近世人物誌


近世人物誌 N001

近世人物誌 やまと新聞付録 第一

明治19年(1886)10月12日 36.5×25

		
"天璋(てんしやう) 院殿(ゐんでん)
天璋(てんしやう) 院殿(ゐんでん)ハ御名(な)を敬子(けいし)と申す松平(まつだいら) 薩摩守(さつまのかミ)
斉彬(なりあき)朝臣(あそん)の御女(むすめ)にして近衛家(このえけ)の御養女(やうぢよ)となり
安政(あんせい)三年十一月柳営(りうえい)に御入輿(ごじゆよ)あり徳川(とくがハ)十三代将軍(しやうぐん)
家定公(いへさだこう)の御台所(ミだいどころ)とならせ玉ふ家定公(いへさだこう)薨去(こふきよ)の
後(のち)ハ落飾(らくしよく)ありて天璋(てんしやう) 院殿(ゐんでん)と号(がう)し静(しづか)に風月(ふうげつ)を楽(たのし)
ミ先公(せんこう)の御菩提(ぼだい)をのミ吊(とむら)ハせ玉(たま)ひしに転変(てんべん)ハ有(う)
為(ゐ)の世(よ)の習(なら)ひとて戊辰(ぼしん)の戦乱(せんらん)俄(にハか)に起(おこ)り修羅(しゆら)闘(とう)
場(じよう)の吶喊(ときのこゑ)に却風(がうふう)真如(しんによ)の月(つき)を掠(かす)めたり此(この)折(をり)徳川(とくがハ)
家(け)存立(そんりふ)の事(こと)につき御心(ミこころ)を労(らう)し玉(たま)へる事(こと) 少(すくな)からず
斯(かく)て此(この)乱(らん)平(たい)らぎて世上(せじやう)の波風(なミかぜ)治(おさ)まりし後(のち)ハ千駄(せんだ)が
谷(や)の邸(てい)に在(おハ)して後生(ごしよう) 善所(ぜんしよ)の御勤(つとめ)の外(ほか)平生(へいぜい)好(この)
ませ玉(たま)ふ謡曲(ようきよく)の御慰(なぐさ)ミより他事(たじ)もなく蓬窓(ほうさう)
雨滴(あめしたた)る夕(ゆふべ)にハ三界(さんがい)惟心(ゆいしん)の理(ことハり)を諦(あきら)め拾(ひろ)ふ木(こ)の実(ミ)の
数々(かずかず)に五衰(ごすゐ)滅色(めつしき)の秋(あき)を観(くわん)じ斯(かく)して歳月(としつき)を送(おく)
り玉(たま)ひしが明治(めいぢ)十六年(ねん)十一月二十日(はつか)仮初(かりそめ)御痛(いたハ)り
の重(おも)らせ玉(たま)ひて御年(おんとし)四十九と申すに逝(かく)れ玉(たま)
ふ此君(このきミ)平生(へいぜい)慈悲(じひ)深(ふか)くまして仁愛(じんあい)の御心(ミこころ) 年頃(としごろ)
畜馴(かひなら)し玉へる猫(ねこ)に迄(まで)も及(およ)ぼせり御隠棲(ごゐんせい)の
後(のち)ハ常(つね)に御身(おんミ)を慎(つつし)ミて諸事(しよじ)事(こと)省(そ)ぎたる
御有様(ありさま)にて在(おは)せしが然(さ)りとてつきづきの女中(ぢよちう)
方(がた)にハ不時(ふじ)の賜物(たまもの)多(おおに)くありされバ人々(ひとびと)と其(その)
御恩(ごおん)を辱(かたじけ)ながりて名(な)ハ主従(しゆじう)といふも情(じやう)ハ猶(なお)
母子(ぼし)の如(ごと)く懐(なつ)き慕(した)ひ奉(たてまつ)らざるも無(なか)りしといふ
渋柿園(じふしゑん)主人(しゆじん) 謹(つつしん)で識(しる)す "		

近世人物誌 N002

近世人物誌 やまと新聞付録 第二

明治19年(1886)11月6日 36.5×25.5

		
"中村(なかむら)芝翫(しくわん)の妻(つま)
俳優(はいゆう)中村(なかむら)芝翫(しくわん)の妻(つま)ハ名(な)を阿光(おミつ)と呼(よ)び新吉原(しんよしハら)
仲(なか)の町(ちよう)の茶(ちや)や渡世(とせい)尾張屋(おはりや)五兵エ(ごへゑ)の養女(やうぢよ)なり
光(ミつ)の芝翫(しくわん)に嫁(か)するや世帯(せたい)を仕舞(しま)ひ母諸共(ははもろとも)
一家(いつか)を挙(あげ)て移住(ゐぢう)せしものの如(ごと)く所謂(いはゆる)合併(がつへい)世(せ)
帯(たい)と云(い)ふものめきたり光(ミつ)の才女(さひぢよ)たるハ梨園(りえん)
社会(しやくわい)に隠(かく)れなきも事(こと)を処(しよ)するや大小(だいせう)となく
芝翫(しわん)の耳(ミミ)に入(いれ)て其(その)承諾(しようたく)にあらざれバ行(おこな)ハず平(へい)
素(そ)ハ柔和(にうわ)にして声高(こハだか)に人(ひと)と物言(ものいひ)たる事(こと)なし
然(しか)れども事(こと)に臨(のぞ)ミて動(どう)ぜざるハ男子(なんし)と雖(いへど)も
及(およ)ばざるが如(ごと)し其(その)一例(いちれい)を挙(あげ)なバ一年(ひととせ)土用(どよう) 休中(やすミちう)
芝翫(しくわん) 菊五郎(きくごらう)の一座(いちざ)にて静岡(しづおか)地方(ちはう)へ趣(おもむ)きたる
事(こと)ありしに其(その)興行(かうぎよう)ハ充分(じうぶん)の入(いり)ならざりて
得失(とくしつ)償(つぐな)ふに足(た)らざるより立元(たてもと)ハ五日間(いつかかん)の日延(ひのべ)
を一切(いつさい)無給(むきう)にて出勤(しゆつきん)せよと乞(こ)ふて止(やま)ず為(ため)に
帰京(ききよう)の日取(ひど)りを遅(おそ)くし一同(いちどう)の迷惑(めいはく)大方(おほかた)な
らず剰(あまつ)さへ立元(たてもと)ハ元新徴組(もとしんちようぐミ)の何某(なにがし)など
呼(よべ)る鬼(おに)とも取組(とりく)むべき屈竟(くつきよう)の壮士(さうし)四五人を頼(たの)ミて掛合(かけあふ)に無給(むきう) 出勤(しゆつきん)の事(こと)を以(もつ)てせかされ
バ一同(いちどう)怖(おそ)れをなして之(これ)に答弁(たふべん)する者(もの)なき
を光(ミつ)ミづから出会(いであふ)て弁解(べんかい)する所(ところ)ありしに
壮士(さうし)も其理(そのり)に服(ふく)して日延(ひのべ)の談(だん)爰(ここ)に局(きよく)を結(むす)び
其(その)翌日(よくじつ)帰京(ききやう)の途(ミち)に就(つ)き秋(あき)興行(かうきやう)の初日(しよにち)に障(さハ)り
無(なか)りしハ偏(ひとへ)に光(ミつ)の胆力(たんりよく)を拠(よれ)り加之(しかのミ)ならず糸竹(いとたけ)
の業(わざ)ハ其(その)専門家(せんもんか)も遠(とほ)く及(およ)ばざるの妙(めう)ありて
養子(やうし)福助(ふくすけ)の曩(さき)に阿古(あこ)やを演(えん)じ頃日(このころ)朝皃(あさかほ)に扮(ふん)
するや琴(こと)ハ光(ミつ)の教授(けうじゆ)に出(いで)たりと芝翫(しくわん)の性(せい)温良(おんりやう)な
るに此(この)妻(つま)あり天(てん)の配剤(はいさい)妙(めう)なりというべし
魁香舎(くわいかうしや)主人(しゆじん)しるす "		

