対外関係



対外関係 N001

阿蘭陀船入津之図

寛政12年(1800) 33×45.5

		
"○和蘭陀船長崎ニ渡海
始ハ寛永十八年巳年也
ソレヨリ年々六月下旬入
津追々交易相トトノヒ
九月二十日出帆ス今年
寛政十二庚申年マデ
百六十年ニナル
○日本ヨリ紅毛(オランダ)国
海上凡一万三千里
方角西北ニ当ル
○紅毛舶
長サ二十八間
幅八間
深サ七間余
大柱長サ二十八間
帆数十八片
旗竿四間半
煙出シ同
大帆桁十一間
大バランダ径三間
ヤリ出シ十三間
石火矢三十六挺
同狭間(サマ)
竪二尺四寸
横二尺七寸
板ノ厚サ
一尺六寸
人数百人余
{袖}阿蘭陀船入津之図
{奥}長崎勝山町上角文錦堂板
{天}HET GEZICHT VAN AANKOMST DER HOLLANSCHE SCHEEPEN IN DE HAVEN VAN NANGAZAKIE "		

対外関係 N002

蘭獣渡来

文政4年(1821) 28×40

		
"駱駝 文政四年巳七月二日従紅毛一番船渡来
惣身長サ二間余 但シ尾ヨリ頭迄
歩行事一日ニ日本道
五十里行も強ク
積事凡千五百斤
食物一日ニ米二斗
服ス水一斗呑
命スルコトヲ聞分ル事人間に
マサルタトヘニ二日間食物なくシテ
用ヲ弁スル事神妙也
ヨツテ軍用ニ叶ふゆへニ
御馴し由にて
二番船ヨリ積来ル何れも
同様の故今一疋爰略但シ
二疋来
文政四年巳十月
写之
{絵の説明}
尾三尺餘
丈ケ
鯨尺七尺
五寸余
足三ツ折
口馬ニニタリ
耳馬似タリ
頭羊ニニタリ
首ノ長サ
頭ヨリ三尺八寸余"		

対外関係 N003

御免 琉球人行列付

天保13年(1842) 23.5×31

		
"御免 琉球人(りうきうじん)行列付(ぎょうれつつけ)
天保十三壬寅年十一月
江戸芝神明前
板元 丸屋甚八
溪齋英泉写
{三枚続きそれぞれ上下二段
行列は 一枚目上段右を先頭に、以下二枚目上段、三枚目上段、三枚目下段、二枚目下段、一枚目下段と続く}
{一枚目上段右から}
行列之始{四角囲み}
○先乗(さきのり)
琉球人(りうきうじん)
姓名附(せいめいづけ)
島袋(しまふく)親雲上(はいきん)
嘉数(かす)にや
宮城(ミやくすく)にや
真栄城(よいくすく)にや
大城(おほくすく) 筑登之(ちくとし)
阿波連(あハれ)筑登之(ちくとし)
長浜(なかはま)筑登之(ちくとし)
真玉橋(またまはし)里之子(さとのし)
平(たいら)にや
上江洲(うへえす)にや
供琉人(ぐりうじん)の
名目紙(めうもくし)
中狭(ちゆうせま)く
して次(し)
第(だい)不同(ふどう)
あり
○印(このしるし)有(あ)ハ
官名(かわんめい) 或(あるい)ハ
器財等(きさいとう)の
名(な)なり
○楽器(かくき)長櫃(なかもち)
琉球人参府年暦
慶長以後慶安二年九月
承応二年九月寛文十一年七月
天和元年十一月宝永七年十一月
正徳四年十一月享保三年八月
寛延元年十一月宝暦二年
十月明和元年九月寛政
二年十一月同八年十月文化
三年十月天保三年十一月
同十三年十一月
○虎籏(ふうさい)
幟なり
献上(けんしやう)
琉球馬(りうきうむま)
二疋
宮平(ミやひら)にや
比嘉(ひか)にや
○圍師(ゐきし)
真喜屋(まきや)
親雲上(はいきん)
山城(やまくすく)にや
永田(なかた)にや
○掌翰使(しやうかんし)
久場(くば)親(はい)
雲上(きん)
○牌(はい)
比喜(ひき)にや
玉城(たまくすく)にや
○鞭(へん)
比喜(ひき)にや
宮城(みやくすく)にや
宇座(うざ)にや
大城(おほくすく)にや
○張籏(ちやうさい)
○楽師(がくし)並路次楽人
銅羅(どうら)銅角(どう■)喇(りつ)叭(はつ)
噴吶(そうふ)両班(りゃうはん) 皷(こう・たいこ)
亀川(かめかわ)親雲上(はいきん)
牧者(まくしや)親雲上(はいきん)
浜元(はまもと)親雲上(はいきん)
富永(とミなか)親雲上(はいきん)
城間(くすま)親雲上(はいきん)
与儀(よき)親雲上(はいきん)喜瀬(きせ)親雲上(はいきん)
湖城(こくすく)親雲上(はいきん)
赤嶺(あかみね)親雲上(はいきん)
○凉傘(りやんさん)
大城(おほくすく)にや
仲村(なかむら)にや
■([欠損])
高良(かよし)にや
○槍
大成(おほせい)にや
○龍(りやう)刀
{下段長文につき省略}"		

