より若き者横死する人数
千人ニおよぶ浅草辺観世音を
見かけ境内へにけ込幾万とも数
しれす時の声上ケ観世音を
ねんじ其御利益か一人も怪
我人なし霊験あらたか恐へし
但シ下谷金杉三丁やけ

本所ハ石原町番之南わり下水吉田町
吉岡町清水町長崎町入江町
緑り町花町あいをい町立川通り
津軽中屋敷又ハ御大名御旗本
御組屋敷御与力衆又ハあまた
御屋敷焼失凡二十二丁四方
焼失崩れ家少々深川永代ばし
向少々残し富よし町はまぐり町
黒へ町熊井町大和町大島丁矢倉
下すそつぎ仲町通一ノ鳥居まて
佃しま八まん宮残り森下町より
六けんぼり神明町ときわ町
高ばし通りいせ崎冬木町凡
十二丁四方焼失くづれの部
其数それず北しんぼり二の
橋よりれいがんじま此辺ハ少々
焼失大川端鉄砲づ舟松町
十けん町焼失焼残りの家ハ
地震にてつぶれ
佃しまくづれ丸やけニ相成
北ハ下谷池端仲丁茅丁広小路三枚はしより
南へ焼失長者町おかち町辺
御なり道其外代地御大名御中
屋敷御下屋敷御組屋しき
御かち組御先手組御はた本焼
但し池のハた池の水津波の如くおかへ
打上ヶ龍(たつ)の登るがごとくさも
おそろしきふぜいなり
{付札}新吉原のこらずやけ
江戸丁一丁目同二丁目
京町一丁目同二丁目
角丁ふしミ町
あげや町
中の丁そのほか
西がし小ごうし
十けん数多の切見世 "		

地震 N087

大地震火事略図

安政2年(1855) 39×76.5

		
"大地震火事略図
乾坤和順せざるときハ陰地中ニ満て一時に発す是地上に地震といひ海上に津浪といふ山中に発する時ハ洞のぬけたるなど
皆風雨不順の為す所にして恐るべきの大事なり于茲安政二年乙卯冬十月二日夜四ツ時過るこう関東の国々ハ
地震のととかさることなく一時に舎坊を崩し人命を絶こと風前のともしびの如し其中に先御府内焼亡ノ地ハ千住小塚原
不残焼け千住宿ハ大半崩れ山谷橋ハのこらす崩れ今戸橋きハ数十軒やける新吉原ハ五丁共不残焼死人おひただしく
田丁一丁目二丁目山川町浅草竹門北馬道聖天横町芝居町三町北谷中谷の寺院南馬道より花川戸半町程やける山の宿町
聖天町ハ崩る浅草寺ハ無事にて雷門の雷神ゆるぎ出す広小路並木辺残らす崩れ駒形町中頃より出火諏訪町黒船町御馬や
河岸ニてやけどまる御蔵前茅町辺富坂町森下辺大破東門跡恙なし菊屋橋キハ新寺町新堀共少しやける大音寺より
三の輪金杉辺崩れ坂本ハ三丁目やける山崎町東坂庫裏寺前通り崩多シ又ハ山本仁太夫矢来内死人多く家不残崩る其外寺院ハ
大破損亡おびただし○谷中三崎千駄木駒込ハ崩れ少し根津門前ハ大半崩池の端茅町二丁目境いなり向よりやけ向一丁目不残
木戸際ニて留る切通シ坂下大崩仲町ハ片側丁崩多く両かハ丁すくなし御すきや町ハ大崩広小路東がハ中程より伊東松坂屋角迄
上野町より長者町辺やける御徒町近辺より三味せん坂七まがりハ大名方組屋敷共崩るといへとも多分のことなし御成通より明神下
破れ多く外神田町家の分崩少し湯島天神ハ崩少し門前町崩多く妻恋町少しも不崩稲荷の社無事也本郷其破
少し筋違御門より日本橋通り左右神田東西共崩多し小川町本郷様松平紀伊守様板倉様戸田様やける榊原様外かハ
焼神田橋内酒井雅楽頭様同御向やしき龍之口角森川出羽守様又一ト口ハ八代洲河岸遠藤但馬守様因州様御火消屋敷
等なり和田倉御門内ハ松平肥後守様松平下総守様やける近所崩れ其外丸の内御大名方所々崩多シ鍋島様御上屋敷
不残やける山下御門内阿部様のこらす大崩となり夫より幸橋内松平甲斐守様伊東様亀井様共やける薩州様装束屋敷崩る
霞関ハ諸家様大半くづれ黒田様御物見のこる永田町三間家かうじ町辺ハ崩少し四ツ谷市ケ谷牛込小日向小石川表町辺
何れも損亡おほし赤坂青山麻布渋谷白銀品川高輪基町共崩少し赤羽根三田坂倉西ノ久保ハ崩多シ増上寺無事
○北東所は中の郷松平周防守様やける此辺大崩ニて所々より出火あり同所焼場丁弁天小路辺やける其外寺院損亡多シ法恩寺橋
町家やける亀戸町二ケ所やける又堅川通りハ桐生町緑町三ツめ花町迄やける又御船蔵前町より黒八名川町六間堀森下町高橋ニて
留る又一ト口ハ深川相川町より黒江町大島町はまぐり町永代寺門前町八幡宮鳥居きハニて止る又乙女橋向角大川端少しやける
本所深川おしなへて地震つよく損亡おびたたし○日本橋より南東両中通り河岸通り共大崩ニて南伝馬町二丁目三丁目左右川岸
京橋川通り迄やける銀座町三十間堀尾張町辺少し崩るる新橋向築地木挽町桜田久保町あたご下崩れ多シ芝口通り少し
露月丁崩れ柴井町やける神明町三島町大崩怪我人多シ神明宮恙なし浜手御屋敷残すいたむ御門前片門前浜松町金杉本
芝辺崩少し田町大木戸品川宿格別の崩なし翌三日より七日迄明日すこしづつふるひけれ共別にさハることなく追々静鑑におよひ下々へハ
御救を被下置御救小屋三ケ所へ御立被下御仁徳の御国恩を拝謝し奉らん人こそなかりけれあらありがたき
事共なり 但シ出火のせつわ三十二口なれともやけるところハ図のことし 火の用心火の用心
{上左枠内}
御救小屋場所
幸橋御門外
浅草広小路
深川海辺新田
同 永代寺境内
上野御山下火除地
東叡山宮様より
御山下右同断
十一月二日焼死人のため
諸宗十三ヶ寺へ施餓
鬼被 仰付修行被致候
御屋舗 二万四千六百四十軒
町数 五千三百七十余町也
寺院 一万六千二ケ寺
土蔵焼失の分
六千八百戸前
崩候分
七億二万六千三十八也
男女生死人の分
十万九千七百余人也  "		

地震 N088

大地震火事略図

安政2年(1855) 37.5×76.5

		
"乾坤和順せざるときハ陰地中ニ満て一時に発す是地上に地震といひ海上に津浪といふ山中に発する時ハ洞のぬけたるなど
皆風雨不順の為す所にして恐るべきの大事なり于茲安政二年乙卯冬十月二日夜四ツ時過るこう関東の国々ハ
地震のとどかさることなく一時に舎坊を崩し人命を絶こと風前のともしびの如し其中に先御府内焼亡ノ地ハ千住小塚原
不残焼け千住宿ハ大半崩れ山谷橋ハのこらす崩れ今戸橋きハ数十軒やける新吉原ハ五丁共不残焼死人おひただしく
田丁一丁目二丁目山川町浅草竹門北馬道聖天横町芝居町三町北谷中谷の寺院南馬道より花川戸半町程やける山の宿町
聖天町ハ崩る浅草寺ハ無事にて雷門の雷神ゆるぎ出す広小路並木辺残らす崩れ駒形町中頃より出火諏訪町黒船町御馬や
河岸ニてやけどまる御蔵前茅町辺富坂町森下辺大破東門跡恙なし菊屋橋キハ新寺町新堀共少しやける大音寺より
三の輪金杉辺崩れ坂本ハ三丁目やける山崎町東坂庫裏御前通り崩多シ又ハ山本仁太夫矢来内死人多く家不残崩る其外寺院ハ
大破損亡おびただし○谷中三崎千駄木駒込ハ崩れ少し根津門前ハ大半崩池の端茅町二丁目境いなり向よりやけ向一丁目不残
木戸際ニて留る切通シ坂下大崩仲町ハ片側丁崩多く両かハ丁すくなし御すきや町ハ大崩広小路東がハ中程より伊東松坂屋角迄
上野町より長者町辺やける御徒町近辺より三味せん坂七まがりハ大名方組屋敷共崩るといへとも多分のことなし御成通より明神下
破れ多く外神田町家の分崩少し湯島天神ハ崩少し門前町崩多く妻恋町少しも不崩稲荷の社無事也本郷其破
少し筋違御門より日本橋通り左右神田東西共崩多し小川町本郷様松平紀伊守様板倉様戸田様やける榊原様外かハ
焼神田橋内酒井雅楽頭様同御向やしき龍之口角森川出羽守様又一ト口ハ八代洲河岸遠藤但馬守様因州様御火消屋敷
等なり和田倉御門内ハ松平肥後守様松平下総守様やける近所崩れ其外丸の内御大名方所々崩多シ鍋島様御上屋敷
不残やける山下御門内阿部様のこらす大崩となり夫より幸橋内松平甲斐守様伊東様亀井様共やける薩州様装束屋敷崩る
霞関ハ諸家様大半くづれ黒田様御物見のこる永田町三間家かうじ町辺ハ崩少し四ツ谷市ケ谷牛込小日向小石川表町辺
何れも損亡おほし赤坂青山麻布渋谷白銀品川高輪基町共崩少し赤羽根三田坂倉西ノ久保ハ崩多シ増上寺無事
○北東所は中の郷松平周防守様やける此辺大崩ニて所々より出火あり同所焼場丁弁天小路辺やける其外寺院損亡多シ法恩寺橋
町家やける亀戸町二ケ所やける又堅川通りハ桐生町緑町三ツめ花町迄やける又御船蔵前町より黒八名川町六間堀森下町高橋ニて
留る又一ト口ハ深川相川町より黒江町大島町はまぐり町永代寺門前町八幡宮鳥居きハニて止る又乙女橋向角大川端少しやける
本所深川おしなへて地震つよく損亡おびたたし○日本橋より南東両中通り河岸通り共大崩ニて南伝馬町二丁目三丁目左右川岸
京橋川通り迄やける銀座町三十間堀尾張町辺少し崩るる新橋向築地木挽町桜田久保町あたご下崩れ多シ芝口通り少し
露月丁崩れ柴井町やける神明町三島町大崩怪我人多シ神明宮恙なし浜手御屋敷残すいたむ御門前片門前浜松町金杉本
芝辺崩少し田町大木戸品川宿格別の崩なし翌三日より七日迄明日すこしづつふるひけれ共別にさハることなく追々静鑑におよひ下々へハ
御救を被下置御救小屋三ヶ所へ御立被下御仁徳の御国恩を拝謝し奉らん人こそなかりけれあらありがたき
事共なり 但シ出火のせつわ三十二口なれともやけるところハ図のことし 火の用心火の用心
{上左枠内}
御救小屋場所
幸橋御門外
浅草広小路
深川海辺新田
同 永代寺境内
上野御山下火除地
東叡山宮様より
御山下右同断
十一月二日焼死人のため
諸宗十三ケ寺へ施餓
鬼被 仰付修行被致候
御屋舗 二万四千六百四十軒
町数 五千三百七十余町也
寺院 一万六千二ケ寺
土蔵焼失の分
六千八百戸前
崩候分
七億二万六千三十八也
男女生死人の分
十万九千七百余人也  "		

地震 N089

関東類焼大地震

安政2年(1855) 38.5×52

		
"関東類焼大地震
{文字なし} "		

地震 N090

世直り細見

安政2年(1855) 51.5×74.5

		
"{袋} 安政二年乙卯十月二日大地震
世直り細見
江戸大火

世直り細見
江戸地震大火方角付
頃ハ十月二日の夜の事なりしが本丁辺に有徳(うとく)の番人ありしが
家内上下とも睦間敷(むつまじく)其身ハ常々観音を信(しん)じ夜毎(よごと)ニ浅草
寺へ参詣(さんけい)いたしけるが今夜も早く参詣いたさんと思ひけるが
宵(よひ)の口はからず用向あつて亥の刻頃に参詣いたし観世音に礼拝(らいはい)
し有がたさのあまり思ハずまどろミしが夢(ゆめ)ともなくうつつともなく
忽然(こつぜん)と白髪(はくはつ)の貴僧(きそう)一人あらハれ曰(のたまハ)く汝(なんじ)常々神慮(しんりよ)ニ叶ひ仏(ぶつ)
意(ゐ)にそむかず故に今異変(ゐへん)有といへども汝此なんをさけ得さすべし
悲(かなしい)かな濁世(ちよくせ)の人間此難のがるるもの稀(まれ)なり見よ見よ今にと曰ふ
うちに忽(たちまち)天地震動(しんとう)し轟(ととろ)く音すさまじく筋に此御堂もゆり
崩(くずれる)かとおもひけれバ彼(か)もの御僧の袂(たもと)にすがり三衣(ゑ)の袖のすきまより
四方のありさまを見渡すに我が手のひらを見るがごとし目前に市
中五六部通りハ将棋倒(しやうきたほ)しにことことく震崩(ゆりくづ)せバ是がために押(をし)に打れ
即死(そくし)或ハ半死半生のもの幾(いく)万人の其数しれずかくするうち諸
方の崩れし家々煙たち火もへ出忽出火となり△新吉原不残土手下
五十けん馬道通りさる若町不残聖天町山の宿不残京橋通り迄凡五十丁
程焼失浅草観音寺内本願寺御堂無事駒形堂辺より黒船丁迄南側
不残夫より下谷御成海道中程より上長者町広小路迄東側不残池のはた
かや丁より根津迄不残湯しま天神下御屋敷小石川ニてハりうけいばし
近辺御屋敷方町家とも焼すべて此辺大あれ深川六けん堀川西二丁ほど
夫より熊井戸より一の鳥居迄不残いせ崎町冬木丁京はしかじ町一丁
目一丁目五郎兵衛町畳町北紺屋町一二丁目大根岸竹町南伝馬町二三丁
目具足町柳町鈴木丁いなバ丁松川丁本材木町七八丁目八丁堀水谷丁辺
より鉄砲洲辺焼築地御堂残り芝ニてハしばい丁焼其外所々焼失場所数多
有之といへともあけで数えるニいとまあらず△凡火口三十八ケ所ニ及是が為に苦しむ有
さまも斯やと計りあハれニも又恐(おそろ)しともいわん方なし其余家居大半ゆがミ或ハ
菱ニなり土蔵等ハことことく土瓦ゆり落し鳥篭(かご)のことくニ成もあり或ハ崩
古今めづらしき大変前代未聞(ミもん)といひつべしかく有所に己前御僧の
曰く汝今こと返すべし此上ハ猶々仁義五常を守り家業大切ニ信心(しんしん) 怠(おこたる)べからす汝が
家居ハ家内一統(いつとう)無事成べしと曰ひけるあら有がたや南無観世音是全御仏の妙助
なりあら尊候や南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱(との)ふる声ニ忽ハ夢ハ覚ニけり
時ニ安政二年卯十月二日夜亥ノ刻より大地震ニ出火ハ四日申ノ刻ニ火鎮(しづま)り申候
{袖下枠内}御屋舗方あらまし小川町辺松平駿河守様松平豊前守様榊原式部様堀田越中守様
内藤駿河守様戸田竹治郎様伊藤若狭守様御火消家敷其外御はた本方百騎△
西御本丸下会津様松平下総様内藤紀伊守様松平玄蕃御本丸下酒井雅楽頭
様森川出羽守様大名小路因州様遠藤但馬守様本多中務様永遠江守
様林大学頭様八代州岸御火消屋敷近外桜田大毛利様大鍋様朽木近江守様
小笠原佐渡守様大南部様有馬備後守様亀井様伊藤様柳沢様薩州様御
装束屋敷此外御大名屋敷数多有之といへどもあげてかそへがたし
{袖}安政二年乙卯十月二日夜亥ノ刻過より大地震ニて出火遠方へしらせのため □此色印ハ出火場所○此色印崩れそんじ▲地震小ゆり度々今にしづまり不申候
{奧}右此度の異変相済候へバ向ふ両国廻向院(ゑかういん)ニおいて地震大火に付即死人くやうの為大せがき死人凡一万五千三百余人と云 "		

地震 N091

世直り細見

安政2年(1855) 51×75

		
"世直り細見
江戸地震大火方角付
頃ハ十月二日の夜の事なりしが本丁辺に有徳(うとく)の番人ありしが
家内上下とも睦間敷(むつまじく)其身ハ常々観音を信(しん)じ夜毎(よごと)ニ浅草
寺へ参詣(さんけい)いたしけるが今夜も早く参詣いたさんと思ひけるが
宵(よひ)の口はからず用向あつて亥の刻頃に参詣いたし観世音に礼拝(らいはい)
し有がたさのあまり思ハずまどろミしが夢(ゆめ)ともなくうつつともなく
忽然(こつぜん)と白髪(はくはつ)の貴僧(きそう)一人あらハれ曰(のたまハ)く汝(なんじ)常々神慮(しんりよ)ニ叶ひ仏(ぶつ)
意(ゐ)にそむかず故に今異変(ゐへん)有といへども汝此なんをさけ得さすべし
悲(かなしい)かな濁世(ちよくせ)の人間此難のがるるもの稀(まれ)なり見よ見よ今にと曰ふ
うちに忽(たちまち)天地震動(しんとう)し轟(ととろ)く音すさまじく筋に此御堂もゆり
崩(くずれる)かとおもひけれバ彼(か)もの御僧の袂(たもと)にすがり三衣(ゑ)の袖のすきまより
四方のありさまを見渡すに我が手のひらを見るがごとし目前に市
中五六部通りハ将棋倒(しやうきたほ)しにことことく震崩(ゆりくづ)せバ是がために押(をし)に打れ
即死(そくし)或ハ半死半生のもの幾(いく)万人の其数しれずかくするうち諸
方の崩れし家々煙たち火もへ出忽出火となり△新吉原不残土手下
五十けん馬道通りさる若町不残聖天町山の宿不残京橋通り迄凡五十丁
程焼失浅草観音寺内本願寺御堂無事駒形堂辺より黒船丁迄南側
不残夫より下谷御成海道中程より上長者町広小路迄東側不残池のはた
かや丁より根津迄不残湯しま天神下御屋敷小石川ニてハりうけいばし
近辺御屋敷方町家とも焼すべて此辺大あれ深川六けん堀川西二丁ほど
夫より熊井戸より一の鳥居迄不残いせ崎町冬木丁京はしかじ町一丁
目一丁目五郎兵衛町畳町北紺屋町一二丁目大根岸竹町南伝馬町二三丁
目具足町柳町鈴木丁いなバ丁松川丁本材木町七八丁目八丁堀水谷丁辺
より鉄砲洲辺焼築地御堂残り芝ニてハしばい丁焼其外所々焼失場所数多
有之といへともあけで数えるニいとまあらず△凡火口三十八ケ所ニ及是が為に苦しむ有
さまも斯やと計りあハれニも又恐(おそろ)しともいわん方なし其余家居大半ゆがミ或ハ
菱ニなり土蔵等ハことことく土瓦ゆり落し鳥篭(かご)のことくニ成もあり或ハ崩
古今めづらしき大変前代未聞(ミもん)といひつべしかく有所に己前御僧の
曰く汝今こと返すべし此上ハ猶々仁義五常を守り家業大切ニ信心(しんしん) 怠(おこたる)べからす汝が
家居ハ家内一統(いつとう)無事成べしと曰ひけるあら有がたや南無観世音是全御仏の妙助
なりあら尊候や南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱(との)ふる声ニ忽ハ夢ハ覚ニけり
時ニ安政二年卯十月二日夜亥ノ刻より大地震ニ出火ハ四日申ノ刻ニ火鎮(しづま)り申候
{袖下枠内}御屋舗方あらまし小川町辺松平駿河守様松平豊前守様榊原式部様堀田越中守様
内藤駿河守様戸田竹治郎様伊藤若狭守様御火消家敷其外御はた本方百騎△
西御本丸下会津様松平下総様内藤紀伊守様松平玄蕃御本丸下酒井雅楽頭
様森川出羽守様大名小路因州様遠藤但馬守様本多中務様永遠江守
様林大学頭様八代州岸御火消屋敷近外桜田大毛利様大鍋様朽木近江守様
小笠原佐渡守様大南部様有馬備後守様亀井様伊藤様柳沢様薩州様御
装束屋敷此外御大名屋敷数多有之といへどもあげてかそへがたし
{袖}安政二年乙卯十月二日夜亥ノ刻過より大地震ニて出火遠方へしらせのため □此色印ハ出火場所○此色印崩れそんじ▲地震小ゆり度々今にしづまり不申候
{奧}右此度は異変相済候へバ向ふ両国廻向院(ゑかういん)ニおいて地震大火に付即死人くやうの為大せがき死人凡一万五千三百余人と云 {印}「杉浦蔵画」 "		