近世人物誌 N003

近世人物誌 やまと新聞付録 第三

明治19年(1886)12月11日 37×25

		
"磯林(いそばやし) 大尉(たいゐ)
歩兵(ほへい)大尉(たいゐ)磯林(いそばやし) 真三君(しんぞうくん)ハ高知(かうち)の人なり明
治四年藩兵(はんぺい)に入りて上京(じやうきやう)して七年陸軍(りくぐん) 少尉(しやうゐ)試(し)
補(ほ)に拝(はい)せられ累遷(るゐせん)して中尉(ちうゐ)となれり十一
年八月近衛(このえ)諸兵(しよい)の暴動(ぼうどう)に際(さい)し君(きミ)単騎(たんき)に
して竹橋(たけばし)の兵営(へいえい)に至(いた)り甘言(かんげん)を以(もつ)て暴徒(ぼうと)を欺(あざむ)
き 皇居(こうきよ)の門外(もんぐわい)に誘(ミちび)きて悉(ことごと)く之(これ)を捕(とら)へたり
当時(とうじ)の人(ひと)皆(ミな)君(きミ)の強胆(ごうたん)と機敏(きびん)とに驚(おどろ)かざるハ
なし十五年七月朝鮮(てうせん)の変(へん)あり君命(きミめい)を奉(ほう)じて
韓地(かんち)に入(い)る其後(そののち)公使(こうし)館附(くわんづき)となり尋(つい)で大尉(たいゐ)に
拝(はい)せらる十七年十二月京城(けいじやう)の乱(らん)起(おこ)る君(きミ)此乱(このらん)に
先(さき)だちて江原道(こうげんだう)の諸要地(しよえうち)を巡覧(じゆんらん)す其(その)途中(とちう)
公使(かうし)竹添君(たけそへくん)の発(はつ)したる変報(へんほう)に接(せつ)し急(きう)に京城(けいじやう)
に入らんとす時(とき)に護衛(ごゑい)の韓官(かんくわん)金某(きんぼう)其(その)難(なん)に遭(あハ)
んを虞(おそ)れ路(ミち)を転(てん)じて仁川(にんせん)に出んを勧(すす)む君(きミ)奮(ふん)
然(ぜん)叱(しつ)して日(いハ)く我(われ)ハ公館(こうくわん) 護衛(ごゑい)の軍人(ぐんじん)なり今(いま)我(わ)が
公使(こうし)の急難(きふん)に罹(かか)ると聞(きき)奚(いづく)んぞ他方(たほう)に避(さく)
るをせん汝等(なんぢら)日本(につぽん)武官(ぶくわん)の為(す)る所(ところ)を見(ミ)よと
馬(むま)に鞭(むち)うちて直(ただ)ちに馳(は)せ南大門(なんだいもん)に対(むか)ふ忽(たちま)
ち暴民(ぼうミん)数(すう)百あり八方(はつぽう)より群(むらが)り起(おこ)り石(いし)を飛(とバ)す
こと雨(あめ)の如(ごと)し君(きミ)大声(たいせい)叱咤(しつた)馬(むま)を躍(おど)らして蹂躪(じうりん)
す然(しか)れども衆寡(しゆうくわ) 敵(てき)せず其(その)随行者(ずゐかうしや)二名(めい)と共(とも)
に遂(つひ)に乱石(らんせき)の下(もと)に斃(たを)る噫(ああ)痛(いたま)しい哉(かな)抑々(そもそも)君(きミ)の
碧血(へきけつ)ハ空(むな)しく鶏林(けいりん)の野(や)を浸(ひた)すと雖(いへど)も其(そ)の
功烈(こうれつ)ハ金石(きんせき)に録(ろく)し史籍(しせき)に輝(かがや)きて千秋軍(せんしうぐん)
人(じん)の亀鑑(きかん)となれり君(きミ)また以(もつ)て瞑(めい)すべき
なり
野馬(やま)台生(たいせい)識(しる)す "		

近世人物誌 N004 ,N005

近世人物誌 やまと新聞付録 第四

明治20年(1887)1月30日 37×24.5

		
"徳川溶姫君(とくがハえうひめぎミ)溶姫君(えうひめぎミ)ハ徳川(とくがハ)十一代(だい)の将軍(しやうぐん) 文恭院(ぶんけういん)殿(でん)の御息(ごそく)
女(ぢよ)にて加州(かしう)の太守(たいしゆ)前田(まへだ)斉泰卿(なりやすけう)に嫁(とつ)ぎ給ひし
御方(おんかた)也幕府(ばくふ)世盛(よさかり)の頃(ころ)ハ歴代(れきだい)積威(せきい)のある所(ところ)
全国(ぜんこく)の諸侯(しよかう)ハ国主(こくしゆ)外様(とさま)の別(わかち)なく自(おのづか)ら臣下(しんか)の
如(ごと)くなりしかバ将軍家(しやうぐんけ)の御息女(そくぢよ)にして諸州(しよしう)
太守(たいしゆ)の許(もと)へ婚嫁(こんか)ありし向(むき)をバ御守殿(ごしゆでん)と唱(とな)へ
て其(その) 扱(あつかひ) 尋常(じんでう)の奥方(おくがた)の比(ひ)に非(あら)ずをさをさ殿(との)を凌(しの)
ぎ給ふ御勢(いきほひ)ある習(ならひ)なりしが此(この)加州(かしう)の太守(たいしゆ)斉(なり)
泰(やす)卿(けう)と申(まを)すハ同家(どうけ)歴代(れきだい)の中(うち)三世(さんせい) 利常(としつね)朝臣(あそん)
以来(いらい)の明君(めいくん)にて御座(おは)しけれバ時(とき)の覇者(はしや)の
御娘(むすめ)なりとも女(をんな)ハ嫁(か)して夫(おつと)に従(した)がふこと先(せん)
賢(けん)の教(をしへ) 当代(とうだい)の習(ならひ)なれバ妻(つま)にして夫(をつと)に勝(まさ)
る威勢(いせい)を保(たも)つ謂(いはれ)なしとて御祝言(ごしうげん)の翌日(よくじつ)奥(おく)
庭(にハ)にてお鷹狩(たかがり)あり黄昏時(たそかれどき)に帰(かへ)りたまひて
御庭先(にハさき)より緑女(えんぢよ)緑女(えんぢよ)と高(たから)かに呼(よび)給ひしにぞ姫(ひめ)ハ
忙(いそが)しく立出(たちいで)給ひけるに卿(けう)にハ橡端(えんばた)に尻打(しりうち)掛(かけ)て
我等(われら)が草鞋(わらんづ)解(とき)給へと仰(おおせ)られけり此時(このとき)姫君(ひめぎミ)若(も)し
此事(このこと)を否(いな)ミ給ひて打腹立(うちはらたち)給ふ御気色(けしき)あらバ離(り)
別(べつ)するも苦(くる)しからずとの御心(こころ)なりしとかや然(しか)るに
姫(ひめ)もまた尋常(よのつね)の女性(によせう)にましまさざりしかバ更(さら)に
厭(いと)ひ給ふ御気色(けしき)なく承(うけたまハ)り侍(はんべ)ると莞(にこや)かにのたまひて
疾(と)くお庭(にハ)に下立(おりたち)給ひ草鞋(わらんづ)を解参(ときまいら)せられしかバ
卿(けう)も深(ふか)く其(その)御心操(おんこころばへ)に感(かん)じ給ひ是(これ)より鴛鴦(えんわう)の
御語(かたら)ひ浅(あさ)からず膠漆(かうしつ)の御契(ちぎり)深(ふか)くして御腹(おんはら)に
男女(なんによ)数多(あまた)の御子(こ)生(うま)せられ姫(ひめ)御繁昌(ごはんじやう)の間(あひだ)
ハ側室(そばめ)をも置(おき)給はざりしとなん卿(けう)の御振舞(おんふるまひ)
姫(ひめ)の御心操(こころばへ)とりどりの御美事(おんびじ)にこそ
文字三昧楼主人題す "		

