新聞図会



新聞図会 N001

新聞図会 第一号

不明 28×19.5

		
"大阪西大組拾一区新町通二丁目四丁番地川口よしハ元
倉橋屋(くらはしや)とて娼婦(じよろう)芸妓(げいこ)の置屋(おき)なりしが近年(きんねん)遊女(ゆうじよ)
解放(ときはな)しの令(おふれ)ありしの際(きわ) 朝音(てんしのおおせ)を 遵奉(したがいたてまつり) して 数金(あまたのかね)
を出(いだ)してかかへたる多(おほ)くの女郎(こども)も各(おのおの) 其籍(そのせき)に
復(かへ)せしの後ハ活業(なりハい)を醤油商(しやうゆうや)と改めしも
天理(てんり)にや叶ひけん当三月二十五日古き土蔵を壊(こぼ)ち
たりしに宝字(ほうじ)小判其他種(さま)々の金貨(かね)数百金(たくさん)
を得(ゑ)たり直(ただ)ちに官庁(くわんちやう)へ訴(うつた)へけれバ
本人所持(ほんにんしよじ)の地中より堀出せりなれば
残(のこ)りなくたまはりしを当時金貨(このころのかね)に
交換(かへこと)せしかバ千三百円余なりしとハ
彼支那(かのもろこし)の二十四孝郭巨(くわつきよ)の釜(かま)にも
勝(まさ)るといふべし
   あらかねの地(つち)より得(ゑ)てし金貨(かね)
      なれど天(あめ)のめぐみと人のいふらん
猩々堂主人記"		

新聞図会 N002

新聞図会 第二号

不明 25×17.5

		
"奈良県(ならけん)下長谷寺近傍(きんぼう)
にて西国霊場(れいしやう)巡礼の
殺害(せつがい)されしハ一月の
二十九日の未明(あさ)にして
夫婦に娘と
三人づれ路(ろ)
用(よう)の金貨(きんくわ)
三百円蓄(たくわ)へ
あるに眼の眩(くら)む宿の主人(あるじ)の欲心(よくしん)
から嘘(うそ)を月夜のからすをバ夜明けに近(ちか)しと三人を出立
させしハ奸計(かんヶい)にて途中(とちう)に待(まつ)と白浪の宿の亭主に暴殺(ころ)
されたり其時金貨(かね)を懐中せし娘ハからき命を助(たす)かり
さまよひながら漸(ようよう)と人家を尋到(たずねいた)りけれバ豈図(あにはからん)や元の宿也
やがて委(くわし)く様子(ようす)を物語るを傍(そば)に聞(きき)居る富山(とやま)の薬商大に
宿を怪(あやし)ミて娘に言含(いいふく)め一計(いつヶい)に当(あた)り宿の主其夜に官吏(くわんり)より
縛(ばく)せられしと
猩々堂誌 "		

新聞図会 N003

新聞図会 第八号

不明 25×18

		
"盲人(めくら)蛇(へび)におぢずと
いふ諺(ことはざ)にあらで盗賊にも
屈(くつ)せざる大丈夫ハヒいヒい庵
と号し三味の曲弾に名を
得し人にして通称(つうしやう)生久ト
一郎当四月十一日玉江橋
北詰にて三人の賊車前を
ふさぎ既に衣服を奪(はぐ)ぐべき
の所ト一一言を発して予が
如き貧民(ひんみん)の衣服売代なすともいささかの価
なるべし今我衣服を奪ふをゆるせバ我活業(わがなりはひ)たる
一曲を汝等(なんぢら)が耳に施べしと流石(さすが)の暴徒理言に伏し
奥ある事と思ひしにや軈(やが)て調らべを乞けるにぞ得手の
練(れん)曲弾(だん)じけれバ其妙音にや感じたりけん手を空(むなしく)して
かへる而巳(のみ)かハ円貨二十銭をト一に与へ去しとぞ
  正情道九化記 "		

新聞図会 N004

新聞図会 第九号

不明 28×19.5

		
"下京二十二区八坂上清水三丁目
画師浅井柳塘(りうとう)ハ他処にかせぎに
行し跡に兼て此家に身を寄せる武田信一といふ男妻子とともに留宅
を守りしに主の許(もと)よりおこせし一封ハ古郷を思ふかなふミの
てには余して此男家内へよんできかするに真実かくれ内證と
封じ込だる養(やしな)ひ金見るより男ハ悪念発(はつ)し一人り寝詫(ねわび)が
女房のみさほに
揖(かじ)をとりかへ
てくどきよるべの恋風を
真受によけるをくりかへし
とりたる
心の悪工ミかなへハ金を我が物に
なさんとするに仕果(しはて)かね横分別の
一ト腰に老母と妻子両人を世ハ
転変(てんへん)の七(なな)ころび八阪のつゆと
切害し金と衣服を奪(うば)ひとり家に
火をかけ逃んとせしも早く聞(きこ)へて
縛(しば)られたり是この家に古く棲(す)む
蛇(へび)を嫌(きら)ふて打殺せし穴から事を
引出せし長物かたりハ省(はぶい)て記ス
         文化陳人誌 "		

