東京日々新聞




東京日々新聞 N001,N002

東京日々新聞大錦(開版予告)

不明 36.5×24.5

		
"編集記者六名左ノ
文間ニ境界ヲ設ケテ戯号ヲ掲グ
知見(ちけん)を拡充(かくじう)し開化(かいくわ)を進(すすむ)るハ新聞に無若(しくハなし)。
該(その)有益(いうえき)なるハ更(さら)に嘴(くちばし)を容(いる)べからずと。投書(とうしよ)の
論(ろん)の始(はじめ)に記(かけ)る定例(おさだまり)の文章(もんく)に拠(よ)り。童蒙(どうもう)
婦女(ふじよ)に勧懲(かんちよう)の道(ミち)を教(おしゆ)る一助(いちじよ)にと。思(おも)ひ付た
る版元(はんもと)が家居(いへゐ)に近き源冶店(げんやだな)に。名誉(めいよ)ハ轟(ひびき)し
国芳翁(くによしおう)が。門弟中(もんていちう)の一恵斎芳幾(いつけいさいよしいく)大人(うじ)ハ多(た)
端(たん)により壬申巳釆(おととしこのかた)揮毫(きがう)を断ち。妙手(みやうしゆ)を
廃(すて)しを惜(おし)ミしに。中絶(ひさしぶり)にて採出(とりだ)したれバ。先生(せんせい)
自ら拙劣(つたな)しと。謙遜(ひげ)して言へど中々に往昔(むかし)
に弥増(いやま)す巧(たくミ)の丹青(たんせい)。写真(しゃしん)に逼(せま)る花走(りうかう)の。
新図(しんづ)を穿(うが)ち旧弊(きうへい)を
洗(あら)ふて日毎(ひごと)
に組換(うへかへ)る。鉛版器械(かつぱんきかい)の運転(うんてん)より。神速(はやき)を競(きそ)ふ
て昨日(きのふ)の椿事(ちんじ)を。今日(けふ)発兌(うりいだ)す日々新聞(にちにちしんぶん)。各府(かくふ)
県下(けんくわ)の義士貞婦(ぎしていふ)。孝子(こうし)の賞典(しようてん) 兇徒(けうと)の天誅(てんちう)。開(かい)
化(か)に導(みちび)く巷談街説(かうだんがいせつ)。遺漏(もらす)ことなく画(かけ)たれ
バ数号(すごう)をかさねて御購求(おんもとめ)愛顧(あいご)を冀(ねが)
ふと蔵梓主(はんもと)に換(かはつ)て寸言(ちよと)と陳述(のぶ)
る者ハ東京(とうけい)木挽坊(こびきちやう)に奇寓(きぐう)する隠士(いんし)
山々亭有人
点化老人
温克堂龍吟
百九里散人
巴山人
転々堂主人 "		

東京日々新聞 N003,N004

東京日々新聞 第一号

明治7年(1874)7月 36.5×24.5

		
"長野(ながの)
県下(けんか)
信濃国(しなののくに)更級郡(さらしなごふ)
今井村(いまゐむら)に貞婦(ていふ)あり名(な)をせんと云(いふ)
夫(おつと)宇兵衛(うへゑ)一朝(いつてう) 病(やまい)の床(とこ)
に臥(ふし)遂(つひ)に身(しん)
体不随(たいふずゐ)
となりしを
せんハ
女(をんな)の身
一個(ひとつ)に昼(ひる)ハ雇(やとハ)
ハれ聊(いささか)の
賃(ちん)を
請得(こひえ)て糊口(ここう)を計(はか)り
夜(よ)ハ看病(かんびやう)に眠(ねむり)もやらず然(しか)るに或日(あるひ)夕(ゆふ)まぐれ道(ミち)に迷(まよ)ふて宿(やど)乞(こふ)僧(そう)あり
せんハ宿世(しゆくせ)の悪(あし)かりて斯(かく)も不幸(ふかう)のつづけるならん良夫(おつと)の為(ため)に読経(どくきやう)を頼(たの)まん
ものと伴(ともな)ひ入れしが此僧(このそう)無頼(ふらい)の悪僧(あくそう)にてせんが容儀(ようぎ)の艶(ゑん)なるに忽(たちま)ち
起(おこ)る凡悩心(ぼんのうしん)道(ミち)ならざりし引導(いんだう)貞婦(ていふ)ハ更(さら)に肯(うけが)はず刃物(はもの)を以(もつ)て
迫(せま)りしかど身ハ是(これ)刀下(たうか)の鬼(き)となる共(とも) 争(いかで)不貞(ふてい)の名をとらんと
意(こころ) 倍々(ますます)金鉄(きんてつ)の錆(さび)なきものをむざんにも刃(やいバ)の錆(さび)と成(なし)けるを
朝廷(てうてい)これを賞(しよう)せられ祭粢(さいし)の料(れう)を若干(そくばく)賜(たま)ひ門閭(もんりよ)に
掲(かか)げ悪僧(あくそう)ハ輦下(れんか)に引(ひか)れ罪(つミ)に処(しょ)し正邪(しやうしや) 忽(たちま)ち
判然(はんぜん)
たり "		

東京日々新聞 N005

東京日々新聞 第三号

治7年(1874)7月 37×25

		
"鶸雉(やまどり)ハ己(おの)が
羽色(はいろ)の美なるに
愛(めで)て遂(つひ)に溺(おぼ)るる水(ミづ)
鏡(かがミ)。曇(くもり)なき身(ミ)も恋(こひ)ゆへ
に狂(くる)ふ意(こころ)の駒形(こまがた)町。舟板塀(ふないたべい)に竹格(たけかう)
子(し)好風(いき)な住居の外妾(かこひめ)ハ。原田(はらだ)
お絹(おきぬ)と呼(よハ)れたる弦妓(げいしや)あがりの淫婦(うハきもの)。手折(たをら)れ易(やす)き
路傍(ミちのべ)の花に嵐の璃鶴(りくわく)とて。美少年(びせうねん)なる俳優(はいゆう)と
兼(かね)て姦通(かんつう)なしたりしが。女夫(めうと)とならん情慾(じやうよく)に迫(せまつ)て発(おこ)る
悪念(あくねん)ハ。頓(やが)て報(むく)ひて己(おの)が身(ミ)の罪状(つミ)を掲示(かかぐる)紙幟(かみのぼり)に形(かたち)も
似(に)たる紺木綿(こんもめん)。石見銀山(いハみきんざん)請合(うけあひ)と白(しろ)く染(そめ)たる鼠取(ねつミとり)地獄(ちごく)おとしの
謀計(ばうけい)に東家(だんな)を毒殺(どくさつ)なしたりしが。天網(てんもう)いかでか
免(まぬか)るべき。男ハ懲役(てうえき)婦ハ梟首(きふしゆ)。野末(のすゑ)のつゆと
はかなくも消(きえ)て朽(くち)せぬ臭名(しうめい)を。彼(かの)山(やま)
鳥(どり)のながながしく世(よに) 伝(つたふ)るぞ
浅ましかりけり
転々堂誌 "		

東京日々新聞 N006

東京日々新聞 四十号

明治7年(1874)9月 37×25

		
"九代目団十郎の技芸(ぎげい)に
長(ちやう)じ看客(かんかく)を
して感(かん)せしむ
るハ今に始(はじ)めぬ
事ながら既(すで)に歌舞妓(かぶき)
十八番と聞えし勧進帳ハ実夫白猿老が
工夫に因(よつ)て成(な)り西川扇蔵杵屋六翁等之を
補助(ほじよ)し始(はじ)めて木挽(こびき)町河(か)原崎座に於て興行(かうきやう)せし
以降(いかう)八世三升も之を勤(つと)め今の三升も勤(つとむ)る事再度(さいど)なり既に
明治五 壬申(じゅんしん) の年春市村座に於て之を興行為(な)せし時一洋人(いちようじん)之を
見物(けんぶつ)為(な)し三升が技芸に長ずること且弁慶(べんけい)が忠臣(しん)富樫(とがし)が義気(き)
あるを感服(かんぷく)し事(こと)終(をは)つて後(のち)三升が部屋に
来(きた)り洋人しきりに賞美(しようび)し足下(あなた)
弁(へん)慶お上手(じやうづ)写真(しやしん)頂戴(てうだい)とありけるにぞ
やがて鏡台(きやうだい)の引出しより
写真(しやしん)を出して与(あた)へければ
洋人謝礼(しやれい)の意(こころ)なりけん
巻烟草(まきたばこ)数本(すほん)を与(あた)へて
去(さ)りたり又栄誉(よ)と
いふべきのみ
弄月亭綾彦記"		

