噴火



噴火 N001

朝間山大やけの次第

天明3年(1783) 23.5×32.5

		
"朝間山大やけの次第
新あな
北東の間ニ
やけいつる
△七月八日昼時より
くろきどろ七ツ時までふるいまだ砂ふりしん
とうやまず近辺村町一同まつりごとをなす
いへすなにうづむ"		

噴火 N002

信州浅間山根方

天明3年(1783) 23.5×33.5

		
"信州浅間山根方
上州吾妻郡 蒲原村 千人余之所十七人のこる
右之村よりやけ出シ候由是ハいまだ訴無之
大前村半分流失 西久保村不残
中むら 羽尾村 松木村訴無之
矢倉村 岩下村 川原畑村
横尾村 松尾村
右五ケ村蒲原村隣家坪井むら助右衛門
土蔵一ケ所のこりひと一人も不流
長野原 羽むら 横壁村 半分流失
河原村 北戸村 小屋戸村
原田村 川戸村
右村々川つきの分のこらず流失
一千百石余之内 五百石亡所
 水押五十七軒 砂入 十七軒
馬 八疋
砂ふりつもる事四尺より一丈余溜る尤
所々風によつて多少ありことことく記シがたし
群馬郡 川島村 家員百五十七軒内十七軒のこる
姥島村のこらず流失小野ミの村同断
右川付之分のこらす流失
尤川付の民家田畑ともに水押
金井村
ことことく書しるしがたしこのほか川根
川附の村々にて水死するもの其数
多く民家ハ流失
一 神名川へ砂押込て川なし
本庄宿松原のはつれに川出来せし
よし
此外池なきところに水たまり出来
候よし
中山道往来もしバらく難儀いたし候
一 とね川大水ニて流失の品々ひきも
きらずながるる
魚のるいうきて多くなかるる
一 とね川すじぬまたやち合の川まへばしより五料
中せ川くりはし此川すじへあかる々死人引きもきらず
安中さつて迄すなふる中山道すじハ不及申
板倉いせ守様 松平右京様 あへいよの守様
松平うこん様 土佐守政吉様 松平けんば様
松平するが様 松平永松様 前田うこん様
御城下ハわけてすなふる
上州吾妻郡 御代官所 原田清右衛門様
牛島村二十八軒 水野村百二十けん 村上村のこらず 小屋の家ハのこらず死人かづしれず
川口村三千八百石百七十二軒 はやし村十四軒 岩小村三十けん 中居村のこらず
町田村五十六けん 下あつた村二十七けん不残死る 羽尾村のこらず 五十田村二十八けん
寺下村三十五けん いせまち五十六けん つほ湯村二十けん 横尾村五十けん
今泉村四十五けん 下藤村四十三けん ほり村 二十一けん 川崎村百五十七けん内十七軒のこる
利根新田のこらず
青山村 七けん 小泉村二十二けん 神原村死人凡千人余 金井村のこらず 今池村のこらず 上藤村六十四けん
中の条のこらず 原まち十二けん しぶ川新田のこらず
杢むらのこらず 家くら村六十けん 上島村五十七軒 死人十七人 馬八疋
これより水上七十三ケ村水押之
村かづ百十六ケ村並ゑまさハたり
ゆかお湯つぼ一ツになりて
くつるるとなり
{奧}是ハあのへんへ御出の方へ道しるべにいたし候 馬喰町 よしや板もと"		

噴火 N003

浅間山噴火(仮)

天明3年(1783) 33.5×48

		
"{信濃追分付近の状況}七月四日
金沼村ヨリ追分マテ四十三ケ村一り半
幅二十八丁大地へ落入ル
{浅間山付近の状況}七月八日
山ノ半リクニ
御林し
十里余コレアリ
右御林ノウチヨリ
子ツ湯三ケ処フキ
イダシ凡十里程ノ
アヒタ■くフキ
出シ候ヨシ"		

噴火 N004

浅間山噴火(仮)

天明3年(1783) 39.5×48

		
"{信濃追分付近の状況}七月四日
金沼村ヨリ追分マテ四十三ケ村一り半
幅二十八丁大地へ落入ル
{浅間山付近の状況}七月八日
山ノ半リクニ
御林し
十里余コレアリ
右御林ノウチヨリ
子ツ湯三ケ処フキ
イダシ凡十里程ノ
アヒタ■くフキ
出シ候ヨシ"		

