官許勧善懲悪錦画新聞



官許勧善懲悪錦画新聞 N001

官許勧善懲悪錦画新聞 第一号

不明 25×18

		
"大坂平野町御霊(ごりよう)
社裏門(うらもん)まへに西洋(せいよう)造(つく)
りの家を建(たて)たる燕亭(えんてい)と
いふ人は平民中(へいみんちう)の文明家(ぶんめいか)
にて其(その) 行(おこな)ひに於(おゐ)て 美事美談(びじびだん・メヅラシキコトハナシ)
あまたあり就中(なかんづく) 去年(きよねん)
中の島(しま)元柳川(やながわ)の
やしきを私有(しゆう・ジブンノモノ)となして
豊公(たいこう)の社(やしろ)を建西洋浴室(ふろ)及び
講場(こうしやくば) 茶店(ちやミせ)等を設(もう)けて一の繁花場(はんくわば)を
開(ひら)きし事(こと)はよく人の知(し)る所(ところ)なり今(いま)又(また)その地内(ぢない)に我斯(がす)
燈(とう)数多(あまた)取(とり)たて一時(いちじ)に火を点(とも)して諸人(しよにん)の知識(ちしき)を
増(ま)さし
めん事を
企(くわだて)て機器師(さくし)
安田義房(やすだよしふさ)といへる
ものに細工(さいく)をさせ
ミづからも手(て)を下(おろ)して
地(ち)を堀(ほり)功(けう)を助(たす)けしに豈(あに)図(はか)らん地中(ちちう)より一ツつ壷(つぼ)をほり出し其(その)中(うち)を
ミれは保字(ほじ)小判(こばん)百枚(まい)あり依(より)て早速(さつそく)其(その)趣(よし)を坂府(はんぷ)へ届出(とどけいで)たりとぞ
是(これ)天(てん)燕亭(えんてい)主人(しゆじん)の国(くに)のため人のために力(ちから)を尽(つく)すに感(かん)じて其(その)費用(いりよう)を
補(おぎな)ハしむる者ならんと人々いへり"		

官許勧善懲悪錦画新聞 N002

官許勧善懲悪錦画新聞 第二号

不明 25×18.5

		
"大坂第二大区八小区八
幡町三十七番地赤沢(あかさわ)何
某が妻(つま)おくらはもと川竹(かわたけ)の憂(うき)
ふしに流(ながれ)わたれる者(もの)なれどもう
きたる心(こころ)さらになく竹乃すぐなる生(うま)れにて此(この)赤沢(あかさわ)何某が
妻となりても操(ミさほ) 正(ただ)しく千代(ちよ)の行末(ゆくすへ)を契(ちぎ)れり此頃(このごろ) 夫(をつと)病事(やむこと)
ありて既(すで)に十死一生(じしいつしよう)の場合(ばあひ)にいたり医師(いし)もさまざま手(て)を尽(つく)せ
ども最早(もはや)治療(じりよう)の術(すべ)なしといふお倉(くら)はかくと聞(きひ)てあるにも
あられず夜(よ)な夜な水(ミづ)を浴(あび)ミ神(かミ) 仏(ほとけ)をいのりて看病(かんびよう) 実(げ)につく
さざる事(こと)なし其(その)真心(まこころ)天に通(つう)せしにや既(すで)に必死(ひつし)にさだまりたる病(やまい)
気次第(しだい)に本復(ほんぷく)して此頃(このごろ)全快(せんくわい)せりと精神(せいしん) 到(いたる) 所(ところ) 金石(きんせき)亦(また)徹(とほ)る
と実(げ)に感(かん)ずべき事なり川竹(かわたけ)育(そだ)ちのうちにも又かかる貞婦(ていふ)あり所謂(いわゆる)
泥中(どろうち)の蓮(はちす)とは此(この)おくらをいふべし "		

官許勧善懲悪錦画新聞 N003

官許勧善懲悪錦画新聞 第七号

不明 26.5×19

		
"大坂第一大区十九小区十二番地麩屋(ふや)渡(と)世藤井(ふじゐ)庄(しよう)兵衛が
妻(つま)つねハ行年三十歳貞実(ていじつ)にして憐(あは)れミ深(ぶか)く常に神佛を信仰せりこ
とし二月三日の夜(よ)二時ころ我が住居(すまひ)の納屋より出火(しつくわ)して近辺(へん)の人駈(かけ)つけ消防か力
をつくしおつねハかくと見るより井のはたに至(いた)りまだ厳寒の比(ころ)なるに繻伴ひとつと成て頻(しきり)に井の水をあ
ミ神仏いのりて我家(わがや)より出火したる事なれは我家の焼失するは是非(ぜひ)もなし只(ただ)我火(ひ)を他に
移し多くの人の難渋(き)せざるやふにと一心不乱(いつしんふらん)に祈誓(きせい)したり其真心を神(かミ)もあわれミたまひてや
消防(ひけし)多人きたらぬ程(うち)に鎮火(しずまり)したり婦人(をんな)の情にては一品も多く持退(のか)んとありふへきを此
る際にも我(ハれ)を捨(すて)て他を思ひて祈念するぞ女のこころには稀(まれ)なりといふべし
藤井時習舎しるす "		