東京日々新聞 N007

東京日々新聞 四十号

明治7年(1874)9月 37×25

		
"明治五年四月初旬。
北越(ほくゑつ)の頑民等(ぐわんミんら)
県庁(けんちよう)に逼(せま)つて
不平の趣旨(しゆし)を強訴(がうそ)せんと。
密(ひそか)に会合する機(き)に乗(じやう)じ旧(もと)会津(あいづ)
福岡藩の浪士(らうし)等之(これ)に応じ
一揆(いつき)を煽動(せんどう)して所々に蜂起(はうき)す。
惣勢凡六千余人。上に天照皇の
三大字。下に徳川家(け)恢復(くわいふく)。朝敵(ちやうてき) 奸賊(かんぞく)
征伐(せいばつ)と記(しる)したる旗章(はた)押(おし)たて兵器を
携(たづさへ)て新潟(にいがた)柏崎の両庁を襲(おそ)ハんとす
参事公(さんじかう)以下(いか)の県(けん)官奔走(ほんそう)して説諭(せつゆ)に及べど。
理非を弁ぜぬ賊兵(ぞくへい)の勢ひますます盛(さか)んにして。数名(すめい)の
官吏(くわんり)に手傷(きづ)を負(おハ)せ。鎮撫(ちんぶ)の道も絶果(たへはて)けれバ。
兵力(へいりよく)をもて征(せい)するみぞ。素(もと)より烏合(うがう)の土寇(どこう)
なれバ忽地(たちまち)に遁走(とんそう)し。巨魁(きよくわい)の浪士も捕虜(とりこ)となり
日ならず鎮静(ちんせい)なしたるハ。天威(ゐ)の赫々(かくかく)たるゆへなり
転々堂主人記 "		

東京日々新聞 N008

東京日々新聞 百一号

明治7年(1874)9月 36×24.5

		
"年々歳々(ねんねんさいさい)相似(あいに)たる千(ち)
種(ぐさ)の花の盛なる葉(は)月ハ旧暦(もと)の文(ふミ)
月にて。歳々年々同じからぬ亡魂(なきたま)祭(まつ)る
鼠尾花(ミそはぎ)の露と消(きえ)にし産婦(さんぷ)が思ひハ。送(おく)り火の焼(やけ)
野(の)の雉子(きぎす)。蝋燭立(らうそくたて)の夜(よる)の鶴(つる)。跡(あと)に残りし最愛児(いとしご)に。ひか
れて迷(まよ)ふ箒木(ははきき)の有(ある)か無(なき)かに顕(あらハ)れて、さめざめと泣(なき)て云(い)へるよう。
汝等(いましら)二人りが薄命(はくめい)なる。侘(わび)しき爺子(ててご)
の手(て)一ツに育(そだ)てらるれバ万の事(こと)に
不自由がちにぞありぬべし。乳呑(ちのミ)の妹は
吾(わな)儕(ミ)が伴(ともな)ひ育(そだ)てあげんと抱(たき)しめし姿(すがた)ハ
仏檀(たな)の土器(ほうろく)の香(こう)の煙(けむり)と消失ぬ。嗟。愛着(あいじゃく)の
妄念(もうねん)ハ脱離せずんバあるべからず。文明開化の
今日に斯(かか)る譚(はなし)ハ無き事なれバ。虚説(きょせつ)を伝(つた)ふる
戒(いまし)とす
小説の作者
転々堂鈍々記 "		

東京日々新聞 N009

東京日々新聞 百十一号

明治7年(1874)7月 37×24.5

		
"東(とう)
海道(かいだう)
沼津(ぬまづ)宿(しゆく)
浅間社内(せんげんしやない)に
興行(こうぎやう)せる相撲(すまひ)名(な)
におふ東京の関取多
人数(にんず)旅店(りよてん)に満(ミ)ち初日
遅(おそ)しと待(まつ) 暁(あかつき)仲の街(まち)より火
を失(しつ)し数(す)町の外(ほか)に蔓炎(まんえん)す
此地(このち)元来(もとより)海岸(かいがん)にて井水(いすゐ)乏(とぼ)
しき故(ゆゑ)を以(も)て消防(せうばう)十分ならざる
を多勢の力士等墳発(ふんぱつ)して樽(たる)
と桶(をけ)とを手送(おく)りに香貴(かぬき)の水
を運(はこ)びつつ百方(はう)尽(じん)力する折(をり)しも掛け
わたしたる雷線(でんせん)の柱(はしら)も須(やか)て
燃(もえ)んとす時に臨(のぞ)んで
両大関名も火かかりに因(ちなミ)ある境川にハ
大纒等(ひと)しく火中(くわちう)に飛入(とびいつ)て家(いへ)を
倒(たを)し柱(はしら)を抜(ぬ)き猛火(もうくわ)をしづめ
電機(でんしん)を救(すく)ひし鬼(き)神を
欺(あざむ)く怪力(くわいりき)ハ
開化(かいくわ)を助(たす)くる
力士等が
大功業と
いふべきのミ
転々堂主人記 "		

東京日々新聞 N010

東京日々新聞 百八十五号

不明 37×25

		
"越後国蒲原郡二俣(また)村
元里長(もとりせい)に片桐(かたぎり)省(せう)助と
云(いへ)る者あり戊辰(ぼしん)の際(さい)
東京府判事に撰挙(せんきよ)せられ
間なく罪(つミ)あつて遠流(をんる)に処(しよ)せらる
然るに母ハ日夜比事をのミ涕泣(ていきう)し
遂(つひ)に病ひの床(とこ)に臥(ふ)せしを二男
小林次郎母の哀痛(あいつう)兄(あに)の困苦(こんく)を
悲(かなし)ミ身を以て兄に代(かハ)らん事を
水原県へ訴(うつた)へしが之を許(ゆる)さず
是(ここ)に於て東京に出府し
馬喰町の旅泊(りよはく)にあり
て願意(ぐわんい)を血書(けつしよ)し
身を殺(ころ)して以て兄が
憂苦(ゆうく)を救(すく)はんとすでに
屠腹(とふく)せんとするの際(さい)
友人頼(らい)。大橋の両生をりから
茲(ここ)に来かかり死を止めて血書を
衆議院(しゆうぎいん)へ出せしが朝廷次郎が孝悌を
憐(あはれ)ミ玉ひ省助が流罪(るさい)を解(と)かせらる次郎が
歓(よろこ)び譬(たとへ)んにものなし前日の血書ハ今日故郷(こきやう)へ
錺(かざ)るの錦(にしき)となり兄弟相携(たすさ)へて二俣村ニ帰(かへ)りしかバ
母ハ枯木(こぼく)の春にあふ心地(ここち)して忽ち重病快気を
得たり朝廷尋て二郎を賞し若干の
褒美ありしとぞ
山々亭有人記 "		

東京日々新聞 N011

東京日々新聞 二百二十号

明治7年(1874)8月 36.5×24.5

		
"上野国(かふつけのくに) 大輪(おほわ)村無宿(むしゆく)茂吉。其妻(つま)つまハ是(これ)一対(いつつい)の
虎夫(こふ)狼妻(らうさい)。其(そ)が同悪(どうあく)の者(もの)と都合(つかふ)四名(しめい)。越後国(ゑちごくに)
"		

東京日々新聞 N012

東京日々新聞 三百二十二号

明治7年(1874)10月 36.5×24.5

		
"民(たミ)に親愛(しんあい)を教(おしゆ)る孝より
善ハ莫(なし)と。余(さ)れバ氷(ひよう)上に
鯉(り)魚を獲(ゑ)、雪中に笋(たかんな)を
抜(ぬ)く、古(ふる)き教(おしへ)を固(よく)守て、
老母が長(なが)き病(いたつき)に
食料(しやくりやう) 湯薬(たうやく)二便(にべん)
の看護(かんご)、聊(すこし)も他人の
手を借(から)ず至(いた)れり
尽(つく)せる其(そが)うえに、快(くわい)
晴(せい)の日ハ背負(せお)ふて遊歩(いうほ)し、
母の喜(よろこ)ぶ体(さま)を見て、吾(わ)が
第一の歓楽(たのしミ)とす而(しか)して多年(たねん)
も一日の如し、未(ま)だ秋浅(あさ)き
季候(ころ)なるも氷を食(しよく)せんこと
を望(のぞ)めバ、数里(すうり)を阻(へだ)たる
長沼(ながぬま)山の、渓間(たにそこ)深(ふか)く下(おり)たちて
僅(わづか)に氷を索得(もとめゑ)つ、母に与(あた)へし孝子ハ
之(こ)れ。福島県下(けんか)岩代(いわしろ)の国岩瀬郡(いわせごほり)、
鏡沼村(かがミぬまむら)の農民(ひやくしやう)にて、褒金(ほうきん)若干(そこばく)
賜(たま)ハりたり
転々堂鈍々記 "		