地震 N092

江戸大地震並出火場所

安政2年(1855) 36×47.5

		
"江戸大地震並出火場所極本しらべ
ときに安政二卯年十月二日夜四ツ時過大ぢしん
にわかにゆりいだし北ハ千住しゆく大にくづれ小
塚原ハぢしんの上出火にて残らず焼るしん吉原
ハ五町大くづれ江戸町一丁目より出火角町
より出火にて残らず類焼田町大おん寺前花川
戸山の宿聖天町此へんぢしん出火家々のこらず
くづるる事おびただしく芝居町ハ三丁とも焼るなり
金龍山浅草寺ハ本堂つつがなく雷神門そんじる
馬道ハ大半焼るなり並木通りハ残らずくつれすハ町
出火して駒形通りまでのこらず焼るなり夫より御蔵
前通り残らすそんじ広徳寺まへの寺院町家大いに
損る下谷辺ハ藤堂立花其外御大名御やしき不残
そんじ上野まちより長者町焼七軒町中ほどより
出火して和泉ばし通りまでもへ出る夫より仲町
うら通りくづれ表通りあらまし残るひろこうじハ
井口のかハ焼る同かや町一丁目より二丁目まで焼る
根津ハ二丁とも残らすくづれ中ほとにて二三げん残る
むゑん坂の上ハ松平越後守様の御やしき焼千駄木
だんご坂此へんあまたくづれ谷中善光寺坂上少々
残る也夫より本郷通りそんじ切通し辺焼加賀様
御人数惣がかりいて消口をとる湯しま天神社少々
いたみ門前両かハ町家土蔵つきハ惣いたミのこらず
そんじる同三組町中程にて二軒たをれ木戸きハニて
一軒くづれ其ほか畑新町家霊かんじ門前少し
いたみ霊雲寺ハ残り道ハくづるる妻恋町いなり
社つつがなく町内一軒もくづれず扨大通りハ浅草
かや町両かハそんじ御見付石がき飛いづる馬喰町
横山町大伝馬町小伝馬町ハ格別のふるひなけれ
ども諸々そんじるあづまばしむかふハ松平隠岐守様御
殿くづれ類焼本居石原辺より御船くらの前町崩レ
又深川一の島居まで焼同洲崎鉄砲洲霊がんしま
境町畑島辺まで焼る又神田通り出火なしといへども
筋違より今川橋辺まで諸々くつれ又日本橋辺ハ
常盤町すずき町かじ町白うをやしき京橋きは竹かしまで
此辺立横十文字に焼る夫より芝口橋通りハ一丁目より
源助町なで諸々くづれ宇田川町より出火
して金杉辺まで諸々くづるる高縄ハ大地一尺
ほどさけ砂をふき出し諸々大くづれ品川
しゆく焼る御台場一カ所類焼さミづもり
へんまで大いにふるひ東海道ハ大地七尺
ほどさけ
じやりをふき出し大にふるふ又御城内ハ大名小
蔵西丸下まで大地しん出火所々にあり神田橋
御門内ハ酒井雅楽頭様森川出羽守様類焼和
田倉内ハ松平下総守様松平肥後守様大くづれ
類焼八代洲川岸ハ上村但馬守様松平相模守
様火消申しき残らす焼るなり其外鍋島毛利南
部様類焼其外大くづれ 小川町ハ本郷丹後守様
松平紀伊守様柳原武部大輔様坂くら戸田此辺不残
焼失又山の手ハ麻布まミあな広尾まミあ
な此辺所々出火諸々大くづれ四ツ谷塩町より麹町
惣のこらすくづれ出火あり小石川伝通院門前諸々
くづれ出火あり相原の水より表町辺迄のこらず
くづれ焼るなり赤坂一ツ木辺より青山六堂の
つじ極楽水此辺惣くづれ所々出火あり其外
御府内十里余方ハ仲山道大宮辺まで大地さけ
くづれ上総下総まで大地しん行とくふなはし辺ハ二度
に手ひどくゆり人家くづれ大かたならず又葛西二合半
日光道中ハ岩つきさつ手辺ところところ大地しん
諸々より出火あり一々これをかぞふるにいとまあらず
よく日まで焼る地しんハ一両日の間ハ刻々時々
ゆり人家ハ翌日より其夜大道往来に野じゆくして
これをさける翌日に又かうじ町下谷辺に出火あり人々
安きこころもなかりしヲやうやくに地しん出火しづまり
て安堵の思ひをなす此よし諸国の親類縁者の
ものにしらしめて親子兄弟の存亡をつげしらし
めんがために一紙にしるして覧にそなふ
◯町数三千十二丁そんじ出火
三十二ケ所より出御府内大半其外
土蔵数十万七千余戸まへくつるる
◯御屋敷御大名方三百余軒
御はた本御やしきあまた損ず



{付札}御 府内 大そんし
御大名 三百家余
御旗本 数しれす
寺社 四万八千余
町数 三千十二丁
土蔵 四万八千ヨ
出火 三十二ケ所
筧井戸 ことことくそんし
死人 凡二万三千六百ヨ
けが人 かすしれす "		

地震 N093

泰平盤石図会

安政2年(1855) 36.5×96

		
"安政改正泰平(たいへい)盤石(ばんじやく)図会(づゑ)
焼失屋敷六百七十軒余
土蔵数三十二万五千六百余戸前
火口数四十五ケ所
崩家五十七万六千軒余
死人数十六万八千五百人余
夫天変地妖ハ人力を以て防事不能頃ハ安政二卯年十月二日夜四ツ時俄に
天地震動なし大じしんゆり出し東ハ和田倉御門内 ([家紋]) 松平肥後守様両
御屋敷 ([家紋]) 松平下総守様 ([家紋]) 内藤様少しやける酒井右京亮様大手崩る八代
すがしハ ([家紋]) 遠藤但馬守様やける松平相模守様半やけ表御門残る定火けし
屋敷火の見残る増山河内守様惣崩れ表御門残る織田兵部少輔様大半
崩れ小笠原左衛門尉様表御門崩る松平阿波守様表御門計り崩る ([家紋]) 松平
右京亮様 ([家紋]) 土井大炊頭様少々やける日比谷御門内本多中務大輔様 ([家紋]) 永井
遠江守様やける土佐様御中やしき崩る外桜田ハ毛利様上杉様此辺
崩多し ([家紋]) 松平肥前守様やける阿部播磨守様惣崩れ丹波様朽木様
大半ふるう ([家紋]) 有馬備後守様 ([家紋]) 南部美濃守様 ([家紋]) 松平時之助様 ([家紋]) 伊東しゆ理大夫様やける ([家紋]) 亀井隠岐守様半分やける北条様薩州装束
やしき少しやける霞が関永田丁御大名様御旗本様御やしき所々大に
そんじる瀧の口辺ハ ([家紋]) 酒井雅楽頭様両御やしきやける御上やしき表
御門残る ([家紋]) 森川出羽守様やける惣して神田橋内ときハ橋内大にふるう
神田ばし外通りハ少しかるく小川丁ハ崩多し ([家紋]) 松平豊前守様本
郷丹後守様此辺御旗本御やしき七軒やける又 ([家紋]) 堀田備中守様 ([家紋]) 内藤
駿河守様岡部備後守様斎藤様近藤様川口様本多様大久保様久松様
曽賀様半井左京大夫様土岐様ミぞ口様定火けしやしきのこらず
やける ([家紋]) 榊原式部大輔様 ([家紋]) 戸田大炊頭様少しやける飯田丁するがだい
辺つよくふるう松平さぬき守様松平駿河守様岩城様辺大にそんじ
神田ハ東西共くずれ多く本丁伝馬丁通りつよく馬喰丁両
ごく辺いたミ少し人形丁小あミ丁辺ハ大につよく室丁魚がし辺
いたつてかるし又八丁ぼりも同様なり日本ばし南ハ通丁東西中
通り中橋辺大半崩るかじ丁より出火にて大工丁五郎兵衛丁畳丁南
てんま丁二丁目三丁目鈴木丁ときハ丁ぐ足丁柳丁白魚やし
き京ばし竹がしのこらずやける惣してぎんざ尾わり丁
新ばし辺大にそんじる又つきし辺つよく西門跡本堂ハつつが
なし地中大半ふるうといへどもつぶれ無之芝口柴井丁両がハ
やける神明丁三しま丁辺ことことく崩る田丁辺より高輪二本榎
白銀辺品川宿ともそんじ少し又浅草辺ハ茅丁福井丁代地辺
崩る御蔵前通り森本田原丁東仲町辺大半崩る駒形中程
より出火にてすハ丁黒船丁三好丁川岸にてやけ止る並木通り
くわん世おん御堂つつがなし雷神門いたまず地内大半そんじる三社
権げん鳥居崩る五重の塔九りんまがる北馬道南馬道のこらず寺院
八ケ寺やける田丁二丁山川丁芝居町三座ともやける役者丁少し残る
花川戸かたかハ中程までやける新吉原町惣崩れ殊さら所々より
出火にて五丁町のこらずやける死人五千五百余人大門外五十軒ハ
西がハ少しのこる田中鳥越三谷通りハ大にふるう今戸橋ぎハ
二丁程焼ける橋場辺大にふるう銭座町家少しやける千住宿
ことごとく崩る小塚原丁やける金杉ミの輪大音寺前崩れ多し
坂本二丁目三丁目やける山崎丁広徳寺前通り崩れ多く新
寺丁富木屋橋ぎハ行安寺地中やける東門跡御堂さわりなし
うら門崩る八軒寺丁実相寺専蔵寺ふどう院崩る無そう寺
やける又三味せん堀七曲り辺大半崩る上野広かうじ東かハ中
程より出火にて六あミだ伊藤松坂屋ごふく店やける上野丁
黒門丁長者丁残らず中おかち丁までやける武家や御やしき
やける ([家紋]) 井上筑後守様やける小笠原様中やしき堀丹波守
様酒井安芸守様大関信濃守様内藤豊後守様何れも大
半そんじる ([家紋]) 石川主殿頭様 ([家紋]) 黒田豊前守様松平伊賀守
様中屋敷 ([家紋]) 建部内匠頭様やけるゆしま天神下此辺惣崩れ
池のはた茅丁一丁二丁目七軒丁やける榊原様 ([家紋]) 松平出雲守
様少しやける喜連川様松平備後守様大半崩る又谷中天王
寺五重の塔九輪おれて落る此辺崩れ少しにて舎坊大破所々
なり根津二丁共崩る駒込すがも辺崩多し本郷辺いたミ少し
ゆしま天神社少々崩る門前三組丁辺大半そんじる妻恋社
別条なし町家少々そんじる神田明神社いたミ無之せい豊
大にそんじ同所前通一丁ほど神田川へこけ入る又小石川辺春
日町戸崎丁とミ坂辺小笠原信濃守様大半崩る牛天神下飯塚
監物様其外御旗本様御やしき六けんやける惣じて此辺つよく
ふるう小日向大塚牛込市ケ谷辺そんじ所々にて四ツ谷御門赤坂
御門内外大にそんじるなり新宿通りいたミ少し堀の内辺ハい
たつてかるし青山麻布広尾三田辺いづれもそんじ所々也
あたごの下辺ハ桜田久保丁びせん丁ふしミ丁辺大半そんじる
西の久保新下谷丁ふき手丁飯倉辺惣していたミつよく御や
しき方あまたため池黒田様横田様土岐様大にふるう又
八丁ぼり辺ハいたつてかろくれいがんしまつよく崩れ多し
塩丁中程より出火にてかたかハ半分新川少々大川端丁
やける大橋辺つよく安藤長門守様崩る又松島丁辺ハ
林播磨守様惣崩其外御旗本御やしき四軒
崩るかきから丁本多肥後守様酒井下野守様
御中やしき酒井雅楽頭きんざ屋敷大にふ
るう鉄ぼうず十けん丁 ([家紋]) 松平淡路守様
やける鉄ぼうず稲荷社別条なし又深川
ハいたつてつよく七ケ所より出火にて相川丁
熊井町とミ吉丁正源寺中しま丁大しま丁蛤丁
外記どの丁北川丁諸丁のこらず黒江丁少し残る
山本丁やぐら下辺西よこ丁仲丁八まん前まで
やける阿州様前橋やけ落る八まん社つつかなく
内外の石鳥居崩る土ばし入舟丁残らず崩る三十
三間堂ことごとくふるう永木挽丁少しやける木場
所々大にそんじるわたくらのこらずやける綱内場辺ハ
のこらず崩る寺町源しん寺満ふく寺ゑいねん寺本堂
しゆらう堂とも崩る大和丁やける伊せ崎丁黒田様少し
丁家やける東平野丁崩れ多く牧野様内藤様御下や
しき崩る論心寺本堂さわりなししゆろう堂地中五軒
崩る中門そんじたをれる門前くよう塔高サ一丈五尺巾三尺
の角石二ツにおれる霊岸寺本堂つつがなし地中十五軒崩
うら通りハのこるところ少し万松寺じおん寺崩るしんこうじ
やける立花出雲守様惣くずれ表御門残る高橋辺海辺大工丁大
半くずれ扇橋辺大崎辺舟堀辺いたミ所甚多しときハ丁
一丁目二丁目元丁やける太田摂津守様御下やしき惣くずれ
表長屋やける神明社つつかなし末社たをれる六けん堀ハ下
の橋通りのこる森下丁半分やけるみろく寺大にいたむ北六間
ぼりやな川丁御組やしき日向様永井様木下図書様林
様井上様やける御舟くら別条なし松井丁崩る一ツ目弁
才天社ことごとく崩る深川清住丁新寺崩る也又本所
ハ惣じてつぶ家多く松坂丁一丁目御旗本やしき三軒土
屋佐渡守様やける二ツ目通りハ藤堂様御下やしき津軽
越中守様大にそんじる長崎丁一丁程やける緑丁二丁目より
四丁目三ツ目橋ぎハまでやける其外此辺崩れ家多し又
亀井戸天神橋向少しやける社つつかなし柳島妙見
社別条なし押上近辺寺院あまたそんじ人家大ニ
崩る小梅小倉度近辺町家やける又吉田丁吉岡丁辺崩
多く惣して御やしきあまたそんしる石原かた丁少し
やける石原通りつよくふるうばんバ松浦様御下やしき
大にそんしる石原外手町辺ハ残る家少し北番場丁
少しやける中の郷辺一ゑんつよくふるう東橋向酒井下野
守松平越前守様御下やしき大にそんじる松平周防
守様御下やしきやける惣して寺じま辺引舟木下川へん
いたつてつよくかさい領ハ大半そんじ家多し東海道ハ小
田原辺迄にて藤沢宿ハいたミ少し神な川宿ハそんじ
あまたなり又三浦三崎辺も大にゆるき土蔵等ハ大に
いたむ川崎宿辺ハかへつていたミ少し羽根田りやうし丁
少しいたむ弁才天社さわりなし大師御堂別条無
大森辺池上そんじ所々なり又日光道中ハ草か越ケ谷
辺大につぶれ多く栗橋辺ハいたミ少し中仙道ハ大にかるし
大ミや辺大分之ことなく下総より上総房州筋ハつよくふ
う砂村舟ぼり堀江ねこざね行とく辺一のゐ二のゐいづれもつ
ぶれ多し成田道中ことごとくあれるすべて上総八幡辺下総
千葉辺野田辺迄も大かたならずふるう然りといへとも翌朝
諸方の火しづまり諸人あんどの思ひをなす是に依て
御公儀様より御仁恵御救小屋御建下しおかれ市中へ日ニ
焚出し御手当下され実以てありがたくあほくべし尊べし
しかれバ富家の町人近辺へほどこしそれそれにさし出し是又
御公儀様より御褒美下しおかれ御ほめにあづかりしなりかかるおり
からなれバ巨細をしるして便りなす助にもならんかとかくハあらわす也
{右下}明暦三年大火より当年迄百九十九年ニ成ル
一今般回向院住主より地震類焼にて亡霊之
者回向料一貫文の処申不請相葬取置致シ
度旨相願此段御聞済に相成候以上
十月
{左下枠内}御救小屋場所
浅草雷神門前一ケ所
幸橋御門外一ケ所
深川海辺大工丁一ケ所
同八幡境内一ケ所
本所割下水一ケ所
上野山下一ケ所
同所東ゑい山御救小屋一ケ所
此度地震類焼にて窮
民御救小屋建被置候間掛
の者へ相願勝手次第御小屋
入可致もの也
十月"		

地震 N094

大地震並ニ出火場所方角巨細

安政2年(1855) 50×73.5

		
"安政二年大地震並出火場所方角十月二日
千早振
神のしづめし
二荒山(ふたらやま)
ふたたびとだに
御代ハ
うごかじ
{右上部}上野御山内ハ宿坊少し崩れ同本坊中堂其外恙なし
同門前丁いたミ多く広小路中程より出火上野町より長者町
至り伊藤松坂角より御成道井上様小笠様御中屋敷
御類焼ニて此火中御かち丁にてやけ留る猶又御すきや丁
天神下同朋丁ハ別して崩多し切通し坂下ハ
倒る家あまた也此辺御やしき多分崩る
池のはた仲丁ハ片かハ丁の分崩多し茅丁二丁めより
出火して一丁目木戸際まで二丁うら表とも焼る
谷中天王寺五重の塔九りんのミ折落て土中に
埋る此辺格別のそんしなし三崎より駒込辺ハ
崩多く根津も大■崩所あり本郷ハ崩少く
候得共ほ([ママ])うしむろくゑ落て家そんしたるあり
御茶水湯島通りハ崩少なし神田明神無事也
神田橋外三川丁より西御屋敷すへて崩多分にて
小川町辺松平駿河守様松平豊後守様榊原
式部大輔様内藤駿河守様戸田武二郎様
本郷丹後守様等其外小やしき所々やける
尤此辺崩て飯田町番丁格別のさたなし
するが台猶更事なく昌平橋通りハ両側共
いたミ多し又明神下通り内藤様建部様を
はしめ御成道ハ堀塚酒井様石川様黒田
大関様なと也御成道町家共に崩るる事おひたし
小日向早稲田音羽目白向ハそんし少なし牛込ハ改代丁
辺崩多し其外上水へり崩所々なり又小石川御門
内崩多くいひ■([たカ])丁ハ下丁崩れ上丁よろし番町辺
ハ格別の大崩なくかうし丁うらて所々崩あり此
辺出火無之死人等なし牛込かくら坂より
寺町通り若宮町辺やらい下通土蔵大半
くつれそんし多し高田雑司谷辺ハかく別
のことなし市谷御門外尾張様御長家
下町家少しくつれ本村辺少崩れかがやし
き辺崩所々なり柳丁ハ所々崩見ゆる
大久保通りより柏木村辺崩所々有成子町
内藤宿大木戸辺ハ大還よしわきミちハ崩
多く見ゆる又千駄が谷辺権田原六道の辻百人町
辺ハ無事也すへて青山しふや道玄坂北沢下目黒桐か谷駒場
辺おたやかなりあ([ママ])んでん
原宿浅川町此辺に屋敷
少々崩あるなり
{右下部}浅草田町辺はつふれつよく二丁目より出火して
同一丁目山川丁竹門金龍北谷の寺院不残聖天横町より
芝居町三丁共やける東かハ少しのこる聖天町
山之宿ハくづれ多分にて怪我多し
北馬道南馬道やけ中谷の両側寺院共
のこりなくやける馬道より戸沢長家へ出
花川戸町半丁片かハにて火とまる
金龍山地中崩多し本堂恙なし
五十の塔九輪北の方へまかる
浅草広小路雷門前
崩おひただし
御救小屋場所
一 幸橋御門外
一 浅草広小路
一 深川海辺新田
一 上野広小路
一 深川八幡境内
東叡山御門主様より御すくひ小屋
{左上部}熊の前少し崩る龍土辺笄橋長者か丸辺
桜田丁三軒家辺ゆれ少々善福寺門前より
一本松仙だい坂辺土蔵のミいたむ
日がくほ通りより飯倉永坂辺いたミつよく
谷丁市兵衛丁もいたミ多し
夫より溜池上御やしき所々いたむ
又赤坂ハ田丁通伝馬丁
元赤坂丁一ツ木町辺
いたミつよく崩多分也
紀州様御やしき恙なく
さめがはし丁所々いたミ
四ツ谷塩丁忍丁伝馬町ハ
表通いたミ少なく横丁々々ハ
大半崩見ゆる尤御上水
万年どい石がきくづれ水あふるる
麹町十一丁目十二十三丁目ハ右に
同じ四ツ谷御門内かうじ町ハ
平川丁山本丁隼丁谷丁共
かくべつ崩所なし
三軒家辺御やしき永田町辺崩少なし山王御社
無事なり江戸見坂より外桜田虎の門内ハ崩甚しく
南部ミのの守様やける薩州装束屋敷表がハやけ
其外くづるる幸橋御門内ハ柳沢甲斐守様やける
伊東修理太夫様やける亀井をきの守様■([虫喰])分やける
此辺御やしき不残崩多く山下御門猶々きびしく
大鍋島様不残やける虎之御門外あたらし橋外御やしき
あたご下辺崩過半なり西の久保よりいひぐら丁赤羽ね
辺崩し三田小山辺十番まミ穴辺崩少なし増上寺
御山内崩少なく又金杉より上手本芝田丁伊皿子三田
高なハ品川だい丁二本榎白金古川辺目黒永峯丁辺
何れも格別の崩なく尤土蔵多くいたむ事一円なり
芝浜松丁片門前中門前浜手御やしきハそんじ大半■([虫喰])り
神明丁三島丁ハ大くづれにてけが多し神明宮御社
少しもさハりなし柴井町のミ一丁目やける前後つふれ多し
尤芝口ハ丁家御やしき共さハりなく又桜田くほ丁辺崩多し
是より京橋迄地しんたるミてそんじ少なし木挽町辺
つきじ御浜辺もさハりなく鉄砲洲ハあたりつよく船松丁
松平淡路守様やける此辺崩れ多く八丁堀一円中へんなり
霊岸島ハ一円くつれつよく土蔵数カ所ふるひ
塩町はま南新堀ニて二丁余程やける北新ほりハ
箱崎共崩多し小網丁崩おひたたしく浜丁ハ崩少し
甚左衛門丁大坂丁人形丁通大伝馬丁本丁石丁室町辺崩多し
両ごく吉川丁米沢丁横山丁馬喰丁ハ崩少し橋丁より田所丁富沢丁
高砂丁住吉難波丁和泉丁芳丁辺崩多し今川橋辺内神田ハ不残
東西共崩つよく筋違御門より柳原通御もミ蔵そんしつよく
豊島丁江川丁辺ゆるがせ也外神田ハ佐久間町辺よろしく御成道通り
はたご町金沢丁すべて此辺大崩なり夫より神田橋内ハ酒井うたの頭様やけ
表御門のこる同向御やしきやける龍の口角森川出羽守様やける
酒井左衛門尉様越前様小笠原様崩多く一橋様同様なり
八代洲川岸増山様林様くつれ多く松平相模守様やける御火消やしき
やけ御やぐらのこる尤屋根ゆり落す遠藤但馬守様やけ又本多中務大輔様
永井遠江守様やける其外御大名方御役やしき共かち橋すきやはし常磐橋内不残崩多し
▲東海道ハ品川ゆるし
川さき神奈川つよくふるひ金沢
江の島浦賀辺程か谷戸塚ハ甚しく
小田原辺をかきり也日光道中ハ宇都宮限り
水戸街道ハ土浦辺まで甲洲道ハ八王子辺迄
青梅飯能所沢辺多くゆるき秩父辺をかぎり也
中仙道ハ板橋
より蕨大宮辺
つよく桶川鴻巣
辺おたやかにて本庄辺
少しゆるく上州高崎
辺まて也
又二合半領葛西領ハ
大半くつれ上総ハ木更
津辺おひただしく尤房総
共大地しんなり先御府
内のミ凡を書とり其
あらましを挙くる
町数五千三百七十余丁崩
御屋敷二万四千
六百三十四軒也
寺院ハ
一万六千二ケ寺
土蔵ハ
焼失之分
六千八百戸前
崩る分
七億二万
六千三十
八なり
男女
死人之分
十万
九千
七百
三十
余人也
十月二日夜亥の
上刻より出火起る
翌朝火しつまる
深川と浅くさ
花川戸ハ
四ツ頃
しつまる
即時御公儀様より
御救御手当被下
かほどの大変に
あふ人々かつして
死すもの一人も
なくまことにまことに
ありがたき御代
といふべし
めでたしめでたしめでたし"		