官許勧善懲悪錦画新聞 N004

官許勧善懲悪錦画新聞 第十六号

不明 26×19

		
"去る五月十九日の夜或る英人
神戸四の宮辺を通りかかりしに
木(こ)かげに婦人の涕泣悲歎(かなしむ)
有様英人見かねて立より
何事にやと尋(たづ)ぬれども言語(ことバ)不通(わからず)
なれバ始末わからずされども困苦(こんく)に
せまりて身をも捨んとする形勢(ありさま)おのづから通(つう)
ぜしにやそぞろに気のとくに思体にて洋銀一枚を
とりだし是を恵(めぐ)ミ明朝わが館(いへ)へ来るべし舎内(うち)にハ日本人もあまた有バ
なを委(くハ)しく様子を聞とりて助成のしかたもあらんと懇(ねんごろ)にいひて立別れけり
翌朝カノ婦人をしへのままに英人が館舎に尋ね来りて日本人につきて
前夜の
恵ミを謝(しや)し
なを委細(いさい)の様子を
問ハれていふ様ハわらハもと
横浜にて豆腐屋の娘お梅といふ者なるが夫(おつと)に随(した)ひて當港(こうべ)へ
来たりしに不仕合うちつづき終(つい)に夫におき去(さ)りにされ夫の行(ゆく)へを
尋ぬれどもめぐりあハず横浜に帰(かへ)らんと思へども今ハ一銭のたくハへなけれバいかんとも詮(せん)かた
なく死ぬより外なしと覚悟(かくご)きハめし折から異(い)人様のお恵ミにて地獄で仏とうれしさのお礼に
まいりましたといふに英人そのよしを聞なをさらあハれミさらバ故郷へ送り帰しとらせんとミつから
船切手を買来り金一円を添(そ)へて婦人にあたへ横浜へ送り帰せしとぞ縁(えん)もゆかりもなきものをかく迄に深切(しんせつ)に世話する英人のこころざし実にかんずるにあまりあり希ハくバかかる困(こん)
窮(きう)のものハ英人の助けによらず区戸長の注意にて送り帰したきもの也と或人いへり"		

官許勧善懲悪錦画新聞 N005

官許勧善懲悪錦画新聞 第十九号

不明 26.5×18

		
"前車(ぜんしや)のくつがへる禁(いま)しめをも用(もち)ひぬ
人力車曳(ひ)き高津町七番町
栗駒久吉が不所存(しよぞん)の其(その)起(おこ)りを
尋(たづ)ぬれバ此久吉おのが車を千日
前(まへ)の見(ミ)セもの小家(こや)のほとりへ捨置(すておき)
他(よそ)に行(ゆ)きし其間(あい)だになんバの農夫
菅原茂兵衛の娘亀江(かめへ)といふもの当年(ことし)
漸(やふや)く九年八ヶ月にて何(なん)のぐハんぜもなく此久吉がから車に
のりいねむり居たる所へ久吉帰(かへ)り来り此(この)体(てい)を見(ミ)て折ふし
人通りも絶(たへ)たる夜半(よハ)の事ゆへフト春情(いろけ)を起(おこ)し。カノ亀江
を姦淫(かんいん)せんとなすに。亀江ハ驚(おどろ)き眼(め)をさまし。あなやと声(こへ)を
たちまちに。お巡(ま)りに見とがめられ屯所(たむろしよ)へひかれ吟味(ぎんミ)と
なり久吉ハ姦淫(かんいん)の罪(つミ)により七ヶ年の懲役と
なりしとかや其辺(そのへん)の人の狂歌に
七年は
ちと
久吉の
人力車
くさびも
さらで
庁へ
ひか
るる
時習舎述 "		

官許勧善懲悪錦画新聞 N006

官許勧善懲悪錦画新聞 第二十号

不明 26.5×18.5

		
"京都府下上京第十五区中立売
上福寺上ル佐々木清次良ハ小倉地
織(おり)を職業(かぎやう)となし下職(したしよく)人も多(おお)き其(その)
中に上京第七区笹屋町通り飯(いい)
森(もり)宗吉といへるハ当二十一年三ヶ月
同第十五区中立売通り中嶋
徳次良の母おしづといへるものハ
当四十二年十一ヶ月なり
此(この)両人(ふたり)三四年前より
佐々木
方
の
織子(おりこ)となり
稼(かせ)ぎしうち
フト馴染(なれそめ)て深(ふか)く
なりしが宗吉ハ兼(かね)て病身(びやうしん)ものにて十(ぢう)
分(ぶん)に稼ぎもあらざるゆへおしづも常々(つねづね)
辛労(しんろ)なしいろいろ思いをつくし居(を)りしが
フト六月三日両人もろとも大阪へ下り
所々見物なしついに金子も遣(つか)ひはたし
京へ帰(かへ)るも帰られず死(し)ぬより外(ほか)にし
かたなしと愚(ぐ)なるかな両人ハ覚悟(かくご)を極(きめ)
て川口の運上所の門(もん)ぎハに書置(かきおき)を
認め天神橋より投身(ミなげ)せしを巡吏(おまハり)
に見付られ幸(さいハ)ひに命(いのち) 助(たすか)り京都
府へ送(おく)られしとぞいかなる者なるにや
あまりの無分別(むふんべつ)ならずや
時習舎編輯"		

新聞錦絵 所蔵リスト
図書室トップページ