東京日々新聞 N013

東京日々新聞 四百二十八号

明治7年(1874)10月 36.5×25

		
"越後の女子ハ其情雪と共に淡(あわ)く帷子地と共に薄(うす)けれバ
古来より多く娼妓(しようぎ)を此国に需(もと)むと然るに世移(ようつ)り物
換(かわ)り今ハ該(その)国(くに)狭郭(いろさと)の芸娼妓も真情を以て客に遇
する考なしとせず茲(ここ)に新潟港(にいがたかう)長浜某の雇(やと)ひ芸妓(げいき)たいと
云ふ者千金を擲(なげう)つ豪客(がうかく)を厭(いと)ひ丁稚(でつち)あがり一青年に
恋着(れんちやく)し盆踊(ぼんをど)りの夜に紛(まぎ)れ住居馴れたる新潟(にいがた)を跡(あと)
白浪(しらなみ)と遁走(とんそう)し弥彦を跡に寺泊り結(むすぶ)赤縄(ゑにし)の出雲崎(いづもざき)よしや尼瀬(あませ)
となれバとて離れハせじと取かわす此(この)手拍や
拍崎早往々て名にしおふ不孝の罪(つミ)の
親しらず越(こへ)て加賀路もいつか過幾(すぎいく)
夜歟 を旅(たび)に伏見(ふしミ)より浪花(なにわ)にしばし
吟行(さまよふ)うち座(ざ)して食(くら)へバ山ならで
固(もと)より寒(さむ)き 懐(ふところ) 尽(つき)とや詮(せん)方も泣(なく)
ばかり死(し)して未来(ミらい)で逢見(あいミ)んと互(たが)ひの運(うん)の
天満(ま)橋既(すで)に入水(じゆすい)を決(けつ)せしを道(ミち)往(ゆく)く
人に介抱(たすけ)られたいハ再度(ふたたび)苦海(くがい)の
勤(つと)め男ハやがて人力車稼(かせげ)ど追(おわ)は
るる困難(こんなん)を長浜氏(ながはまうぢ)に聞(きこ)へしかバ
車夫(しやふ)との縁(ゑん)を曳(ひき)はなし古郷(こきやう)へ
帰り錦(にしき)の帯(をび)しめて又もや河竹の
浮(うき)し勉(つと)めをなせりとぞ
山々亭有人記 "		

東京日々新聞 N014

東京日々新聞 四百三十一号

不明 36.5×24.5

		
"盆過(ぼんすぎ)て宵(よい)闇(やミ)くらき永代(ゑいだい)の、橋間(はしま)をぬける家根船(やねふね)の、小べりを
かすりて橋上(きやうぢよう)より投入(なげこま)れたる女子(をなご)あり、苦(くる)しき声(こゑ)を
あげ汐(しほ)にたすけてたべと呀(さけ)ぶのミ、
せん術(すべ)波間(なミま)にただよふを、船(ふね)より三浦(ミうら)
某君(なにがしきミ)が、夫たすけよと情(なさけ)のひと言(こと)、船人こころ得(え)
力(ちから)を尽(つく)
して漸(やうや)く船(ふね)
に引揚(ひきあげ)つ、さて
さまざまと介抱(かいほう)なし、
入水(じゆすい)の子細(しさい)を尋聞(たづねきく)に、是(これ)ハ中橋(なかハし)
和泉町(いづミちよう)なる浅野(あさの)又兵衛(またべゑ)が召仕(めしつかひ)にて、
安房国(あハのくに)館山町(たてやままち)、小柴(こしば)茂七(もしち)が娘(むすめ)やすとて、本年十七
年五カ月になれる者(もの)なりけふしも深川(ふかがは)に所要(しよよう)
ありて、赴(おもむ)きし帰るさ永代橋のただ中にて、四十(よそ)
歳(じ)余(あまり)の斬髪男(ざんぎりおとこ) 矢庭(やにハ)にやすを引捕(ひきとらへ)、懐中(くわいちう)の
金三円を奪取(うばいとり)、あまつさへ川中(かハなか)へ、うち込(こま)れ
たるよしなるにぞ、三浦君、いたく憐(あハれ)ミ玉ひて、しるべの方(かた)へ
送(おく)り遣(つかハ)せよと側(かたはら)の人々(ひとびと)に命(めい)じたまふ程(ほど)に船(ふね)ハ浜(はま)
町(ちよう)の河岸(かし)につきぬ、折(をり)から十七日の月もはや本所方(ほんじようかた)に
さしのぼりて夜(よ)ハ初更(しよかう)にぞなりにける 点化老人識 "		

東京日々新聞 N015

東京日々新聞 四百四十五号

明治7年(1874)9月 36.5×24.5

		
"東京元柳原町(もとやなぎはらちやう)に住居(すまい)する
梅村豊太郎といへる者。
明治六年
八月
四日午後二時とも
おぼしき頃。地震(なえ)に目(め)
覚(さめ)て熟眠(ねむら)れぬ折しも傍(かたへ)に
臥(ふし)たりし。小児(しやうに)の物に魘(おそハ)れけん
泣(なき)入る声に驚(おどろ)きて視(ミ)る枕辺(まくらべ)
に怪(あや)しき哉(かな)、卓然(すつく)と立たる
三眼(ミつめ)の妖僧(ようそう)、見る見る頭(かうべ)は
天井(てんしよう)を突抜(つきぬ)くばかりに伸(のび)
揚(あが)るを。頗(すこぶ)る胆(たん)ある豊太郎。
憤然(ふんぜん)と身を踊(おど)らして
変化(へんげ)か裾(もすそ)を引掴(ひつつか)み力(ちから)を
極(きわ)めて打倒(うちたを)すに。
是なん歳(とし)経(へ)し
老狸(たぬき)なり
しと
転々堂鈍々誌 "		

東京日々新聞 N016

東京日々新聞 四百九十一号

明治7年(1874)10月 36.5×24.5

		
"頃日(このごろ) 専(もつは)ら刊行(おこなは)るる。福沢(ふくさハ)氏(うじ)が学問(がくもん)
の進(すす)めと題(いへ)る教(おしへ) 論(ぶミ)史第八篇の文中に。
一夫(ぷ)の多妾(たせう)を犯(をか)せるハ畜類(ちくるひ)なりと論ぜ
しも。理(ことはり)なるを此(これ)は之(これ) 獣(けもの)の名に因(よ)る熊谷(くまがへ)県下(けんか)に。
孀婦(ごけ)のおなつが長女(むすめ)のお袖。次女(いもと)のお蝶(てう)三人と。輪交(かゑかゑ)
まくら川越(ごへ)の多賀町に住(す)む滝(たき)次郎。清(きよ)き流(ながれ)の名にも
似(に)ず放蕩(はうたう)無頼(ふらい)の悪漢(わるもの)なれバ。三婦(ぷ)に姦(かん)する故(ゆへ)をもて親(おや)子互(たが)ひに
睦(むつ)まじからず。平日(つね)に葛藤(くせつ)の絶(たえ)ざりしが。或時(あるとき)例(れい)の口角(いさかひ)より母を
柱(はしら)に縊(くくり)つけ。其面前(めのまへ)に戯(たはむ)れて姉妹(はらから)も亦(また)愉快(ゆくわい)とす。
醜体(しうたい)言語(ごんご)に絶(たえ)たりし人畜生(にんちくじよう)が
挙動(ふるまひ)の。官(くわん)に聴(きこ)へて捕(とら)へられ。
入間郡(いるまごほり)の
裁判所(さいはんじょ)へ
一同(いちどう)送致(おくられ)
たりと
なん
転々堂主人録 "		