地震 N095

大江戸類焼地震所付

安政2年(1855) 36×64.5

		
"大江戸類焼地震所付(ぢしんのばしよづけ)
御救御小屋三ケ所
浅草広小路
深川海辺大工町
幸橋御見附外原
{袖右下}上野山下
乾坤和順せざるときハ陰地中ニ満て一時に発す是地上に地震といひ
海上に津浪(つなミ)といふ山中に発するときハ洞(ほら)のぬけたるなど皆風雨不順の為(な)す所にして
恐るべきの大事(たいじ)なり干茲安政二年乙卯冬十月二日夜四ツ時過るころ関東の
国々ハ地震のとどかざることなく一時に舎坊を崩し人命を絶こと風前の燈火の如し
其中に先御府内焼亡ノ地ハ千住小塚原町不残焼け千住宿は大半崩れ山谷橋場ハ
のこらす崩れ今戸町ハ橋きハ数十軒やける新吉原ハ五丁共不残焼死人おびたたしく田町
一丁目同二丁目山川町浅草竹門北馬道聖天横町芝居町三丁北谷中谷の寺院南馬道より
花川戸町半町程やける山の宿聖天町ハ崩る浅草寺ハ無事にて雷門の雷神ゆすり出す広小路
並木辺残らず崩れ駒形町中頃より出火諏訪町黒船町御馬や河岸ニてやけどまる御蔵前
茅町辺富坂町森下辺大破東門跡恙なし菊屋橋ぎハ新寺町新堀共少しやける
大音寺前より三の輪金杉辺崩れ坂本ハ三丁目二丁目やける山崎町東坂広徳寺前通り崩多し
又ハ山本仁太夫矢来内死人多く家不残崩る其外寺院大破損亡おびただし○谷中
三崎千駄木駒込ハ崩少し根津門前ハ大半崩池の端茅町二丁目境いなり向よりやけ
同一丁目のこらす木戸際ニて留る切通シ坂下大崩仲町ハ片側丁崩多く両かハ丁すくなし
御すきや町ハ大つぶれにて広小路東がハ中程より伊藤松坂屋角迄上野町より長者町辺
やける御徒町近辺より三味せん坂七まがりハ大名方組屋敷共崩るといへとも多分のことなし
御成通より明神下破れ多く外神田町家の分崩少し湯島天神ハ崩少し門前
町崩多く妻恋町すこしも不崩稲荷の社無事也本郷台破少し
筋違御門より日本橋通り左右神田東西共崩多し小川町本郷様
松平紀伊守様板倉様戸田様やける榊原様外がハやける神田橋内
酒井雅楽頭様同御向やしき龍之口角森川出羽守様又一ト口ハ
八代洲河岸植村但馬守様因州様御火けし屋敷等なり
和田倉御門内ハ松平肥後守様松平下総守様やける近所崩れ
其外丸の内御大名方所々崩多し鍋島様御上屋敷のこらずやける
山下御門内阿部様のこらず大崩となり夫より幸橋内松平甲斐守様
伊東様亀井様ともやける薩州様装束やしき崩る霞が関ハ
諸家様大半くつれ黒田様御物見のこる永田町三間家かうじ町辺ハ
崩少し四ツ谷市谷牛込小日向小石川番町辺何れも損亡おほし赤坂青山麻布渋谷白銀品川高輪台町共崩すくなし
赤羽根三田飯倉西之久保ハ崩多し増上寺無事也
○北本所ハ中の郷松平周防守様やける此辺大崩ニて所々より出火あり同所
番場丁弁天小路辺やける其外寺院損亡多し法恩寺橋きハ町家やける
亀戸町二ケ所やける又竪川通りハ相生町二丁目より緑町五丁三ツめ花町
までやける又御船蔵前町より八名川町六間堀森下町より高橋にてとまる
又一ト口ハ深川相川町より黒江町大島町はまぐり町永代寺門前町八幡宮
鳥居のきハニて止る又乙女橋向角大川橋少しやける本所深川おしなへて
地震つよく損亡おびただし○日本橋より南東西中通り河岸通り共大くずれニて
南伝馬町二丁目三丁目左右川岸共京橋川通り迄やける銀座町三十間堀
尾張町辺ハ少したるミ新橋向築地木挽町桜田久保町あたご下通り
崩れ多し芝口通りすこし崩れ露月町崩れ柴井町やけ
神明町三島丁ハ大崩れ怪我人多し神明宮恙なし浜手御屋敷残ず
いたむ中門前片門前浜松丁金杉本芝辺崩少し田町大木戸品川宿格別の
崩なし翌三日より七日迄時々すこしづつふるひけれども別にさハれることなく追々
静鑑におよび下々へハ御救を被下置御救小屋三ケ所へ御立て被下
御仁徳の御国恩を拝謝し奉らん人こそなかりけれ
●五街道の内東海道ハ川崎宿少々神奈川宿ハ天神山平地へゆり出す
本牧金沢辺浦賀辺崩多し程ケ谷戸塚藤沢江の島鎌倉辺も損す
●中仙道ハ板ばし蕨宿より大宮辺所々崩れ上州高崎辺までゆする
●日光街道ハ幸手辺まで少しくづれ日光御山すこしのいたミもなし●水戸街道ハ
松戸より土浦まで水戸近国ハ無事也江戸近在ハ葛西二合半領又下総ハ
行徳船橋辺分て甚しくゆすり人家大半崩●甲州街道ハ郡内八王子辺
青梅飯能所沢辺所々いたミ多しとかや其余かそふるにいとまあらず
▲御府内四里四方新地代地門前地を加へ当時五千七百六十四町
但シ里数にして百五十九里六十二丁なり
▲焼失地震にて堕候土蔵その数十一万四千五百八十二なり
▲御屋敷方土蔵数ハ五万三千五百九十六なり
▲御小屋敷方土蔵数ハ二十万千七百二十三なり
▲御武家方土蔵数ハ十三万千四百三十八なり
▲寺院蔵堂共その数五千八百三十五なり
土蔵数惣〆凡八百四十五万七百九十六也
御府内蔵数幾万軒有之といへども恙なき分ハ爰にしるさず
「このうたをかきて
石御座(いしのみまし)御座と
ちしんのまじなひゆるくとも
よもや
ぬけじの
かなめいし
かしまの神の
あらん限りハ
三べんとなへ
門にはり
おくべし
{袖}遠国近在へ無事を知さんため委細ニしるす
{奥}改也 出火のせつハ三十二口なれともやけとまる所ハ図のことし
{異筆}安政二年乙卯十月
{線で消してある}文久二辛酉歳"		

地震 N096

ゆるがぬ御代要之石寿栄

安政2年(1855) 30×100

		
"ゆるがぬ御代要之石寿栄(かなめのいしずえ)
仁(じん)義(ぎ)礼(れい)智(ち)忠(ちう)信(しん)孝(かう)禎(てい)八行(はつかう)の中(うち)に孝行(かうかう)をもつて第一とす人界(にんかい)を得(え)て孝なきハ禽獣(とりけだもの)にたもしか
ず鳩(はと)に礼(れい)有(あり) 烏(からす)に孝あり羊(ひつじ)ハひざまずいて乳(ち)をねむるとかや遠国(へんごく)他国(たこく)より江戸へ縁付(へんづき)又は
奉公(ほうかう)に出たる人々はやく国元(くにもと)の親(おや)たちに我身(わがミ)の無事をしらせて安心(あんしん)さすべし頃(ころ)ハ安政
二年卯の十月二日の夜四ツ時過(すぎ) 俄(にハか)に大地震(ぢしん)ゆり出し北ハ千住(せんじゆ)宿ゆり
倒(たを)れ小塚原(こづかはら)やける新吉原(しんよしはら)ハ江戸丁二丁目より出火して残(のこら)ず焼大音寺
まへ田丁馬道(うむミち)焼南馬ミち少々のこる花川戸(はなかハど)片かハ焼山の宿聖天(しゆくしやうでん)丁
半ぶんやけ芝居(しばい)丁三座(さんざ)とも焼(やけ)金龍山(きんりうざん)浅草寺(せんさうじ)観音(かんのん)の御堂(ミどう)つつがなく
傾(かたむ)きもせず座(まし)ますハ大士の智力(ぢりき)有がたし境内(けいだい)塔中(だうちう)摂社(せつしや)末社(まつ しや)ゆり崩(くづれ)
茶屋丁並木(なミき)丁大破損(おおはそん)駒形(こまかた)丁すハ丁やける駒かた堂(どう)のこる
蔵前(くらまへ) 瓦(かハら)丁辺(へん)一面(いちめん)にくづれ夫より下谷ハ坂本(さかもと)
残(のこ)らずやけ田甫(たんぼ)加藤(かとう)様小笠原(をがさわら)様
大破損(おおはそん)六郷(ごう)様少々鷲大明神(わしだいめうじん)
つつがなく一方ハ七軒(けん)丁中程(なかほど)より
出火(しゆつくわ)して上野長者(てうじや)丁のこらず
焼(やけ)上野(うへの)御山内所々崩(くづ)れ五條(でう)
天神無事池(いけ)のはた中丁うら
通(とう)りくづれおもてどうりも
崩れたる家(いへ)多(おお)し広小路(ひろかうじ)
東(ひがし)がハ焼る同かや丁二丁
目より一町目まて
やける也無縁坂(むへんざか)松平(まつだいら)
豊之丞(ミつのぜう)様やけ本郷(ほんがう)より
湯島(ゆしま)切通(きりどふ)し出火(しゆつくわ) 此所(このところ)
加賀宰相(かがさいしやう)様御人数をもつて
消口(けしくち)を取(とり)ゆしま天神の社
少々破損(はそん)妻乞稲荷(つまごひいなり)つつが
なし扨亦(さてまた)御成道(おなりかいどう)ハ石川
主殿頭(とのものかミ)様井上(いのうへ)筑後守(ちくごのかミ)様
小笠原(おがさわら)左京大夫(さかうのたゆう)様御中屋敷(なかやしき)
類焼(るいしう)筋違(すしかい)御門少々いたミ
神田(かんだ)どふりハ少々崩れ今川
橋(はし)より日本橋の間所々崩(くづ)れる

日本ばしより南ハ通丁辺(へん)東西(たうざい)とも少し静にて
夫より京橋南伝馬(てんま)町二丁目横(よこ)丁より出火
して南鍛冶(かぢ)丁南大工丁畳(たたミ)丁五郎兵衛丁
具足(ぐそく)丁竹丁柳丁因幡丁常盤(ときハ)丁鈴木(すずき)丁
本材木(ほんざいもく)丁八丁目迄やける又芝神明(しはしんめい)前(まへ)大崩(くつれ)にて
源助丁露月(ろうげつ)丁迄焼高輪(たかなハ)大地さけ津波(つなミ)
少々打(うち)上る田丁八幡宮(まんぐう)大ひに崩れ三田春日(かすが)
石段(いしだん)すこしいたミ札(ふだ)の辻(つぢ)より赤羽(あかばね)通り水天宮(すいてんぐう)様ぶじ御屋敷いたむ増上寺(ぞうゼうじ)御山内(ごさんない)所々はそん
四ツ辻辺大崩れ切通し近辺しづか天徳(てんとく)寺大半崩同門前(もんゼん)丁西久保(にしのくぼ)丁下谷丁(まち)西久■([虫喰])八幡御社内(しやない)
少しくづるる麻布(あさぶ)長坂(ながさか)市兵衛丁辺大いたミにて其外ハ格別(かくべつ)破損(はそん)なしといへども古川のばた道(どうり)
所々破(やぶ)れ有青山ハ宮(ミや)様御門廻り又六道(どう)の辻辺殊(こと)の外(ほか)崩れ百人丁御組屋舗(くミやしき)少々熊野権現社(ごんげんしや)
無事にて廻り破損(はそん)此外所々少々宛(づつ)扨又外桜田(さくらだ)少しゆれいたミ松平美濃(ミのの)守様西尾(にしを)隠岐(おき)守様三
浦(うら)志摩(しま)守様松平伯耆(はうき)守様すこし宛いたミ松平肥前(ひゼん)守様伊東(いとう)修理(しゆりの)大夫様亀(かめ)井隠岐(おき)守様
北条(ほうゼう)美濃(ミのの)守様松平時(とき)之助様南部(なんぶ)美濃守様有馬(ありま)備後(ひんご)守様阿部(あべ)播磨(はりま)守御類焼(るいセう)丹羽(にハ)
長門守様薩州(さつしう)様将束(せうそく)屋舗すこし焼日比谷(ひびや)御門内本多(ほんだ)中務大輔(なかつかさのたゆう)様土井大炊(おおいの)頭様松平
相模守様御類焼(るいセう)数寄屋(すきや)橋御門内松平主殿(とのも)頭様御火消(けし)屋永(なか)井遠江(とうとうミの)守様林(はやし) 大学(だいかく)頭様遠藤(ゑんどう)
但馬(たじま)守様御類焼(るいしやう) 鍛冶(かぢ)橋内鳥居(とりい)丹波(たんば)守様和田倉(わたぐら)松平下総守様松平肥後(ひご)守様御類焼雉(き)
子(じ)橋(ばし)御門内に出信濃(しなの)守様るい焼酒井(さかい)雅楽(うた)守両御屋敷とも森川(もりかハ)信濃(しなのの)守様御類焼そのほか
地震(ぢしん)にて所々崩るる夫(それ)より小川丁ハ本郷(ほんごう)丹後(たんご)守様松平紀伊守様榊原(さかきばら) 式部大輔(しきふたいふ)様板倉(いたくら)伊
予(よ)守様戸田大炊(おおい)頭様此辺一面にやける飯田(いいだ)丁大崩れ九段(だん)坂(さか)下少々いたミ番丁辺殊の外(ほか) 静(しつか)也
糀(かうじ)丁もゆれ少(すく)なし四ツ谷ハ内藤新宿大木戸辺所々大ひに崩れ新丁通迄泰宗寺(たいそうじ)少々く
づれ焔魔堂(ゑんまどう)つつがなくせう塚のおばる様少々いたミ十二相道(さうミち)成子(なるこ)淀(よど)橋辺よほど破損(はそん)し
浄泉(ゼうゼん)寺つよくいたむ小栗(おぐり)様津(つ)の守様破損堀(ほり)の内(うち)所々崩れ祖師堂(そしとう)つつがなし市ケ谷
田丁佐内(さない)坂少々尾州(びしう)様外廻(そとまハ)り大崩れ谷丁辺大ひにゆれいたむ扨又牛込(うしごめ)ハ神楽(かぐら)坂へん
毘沙門堂(びしやもんどう)少々崩れ寺丁改代(かいたい)丁辺くづれ赤城(あかぎ)明神社少々破損し榎(ゑのき)丁辺御組屋(くミや)
舗(しき)所々いたむ目赤不動(ふどう)少々夫より小石川御門外(そと)水戸様御屋敷少々崩れ青(あを)山
大膳亮(たいセんすけ)様破損し此辺御屋敷丁家(まちや)とも少々宛(づつ)伝通院(でんつういん)門前丁悉(ことごと)く崩れ又白山(はくさん)大
権現(ごんげん)の社(やしろ) 安泰(あんたい)にて近辺丁家所々崩るる巣鴨(すがも)辺所々酒(さか)井様紀の守御下屋敷少し
崩れ水道(どう)丁関(せき)口丁少々音羽(おとハ)丁所々少々宛護国寺(ごこくじ)山内(さんない)つよくふるひ目白台(めしろだい)殊(こと)の外(ほか)
大崩れ目白不動(どう)少々いたミ雑司ケ谷(そうしがや)内外(うちそと)とも少々はそんし崩れけれども山の
手ハ何方(いづかた)も出火なし東の方ハ隅田(すミた)川向島(むかうしま)少々宛破損し三囲(ミめぐり)橋荷の社(やしろ)恙(つつが)なく
石段崩れ牛の御前(こぜん)殊外ゆれ崩れ又番(はん)場大崩れ業平(なりひら)橋より押上(おしあげ)辺少々柳島(やなぎしま)
妙見(めうけん)の宮すこしいたミ亀井(かめい)戸辺悉(ことごと)く崩れ天満宮(てんまんぐう)少々脇坂(わきさか)様御中屋舗(なかや しき)大破損(はそん)
平井(ひらい)辺(へん)崩れて聖天(セうてん)の社安泰(あんたい)本所所々崩れ焼(やけ)ばハ吉田丁長島(しま)丁三笠(ミかさ)丁井上様
二ツ目より三ツ目の間残ず焼深川ハ森(もり)下丁膳(ゼん)ふち小笠原様(をがさわら)御やしき六軒堀(けんほり)柳(やな)川丁
常磐(ときハ)丁太田(おおた)様元町神明(しんめい)前(まい)残ず焼神明の社のこる秋元(あきもと)様半やけ浦辺(うらべ)大工(だいく)町清住(きよすミ)丁仙(セん)
台(だい)様半焼(はんやけ) 表(おもて) 長(なが)屋のこる霊岸寺(れいがんじ)表門(おもてもん)ばかり焼る浄心寺(ゼうしんじ)門前(もんゼん)寺丁辺残らず夫より三角(かく)
奥川(おくがハ)丁綱打場(つなうちバ)辺(へん)残らず焼松川丁熊井(くまい)丁富吉(とみよし)丁諸(もろ)丁中島(しま)丁黒(くろ)江丁仲丁永代寺(ゑいたいじ)門前
焼八幡宮残る土橋(どはし)入舟(いりふね)丁辺やけ三十三間堂(どう)半分(はんぶん)焼木場(ば)ハ残る猶(なを)地震(ぢしん)ゆれ崩れ所々に
有(あり)又霊岸(れいがん)島ハ塩(しほ)丁大川ばた近辺(きんへん)焼(やけ)夫より佃島(つくだしま)鉄炮洲(てつほうず)十軒(けん)丁出火松平長門(ながとの)守様類焼(るいセう)
所々の出火(しゆつくわ)翌(よく)三日朝(あさ)巳(ミ)の刻(こく)頃(ころ)悉く静(しづま)りけるが地震(ぢしん)ハ少々宛折々(おりおり)動(うごき)やまづれバ人々往還(えうくわん)に
出(いで)て是(これ)を避(さけ)るに漸(やうや)く穏(おだやか)に成(なり)けれバ諸人(しよにん)全(まつた)く安堵(あんど)の思ひなし御代(ミよ)万歳(はんさい)とぞ祝(ゆく[ママ])しける
{袖に異筆}和田本村桜田鎌太郎ミや安政二卯十月大地しん
{奥に異筆}江戸町々地震出火付くハしく有べし"		

