風雷水害



風雷水害 N001

富士山出水之図

天保5年(1834) 36.5×48.5

		
"富士(ふじ)山出水(しゆつすゐ)之図(づ)
天保五年甲午四月
七日夜より駿河(するが)の国(くに)
富士郡(ふじごほり)のほとり殊(こと)の外(ほか)
大雨(あめ)降(ふり)出し同八日益(ますます)
大風雨(ふうう)にて午の刻(こく)ごろ
より不二(ふじ)山震動(しんどう)いたし
頻(しきり)に暴雨(ばうう)滝(たき)のごとく
不二の半腹(はんふく)五合
目あたりより
雪解水(ゆきげミづ)
一度(いちど)にどつと
押(おし)出(いた)し萱野(かやの)
にて水筋(すぢ)三道(たう)に
相(あひ)分(わか)れ一筋の水巾(はば)
凡(およそ) 半里(はんり)ほどづつ有之皆(ミな)
泥水(どろミづ)にて裾野(すその)村々(むらむら)へおし
出(いだ)し未刻(ひつじのこく)ごろにハ水勢(ミづぜい)
いよいよ盛(さか)んになり小山の如(ごと)く
なる大浪(なミ)打(うち)来(きた)りて裾野(すその)の在家(さいけ)
村々の建家(たちいへ)皆(ミな)押(おし)流(なが)し老若(らうにやく)
男女(なんによ)のともがら家(いへ)の棟(むね)に取付(とりつき)
或(あるひ)ハ木の枝(えだ)にすがり付(つき)などして
声(こゑ)を限(かぎ)りに泣(なき)喚(さけ)ぶ牛馬(きうば)などハ繋(つなぎ)し
侭(まま)に流(なが)れ来(きた)り溺死(できし)する者その
数(かず)をしらず既(すで)に大宮(ミや)の町並(まちなミ)家(いへ)
毎(ごと)に残(のこ)らず流(なが)れ富士(ふじ)御林(おはやし)の諸木(しよぼく)
長(なが)さ二丈三丈差(さし)わたし四五尺ほどづつも有(ある)大木
根(ね)こぎになりて流(なが)れ来(きた)り巌石(がんぜき)を転(まろば)し小石を
降(ふら) ■([虫喰]) 震動(しんどう)雷電(らいでん)おびただしく今や天地(ち)も反覆(はんふく)
するかとおそろしく流(なが)るる男(なん)女の泣(なき)さけぶ声(こゑ)す
地獄(ぢごく)の呵嘖(かしやく)に異(こと)ならず都(すべ)て死人(しにん)おびたたしく
水筋(ミづすぢ)流(なが)れし通(とほり)ハ七八里其巾(そのはば)の広(ひろ)さは三里
に余(あま)り彼是(かれこれ)十二三里か間(あいだ) 々(びやうびやう)たる荒地(あれち)となりぬ
斯(かか)るめづらしき事(こと)ハまた有べくともおぼえず
終(つひ)に一紙(いつし)にしたためて後世(こうぜい)に残(のこ)ししらしむるのミ "		

風雷水害 N002

関東筋川々洪水(仮)

弘化3年(1846) 23×60

		
"弘化三丙午五月下旬より七月上旬まて関東筋川々洪水
別て上州野州ハ日夜なり時に坂東第一の大川坂東太郎
大利根川洪水前代未聞なり其水元を尋るに上州の
高山谷々より押出し川俣辺より忍行田川筋ハ栗橋
中田古河関宿堤権現堂内川樋口松戸流山中川
二合半谷きり半田亀井戸東川筋木下風布さ布川取手
幸崎なめ川佐原十六しまてかしま平一面銚子川口大海
落る東西七十里なり北ハ野州常州高山谷々より緒川辺
北浦西浦霞ケうら平一面なり南北二十里余也又秩父
川越辺荒川戸田川隅田川大川へ落る抑権現堂堤ハ大
丈夫にして坂東一の大土手なり江戸ヨリ陸十三里余也川通りハ
二十一里ヨ乍恐御郡代御用屋敷にて品々御手当被下置其上
馬喰町四ケ丁並御府内旅人宿へ御用宿一万余人被仰付候事
難有御仁徳程申も中々恐ありあまりありかたき事ゆへ
一紙につつる也
{袖}♯印出水之所 "		