東京日々新聞 N017

東京日々新聞 五百十二号

明治7年(1874)7月 36.5×25

		
"元根岸村(もとねぎしむら)花園街(そのちやう)ハ東叡山(とうえいざん)の
北崖(ほくがい)にて後面(うしろ)ハ
松柏(しようはく) 聳(そび)へ萋(しげり)。風(かぜ)
音(おと)凄(すご)く寂莫(ものさび)て虎(とら)も
栖(すむ)べき薮垣(やぶがき)を。破(こへ)て入来(く)る曲漢(くせもの)が
白刃(しらは)の下(した)に立父(たつちち)を貯(かば)ふて
重傷(てきず)老(おひ)の身(ミ)を助(たす)くる
処女(おとめ)ハ未(ま)だ年紀(とし)も。
盛(さかり)の色(いろ)の二九の花(はな)
散(ちる)を惜(をし)まぬ勇胆(ゆうたん)
に猛虎(もうこ)に比等(ひとしき)兇賊(けうそく)も。
比(この) 勢(いきおひ) に臆(おく)しけん。一物(いちもつ)をも
獲(え)ず遁走(にげはし)れり。事(こと)
公(おほやけ)にきこえしかバ褒金(ほうきん)
若干(そくばく) 賜(たまハ)りて。其(その)
名(な)も。揚(あがり)香ばしき
支那(もろこし)二十四孝(かう)にも
譲(ゆづ)らぬ烈婦(れつふ)と賞(しよう)され
ける
転々堂
鈍々誌 "		

東京日々新聞 N018

東京日々新聞 五百九十二号

不明 36.5×25

		
"無慙(むざん)なるかな秋月(あきづき)が娘(むすめ)深雪(ミゆき)ハ云々(しかじか)。と
戸毎(とごと)に彳(たち)て唄(うた)ふなる浄瑠理節(しやうるりぶし)ハ
恋(こひ)ゆゑに泣(なき)つぶしたる目(め)なし鳥(どり)。
彼(かれ)が情郎(をとこ)ハ熊沢(くまざハ) 某(なにがし)。此(これ)が夫(をつと)は
熊(くま)次郎。長(なが)の眼(め)病(やミ)に打(うち)臥(ふし)て遂(つひ)に
瞽者(めしい)となる不自由(ふじゆ)。重荷(おもに)にそへる
幼児等(こどもら)を養(やしな)ひ兼(かね)る
困窮(こんきう)に。袖(そで)ハ乾(かハ)かぬ芝(しバ)
浦(うら)の浪(なみ)にゆられて
色(いろ)かえぬ。浜松(はままつ)町の四丁目
なる五番(ばん)の地所(ちしよ)の
借店住(かりすまひ)。昼(ひる)ハ走(はし)りて
魚(うを)を売(う)り。
宵(よ)ハ三味(さミ)
線(せん)の
糸(いと)
より
も
細(ほそ)き稼(かせぎ)ハ芸(げい)が身(ミ)を
たすける程(ほど)の薄命(ふしあわせ)。
風雨(ふうう)雪夜(せつや)も厭(いと)ハざる赤心(せきしん)天に
感通(かんつう)して。明治七年一月
初旬(はじめ)。褒賞(ほうしよう)金を賜(たまハ)りしハ。
朝皃(あさがほ)日記(につき)の節操(せつそう)に数回(すくわい)
まされる貞婦(ていふ)といふべし
転々堂鈍々記 "		

東京日々新聞 N019

東京日々新聞 六百五十六号

不明 36×24

		
"佐賀県下(けんか)肥前の国にて暴動(ぼうどう)せし
賊軍(ぞくぐん)一敗地(いつはいち)に塗(まみ)れ首謀(しゆぼう)江藤氏(えとうし)
遁走(とんさう)して加藤太助と変名(へんめい)し。明治
七年三月下旬与州(よしう)宇和島より甲浦に
至り客舎(かくしや)に潜伏(せんぷく)したりしを。高知県(かうちけん)より派出(はしゆつ)
せる少属(せうさかん)細川 某(なにがし) 数名(すめい)の捕吏(とりて)を率(したがへ)て。
該地(そのち)の戸
長に案内させ。主僕(しゆぼく)を
捕縛(ほばく)に及ぶのとき。江藤
氏(し)騒(さハ)げる景色(けしき)なく従容(じうよう)と
して筆紙を採(と)り。岩倉(いハくら)殿下(でんか)に
一書を呈(てい)す其文(そのぶん) 頗(すこぶ)る激烈(げきれつ)にて。
征韓党(せいかんとう)の巨魁(きよくわい)とも称(いふ)へき
胆力(たんりよく) 顕然(けんぜん)たりとぞ
転々堂主人筆記 "		

東京日々新聞 N020

東京日々新聞 六百五十六号

明治7年(1874)10月 37×25.5

		
"往古(いにしへ)より世(よ)に称(しよう)せらるる婦女(ふじよ)多(おお)しと言(い)へども。貞を守り節(せつ)に死(し)するハ
又以て少(すく)なひ哉(かな)。ここに肥前(ひぜん)の国某氏(それがしうじ)の娘(むすめ)ハ。同国(どうこく)の士浅倉(あさくら)氏へ嫁(かし)て。
女子(によし)一人を挙(もふけ)しも。月に浮雲(ふうん)の譬(たとえ)の如(ごと)く。夫(おつと) 弾蔵(だんぞう)ハ征韓党(せいかんとう)へ
加(くわわ)りしを。纔(わずか)に知りてうち驚(おどろ)き。度々(たびたび)の諌(いさ)めも糠(ぬか)にうつ
釘(くぎ)より胸(むね)の苦(くる)しさも。官軍(かんくん)国に臨(のぞ)むの後(のち)。
不日(ひならず) 彼党(かのとう)大敗(はい)なし。夫(おつと)も刑(けい)に
死(し)すると聞(き)き。今は此世に望(のぞ)み
なき。玉藻(たまも)の床(とこ)の吹荒(ふきあれ)て独(ひと)り
音(ね)に啼(な)く離(はな)れ鴛鴦(をし)。天にあこ
がれ地にかこち。順逆(じゆんぎやく)ふたつの
理(り)を感(かん)じ三つにもたらぬ
幼児(おさなご)を。夫(おつと)が日頃(ごろ)愛玩(あいかん)せし。
匕首(たんとう)をもて刺殺(さしころ)し。其身(そのみ)も
倶(とも)にうち重(かさ)なり自害(じかい)なせしハ
世の人の善悪(さが)なき口をいとふなるべし
墨陀西岸
温克竜吟述 "		

東京日々新聞 N021

東京日々新聞 六百八十九号

明治7年(1874)10月 36.5×25

		
"v戊辰(ぼしん)の役(えき)方公(はうこう)を誤(あやまつ)て上野山内(うえのさんない)に屯集(とんしう)し。
王師(わうし)に抗(かう)して斃(たほ)れたる。彰義隊(しようぎたい)等(ら)が七回(ひちくわい)の忌日(きにち) 営(いとな)む本年(ほんねん)
五月。清水堂(きよミづだう)の施餓鬼(せがき)に納(いれ)る有志(いうし)の輩(はい)が資金(しきん)に換(か)え。伝聞(ききつたへ)
たる其時(そのとき)の軍談(いくさばなし)をかき輯(あつ)め。
松(まつ)の落葉(おちば)と題(だい)したる。拙(つたな)き著述(ちよじゆつ)も亡魂(なきたま)を
弔慰(なぐさ)む端(はし)となりもせバ。追善供養(ついぜんくやう)と
思(おも)ふも鈍(おぞ)まし
東台戦記の記者
高畠藍泉識 "		

東京日々新聞 N022

東京日々新聞 六百九十四号

不明 36.5×25

		
"本郷奥田坐(ほんがうおくだざ)の俳優(はいゆう)坂東(ばんどう)三根二(ミねじ)といヘるハ当年二十三年十一ヶ月
女ハ同所芝居茶屋(しばゐちやや)の娘山越(やまこし)かねとて十五ケ
年六ケ月なり三根二其頃(ころ)は梅若(めわか)の母班女(はははんちよ)
物狂(ものぐる)ひの狂言を為(な)したりしが児(こ)を
たつぬべき
道(ミち)もせを人目の
関屋山越(せきややまこし)に互(たかひ)に手(て)に手をとりが啼(なく)
吾妻(あづま)にあらぬ坂東や葛西(かさい)太郎の
長堤(ながづつミ) 胸(むね)の奥田坐(おくだざ)打あけて
千代に八千代に
白髭(ひげ)の老(おい)ての
後(のち)も替(かハ)らじと
契(ちぎり)しことも仇波(あだなミ)
の思ひもよ
らぬ夫(つま)定め
恵(めく)ミ請地(うけち)の親
兄(おやあに)に済(すま)じとしれどなま中に
結(むす)ぶ柳の解(とけ)かねて縁(えん)のはしバ
の夜(よる)の雨(あめ)ぬれぬ先こそ露(つゆ)の間も
側(そバ)はなるるが弥(いや)ましに深(ふか)き隅田(すミた)の川中へ
身(ミ)を投(とう)じたる無分別(むふんべつ)
死(し)を決(けつ)したる覚悟(かくご)
以(も)て為(な)さばいか
でか何(なに)ごと
も
為(な)しえぬことのあるべきぞ
そもそも男女の伉儷ハ、所謂(いハゆる)
天縁(てんえん)奇偶(きくう)にて父兄も之を
禁ずる能(あたハ)すされど野合(やがふ)は禽獣(きんしう)に
劣(をとれ)るものと合点(がてん)して
ゆめゆめ誤(あやま)り給ふことなかれと
有人記 "		