地震 N097

ゆるがぬ御代要之石寿栄

安政2年(1855) 28×85

		
"ゆるがぬ御代要之石寿栄(かなめのいしずえ)
仁(じん)義(ぎ)礼(れい)智(ち)忠(ちう)信(しん)孝(かう)禎(てい)八行(はつかう)の中(うち)に孝行(かうかう)をもつて第一とす人界(にんかい)を得(え)て孝なきハ禽獣(とりけだもの)にたもしか
ず鳩(はと)に礼(れい)有(あり) 烏(からす)に孝あり羊(ひつじ)ハひざまずいて乳(ち)をねむるとかや遠国(へんごく)他国(たこく)より江戸へ縁付(へんづき)又は
奉公(ほうかう)に出たる人々はやく国元(くにもと)の親(おや)たちに我身(わがミ)の無事をしらせて安心(あんしん)さすべし頃(ころ)ハ安政
二年卯の十月二日の夜四ツ時過(すぎ)俄(にハか)に大地震(ぢしん)ゆり出し北ハ千住(せんじゆ)宿ゆり
倒(たを)れ小塚原(こづかはら)やける新吉原(しんよしはら)ハ江戸丁二丁目より出火して残(のこら)ず焼大音寺
まへ田丁馬道(うむミち)焼南馬ミち少々のこる花川戸(はなかハど)片かハ焼山の宿(しゆく) 聖天(しやうでん)丁
半ぶんやけ芝居(しばい)丁三座(さんざ)とも焼(やけ)金龍山(きんりうざん)浅草寺(せんさうじ)観音(かんのん)の御堂(ミどう)つつがなく
傾(かたむ)きもせず座(まし)ますハ大士の智力(ぢりき)有がたし境内(けいだい)塔中(だうちう)摂社(せつしや)末社(まつしや)ゆり崩(くづれ)
茶屋丁並木(なミき)丁大破損(おおはそん)駒形(こまかた)丁すハ丁やける駒かた堂(どう)のこる
蔵前(くらまへ) 瓦(かハら)丁辺(へん)一面(いちめん)にくづれ夫より下谷ハ坂本(さかもと)
残(のこ)らずやけ田甫(たんぼ)加藤(かとう)様小笠原(をがさわら)様
大破損(おおはそん)六郷(ごう)様少々鷲大明神(わしだいめうじん)
つつがなく一方ハ七軒(けん)丁中程(なかほど)より
出火(しゆつくわ)して上野長者(てうじや)丁のこらず
焼(やけ)上野(うへの)御山内所々崩(くづ)れ五條(でう)
天神無事池(いけ)のはた中丁うら
通(とう)りくづれおもてどうりも
崩れたる家(いへ)多(おお)し広小路(ひろかうじ)
東(ひがし)がハ焼る同かや丁二丁
目より一町目まて
やける也無縁坂(むへんざか)松平(まつだいら)
豊之丞(ミつのぜう)様やけ本郷(ほんがう)より
湯島(ゆしま)切通(きりどふ)し出火(しゆつくわ)此所(このところ)
加賀宰相(かがさいしやう)様御人数をもつて
消口(けしくち)を取(とり)ゆしま天神の社
少々破損(はそん)妻乞稲荷(つまごひいなり)つつが
なし扨亦(さてまた)御成道(おなりかいどう)ハ石川
主殿頭(とのものかミ)様井上(いのうへ)筑後守(ちくごのかミ)様
小笠原(おがさわら)左京大夫(さかうのたゆう)様御中屋敷(なかやしき)
類焼(るいしう)筋違(すしかい)御門少々いたミ
神田(かんだ)どふりハ少々崩れ今川
橋(はし)より日本橋の間所々崩(くづ)れる
日本ばしより南ハ通丁辺(へん)東西(とうざい)とも少し静(しづか)にて
夫より京橋南伝馬(てんま)町二丁目横(よこ)丁より出火
して南鍛冶(かぢ)丁南大工丁畳(たたミ)丁五郎兵衛丁
具足(ぐそく)丁竹丁柳丁因幡丁常盤(ときハ)丁鈴木(すずき)丁
本材木(ほんざいもく)丁八丁目迄やける又芝神明(しはしんめい)前(まへ)大崩(くつれ)にて
源助丁露月(ろうげつ)丁迄焼高輪(たかなハ)大地さけ津波(つなミ)
少々打(うち)上る田丁八幡宮(まんぐう)大ひに崩れ三田春日(かすが)
石段(いしだん)すこしいたミ札(ふだ)の辻(つぢ)より赤羽(あかばね)通り水天宮(すいてんぐう)様ぶじ御屋敷いたむ増上寺(ぞうゼうじ)御山内(ごさんない)所々はそん
四ツ辻辺大崩れ切通し近辺しづか天徳(てんとく)寺大半崩同門前(もんゼん)丁西久保(にしのくぼ)丁下谷丁(まち)西久保八幡御社内(しやない)
少しくづるる麻布(あさぶ)長坂(ながさか)市兵衛丁辺大いたミにて其外ハ格別(かくべつ)破損(はそん)なしといへども古川のばた道(どうり)
所々破(やぶ)れ有青山ハ宮(ミや)様御門廻り又六道(どう)の辻辺殊(こと)の外(ほか)崩れ百人丁御組屋舗(くミやしき)少々熊野権現社(ごんげんしや)
無事にて廻り破損(はそん)此外所々少々宛(づつ)扨又外桜田(さくらだ)少しゆれいたミ松平美濃(ミのの)守様西尾(にしを)隠岐(おき)守様三
浦(うら)志摩(しま)守様松平伯耆(はうき)守様すこし宛いたミ松平肥前(ひゼん)守様伊東(いとう)修理(しゆりの)大夫様亀(かめ)井隠岐(おき)守様
北条(ほうゼう)美濃(ミのの)守様松平時(とき)之助様南部(なんぶ)美濃守様有馬(ありま)備後(ひんご)守様阿部(あべ)播磨(はりま)守御類焼(るいセう)丹羽(にハ)
長門守様薩州(さつしう)様将束(ゼうそく)屋舗すこし焼日比谷(ひびや)御門内本多(ほんだ)中務大輔(なかつかさのたゆう)様土井大炊(おおいの)頭様松平
相模守様御類焼(るいセう)数寄屋(すきや)橋御門内松平主殿(とのも)頭様御火消(けし)屋永(なか)井遠江(とうとうミの)守様林(はやし) 大学(だいかく)頭様遠藤(ゑんどう)
但馬(たじま)守様御類焼(るいしやう)鍛冶(かぢ)橋内鳥居(とりい)丹波(たんば)守様和田倉(わたぐら)松平下総守様松平肥後(ひご)守様御類焼雉(き)
子(じ)橋(ばし)御門内に出信濃(しなの)守様るい焼酒井(さかい)雅楽(うた)守両御屋敷とも森川(もりかハ)信濃(しなのの)守様御類焼そのほか
地震(ぢしん)にて所々崩るる夫(それ)より小川丁ハ本郷(ほんごう)丹後(たんご)守様松平紀伊守様榊原(さかきばら) 式部大輔(しきふたいふ)様板倉(いたくら)伊
予(よ)守様戸田大炊(おおい)頭様此辺一面にやける飯田(いいだ)丁大崩れ九段(だん)坂(さか)下少々いたミ番丁辺殊の外(ほか) 静(しつか)也
糀(かうじ)丁もゆれ少(すく)なし四ツ谷ハ内藤新宿大木戸辺所々大ひに崩れ新丁通迄泰宗寺(たいそうじ)少々く
づれ焔魔堂(ゑんまどう)つつがなくせう塚のおばる様少々いたミ十二相道(さうミち)成子(なるこ)淀(よど)橋辺よほど破損(はそん)し
浄泉(ゼうゼん)寺つよくいたむ小栗(おぐり)様津(つ)の守様破損堀(ほり)の内(うち)所々崩れ祖師堂(そしとう)つつがなし市ヶ谷
田丁佐内(さない)坂少々尾州(びしう)様外廻(そとまハ)り大崩れ谷丁辺大ひにゆれいたむ扨又牛込(うしごめ)ハ神楽(かぐら)坂へん
毘沙門堂(びしやもんどう)少々崩れ寺丁改代(かいたい)丁辺くづれ赤城(あかぎ)明神社少々破損し榎(ゑのき)丁辺御組屋(くミや)
舗(しき)所々いたむ目赤不動(ふどう)少々夫より小石川御門外(そと)水戸様御屋敷少々崩れ青(あを)山
大膳亮(たいセんすけ)様破損し此辺御屋敷丁家(まちや)とも少々宛(づつ)伝通院(でんつういん)門前丁悉(ことごと)く崩れ又白山(はくさん)大
権現(こんげん)の社(やしろ) 安泰(あんたい)にて近辺丁家所々崩るる巣鴨(すがも)辺所々酒(さか)井様紀の守御下屋敷少し
崩れ水道(どう)丁関(せき)口丁少々音羽(おとハ)丁所々少々宛護国寺(ごこくじ)山内(さんない)つよくふるひ目白台(めしろだい)殊(こと)の外(ほか)
大崩れ目白不動(どう)少々いたミ雑司ヶ谷(そうしがや)内外(うちそと)とも少々はそんし崩れけれども山の
手ハ何方(いづかた)も出火なし東の方ハ隅田(すミた)川向島(むかうしま)少々宛破損し三囲(ミめぐり)橋荷の社(やしろ) 恙(つつが)なく
石段崩れ牛の御前(こぜん)殊外ゆれ崩れ又番(はん)場大崩れ業平(なりひら)橋より押上(おしあげ)辺少々柳島(やなぎしま)
妙見(めうけん)の宮すこしいたミ亀井(かめい)戸辺悉(ことごと)く崩れ天満宮(てんまんぐう)少々脇坂(わきさか)様御中屋舗(なかやしき)大破損(はそん)
平井(ひらい)辺(へん)崩れて聖天(セうてん)の社安泰(あんたい)本所所々崩れ焼(やけ)ばハ吉田丁長島(しま)丁三笠(ミかさ)丁井上様
二ツ目より三ツ目の間残ず焼深川ハ森(もり)下丁膳(ゼん)ふち小笠原(をがさわら)様御やしき六軒堀(けんほり)柳(やな)川丁
常磐(ときハ)丁太田(おおた)様元町神明(しんめい)前(まい)残ず焼神明の社のこる秋元(あきもと)様半やけ浦辺(うらべ)大工(だいく)町清住(きよすミ)丁仙(セん)
台(だい)様半焼(はんやけ) 表(おもて) 長(なが)屋のこる霊岸寺(れいがんじ)表門(おもてもん)ばかり焼る浄心寺(ゼうしんじ)門前(もんゼん)寺丁辺残らず夫より三角(かく)
奥川(おくがハ)丁綱打場(つなうちバ)辺(へん)残らず焼松川丁熊井(くまい)丁富吉(とミよし)丁諸(もろ)丁中島(しま)丁黒(くろ)江丁仲丁永代寺(ゑいたいじ)門前
焼八幡宮残る土橋(どはし)入舟(いりふね)丁辺やけ三十三間堂(どう)半分(はんぶん)焼木場(ば)ハ残る猶(なを)地震(ぢしん)ゆれ崩れ所々に
有(あり)又霊岸(れいがん)島ハ塩(しほ)丁大川ばた近辺(きんへん)焼(やけ)夫より佃島(つくだしま) 鉄炮洲(てつほうず)十軒(けん)丁出火松平長門(ながとの)守様類焼(るいセう)
所々の出火(しゆつくわ)翌(よく)三日朝(あさ)巳(ミ)の刻(こく)頃(ころ)悉く静(しづま)りけるが地震(ぢしん)ハ少々宛折々(おりおり) 動(うごき)やまづれバ人々往還(えうくわん)に
出(いで)て是(これ)を避(さけ)るに漸(やうや)く穏(おだやか)に成(なり)けれバ諸人(しよにん) 全(まつた)く安堵(あんど)の思ひなし御代(ミよ)万歳(はんさい)とぞ祝(ゆく[ママ])しける"		

地震 N098

関東類焼大地震

安政2年(1855) 38.5×78.5

		
"関東類焼大地震
乾坤和順せざるときハ陰地中ニ満て一時に発す是地上に地震といひ海上に津浪といふ山中に発する時ハ洞のぬけたるなど
皆風雨不順の為す所にして恐るべきの大事なり干茲安政二年乙卯冬十月二日夜四ツ時過るころ関東の国々ハ
地震のととろかさることなく一時に舎坊を崩し人命を絶こと風前のともしびの如し其中に先御符内焼亡ノ地ハ千住小塚原
不残焼け千住宿ハ大半崩れ山谷橋ハのこらす崩れ今戸橋きハ数十軒やける新吉原ハ五丁共不残焼死人おひただしく
田丁一丁目二丁目山川町浅草竹門北馬道聖天横町芝居町三町北谷中谷の寺院南馬道花川戸半町程やける山の宿町
聖天町ハ崩る浅草寺ハ無事にて雷門の雷神ゆるぎ出す広小路並木辺残らす崩れ駒形町中頃より出火諏訪町黒船町御馬や
河岸ニてやけどまる御蔵前茅町辺富坂町森下辺大破東門跡恙なし菊屋橋きハ新寺町新堀共少しやける大音寺より
三の輪金杉辺崩れ坂本ハ三丁目やける山崎町東坂広徳寺前通り崩多シ又ハ山本仁太夫矢来内死人多く家不残崩る其外寺院ハ
大破損亡おびたたし○谷中三崎千駄木駒込辺ハ崩少し根津門前ハ大半崩池の端茅町二丁目境いなり向よりやけ同一丁目不残
木戸際ニて留る切通シ坂下大崩仲町ハ片側丁崩多く両かハすくなし御すきや町ハ大崩広小路東がハ中程より伊東松坂屋角迄
上野町より長者町辺やける御徒町近辺より三味せん堀七まがりハ大名方組屋敷共崩るといへとも多分の事なし御成道より明神下
破れ多く外神田町家の分崩少し湯島天神ハ崩少し門前町崩多く妻恋町少しも不崩稲荷の社無事也本郷台破
少し筋違御門より日本橋通り左右神田東西共崩多し小川町本郷様松平紀伊守様板倉様戸田様やける榊原様外かハ
焼神田橋内酒井雅楽頭様同御向やしき龍之口角森川出羽守様又一ト口ハ八代洲河岸植村但馬守様因州様御火消屋敷
等なり和田倉御門内ハ松平肥後守様松平下総守様やける近所崩れ其外丸の内御大名方所々崩多し鍋島様御上屋敷
不残やける山下御門内阿部様のこらす大崩となり夫より幸橋内松平甲斐守様伊東様亀井様共やける薩州様装束屋敷崩る
霞関ハ諸家様大半くづれ黒田様御物見のこる永田町三間家かうじ町辺ハ崩少し四ツ谷市ケ谷牛込小日向小石川番町辺
何れも損亡おほし赤坂青山麻布渋谷白銀品川高輪台町共崩少し赤羽根三田飯倉西ノ久保ハ崩多シ増上寺無事
○北本所ハ中の郷松平周防守様やける此辺大崩ニて所々より出火あり同所番場丁弁天小路辺やける其外寺院損亡多シ法恩寺橋
町屋やける亀戸二ケ所やける又竪川通りハ相生町緑町三ツめ花町迄やける又御船蔵前町より黒八名川町六間堀森下町高橋ニて
留る又一ト口ハ深川相川町より黒江町大崎町はまぐり町永代寺門前町八幡宮鳥居きハニて止る又乙女橋向角大川端少しやける
本所深川おしなへて地震つよく損亡おびたたし○日本橋より南東西中通り河岸通り共大崩ニて南伝馬町二丁目三丁目左右川岸
京橋川通り迄やける銀座町三十間堀尾張町辺少したるミ新橋向築地木挽町桜田久保町あたご下崩れ多シ芝口通り少し
露月丁崩れ柴井町やける神明町三島町大崩怪我人多シ神明宮恙なし浜手御屋敷残すいたむ中門前片門前浜松町金杉本
芝辺崩少し田町大木戸品川宿格別の崩なし翌三日より七日迄明日すこしづつふるひけれ共別にさハることなく追々静鑑におよひ下々へハ
御救を被下置御救小屋三ケ所へ御立被下御仁徳の御国恩を拝謝し奉らん人こそなかりけれあらありがたき
事共なり 但シ出火のせつわ三十二口なれともやけるところハ図のことし 火の用心火の用心
{上左枠内}御救小
屋三ケ所
浅草広小路
深川海辺大工町
幸橋御見附外  "		

地震 N099

安政二卯十月二日大地震付類焼場所

安政2年(1855) 50×73

		
"安政二卯十月二日
大地震付類焼場所
上野御山内ハ宿坊少し崩れ御本坊中堂其他患なし
同門前町いたミ多く広小路中程より出火上野町より長者町に
至り伊藤松坂南より御成町井上様小笠様御中屋敷
御類焼ニて此火中御かち町にてやけ留る猶又御すきや丁
天神下同柳町ハ別して崩多し切通し坂下ハ
倒る家あまた也此辺御やしき多分崩る
池のはた仲町ハ片かハ町の分崩多し茅町二丁めより
出火して一丁目木戸際まで二丁うら表とも焼る
谷中天王寺五重の塔九りんのミ折落て土中に
埋る此辺格別のそんじなし三崎より駒込辺ハ
崩多く根津も大分崩所あり本郷ハ崩少く
候得共かうじむろ家そんじたるあり
御茶水湯島通りハ崩れなし神田明神無事也
神田橋外三川丁より西御屋敷すべて崩多分にて
小川町辺松平駿河守様松平豊後守様榊原
式部大輔様内藤駿河守様戸田武二郎様
本郷丹後守様等其外小やしき所々やける
尤此辺崩て飯田町番丁格別のさたなし
するが台猶更事なく昌平橋通りハ両側共
いたミ多し又明神下
通り内藤様建部様を
はじめ御成道ハ
堀塚酒井様石川様
黒田様大関様など也
御成道町家共に崩るる
事おび
ただし
{右下部}浅草田町辺■つふれつよく二丁目より出火して
同一丁目山川丁竹門金龍北谷の寺院不残聖天町
山之宿ハくつれ青州にて怪我多し
北馬道南馬道やけ中谷の両側寺焼共
のこりなくやける馬道より戸沢長屋へ出
花川戸町半丁片かわにて火とまる
金龍山地中崩多し本堂恙なし
五十の塔九輪北の方へまがる
浅草広小路雷門
崩おひただし
御救小屋場所
一 幸橋御門外
一 浅草広小路
一 深川海辺新田
一 上野広小路
一 深川八幡境内
東叡山御門主より御すくひ小屋
上の御山下火除地
{上部中央}小日向早稲田音羽
目白ハそんじ少なし牛込ハ改代丁辺
崩多し其上水べり崩所々なり
{一行不鮮明}
崩れ上下よろし番町辺ハ格別の大崩
なくかうじ町うらて所々崩あり
此辺出火無之死人等なし
牛込かぐら坂より寺町通り筈宮町辺
やらい下通土蔵大半くづれそんじ
多し高田雑司谷辺ハかくへつのことなし
市谷御門外尾張様御長屋下町屋
少しくつれ本村辺少崩れかがやしき辺
崩所々柳丁ハ所々崩見ゆる
大久保通りより柏木村辺崩所々有
成子町内藤宿大木戸辺ハ大還少し
わきミちハ崩多く見ゆる又千駄が谷
辺権田原六道の辻百人町辺ハ無事也
すべ青山しぶや道玄坂小沢下目黒
桐が谷駒場辺おだやかなりおんでん原宿
鷺野前少し崩る龍土辺笄橋長者が丸辺
桜田町三軒家辺ゆれ少々善福寺門前より
一本松仙だい坂辺土蔵のミいたむ
日がくほ通りより飯倉永坂辺いたミつよく
谷町市兵衛町もいたミ多し
夫より溜池上御やしき所々いたむ
又赤坂ハ田町通伝馬丁
元赤坂丁一ツ木町辺
いたミつよく崩多分也
紀州様御やしき恙なく
さめづばし町所々いたミ
四ツ谷塩町忍町伝馬町ハ
表通いたミ少なく横丁横丁ハ
大半崩見ゆる尤御上水
万年どい石がきくづれ水あふるる
麹町十一丁目十二丁目十三丁目ハ右に
同じ四ツ谷同御門内かうじ町ハ
平川町山本丁隼丁谷丁共
かくべつ崩所なし
{中略}霊岸島ハ一円くつれつよく土蔵数カ所ふるひ
塩町はま南新堀ニて二丁程やける北新ほりハ
箱崎共崩多し小網町崩おひたたしく浜町ハ崩少し
甚左衛門丁大坂丁人形丁通大伝馬町本町石町室町辺崩多し
両国吉川丁米沢丁横山丁馬喰町ハ崩少し橋丁より田所丁富沢丁
高砂丁住吉難波丁和泉丁芳町辺崩多し今川橋辺内神田ハ不残
東西共崩つよく筋違御門より柳原通御もミ蔵そんじつよく
豊島丁江川丁辺ゆるがせ也外神田ハ佐久間町辺よろしく御成道通り
はたご町金沢丁すべて此辺大崩なり夫より神田橋内ハ酒井うたの頭様やけ
表御門のこる同向御やしきやける龍の口角森川出羽守様やける
酒井左衛門尉様越前様小笠原様崩多く一橋様同様なり
八代洲川岸増山様林様くつれ多く松平相模守様やける御火消やしき
やけ御やぐらのこる尤屋根ゆり落す遠藤但馬守様やけ又本多中務大輔様
永井遠江守様やける七外御大名方御屋敷共かち橋すきやはし常磐橋内不残崩多し
▲東海道ハ品川ゆるし
川さき神奈川つよくふるひ金沢
江の島浦賀辺程が谷戸塚ハ甚しく
小田原辺をかきり也日光道中ハ宇都宮限り
水戸街道ハ土浦辺まで甲洲道ハ八王子辺迄
青梅飯能所沢辺多くゆるぎ秩父辺をかぎり也◯
◯中仙道ハ板橋
より蕨大宮辺
つよく桶川鴻巣
辺おたやかにて本庄辺
少しゆるく上州高崎
辺まて也
又二合半領葛西領ハ
大半くつれ上総ハ木更
津辺おひただしく尤房総
共大地しんなり先御府
内のミ凡を書とり其
あらましを挙くる
町数五千三百七十余丁崩
御屋敷二万四千六百三十四軒也
寺院ハ一万六千二ヶ寺
土蔵ハ
焼失之分六千八百戸前
崩る分
七億二万
六千三十八なり
男女
死人之分
十万
九千
七百
三十
余人也
十月二日夜亥の
上刻より出火起る
翌朝火しつまる
深川と浅くさ
花川戸ハ
四ツ頃
しつまる
即時御公儀様より
御救御手当被下
かほどの大変に
あふ人々かつして
死すもの一人も
なくまことにまことに
ありがたき御代
といふべし
めでためでたしめでたし "		