風雷水害 N003

雷神場所付

嘉永1年(1848) 35.5×55.5

		
"雷神場所付
{右下枠内}夫天地不時の変どふハ陰陽あいたいして
混するゆへ陽気いんにつつまれて地に入て
地しんとなる陰気のこり陽にさそハれて
天に昇りて雷となりて音をはつす是等ハ
ミな豊年のきさし也時に嘉永 年戌八月
八日の雷ハ江戸表をはじめ関八州其外国々共ニ
らいでんはたらきしおびただしく稲妻大地ヲつき
ぬくごとく光りかがやき女子供ハおそれさわぐといへ
どもじつハ出来始のは入よしとぞおもハれける抑
雷ハ陽徳なれバ陰気を払ひ邪気をさんずる
此故に田畑に生ずる五こくハ更也もろもろのやさい又ハ
なりくだ物にいたる迄熟してミのりよしとかやされバ
此秋天幸ひを万民に下し給ふ所なれバ喜びの下りし
場所を小紙にしるして豊年をつぐるもの也
鳴神御下り場所
一日本ばしくぎ店 一同元大工丁 一京ばし五良兵衛丁 一尾はり丁 一芝口三丁目 一ろふげつ丁 一宇田川丁うら通 一つきぢ 一柴井丁うミ手 一神明丁うミ手 一かハらけ丁 一もりもと 一あたごした 一青松寺山 一天とくじ 一芝まつ本丁 ○此所天ぐいしや 一赤ばね 一七まがり 一白金台町 一伊皿子樹木谷 一ふる川 一はま丁
一麻布百姓町 一同ひろを 一青山二十ヶ所 一牛込二ヶ所 一小石川二ヶ所 一内一ケ所ハらいぢう御屋敷ニて生取 一赤坂よしなき坂上 一神田多町 一いづミばし向 一下谷二ケ所 一ゆしま 一妻乞坂上 一本郷元町 一四ッ谷菊川丁
一浅草もりした 一せいげんじ 一本所竪川三ケ所 一同きく川丁 一同石原二ケ所 一うまや堀此所ニてもらいぢうをからめとる也 一深川きた川丁 一同六けん堀柳川丁 一同ごぢんが原二ケ所 一番丁へ九ヶ所 一飯田町 一同中坂此所雷獣をとりおさへしが逃した■一権田ばら 一八丁ぼり 一霊かん橋かやば丁 一千駄がや
 一浮田雷火にて少々やける 一品川の海沖中へ三ヶ所 一船堀二ケ所
〆百二ケ所
かくのことくなれとも人民にけがなきも太平
の御■とくと忠孝のいたす所也 千秋万歳万歳   "		

風雷水害 N004

岡山城下の水害(仮)

嘉永3年(1850) 23×58

		
"頃ハ嘉永三年戌五月二十七日の朝より雨ふり出せし所次第ニ大ぶりに成すこしのをやミもなく
毎日毎日雨雲おおひかぶさりただまつくらに相成更によるひるのわかちもなくまことに天照
大神■■の岩戸にかくれ玉いしもかくやとばかり諸人おどろきおそるる所ニ二十八日の夕
方大風吹きたるひとしくふりくる雨ハなをつよく大ぼくを残し人家をそこなふことおび
ただしく其雨のふとさ三寸廻りにして鉄の棒のふりきたる勢ひなれバいつ止べきとも思ハざる
所に六月三日朝五ツ時やうやう雨風しづまり人々安堵いたしはじめて天日をはいし奉る有難こと
よろこびいるにこハいかにやなりしんどう天地も一度に鳴響(なりひび)くおとの聞ゆるやいなや酒津川の
土手一時ニきれて押くる水せいすさまじく高なミ空につかへくら舗帯江ミしませのを迄一口ハ
ふく島より松島通り条ぐひせのを迄又一ト口ハ天城沖新田おびへ新田茶や丁出島新田鰭の尾まで三
口の大水せのをに押くる程に人民の損すること幾万人と■数をしらす親ハ子をたづね子ハ親を
思ひつまハ夫トをしたひて日高山ニ逃のぼりて命を助■ものハ誠ニはづかなりとかや又岡山御城下より
ミかど庭瀬平の白石大工村出水致すといへどもただゆか上へ上りし計ニて人家等ニささハりなし
酒津川の洪水三日の朝より十三日迄少しも水の引ことなし十四日より引出して十六日ニハ往来も
いできことに天気もはれ渡りややおだやかに成りけれハ人々よろこびいさむこと先日に十ばいし如斯
大水すみやかに引しこと幾重の御仁徳による所と猶々上をうやまひ奉りける此一條他国ニうつり住
玉ふ人々にしら■親兄弟しん類等のミ■つつはやくあんひをたづぬべし親ハ子をあハれミ
子ハ親にあんしんさすへきこと第一也小紙に
しるして孝道の
はしをすすめ
奉るなり "		

風雷水害 N005

安芸国大水図

嘉永3年(1850) 23×29.5

		
"嘉永三年戌年六月二日より五日迄
安芸国大水図
二日より
五日まで
海水引
ことなく
毎日大汐
の如し
御家老
浅野孫左衛門様○上田水主様
右御両人御さしづニて
郡奉行
石井主計様○間宮四平様○小田刈大学様
松原の土手をふせがるるに土俵まに合ざる故米俵
にてふせき給ふ誠ニそく妙の御はからいヲ国守に被申候
よろこびあんどいたしける"		

風雷水害 N006

落雷(仮)