東京日々新聞 N023

東京日々新聞 六百九十七号

不明 35×24.5

		
"度会県下(わたらひけんか)志摩(しま)の国
甲賀(かうが)の浦(うら)に鰐(わに)すミて、暴風雨(はげしきあらし)
の其折ハ。不斗(ときと)して浮(うか)ミ出る
事有り、全身(ぜんしん)海草蠣貝(かき)附て、
巌(いわお)にひとしき形相(ありさま)なり、折々船を
覆(くつがへ)し人を害(がい)する事ありしが。近頃(ちかころ) 哀(あはれ)な
一話(はなし)あり、何方(いづこ)の浦(うら)を船出せし商船(しようせん)
なる歟 此沖(おき)にて、火(ひ)を失(あやま)ちしが船中の、乗(のり)組
一同力を尽(つく)し、消止(けしとどめ)んと働(はたら)けども、火勢次第
に蔓延(ひろがり)てせんかたなぎさに救(すく)ひの船を、
呼(よ)バんとなせし折柄(をりから)に、海底(かいてい) 俄(にわか)に鳴動なし、
渦巻(うづま)く波間(なミま)に彼(か)の鰐が現(あらハ)れ出て口を
開(はり)、猛火(もうくわ)に懼(おそ)
れて海中(かいちう)へ飛入(とびい)る船(ふな)
子(こ)をガバと呑(の)む、其恐(おそろ)しさに
救(すく)わんと、近寄(ちかよ)る船も逃散(にげち)り
しハ、浮屠師(ぼうづ)が説(とけ)る幽冥(ぢごく)の有様
かくやとこそハ思ハれたり、炎(ほのふ)ハ
益々(ますます) 激(はげし)くなり、船は跡(あと)なく焼(やけ)
失(うせ)て、一人も助(たすか)る人なきハ、本(とう)年
五月の事なりけり
墨陀西岸 温克堂龍吟誌 "		

東京日々新聞 N024

東京日々新聞 七百八号

明治7年(1874)12月 36.5×24.5

		
"越後の国新潟(にいがた)の芸妓(げいき)に
今川屋雛(ひな)と言る者
あり面食(しよく)
雛(ひな)の
ごとく
美なら
ず容(かたち) 桃(もも)
桜のごとく艶(ゑん)ならねど弦(げん)を採(とつ)て客(きやく)を浮(う)かすの妙
あれハ其繁盛(ハんしよう) 殆(ほとん)ど三味線(せん)の弾(ひき)もきらず是(ここ)に於て
蓄財(ちくざい)千円に及べり然(しか)るに雛に情(しよう)郎ありて名を敦(つる)賀屋喜
右ヱ門と呼び二十年来馴親(なれした)しミ既(すで)に二女を生(しよう)し長女ハ等(ひと)しく
芸妓(けいき)たりさしも漆膠(しつろう)の中たり共金は敵(かたき)の世なりけん敦喜(つるき)一朝(ちやう)米相場の
失策(ハつさく)より千有余(いくよ)円の損となり夫を償(つくな)はん為め窃(ひそか)にかの蓄財(ちくざい)を持出したるを雛ハ夢にだにしらず久(ひさ)しく
閻浮陀金(ゑんぶたきん)の開帳をなさすと箪笥(たんす)の引出しを明(あけ)たりしに光明(くわうめう)何(いづ)れへ歟 光(ひか)りを放(はな)ちて影(かげ)だに止めす是(これ)必竟(ひつきやう)
敦喜の所為(しよゐ)ならんと是(これ)を公(おおやけ)に訴(うつた)へんとせしかど止(とどむ)る者ありて其事に至(いた)らざれども
遂(つい)にハ為(ため)に病(やま)ひとなり又幾許(いくばく)あらすして快気(くわいき)に至りしとなり "		

東京日々新聞 N025

東京日々新聞 七百十二号

明治7年(1874)10月 36×74.5

		
"頃(ころ)ハ明治七年。日本国(につぽんこく)の師(いくさ) 台湾生審(たいわんせいばん)
の。暴悪(ぼうあく)を懲(こら)さんため。彼島(かのしま)に舶来(わたり)ぬ。
然(しか)るに不教(ふきやう)の夷等(えびすら)人理(じんり)を知(し)らず。不(ふ)
意(い)に手向(てむか)ひなす故(ゆへ)に。ついに五月皇国(くわうこく)
の兵威(へいゐ)を以(も)て是(これ)を制(せい)せんと。牡丹人種(ホータンじんしゅ)
が巣穴(そうけつ)を襲(おそふ)同国(こく)車城(しやじやう)の東(ひがし)へ入る事(こと)
三里(り)。山深(ふか)く老樹(ろうじゆ)森々(しんしん)と聳(そび)へ日を掩(おほ)
ひ。断岸突兀(だんがんとつごつ)鑿(のミ)にて穿(うがつ)に以(に)たり。澗(かん)水
冷(ひやや)かにして巌(いはほ)の青苔(せいたい)千歳(ざい)の色(いろ)を顕(あらハ)し。枯(こ)
木(ぼく)路傍(ミち)に横(よこた)ハりて。万代人跡(ばんだいじんせき)を埋(うづ)む一人
ここを守護(まも)れば。万夫進(ばんぷすす)むに難(かた)き嶮岨(けんそ)を
頼(たの)み。大石を以(もつ)て胸壁(けうへき)を造(つく)り往還(ミち)を塞(ふさ)
ぎ。其中(そのうち)より小(せう) 銃(じやう) 繁(しげ)く打出しぬ。ここに
いたりて、我兵(わがへい)一策(さく)をめぐらし道なき山を
辛(からう)じて後(うしろ)へ廻(まハ)り半腹(ぷく)より拳下(こぶしさが)りに
牡丹種(ボータンしゆ)が。屯所(とんしよ)を目掛(がけ)て発炮(はつぽう)なすハ
高嶺颪(たかねおろし)に誘引(さそハ)れて霰迸(あられとばし)る如(○とく)なり
蕃(ばん)人是(これ)に辟易(へきゑき)し全(まつた)く降伏謝罪(ごうふくしやざゐ)し
て日本(にほん)の 天威(ゐ)万国(ばんこく)に。輝(かがやき)わたるハ同月(とうげつ)
の。二十二日の暁天(あかつき)にて此石門(せきもん)の一戦(せん)なり
とぞ。
墨陀西岸
温克龍吟 "		

東京日々新聞 N026

東京日々新聞 七百二十三号

明治7年(1874)7月 36.5×24.5

		
"一生の。かため破(やぶ)れて
下駄(げた)かたかた。足駄(あしだ)かたかた
打(うち)むれて。 (うわなりハ) 打(う)たんと。下駄や
の寝(ね)ごと。絹商長吉(きぬうりちやうきち)を板(いた)ばさみ。
疾妬(しつと)のやミの夜のつる吉。後家(ごけ)の
於栄(おえい)と詰(つ)めびらき。うらと表(おもて)の
扉(とまや)にハ。朋輩(はうばい)娼妓(ぢよらう)かた唾(づ)をのミ割(わつ)て
入たる宿屋(やどや)の扱(あつか)ひ。事(こと)ハ新聞誌(しんぶんし)ニ見(ミ)えたり
{台詞(上段より)}
「宮吉(ミやきち)が
あさしづ申す
までハ
しづまり
たまへ
なんぞ
といふ
「ひとうち
うつてから
うけやうはうが
つよくつて
よからう
「あねさん
ないて
おやりよ
「下駄屋(げたや)の下女(げぢよ)子僧暴動(こぞうぼうどう)に
「苦界(くがい)の
なかでも
かためた
おとこ
(うわなり)かたらで
おくべきか
「何事も旅宿(やど)へ
おまかせわるくハ
しないから
「なんだ
うわなりた
かわがりが
きいてあきれる
去年の
げた代
よこせよこせ
「なんぼ
長者
さんでも
いつしやう
かうやく
のはり
かへハ
いやだ
らふよ
「長者ハ
へいこうくハばらくハばらと
もくねんなり"		