近世人物誌 N006

近世人物誌 やまと新聞付録 第五

明治20年(1887)2月20日 36×24

		
"江藤新平(えとうしんぺい)氏(し)
氏(し)ハ佐賀(さが)三平の壱人にて一度参議(ひとたびさんぎ)の要地(えうち)を
占玉(しめたま)ひしも遂に方向(はうかう)を過(あやま)りて刀下(とうか)の鬼(おに)となりし
事(こと)ハ普(あまね)く人(ひと)知(し)る所(ところ)なれバ贅(ぜい)せず未(いま)だ人(ひと)の耳(ミミ)
にせざる一事(いちじ)を掲(かた)げんに今(いま)を拒(さ)る二十年前(ぜん)明治五年
二月二十一日東京日々新聞(とうけいにちにちしんぶん)の初号発兌(しよがうはつた)の日(ひ)当時(とうじ)仮(かり)に
本局(ほんきよく)とせし浅草茅町(あさくさかやちよう)二丁目なる條野伝平氏(じようのでんぺゐし)が
宅(たく)へ身形(みな)りも然迄(さまで)ハ華美(くわび)ならざる一官吏来(いつくわんりきた)り
予(よ)ハ本日(ほんじつ)太政官(だじやうくわん)に於(おい)て東京日々新聞(しんぶん)と題(だい)せし
新聞(しんぶん)の発行(はつこう)あるを閲(けミ)し発行所(はうかうしよ)を見(ミ)れバ当家(とうけ)
なるを以(も)て一言(いちごん)忠告(ちうこく)為(な)し度事(たきこと)ありて参(まゐ)れり今(こん)
日ハいまだ新聞紙(しんぶんし)の何(なに)たるを弁(わきま)へざる者(もの)多(おほ)かるべ
けれハ極(きハ)めて得(う)る所(ところ)ハ費(つひや)す所(ところ)を償(つぐな)ふに足ざる
べし然(しか)れども世(よ)の進(すす)むに連(つれ)て販路(はんろ)を進(すす)むべき
ものハ新聞(しんぶん)に過(すぎ)たるものなし之(これ)を維持(ゐぢ)せんハ
忍耐(にんたい)にあり読者(どくしゃ)を増加(ぞうか)すべきハ勉強(べんけう)にあり足(そつ)
下(か)等(ら)此(この)二ツに能(よ)く堪(たへ)なバ一大商業(いちだゐしようげう)とならんハ十年を
期(ご)すべからずと其他(そのた)欧米(わうべい)の新聞(しんぶん)光京(ありさま)杯(など)懇篤(こんとく)に
長々(なかなか)と説諭(せつゆ)し予(よ)も本日より読者(どくしゃ)の壱(いち)人となるべけ
れバ明朝(みやうちよう)より配附(はいふ)を乞(こ)ふ遠方(ゑんぱう)なれバ序(つひで)もある
まじきが追々(おひおひ)順路(じゆんろ)に読者(どくしや)を増(ま)すべき様(やう)周旋(しうせん)も
すべし予(よ)ハ麹(かうじ)町七丁目の江藤(えとう)なりと言(い)はれしを
條野(でうの)ハ伊藤(いとう)と聞誤(ききあやま)り伊藤某(いとうなにがし)と仰(おふせ)らるるやと問(とひ)
たるに新平(しんぺい)なりとの答(こた)へに條野(でうの)ハ驚(おどろ)き貴顕(きけん) 自(みづか)
ら駕(が)を狂(ま)げ懇篤(こんとく)の教諭(きょうゆ)ありし事肺腑(はいふ)に銘(めい)じ
て忘却(ぼうきゃく) 仕(つかまつ)るまじと謝(しや)したり些宅(ちとたく)へも参(まゐ)られよと
帰(かへ)るを見(ミ)れバ門(かど)にハ荘麗(さうれひ)なる馬車一輌(ばしやいちれう)あり自(ミづか)ら
馭(ぎよ)して浅草橋(あさくさばし)の方(かた)へ至(いた)られたりとか先見(せんけん)の明(めい)あ
ると事(こと)に親切(しんせつ)なる此一事(このいちじ)を以(も)て知(し)るべし当時(とうじ)左(さ)
院(ゐん)副議長(ふくぎちやう)にて在(おは)せしといふ "		

近世人物誌 N007,N008

近世人物誌 やまと新聞付録 第六

明治20年(1887)3月29日 35×23.5

		
"
金瓶(きんべい)大黒(だいこく)の娼妓(しやうぎ) 今紫(いまむらさき)
中古(ちうこ)名妓(めいぎ)の評(へう) 騒(さハがし)かりし新吉原(しんよしはら)江戸町(ゑどてう)一丁目
金瓶(きんべい)大黒(だいこく)の抱(かか)へ遊女(ゆふぢよ)今紫(いまむらさき)ハ本名(ほんめう)を高橋(たかはし)
お幸(かう)と称(しやう)し始(はじ)め柳橋(やなきばし)にありて半玉(はんぎよく)の芸妓(げいぎ)
たりしが元治(げんぢ)元年秋(あき)十月同楼(どうらう)の抱(かかへ)となり
慶応(けいわう)二年五月二代目今紫(いまむらさき)の突出(つきだ)しにて
仲(なか)の町(てう)へ出(いで)名(な)を静(しづか)と唱(とな)ふ二世(にせ)今紫(いまむらさき) 根引(ねびき)
の僥倖(さいわひ)に遇(あ)ふの後(のち)三代目今紫となり妹(いもと)
娼妓(しやうぎ)おむらに静の名(な)を予(あた)へて之(これ)を突出(つきだ)し
其(その)翌年(よくとし)また静江(しづえ)を突出(つきだ)し二年間(かん)に二人(ふたり)
の突出(つきだ)しをせし事(こと)其(その)全盛(ぜんせい)想(おも)ふべきなり
一年(ひととせ) 吉原(よしはら)近傍(きんばう)洪水(こうずい)の事(こと)あるに臨(のぞ)ミ同楼(どうらう)
一二の娼妓(しやうぎ)と謀(はか)り金二百円宛(づつ)を罹災(らさい)の
窮民(きうミん)へ施與(せよ)し東京府庁(とうけいふちよう)より木盃(もくはい)一個(いつこ)
白(しろ)紬(つむぎ)一疋宛(づつ)を賜(たまハ)りたり或時(あるとき)天下(てんが)に有(いう)
名(めい)なる豪商(がうしやう)より根引(ねびき)の相談(そうだん)ありしも金(きん)
額(かく)の差(さ)等(とう)に由(より)て整(ととの)はず其(その)挨拶(あいさつ)とし
て豪商(がうしやう)より金二百円を送(おく)りしかど手(て)に
だに触(ふ)れねバ茶屋(ちやや)が仲裁(ちうさい)して之(これ)を燈篭(とうらう)
入費(にうひ)の寄附(きふ)と為(な)さしめたり明治(めいぢ)五年
遊女(いふじよ)解放(かいはう)の令(れい)あるや芝白金町(しバしろかねてう)にある
実母(じつぼ)ゑい方(かた)へ戻(もど)り一度(ひとたび)砂糖(さとう)商人(しやうにん)の妻(つま)とな
りしが間(ま)なく離縁(りえん)となり後(のち)新冨町(しんとミてう)に芝(しバ)
居茶屋(ゐぢやや)を開(ひら)き屋号(やがう)を三州屋(さんしうや)と呼(よ)び
一時(いちじ)盛(さか)んなりしが都合(つがふ)ありてこれを廃業(はいげふ)
したり蓋(けた)し本図(ほんづ)ハ同楼(どうらう)が遊客(いうかく)の余興(よけう)に
とて催(もよふ)せし今様(いまやう)を舞(まふ)の姿(すがた)にてありき "		