対外関係 N004

琉球聘使略

嘉永3年(1850) 37×52.5

		
"琉球聘使(りうきうへいし)略(りゃく)
中山略系。琉球人姓名。
江戸通行列隊。琉球輿地略図並歌
鼓川浸筆(こせんしんひつ)にいはく慶長(けいちやう)十四年己酉薩州(さつじう)の太守島津家久(しまづいへひさ)
台命(たいめい)を蒙(かふむ)りていくさを興(おこ)し其無礼(そのぶれい)の罪(つみ)を討(う)つ其老臣樺(かバ)山権左衛門久高(ひさたか)
平田太郎左衛門益宗(ますむね)に三千(さんぜん)の兵(へい)を与(あた)へ手勢(てぜい)とともに三千五百人(ひやくにん)三月ともつなを
解(と)き大洋(おおうみ)を押渡(おしわた)り直(ただち)に琉球運天(りうきううんてん)の湊(みなと)につき一挙(きよ)にして攻(せめ)上る国人(くにんど)防(ぼう)
御(ぎよ)の術(じゆつ)を尽(つく)すといへとも其鋭鋒(せいはう)に当(あた)りがたく特(とく)に鳥銃(てつほう)に驚(おどろ)きおそれ終(つい)にいくさ
敗(やぶ)れて国王尚寧(こくおうしやうねい) 軍門(ぐんもん)に降(くだ)る爰(ここ)において琉球三山諸島(しよとう)を平定(へいじやう)し六月尚寧王(しやうねいわう)
を携(たつさへ)て凱陣(がいぢん)すこの時琉球国永く家久(いへひさ)に賜(たま)ハる印章(しるし)を下(くだ)し授(さづ)け給う翌(よく)十五年庚戌八月
家久尚寧を率(ひきひ)て駿府(すんふ)江戸に来(き)り方物(ハうもつ)を献(けん)じ怠貢(たいこう)の罪を請(こ)ふ是東遷(とうせん)以後(いご)
琉球来聘(らいへい)の始(はじめ)にして已後(いご)使(つかひ)を献(けん)じ慶(けい)を賀(が)し恩(おん)を謝(しや)すること連綿(れんめん)として絶(た)え
ず朝貢(ちうこう)再(ふたた)び旧(もと)に復(ふく)すといふべし寛永(くわんえい)十一年七月尚豊(ほう)王賀慶(かけい)正使佐敷(さしき)王子恩謝(おんしや)正使
金武(きやむ)王子をして方物(ハうもつ)を献すこの時(とき) 御上洛(しやうらく)ありしゆへ京都二条にて拝(はい)礼す江戸に
来(きた)らず寛永二十一年甲申六月尚賢(しやうけん)王賀慶正使(がけいせいし)金武(きやむ)王子恩謝正使(おんしやせいし)国頭(くにかミ)王子をして方物を
献ず慶安(けいあん)二年己丑九月尚質(しやうしつ)王恩謝正使具志川(ぐしかわ)王子をして方物を献ず又日光山を拝礼す
承応(しやうおう)二年癸巳九月尚質(しつ)王賀慶正使(がけいせいし)国頭(くにかみ)王子をして方物を献ず寛(くわん)文十一年辛亥七月
尚貞(てい)王恩謝(おんしや)正使金武王子をして方物をけんず又日光山を拝礼す天和二年壬戌尚
貞(てい)王賀慶正使(かけいせいし)名護(なご)王子をして方物を献ず宝永七年尚益(しやうえき)王賀慶正使(がけいせいし)美里(みさと)王子恩(おん)