地震 N100

銘細改板江戸大地震出火場所付

安政2年(1855) 38×95

		
"銘細改板江戸大地震出火場所付
夫(それ)天地(てんち)の変動(へんどう)ハ陰陽(いんよう)の病労(ひようく)にしてそのき混(こん)じ濁(にご)り
蟠(はだかま)り久しく屈(くつ)して発する時ハ上りて雷雨(らいう)電光(てんこう)ひらめき
下りて地中大ひにうごき念魚(ねんきよ)怒(いか)りて首尾(しゆひ)を発せバ
蒼海(さうかい)もあさしとし須弥山(しゆミせん)も軽(かる)じとす御府内(ふない)ハ大都(たいと)
会(かい)の繁昌地(はんち)にして諸国(しよこく)の人民招(まね)かず群集(あつまる)是に依(より)
て遠国(ゑんごく)他郡(たはう)の親類(しんるい)縁者(ゑんしや)へ過急(かきう)の存亡(ぞんぼう)を吉(よしを)知被為せん(しらさんかため)一所述(のふる)
頃ハ安政二卯年
十月二日夜四ツ時
にハかにゆりいたし
其音四方なり
ひひきおそろしき
事筆に余り老若男女
あハてうろたへにけるもならす
土蔵ハくすれ家ハつぶれ
火事ハ四方へ一時にもへあかり
あハれとていわん其有さま
めもあてられぬ次第也
其出火土蔵家数の
あらましをしるす
御大名様方土蔵
十一万三千七百三戸マヘ
御旗本様方土蔵
五万八百六十九戸マヘ
寺院方堂宮
五千八百二十七戸マヘ
町方土蔵
三十一万千四百三十
戸マヘ同類焼の土蔵
三千七百九十戸マヘ
惣土蔵数合
〆五十八万四千六百十九戸マヘ
御公儀様より御救小屋御立
被下置候場所
浅草広小路
深川海辺新田
幸橋御門外
巾三十六間
長七十二間
田村権右衛門様
御役所御救小屋
上野山下
御救小屋増場所
本所割下水
深川八幡地内
山の手ハ牛込
市ヶ谷音羽大塚辺
四ッ谷麹町ばん町少々のいたミ{中略}
川越近へん
奥筋水海
道ハ大きに
つよくゆり
候よし古(い)
にしへより
めつらし
き大へん
あらま
しを
しるし
おわりぬ
○江戸中の
死人の数
凡 六万八千余人但シ民家方相不分{以下略}"		

地震 N101

江戸大地震出火場所分

安政2年(1855) 36.5×96

		
"安政二卯十月二日夜四ツ時江戸(えど)大地震(おほぢしん)出火(しゆつくわ)場所(バしよ)分(わけ)
瓢磐堂
頃ハ安政二年十月二日夜四ツ時にハかに大地しんゆり出し御城外ハ神田ばし内ハ
御大守方御殿むき所々大ひにそんじ酒井左衛門尉様小笠原左京大夫様御屋敷
そんじ酒井うたの守様御むかふやしきとも焼る森川でわの守様やけて常盤橋
内ハ松平越前守様大そんじ戸田うねめ様そんじ夫より和田ぐら御門内外
大地大ひにわれ松平ひごの守様御そへやしき松平下ふさの守様やける内藤きいの守様
松平いづのかミ様松平けんばの守様そんじ西丸下牧野びぜんの守様本庄あき様本多越中守様
酒井右京様お馬や大ひにそんじ馬場さき御門大番所焼る夫より大名小ちハ織田様増山様
ひぜん様此へんそんじ遠藤たじまの守様焼る小笠原左衛門輔様長家そんじ少々焼る又火消
やしきハ焼る因州様そへやしき焼る松平さがミの守様東北ながや焼る表御門より御殿向
南方残る夫より松平あわの守様おもて御門そんじ松平とさの守様そんじ夫より松平
右京之輔おもて御門大そんじ南の角少々やける永井とふとふミの守様本田中つかさ様焼る
土井大いの守様南の方少々焼る外桜田通り上杉様板倉様あき様黒田様おもて
長家大そんじ虎の御門内かすミが関へんの御大名やしき大ひにそんじ松平市の
守様戸田十二郎様松平しまの守様阿部いなばの守様相馬大ぜん様西尾
おきの守様水野でわの守様大久保するがの守様朽木近江守様亀井様表
長家少々焼る有馬びんご守様南部様北條様松平時の輔様伊藤様薩州様
せうぞく屋敷西ながや焼る土手鍋島少々そんじ残る夫よりからつ小笠原様
真田しなのの守様石川重の助様北条みのの守様大岡ゑちぜんの守様此へん
大きにそんじる 日比谷御門外松平肥ぜん様やけ毛利様少々やける
虎の御門外京極様稲葉様木下様此へんよりあたご下どふりやぶ
加藤様秋田様松平おき様此辺大小名少々のそんじなり又永田馬場ハ
九鬼様丹羽様大村様細川様井伊様此へん大小名少々のそんじなり
山王社ふじなり夫より久保町辺ハ兼房町本郷代地かじ町備前町
伏見町此へん大ひにそんじ烏もり稲なり辺大小名少々そんじ也
又新ばしへんハ少々のそんじにて柴井町南側ハ残らす焼露月町
宇田川町神明町三島町大ひにそんじ芝増上寺ハ山内■([虫喰])別条なし中
門前浜松町四丁此へん少々そんじ夫より金杉橋通そんじ夫より新銭座新網
芝浜辺共そんす又仙台様脇坂少々そんじ田町九丁大戸より品川辺ハ少々のそんじ也
又日本橋辺ハ東の方ハ四日市より江戸橋辺まで少々そんじ小船町辺より小網町へん夫よりれいがん島
辺迄土蔵大半そんじ茅場町辺より新川新堀所々そんじ夫よりれいかん島しほ町片側焼る
夫より八町堀辺少々そんじる鉄ほうずハ湊町明石町辺大ひにそんじ松平あわぢの守様やける
それよりつきじ一ゑん大小名ことごとくそんじ本願寺寺中そんじ本堂つつがなし夫より
小田原町へん大ひにそんじ木挽町辺ハ少々のそんじ也浜御殿所々そんじ佃島ハ焼る京橋辺ハ
南伝馬町二丁目三丁目畳町五郎兵へ町具足町柳町常盤町かぢ町南大工町因幡町中通
鈴木町竹河岸迄焼る夫より南の方ハ銀座町辺より尾張町へん迄所々そんじ又日本橋
北の方ハ室町より今川橋辺まで所々そんじ神田通ハ横立十文字に所々そんず筋違
御見付つつがなく又駿河台よりお茶の水辺所々そんじ小川町辺りハ土屋様稲葉様
びんご様大ひにそんじ夫より堀田備中守様十之字内藤様御火けし屋敷やける
岡部様戸田大須様高家戸田様本郷丹波守様松平豊前守様大ひにやける
榊ばら式部大夫様半やけ小出信濃守様大そんじ此へん御やしきがた焼るきし橋
通り一ツ橋通り御屋敷方所々そんじ夫より飯田町辺そんじ九段坂上番町辺ハ御武家方
格別のそんじなし○両国辺馬喰町横山丁浜丁富沢丁辺又本町石町銀町少々そんじ
○又御府内北の方ハ千住宿大ひにそんじ小塚原遊女やのこらずやける又新吉原
五丁目とも残らず焼て大門外五十軒西がハ残る夫より田町竹門田中三谷
此へん大ひにそんず山の宿そんじ聖でん町大ひにくづれ馬道芝居町三丁共
残らす焼て尾上菊治郎の家より一とかわ十軒ばかり残る夫より花川戸
辺大ひにそんじ浅草寺本堂ハつつがなく地内ハ処々そんじ金龍山鉄やの
所より二三軒くづるる但し五重の塔かしらばかり少々かたむく伝法院
少々そんじ又並木町所々そんじ駒かたより出火して黒船町三好町河岸
通まで焼る也此所一番組消留る又御蔵前通り少々そんじ夫より浅草
あべ川町辺寺々大ひにそんじ西東の門たをる本堂つつがなく
夫より下谷広とくじ通りハ寺院町家武家地所々大ひにそんじ
此辺東堂様立花様其外御大小名御やしきそんじ三味せん堀
佐竹様格別の事なし又下谷坂本二丁目少々やける三の輪金杉
又上野車坂通り諸々土蔵かハらや大ひにそんじる
○同下谷三枚橋通りハ井口のかわより伊藤松坂屋迄焼右松坂屋ハ土蔵十二戸前落にて
夫より御徒士町井上様半分焼石川様大ひに焼黒田様半分焼小笠原様大ひに
つぶれ堀様御殿そんじ長者町上野町へんのこらず焼大門町やけお成かいどうハ
和泉橋通りまで焼池の端かや町通りむゑん坂まで焼出雲様榊原様残る也
湯島天神社少々そんじ門前ハ黒門町三組町まで所々大ひにそんじうら通り
れいかんじ前此へんかうじむろわれて大道三尺ほど穴あく夫より妻恋坂
稲荷寺社土橋少々そんじ町内一軒も別条なし夫より神田昌平橋迄
所々そんずる本郷通りハ格別の事なく加州様御やしき辺所々そんじ
丸山駒込へん諸々そんじ根津ハ二町ともそんじ谷中団子坂通善光寺坂へん
諸々そんすといへとも格別の事なく又王子へん稲付十条まで所々そんじるなり
○又東橋むかふハ松平す王の守様御殿焼て本所石原より出火して弁天
こうじより法おんじばしより同所割下水津がるゑつちうの守様大ひにそんじ
此辺御下屋しき大ひにそんじ夫より亀井戸辺まで所々そんじる也又立川通りへ相生町
二丁目より出火して緑町より花町まで焼小梅辺所々そんじて少々出火あり又深川ハ
御船蔵前町辺大ひにそんじ出火してさい幸寺少々のこり大久保様御屋しき半やけ
もミ蔵半分やける又八名川町より六間堀中の橋森下町より高橋まて焼留る
又一口ハ相川町より一の橋通り大しま町はまぐり町黒江町東側(かハ)半ぶん残り
八まん宮社ハ別条なし表門鳥居そんじ三十三間堂別条なし木場へん所々
そんじれいかん寺門前扇ばし辺小名木川辺所々そんじ○山の手ハ四ツ谷
しほ町へん所々そんじ水道樋口(ひくち)つぶれて水あぶれ出す事川のごとし
夫よりさめが橋大そんじ又かうじ町少々そんじ赤坂一ゑん少々そんじ相はたけ
黒田様大ひにそんじ青山六とうの辻へん大ひにそんじ麻布へんハかくべつの事なし
西の久保かミや町辺大ひにそんじ抑此度の天災ハ古今にたぐひなく新よし原町計り
死亡凡三千余人御府内の人々損る事ハ八万余人そんじたる場所三千六十町余そんじたる
土蔵数十万二千余出火類焼の場所三十七ケ所寺院堂社のそんじ六百三十軒
いちいち数(かぞ)へあぐるにいとまあらす遠国他方の縁者ニ早く告ん為に巨細記す者也
御仁恵御救小屋之場所
幸橋御門外
浅草広小路
深川海辺新田
上野宮様御救小屋上野 山下
{袖}十月十三日改
{奥}地震除神歌水神の告に命を助かりて六分の内にいるそうれしき
{奥に異筆}八日町宿元へ "		

地震 N102

安政二乙卯年二度目大地震

安政2年(1855) 19×26

		
"安政二乙卯年二度目大地震
当十月二日夜江戸大地震
出火のあと人々あんしんなら
ざる処同六日七日右両日
又々大地しんくづれ残りの
ゆがミ家などハミなミな
たをれまことにおどろく
事もふすまでもなし
しかれども浅草くわんをんさまハ
いよいよべつじやうなく頼願之
御こんりうより此方一度も焼失
これなき御尊像猶又妻こひ
いなり明神御社並其町家共
別条なきハ関八州のふれがしら
明神さま故かく御利生のほど
有がたく故両所へ人々さんけい
なす事おびたたしき事也
浅草観世音
御利益の図
妻ごいいなり社御神力之図
永代ばし三分通り焼ル三枚はしやけ落十月三日朝 "		

地震 N103

安政二乙卯年二度目大地震

安政2年(1855) 19.5×26.5

		
"安政二乙卯年二度目大地震
当十月二日夜江戸大地震
出火のあと人々あんしんなら
ざる処同六日七日右両日
又々大地しんくづれ残りの
ゆがミ家などハミなミな
たをれまことにおどろく
事もふすまでもなし
しかれども浅草くわんをんさまハ
いよいよべつじやうなく頼願之
御こんりうより此方一度も焼失
これなき御尊像猶又妻こひ
いなり明神御社並其町家共
別条なきハ関八州のふれがしら
明神さま故かく御利生のほど
有がたく故両所へ人々さんけい
なす事おびたたしき事也
浅草観世音
御利益の図
妻ごいいなり社御神力之図
永代ばし三分通り焼ル三枚はしやけ落十月三日朝 "		

地震 N104

十月興行二日取組

安政2年(1855) 40×32

		
"勝印{勝印は便宜的に○を使う}  引分△
{一段目}
  地響(ぢひびき)
○ 轟(とどろき)
○ 大動(おほうごき)
  肝飛(きもとばし)
△ 落壁(おちかべ)
  土煙(つちけふり)
○ 橋渡(はしわたり)
  驚(おどろき)
○ 崩音(くずれおとに)
  飛上り(とびあがり)
  潰家(つぶれいへ)
○ 時声(ときのこゑ)
{二段目}
○ 無鉄炮(むてつほう)
  大怪我(おふけが)
○ 闇出柄(やんでから)
  馳出シ(かけだし)
△ 薮中(やぶなか)
  押合(おしあひ)
  四方空(よものそら)
○ 紅(くれなゐ)
  荒尾峯(あれをみね)
○ 八方火(はつぽうひ)
  火事沙汰(くわじざたに)
○ 逃仕度(にげじたく)
{三段目}
  追手風(おひてかせに)
○ 立退(たちのき)
○ 薬風呂(くすりぶろ)
  振逃(ふりにげ)
  伊呂里(いろざと)
○ 大遽(おほあハて)
○ 時不知(ときしらず)
  鳴渡(なりわたり)
○ 小児嶽(せうにだけと)
  怯虫(びくりむし)
  雲天井(くもてんじやう)
○ 夜明(よあかし)
{四段目}
△ 見舞合(ミまひあひ)
  震声(ふるへごゑ)
  転庫(こほれぐら)
○ 敷レ石(しかれいし)
  動路々々(どろどろに)
○ 寝不ケ関(ねずがせき)
  大荒(おほあれニ)
○ 崩石(くづれいし)
△ 大道山(だいどうさん)
  野宿山(のじゆくやま)
○ 長動(ながうごき)
  否戸山(いやとやま)
{五段目}
  鳴音(なるおとに)
○ 哀恐哀恐(びくびく)
○ 崩道(くづれミち)
  縄張(なははり)
○ 動毎(うごくたびに)
  外ケ内(そとがうち)
○ 井戸崩(ゐどくづれ)
  貰水(もらひミづ)
  隅田川(すミだがハ)
○ 土手破(どてわれ)
△ 湊口(ミなとぐち)
  大洪波(おほつなミ)
{六段目}
  首千切(くびちぎれ)
○ 高櫓(たかやぐら)
  山重ね(やまがさねに)
○ 名木唐(なきがら)
  和尚山(おしやうさん)
○ 眩(めまハり)
○ 女小便(せうべんに)
  小鞠山(こまりやま)
  大社(おほやしろ)
○ 小揺(こゆるぎ)
○ 山(やま)の手(てハ)
  不知火(しらぬひ)"		