嘉永3年(1850) 23×59

		
"夫天地不時の変動ハ
陰陽混じてげきする也
地にいれバ動いて地
震をなすてんに
ある時ハ雷音を
はつすとか
や頃ハ嘉永
三年戌の
八月
八日の夜江戸表
国々ともに
雷のなることおびただ
しくいなびかりハ
大地にも入べくかがやきわたりげに出来秋のミ入
よしとぞおもわれける又雷ハよう気のはつする
所にして陰気をはらひ邪気をさんずるがゆへに田畑
に生ずる五こくハさら也もろもろのやさい物又ハなりくだ物
にいたるまでよく熟してミのりよしとかやされバ天幸ひ
を万民に下し玉ふ所なれバ幸ひの下りし場所を小細しるす
鳴神御下り場所
●日本ばしくぎ店●もと大工丁●尾はり丁
●芝口三丁目●うだ川丁裏通●つきぢ
●神明丁うミ手●西久ぼ尾町
●西久ほ森本
●あたごした
●青松寺山
●本所うまや堀 此所にてらい獣いけ取て今に有
●芝松本丁
●赤ばね
●七まかり
●白かねたい丁●ふなほり●柴井丁海手
●麻ふ広尾二ケ所●品川沖三ケ所●青山二ケ所
●神田多丁●いつミ橋向●下谷二ケ所
●ゆしま●妻ごひ坂上●本郷元町
●ごちんが原二ケ所●番丁九ケ所●小石川二ケ所
●いいたまち●青山久ほ町●本所竪川三ケ所
●権田はら
●霊かん橋茅ば丁
●ふか川北川丁
●同六けん堀柳川丁
惣〆五十四ケ所余
右之通ニ候得共人々ニけが
なきハ全く神国の御
いとく也万々歳目出度一條々々 "		

風雷水害 N007

江戸大雨風大津浪出火

安政3年(1856) 36×48

		
"東海道遠州路より武州一円出羽奥州蝦夷松前 江戸大雨風大津浪出火
当月二十五日夜五ツ時より沖合鳴出し大雨風雷それより
津なみ洪水となり大川筋へ大小のふねこみ上ケ川はた
家々つきくづし水おかへ込上死人けが人数しれず疾風
ふき落し土へい長屋向内町とも大半つぶれ御
屋舗御てんつぶれ築地御とうくづれ永代はし落
本所深川鉄砲洲芝品川津なミに大そんじ
町家汐あげ大あれ死人けが人おひただしく芝
片門前一丁目より出火となり増上寺表もん通り
七けん丁神明丁西がハのこらず神明けいだい少々凡
四五丁計焼新よし原少々やける千じゆ四丁目
やけるすべて二十丁ばかりやけ失二十六日朝六ツ
時やうやうしづまり前代未もんの大あれ
東海道筋 遠州浜松より海へん
小田原 鎌くら 平塚 藤沢 戸つか
程がや 此辺江戸同やうの大あれ
奥州 南部 仙台 しほがま
へんつなミ大ぢしん大あれ
出羽 庄内御城下 久保田海へん
大地しん大あれ人多くそんじる
津軽(つかる)御領内 青森 川内 大浜
佐井 三馬屋 小泊 弁天しま
すへて此へん八月十九日より大ぢしんゆりだし二十三日
はなハだしくことさら青もりハ沖中水そこよりどろ
ふきあげ地かたハ三尺余ゆりあげ津なミもそのたび
ことに込あげ其たび其たび人の死亡ありて凡千人余
もありける人数しれず尤家くらでんちでんは
た大あれ大そんじ目もあてられぬありさま也
ゑぞ 松前
尚またゑぞ辺は別して大ぢしん津なミ
大あれすべく此度ハ昨年より格別の大変
にして筆紙につくしがたく先大略を記スのミ
{袖}安政三辰八月二十五日夜戌ノ刻より明二十六日卯之下刻鎮ル本しらべ "		