謝(しや)正使豊見城(とよミくすぐ)王子をして方物をけんず正徳四年甲午十二月尚敬(けい)王賀慶正使與那城(よなくすぐ)王子恩(おん)
謝正使金武(きやむ)王子をして方物を献ず享保三年戊戌十一月尚敬王(けいわう)賀慶(かけい)正使越来(こへぐ)王子をして
方物をけんず寛延(くわんえん)元年戊辰十一月尚敬王賀慶正使具志川(くしかわ)王子をして方物を献ず宝
暦二年壬申十二月尚穆(ぼく)王恩謝正使今帰仁(いまきにん)王子をして方物を献ず明和元年甲申十一月尚
穆(ぼく)王賀慶正使読谷山(よんたんさん)王子をして方物をけんず寛政二年庚戌十二月尚穆(ぼく)王賀慶正
使宜湾(ぎのわん)王子をして方物を献ず同八年丙辰十二月尚成王恩謝正使大宜見(おおきミ)王子副使(ふくし)
安村親方(やすむらおやかた)をして方物を献ず文化三年丙寅十一月尚 (しゃうこう) 王恩謝正使読谷山王子副使小禄親(こうわうおんしやせいしよんたんざんおうじふくしころくおや)
方(かた)をして方物をけんず天保三年壬辰十一月尚育(いく)王恩謝正使豊見城(とよミくすく)王子前尚 (さきのしやうこう)王の使
澤 (さくたけ)親方(おやかた)をして方物をけんず天保十三年壬寅十一月尚育(いく)王賀慶正使浦添(うらぞへ)王子副使座(ふくしざ)
喜味親方(きみおやかた)をして方物を献ず今茲嘉永三年庚戌十一月尚泰王恩謝正使玉川王子(たいわうおんしやせいしたまがわわうじ)をして方物を
献ず慶長より今年に至て来聘(らいへい)十九度なり○江戸通行列(きやうれつ)隊第一騎(き)を儀衛正高嶺親雲(ぎえいしやうとうミねばいきん)上と
す其次(そのつぎ)を路次楽(のじがく)とす左右鞭(べん)次は左右張旗(ちやうき)次ハ右銅鑼(どら)左両班(はん)次ハ銅角(どうかく)次ハ左右喇叭(らつは)次ハ左右噴吶(ほうな)
次ハ左右鼓また左右鼓是鼓吹(これがく)の隊也其次ハ左右虎旗(こき)次ハ左右牌(はい)第二騎(き)を掌翰使伊野(しやうかんしいの)波親
雲上とす次ハ凉傘(りようさん)次ハ轎(こし)也轎の側賛度使(かたはらさんどし)四人歩す其次副使駕(ふくしかご)に乗(の)るを野村親方(のむらおやかた)とす第三騎(き)を
賛儀官我謝親(ぎくハんがしやばい)雲上とす第四騎を楽正(がくせい)伊舍(しや)堂親雲(ばいきん)上とすこの四騎は晩(べん)を被(かぶ)る余(よ)は帛(はく)を用ふ
次ハ楽童子(がくどうじ)六人楽師(がくし)四人次ハ正使(せいし)々賛(さん)五人副使(ふくし)々賛(さん)二人なり各■(おのおのこん)伴を具(ぐ)す薩州鹿児(さつしうかご)島を立(たつ)て
同国群見崎(どうこくぐんミざき)より乗船玄(じやうせんげん)海のり廻(まは)し小倉より瀬戸内(せとうち)へ入る大坂上り伏見(ふしミ)より上陸美濃(じやうりくミの)路東海道を
へて来る御伝馬(てんま)を給ふ
{長文につき以下略}
{袖}不許路傍行販"		