東京日々新聞 N027

東京日々新聞 七百二十六号

明治7年(1874)7月 36.5×24.5

		
"牡丹(ぼたん)を二十日草(はつかぐさ)とハ
誰(た)がいいそめし
言(こと)の葉(は)のはづ
かしながら
牡丹女(ボータンヂヨ)が
晴(はれ)の衣服(いふく)ハ
都督府君(いくさぎみ)渥き
賜物(たまもの) 弥重(やえ)ならで
ひと重(へ)にひらけ
行(ゆ)く御代(ミよ)の
御恵(みめぐ)み深(ふか)
き八(や)汐(しお)の
海(うミ)こえつつ
まつろう少女(むすめ)が
写絵(うつしゑ)。事(こと)は新聞誌(しんふんし)に委(くわ)し。
百九里山人誌 "		

東京日々新聞 N028

東京日々新聞 七百三十六号

明治7年(1874)9月 36.5×24

		
"岸田吟香(きしだきんかう)ハ新聞(しんぶん)
探訪(たんばう)の為(ため)、陸軍(りくぐん)
に従ひて台湾に在(あ)
る事二ヶ月余諸蕃(しよばん)降伏(かうふく)の
後(のち)ある時(とき)牡丹(ぼたん)生蕃(せいばん)の地に遊歩(ゆうほ)し。
帰路(きろ)石門(せきもん)の渓流(こかハ)を渉(わた)らんとて靴(くつ)を
脱(ぬが)んとする折から。土人(どじん)来(きた)りて
脊(せ)に負(お)ふて越(こさ)んと云ふ。吟香
辞(じ)すれども尚(なを)聴(きか)ざるゆゑ
渠(かれ)が脊(そびら)に乗(のり)たりしに。
力(ちから) 微(よわく) して立(たつ)こと能(あた)
ハず。遂(つひ)に笑(わら)つて止(やみ)
たりとぞ。蓋(けだ)し
吟香は躯幹(からだ)肥大(ふとり)て。
重量(めかた)二十三貫目に余(あま)れり
吟翁が同社の硯友
転々堂藍泉記 "		

東京日々新聞 N029

東京日々新聞 七百四十二号

明治7年(1874)7月 36.5×24.5

		
"下成人(かたハ)の子(こ)程(ほど)可怜(かハゐひ)と世(よ)の諺(ことわざ)なる
親(おや)ごころを級(くミ)とる孝子(かうし)ハ 遠江城(とふのあやミじやう) 東郡(たうごほり) 河東村(かハひがしむら)の山下(した)民蔵(たみざう)といふ人にてそが齢(よハひ)さへ
四十七始終(しじう)かハらぬ孝心(かうしん)友義(いうぎ)三十歳(ミそじ)に
あまる弟(おとと)の亀蔵(かめざう)生来(せいらい)愚鈍(ぐどん)の性(うまれ)にける
ひとり帯(おび)さへむすひえぬを結(むす)びてむつむ
一人の我子(わがこ)より猶(なほ)弟をいとしみあハれむ
志様(こころばへ)は一家(いつか)和楽(わがう)の基本(もとい)にて皮相(うわべ)をかざる
孝(かう)ならで老母(らうぼ)にあつき志(こころざし)ハかの太牢(らう)
の滋味(じミ)にも数倍(すばい)まさる養(やしな)ひなるべし
山人誌  "		

東京日々新聞 N030

東京日々新聞 七百五十二号

明治7年(1874)10月 36×24.5

		
"台湾(たいわん)の諸(しよ)
蕃(ばん) 悉(ことごと)く
吾(わ)が軍門
に降(くだ)れる
中に。獨(ひと)り牡丹社(ぼたんしや)
の土人(どじん)のミ遠(とを)く山林(さんりん)
深莽(しんそう)の裡(うち)に逃(にげ)入て出
ざりしを。全軍(ぜんぐん)大挙(たいきよ)して三方より
進撃(すすみうち)。其山々を焼立(やきたて)ければ彼(か)れ身を潜(ひそむ)る地なく
して。前(さき)に帰順(きしゆん)の酋長等(ゆうちようら)を媒妁(なかだち)とし。紀元二千五百
三十四年七月第一日本営(ほんえい)に来(きた)つて罪(つミ)を謝(しや)し
真(しん)に降伏(かうふく)したりしより。藩(はん)地いたつて
靜謐(せいひつ)なり。這(この)征蛮(せいばん)ハ此(この)島(しま)の開化に
進(すす)める初階(しよかい)といふべし
転々堂鈍々録 "		

東京日々新聞 N031,N032

東京日々新聞 七百五十四号

不明 36.5×25

		
"西(さい)京四条(しじよう) 高倉辺(たかくらへん)に住(すめ)る老嫗(ろうば)あり。身には襤褸(つづれ)を纏(まと)ひ
つつ。垢面(よごれしかほ)ハ売(うり)品の炭団(たどん)に似たる故(ゆへ)をもて炭団婆々(たどんばばあ)と
称(よび)なしたり。自(ミづか)ら一荷(ひとに)炭団を擔(にな)ひ。日々洛中(らくちう)
を呼歩行(よびありく)その郷音(さとごゑ)と
形像(ありさま)の。嘆辞(あな)おかしやと
失笑(ふきいだ)す。祇園(ぎおん)の歌妓(ゲいこ)
が擒交(むなぐら)襟(とら)へ。阿嬢(おんミ)ハ何(なに)が
可笑(おかし)きや。吾(わ)が斯(か)く真黒(まくろ)に
成(なり)て呼ありくに。阿嬢(おんミ)が真白(ましろ)に粧(ぬり)たてて
歌(うた)ふも舞(まふ)も倶(とも)に皆(ミな)。同じ渡世業(よわたるわざ)ぞかし。
阿嬢(おんミ)ハ吾(わし)を笑へども吾(わし)ハ又其方衆(こなたしゆ)が鄙(いやし)
き渡世(とせい)を笑ふなき。
吾も二人の女子(むすめ)ありて
容貌(かほだち)も此(この)婆々(ばば)にハ似(に)ず。
年紀(ごろ)も又阿嬢(おミ)
等(ら)に似たるが。
鄙賎き業(わざ)を
為(させ)たくなさ。堅(かた)
い商家(おたな)へ奉公(ほうこう)
させ。昼(ひる)夜稼(かせ)ぐ炭団
の銭(ぜに) 僅(わづか)な羨余(もふけ)
の該中(そのうち)を衣服(きもの)
の些料(たし)にと送(おくる)のも
賎(いやし)い心を起(ださ)せぬ為(ため)なり。斯(か)ふ
言(いへ)バとて阿嬢等(おんミら)が無礼(なめげ)なる
とを咎(とが)むるならず。余(あま)りに道理(どうり)を
取違(ちが)へ耻(はぢ)を知らぬが痛(いた)ハしさ。
鄙き心を正(たゞし)くし良家(まじめないへ)の細君(うちかた)とも
させたい
ゆへと云捨(いいすて)て。
傍(かたへ)に下(おろ)せし
荷(に)を抬(かた)げ
炭団炭団と呼
ながら三条の方(かた)
へ去にけり
転々堂主人編 "		