風雷水害 N008

大風雨出水損場所之図

安政3年(1856) 36×64.5

		
"安政三辰八月二十五日大風雨出水損場所之図
松柏(せうはく)くだけて薪(たきき)となり桑田(そうてん)変(へん)じて海(うみ)となるといふまことなるかな頃ハ安政三辰の八月
数日小雨ふりつづきしが二十五日の夜五ッ半時ごろにわかに雷鳴しついに大風雨となり
大石を飛し大木を吹ちらしかわらをおとし家根を吹破その音百万のいかづちの如
く雨はあだかも小石を打つけるが如し諸人おそれかなしむ顔色皆死たるもののごとし
まことに前代未聞(ぜんだいミもん)の大あれ也先日本橋より北ハ内神田外神田大ニ損し夫より
御成道筋下谷辺大ニ損じ上野御山内格別の事なし又坂本辺より出火して新吉
原へ飛火し遊女屋三十三軒その外残らすやける浅草観世音無事花川戸山の
宿聖天丁今戸町山川丁遊女屋仮宅大ニ損じ夫より芝居町三座其外共大
そんじ南北馬道少々そんじ切見せいたむ又橋辺南千住とも大水出て人家を押し流し大橋
少々いたむ竹の塚草加越ケ谷粕かべ杉戸幸手くりはし出水にて所々家損る又浅
草東御門跡家根少々いたみ水屋つぶれるきくや橋新堀寺院方大ニいたむ田原町
広小路辺遊女屋仮宅大ニ損じ夫より並木町通り御蔵前八まん不動つつがなし御厩
河岸大船小舟二十五そう打上がる天王町ゑんま堂家根少々損じ瓦町かや丁福井丁
平右衛門丁此辺うらうら大ニそんじる東ハ茅場丁竹島丁少々のそんし九鬼様表御門長
家大崩れ八丁堀霊がん島此辺所々ニ崩れ家多し新川新堀少々いたミ永代橋大
船を打付一ケ所ハ大ニくぼミ一ケ所ハ切れ落往来留る但シ橋のおちたるをおしへる人あり
といえ共先へゆきし人のかへらぬゆへ渡れる事とおもひくらまぎれにわれをわすれ
おちし者あまたありといふ又永代だんごの後へ二百五十石積の大船打上る高尾茶
屋の前へ茶舟二そう打上る箱崎田安様表長家つぶれ浜丁三河様御屋
敷少々いたミ茶舟八そう小舟三ぞう打上る辻番崩れる大川端安藤様御
上屋敷大ニいたミ三百五十石積明神丸と云大船崩れともばかり打ちあける
高橋崩れ橋枕三本此所へ上るすべて此辺の御屋しきがた大ニいたミ大橋迄
大ちや舟二十そう小舟五六そう材木角物等あまた打上る川ばたのだん
ご茶屋残らず流す大橋つつがなし向ハ御船蔵三ケ所こわれあたけ
三ッ井長家三の亀仮家大ニそんじる此辺所々いたみ多し又二ッ目より立川通り
亀沢丁割下水近辺吉岡丁吉田丁切見世大ニそんじる亀井戸押上五百らかん
柳島小梅松戸この辺大水にて大ニそんじる又永代橋向ハ深川佐賀丁松川丁蛤
町熊井町此辺川岸通り納屋大ニ崩れる仲町金沢や大野や白木や佐野づちや四軒
とも崩るその外遊女屋仮宅大ニそんじる八幡社内弁天開帳小屋大江生人形小屋
ことごとくつぶれ八まんうら門近辺出水四尺程上る網打場切見世三棟ともつぶれる三十三間堂
木場大水にて材木大ニ流すすさき大船小舟打上る破船その数しれず仙台堀御蔵屋
敷表長家大ニ崩る清住丁海辺大工丁少々崩れ寺町寺院大ニいたむ常盤丁切見世大ニそんじ
森下丁みろく寺まへ出水ニていたむ扇橋向入江丁仮宅大ニそんじ砂村かさい辺大水ニて人家
田畑共大ニ流す死人けが人多し南ハ亀島丁日比谷丁いなりばし大水ニて舟を打上る鉄砲洲
本湊丁船雲丁河岸通り納屋残らず崩れ十軒丁大崩れ佃島大損じ流れ家多く
あり築地浜手一ッ橋様越中様あき様御やしき大崩れ五百石積大船此所へ吹上る西御
門跡本堂崩れる雲にそびへたる大御堂のいしずへより脇へ少しも出ずてうちんをたたみたる
如くにつぶれたるハふしぎといふもおろか也見物の男女ぐんじゆす其外寺中そんじ多く
うら門前へ大茶舟十五そう小舟二十五そう此外材木数しれず表門前へ姉か崎大船
一そう打上る西ハ昌平橋ゆしま本郷駒込白山辺大ニそんじ小石川牛込市ケ谷四ッ谷赤
坂かうじ町番丁小川町丸の内御やしき方諸所そんじる日本橋中ばし京橋此辺崩れ家所々ニ
あり南八丁堀本多様表長家崩れるあさりがし木挽丁塩留新橋小舟材木等打上る久保
町愛宕下御やしき方所々いたむ西久保かハらけ町辺少々麻布龍土辺所々崩れ芝口通り所々
いたむ出火ハ片門前一丁目より神明前神明丁片側にて焼留る芝御山内つつがなし新銭座
新網丁金杉浦大ニそんじ此所へ薩摩様鉄作の大船打上るかかる時節にも是こそよき見物なりと
見る人市をなす其外大船小舟あまた上る三田白銀二本榎少々田町通り七軒茶や町高輪
大ニそんじ夫よりすさき漁師丁辺つなミニて家流る品川鈴森八まん大森羽根田大水ニて大ニ崩る
先ハ川崎大師河原生麦神奈川程が谷所々そんじ浦賀湊大船の破損数知れず金沢辺江島
西東共七里が浜残らずつなミニて家流れ死人けが人多し戸塚所々損じ藤沢宿西村おと
なし川より大水出て遊行様寺領百石残らず流し人多く損じる大磯なんご桜ざハ小田
原此辺まで所々損じあり向路は房州上総木更津辺津浪にて家多くそんじる也
一 大船八十五艘 此内こわれ二十
一 五大力大茶舟六十艘 此内こわれ三十
一 屋根舟にたり二百四十五そう 此内こわれ百十一
一 死人四百八十人
一 怪我人数知れず
一 手前建家八万九千五百軒余
一 江戸借家六万四千四十二軒 "		