対外関係 N005

蒸気船本名フレガット

嘉永6年(1853) 37.5×47.5

		
"蒸気船本名フレガット
長サ四十八間
巾 十五間
帆柱 三本
石火矢 六挺
大筒 十八挺
煙出長 一丈八尺
水車丸サ 四間半
人数 三百六十人乗
夫世界万国ハ四大海
六大州アリ大東洋。小東洋。
大西洋。小西洋。アジヤ州。
ヨヨヲロツハ州。リミヤ州。
メカラニカ州。南北アメリ
カ州。是ヲ云ナリ大日本国ハ
アジヤ州ノ内東方ニアタリシ
島国ナリ又北アメリカハ日本ノ
東ニ当リテ
海上ノ里数
凡五千里ノ■([虫喰])
此国ノ内南方ニ合集国
ワシントント云大府有是ヨリ諸方ヘ
運送セル豊饒ノ地ナリ此国開ケテ千八百五十三年
独立建国以来七十七年ニナル此度王命ニ依テ
使舟渡来セリ船名ヲ
フレカツトト云名附
テ蒸気舟ト云
此車舟モトハ
ヨヨヲロツハ諸国ニテ用ヒシ
舟ナリシガ今アメ
リカヘワタリ
テ造立ス
使節此舟
ニ乗ジテ内海ヘ
入港セリ流走ノ早キ
コト一時三十里一昼夜
三百六十里ヲハシル
タトヘ大風雨逆浪ヲ
イトハズ走ルトキハ
アタカモ龍ノ大海ヲ
ワタルガコトシ
軍艦シユケハンナ
長サ 三十間
巾 十三間
帆柱 三本
大筒左右 十六挺
石火矢 六挺
人数三百人乗"		

対外関係 N006

北亜墨利加大合衆国人上官肖像之写

嘉永7年(1854) 34×25

		
"北亜墨利加大合衆国人上官肖像之写
人名アーダムス
年齢四十有余
大将トシテ以上十六人
西浦賀館浦へ上陸
衣服紺羅紗
ホタム肩フサ
唐真鍮
アメリカ言葉
父ヲランペー母メランペー夫婦パカンパア
魚キヨコレンポ尻ノツフラ銭ココンチア
金キヤンパ銀チイパレ遊山モレフル
産コランチア葬送ムカチア芋リヨン
味ポヲ醤油シーツポ酢ヒイル
酒ハルペル鰹ペール毛ロヲモ
家コレテチ畠フウ菜ヒヨンポ
大根スレチ三弦ムチア役人モツタウ
応接
浦賀御奉行井沢美作守
御目付鶫殿民部少輔
皇朝嘉永七寅孟春
神風館紀於呂香図{印二つ} "		