東京日々新聞 N033

東京日々新聞 七百八十一号

明治7年(1874)9月 36.5×24.5

		
"純粋(ちやきちやき)の江戸生(こ)と称す傲慢(がまん)の
一癖(いつぺき)ハ。一九ヶ著述(さく)の膝栗毛に
誰々(たれたれ)も知る。弥治喜多八が孫にや
ありけん。狐(きつね)を乗(の)せた馬喰町に住(すめ)る
某の二名(ふたり)。八王子辺に商用ありて
到(いた)るの途中。路傍(ミちばた)の厠(かわや)に入て用を
便(べん)し一人(ひとり)に言ふよう「コウ美味(うめへもの)を
喰た糞を此麦飯糞(むぎめしくそ)の中へ打捨(うつちやつ)て
ゆくのハ可惜(あつたら)ものだナア」
といふ折節(おりふし)芋畑(いもばた)に在し
農夫(のうふ)が二三人手に手に
鍬鎌(くわかま)糞斗(こひびしやく)。引提(ひつさげ)来りて
声高(こハだか)に「そんねヘに惜(おし)い糞(くそ)
なら持て往(ゆか)つせヘ我等(わしら)が雪隠(せつちん)へ
たれて置(おく)ことハならねへ」と糞斗(ひしやく)を
差(さし)つけ責(せめ)かけられ。詞(ことバ)を尽(つく)して謝(わび)れ
ども頑争(いつかな)聴(きか)ぬ百姓質気(かたぎ)。勢(いきお)ひ強(つよ)きに
敵(てき)し難(がた)くしぶしぶながら我が
糞(くそ)を芋(いも)の葉(は)におし包(つつミ)。路傍(かたへ)に
捨んと思へども。夥多(あまた)の農夫に護送(ごさう)され。八王子の
街(まち)に至る迄。臭気(くさき)を堪(こら)へて持歩行(ゆき)しハ。笑(わら)ふに
絶たる新聞なり
転々堂鈍々戯記 "		

東京日々新聞 N034

東京日々新聞 八百十三号

明治7年(1874)10月 36×24

		
"先入主(せんにゆうしゆ)となるとハ古人(こじん)の確言(くわくげん)。馴(な)るるによりて性(せい)も又(また)。
自然(おのづ)と変(へん)ずる物なる歟 (か)。讃州(さんしう)香川(かがハ)の郡(こほり)なる。東上(ひがしかミ)の村内(むらうち)に。
平素(へいせい)女子(をなご)と思(おも)ひたる。お乙(おと)が両親(おや)ハ児育(こそだて)の。
無(な)きを憂(うれひ)て男子(なんし)には。女子(をなご)の名(な)を付(つ)け育(そだ)てよと。
世俗(せぞく)の言(こと)も信愛(しんあい)に、暑さ寒さの衣類(きもの)より。髪化粧(かみかざり)
から縫仕(ぬひし)事を。総(すべ)て女子に模擬(にさ)せしも。習(なら)ひが気質(せい)と
姿形粧(なりかたち)。容止(たちふるまひ)も憎(にく)からぬ。十八歳(さい)に同国(どうこく)なる。高松藩(たかまつはん)の某(なにがし)へ婢(げじよ)
勤仕(ほうこう)の夜なべの暇(いとま)。同家(どうけ)の処女(むすめ)と姦通(かんつう)なし。近(ちか)き隣(あたり)の婦女子(をんな)
等(ら)にたち交(まじ)はりて戯(たわむ)るれど。更(さら)に疑(うたが)ふ人(ひと)もなく。然(しか)るに同国(どうごく)
三木郡(ミきごほり) 保元村(やすもとむら)の塗師職(ぬりしよく)なる。早蔵(はやぞう)と呼(よ)ぶ男(おとこ)あり
いつしかお乙(おと)をを見恋(かいまミ)て。思(おも)ひの丈(たけ)を掻合(かきあわ)せ。木地(きぢ)を
見せたる真心(しんじつ)に。心(こころ)の底(そこ)を研出(ときだ)して、云(いい)よる事(こと)の
有(あり) り([ママ])けるが。基(もと)より女子(をなご)にあらざるを窃(ひそか)に語(かた)れバ
好事(ものずき)にも。男を承知(しようち)で婚礼(こんれい)なし。
三年(みとせ)が月日(つきひ)を過(おく)りしが。頃日(このごろ)
お乙(おと)が送籍(にんべつ)の、調(しらべ)に事(こと)の
顕(あらハ)れて。たけなる髪(かミ)をぞつきりと。散髪天頭(ざんぎりあたま)の男(おとこ)にされ。
七歳ならぬ二拾五で、男女(なんによ)の
籍(せき)の判然(わかり)しハ。是赫々(あきらか)な
聖代(おほミよ)の御恩澤(おんめぐミ)とハ云ふものの
実に痴愚(たハけき) 譚(はなし) にこそ
墨陀西岸
温克龍吟誌 "		

東京日々新聞 N035

東京日々新聞 八百二十二号

明治7年(1874)10月 36.5×24.5

		
"柳下恵(りうかけい)は飴(あめ)を見て嬰児(ミどりご)を養(やしな)ふに良(よし)といい。
盗跖(とうせき)は飴を以て鎖(くさり)を開(あくる)に宜(よし)と
云(いへ)り。邪正(ちやせう)に因(より)て見所(ミどころ)の
違(ちが)ふ訓(たとへ)を甘んぜず。稠粘(ねばり)付(つい)
たる夫婦中(ふうふなか)倶(とも)に悪事(あくじ)を
引延(のバ)す。夜盗(よとう)は
昼(ひる)を白玉(しらたま)飴(あめ)売歩行(うりあるき)
つつ深更(まよなか)ハ。丈夫(おとこ)に扮(いでた)つ
女房が諸方(しよはう)の豪家(がうけ)へ忍(しの)
び入を。夫(おつと)は例(いつ)も児(こ)を抱(いだ)き。
戸口を守
り竊(ぬすみ)たる
衣類(いるゐ) 調度(ちやうど)
を
脊(せ)に負(お)ふて。語(かたら)ひながら帰れるハ
男女(なんによ)形装(かたち)を異(こと)にして。戯場(しばゐ)に脚色し
笠(かさ)松峠(とうげ)鬼神お松に髣髴(さもに)たる。
夏目(なつめ)にあらで網(あみ)の目(め)を漏(も)れぬ
天罰(てんばつ)報(むく)ひ来て。野州(やしう)橡(とち)木の
檻中(かんちう)につながれたるは
此頃なり
新聞局の雇人 鈍々述 "		

東京日々新聞 N036

東京日々新聞 八百二十四号

明治7年(1874)11月 36×24.5

		
"去(さ)る頃(ころ)野州(やしう)栃木(とちぎ)
県下(けんか)にて、捕縛(とらわれ)れし
強盗(ぬすびと)有(あ)り。名(な)を金之助(きんのすけ)と
呼(よび)なして、本年(とうねん) 僅(わづか)に十八歳、産(うまれ)も同所(どうしよ)の者(もの)
なるよし。平素容止温和(へいぜいものごとしづか)にして、親(おや)に勤仕(つかへ)て
信実(まめやか)なりしかのミならず
容貌(かほかたち) 女子(をなご)にしても見(ミ)まほしき、
美少年(びしようねん)にありながら、心(こころ)の駒(こま)の
狂(くる)ひより、夜毎(よごと)
に寄(よす)る白浪(しらなみ)
の、所為(ハざ)に秀(たけ)
ては大胆(きも)太(ふと)
く、冨家(かねあるいへ)へ押入(おしいり)て。
財(ざい)を得(ゑ)たるも許多(おほ)かりける。或夜(あるよ)
何方(いつれ)の旅泊(しく)なる歟 (か)、駅路(たび)を稼(かせぎ)の芸妓(うたひめ)を数多(あまた)泊(やと)せる其(その)
家(いへ)へ、忍(しの)び入(いり)て年増(としかさ)なる芸妓(げいしや)を執(とら)へ、強姦(ごうかん)なさんと挑(いどミ)しかば、婦人(をんな)は
いたく驚(おどろ)きしが、程(ほど)よく言(いい)て身(ミ)に障(さは)る、事(て)のあれバと辞謝(ことハ)れば、
後背(うしろ)に恐怖(おそれ)て潜居(かがミゐ)るいと新造(としわか)なる処女(むすめ)の手(て)を執(と)り、御身(おんミ)が
かハりに此女子(このこ)をば是非(ぜひ)共今宵(こんや)拝受(かり)たしと言(い)へば以前(いぜん)の
芸妓(うたひめ)が賊(ぞく)の手をとり君(きミ)はまだ、青年(としわか)なりといいながら、
妾(わたし)に今迄(いままで)恥(はず)かしき事をいはせて又外(またほか)に心移(こころうつ)すハ難頼(たのもし)からずと、気転(きてん)の悋(りん)
気(き)空言(うそ)ぞとは、知(し)れどもさすが理(り)の当然(とうぜん)、其夜(そのよ)ハ空手(むなし)く立去(たちさ)りしが、不日(ひならず)捕(とらハ)れ
入牢(じゆろう)の中(うち)、其掛(そのすじ)へ申立(もうしたて)、旧牢(きうろう)規則(ほう)を一変(あらため)て厚(あつ)き仁慈(じんぢ)の聖代(せいたい)を兇徒(あくと)に
迄(まで)もおよぼせしは、悪中(あくちう)の義(ぎ)と謂(いい)つべし
此盗(このぞく)日頃(ひごろ)大言(たいげん)して我若(われもし)二十歳(はたち)を越(こす)あらば、
昔時(むかし)有名(なだかき)賊魁(とうぞく)と其名(そのな)を斎(しとし)
くせんもの。
墨陀西岸
温克龍吟述 "		