風雷水害 N009

江戸近在 大風出水焼場付

安政3年(1856) 35×69

		
"江戸近在大風出水焼場付 天なるかなときなるかな頃ハ安政三丙辰八月二十五日夜
五ツ半時風雨はげしく家蔵堂社をはそんずる事おびただしく
南ハ品川宿海がハ大半そんじ折ふし海上より大なミを打あげ是
が為に流るる樹木おびただしく東海寺うら門たおれねりべい残らず
そんじる夫より御てん山大木根よりたをるる事数知れず尤御台場ハ
つつがなし夫より高なわ海手よしず出ばり茶や海中に吹入寺院の
松杉根こぎとなる夫より田まち本芝薩州様御はまやしき少々そんじ
又一口ハ札の辻より三田麻布古川広尾辺ニことごとく損る夫より六本木まミ穴
飯倉此辺御屋敷がたねりべい御門等くづれる事おびただしく芝金杉浜通り
ハ漁船数艘さか波に打上げられくだけ飛ちる夫より芝御はまごてんハつつが
なく又一口ハ芝片門前より出火してこの辺残らず焼表通りハ宇田川町まで
日影町通りハ神明前両かわのこらず三島町角にて焼留る又増上寺御
山内御霊屋つつがなく宿坊ねりべい所々くづれ樹木たをれる夫より芝切通しハ
西の久保迄所々町家武家地とも大半そんじ又一口ハあたご下所々御やしきねりべい
火の見やぐらそんじ崩る又しん橋芝口より尾張町迄の間町家諸々に損亡
あり且銀座三丁目自身番火の見やぐら半鐘釣あるままにて往来へ落る
京橋辺ハ大根がしへまきざいもく流れ来る事おびただし又日本橋通り中ばし辺
南中通り所々崩れ損る又本町伝馬町通りハ少々そんじ石町鉄砲町小伝
馬町馬喰町所々そんじ又一口ハ油町塩町横山町右同断夫より橘町二丁目三丁目
西がわ大半たをれる夫より米沢町久松町此辺少々そんじはま町御やしきがた
ねりべい御長家等大半そんじ又一口ハへツツいがし火の見やぐら屋根
飛してゆき方をしらず又松島町ハことごとくそんじ小網町北しん
ほり大ひにそんじ永代ばしハ八百石の大船波におわれのり入橋ぐいに
かかりて橋落る又大川ばた南新ぼり霊岸島鉄砲洲筑地此
辺所々大ひにそんじ其上出水おびただしく西本願寺本堂潰れ落る事
百千の雷のごとし佃島ハ大つなミにて大半そんじ又一口ハ両国出茶や
見世物小家床見世残らずくずれ浅草代地福井町裏長屋等
大半くずれ御蔵前通り表店十六けんくづれ裏長家数しれず
鳥越新ほりはた所々御組やしき等大半そんじる又黒舟丁より
なミ木通り駒形又三間町東西仲町此辺表長家裏店とも
大半そんじ浅草寺末寺長家残らずそんじる又矢大臣門外
松田屋仮宅たをれて遊女八方へにげちる仁王門雷門の大堤灯
行方しれず並にあハ島社かねの島居たをれる奥山樹木ことごと
くそんじる三社前しゆらう堂途中よりそんじたをれる夫より馬道やぶの
内西がわ残らずたをれ又北馬道田町吉原大半そんじ大音寺前残らず
焼る北ハ千住宿そんじ小塚原に出火あり夫より山谷通り裏表とも
諸々くづれ橋場今戸辺ハ出水おびただしく聖天丁山の宿花川戸辺ハ少々
なりあづま橋のらんかん半分たをれる小梅石原辺出水北わり下水より本所
亀戸南割下水出水なり林町ミどり丁立川通り此辺天満宮のぼり
ぐひのこらずそんじる又深川ハ六間ぼりときわ丁高ばし通り出水にて往来うミの
如し又一口ハ神田橋御門内酒井左衛門様御やしき下長家つぶれ凡百軒([ママ])余なり
小笠原大膳太夫様御長家片側つぶれ御作事やしきのこらずたをれ常盤橋
御門内間部下総守様のこらずたをれ辰の口御やしきつぶれ夫より大名小路松平くらの
かミ様裏通りつぶれ織田兵部少輔様のこらずつぶれ小笠原様右同断鍛冶橋
御門内松平あわ守様御玄関御殿銅瓦のこらず落る長井様つぶれ松平主殿
守様御辻より半分つぶれ牧野様表門たをれ御長家両がわたをれ土井様下長家
たをれ日比谷御門外松平大膳太夫様御長家半分余たをれ服部豊後守様
通用門より左右御長家のこらずつぶれ杉田様つぶれさつ州様装束やしき御長
家のこらずたをれ虎の御門内亀井様ごてん二かい半分なし西尾様表門一むね
たをれ相馬様表門玄関たをれ上杉様横ながやたをれかすミが関あき様
御しゆでん片かわそんじ赤坂御門内松平出羽守様御ながや片かわそんじ渡部様
前同断三げん家小やしきのこらずたをれ平川天神裏町家大半つぶれたり
そうじて桜田御門内より馬場さき和田倉迄ニ大木凡六十八本ほどをれたを
れる又西丸下ハ堀田様御屋敷御長家のこらず会津様御やしき両ほう
■がらつぶれたり又一口ハ本郷五丁目加州様御やしきねりべい馬立場
のこらずつぶれ御住居棟御物見のこらずたをれる同春木町一丁目二丁目
の内家数十八間ばかりつぶれる同天神門前より三組まち辺家数
二十けんばかりつぶれつまごひ町島田様御長家少々つぶれくろべいたをれ
表御門たをれかかり町家一軒つぶれ又せいだう通り御やしき両かわつぶれ
御茶水火消やしきからつぶれ前田様内田様大つぶれ水道橋内
大久保様広瀬様曽根様萩原様荒井様石川様渡部様
のこらずつぶれ小川町通り土屋様十の字内藤様いなば様土井様
戸田様本田様残らずつぶるるなり夫より番町飯田まちへん大半
くづれ市ケ谷牛込辺のこらず破損す又一口ハ丸山より白山御殿そのほか
田町菊坂辺大半そんじ御やしきがたねりべいくづるる夫より湯島矢沢寺門前少々からたち寺いたミ
切通し片かわ大そんじ目下同断夫より茅町一丁目二丁目所々余程そんじ昆沙門堂大つぶれ同宮永町大半表
裏店ともつぶれ家十四軒善光寺坂上少々同坂下つぶれ家四五軒夫より川ばた祖師堂に別条なく本堂つぶれ
両かわ町家平つぶれ幡随院内大木たをれたること数しれずたをれ大くわん前太田様御長家つぶれ森川じゆく御
組やしき多くつぶれ追分町両かわ大そんし同御組表かわ御組内所々つぶれ同本郷附木店辺少々ツツそんじ又一口ハ
鶏声がくぼ巣鴨庚申塚板橋辺迄所々そんじつぶれ家数しれず大木ことごとくたをれ世におそろしきさま也
しが翌二十六日明六ッ半時雨止ミ風しづまりてひとり安堵のおもひをなしぬ是まつたく神国の余光にして
諸国の縁者江戸大風のことをききてハ一家のものいかがなしつるやと心配すべきことなれバ今その巨細をたづね
かきしるして四方遠国の人々の安心する一助となすのミ穴かしこ穴かしこ "		