新聞図会 N005

新聞図会 第十二号

不明 28×19

		
"千住宿の大磯村に孫兵衛といふ百姓ハ両親(ふたをや)もあり
女房もあり九歳になる娘ある身で
ありながら此せつ放蕩(ほうとう)をはじめ女郎や酒と
遊(あそ)びにふけて家(うち)に尻(しり)がすハらぬゆへ両親ハ
心配(しんぱい)してあるとき年(とし)より夫婦(ふうふ)がはなしてハおお
かた嫁(よめ)が気にいらぬのであろふから嫁を去(い)なして
自分(じぶん)のすいた女をいれたなら定めておとなしく
なるであろふとささやいて居(い)るを九歳ニなる娘の
おのぶが聞(きい)て居(い)て母上(おかあ)さんが家(うち)を出(だ)されたら大(たい)
変(へん)だと年ハ九ツでも大きに心配してどふぞ父上(おとつさん)
の放蕩(ほうとう)がなをるやふと天神さまへ一心に願(ぐハん)かけて毎日
飯一粒(ままひとつぶ)も食(く)ハずだんだんやせて眼(め)がくぼみ歩行(あるく)ニもヒヨロ
ヒヨロしておるゆへ家内(かない)ハ心配して医者(いしや)にかけて薬(くす)りも呑(の)まず
おひおひ色(いろ)が悪(わる)くなるゆへ孫兵衛も我子様子をふびんに思ひある
日うなぎを買ふて是を喰へといふても食ハぬゆえ大いにいかり娘
をつきたをしケれバおのぶハやつれた顔(かほ)をあげ其やふニおはら立なら
いい升が父上の放蕩がなおらぬと母さまが去なされなさると聞た故
天神さまへ願かけて父上の放蕩がなをるやふと三七日のあひだ何も
たべませぬと聞て家内ハむせかいり孫兵衛も娘にはじ本心に
なり娘のかハりに三ヶ年酒をやめて娘に食をさせたといふが
なんと各さん
九つにしてハ
かんしんな
ものでハ
ありま
せんか"		

新聞図会 N006

新聞図会 第十三号

不明 25×18

		
"去る日越中橋
のただなかより身を
投(なげ)たる婦人あり夜半
事ゆへ誰(たれ)有て知(し)る者なし
二三丁も流(なか)れしに折(おり)よく
来(き)かかる広島舟が是を
助(たす)けいろいろ介抱(かいほう)なして所を
たづね人を走(はし)らせ親元へ手渡(てわた)せし
とぞ此娘が身を投た元といふハ南新
町の料理屋なれど親子ともに物堅(ものかた)き
生質(うまれつき)にて家業(かぎやう)に似合(にあハ)ずうきたる事ハさら
になし評判の堅気(かたぎ)なるを雑喉場(ざこば)へんの者が
其堅い気に眼(め)がついて仲人(なかうど)をたのミしに媒約(なかうど)ハ
娘をさとしすへハかならず夫婦にすると聞(きい)て娘も
承知(しやうち)なしすへたのしみにくらせしに或(あ)る日娘ハ用が
有て近所の或る家に行しに奥(おく)の間(ま)
にカノ雑喉場男が連の男(つれ)にはな
しをしているゆへカノ娘ハ何ごころなく
立聞(たちぎき)きせしにアノ料理屋の娘ハ堅(かた)いと
いふハ全(まつた)く偽(うそ)なり私(わたし)ハすでに抱寝(だきね)をせしが
その世話をした男が婚礼を早くしてくれとせかれる
ゆへ実(じつ)にこまつて居るといふ話を襖(ふすま)ごしに聞(きく)より
エエ悔(くや)しや仲人口にだまされて身をけがせしか
くちをしやいきてはじをバさらすよりと思ひ
つめて身を投しとぞアア
世(よ)の人媒約口ハかならず
言ハぬものなり
なをくわしくハ
新聞
紙上に
詳なり "		