近世人物誌 N009

やまと新聞付録 第七

明治20年(1887)4月30日 37.5×25

		
"力士(りきし)梅(むめ)ヶ谷藤太郎(とうたらう)
梅(むめ)が谷(たに)ハ筑前(ちくぜん)福岡(ふくをか)在(ざい)の出生(しゆつせう)なり幼(えう)に
して父(ちち)を亡(うしな)ひ家(いへ)貧(まづ)しケれバ薪木(たきぎ)を負(おふ)
て市(いち)に出(いで)辛(から)く母(はは)を養(やしな)ひ居(ゐ)たりしが人の
進(すす)めに由(よ)り大阪(おほさか)に出(いで)て角觝(すまふ)となりしに
幾程(いくほど)もなく大関(おほぜき)となり梅(むめ)が谷(たに)の名(な)ハ関(せき)
の東西(とうざい)に聞(きこ)へて囂々(がうがう)たり或時(あるとき)古郷(こきやう)の
母(はは)を大阪(おほさか)へ迎(むか)へんとせしかど母ハ住(すミ)
馴(なれ)し地(ち)を離(はな)るるを好(この)まねバ田畑(たはた)数(す)
丁(てう)を求(もと)めて母(はは)が隠居(いんきよ)の料(りやう)とせり其(その)
後(ご)深(ふか)く前途(ぜんと)に感(おもんぱ)かる所(ところ)ありて江戸(えど)に出(いで)
当時(とうじ)相撲道(すまふだう)の行(おこな)はるる杓子定規(しやくしじやうぎ)の圧(あつ)
制(せい)を忍(しの)んで固守(こしゆ)し昨日(きのふ)ハ難波(なにハ)の大関(おほせき)と
称(せう)せられし身(ミ)も今日(けふ)ハ江都(えど)の幕下(まくした)とな
りしが尚(なを)倦色(うむいろ)もなく 勉励(べんきよう[ママ]) し忽(たちま)ち大関(おほぜき)の要(えう)
地(ち)に昇(のぼ)り向(むか)ふに敵(てき)なく古(いにしへ)の谷風(たにかぜ)中古(ちうこ)の陳(ぢん)
幕(まく)と伯仲(はくちう)の間(あいだ)にありとの評(へう)あり遂(つひ)に去(さ)る
十七年の春(はる)横綱(よこつな)免許(めんきよ)の栄(えい)を得(ゑ)たりしが
恰(あたか)も好(よし)其年(そのとし) 賢(かしこ)き辺(あた)りの御覧(ごらん)を忝(かたじけ)なふし
御前(ごぜん)に於(おゐ)て一人り土俵入(どへういり)をなし関脇(せきわき)を太刀持(たちもち)
に小結(こむすび)を露(つゆ)払(はら)ひとせしハ遠(とほ)く其(その)例(れい)を聞(きか)ず
此(この)天覧(てんらん)相撲(すもふ)にも勝(かち)を得(え)て其日(そのひ)の大関(おほせき)に協(かな)
ふとて弓(ゆミ)を賜(たま)はりき程(ほど)なく辞(ぢ)して年寄(としより)と
なり同(どう)社会(しやくわい)にてハ殊(こと)に重(おも)んずべき雷(いかづち)
権太夫(ごんだいふ)の名(な)を相続(さうぞく)し東(ひがし)の幕(まく)の内(うち)ハ過半(くわはん)
氏(し)が門人(もんじん)たり凡(およ)そ此道(このミち)開(ひら)けて以来(いらい)氏(し)の如(こと)き
始終(しじゆう)芽出度(めでたき)人(ひと)を見(ミ)ざりき "		

近世人物誌 N010,N011

近世人物誌 やまと新聞付録 第八

明治20年(1887)5月24日 37.5×25.5

		
"某(なにがし) 少将(せうせう)の妾(せふ)
少将(せうせう)の妾(せふ) 某(なにがし)ハ以前(いぜん)日本橋(にほんばし)の芸妓(げいぎ)にて
名(な)を小勝(こかつ)と称(しよう)せり其(その)心(こころ)ばへ尋常(よのつね)の芸妓(げいぎ)
ならざるを以(も)て少将(せうせう)愛(あい)して妓籍(ぎせき)を脱(だつ)させ妾(せふ)
として任地(にんち)熊本(くまもと)の営所(えいしよ)へ伴(ともな)はれたり然(しか)るに
明治九年十月二十四日神風連(しんぷうれん)の暴挙(ばうきよ)の為(ため)に少(せう)
将(しやう)ハ重傷(ぢうちやう)を負(おハ)れ遂(つひ)に逝去(せいきよ)あリ此時(このとき)妾(せふ)ハ
東京(とうけい)の母(はは)の許(もと)ヘ「ダンナハイケナイ、ワタシハテヲヒ」との
電報(でんぱう)を送(おく)りたりと当時(とうじ)の諸新開(しよしんぶん)に載(のせ)たり
其後(そのご)妾(せふ)ハ尚(なを)同所(どうしよ)に止(とど)まりしが或時(あるとき)同県(どうけん)に巡(じゆん)
査(さ)を奉職(ほうしよく)なす何某(なにがし)が此妾(このせふ)を懸想(けそう)し思(おも)ひ
に絶(たえ)かね一日(いちじつ)面会(めんくわい)のうヘ恋情(れんじやう)のやるせなき
を吐露(とろ)せしに之を戒(いまし)め妾(せう)ハ故殿(こどの)の恩偶(おんぐう)を
蒙(かうむ)る一朝(いつてう)の事(こと)にあらず殿(との)逝(せい)せられて土(つち)
いまだ乾(かハ)かざるに御身(おんミ)と怪(け)しかる事(こと)のあらバ
妾(せう)は流石(さすが)に芸妓(げいぎ)の果(はて)なりと人(ひと)に後(うし)ろ指(ゆび)差(ささ)
れん事(こと)の無念(むねん)なり御身(おんミ)も軽重(けいぢやう)の別(べつ)こそ
あれ等(ひと)しく官吏(くわんり)ならずや此場(このば)は是限(これきり)
として人にも言(いハ)ぬ御身(おんミ)も此後(このご)を慎(つつし)み
玉はれよとありしかバ某(なにがし)ハ慙愧(ざんぎ)に絶(たへ)ず
穴(あな) 賢(かしこ)断念(だんねん)すべしとありけれバ妾(せふ)は数(かず)
ならぬ身(ミ)を斬(かく)までに思(おも)ひ玉(たま)はるこころ
ざしこそ嬉(うれ)しけれと肌(はだ)につけたる長(なが)
襦袢(じゆばん)脱(ぬぎ)予(あた)へたり其年(そのとし)某(ばう)ハ西南(せいなん)の
役(えき)に討死(うちじに)せしが肌(はだ)にハ妾(せふ)のあたへ
たるなが襦袢(じゆばん)を着(ちやく)し居(ゐ)たりし
とか "		