風雷水害 N010

江戸近在 大風出水焼場付

安政3年(1856) 32×65.5

		
"江戸近在大風出水焼場付
天なるかなときなるかな頃ハ安政三丙辰八月二十五日夜
五ツ半時風雨はげしく家蔵堂社をはそんずる事おびただしく
南ハ品川宿海がハ大半そんじ折ふし海上より大なミを打あげ是
が為に流るる樹木おびただしく東海寺うら門たおれねりべい残らず
そんじる夫より御てん山大木根よりたをるる事数知れず尤御台場ハ
つつがなし夫より高なわ海手よしず出ばり茶や海中に吹入寺院の
松杉根こぎとなる夫より田まち本芝薩州様御はまやしき少々そんじ
又一口ハ札の辻より三田麻布古川広尾辺ニことごとく損る夫より六本木まミ穴
飯倉此辺御屋敷がたねりべい御門等くづれる事おびただしく芝金杉浜通り
ハ漁船数艘さか波に打上げられくだけ飛ちる夫より芝御はまごてんハつつが
なく又一口ハ芝片門前より出火してこの辺残らず焼表通りハ宇田川町まで
日影町通りハ神明前両かわのこらず三島町角にて焼留る又増上寺御
山内御霊屋つつがなく宿坊ねりべい所々くづれ樹木たをれる夫より芝切通しハ
西の久保迄所々町家武家地とも大半そんじ又一口ハあたご下所々御やしきねりべい
火の見やぐらそんじ崩る又しん橋芝口より尾張町迄の間町家諸々に損亡
あり且銀座三丁目自身番火の見やぐら半鐘釣あるままにて往来へ落る
京橋辺ハ大根がしへまきざいもく流れ来る事おびただし又日本橋通り中ばし辺
南中通り所々崩れ損る又本町伝馬町通りハ少々そんじ石町鉄砲町小伝
馬町馬喰町所々そんじ又一口ハ油町塩町横山町右同断夫より橘町二丁目三丁目
西がわ大半たをれる夫より米沢町久松町此辺少々そんじはま町御やしきがた
ねりべい御長家等大半そんじ又一口ハへツツいがし火の見やぐら屋根
飛してゆき方をしらず又松島町ハことごとくそんじ小網町北しん
ほり大ひにそんじ永代ばしハ八百石の大船波におわれのり入橋ぐいに
かかりて橋落る又大川ばた南新ぼり霊岸島鉄砲洲筑地此
辺所々大ひにそんじ其上出水おびただしく西本願寺本堂潰れ落る事
百千の雷のごとし佃島ハ大つなミにて大半そんじ又一口ハ両国出茶や
見世物小家床見世残らずくずれ浅草代地福井町裏長屋等
大半くずれ御蔵前通り表店十六けんくづれ裏長家数しれず
鳥越新ほりはた所々御組やしき等大半そんじる又黒舟丁より
なミ木通り駒形又三間町東西仲町此辺表長家裏店とも
大半そんじ浅草寺末寺長家残らずそんじる又矢大臣門外
松田屋仮宅たをれて遊女八方へにげちる仁王門雷門の大堤灯
行方しれず並にあハ島社かねの島居たをれる奥山樹木ことごと
■([欠損])そんじる三社前しゆらう堂途中よりそんじたをれる夫より馬道■([欠損])
■([欠損])西がわ残らずたをれ又北馬道田町吉原大半そんじ大音寺前■([欠損])ず
焼る北ハ千住宿そんじ小塚原に出火あり夫より山谷通り裏表とも
諸々くづれ橋場今戸辺ハ出水おびただしく聖天丁山の宿花川戸辺ハ少々
なりあづま橋のらんかん半分たをれる小梅石原辺出水北わり下水より本所
亀戸南割下水出水なり林町ミどり丁立川通り此辺天満宮のぼり
ぐひのこらずそんじる又深川ハ六間ぼりときわ丁高ばし通り出水にて往来うミの
如し又一口ハ神田橋御門内酒井左衛門様御やしき下長家つぶれ凡百軒([ママ])余なり
小笠原大膳太夫様御長家片側つぶれ御作事やしきのこらずたをれ常盤橋
御門内間部下総守様のこらずたをれ辰の口御やしきつぶれ夫より大名小路松平くらの