地震 N105

万歳楽鯰大危事

安政2年(1855) 37×50.5

		
"安政二卯ノ十月
二日夜四ツ時
有此大変
万歳楽(まんざいらく)鯰大危事(ねんだいきじ)
天災(てんさい)天の木
十月朔日あけの
ミやうぜう
かハり目の
こどし二日の
そら米のごとし
二 地の木
二日の夜江戸中
たちまち地
ごくとなる
人くちぐちに
ゑんまも子と唱ふ
三 前後をミづ
ちりちりばらばらに
にげてつまを
よび子をよぶ
こゑきやう
くわんぢごくの如し
四 井の水
ゐどがハよりふき
こぼれ或ハ
ひしやくにて
くめる此ゆへニ
火事すくなし
五 雨の水
八日の夜小雨
ふる是よりむしうるい
ねだん
あがる
六 へい木
十一日のぢしん
よほどつよし
へいきのへいざへ
もん小家を
にげいださず
七 たき
十四日の夜大ニ
さむふして
野宿の人
ぢしんより猶つよくふるふ
八 海の水
十八日大風海
大ニあれて
らいのごとし
諸人ふたたび
きもをひやす
町屋 ふしぎの水
九月二十一日蔵前
茶や袖本
のにハへ
清水
わき出る是ぢしん
のぜんひようならん
二 苦しき水
牛のごとき
ねぼう
おほく
はりをしようて
死す
三 火のそばの水
まちまち野ぢんを
はつてぢしん
をまつゆるぐ
たびたびおどろく
夜打の入たる如し
四 つゐへの金
両国中村のささ
ゐににしきを
きたるほね
ぬきどぜう
おほし
五 なミだの水
山善坂本へんより
非人を車ニ
つミてゑかう
ゐんへおくる
六 あやしき土
芝うだかハ町ニどぞうさかさ
なりてたつ
土すこしも
くづれず
七 ひつ
てんすいおけそう
めんばハ四計
だるのるい
かんおけとなる
八 かなづちの金
ゐんきよふるくぎを
なをして手の
さきしだいニ
たことなる
九 ほねつ
中ばしやげんぼり
千住等
何百番と
ばんづけをよんで
りやうぢする
十 名をうる木はなしかしんせうを
ふるつて
なぐらのりやう
ぢ人へべんとうを
ほどこす
十一 まるたの木
つつかいぼうの
つよき事
むさしぼう
のごとし
十二 はんぶんあん土
二かいほどよく
たふれて
ひらやとなる
人々あめつゆを
しのぐ
十三 のこらずやら火
おふりでにげだしたる
むすこ手ぬ
ぐゐをもらふて
ゑつちうにする
十四 つんだるよ
人をまもりて
はりなげし
のよう
じんをする
十五 どろ水
すいどう
くづれて
諸人さながら
ふなのごとし
十六 どぞうの土
どぞうはちまき
をおとして
主人の
づつうをます
十七 わきの下の水
ぢしんのたびたび
ひやあせ
ながれ出て
たきのごとし
十八 はんしやうの金
ぢしんの夜じしん
ばんまて出を
かけざるハじ
しんのばんのミ
をして人のばんを
せざるよや
十九 命めうがの土
芝金すぎニて
十四才の娘
五十七才の
老母白大([ママ])一疋
ほり出ス七日の事也
二十 こゑをたて金
浅草北じんまちニて
化物女のかほを
つかミ子共を
二人しめころす
二十一 せうちう
よくどしき
ゆうれい
本所ふか川
にてとらハ
るる
商人 はん木
野子(やし)といふもの
堀より出て
さきをあら
そふてうれひを
しよくす
二 あこ
ざいもくや
はないきあら
くして手おい
じしのごとし
三 するどき金
丸太はねがはへて
とびこばいた
ふかぬうちニ
小ばんとなる
四 ふとど木
大こん一本六十四文
わらじ一足一セ
どぞうひとつ
七両ニてたたミけを
ヒろへまハさるる
五 かりふ木
こやをふくわら
米より
たかし
職人 目から出る火
大工かなづち
一丁にて
八てんぐ
はたらく
二 やねの土の土
佐官めんぼく
なげニ
出入場を
見まふ
三 ちからづくの金
このせつ車力の
ながすあせ
ひとつぶ五匁
ほどに
あたる
四 ぶらさがる金
ひようとり
はねをひろ
げてやけ
はらを
かける
五 むかふ水
にわかじよくにん
にた山より
出てよくの
つのを
ふる
六 たてよこの木
鷲からすより
くろくなる
はたらく事
はやぶさのごとし
猿若 市川の水
ひやうたんころげて
なまづ
はねかへる
二 わらじの土
りくわんやけがねを
つんで
大ざかへ
かへる
三 あのよの一本木
こくらくより
江戸ばしへ
三升だるの
見まいものあり
四 れいこんの火
ばんどうがハの
水をもつて
勘弥の
むねをまもる
五 まつくろな木
やけあとにたけ
十二けん
ばかりの
大半
のこる
六 ぎんがミの金
すのこの目
おちて
ならくへ
めりこむ
七 ゑんぎだなの金
かミだなの
ふくすけ
おのれと
なりうごく
八 たびかせ
富士のすねを
かじり
甲ふすんぷ
きんのしやち
ほこをなめる
九 おかしまの火
あらき地のだいこ
をハりの
ミやしげへ
たねまきにゆく
十 ひやうし木
きやうげんがた
番太郎と
仮名する
吉原 はやき火
その夜出火
よしはらを
第一ばん
とする
二 迷の火
大門おのつから
しまりて
にげ出る事
あたハず
三 おそろしき火
五丁まちへんじて
あび
ぢごくと
なる
四 身のけの
よだつ火
十丈計の
火ばしらたつ
その火勢
うらたんぼの人
をはきたふす
五 日本堤の土
うちかけの
おいらん
はじめて
わらじを
はく
六 田のあぜの土
百千のかぶろ
わらを
かぶつて
こごへふす
七 ねんり木
彦太郎のおぐらぎ
客人ごん
げんのかごニ
よつて
部屋つぶれず
八 をとこ
さのづちの後家
よくはたらきて
ゆうじよと
きんす諸道具
までやかず
九 不党の井水
ミうらのていしゆ
ゐどへはいる
女房ぎりを
たてて
子と共に
やけ死す
十 しらねの火
おかもとの主従
三十六人
やけ死す
じよろう
三人のこる
十一 土手の土
日本つつミ大ニ
口をあいて
人をのむ事
両三人
十二 ごろつ木
女郎をおくり
きたれバ
おへやして
とうわくする
十三 うしミつの金
もうじやの
なきこゑ
五丁町ニミつ
男女の死亡
凡千五百人
十四 にぎハ火
小ごうしのしよ
らうねづ
やなかへんの
狐穴にひそんで
なじミをたらす
十五 いづかい金
かりたくいまだ
さだまらず
ゆうじよあそび
おびにてぢま
いをかせぐ
十六 口かせ
たいこもち
へんじて
つちもちとなる
神社 護国土
かミがミ
三日の
あさ
いづもの
国え
おんたち
二 おまくらの木
かしまさま
しばし
うたたね
し玉ふ
三 ごまの火
ふどうそんを
しんずる
もの
さらにけがなし
うごか
ざる理なり
四 ふしんの材木
しバしんめいの
ごぞうゑい
しばらく
ゑんいんか
仏閣 はかバの土
ゑかうゐん
らいじんかい
ちやう有て
のちぢしん
のもうじや山をなす
二 いかりの金
あさ草かミなり
もんの雷神
たいこを
おとす
三 九りんの金
五重のとう
すこしも
ゆるがず
きんりうの角
四へまがる
四 あまだりおちの水
くわんおんの
ゆかしたに
あたまの黒キ
鼠すをくふ
五 にぎハし木
こんきうにん
おく山ニ来りて
だいぞうの
ふくちうニ
やどる
六 こまる火
もんぜんのしやくや
しきミくさき
水をのミ
せきとうをへつ
ついとする
七 もふからぬ金
てらぐのそう
れいただ
うめる
ばかり
八 ふし
神仏霊あり
堂ミや
九分ハ
つぶれず
九 同木
けがなき人の
たもとに
かならず毛あり
死したる
ものニハなし
恩仁 ありがた木
深川上野浅草
幸橋御門前
おすくひ
小家できる
二 同木
国恩をおもふて
施行する
人ニハ
ほうびをたまハる
三 太平の土
恩人こころを
正ふなほりて
戸ざさぬ
御代となる
清 歎はつた木
その夜ハ歎に
はなくといへ共
日々野じんの
入用打まけ此万
歳楽を当てまねとする
十月
二十六日改
余ハ二へんに
しるす "		

地震 N106

万歳楽鯰大危事

安政2年(1855) 36×49.5

		
"安政二卯ノ十月
二日夜四ツ時
有此大変
万歳楽(まんざいらく)鯰大危事(ねんだいきじ)
天災(てんさい)天の木
十月朔日あけの
ミやうぜう
かハり目の
こどし二日の
そら米のごとし
二 地の木
二日の夜江戸中
たちまち地
ごくとなる
人くちぐちに
ゑんまも子と唱ふ
三 前後をミづ
ちりちりばらばらに
にげてつまを
よび子をよぶ
こゑきやう
くわんぢごくの如し
四 井の水
ゐどがハよりふき
こぼれ或ハ
ひしやくにて
くめる此ゆへニ
火事すくなし
五 雨の水
八日の夜小雨
ふる是よりむしうるい
ねだん
あがる
六 へい木
十一日のぢしん
よほどつよし
へいきのへいざへ
もん小家を
にげいださず
七 たき
十四日の夜大ニ
さむふして
野宿の人
ぢしんより猶つよくふるふ
八 海の水
十八日大風海
大ニあれて
らいのごとし
諸人ふたたび
きもをひやす
町屋 ふしぎの水
九月二十一日蔵前
茶や袖本
のにハへ
清水
わき出る是ぢしん
のぜんひようならん
二 苦しき水
牛のごとき
ねぼう
おほく
はりをしようて
死す
三 火のそばの水
まちまち野ぢんを
はつてぢしん
をまつゆるぐ
たびたびおどろく
夜打の入たる如し
四 つゐへの金
両国中村のささ
ゐににしきを
きたるほね
ぬきどぜう
おほし
五 なミだの水
山善坂本へんより
非人を車ニ
つミてゑかう
ゐんへおくる
六 あやしき土
芝うだかハ町ニどぞうさかさ
なりてたつ
土すこしも
くづれず
七 ひつ
てんすいおけそう
めんばハ四計
だるのるい
かんおけとなる
八 かなづちの金
ゐんきよふるくぎを
なをして手の
さきしだいニ
たことなる
九 ほねつ
中ばしやげんぼり
千住等
何百番と
ばんづけをよんで
りやうぢする
十 名をうる木はなしかしんせうを
ふるつて
なぐらのりやう
ぢ人へべんとうを
ほどこす
十一 まるたの木
つつかいぼうの
つよき事
むさしぼう
のごとし
十二 はんぶんあん土
二かいほどよく
たふれて
ひらやとなる
人々あめつゆを
しのぐ
十三 のこらずやら火
おふりでにげだしたる
むすこ手ぬ
ぐゐをもらふて
ゑつちうにする
十四 つんだるよ
人をまもりて
はりなげし
のよう
じんをする
十五 どろ水
すいどう
くづれて
諸人さながら
ふなのごとし
十六 どぞうの土
どぞうはちまき
をおとして
主人の
づつうをます
十七 わきの下の水
ぢしんのたびたび
ひやあせ
ながれ出て
たきのごとし
十八 はんしやうの金
ぢしんの夜じしん
ばんまて出を
かけざるハじ
しんのばんのミ
をして人のばんを
せざるよや
十九 命めうがの土
芝金すぎニて
十四才の娘
五十七才の
老母白大([ママ])一疋
ほり出ス七日の事也
二十 こゑをたて金
浅草北じんまちニて
化物女のかほを
つかミ子共を
二人しめころす
二十一 せうちう
よくどしき
ゆうれい
本所ふか川
にてとらハ
るる
商人 はん木
野子(やし)といふもの
堀より出て
さきをあら
そふてうれひを
しよくす
二 あこ
ざいもくや
はないきあら
くして手おい
じしのごとし
三 するどき金
丸太はねがはへて
とびこばいた
ふかぬうちニ
小ばんとなる
四 ふとど木
大こん一本六十四文
わらじ一足一セ
どぞうひとつ
七両ニてたたミけを
ヒろへまハさるる
五 かりふ木
こやをふくわら
米より
たかし
職人 目から出る火
大工かなづち
一丁にて
八てんぐ
はたらく
二 やねの土の土
佐官めんぼく
なげニ
出入場を
見まふ
三 ちからづくの金
このせつ車力の
ながすあせ
ひとつぶ五匁
ほどに
あたる
四 ぶらさがる金
ひようとり
はねをひろ
げてやけ
はらを
かける
五 むかふ水
にわかじよくにん
にた山より
出てよくの
つのを
ふる
六 たてよこの木
鷲からすより
くろくなる
はたらく事
はやぶさのごとし
猿若 市川の水
ひやうたんころげて
なまづ
はねかへる
二 わらじの土
りくわんやけがねを
つんで
大ざかへ
かへる
三 あのよの一本木
こくらくより
江戸ばしへ
三升だるの
見まいものあり
四 れいこんの火
ばんどうがハの
水をもつて
勘弥の
むねをまもる
五 まつくろな木
やけあとにたけ
十二けん
ばかりの
大半
のこる
六 ぎんがミの金
すのこの目
おちて
ならくへ
めりこむ
七 ゑんぎだなの金
かミだなの
ふくすけ
おのれと
なりうごく
八 たびかせ
富士のすねを
かじり
甲ふすんぷ
きんのしやち
ほこをなめる
九 おかしまの火
あらき地のだいこ
をハりの
ミやしげへ
たねまきにゆく
十 ひやうし木
きやうげんがた
番太郎と
仮名する
吉原 はやき火
その夜出火
よしはらを
第一ばん
とする
二 迷の火
大門おのつから
しまりて
にげ出る事
あたハず
三 おそろしき火
五丁まちへんじて
あび
ぢごくと
なる
四 身のけの
よだつ火
十丈計の
火ばしらたつ
その火勢
うらたんぼの人
をはきたふす
五 日本堤の土
うちかけの
おいらん
はじめて
わらじを
はく
六 田のあぜの土
百千のかぶろ
わらを
かぶつて
こごへふす
七 ねんり木
彦太郎のおぐらぎ
客人ごん
げんのかごニ
よつて
部屋つぶれず
八 をとこ
さのづちの後家
よくはたらきて
ゆうじよと
きんす諸道具
までやかず
九 不党の井水
ミうらのていしゆ
ゐどへはいる
女房ぎりを
たてて
子と共に
やけ死す
十 しらねの火
おかもとの主従
三十六人
やけ死す
じよろう
三人のこる
十一 土手の土
日本つつミ大ニ
口をあいて
人をのむ事
両三人
十二 ごろつ木
女郎をおくり
きたれバ
おへやして
とうわくする
十三 うしミつの金
もうじやの
なきこゑ
五丁町ニミつ
男女の死亡
凡千五百人
十四 にぎハ火
小ごうしのしよ
らうねづ
やなかへんの
狐穴にひそんで
なじミをたらす
十五 いづかい金
かりたくいまだ
さだまらず
ゆうじよあそび
おびにてぢま
いをかせぐ
十六 口かせ
たいこもち
へんじて
つちもちとなる
神社 護国土
かミがミ
三日の
あさ
いづもの
国え
おんたち
二 おまくらの木
かしまさま
しばし
うたたね
し玉ふ
三 ごまの火
ふどうそんを
しんずる
もの
さらにけがなし
うごか
ざる理なり
四 ふしんの材木
しバしんめいの
ごぞうゑい
しばらく
ゑんいんか
仏閣 はかバの土
ゑかうゐん
らいじんかい
ちやう有て
のちぢしん
のもうじや山をなす
二 いかりの金
あさ草かミなり
もんの雷神
たいこを
おとす
三 九りんの金
五重のとう
すこしも
ゆるがず
きんりうの角
四へまがる
四 あまだりおちの水
くわんおんの
ゆかしたに
あたまの黒キ
鼠すをくふ
五 にぎハし木
こんきうにん
おく山ニ来りて
だいぞうの
ふくちうニ
やどる
六 こまる火
もんぜんのしやくや
しきミくさき
水をのミ
せきとうをへつ
ついとする
七 もふからぬ金
てらぐのそう
れいただ
うめる
ばかり
八 ふし
神仏霊あり
堂ミや
九分ハ
つぶれず
九 同木
けがなき人の
たもとに
かならず毛あり
死したる
ものニハなし
恩仁 ありがた木
深川上野浅草
幸橋御門前
おすくひ
小家できる
二 同木
国恩をおもふて
施行する
人ニハ
ほうびをたまハる
三 太平の土
恩人こころを
正ふなほりて
戸ざさぬ
御代となる
清 歎はつた木
その夜ハ歎に
はなくといへ共
日々野じんの
入用打まけ此万
歳楽を当てまねとする
十月
二十六日改
余ハ二へんに
しるす "		

地震 N107

万歳楽鯰大危事

安政2年(1855) 31×43

		
"安政二卯ノ十月
二日夜四ツ時
有此大変
万歳楽(まんざいらく)鯰大危事(ねんだいきじ)
天災(てんさい)天の木
十月朔日あけの
ミやうぜう
かハり目の
こどし二日の
そら米のごとし
二 地の木
二日の夜江戸中
たちまち地
ごくとなる
人くちぐちに
ゑんまも子と唱ふ
三 前後をミづ
ちりちりばらばらに
にげてつまを
よび子をよぶ
こゑきやう
くわんぢごくの如し
四 井の水
ゐどがハよりふき
こぼれ或ハ
ひしやくにて
くめる此ゆへニ
火事すくなし
五 雨の水
八日の夜小雨
ふる是よりむしうるい
ねだん
あがる
六 へい木
十一日のぢしん
よほどつよし
へいきのへいざへ
もん小家を
にげいださず
七 たき
十四日の夜大ニ
さむふして
野宿の人
ぢしんより猶つよくふるふ
八 海の水
十八日大風海
大ニあれて
らいのごとし
諸人ふたたび
きもをひやす
町屋 ふしぎの水
九月二十一日蔵前
茶や袖本
のにハへ
清水
わき出る是ぢしん
のぜんひようならん
二 苦しき水
牛のごとき
ねぼう
おほく
はりをしようて
死す
三 火のそばの水
まちまち野ぢんを
はつてぢしん
をまつゆるぐ
たびたびおどろく
夜打の入たる如し
四 つゐへの金
両国中村のささ
ゐににしきを
きたるほね
ぬきどぜう
おほし
五 なミだの水
山善坂本へんより
非人を車ニ
つミてゑかう
ゐんへおくる
六 あやしき土
芝うだかハ町ニどぞうさかさ
なりてたつ
土すこしも
くづれず
七 ひつ
てんすいおけそう
めんばハ四計
だるのるい
かんおけとなる
八 かなづちの金
ゐんきよふるくぎを
なをして手の
さきしだいニ
たことなる
九 ほねつ
中ばしやげんぼり
千住等
何百番と
ばんづけをよんで
りやうぢする
十 名をうる木はなしかしんせうを
ふるつて
なぐらのりやう
ぢ人へべんとうを
ほどこす
十一 まるたの木
つつかいぼうの
つよき事
むさしぼう
のごとし
十二 はんぶんあん土
二かいほどよく
たふれて
ひらやとなる
人々あめつゆを
しのぐ
十三 のこらずやら火
おふりでにげだしたる
むすこ手ぬ
ぐゐをもらふて
ゑつちうにする
十四 つんだるよ
人をまもりて
はりなげし
のよう
じんをする
十五 どろ水
すいどう
くづれて
諸人さながら
ふなのごとし
十六 どぞうの土
どぞうはちまき
をおとして
主人の
づつうをます
十七 わきの下の水
ぢしんのたびたび
ひやあせ
ながれ出て
たきのごとし
十八 はんしやうの金
ぢしんの夜じしん
ばんまて出を
かけざるハじ
しんのばんのミ
をして人のばんを
せざるよや
十九 命めうがの土
芝金すぎニて
十四才の娘
五十七才の
老母白大([ママ])一疋
ほり出ス七日の事也
二十 こゑをたて金
浅草北じんまちニて
化物女のかほを
つかミ子共を
二人しめころす
二十一 せうちう
よくどしき
ゆうれい
本所ふか川
にてとらハ
るる
商人 はん木
野子(やし)といふもの
堀より出て
さきをあら
そふてうれひを
しよくす
二 あこ
ざいもくや
はないきあら
くして手おい
じしのごとし
三 するどき金
丸太はねがはへて
とびこばいた
ふかぬうちニ
小ばんとなる
四 ふとど木
大こん一本六十四文
わらじ一足一セ
どぞうひとつ
七両ニてたたミけを
ヒろへまハさるる
五 かりふ木
こやをふくわら
米より
たかし
職人 目から出る火
大工かなづち
一丁にて
八てんぐ
はたらく
二 やねの土の土
佐官めんぼく
なげニ
出入場を
見まふ
三 ちからづくの金
このせつ車力の
ながすあせ
ひとつぶ五匁
ほどに
あたる
四 ぶらさがる金
ひようとり
はねをひろ
げてやけ
はらを
かける
五 むかふ水
にわかじよくにん
にた山より
出てよくの
つのを
ふる
六 たてよこの木
鷲からすより
くろくなる
はたらく事
はやぶさのごとし
猿若 市川の水
ひやうたんころげて
なまづ
はねかへる
二 わらじの土
りくわんやけがねを
つんで
大ざかへ
かへる
三 あのよの一本木
こくらくより
江戸ばしへ
三升だるの
見まいものあり
四 れいこんの火
ばんどうがハの
水をもつて
勘弥の
むねをまもる
五 まつくろな木
やけあとにたけ
十二けん
ばかりの
大半
のこる
六 ぎんがミの金
すのこの目
おちて
ならくへ
めりこむ
七 ゑんぎだなの金
かミだなの
ふくすけ
おのれと
なりうごく
八 たびかせ
富士のすねを
かじり
甲ふすんぷ
きんのしやち
ほこをなめる
九 おかしまの火
あらき地のだいこ
をハりの
ミやしげへ
たねまきにゆく
十 ひやうし木
きやうげんがた
番太郎と
仮名する
吉原 はやき火
その夜出火
よしはらを
第一ばん
とする
二 迷の火
大門おのつから
しまりて
にげ出る事
あたハず
三 おそろしき火
五丁まちへんじて
あび
ぢごくと
なる
四 身のけの
よだつ火
十丈計の
火ばしらたつ
その火勢
うらたんぼの人
をはきたふす
五 日本堤の土
うちかけの
おいらん
はじめて
わらじを
はく
六 田のあぜの土
百千のかぶろ
わらを
かぶつて
こごへふす
七 ねんり木
彦太郎のおぐらぎ
客人ごん
げんのかごニ
よつて
部屋つぶれず
八 をとこ
さのづちの後家
よくはたらきて
ゆうじよと
きんす諸道具
までやかず
九 不党の井水
ミうらのていしゆ
ゐどへはいる
女房ぎりを
たてて
子と共に
やけ死す
十 しらねの火
おかもとの主従
三十六人
やけ死す
じよろう
三人のこる
十一 土手の土
日本つつミ大ニ
口をあいて
人をのむ事
両三人
十二 ごろつ木
女郎をおくり
きたれバ
おへやして
とうわくする
十三 うしミつの金
もうじやの
なきこゑ
五丁町ニミつ
男女の死亡
凡千五百人
十四 にぎハ火
小ごうしのしよ
らうねづ
やなかへんの
狐穴にひそんで
なじミをたらす
十五 いづかい金
かりたくいまだ
さだまらず
ゆうじよあそび
おびにてぢま
いをかせぐ
十六 口かせ
たいこもち
へんじて
つちもちとなる
神社 護国土
かミがミ
三日の
あさ
いづもの
国え
おんたち
二 おまくらの木
かしまさま
しばし
うたたね
し玉ふ
三 ごまの火
ふどうそんを
しんずる
もの
さらにけがなし
うごか
ざる理なり
四 ふしんの材木
しバしんめいの
ごぞうゑい
しばらく
ゑんいんか
仏閣 はかバの土
ゑかうゐん
らいじんかい
ちやう有て
のちぢしん
のもうじや山をなす
二 いかりの金
あさ草かミなり
もんの雷神
たいこを
おとす
三 九りんの金
五重のとう
すこしも
ゆるがず
きんりうの角
四へまがる
四 あまだりおちの水
くわんおんの
ゆかしたに
あたまの黒キ
鼠すをくふ
五 にぎハし木
こんきうにん
おく山ニ来りて
だいぞうの
ふくちうニ
やどる
六 こまる火
もんぜんのしやくや
しきミくさき
水をのミ
せきとうをへつ
ついとする
七 もふからぬ金
てらぐのそう
れいただ
うめる
ばかり
八 ふし
神仏霊あり
堂ミや
九分ハ
つぶれず
九 同木
けがなき人の
たもとに
かならず毛あり
死したる
ものニハなし
恩仁 ありがた木
深川上野浅草
幸橋御門前
おすくひ
小家できる
二 同木
国恩をおもふて
施行する
人ニハ
ほうびをたまハる
三 太平の土
恩人こころを
正ふなほりて
戸ざさぬ
御代となる
清 歎はつた木
その夜ハ歎に
はなくといへ共
日々野じんの
入用打まけ此万
歳楽を当てまねとする
十月
二十六日改
余ハ二へんに
しるす "		