近世人物誌 N012,N013

近世人物誌 やまと新聞付録 第九

明治20年(1887)6月19日 37×25

		
"千歳一遇は
兎のかは
御覧の
かたじけなきハ
ミちと勢の
世にあひにける
思ひを
桃仰く
猿や
山伏
野にふして
九世三升
杖笠や
あたかも
是に大事の日
福助
今年(ことし)四月二十六日ハ梨園(しばゐ)社会(しやくわい)に取(と)りてハ如何(いか)
なる最上(さいじやう) 吉日(きちにち)にや井上(いのうへ)伯爵(はくしやく)の御館(ミたち)に於(おゐ)て催(もよふ)
させ玉(たま)ひし演劇(えんげき)を掛(かけ)まくも賢(かしこ)き 御あたりの
御覧(ミそなわ)する所(ところ)となりしハ実(じつ)に前代未聞(ぜんだいミもん)の栄誉(えいよ)
にして此(この)挙(きよ)より此道(このミち)に光輝(くわうき)を添(そゆ)る事(こと)電(でん)
気(き)の燈火(ともしび)も三舎(さんしや)を避(さ)くべし事(こと)ハ当時(とうじ)の紙(し)
上(じやう)ニ詳(つまびら)かなれバ爰(ここ)ハ略(りやく)し現(げん)ニ弁慶(べんケい)ニ扮(ふん)し義(よし)
経(つね)に粧(よそほ)ひたる団十郎(だんじふらう)福助(ふくすけ)両優(りやうゆう)の俳句(はいく)を揚(あげ)
て読者(どくしや)の興(きやう)に供(けう)ずる事(こと)とハなしぬ "		

近世人物誌 N014,N015

近世人物誌 やまと新聞付録 第十

明治20年(1887)7月20日 37×25

		
"錦織(にしごり)剛清(たけきよ)
錦織(にしごり)剛清氏(たけきよし)ハ旧(きう)中村(なかむら)藩士(はんし)にして其(その)
旧主(きうしゆ)誠胤(まさたね)君(くん)が疾病(しつぺい)の為(た)め監中(くわんちう)に憂(いう)
苦(く)せらるると言(い)ふを聞(き)き概然(ぐわいせん) 之(これ)を
救(すくハ)ん事(こと)を思(おも)ひ立(たち)曩(さき)には其(その)邸内(ていない)に侵(しん)
入(にふ)して遂(つひ)に警察官(けいさつくわん)の聴(き)く所(ところ)となり
随(したが)つてこの事(こと)の世(よ)に伝播(でんハん)せしも当(たう)
時(じ)に有(あ)つて此義(このぎ)を唱(とな)ふる者(もの)ハ氏(し)一人(ひとり)
のミ故(ゆゑ)に旧主(きうしゆ)をして自由(じゆう)の空気(くうき)を
吸(す)はしむる事(こと)能(あた)ハず其後(そののち)誠胤(まさたね)君(くん)ハ
何等(なんら)の都合(つがふ)ありてか本郷(ほんがう)の頓狂院(てんけういん)に
移され依然(いぜん) 監中(くわんちう)にありしを或(あ)るとき
氏(し)之(これ)に侵入(しんにふ)して旧主(きうしゆ)を伴(ともな)ひ出(いだ)し
静岡(しづおか)地方(ちほう)へ趣(おもむ)きしより忽(たちま)ち世上(せじやう)の
一間題(いちもんだい)となり為(ため)に氏(し)ハ家宅(かたく)侵入(しんにふ)の罪(つミ)
を以(も)て処刑(しよケい)となりたり氏(し)の目的(もくてき)の当(たう)
不当(ふたう)ハ (しば)らく論(ろん)ぜず旧主(きうしゆ)を想(おも)ふ義気(ぎき)
に於(おい)てハ誰(たれ)か感(かん)ぜざる者(もの)あらん是(ここ)ニ於(おゐ)
てか氏(し)の処刑中(しよけいちう)其(その)家族(かぞく)へ多少(たせう)の金円(きんえん)
を寄贈(きそう)して寒(かん)を救(すくへ)る者(もの)幾百人(いくひやくにん)といふを
知(しら)ず彼(か)の新吉原町(しんよしはらまち)の如(ごと)き花柳(くわりう)艶美(えんび)
の街(ちまた)と雖(いへど)も氏(し)の義気(ぎき)を欽募(きんぼ)し氏(し)ハ
予(かね)て画(ゑ)を能(よ)くなすを以(も)て本年(ほんねん)七月よ
り粧飾(そうしよく)せる燈篭(とうろう)の絵(ゑ)を氏(し)に託(たく)し
たる向(む)き多(おほ)かりと歟 "		

近世人物誌 N016,N017,N018

近世人物誌 やまと新聞付録 第十一

明治20年(1887)8月20日 37×25

		
"花井(はなゐ)お梅(むめ)
今(いま)ハ酔月(すゐげつ)の女房(ねうばう)お梅(むめ)故(もと)ハ柳橋(やなぎばし)では小秀(こひで)
新橋(しんばし)でハ秀吉(ひできち)とて三筋(ミすぢ)の糸(いと)に (よ)りを掛(か)
け三弾(さミせん)の何(なん)でも宜(よい)と気随(きずい)気(き)まぐれで
鳴(な)らした果(はて)五月(さつき)の闇(やミ)の暗(くら)き夜(よ)に以(い)
前(ぜん)ハ内箱(うちはこ)今(いま)ハ食客(しよくかく)の峯吉(ミねきち)を殺(ころ)せし
事(こと)ハ普(あまね)く人(ひと)の知(し)る所(ところ)ながら彼(かれ)を
殺(ころ)せしといふ原因(げんいん)に二様(にやう)あり一(いつ)は
峯吉(ミねきち)が平生(へいぜい)よりお梅(むめ)に懸想(ケさう)し言(いひ)
寄(よ)ることも数度(すど)なりしが流石(さすが)に面(つら)
恥(はぢ)かかするも気(き)の毒(どく)とて風(かぜ)の柳(やなぎ)に
受居(うけお)りしを或(あ)る夜(よ)兇器(ケうき)をもつて
情欲(じやうよく)を遂(とげ)んと迫(せま)りしより止(やむ)を得(え)
ず之(これ)を切害(せつがい)せしといふにあり一(いつ)ハ世(よ)に
も人にも包(つつ)むべき一大事(いちだいじ)を峯吉(ミねきち)に洩(もら)
せしに彼(かれ)の同意(どうい)をせざるより事(こと)の爰(ここ)
に及(およ)びしともいふ二者(にしや)何(いづ)れが是(ぜ)なる
か公判(こうはん)の上(うへ)ならでハ知(し)るによしなし
唯(ただ)お梅(むめ)は是迄(これまで)も情夫(じやうふ)の自己(おのれ)につれ
なかりしを憤(いきどふ)り之(これ)を害(がい)さんと威(おど)
したる事(こと)二度(にど)に及(およ)べりされバ此度(このたひ)の
峯吉(ミねきち)殺(ころ)しも想(おも)ふに種々(しゆじゆ)入込(いりこミ)たる事情(じじやう)
もあらんか兎(と)にかく凄(すご)き婦人(ふじん)なりかし"		