かミ様裏通りつぶれ織田兵部少輔様のこらずつぶれ小笠原様右同断鍛冶橋
御門内松平あわ守様御玄関御殿銅瓦のこらず落る長井様つぶれ松平主殿
守様御辻より半分つぶれ牧野様表門たをれ御長家両がわたをれ土井様下長家
たをれ日比谷御門外松平大膳太夫様御長家半分余たをれ服部豊後守様
通用門より左右御長家のこらずつぶれ杉田様つぶれさつ州様装束やしき御長
家のこらずたをれ虎の御門内亀井様ごてん二かい半分なし西尾様表門一むね
たをれ相馬様表門玄関たをれ上杉様横ながやたをれかすミが関あき様
御しゆでん片かわそんじ赤坂御門内松平出羽守様御ながや片かわそんじ渡部様
前同断三げん家小やしきのこらずたをれ平川天神裏町家大半つぶれたり
そうじて桜田御門内より馬場さき和田倉迄ニ大木凡六十八本ほどをれたを
れる又西丸下ハ堀田様御屋敷御長家のこらず会津様御やしき両ほう
ながらつぶれたり又一口ハ本郷五丁目加州様御やしきねりべい馬立場
のこらずつぶれ御住居棟御物見のこらずたをれる同春木町一丁目二丁目
の内家数十八間ばかりつぶれる同天神門前より三組まち辺家数
二十けんばかりつぶれつまごひ町島田様御長家少々つぶれくろべいたをれ
表御門たをれかかり町家一軒つぶれ又せいだう通り御やしき両かわつぶれ
御茶水火消やしきからつぶれ前田様内田様大つぶれ水道橋内
大久保様広瀬様曽根様萩原様荒井様石川様渡部様
のこらずつぶれ小川町通り土屋様十の字内藤様いなば様土井様
戸田様本田様残らずつぶるるなり夫より番町飯田まちへん大半
くづれ市ケ谷牛込辺のこらず破損す又一口ハ丸山より白山御殿そのほか
田町菊坂辺大半そんじ御やしきがたねりべいくづるる夫より湯島矢沢寺門前少々からたち寺いたミ
切通し片かわ大そんじ目下同断夫より茅町一丁目二丁目所々余程そんじ昆沙門堂大つぶれ同宮永町大半表
裏店ともつぶれ家十四軒善光寺坂上少々同坂下つぶれ家四五軒夫より川ばた祖師堂に別条なく本堂つぶれ
両かわ町家平つぶれ幡随院内大木たをれたること数しれずたをれ大くわん前太田様御長家つぶれ森川じゆく御
組やしき多くつぶれ追分町両かわ大そんし同御組表かわ御組内所々つぶれ同本郷附木店辺少々ツツそんじ又一口ハ
■([欠損])声がくぼ巣鴨庚申塚板橋辺迄所々そんじつぶれ家数しれず大木ことごとくたをれ世におそろしきさま也
しが翌二十六日明六ッ半時雨止ミ風しづまりてひとり安堵のおもひをなしぬ是まつたく神国の余光にして
諸国の縁者江戸大風のことをききてハ一家のものいかがなしつるやと心配すべきことなれバ今その巨細をたづね
かきしるして四方遠国の人々の安心する一助となすのミ穴かしこ穴かしこ "		

風雷水害 N011

江戸大雨風之次第

安政6年(1859) 33.5×46

		
"七月二十五日
暁卯刻より
丑寅より
大風雨吹ニて
午刻辰巳
風はげしく
家根板ふき
とばし町々
人家おびたたしく
つぶれ申刻より
丑之方より又々大風
吹出し家夥しく
そんじ二十六日朝漸々
鎮り申候得共
神奈川横浜
外国船陸へ打上ケ
横浜町家大半
くづれ甲州海道
小仏辺海道
不残崩れ橋流レ
玉川筋大水ニ相成
すみ田川大水
千住深川辺ハ
町家ゆか
より上迄
水上り
三谷辺ハ
町大道を
船ニて往来
いたし
馬入川
七月二十二日比より
八月二日迄風水とも鎮り申候
{袖}安政六年 未七月二十五日二十六日江戸大雨風之次第 "		

風雷水害 N012

上方の風水害(仮)

