大阪新聞錦画



大阪新聞錦画 N001

大阪新聞錦画 第一号

不明 28×19.5

		
"長州小月駅の青柳与七郎が三男兵之助
ハ今年九才の小童なるが一昨年の五月より
初て小学授に入門せしより日々の勉強(べんきやう) 怠(おこた)らず
学登山(がくとうさん)之諺をよくわきまへ終に生徒(せいと)の上等
といふべきに其父母が懇家(こんい)の法事(ほうじ)に連れゆかんと云(いい)■
を一日の惰(やすみ)に明友の追抜(おいぬ)くをおしみけれバ終(つい)に親ハ
其意(い)に任(ま)かせ家内のこらず出て連れゆかず兵ノ助ハ
午時に帰り昼飯(ひるめし)喰(くわ)んとせしに漬物の醤油
すこしもなき所へ表を通る醤油売を呼入れ
升買ひて其男へ代料(だいもつ)ハ母がかへらばもらひ呉(く)れ
と約してそれぞれ喰おわり又学校へ出行しあとへ母(はは)
一寸帰り来り台所に一書あるを見つけ与七郎へ持行
見せる文ニ曰
学校より十二時に帰り昼飯を進む時に
醤油売前を通れり予是を止めて醤油
を買求め候三月二十八日 青柳兵之助とありしを
年回の席(せき)へ出し
ければ一座のめんめん
まことに文明のあり
がたきに子才気を
感(かん)ぜぬもののなか
りける
文花堂記"		

大阪新聞錦画 N002,N003

大阪新聞錦画 第三号

不明 28×19

		
"東京高井戸村辺に明治八年四月二十日ある家の七歳になる女の子が去年(きよねん)生(うま)れの
赤子(あかご)を守(も)りして夕方ひとり帰(かへ)り母ハ赤子を尋(たづね)しにおまへがいつもあんまり泣たら川へ
はめるといふ通り泣て仕(し)よふがないゆへに川へはめて戻(もど)つたと聞より母ハ気も狂乱(くるひ)いそぎ川辺(べ)川辺
居て見れど最早(もはや)流れて知れぬゆへ内へかへり女の子を捕(とら)へさんざんせつかんせし所あたり所が
悪(わ)るかつて此子も死んで大変(へん)となりしを母ハ思ふやう夫(おつと)の留守に申訳(わけ)なしと又此母も
身を投(な)げて因果(いんぐハ)は巡(めぐ)る一日に三人連れの死出(しで)の旅(たび)三途(づ)の川の浅はかな事とうわさも
高井戸のあわれといへど愛着(あいじやく)の薄(うす)きことにてあらずや
子のあるおかたハ耳をさらへ
よくおききと
読うり
八十八号に
歎(たん)ぜり
文花堂誌"		

大阪新聞錦画 N004

大阪新聞錦画 第六号

不明 24×17.5

		
"下谷仲御徒(かち)町四丁目
住(じう)料理人六兵ヱハ子供が
三人あり親子いたつて睦(むつ)しく暮(くら)して居れど
近頃ハチト献立(こんだて)が間違(まちかふ)てすすみ兼たる飯ト汁
病気の床(とこ)の看病(かんひよう)を娘二人か深切(しんせつ)な世話のかひさへ
なくなりて又母おやが病につき二汁五菜(にじうごさい)の難(なん)じうは
ドウ精進(しようじん)の種もなくわづかな稼(かせぎ)を身に
引受医者(いしや)よ薬と辛(つら)
き目ハ少しもいとはぬ
孝行娘を東校御雇
外国人がふいと見そめて妾(てかけ)にせんと月に
三十円ヅツ身の代を遣(や)るといへども中々に否(いや)とばかりで
承知せずいかに零落(おちぶれ)たればとて外国人に見(まミ)ゆべきと断(ことわ)りました
心の潔白(けつはく)彼(か)やうに心がけ有たい物と読売百十号を見て賞ス"		

大阪新聞錦画 N005

大阪新聞錦画 第九号

不明 25.5×18.5

		
"盤城の国亘理(わたり)駅に松之助といふ母一人と子一人ありて妻を亡(うしな)ひいとどさびしき
老の坂五十年(いそじ)をむかふ春心同町豊吉が後添(のちぞ)ひハ姿色(きりやう)も
よきに思ひそめ貧(ひん)なくらしの
豊吉が辛(から)き世わたり
塩売に出し跡にて茶
呑(のミ)ばなしせめてハ閨(ねや)のおき
ふしにおまへのよふな政所(まんどころ)思ふ心の一森(いちもり)を
たててほしいの口切りが喜(き)せんの花香(が)忍(しの)ば
しき中となりしが日にまして斯(か)うなるからハ
金にかへ貰(もら)ひかけて見ようかと媒(なかだち)たのミ
豊吉へ問(と)へば金十円も下さらば譲(ゆづ)りもする
との返事を喜(よろこ)び金をととのへ引取るに
六十あまりの母おやへ此女の
親父(おやじ)を聟(むこ)となしつれ
子の娘を息子に娶(めあハ)し
三組揃ひし婚礼(こんれい)を一荷にになふ
重荷(おもに)さへかろき
趣向(しゆかう)を四海なミ
その噂(うわさ)に聞高砂や
あたりの人々是を
見て三々九度のくど
くしきを嘆息(たんそく)
せしハ
日々新聞
千五百号ニ
出たり"		