近世人物誌 N019

近世人物誌 やまと新聞付録 第十二

明治20年(1887)9月25日 36.5×25

		
"五代目坂東(ばんどう)彦(ひこ)三郎
永喜(えいき)の三津(みつ)五郎王子(わうじ)路考(ろかう)和泉(いづミ)町の幸(かう)四郎
をイや見(ミ)せたかつたといふ昔(むかし)贔負(ひゐき)の老人(ろうじん)を箍(たが)が弛(ゆる)
んだの爺気廻(やきまハ)りのと笑(わら)ひし嫁(よめ)が姑(しうと)となつて佐(さ)
倉(くら)宗吾(そうご)切(きら)れ与三(よさ)の新作(かきおろし)もいつか通(とほ)り過(すぎ)て稲妻(いなづま)
表紙(べうし)の又六(またろく)をイや見(ミ)せたかつたとの彦三贔負(ひこさびゐき)
も後(うしろ)に近(ちか)き大晦日(おほミそか)御用心(こようじん)御用心の教化(けうくわ)味(あぢ)ある
哉(かな)爰(ここ)に五代目(ごだいめ)坂東彦(ひこ)三郎ハ童名(どうめい)を鉄蔵(てつざう)と
号(よび)て中橋(なかばし)大鋸(おが)町の大工(だいく)藤(とう)五郎の次男なるが故(ゆゑ)有(あ)ツ
て四代目(よだいめ)彦(ひこ)三郎〈亀蔵(かめぞう)〉の養子(やうし)となり名(な)を鶴之助(つるのすけ)
と改(あらた)め九歳(くさい)にて中村座(なかむらざ)へ出(いで)しを以(も)て初舞台(はつぶたい)とな
す。時ニ天保(てんぽ)十二年(ねん)九月旧地(きうち)堺(さかひ)町にての事(こと)也(なり)其後(そのご)
竹(たけ)三郎と改(あらた)め安政(あんせい)四年二十五歳(さい)にて父(ちち)の名(な)を
つぎ五代目(こだいめ)彦(ひこ)三郎となりてより以来(いらい)其(その)演(えん)ず
る所一つとして不評(ふひやう)なるハなく今(いま)も好劇家(かうげきか)の語(かた)
り草(ぐさ)となるもの甚(いと)多(おほ)く三都(さんと)に其名(そのな)を轟(とどろ)かせしハ
皆人(ミなひと)の知(し)る所(ところ)なれバ今更(いまさら)爰(ここ)に記(しる)さず明治(めいじ)九年(くねん)
守田座(もりたざ)類焼(るゐせう)の後(のち)尾州(びしゆう)名古屋(なごや)を経(へ)て大阪(おほさか)へ下(くだ)
りしに惜(おし)むべし天歳(てんとし)を仮(かさ)ず翌(よく)十年(ねん)十月十三日年(とし)
四十五歳(さい)にして浪華(なにハ)の旅寝(たびね)に故人(こしん)となり生玉(いくたま)中(なか)
寺町(てらまち)の浄運寺(じやううんじ)へ埋葬(まいさう)して法名(はふめう)を常照院(じやうせうゐん)迎誉(けうよ)
紫雲(しうん)居士(こじ)と号(がう)す然(しか)るに死(し)せしハ偽(いつはり)にて云々(しかじか)の
事(こと)に依(よ)りて今尚(いまなほ)日向(ひうが)の孤島(ことう)に在(あ)りと去(さ)るころ
世上(せじよう)に浮説(ふせつ)ありしを当社(とうしや)にてハ虚説(きよせつ)なりと其(その)
頃(ころ)の紙上(しじよう)に記(しる)したれど年月(ねんけつ)法名(はふめう)等(とう)を確(たしか)めん
と近世(きんせい)人物誌(じんぶつし)へ加(くハ)へたり影清(かげきよ)を画(えがか)しめたるハ
前(まえ)の説(せつ)に依(よ)りての戯(たハむ)れなり "		

近世人物誌 N020,N021

近世人物誌 やまと新聞付録 第十三

明治20年(1887)10月16日 37×25

		
"江川(えがハ)太郎(たらう)左エ門(ざゑもん)
江川(えがハ)太郎(たらう)左エ門(ざゑもん)ハ豆州(づしう)韮山(にらやま)の代官(だいくわん) 幕末(ばくまつ)屈指(くつし)
の名士(めいし)なり平生(へいぜい)深(ふか)く水戸(ミと)烈公(れつこう)の知遇(ちぐう)を受(うけ)
しが文武(ぶんぶ)両道(りやうだう)の達人(たつじん)にして何事(なにごと)の問(とひ)にも響(ひびき)
の声(こゑ)に応(おう)ずるが如(ごと)く答(こた)へ申せしかバ烈公(れつこう)如何(いか)
にもして其(そ)の当惑(とうわく)の様(さま)を見て興(きよう)ぜんものを
とてある時(とき)太郎(たらう)左エ門(ざゑもん)伺候(しこう)せしに其許(そこ)ハ何(なに)
芸(げい)にも渉(わた)りて世(よ)に知(し)らずといふことなし定(さだめ)て
音楽(おんがく)にも達(たつ)しつらんに何(なに)にてもあれ奏(かな)でて
聴(きか)せよとのたまふ弗(ふつ)に心得(こころえ)申(まを)さざる旨(むね)を答(こた)
へ申(まを)せしかど推返(おしかへ)して否(いな)すハ謙遜(けんそん)ならん
必定(ひつじよう) 心得(こころえ)あらんとの玉(たま)ふにぞ太郎(たらう)左エ門(ざゑもん)
かしこまりて是(これ)を習(なら)ひたるものハ御座(ござ)なく候へ共(ども)
やつがれ幼(いとけな)く祖母(そぼ)の手元(てもと)に養(やしな)はれし折(をり)祖母(そぼ)
が手(て)ずさミの琴(こと)を少(すこ)しばかり聞覚(ききおぼえ)て候再往(さいわう)
の御諚(ごぢやう) 黙止(もだし)がたく候へバこれをなりと御笑草(おわらひぐさ)に供(そな)へ
申(まを)すべきかと申(まを)すそれ面白(おもしろ)し所望(しよまう)せん琴(こと)もて
との仰(おふせ)に近侍(きんし)琴(こと)を持出(もちいで)やをら江川(えがハ)の前(まへ)に
差置(さしをき)ぬ文武(ぶんぶ)の道(ミち)にこそ暗(くら)からね髟胡(むくつけ)武士(ぶし)の音楽(おんがく)何(なん)
の興(きよう)かあるべき叶(かな)はぬ迄(まで)も辞(じ)し申(まをす)べきを由(よし)なきこと
申出(まをしいで)てあはや不束(ふつつか)のことするよと坐(ざ)にある者(もの)手(て)
に汗(あせ)を握(にぎ)りて扣(ひかへ)しに太郎(たらう)左エ門(ざゑもん)ハ従容(しようよう)と琴(こと)に向(むか)
ひ頓(やが)てさらさらと掻鳴(かきなら)せし爪音(つまおと)実(げ)ニ行(ゆ)く雲(くも)を止(とど)め
梁(うつばり)の塵(ちり)を動(うごか)す斗(ぼか)りにて此(この)道(ミち)に堪能(たんのう)の者(もの)とても
此(これ)にハ過(すぎ)じと見えしかバ一坐(いちざ)の者(もの)ハ云迄(いふまで)もなし烈公(れつこう)
も深(ふか)く感心(かんしん)ありしとや優(いう)にやさしき物語(ものがたり)になん "		