対外関係 N007

あめりかことバ和解の写

嘉永7年(1854) 23×30.5

		
"あめりかことバ和解の写
天保十一年庚子正月五日
土佐の国旛多(はた)郡(ごほり)中浜
漁師万治郎(りやうしまんじろう)
同国西三崎浦
より悪風(あくふう)にあひ
北亜墨利加へ漂(ひやう)
流(りう)なし彼国(かのくに)に三年住栖(すまい)して嘉永
五年壬子七月上旬目出たく帰国(きこく)なす
土佐の国宇佐郡
漂流の漁師
外四人 船頭 五十才 伝蔵
乗組 四十二才 重助
同 二十八才 五右衛門
同 三十八歳 荒右衛門●アメリカ
人名イツヒイ
三月十八日東海道▲
▲神奈川浦より
上陸して川崎六郷
より大師河原まで
いたり本船へもどる
てておやの事を おらんへーと云
ははおやの事を めらんへーと云
ふう婦の事を ぱかんパあと云
さかなの事を きよんぽうと云
しりの事を のつふらと云
ぜにの事を こおんちやと云
かねの事を きやんぱあと云
ぎんの事を ちいぱんと云
ゆさんの事を をれふると云
みやげの事を あらんちやと云
とむらいの事を むかちやと云
いもの事を りよんといふ
あまいもの事を まんといふ
あしわいの事を ほうとといふ
毛の事を ろうもといふ
いへの事を これてちといふ
はたけの事を ふうといふ
なの事を ひこんほといふ
大こんの事を すんちといふ
みその事を むちやといふ
三みせんの事を とらねたといふ
役人の事を もつこうといふ
さまといふ事を めしたきといふ
みやこの事を いめんといふ
はかの事を ふるいんといふ
しやうゆの事を しーつほといふ
すの事を ひいるといふ
さけの事を はるぺるといふ
■■([虫喰])の事を へーるといふ
おならの事を すかつぽんといふ
異船より浦賀おきへ
ながし候異物
なになるか不知
嘉永七甲寅正月十一日
北亜墨利加大合衆国の
軍舶日本へ渡来ス "		

対外関係 N008

異人登山に富岳の怒り(仮)

万延1年(1860) 22.5×29.5

		
"抑々富士山ハ人皇六代
孝安天皇の御時一夜ニ
あらハれたもふ御山に
して其後やまと
だけのミこと御山
をふミひらき
三国第一の
御がくをかか
せたもふまつ
る神ハ木の花
さくやひめの尊
れいげんあらた
なる事諸人しると
ころなり六十一年目庚
申の年にハ男女とも登山
いたす当年も御ゑんねん
の事なれバ男女とも
さんけいくんじゆなす
当七月中旬いこく人
ふじ山へ登山いたしたき
むね相願右いこく人ふじ
山とざんいたし候ところ
七合五勺めころに
相なりにハかにくもおこる
かと見へしが風ふき出しくもの中にてわれ
こそハ御山の中わうにある小ミたけ石そんなり
御山ハ日本第一のあらたなるれいざんなりいじんハ
登山すべからずはやく下さんいたすべしと御こへ有し "		

対外関係 N009

遣米使節乗船の図(仮)

不明 22.5×30.5

		
"大日本ヨリ
アメリカ州へ
渡海の御船
日本丸
長サ四十六間
環光丸
長サ四十五間
御上使
御役人
外国御奉行
新見豊前守様
村垣淡路守様
木村摂津守様
御■([虫喰])付
小栗豊後守様
此外御人数
二千人ヨ
{異筆}
あべれ川
申正月十四日立
同二十日立 二月十七日朝地震 "		

対外関係 N010

異国人の図(仮)

不明 29.5×23

		
"紅毛人
寛永十八
辛巳年
長崎ニ初テ
渡海
大清人
元禄二丁
巳年始入
崎陽唐
舘
魯西亜人
文化元年
甲子ノ秋
九月七日
渡来 "		

対外関係 N011

宗対馬守様朝鮮人行烈付

不明 31×117

		
"紅毛人
寛永十八
辛巳年
長崎ニ初テ
渡海
大清人
元禄二丁
巳年始入
崎陽唐
舘
魯西亜人
文化元年
甲子ノ秋
九月七日
渡来 "		

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