新聞図会 N007,N008

新聞図会 第十四号

不明 28×20

		
"東京浅草田町二丁目薪(たきぎ)屋の息子ハ北
馬道の清元家内栄といふ三味せんの師匠へ稽古に
行しが此うちへ来る埋堀(うめほり)の薪屋の娘といつしか馴(なれ)そめて
親ハ堅気の薪売り其子ハ互(たがひ)に胸の火の思ひにもへて土竃(へツつい)
の二人並んで同じ穴やがて銅子(どうこ)をうむ上ハ水も漏(もら)さぬ釜の底
手鍋さげても燃(もへ)ざしの消して替らぬ二世三世と縄で結んだ約
束なれどいづれも一人の息子と娘とても相談出来ませぬと
親と親との話(はなし)を聞てとても添ハれぬ縁なれバ東橋より身
を投んと「二人りハ兼て用意の石片袂に入れて
身をしのび」と洒落(しやれ)どころでハなくいざ
お互にざんぶりと飛び込んとする所へ
折よく巡査(おまハり)に見つけられあやふき命
ハ拾ひしかど是らの者は親にそむき
気をもませるををわきまへず命をちり
如くに思へるハ馬鹿(ばか)とやいハん不孝とやいハん
かかるたぐひ新聞紙上少なしとせずアア
かへすがへすもたしなむべくハ色欲なり
つつしむべしつつしむべし "		

新聞図会 N009,N010

新聞図会 第十七号

不明 25×19

		
"大阪(なにわ)俳優(やくしや)実川延若道頓堀筑後(おおにし)芝居ニて鏡山(かがミやま)
岩藤の約をなさんとせしに豈(あに)はからんや病(やまひ)に
罹(かか)り桃谷(ももだに)なる別荘(べつそう)ニ出養生中五月二十三日午前
三時強盗来つて枕辺(まくらもと)ニ立ち金子渡すべしやと
白刃(ぬきミ)をさし付るニ流石(さすが)ハ立者(たてしや)の
座頭株(さがしらかぶ)少も騒がず宝悖(たからさか)つて入ル
ものわ又悖(またさかつ)出づと有合小遣(ありあふこずかい)
六十余円と金銀をちりばめし
時計莨入(とけいたばこいれ)の類(たぐい)一ツも残さず之を
興(あた)へて聊(いささか) 憂(うれう)る色(いろ)なしと是常(これつね)ニ
侠気(おとこぎ)を事とし強勇大胆(がうゆうだいたん)を
真似(まね)し徳ならんか全快(くわいき)の上
其事を作り入レ新狂言を
発明(はつめい)せば一しほの大入ならん
と其全愈(ぜんゆ)を祈(いの)るものわ
ほりへ川の辺りニすむ
  都鳥遊人"		

新聞図会 N011

新聞図会 第十九号

不明 25×18

		
"以前猿若町にて芸妓をして居たる福松といふハ浅草
聖天町の当二郎といふ者の娘にて去年の三月常陸の国土浦の
中城町の須田屋庄助かたへ出稼(でかせぎ)に行(ゆき)しがとかく手(て)くせが悪(わる)く是
まで客の物を盗(ぬす)ミし事有りしが去年六月二十二日に同所の、おたま、
おきち、おとり、などと一途(いつしよ)に加藤といふ家(うち)へ揚(あげ)られたとき客から四人へ
三円祝義(しうぎ)を呉(く)れたるを一人りまへ一分づつの祝義だと偽(いつハ)り三人へ
二十五銭づつ渡し跡(あと)ハかすめたり又其後去年十一月二十六日に
竹中金助といふ家へ招(まね)かれしとき金助の紙入をあけて金六円
盗ミ出し其外小つるといふ者の象牙(ぞうげ)の箸(はし)をも盗ミ中々立派(りつぱ)な
盗人(どろぼう)なりしが終(つい)にあらハれ此度六十日の懲役になりましたが外面女(げめんおんな)
菩薩(ぼさつ)内心(ないしん)如夜刃(によやしや)とたとへの通り美しい顔して居(い)る阿嬢(あね)さんでも
心のうちハ鬼(おに)よりもおそろしひ中々ゆだんハならぬと読売新聞
紙上有り舛 "		