噴火 N005

島原大変(仮)

寛政4年(1792) 23.5×33

		
"当三月朔日より
七日之あいだちうやをわかたず大ぢしんにて
九州九かこくならびにあまくさにいたる大ち
われることおびたたしくそのおと天地をくつがへす
いわうじまのわれ口より火入ほのうちをくぐり天
に登り人家大石大木をとばし人ハひとりも
のこらすなをうミのそこを火くぐりなミをかへし
舟ハミなしづミ
魚るいのはら
わたをかへし
大魚小魚ハ
くがに打あけ
てすざましく
右のわれ
くちより
諸物をう
づむ
八日の
あさより
少々おさ
まりたる
よしなれ
どもこれ
もいてミ
たる人々ハ
よく御そん
じなり
さてその
いわうのけ
ふりにむせ
て中ごく
の人々
大きニくるしむ"		

噴火 N006

磐梯山噴火略報

明治17年(1884) 24×32.5

		
磐梯山噴火略報(ばんだいさんふんくわりやくはう)		

噴火 N007

磐梯山噴火之顛末

明治21年(1888) 49.5×33.5

		
"磐梯山噴火之顛末
去ル
十五日
午前七時
三十分頃福
島県下岩代国
耶麻(やま)郡磐梯(ばんたい)山
ガ軣(こう)然タル一声ノ
物音ト共ニ破裂(はれつ)シ
噴(ふん)火ノ口ハ其大キサ二里
四方ニ及ビ近辺六里四方ニ砂石ヲ飛バシ火ノ雨ヲ降(ふ)
ラシ此災害(さいがい)ノ為ニ埋没(まいぼつ)セシ戸数百九十五戸即死(そくし)者五
百三十余名負傷(ふしやう)者九百五十余名ニ及ビ其内山腹ナル沼尻横向
川上等ノ温泉場ノ浴客百五十名程死亡セリ右ノ次第ニ付近郷近
在ノ者共ハ皆家財道具ヲ取片付遠方ヘ逃退(のがれしりぞ)キタリ元来此磐
梯山ハ一名ヲ会津山ト云ヒ耶麻郡ノ東猪苗代(ゐなへしろ)湖ニ臨ミ磐梯村ニ属
シ山脈漸ク西ニ延ビテ猫摩山廐山等ニ連ナリ更ニ北ニ走リテ「アララギ」峠
ニ亘ル海面ヨリノ高サハ五百六十五丈麓(ふもと)ヨリ山頂ヘノ里程ハ四里三十五丁
若松市街(しがい)ヲ距ル三里本宮「ステーション」ヨリ八里ノ所ニアリ今ヲ去
ル三百年程以前慶長十六年此地方ニ大地震アリシノミ之迄一度
モ破裂セシ事ナキ山ナリシガ不意ニ此度ノ事変有リシハ
実ニ前代未聞ノ事ト云フ可シ
右ニ付福島県庁ヨリハ数多ノ官吏出張シテ夫々
救助ニ尽力(じゆんりよく)中ナリ又此電報ノ東京ニ達スルヤ
農商務省地質局長和田稚四郎氏ヲ始メ数
多ノ人々ガ実地取調ノ為ニ出張サレタリ
附テ云磐梯山破裂ト同日ノ九時頃信州浅間山ガ俄(が)
然(ぜん)鳴動(めいどう)シタレバ最寄ノ人々ハ大ヒニ恐怖(きやうふ)セシガ午後
四時頃ニヤヤ鎮マリシト云フ或ル地震学者ノ説
ニヨレバ我国ハ三十五六
年目毎ニ大地震一回ノ割合ナリト安政二年
ヨリハ三十四年目ナリ
ノ([イカ])ヅレノ人モ地震ノ
用心此一二年△
△ノ内忘ルベカ
ラズ
{袖下}明治二十一年七月二十日印刷
同年七月二十三日出版
印刷著作兼発行人
神田区末広町三十五バンチ
岡田常三郎"		

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