地震 N108

地震方々人逃状之事

安政2年(1855) 23×30

		
"地震(ぢしん)方々人(ほうぼうにん)逃状(にけしやう)之事
一此(この)ゆり苦労(くらう)と申者(もの)生得(せうとく)信濃国(しなののくに)生須(なまづ)の荘(しやう)
揺初村(ゆりそめむら)出生(しゆつしやう)にて不慥(たしか)なるふら付者ニ付荒魔ども
失人(うせにん)に相立(あいたち)異変(いへん)沙汰(さた)人諸々方々にゆり出し
申候処めつほう也火災(くわさい)の儀(ぎ)ハ当卯十月二日夜より
翌(よく)三日午の下刻迄と相定困窮(こんきう)人の義(ぎ)ハ難渋(なんじう)無住(むぢう)と
相きハめ只今御ほどこしとしてさつま芋三俵はしたにてたべ
申候御救之義ハ七ケ所へ御建(たて)じま御恵(めぐみ)に逢目島(あふめじま)
可被下候事
一鹿島様御法度(ごはつと)の義ハ申不及出家の八方(ほう)相傾(かたむか)セ申間敷候
若(もし)此者お台(だい)所の女中方の寝息(ねいき)を考(かんが)へ内証(ないしやう)の地震(ちしん)致候か
又ハゆり逃(にげ)壁落(おち)致候ハハ急度(きつと)したるかふばりの丸太を
取て早速らちあけ可申候
一愁患(しうせう)の義ハ一連(いちれん)たく宗(しう)にて寺(てら)ハ夜中(よなか)ゆりあけ坂
道性寺市中(とうしやうじしちう)まつぱたか騒動院大火(そうどういんたいくわ)に紛(まぎ)れ御座
なく候御発動(はつどう)切りしたん宗(しう)にてハこれなく候
若(もし)物音かたつきひあわひより瓦(かハら)をふらし候義ハ
無之万一ゆりかへし等致候ハハ我等早速(われらさつそく)まかり出要石を
以てぎうと押(おさ)へ付野田(のてん)へ宿労(しゆくろう)さしかけ申間敷候地震の
たびゆつてむざんの如し
造作(そうさく)ざん年
鹿島(かしま)の神無(かミな)月二日
半性(はんてう)大地(たいち)割下(わりげ)水
家なしまご右衛門店
つぶれやお土蔵
どさくさほんくらないけんのん橋
みじめや難十郎店
お小屋太助
世並(よなミ)直四郎(なほしらう)様 "		

地震 N109

年魚瓢箪人浮状之事

安政2年(1855) 24×33

		
"年魚瓢箪人浮状(なまづひようたんにんうきじよう)之事
一此震(うご)九郎と申者生国(せうこく)ハ常陸国(ひたちのくに) 要石郡(かなめいしごうり) 潜村(もぐりむら) 出生(しゆつせう)ニて慥(たしか)
成(なる) 動(がふがふ) 者(もの)ニ付燃上(もへあが)りの火事(くわじ)等(ら)共(ども)燃人(やけにん)ニ相立危難(きなん)加多(がた)え
御麁相(そそう)ニ震(ゆり)上候所物騒(ぶつそう)也難(なん)義の儀は当卯十月二日の番(ばん)
於眠気(おねむけ)時より翌(あくる)三日四ツ這(ばい)迄ニ相定御損(そん)金として損両(そんりやう) 損分(そんぶ)
損(そん)朱惜(おしく)も焼取れ申候御仕着(きせ)の義ハ夏ハ震電(ごろごろ) 雷(かミなりの) 鳴 白雨(ゆふだちしま) 光物(ひかりもの)
一ツ冬(ふゆハ)焔散粉(ひのこのふる)布(ぬの)子一枚可被下候事
一御関東様(ごくわんとうさま)御八州(しう)の義不及申諸国(しよこく)一統(いつとう)為相動(あいゆるがせ)申間舗(まじく)候万一
此者御台所勝手(かつて)ケ間敷氷仕女(おさんとん)方へ参(まい)り大摺木(おおすりこぎ)ヲ震立(ふるひたて)摺鉢(すりばち)ヲ
破(こわし) 這々(はいはい)の上内々の地震(ちしん)致候歟(か)亦(また)ハ動逃(ゆりにげ)壁落(かべおち)致メ(いため)候ハバ高梁(たかばり)ヲ以(もつて)
取繕(とりつくろひ) 急度(きつと)したる大工左官(しや くわん) 差出(さしいたし) 早速(さつそく) 埒明(らちあけ)可申候
一愁障(しうセう)の義ハ鐘(つりがね)の難題宗(なんだいしう)ニて寺ハ小動(ゆれ)川散々(さんざん)橋ぢやんぐわら寺(じ)暫(ざん)
時(じ)に崩家(くづれいへ)なく候御八方(ごはつほう)ヲ震支丹(ゆりしたん)焼(やけ)宗門(しうもん)ニハ無之候若(もし)此物音儀(おとぎ)ニ付
日合(ひやハひ)よりがらくら動振(ゆすぶり)等(とう)無之候万一震返(ゆりかへ)し津浪(つなミ)等致候ハバ要(かなめ)石ニ判人(はんにん)の
堅(かたい)我等(われら)地しんニ早速(さつそく) 曲出(まかりいで)ぎうと押付(おしつけ)野田(のでん)へ転寝(ごろね)御苦労(くろう)小屋掛(がけ)差(さし)
懸(かけ)申間敷候地震(ぢしん)の後(のち)材木(ざいもく) 買(かつて)直段(ねだん)の高(たか)し
安心(あんしん)二年
是(これ)から〆この卯の十月
請人(うけニ入る人) 天井張(てんじやうはり) 下水(げすい) 仕事(しごと) 新井丁(あらいまち)ふしん屋でき介店
家根屋大九郎■{印}
人(ひと)入主(ぬし)へたくた壁塗門(かべぬりもん) 内(うち) 左官(しやくわん)ハ 早(はやく) 智光院(ちかういん) 地内(ぢない)こまい屋角左衛門店
つた屋煤兵衛■{印}
積田(つんだ)金蔵(かねくら)河岸(がし)
無事田(ぶじだ)繁昌(はんじやう)郎様 "		

地震 N110

大地震出火年代記

安政2年(1855) 34.5×52

		
"改正大地震出火年代記
{一段目} 官延 七ケ所へ
御すくひ
小屋たつ
日限ながし
三 日れん
上人のぞう
頭さむがる
二 深川
神明宮
火の
中にて
のこる
五 四谷
御門外
水どう
いしがき
そんじ
水あふる
三 火ぶせの
あきは山
より所
なく
やける
五 ゑんまの子
地ぞうのこ
といふを
もつぱら
はやる今日ハ
またまた
しじん
ゆるとて
のじゆく
多し
三 芝神明前
いへと家
はちあハセ
する
五 小つか原の
ぢそう
べつして
あらハるる
五 芝居まち
染井てう
あとさきに
やける 家宋
金利
かん上
おあい
だとなる
六 とびもの
はなし
所々にて
ちがふ
{二段目}二 日本つ々ミ
大いに
われる
四 十月二十日
ゑびすこう
やすむ
安栄
諸寺にて
じしん
御きとうを
おこなふ
六
諸方にて
あとより
けがよけ
の守を
いだす
官政
もつそうの
ごはん
町々へ
くださる
六
浄るりの
けいこ所
弟子
四方へ
ちらず
二
土蔵の
ひびだけ
こで
りやうぢ
いしやと
まごふ
分限
大じん
金もち共
諸人へ
せぎやう
を出す
伝法
金龍山の
五十の
とう
北の方へ
まかる
六
ぶげん
ぼさつ
きん
つるし
あがる
二
立ちのきの
ところへ
にハかに
台家を
つくる
七
霜月二日
酉の
まち
くまで
かつぐ
{三段目}
三
御くらまへの
茶馬
にハ内に
清水
ふき出す
五
日本ばし
の東西
つつが
なし
二
るゐしやうバ
一夜の
うちに
往来へ
山いづる
七
家つえを
つきて
あんま
町々にて
ころぶ
二
ぞうり
わらんじ
羽ねが
はへて
とぶ
七
こぼれ
玄蕃
ミづなし
そんず
三
中山道
しゆくしゆく
砂わき
いたす
二
北国より
玉
八ほうへ
ちる
二
馬道より
黒き
うし
いくつも
身ゆる
後悔
にハかに
たこくへ
行せ
みうちを
うらやむ
三
北くに
にて
おいらん
上人
入定
八
素人ぜへ
一ちして
土台
あらうちなす
{四段目}
太平
しやうしつの
町々かりたて
はやる 六
番町
ぢしん
しらず
よそを見て
おどろく
三
小川
水かれて
火所々
より
いづる
天命
大いなる
はりを
せおひて
めいど国へ
おもむく
三
谷中天王寺の
塔九はん
かれて
おつる
八
むさしのに
はなしかを
たいしる
分火
諸所
三十三所
くわじ
ぜおん
かい
長
三
南のくにの
人ミな
■つらを
やむ
三
三丁まち
にて
が々や
ふろ
はやる
二
本所
ゑかうゐん
ふせなくして
死人を弔ふ
四
たいこもち
ぼたもちに
ばける
安心
日々ぢしんの
うわさきへて
つちかけら
のミのこる
{五段目}
二
かしまの神
るすにて
なまつ
あハれる
名馬
人なく
白馬をのむ
黒馬
あさくさへ
すてる
四
御やくらの
屋根
いつくへか
とふ
二
御めいこうの
さくら
今年
はなさかす
四
二かい堂
大破
の上
ゑん上
九
くらま山
くつれ
かへつち
山を
なす
二
しやくとり
むし
おうらいに
すむ
四
のてん山
こうしやくし
かい長
はやる
四
おどりこの
めうもく
とせうに
うバヽれる
三
あきうと
せきよう
しつもの
をほどこす
五
江戸に
すむ
やくしや
ほつそく
二
万歳楽を
万々せいと
あらたむ
{袖}安政二卯年十月二日 石堂禁売
{以下略} "		

地震 N111

地震出火後日はなし

安政2年(1855) 31×23.5

		
"地震出火後日はなし
行司 貰ひ溜た施行蔵を震た財布
年寄 山出しの水口役者の施行
勧進元 家作十工諸芸遊民
{用るもの}大関 これで安心 穴蔵をたすけ
関脇 地めん内ニて 立退所そつくり
小結 くらをはなして 平ラ家の庭附
前頭 宗旨ろんなし なげこミの花筒
前頭 御間のよい 恙ない神社
前頭 焼場方角 読うり
前頭 出かけた場所も 吉原の仮宅
前頭 その日その日 かねかり{以下略}
{おあひだ}大関 おやのなミだ 穴蔵をおとし
関脇 見るも表れ 一ツ家の額面
小結 だんだんへる 三階づくり
前頭 かこゐもいびつ なげいれの活花
前頭 うるさく来た 御めんのかんけ
前頭 二階ハけんのん 講談落語
前頭 ペンともいハぬ 町芸者
前頭 烏ハがアがア かねかし{以下略}
{袖}安政二乙卯十月二日夜ヨリ 上下共甲乙なし  "		

地震 N112

慶長以来聖代要廻磐寿恵

安政2年(1855) 32×24

		
"慶長以来
聖代(ゆるがぬミよ) 要廻(かなめの) 磐寿恵(いしずゑ)当司 当時安政二乙卯十月二日夜四ツ時半ヨリ五街道筋江戸大地震大火近在近郷 差添 元禄京都大雷嘉永江戸大雷万治大坂大雷 勧進要 愛宕神社鹿島大神宮
大火方
大関 明暦三 丸山本妙寺出火
関脇 明和九 目黒行人坂出火
小結 文化三 高輪牛町出火
前頭 文政十二 和泉橋際出火
前頭 天保五 佐久間町二丁目出火
前頭 弘化四 本郷丸山出火
前頭 嘉永二 麹町ヨリ出火
前頭 弘化三 青山ヨリ出火
{中略}
地震方
大関 文政十一 越後大地震
関脇 弘化四 信濃大地震
小結 元禄十六 関八州大地震
前頭 嘉永元 小田原大地震
前頭 寛永四 関東大地震
前頭 寛政十 小田原大地震
前頭 天明二 関東大地震
前頭 安政元 大坂大地震
{中略}
洪水部
大関 延宝四 諸国大洪水
関脇 宝永三 中国大洪水
小結 文政五 関東大洪水
前頭 享保二 長崎大洪水
前頭 享和二 関東大洪水
前頭 弘化四 関東大洪水
前頭 宝暦七 関東大洪水
前頭 寛保元 関東大洪水
前頭 享保十三 関東大洪水
前頭 寛延 江戸大洪水
前頭 文化五 関東大洪水
{中略}
津浪部
大関 文化元 奥州大津浪
関脇 同 出羽大津浪
小結 寛保 松前大津浪
前頭 安政元 豆州大津浪{後略}"		

地震 N113

江戸地震大火番付(仮)

安政2年(1855) 34×24.5

		
"為御覧
当司
安政二乙卯十月二日夜四ツ時ヨリ
五街道筋
江戸大地震大火
近在近郷
差添
元禄京都大雷
嘉永江戸大雷
万治大坂大雷
勧進要
愛宕神社
鹿島大神宮
大火方
大関 明暦三 丸山本妙寺出火
関脇 明和九 目黒行人坂出火
小結 文化三 高輪牛町出火
前頭 文政十二 和泉橋際出火
前頭 天保五 佐久間町ヨリ出火
前頭 弘化三 本郷丸山出火
前頭 嘉永三 麹町ヨリ出火
前頭 弘化二 青山ヨリ出火
地震方
大関 文政十一 越後大地震
関脇 弘化四 信濃大地震
小結 元禄十六 関八州大地震
前頭 嘉永元 小田原大地震
前頭 寛永四 関東大地震
前頭 寛政十 小田原大地震
前頭 天明二 関東大地震
前頭 安政元 大坂大地震
{天}慶長以来
{奥}禁売松久堂蔵板"		

地震 N114

地震出火の図(仮)

安政2年(1855) 33.5×47

		
 {文章無} 		

地震 N115

ゆらゆら豊問答

安政2年(1855) 28×41

		
"ゆらゆら豊問答(ゆたかもんとう)
大黒のつち
うごかして世の
中に宝の山を
積かさねける
{上段一段目}
おなじやうに
ゆられながら
ぢしん
ばんとハこれいかに
○
のじゆくをしても
いへぬしといふが
ごとし
よし原を
やけ原とハこれ
いかに
○
ミんなやけても
七けんだの五けんだのと
いふがごとし
ぢしんのときでもかミ
なりもんとハこれいかに
○
きなくさくもないに
にほふもんと
いふがことし
こわいめにあい
ながら万ざい
らくとハこれ
いかに
○
やけざけを
のんでたいへいらくを
つくがごとし
ぢしんやけで
まるはだかに
なつたうへ
こしのたたれぬ
人をたちのまんま
とハこれいかに
○
はたらいてたすかつた人を
大ぼねをりといふかごとし
人のおおく
とふるところを
馬ミちとハこれいかに
○
せうぎにも
あらぬにこまつたと
いふがごとし
{上段二段目}
こんどのことで
むしんの文
をよこして
ぢしんに
いつたとハ
これいかに
○
やけもせぬお客
をあつくなつてくるといふがごとし
おおきないへを
御小やとハ
これいかに
○
ちいさな
うちでも
大やさんと
いふがことし
ひもとでもなくて
ぢしんやけとハ
これいかに
○
大われをしても
小われたと
いふがごとし
あをものでも
ないに大ゆり大ゆり
とハこれいかに
○
さかなにも
かじきの
あるがごとし
どろミづが
わきだしても
上水とハこれいかに
○
すなをふき
だしてもおちや
の水へんと
いふがことし
ざいもくや
げんきんに
かねをとつて
川岸(かし)で
うるとハこれいかに
○
わがたてたるいへを
かりたくと
いふがことし
{下段一段目}
しんだ人も
ないのに小づか
はらとハこれいかに
○
くわじが
なくても
月やくと
いふがごとし
ひやざけを
のんでやけ
ざけとハ
これいかに
○
地しんの
いらぬまえ
からのミつぶれ
るがごとし
いたミも
せぬに
くづればし
とハこれいかに
○
やけもせぬのに
かぢばしといふかごとし
地がさけも
せぬ所を
わり下水(けすい)とハ
これいかに
○
大はそん
しても
とく右衛門丁と
いふがことし
大ぜいのたをれ
ものを
しにんとハ
これいかに
○
数(す)千人の
御火けしを
御にんずといふがことし
{下段二段目}
つちいちりも
せぬにどろ
ぼふとハ
これ
いかに
○
やけバの
てつだいにもあらで
ごまのはいといふがごとし
火をふせぐ
こめのくらを
ぢしんに
つちを
おとすとハ
これいかに
○
いきてゐる人でも
ぼんくらといふがごとし
いがまぬ
いへを三かくとハ
これ
いかに
○
地しんまへに
井戸がにごつても
きよすミ丁といふがことし
りつぱにそうぞく
すニかねもちのいへを
づふね家とハ
これいかに
○
こわれた土蔵でも
おかめだんごて
いいくらといふがごとし
いがミもせぬに
すじかいとハ
これいかに
○
たおれぬ所も
よこ丁と
いふがごとし
一出火口数 三十二ケ所
一焼場丁数 四百三十八ケ所
一破損丁数 二千○百ケ所余
小いたミの丁数所々数しれず
一大崩土蔵数 七万五千八百余
小いたミ土蔵数五万○九百余
一大けが人の数 十六万五千三百人余
一新吉原けが人 二千九百人余
一外科医沙(げかいしや)へ通うけが人四万○百人余
御救小屋場
浅草かミ鳴門外
幸橋御門外
上野広小路
深川八幡社内
同海辺新田
本所割下水
東ゑい山御支配之分
上野御山下"		

地震 N116

安政三年関東の地震(仮)

安政3年(1856) 23×28.5

		
"頃は安政三辰七月二十三日昼四ツ時上より九七ツ■
にて地震ゆり出し其甚敷し根元を尋
るに先中山道武州本庄宿辺より新町
藤岡八幡山倉鹿野宿上州高崎御城下
町家大ニそんず板はな安中松枝坂本
臼井上下三宿まて妙義山榛名山のふも
と村々大ニそんし高崎より三国道中湯サわ
道中大そんし草津道中人家大ニ潰れ大渡
実正利根川上大そんじ伊勢崎駒方まへ
橋沼田辺少々大ご大間々桐生近在大ニ
そんす例へい使道中玉村より宿々太田大八木
八名田野州佐野足利富田とち木鹿沼
吹上辺板橋大沢今市鉢石御師丁足尾
道中山々崩れ候所も 日光山御別条なく
今市より会津への道中宿々山々大ニ崩れ
奥州道中宇都宮より白沢氏家喜連川
白川辺にて少々そんし
{後欠} "		

地震 N117

岐阜罹災之統計略表

明治24年(1891) 38×52.5

		
"岐阜罹災之統計略表
岐阜市戸数 六千○三十五戸
同焼失戸数 二千二百三十五戸
家屋全潰  千九百戸
同 半潰  三千九百十六戸
岐阜市人口 三万二千百十余人
死亡人口  二百五十人
負傷者 九百人
定価三銭五厘
岐阜市街全図
{袖}明治二十四年十月三十日印刷 岐阜市白木町百八番戸寄留同年十一月五日出版  著作兼発行印刷者長瀬寛二 "		

地震 N118

地口十一種(仮)