大阪新聞錦画 N006

大阪新聞錦画 第十一号

不明 25×18

		
"武州橘樹(たちばな)郡吉田村の百姓七之助が娘おさよハ十八才なるおとなし者(もの)が
ふいと服(はら)がふくれたを親ハ正直一へんの契(ちぎ)りし事がかうなつたあい
かたを糺(ただ)さんといろいろ言葉に嵩(かさ)をかけ問へどこたへも知らぬとばかり
男をもたで人ハ妊(にん)なすやいわねバころすと怒(いか)りに
たへず
母ハ泣々是をとどめわたくしがゆるゆる
たづぬると子ゆえのやミも更(ふけ)わたり奥の一間へ
娘を入れ其夜ハそれぞれ寝入りたる
翌朝見れバ梁りに首を縊(くく)りし
娘の一ト筋玉の緒(を)さへも切れ
果し近所の医者(いしや)むかへ
体(からだ)の様子うかがひしに
是張満(ちやうまん)の病なり両(ふた)おや
さも一てん動(どう)しおやのいたらぬ責(せめ)によりはか
なくなりし悲(かな)しやと跡の祀(まつ)りの野送りと
悔(くや)ミなげきしあわれの咄しハ
読売百十四号ニ記す"		

大阪新聞錦画 N007

大阪新聞錦画 第十四号

不明 24.5×17.5

		
"日向国城ヶ崎村船乗業日高幾次郎が後妻かよハ七十一才の達しやもの
すぎし弘化の秋の頃阿波の鳴戸のあら浪に夫幾次郎が底(そこ)の木屑(もくず)と
なり果てし渡りに船を失ふてのちハ九十二になる姑(しうとめ)きんを大切(たいせつ)に取つぐ
島の機織(はたおり)にその賃仕ごと細々と糸くり車にくる日も三十一か年共に
稼(かせぎ)て貞節(ていせつ)貞心近頃きんハ歩行(ほこう)だに自由にならぬを背に負(お)ひて
ちん守(じゆ)の祭礼村芝居につれ行また朝夕の魚野菜(さひまハり)寝酒の世話も
こまごまと心をつかふて慰(なぐさ)むる実孝奇特の
ふるまいを旧飫肥藩(おびはん)で
ほう賞(しやう)あり此度福山参事
も心付られ生涯扶持(しようがいふち)し賜ハらん
ことを内務省へ伺出られたる
美談ハ
報知六百八十八号ニ出"		

大阪新聞錦画 N008

大阪新聞錦画 第十五号

不明 28×19.5

		
"東京神田錦町一丁目に姉をかまといい
妹をてるといふ二人りの女父ハ幸手(さつて)宿の
万や弁次郎と云て生来(せうらい)深切(しんせつ)な人なるが
いかなる前世の約束やら女房にわかれて後ハ
眼(め)がつぶれ頼みとするハ子供二人りそれに娘の
不心得盲人の長命(ながいき)邪魔(じやま)になる三度の食事の厄介(やつかい)を
親に向ふて悪口雑言終(つゐ)にハ我家をあとにする親ハ泪に
くれぬ日とてハなく聞(きい)ても
腹のたつ咄叢出(くさむらいで)し二疋の
けもの生捕(いけどり)まして面(つら)の皮(かハ)はぎと
会(くハい)の水にさらしたきアア浅ましき人面
獣心孝の一字を二つにわけても合点(がてん)のゆかぬ
無論者(むろんもの)憎(にく)むべしまた歎(なげ)くべきと読売百二十二号ニ出せり"		

大阪新聞錦画 N009

大阪新聞錦画 第十六号

不明 25×17.5

		
"甲州大目村の岡部伊左ヱ門ハ七ケ年ごし
つらい貧乏(びんぼ)に病ひがのりこし困(こまつ)て居るを十七ニなる
息子竹次郎が
よハりし父を
いたはりて
その枯芝(かれしば)を
山々で拾(ひろ)ふて
孝のメ括(くく)りおくる
月日もきのふけふ
あすかの瀬(せ)にハ
漁(すなど)りし薬の代(しろ)
となしつつも
看病(かんびよう)おこたる
事ハなく孝行
つくす甲斐もなく明治八年三月に散るが淡雪(あわゆき)と
なり果し父を歎(なげ)きてやまざりし又弟の安次郎ハ兄を大事に孝行も共に
つくせし隙(ひま)あれバ
学校へかよひて
上等までに昇(のぼ)りしを兄ハ
至孝のため読(よミ)
かきかなハず是後悔(こうくハい)と
弟の稽古を頻(しき)りに
すすめるといふがトント諸方の子達
此竹さんや安さんの真似をなさいま
せと読うり百二十三号に出せり"		

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