近世人物誌 N022,N023

近世人物誌 やまと新聞付録 第十四

明治20年(1887)11月13日 36×25

		
"近衛家(このゑけ)の老女(らうぢよ)村岡(むらをか)
近衛家(このゑけ)の老女村岡(らうぢよむらをか)ハ慷慨(かうがい)の婦人(ふじん)
なり夙(つと)に朝威(てうゐ)の振(ふる)はざるを嘆(なげ)きて
恢復(くわいふく)の志(こころざ)しあり安政(あんせい)五年幕府(ばくふ)
勅許(ちよくきよ)を俟(ま)たずして外国(ぐわいこく)と条約(でうやく)を
結(むす)びしより近衛左府(このゑさふ)鷹司右府(たかつかさうふ)
一条内府(いちでうないふ)三条前内府(さんでうさきのないふ)二条亜相(にでうあしやう)し
て内勅(ないちよく)を水戸黄門(ミとくわうもん)へ賜(たまハ)るの挙(きよ)あり
村岡(むらをか)また其事(そのこと)に与(あづ)かつて力(ちから)あり
しといふ 偶々(たまたま) 将軍(しやうぐん) 温恭(をんきよう) 公(こう) 薨(かう)ず鷹司(たかつかさ)
家(け)の士(し)小林民部(こばやしミんぶ)水戸(ミと)の臣(しん)安嶋帯刀(やすじまたてはき)
と謀(はか)り一橋形部卿(いつけうぎやうふきやう)を幕府(ばくふ)に入(い)れ以(もつ)て
攘夷(じやうゐ)の挙(きよ)を実行(じつかう)せんと謀(はか)る事(こと)露(あらは)ハ
る時(とき)の大老井伊直弼(たいらうゐいなほすけ)其臣(そのしん)長野主膳(ながのしゆぜん)
を京都(きやうと)に遣(つか)はし朝紳(てうしん)及(およ)び在京(ざいきやう)の儒(じゆ)
生(せい)等(ら)十数人(じふすうにん)を捕(おさ)へて江戸(えど)に檻送(かんそう)す
村岡(むらをか)また其中(そのうち)に在(あ)り世(よ)にこれを安(あん)
政戊午(せいぼご)の獄(ごく)と言(い)ふ斯(か)くて村岡(むらをか)ハ日々(ひび)
糾問(きうもん)を受(うケ)たれども更(さら)に屈(くつ)する色(いろ)
なく滔々(たうたう)幕政(ばくせい)の失(しつ)を陳(ちん)じて幕吏(ばくり)
の心(こころ)を寒(さむ)からしめしとかや女丈夫(によじやうぶ)
と云(い)ふべし "		

近世人物誌 N024,N025,N026

近世人物誌 やまと新聞付録 第十五

明治20年(1887)12月13日 37×25.5

		
"木戸(きど)翠香院殿(すゐかうゐんでん)
翠香院殿(すゐかうゐんでん)ハ故(こ)贈(ぞう)従(じゆ)二位(にゐ)木戸(きど)孝允公(かうゐんこう)の
夫人(ふじん)なり始(はじめ)の名(な)ハ竹松(たケまつ)元(もと) 西京(さいきやう) 三本木(さんぼんぎ)
の芸子(げいこ)なりしが文久(ぶんきう)の末(すゑ)の頃(ころ)尊王(そんわう)
攘夷(じやうゐ)の論(ろん)天下(てんか)に起(おこ)り四方(しはふ)の浪士(らうし)西京(さいきやう)
に集(あつま)りしに当(あた)り屡々(しばしば)頼(らい)三樹三郎(みきさぶらう)橋(はし)
本(もと)左内(さない)等(ら)の人々(ひとびと)に聘(へい)せられて尊攘(そんじやう)の説(せつ)
を聞(き)きしを以(もつ)て慷慨(かうがい)として国歩(こくほ)の艱(かん)
難(だん)を憂(うれ)へあはれ妾(わらハ)も男子(だんし)なりせバ
と思(おも)ひ続(つづ)くる折(をり)からはしたなく長藩(ちやうはん)
の桂(かつら)小五郎(こごらう)に邂逅(かいごう)したり桂(かつら)小五郎(こごらう)と
ハ即(すなハ)ち故(こ)贈(ぞう)二位(にゐ)の旧名(きうミやう)なり元治(げんぢ)の乱(らん)
後(ご)幕府(ばくふ)頻(しき)りに小五郎(こごらう)を逮(とら)へんと欲(ほつ)
し追捕(つゐほ)甚(はなは)だ急(きう)にして身(ミ)を遁(のが)るるに処(ところ)
なし竹松(たケまつ)深(ふか)く志士(しし)の屯遁(ぢゆんとん)を悲(かなし)ミ甲斐(かひ)
甲斐(がひ)しく小五郎(こごらう)を其(その)家(いへ)の床下(ゆかした)に匿(かく)し遂(つひ)ニ
遂捕(つゐほ)を免(まぬ)かれたり維新(ゐしん)の後(のち)贈二位(ぞうにゐ)
青雲(せいうん)に昇(のぼ)り深(ふか)く竹松(たケまつ)の志(こころざし)を感(かん)じ之(これ)を
迎(むか)へて夫人(ふじん)となし以(もつ)て再生(さいせい)の徳(とく)に報(むく)いらる
二位(にゐ)逝去(せいきよ)の後(のち)夫人(ふじん)髪(かミ)を断(き)り法号(はふがう)を附(ふ)
して翠香院(すゐかうゐん)と云(い)ひ西京(さいきやう)に閑居(かんきよ)して二位(にゐ)
の冥福(めいふく)を修(をさ)め以(もつ)て其(その)身(ミ)を終(をハ)られたり "		

近世人物誌 N027,N028

近世人物誌 やまと新聞付録 第十六

明治21年(1888)1月20日 36.5×25.5

		
"武田(たけだ)耕雲斎(かううんさいの) 別室(べつしつ)時子(ときこ)
時子(ときこ)ハ旧水戸藩(きうみとはん)の老臣(らうしん)武田(たけだ)伊賀守(いがのかミ)
源(ミなもとの) 正生(まさなり)の別室(べつしつ)なり正生(まさなり)ハ耕雲斎(かううんさい)と
号(がう)す藩主(はんしゆ)烈公(れつこう)の知遇(ちぐう)を得(え)て文武(ぶんぶ)に
通(つう)じ知勇(ちゆう)を兼(か)ねたり烈公(れつこう)尊王(そんわう)攘夷(じやうい)
の議(ぎ)に熱心(ねつしん)ありし頃(ころ)常(つね)に側(かたハら)に侍(じ)し謀(はかりごと)
を献(けん)じたること多(おほ)し烈公(れつこう)逝去(せいきよ)の後(のち)も
尚(な)ほ其(その)遺志(いし)を遂(と)げんとせしが藩中(はんちう)
反対党(はんたいたう)これを阻(こば)ミ且(かつ) 逆名(ぎやくめい)を附(ふ)して
これを擯(しりぞ)けしよりこれを誅(ちう)せんと兵(へい)
を起(おこ)して常州(しやうしう)筑波山(つくばさん)野州(やしう)大平山(おほひらさん)等(とう)
に転戦(てんせん)せしが幕兵(ばくへい)反対党(はんたいとう)を援(たす)けて
戦(たたか)ひしより衆寡(しやうくわ) 敵(てき)せずして軍(ぐん)破(やぶ)れ
しかバ京都(きやうと)に奔(はし)つて衷情(ちうぜう)を禁闕(きんけつ)
に訴(うつた)えんと欲(ほつ)し転(てん)じて加州(かしう)に入(い)りし
かど道(ミち)梗(ふさが)りて通(つう)ぜず遂(つひ)に金沢藩(かなざハはん)に
降(くだ)れり時子(ときこ)も終始(しゆうし)これに随(したが)ひし
が降参(かうさん)後(ご)田丸(たまる)稲子(いねこ)等(ら)と倶(とも)に越前(えちぜん)
敦賀(つるが)にて斬(き)らる
辞世(じせい)
かねてみハなしと思(おも)へど山吹(やまぶき)の
花(はな)も匂(にお)はでちるぞ悲(かな)しき "		