不明 14×40

		
"ばたばた文して申上まいらせ候すぎし
二日の初会(しよくわい)よりゆりゆりと御免に
がたり家蔵こハし幾地のうへ
ばなしわたしが田町以打(うち)あかし
衣紋(ゑもん)づづみのほれこんで旦那(だんな)の
手まへ■かミ様のるすを付こみ
ぐらぐらと十月一はいかよひつめ
まいらせ候へどもおまゑハ狐(きつね)に
馬道で逃(にげ)かくれたり野宿(のじゆく)をなされ
大道中へ伏(ふし)ミ丁どつちの角(すミ)丁たづね
ても私(わたし)がゆると逃るのハ鯰(なまづ)るい身の
妨らぐらと御さげすミもあらん
なれど水道尻(すいどうじり)をあび候江戸ツ丁にハなく
候へ共かしまでハ名を揚屋(あげや)丁きのふ
京町さとなれて地もぐりぶしのふるひ
声(こへ)をだしまいらせ候へバかたい石垣(がき)蔵(くら)の
壁(かべ)鬼(おに)のやうなる瓦(かハら)まで落(おつこち)に成(なり)候に
御まへ様ハつれなき御事ばかり烏(からす)の
仲の丁ハあれどわするる隙(ひま)ハ御ざなく候ゆへ
火事のやうに燃立(もえたつ)おもひけし度候まま
土蔵(どぞ)土蔵こしまき迄御取崩(とりくづ)し被成色(いろ)よき
御返事ねかひまいらせ候なまづハぐわらぐわら
ゆり度おかしく
けふし
おきのどく様
まいる
なま
より
御ごたごたとの御文ミるのもいやに
おはしまし候なれどはいしよまいらせ候
せんしハにくふぞくふぞばたくさと
御ゆらせミなミなおそれ入江丁ニ候まま
もふもふぢしんに御ゆらせハ永代よし
岡(おか)丁になされ度おたびの人の
其病(そのくせ)にわる鯰(なまづ)るく弁天(べてん)して初会(しよくわい)の
晩(ばん)から安宅(あたけ)だしお屋しきさんの
やぐら下(した)鐘(かね)つき堂(どう)宮(ミや)破(こわ)したり
多(おお)くの人中はぢもせずゆすり
がたりの性悪(しやうわる)を聞(きい)てとむねを佃(つくだ)丁
どこの二階(かい)へゆるふともじやまの
宿(しゆく)にされなんすわづかばかりの花(はな)
川戸まけバぢまんで世直(よなを)しと
下付合がよいゆへに焚付(たきつけ)られて
燃(もへ)あがり焼(やけ)ぼつくひにて
御かよひ被成候ても神々(かミかミ)様(さま)や
聖天(せうでん)町田丁にござる法印(ほういん)さん
お守(まもり)お札(ふだ)でばちを的(あて)ふうじこめ
まいらせ候まま要(かなめ)さんの下に尾鰭(をひれ)を縮(ちぢめ)
堅(かたく)しんぼうなされくどふもくどふも此すへ共
かならず御ゆらせなきやう神かけ
ねんじまいらせ候これでいよいよ
めで度かしく
■しき
なまさんへ
おととひござれ
万代屋内
ゆたか"		

地震 N119

万歳楽鯰大奇

不明 18.5×10.5

		
万歳(まんざい)楽(らく)鯰(ねん)大奇(だいき)		

地震 N120

新板改正大平武鑑

不明 19.5×25

		
"新板改正大平武官
{上段}町平家 本国武蔵
清和火用心性
大食冠釜元之後
胤火用心四郎触
次之嫡男龍越次
郎水張之十三代
玄蕃頭汲為郷之
長男桶次(ヲケツグ)玄蕃頭―
―桶増(ヲケマス)入道龍吐斎―
―女子番野守之進室
―桶盛(ヲケモリ)大炊頭―
―桶置(ヲケヲキ)―
―女子引摺竹之丞室
―桶数(ヲケカツ) 長門守―
―桶重(ヲケンケ) 安芸守―
―女子樽野黒太夫室
―桶高(オケクカウ) 三十郎丸―
{中段}上かじなし御門外
粥少将
町平安気守触吉
嘉永五子年 家徳
御内室室町殿詰元郷御娘
進上
家毎ニ
札一枚つつ
十月一日
御着
拝領
昼夜の
御菓子
四月一日
御暇
参府御暇之節上使番太郎
{指物の説明}
二本とも
本ミつき
金棒先ニ並
押
駕
御嫡
町平安藤丸
御内室柏子木合図打次之御娘
{指物の説明}
鉄うるしかけ
本太刀銅巻
つるべの
ふろふろ
押
駕
時献上
寒中池田炭
桜炭
粥之一ト鍋
堅餅
盆盛落鳫
干菓子一ト袋
地主代金店々菓子料金一包
纏
{下に図有り}
{下段}御苦老
室町誥右エ門
▲通町詰太夫
▲家守五九郎
店野番左エ門
番野助之進
店番増太夫
▲草引太郎左エ門火用心
▲天水桶之進
▲龍野越次郎
▲水野 幟
金棒鉄之進
▲松火林右エ門
割太竹太夫
桶野水右エ門
時廻隼人
火事野内紀
▲日比野厳重郎
番野長門
時廻安芸
御用心
火鉢大炭
御町使
▲自身番太夫
▲金野入ル兵衛
妙政事派 万年山 太平寺
高拾万八百八町余江土一円制之 道法江戸ヨリ四方
八百里余
明暦三酉年正月江戸大火以来百七年目ニ当り明和
九辰年二月十九日目黒行人坂ヨリ大火又三十年其
後文化三寅年三月四日高輪ヨリ大火又二十四年後
文政十二丑年三月二十一日佐久間町ヨリ出火又六年天
保五午年同所ヨリ出火又十三年目弘化三午年本
郷丸山ヨリ大火当時嘉永五子年安気守触吉以後
代々禁之
中屋敷 ○うら路次番丁 ○あきゆ定番 "		

地震 N121

新板改正大平武鑑

不明 30×39

		
{文章無し} 		

地震 N122

歌舞伎引札見立の地震戯詞(仮)

不明 35×46.5

		
"地震(ちしん)ハ
亥刻過(ゐのこくすき)にして
諸方潰(しよほうつぶれ)る
十月二日(しうぐわつふつか)
出火(しゆつくハ)ハ
三十余所(よしよ)にて
諸口静(しよくちしづる)る
翌朝三日(よくちやうミつか)
士(し) 歩(ぶ)を引上(ひきあげ)る大名方(だいめうかた)ハ是(これ)も袋(ふくろ)の御弓町(おゆミてう)
農(のう) 米(こめ)を取出(とりだ)す大施行(おほセぎやう)ハ是(これ)も貢(ミつぎ)の田原町(たハらまち)
喜怒(きど)愛楽(あいらく) 四民種(よつのたみくさ)
工(こう) 人(ひと)をあつめる大帳場(おほちやうば)ハ是(これ)も出入(でいり)の大工町(だいくてう)
商(しやう) 山(やま)をきり出(だ)す
大筏(おほ■■)ハ是(これ)も本途(■と)の材木町(ざいもくてう)
賜天御救栄(てんよりたまふおすくひのさかへ)
高天座石御代礎(たかまくらみよのいしすへ)
御小屋五箇所
当テル十月二日より
道行亥刻消火把農(ひけしふんゆめのふること)
第一番にもへ出し申候
江東焼三郎沢の井ゆめ三郎
秋元連中
割竹鉄棒にて
相勤申候
焼人替名
{役名省略}
このもの前勘定め
加里落座 "		

地震 N123

見立町鑑大地しん

不明 41×31

		
"見立町鑑大地しん 行司 火事ノ出たこくげんハ四ッ谷
ミなミなのじくヲするが町 勧進元 三ヶ所へ御小屋ハ橘町
銭ハいづくも内藤新宿
{東の方}所しきハ 残らづ高なハ
金持ノ顔ハいづれも青山
をきテいる 人の目ハ赤ぎ
あちこちへ 火事ハとび沢町
早桶の 替りハ田原町
をスくい米が おルだろふト云神田{以下略}
{西の方}
世界の人ハ みなみな根津
お職の 手間ハ揚や町
八百万の 神々ハ出雲町
渡世の 休ハ三すじ町
職人の はんでうハ大工町
町々通ハ 凸凹の久保町
{以下略}   "		

地震 N124

地震出火細見記(仮)

不明 18×12

		
"{袋 表紙}
江戸四里四方
近郷近在
地震出火細見記
五街道"		

		
"{一}男女死人怪我人惣高
ここに西の久保神谷丁
のものなるよし年の
ころ二十七八の女当才の
子と三四才の子両のわきの下口へ
かかへ天徳寺はかばの地上ほり
おのれも子供も其穴へ顔をおしいれ
死いたり其ものをしる人見付その
おつとニつげ引取女ながらも
よくごよく死でも
かおさへやけたたれ
すバ犬死なるまじと
さつそくの■■■([虫喰])
地をほり■■ニ
うづめたるハげニあわれ
なる事どもなり
一番組
土蔵
二十三ケ所
つぶれ家
百三十三けん
日本橋北品川町外もより丁々
変死人 男女 九十六人
怪我人 同 二十四人
名まへしれづ 同 八十九人
二番組
同
八十七ケ所
同
百八十九けん
堀江町外もより町々
変死人 男女 八十六人
怪我人 同 七十五人
名まへしれづ 同 百三十八人
三番組
同
四十一ケ所
同
百十七けん
浅草平右衛門町外もより町々
変死人 男女 五百七十八人
怪我人 同 二百七十一人
名まへしれづ 同 八百十八人
男女■■■のもの十二人
同
土蔵
家
つぶれ
少々
日本橋南外もより町々
変死人 男女 十七人
怪我人 同 五人
名まへしれづ 同 百三人
四番組
土蔵
家
五十三けん
呉服町外もより町々
変死人 男女 二十九人
怪我人 同 二十人
名まへしれづ 同 五百十七人
女ハなし
五番組
土蔵
八ケ所
つぶれ家
七十けん
鈴本町外もより町々
変死人 男女 三十八人
怪我人  五十四人
名まへしれづ 五人
"		

		
"{二}六番組
土蔵
六ケ所
つぶれ家
七けん
新橋与作屋敷外もより町々
変死人 男女 五人
怪我人 同 十九人
名まへしれづ 同 五十四人
七番組
同
六十八ケ所
同
百五十六けん
霊岸島八丁堀もより町々
変死人 男女 六十五人
怪我人 同 八十七人
名まへしれづ 同 四十九人
八番組
同
六十四ケ所
同
四百九十四けん
芝兼房町もより町々
変死人 男女 八十一人
怪我人 同 四十一人
名まへしれづ 同 二百八人
九番組
同
百一ケ所
同
百十六けん
芝金杉もより町々
変死人 男女 七人
怪我人 同 十二人
名まへしれづ 同 十六人
十番組
土蔵
二十ケ所
つふれ家
二十九けん
麻布谷町もより町々
変死人 男女 十八人
怪我人 同 八人
名まへしれづ 同 七十五人
十一番組
同
三十四ケ所
同
百七十二けん
神田蝋燭町もより町々
変死人 男女 七十五人
怪我人 同 六十五人
名まへしれづ 同 五十一人
十二番組
土蔵
六ケ所
つふれ家
六十七けん
神田佐久間町もより
変死人 男女 二十四人
怪我人 同 二十一人
名まへしれづ 同 七人
十三番組
土蔵
百四十一ケ所
つぶれ家
千五百けん
神田明神下湯島下谷
変死人 男女 三百六十二人
怪我人 同 百九十九人
名まへしれづ 同 八百三十人
十四番組
土蔵
十九ケ所
つぶれ家
七百七けん
本郷兼坂小石川辺
変死人 男女 四十二人
怪我人 同 五十六人
名まへしれづ 同 三十一人
十五番組
同
四十一ケ所
同
五百三十七けん
小日向水道町■■([虫喰])麹町赤坂
変死人 男女 七十九人
怪我人 同 百二十三人
名まへしれづ 同 千四百八十一人
十六番組
土蔵
百二十一ケ所
つふれ家
二千三百八けん
本所尾上町堅川通町々
変死人 男女 三百八十四人
怪我人 同 三百九十二人
名まへしれづ 同 千三百四人
十七番組
同
七百九十ケ所
同
二千七百五けん
深川一円外もより町々
変死人 男女 千百八十七人
怪我人 同 九百三十二人
名まへしれづ 同 八千七百人"		

		
"{三}地しんのゆへ
下方こそわ銭もふけ
末ハ安政二なるぞ大平
さまさまの
お客もあれど
そのなかに地しんと
しんじうこれハ初■■
地しんさん
うゑからすれバよいものを
したからしてわ
あとがたいへん
かしまから
ふれ事もまた出しながら
じしんにきてわ
とんだめいわく
しんぱん三十六歌仙
御上より御救ニ小屋御立
被下置候其場所
幸橋御門外
浅草広小路
深川海辺新田
同八幡地内
上野御山下
宮様御救小屋同所山下
天地天わう
あき店のないので
みんなそれそれニ
もよりもよりで小やニ
いりつつ
じとう天わう
あるくにもてあし
ふるへめわまハる
わがからだにハあせを
かくらむ
かき本人丸
あしよハがたすけ
くれろとたのめ
ども命ほしさに
人わかまわん
山べ赤人
どこのうらも一どニ
家わつぶれだし
こへも高ねで
外へにげつつ
はる丸太夫
奥さまハもみじ引つれ
おたちのき
にげゆく時の
なくぞかなしき
中納ごんやかもち
かがさまが一手で
本ごううら通り
のこるをミれば
よく■■ニけり
きせん法し
わが家ハ土蔵のとなり
しかもすむよふ
つぶれたと
人ハゆふなり
小のの小町
はだしにてあわてニ
けりな女郎
たちゆききの
人がなかめせしまニ
{天に異筆}助右衛門安政二卯年江戸十一月二十六日"		

		
"{四}せみ丸
これだけの地しんも
しらず大ねぼう
しりもしないで
大かたのせつ
中納言ゆき平
立のままにげるも
みんな地しんゆへ
おちつくとき寺
又かへりこん
西行法し
なげきつつつきやわ
うすをころ
ばせるあぶなそうなる
わが子供かな
中納こんやかもち
浅草の芝居町より
花川戸ひろき
をみれバよる
やけニける
前大僧上行そん
もろともにあわれと
おもへやけ死人
あなよりほかに
ゆく所ハなし
やうぜいゐん
つくばいてにげる
さきより
もへいだしからだハ
こげて黒くなりぬる
そせい法し
今に又ゆると
ばかりニ人々が
のじくしてこそ
まちいづるかな
参ぎ高むら
かかアのはらのりし
地しんわよけれ
どもひじしんで■
きんがつりふね
大江ノ千里
やけぬれバ日々に
ものこそたらぬ
なりわが身一人の
事にハあらねど
源むね行あそん
■の年ハまこときびしく
ゆられける
人もわが身も
死とおもへば
かわらの左大臣
道なかの死人を
きけバわがおつと
みれバをそろし
われならなくに
藤原道のぶあそん
あけぬれバくれる
六ツまでかせぎため
此地しんにて元の
もくあみ
清原深やぶ
あすの夜わ又夜ハ
から自身ばん
女ほのとこへたが
やどるらん
けん徳公
あわれともいうべき
とこわ五丁町
きやくも女郎も
しぬるべきかな
のふいん法し
あらし吹西風つよく
もへ上りすミ田の
川も火のこ
なりけり
大弐ノ三位
あたご山地しんの
ときハひどり
なふ御堂のばんハ
こわいめをする"		

		
"{五}権中納言定より
あさつからひや酒を
のミあと引も
わがおつこちが
死んだやけのみ
右大将道つな母
なげきつつ一人のこりし
女ぼうが
わしがていしハ
どこで死ニつつ
源かね政
あわしまのきうの
ゑぼいもうち
わすれわがからだ
をバ火ぶくれとなる
権中納言定家
まつ人ハやけても
みへす此うらみ
やけらむしゆうに
身をこがれつつ
道いん法し
おもいわびわても
命ハなき物と
どうぐをすてて
なミたなりけり
清正納言
夜をふかしとりの
なく迄したく
して又地しんかと
心ゆるさず
藤原清介
なさけなや千住も
こつも大つぶれ
やけたる所を
みるぞかなしき
紀ノ友のり
おやかたのしかりも
つよくねづのばん
さもしだらなく
はらのへるらん
かんけ
此たびハかめハこわれる
かんわなし天水
おけがこしの
まにあい
法生寺入道
やけの原たちうり
みれバなさけ
なや右もひたりも
土蔵くづれて
三条うたいじん
なにしおふ深川辺ハ
おお大火人の
死がいのある
よしもかな
じゆん徳いん
もも引もはかづ
はだかで
はい出しあまりに
ひどき地しんなりけり
江戸町数五千三百七十余ケ町ただし三十六一りニして百四十九りト六丁也此たび地しんに
いたみ候土蔵数御大名様一万四千五百八十七とまへ也▲御はた本様十五万七百
四十九とまへ御家人衆二万四千五百四十八とまへ▲寺院宮共五千八百十八とまへ
町方やけたる土蔵とも十二万五千六百九十六也▲吉原町土蔵四百六十とまへ一ツも
残らズやける惣〆土蔵数三十二万千八百五十八とまへ也出火三十七ケ所御やき方
六十一軒やける町諸々〆百二十六丁やける也新吉原町大ミせ小ミせ遊女三千六百
七十四人かむろ子百六十八人切ミせ女二百六十九人やりて女百十七人女げいしや百三十
七人茶や女四百五十人しろうとや女共〆七千四百七十一人男二千六百五十人
死人千三百七十人余其外諸々死人男女三万五千四百九十余人也めいさひニ■
{奥に}スナ一サ■([欠損])
"		

		
"{六}すハ踏消(ふミけ)せと下知(げじ)なせバ子分(こぶん)の勇士等(ゆうしら)鳶口(とびぐち)の鎗(やり)りうりうと打(うち)しごき
家(や)の棟(むね)二階(にかい)に飛上(とびあが)り火勢(ひせい)の中(なか)に踊入(おどりい)り家根板瓦(やねいたかハら)のきらいなくひき掴(つかん)でハ
投散(なげちら)しさす股(また)取(とつ)て押(おし)たをし爰(ここ)を先途(せんど)と防(ふせ)ぐにぞさしも火(ひ)の手(て)の盛(さか)んなる
萌高勢(もへこうぜい)もへきゑきしてすこし下火(したび)と見(ミ)へたるにぞ火消(ひけし)の群勢(くんせい)一同(いちどう)に此図(このづ)をはづ
さず揉(もミ)けせと水鉄炮(ミづでつほう)を井戸端(ゐどばた)のつるべかけて打放(うちはな)せバ風(かぜ)に火(ひ)の粉(こ)のちる如(ごと)く
ばらばらばつと消(きへ)かかるされども火(ひ)の手(て)ハ諸方(しよはう)に別(わか)れ全(まつた)く消(きへ)るにいたらぬ所(ところ)へ
萌高(もへたか)が後詰(ごづめ)の味方(ミかた)早手旋風(はやてつむじ)の頭巻揚(かミまきあげ)ハかねて期(ご)したることなれバ火(ひ)の手(て)薄(うす)
きと見(ミ)るよりも地中(ちちう)に隠(かく)せし伏勢(ふせぜい)を一度(いちど)にどつと吹起(ふきおこ)らせ戸障子(としやうじ)ふすまの
楯(たて)を飛(とバ)し荷物(にもつ)も人(ひと)も虚空(こくう)にまきあげ礫(つぶて)にとつて投(なげ)おろせバ敵(てき)の火(ひ)の手(て)ハ
盛(さか)んなり火先(ひさき)尻火(しりび)のきらひなく四角八面(しかくはちめん)に焼立(やきたつ)れバ味方(ミかた)ハ是(これ)にもてあまし
防(ふせ)ぐ手立(てだて)もあら気(き)の諸勢(しよぜい)十方(とほう)にくれて茫然(ぼうぜん)と家(いへ)も土蔵(どぞう)も灰軍(はいぐん)と
見(ミ)へたる折(をり)しも旋風(つむじ)の頭(かミ)が旗下(はたした)の大将(たいしやう)たる風並薙(かぜなミなぎ)の助静丸(すけしづまる)が心変(こころがハ)
りの裏切(うらぎり)に火消(ひけし)の勢(せい)ハもりかへし此処彼処(ここかしこ)にて消口(けしくち)の分捕(ぶんどり)功名手柄(こうミやうてがら)
をあらハし終(つひ)に火(ひ)の手(て)を残(のこ)りなく消亡(けしほろぼ)して一同(いちどう)に勝鬨(かちどき)の声(こゑ)いさましく
焼野(やけの)が原(はら)に陣(ぢん)をとり又(また)もや火勢(ひせい)の消(けし)もらされがおこらん事(こと)もはかり
がたしと水(ミづ)の手(て)の用意(ようい)をなしほとぼりさまして引揚(ひきあげ)たりさる程(ほど)に焼野(やけの)
が原(はら)にハ戸障子(としやうじ)畳(たたミ) 建具(たてぐ)をもつて俄(にハか)に仮家(かりや)の陣(ぢん)をしつらひ番兵(ばんへい)非(ひ)
常(じやう)の用心(ようじん)きびしくもへさしの篝(かゞり)を焚(たい)て昼夜(ちうや)見(ミ)まハりおこたりなく猶(なほ)この
度(たび)の戦場(せんじやう)に重手(おもで)を負(おひ)たる貧窮勢(ひんきうぜい)ハ尾透井小屋(おすくゐこや)の頭(かミ)慈悲成(じひなり)が陣(ぢん)
におくりて介抱手当(かいほうてあて)なほざりならねバ困窮(こんきう)の諸勢(しよぜい)日照(ひでり)に雨(あめ)を得(え)たる如(ごと)く九(きう)
死(し)を出(いで)て一生(いつしやう)を保(たも)つ恵(めぐ)ミの年(とし)の関(せき)難(なん)なく越(こえ)てあら玉(たま)のめでたき
春(はる)を迎(むか)へけるめでたしめでたし
焼原合戦終
{複数資料混在に付き、タイトルに(仮)を付けた} "		

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