新聞図会 N012

新聞図会 第二十号

不明 25×18

		
"巡邏卒(おまわりさん)ハ人皆無益(むゑき)のやうニ思へど
其(その)功能(こうのう)実(じつ)ニ少からず別て痴病(あほう)などニハ的薬(めうやく)也
既ニ六月五日午前三時大阪天神橋下ニ投身(ミなげ)有(あり)
規則の如く陰陽両体括(くく)り合せて流れ居たり
巡邏(おまわり)其外五六名ニて引揚療治を加えしかバ頓(やが)て
蘇生(そせい)したり男ハ西京笹屋町飯森宗吉とて
二十一の若盛(わかざか)り女ハ同所中立売中島某が母の
志津(しず)四十二年の年増(としま)後家(ごけ)三年前より馴合(ちちくりあひ)しが
金ニ手づまり身を投しと色ハ思案の外か
なから二十歳(はたち)斗の身を以て初老を
越たる婆々さんと死なんとせしハ
痴漢(たわけ)の親玉此難病(なんびよう)を救(すく)ひしも
全全巡回散(おまわりさん)の功能(ききめ)ならずや
四十二と二十一ハ二ツ割ニ当りたれハ
ひと度ハ四二天化の後家さんと
二進(につしん)が一子救(すく)うめてたさ
朝霧楼主人放説
本文ニハ両人の書置あれど略す "		

新聞図会 N013

新聞図会 第二十一号

不明 25×18

		
"新町二丁目
小山政吉の店から
稼をなせる娼妓初花ハ容顔(ようがん)
さのみ艶ならねど頗る風流なる者なれバ浮名(うきな)を涎(よだれ)と
共(とも)に流すの客多きが中に府下師範学校の教師
石井某深く笑凹(ゑくぼ)にはまり込贈答の
和歌数々あれど其一二を記す
「淀む江の岸の草間の捨小舟
よるべなき身のはてぞ悲しき
「いのちさへ君ゆへならバ捨小ふね
思ハぬ岸につながるるかな
此初花の優(ゆう)なるや身に裲襠(うちかけ)ハ
着錺(きかざ)れども口に薄情(つとめ)の艶言(せじ)を
錺らず野夫(いや)なる風ハ夜毎に吹けども
枝垂(しだれ)桜の花を散さず嗚呼(ああ)全盛一ト月の売高ハ
定めて千本桜なるべし   正情堂九化筆記
松事も高直(たかね)の花や見た斗李 "		

新聞図会 N014

新聞図会 第二十一号/正誤

不明 35×23

		
"新町二丁目
小山政吉の店から
稼をなせる娼妓初花ハ容顔(ようがん)
さのみ艶ならねど頗る風流なる者なれバ浮名(うきな)を涎(よだれ)と
共(とも)に流すの客多きが中に府下師範学校の教師
石井某深く笑凹(ゑくぼ)にはまり込贈答の
和歌数々あれど其一二を記す
「淀む江の岸の草間の捨小舟
よるべなき身のはてぞ悲しき
「いのちさへ君ゆへならバ捨小ふね
思ハぬ岸につながるるかな
此初花の優(ゆう)なるや身に裲襠(うちかけ)ハ
着錺(きかざ)れども口に薄情(つとめ)の艶言(せじ)を
錺らず野夫(いや)なる風ハ夜毎に吹けども
枝垂(しだれ)桜の花を散さず嗚呼(ああ)全盛一ト月の売高ハ
定めて千本桜なるべし   正情堂九化筆記
松事も高直(たかね)の花や見た斗李

正誤
当図会第二十一号初花云云ハ
全ク伝聞ノ誤也今爰ニ
図面ヲ以テ謝罪ス
板元八尾善
筆者正情堂九化 "		

新聞図会 N015

新聞図会 第二十三号

不明 28×19

		
"神戸柳原町熊谷徳蔵並
同居文蔵箕崎町六兵衛出廓へ
留守番ニ被雇(やとわれ)けるが四月九日出店へ
至処戸締幹(こじ)開有見れば紛失しな
不少再ヒ賊の来らんト両人密(ミつ)ニ申合セ
鉄棒携(たづさ)へ待処一大男忍び入らんと成シ
ケるを真向見掛テ打たればコワ
叶わじと逃出す賊を何処(こ)迄
もと追駈ルニ賊ハ深手ニ眼クラミ
后(うしろ)へどうとたをれるを両人立寄
散三ニ打テハ賊ハ其侭嗅(いき)絶(たへ)たり
神港新聞第二十八号に顕然タリ "		