慶応2年(1866) 35×48

		
"尓時慶応二年寅八月七日
夜四ツ半比より辰巳の方より風
ふき出し追々大風となりて
天地震動する事言語にたへたり
人家屋根ことことく吹あけかへ
ふきおとしいつれも鳥篭のことし
尤吹たをしたる人家おひたたし
上ハ加茂を始■■■([虫喰])神社仏閣の損し
数多し■■■([虫喰])木凡八十本
計打たをれ東■■■([虫喰])知恩院清水其外
諸境内大そんし諸堂ハいふに及ハす
樹木三百八十本計大木打たをれたり
東本願寺諸御堂ふしん出来たるをことことく
吹たをし元のあれ地と成たる事残念の
いたり也町家凡八十六七軒計打たをれ損し家
数しれす死人凡二百人余けか人ハ
これも数しれす桂川三り余大水
一面の海のことし舟にて往来ス
伏見淀大水大橋落る
大坂天神はし安治川はし落る
高つき南山城小倉
大あれのよし中々
筆につくしかたし
誠前代未聞の大風のよし
恐れつつしむ
へき事也 "		

風雷水害 N013

大洪水細見図

慶応4年(1868) 37.5×50.5

		
"慶応四戊辰年大洪水細見図
此外近江丹波播州阿州讃岐伊予土佐紀州勢州
所国路山城大和美濃尾州関東すしにいたるまて諸国
一円の大洪水のよしなれ共不便ニてくわしくハしるしかたく略之
四月中旬より閏四月中旬迄雨天多く閏月十五日
入梅ニ相成候て七八日続て御天気の所二十日過より
五月八日迄大体雨天計り九日十日天気十一日より十五日
明方迄昼夜降通し候ゆへ堺大和橋より二三丁計り
川上にてうりの村南の方の堤十三日申ノ上刻凡巾
四十間余切れ込其水勢三尺計りの波打うづ巻立て
水先戌の方へ押行其おそろしさ見る物目のまハることく
またたく間ニ押流れ死人夥敷同所中程より北東にはや
松ハ申に不及住吉鳥居前より一丁余北まて
往来ニて四五尺の水ゆへ船ニて見舞いたし候誠に
愁至極目もあてられぬ次第ニ候○又淀川筋ハ淀の
小橋落候ゆへ其材木天満橋へかかり十二日夜七ツ時
天満橋中ほど三十間余流れ落候天神橋浪花橋ハ
いまた無難なれ共十三日より往来とまり候又川上ハ平左と申
所ニて切れ込ミ候ゆへ中ノ島郷ハ江口三番新家新庄玉じま
宗禅寺馬場其外村々一円家根迄水漬りニ相成候○
中津川ニてハ横せきと申所切れこミ三番村十三村ゑび江■
島浦江其余村々北野辺迄一円大洪水○東ハとくあん堤
の辺ニて切れ込ミ候ゆへこ■みのどう辺より東の山ぎハ申に
不及大坂より東の在一円のこらず白海のことくニ有之候
○西ハ福島野田村伝法等ニて堤小川所々切レこミ何れも
大水ニ御座候○大坂市中ニてハ北の新地三丁目より
西ハ往来にて深き所ハ一尺四五寸水下タばら之内ハ
床の上にて二尺三尺の水なり堂島の下モ中の島
の下モ其ほかすべて川々の水下場所ニてハ川水ニ
往来と一流ニ相成候所有之候又往来ニて所々より
一尺或ハ二尺往来之穴あき候も有之死人けが
人等ここかしこに在之候誠ニ八九十年来の間未聞の
大洪水にて中々筆紙と尽しがたくいまだ高水ニて
諸方の往来とまり候ゆへ此外遠方之儀ハおいおい
相知れ候ハんああ誠ニ古今の大洪水なれかし
{袖}極本細しらべ 近在難渋人大坂町内中より施行致候事誠ニおびただしく筆記かたく "		

風雷水害 N014

各国洪水飛報

明治18年(1885) 52.5×35

		
"各国洪水飛報(しよこくおおみづしらせ)
大坂四区及河内各郡実況
六月十七日牧方堤防
破壊せしより其水■
河■郡ニ浸入し
人家田畑を押流シ
損数千石■
為に水害を蒙り
し人民の惨情目も
当られぬ有様なり
全国未曽有乃
洪水なり
落橋(オチハシ)
田みのはし
玉江はし
川さきはし
京はし
天まはし
なにわはし
天神はし
よしやはし
せんたんの木はし
よどやはし
ひどはし
渡辺はし
筑せんはし
常あんはし
越中はし
みなとはし
大江はし
堂しまはし
かめ井はし
松しまはし
千代さきはし
大わたりはし
安堂寺はし
さかい大和はし
ふないはし
安し川はし
いたならはし
{以下各地名を記す}京都府下洪水の実況
福井県下の出水実況
堺大和橋及其近傍
山口県下周防岩国
山城国伏見
備中玉島
伊予大洲
讃岐丸亀
豊前中津
筑後久留米
筑後柳川
東海道見附
東海道沼津
淡路洲本
近江国大津及び近傍
大和国奈良
江州八幡
伊予今治
三河西尾
甲府
武蔵八王寺
土佐高智
紀州和か山
鹿児島
肥前佐賀伊万里
富山県越中
出版届明治十八年七月九日
納本同年同月十日
編輯並出版人 大坂■■ 宮崎八十八
南区なんは新地■■町四十一番地 "		

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