近世人物誌 N029,N030

近世人物誌 やまと新聞付録 第十七

明治21年(1888)2月24日 36.5×25

		
"西郷(さいがう)隆盛(たかもり)
先(さき)にハ維新(ゐしん)の元勲(ぐゑんくん)たり後(のち)にハ反(はん)
賊(ぞく)の首将(しゆしやう)たり陸軍(りくぐん)大将(たいしやう)の服(ふく)を
着(き)て官兵(くわんべい)と鋒(ほこさき)を接(まじ)ふ半生(はんせい)の功(こう)
業(げふ)半生(はんせい)の罪悪(ざいあく)共(とも)に非常(ひじやう)にして
古今(ここん)未曽有(ミそう)たり古(いにしへ)の奸雄(かんいゆう)謂(い)へるこ
とあり曰(いハ)く大丈夫(だいぜうぶ)芳(はう)を百世(ひやくせい)に流す
こと能(あた)はざれバ須(すべか)らく臭(しう)を千載(せんざい)に
遺(のこ)すべしと隆盛(たかもり)一身(いつしん)にしてこれを
兼(か)ねたり後(のち)の罪悪(ざいあく)や憎(にく)むべし前(まへ)
の功業(こうげふ)ハ没(ぼつ)すべからずこれを要(えう)
するに不世出(ふせいしゆつ) 豪傑(がうけつ)の称(しよう)ハ史家(しか)の
此人(このひと)に与(あた)ふるを吝(をし)まざる所(ところ)なるべ
し其(そ)の行事(ぎやうじ)卓犖(たくらく)伝(つた)ふべきもの
多(おほ)し大率(おほむね)世(よ)に表著(へうちよ)す故(ゆゑ)に一々(いちいち)載(の)
せず性(せい)甚(はなハ)だ猟(かり)を好(この)ミ軍中(ぐんちう)に在(あ)る
の日(ひ)も往々(わうわう)犬(いぬ)を携(たづさ)へて山野(さんや)を跋(ばつ)
渉(せふ)し従容(しようよう)閑暇日(かんかひ)を消(せう)せしといふ
其(そ)の胸襟(きようきん)の瀟洒(せうしや)磊落(らいらく)以(もつ)て概見(がいけん)
すべし此図(このづ)ハ其(そ)の猟(かり)に赴(おもむ)くさまを
画(ゑが)きたるものなり
文字三昧楼主人題す"		

近世人物誌 N031,N032,N033,N034

近世人物誌 やまと新聞付録 第十八

明治21年(1888)3月24日 36.5×25

		
"河瀬(かハせ)某(それ)の妻(つま)
河瀬(かハせ)其(それ)ハ江州(がうしう)旧膳所(きうせぜ)の藩士(はんし)にし
て夙(つと)に才名(さいめい)あり文学(ぶんがく)に通(つう)じ
武事(ぶじ)に習(なら)へり殊(こと)に慷慨(かうがい)にして
憂世(いうせい)の志(こころざし)ありしが文久(ぶんきう)慶応(けいおう)
の際(さい)尊王(そんわう)攘夷(ぜうい)の説(せつ)盛(さか)んに興(おこ)り
志士(しし)勃興(ぼつかう)して天下(てんか)騒擾(そうぜう)す
慶応(けいおう) 元年(ぐわんねん) 五月(ぐわつ)長藩譴(てうはんけん)を幕(ばく)
府に得(え)たり将軍(せうぐん)家茂(いへもち)自(ミづ)から
長藩(てうはん)を征(せい)せんとす其(そ)の進発(しんばつ)
の期(ご)に当(あた)り河瀬(かハせ)ハ同志(どうし)数(すう)十名(めい)
と長藩(てうはん)の辜(つミ)なきを論(ろん)じ其(そ)の
曲直(きよくちよく)を伸明(しんめい)せんと欲(ほつ)す言諒(ことれう)せ
られずして幕府(ばくふ)の縛(ばく)する所(ところ)
となる河瀬(かハせ)の妻(つま)ハ年少(わか)く姿(すがた)
皃(かたち)美(び)にして固(もと)より賢夫人(けんふじん)の
聞(きこ)えありしが夫(をつと)の囹圄(れいご)に下(くだ)り
行々(ゆくゆく)戮(りく)せられんとするを悲(かな)
しみて自(ミづ)から刃(やいば)に伏(ふ)して死(し)
せりとなん "		

近世人物誌 N035,N036

近世人物誌 やまと新聞付録 第十九

明治21年(1888)4月25日 37×24.5

		
"伴林(ともばやし) 六郎(ろくらう)光平(ミつひら)
伴林(ともばやし) 六郎(ろくらう)光平(ミつひら)ハ蒿斎(かうさい)と号(がう)
す初(はじ)めハ僧侶(そうりよ)なりしが後(のち)髪(かミ)を
蓄(たく)はへて和州(わしう)斑鳩(いかるが)の里(さと)に往(ぢゆう)す
よりて又(また)群(ぐん)鳩(きう)隠士(いんし)と号(がう)す最(もつと)も
和歌(わか)を巧(たくミ)にせしが憂国(いうこく)の志(こころざし)
深(ふか)かりしを以(もつ)て大和(やまと)の義挙(ぎきよ)
に加(くわ)はりしが既(すで)にして天(てん)の川(がハ)辻(つじ)
の陣(ぢん)敗(やぶ)れ一軍(いちぐん)十津川(とつがハ)郷(がう)に退(しりぞ)
き保(はう)せし時(とき)彦根藩(ひこねはん)の兵(へい)来(きた)り
襲(おそ)ひしかバ光平(ミつひら)鎗(やり)を提(ひつさ)げて
少壮(せうさう)の士(し)に打(うち)混(こん)じ将(まさ)に敵軍(てきぐん)
に赴(いた)らんとす此日(このひ)恰(あた)かも九月
九日なりけれバ光平(ミつひら)今(いま)を盛(さか)り
と谷陰(たにかげ)に咲(さき)満(ミ)ちたる菊(きく)の花(はな)
を一本(いつぽん)手折(たを)りてさしかざしつつ
出(いづ)るとて斯(か)くなん口(くち)づさミける
身(ミ)をすてて千代を祈(いの)らぬ
大丈夫(ますらを)も
さすがに
菊(きく)を折(をり)かざしつつ "		

近世人物誌 N037,N038,N039

近世人物誌 やまと新聞付録 第二十

明治21年(1888)5月25日 36×22.5

		
"徳川(とくがわ)慶喜公(けいきこう)御簾中(ごれんちう)
御簾中(ごれんちう)ハ一条(いちでう)殿(どの)御養君(おんやしないきミ)
実(じつ)ハ今出川(いまでがハ)三位(さんミ)中将(ちうやう)の御息(ごそく)
女(ぢよ)御名(おんな)ハ延子(のぶこ)の方(かた)と申奉(まをしたてまつ)り
安政(あんせい)二卯年(うどし)十月御下向(おんげかう) 同(おなじく)
十二月御婚姻(ごこんいん)の旨(むね)相違(あいたつ)せ
られ夫(それ)より慶応(けいおう)年中(ねんぢう)まで
江戸(えど)一橋邸(ひとつばしてい)に住(ぢう)せられ
明治(めいぢ)元(ぐわん)戊辰(ぼしん)の年(とし)駿州府(すんしうふ)
中(ちう)へ移(うつ)らせられ当時(たうじ)ハ静(しづ)
岡(をか)紺屋町(こんやまち)の徳川邸(とくがハてい)に御(ご)
住居(ぢうきよ)との御事(おんこと)なり御容(ごいよう)
顔(がん)美麗(びれい)に御心操(おんこころばへ) 優(いう)にやさ
しくおはしますとなん
常磐(ときは)なる松(まつ)の
御蔭(みかげ)による人(ひと)は
こころも色(いろ)も
ならへとそおもふ
這(こ)ハいまだ一橋(ひとつばし)の御館(ミたち)におは
せし折(をり)の御詠(ごえい)なりとぞ "		

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