新聞図会 N016 ,N017

新聞図会 第二十四号

不明 25×18

		
"大阪雑喉場元魚問屋
松川八十兵衛と云者茶道ニ
長じ古器(どうく)目利(めきき)も功者(こうしや)故
明治の始百六十両ニて手づくね
の茶碗を求秘蔵せしニ此頃
手元がヘチヤに成り宝(たから)ハ身の
指替(さしかへ)売んと思ふにとても平人
ニてハ得(ゑ)買(かう)まじと狂言方なる
徳叟を頼ミ名も高島屋の右団治と
松鶴屋とに見せたる処百六十金もかかりし
品をいかに時世が違へバとてマサカ十円とも
云われまじと名を惜むの俳優(やくしや)たち奇雅(きれい)
に断(ことわり)云ひけれバせん方無くて外へ払ふに
漸(ようよう)二円と聞なり八十兵衛月夜ニ釜を
抜(ぬか)れし如く俄(にわか)ニ杓(しやく)がとつ詰て古茶のやう
に気抜(きぬけ)がしチヤツチヤむちやむちやを云出し
濃(こい)茶薄(うす)茶の分ち無くにじり上りも出来かねて茶せん
全快(ぜんくわい) 覚束(おぼつか)無しと是元来茶道の本意を失(うし)なひて
驕(おごり)を事とし人を茶にせしチヤクラクを天の戒(いま)しめ
給ならん恐るべし恐るべし "		

新聞図会 N018

新聞図会 第三十二号

不明 25×18

		
"本年五月七日滋賀(しが)
県下第九区大川町滋賀
新聞社々中古川某午後
六時退社の
途中俄
大雹降り
出し指たる
傘(かさ)も打ぬかれ殆(ほとんど)難儀
に及ひしと其目方ハ
三匁余有し由又同じ
日ニ当つて下野国那(な)
須(す)郡稲沢(いなさわ)村近辺暴雨雷鳴大雹地上に積事尺余り其経り一寸
より四寸に至る雉(きじ) 兎(うさぎ)の類うたれて死る事数しれずと
越後国十一大区の村々ニは同日午前十一時より二時間
斗に雹の積事三四寸に過ぐと仙台の人莫耶(ばくや)某
の報ニも同日白川駅の東南棚倉街路鍋掛(なべかけ)の間最甚しく老若男女傷(きず)を蒙(こうむ)る者数多なりと人浜松県下東海道白須賀駅の在岡崎村の原と云処の
近傍にハ五月二十三日悪風暴雨雷鳴雹をふらし士族某の長屋の棟木を
折り或ハ棟木を倒(たほ)したりと雹の大きさハ七八歩より一寸に至ると又六月
一日にも栃木県下六千石村辺午後三時天俄にかき曇り霹靂(へきれき)雷電(らいでん)
強雨(おほあめ)盆(ぼん)を
覆(かたむく)が如く後変(へん)じて
雹となり其経(わたり)一寸斗有しと
同所山村氏の報あり
文化の世にハ是らの不思議
もふしぎならず其原由(もと)を
知らんと思ハバ究理(きうり)
学を勉強(はげミ)
したまへ "		

新聞図会 N019

新聞図会 第三十五号

不明 28×20

		
"神戸新聞第二十七号に同所弁天浜ニ居留
する英国人ビエテーラ氏妾をと外一婦
都合三人連にて五月二十三日の夜栄町五丁目より海岸通へ
行掛るに向陽丸器械方小林吉五郎も是も三人連にて行き
違の節誰か一人をと女の肩ニ摺合しをテーラ氏
見咎めて争論に成一人の男を眼玉の飛出る斗り
打擲すあと成二人テーラに向ひ打掛れバ不叶
して逃出すを追詰られて詮方なく腰なる鉄 (ビストル)二三発ポンポンと放しけるニ両人驚き
立すくむ其隙ニ弁天浜なる器械場ニ
逃入たり両人ハ遺憾(いかん)ながら立帰るに曩(さき)の男彼妾を捕居(とらえおり)しを確証(せうこ)とし訴出(うつたへ)しが
テーラ氏よリも掌(てのひら)に刀疵を受金子
落失せしなどと訴へけりと其落着
ハ分らねど双方共あまり出来
たる事共思はれず
豈慎まざるべけんや "		

新聞図会 N020,N021

新聞図会 第三十六号

不明 24×17.5

		
"明治八年六月八日午前一時すぎ東京浅草新谷町佐藤燐造が留主(るす)に兄の終吉が泊り合ハせ
たるに更(ふけ)行く夜ハにあやしき物音起(おき)て見つ寝て見(ミ)蚊屋(かや)ごしに乗(の)り掛(かか)つたる泥棒(どろぼう)ハ揉(もミ)あふ内に
着(き)物を脱(ぬ)ぎ赤裸(はだか)にて逃げ出るを追かけ行けども終吉が病(やまひ)の跋(びつこ)はしりまけ見失ひたる
行足が空しき短夜物がたり跡にのこりし泥棒の本綿袷と三尺帯鑿(のミ)
見たやうな物を捨て置こちらハ一品もとられずに能くマアこんな分捕(ぶんどり)をいたしましたと
日々新
聞千三十
六号ニ出
文花堂誌 "		

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