東京日々新聞 N037

東京日々新聞 八百三十二号

不明 36.5×25

		
"世の人を救(すく)ふ誓(ちか)ひの網(あミ)の目を漏(もれ)たつもりの兇賊(わるもの)が
浅(あさ)き工(たく)ミの浅草(くさ)寺。其境内(そのぢない)なる
奥(おく)山に茶屋揚弓場(やうきうば)
鱗次(いゑなミ)の。中に潜(しそ)みて居
たりしを捕(とら)へんものと
査官(やくにん)が、的(まと)ハはづ
さぬ弓張(ゆミは)りの。月も二十日の
眞夜中(まよなか)に踏込(ふミこ)む目先へ白刃(ぬきみ)を振り、
手向かひなせしを事ともせず所持官棒(てにもつくわんぼう)とり
なをし勇気凛々(ゆうきりんりん)威儀揚々(ゐぎやうやう)。大喝(たひかつ)
一声(いつせい)をどりこむ、此勢に鼠賊(そぞく)
ども。おのが名呼(なよ)ぶ濡鼠(ぬれねづミ)。猫(ねこ)に
追(おハ)れし有様に。
狼敗(ろうはひ)なせ
しぞここち
よき
墨陀西岸
温克堂
龍吟誌 "		

東京日々新聞 N038

東京日々新聞 八百三十三号

明治7年(1874)10月 36.5×24.5

		
"揚弓(やうきう)の曳(ひく)手許(あま)多の客(きやく)取ハ、芝太神の
社内にて百中(あたり)争(あらそ)ふ恋(こひ)の的(まと)、甲乙(たれし)も覘(ねら)う婀娜(あだ)
者(もの)の、お蔦におみつ、お竹とて、三女(じよ)を姦(かん)といふ字義(ぎ)に因(ちな)ミて
是(これ)も三大区の巡査(ぢゆんさ)を奉職(つとむ)る身なりせバ、物の道理(どうり)も辧(しる)べき
を、淫情(なさけ)の闇(やミ)に踏迷(ふミまよ)ひ登詰(のぼりつめ)たる青山の南町なる下宿に招(まね)き、酒宴(しゆえん)に
托(たく)す手料理(れうり)の疾刃(ねたば)合して待(まつ)ぞとも白歯(しらは)の娘(むすめ)三人か命(いのち)ハ夜半(よは)の
凩(こがらし)の果(はて)ハ泪(なミだ)に
散(ち)る楓(もミぢ)淋灘(したた)
る血汐(ちしほ)の紅(くれない)ハ
閑室中(ざしきのうち)に敷(しき)つめ
し、錦織熊(にしきおりくま)吉が
暴挙(ばうきょ)に及(およ)んで
捕(とらハ)れしは明治七
戌十月二十二日
なり
転々堂主人録 "		

東京日々新聞 N039

東京日々新聞 八百三十八号

明治7年(1874)11月 36.5×24.5

		
"同姓(どうせい)を娶(めと)らずとハ
聖人(せいじん)の金言(きんげん)なるを莚(むしろ)と
共に戒(おしへ)を破(やぶ)り、七十有余(いうよ)の齡(よハひ)を以(も)て
一児(いちじ)を設(もうけ)し家婢(かひ)を挙(あげ)、継妻(けいさひ)と
せし籍(せき)を糺(ただ)せバ、翁(おきな)の嫡子(むすこ)が
妻(つま)なる者の他家(たけ)にて
産(うミ)たる娘(むすめ)にて、人にハ
秘(かく)して下婢(げぢよ)と呼(よ)び
知(し)るもの絶(たえ)て無(なか)り
しも、翁が妻と唱(しよう)
すれバ、翁の嫁(よめ)の娘にて、
則(すなハ)ち義孫(ぎそん)に当(あた)るべく、翁の嫡(こ)にハ
継母(ケいぼ)にて、妻の為(ため)にハ娘なれバ、
親実(しんじつ)の娘(こ)を姑(しゆうとめ)とし、翁の妻ハ
現在(げんざい)の実(じつ)母を嫁とするものから、
系譜(けいふ)大に混雑(こんざつ)なし、兄弟姉妹(けうだいしまい)連環(れんくわん)
してハ、本末分ち難(がた)きに至る噂(うわさ)ハ高き
愛(あた)宕の山下、芝の辺(ほとり)に寄留(すまゐ)せる某氏(それがし)が
雨の夜話(よばなし)なりし
木挽街の逸民 転々堂主人 "		

東京日々新聞 N040

東京日々新聞 八百四十九号

不明 36.5×24.5

		
"吾邦(わがくに)清国(しな)と和議(わぎ)なりし。吉報(きつぽう)を得(え)て喜悦(よろこび)の眉(まゆ)を開(ひら)くや
さくらの人。串度(くしど)某氏ハ一家親戚(しんせき)朋友(ほういう)等を招集(うちつど)ひ。旭章(ひのまる)の
国旗(はた)を屋内に飾(かざ)り。宴(ゑん)を設(まふ)けて愉快(ゆくわい)を極め。凱歌(がいか)に換(かへ)る
花走唄(はやりうた)。 (てをうつ) て舞ふ慶賀(けいが)の声ハ。
四百余洲の果(はて)へも響(ひび)かん。
転々堂主人記 "		

東京日々新聞 N041

東京日々新聞 八百五十一号

不明 37×25

		
"東京小川町に寓(すめ)る小林某氏(なにがし)ハ、義弟(ぎてい)斎藤(さいたう)某が陸軍(りくぐん)に随行(ずいこう)し、蕃地(ばんち)に
病死(びやうし)の報(ほう)を得(ゑ)て哀哭寝食(あいこくしんしよく)を絶(たや)すに至りしが、其憂欝(ゆううつ)を散(ちら)さんと
黄昏頃(たそがれごろ)より書斎(ざしき)に籠(こも)り、独酌居(さけのみゐ)たる椽外(えんそと)に物音あるは
狗猫(いぬねこ)かと、見ゆれバ義弟
斎藤が容貎(ようばう)平日(つね)の
姿に不変(かわらず)、
舎兄(あにき)よ只今帰朝(かへり)
しと、完爾(につこ)と笑ひて席(せき)につき、
久し振(ぶり)なる盃を請んと進む景形(ありさま)の物淒(ものすご)けれバ思ハずも、喚(わつ)と
叫(さけ)びて駈(かけ)出し再(ふたた)び戻りて能(よく)見るに、又影(かげ)だにもなかりしハ
友愛(ゆうあい)の情切(じようせつ)なるより、斯る怪事(くわゐじ)を
自(ミづか)ら見しにや
転々堂鈍々記 "		

東京日々新聞 N042

東京日々新聞 八百五十六号(賢貞の処女...)

不明 36.5×24.5

		
"賢貞(ケんてい)の処(しよ)女が罪(つミ)なくして刃に伏(ふ)すや。
継母(ケいぼ)が貪欲(とんよく)に罹(かか)り憫(あわれ)むべき一説(せつ)は。
北越(ほくえつ)新発田(しばた)の焔硝取(ゑんしようとり)忠吉が妻(つま)お若(わか)とて
養(やう)女おたせが客色(かほだち)の美(び)なるを揺銭樹(かねのなるき)と
培(つちか)ひ。富商(ふか)の少爺(むすこ)の外妾(かこひめ)とせしに。おたせハ
性質(せいしつ)温良(おとなし)く。孤媚(こび)を呈(てい)して誑(たぶら)かす術(じゆつ)に疎(うと)
きを憤(いきどほ)り。旦暮(あけくれ) 罵(ののし)り打擲(たた)き。偶々(たまたま) 客(きやく)に離別(はなるる)ときハ。
手切を唱(とな)へて多金を貪(むさぼ)り。又他(た)の顧主(きやく)を迎へさす。
野鄙業(いやしきわざ)を浅(あさ)ましと。歎(なげ)きて辞(いなめ)ハ詈(のゝし)り責(せめ)られ。
情(なさけ)なミだの乾(かわ)く間も嵐(あらし)に折(おれ)し破荷(やれはす)の。
臺(うてな)に導(ミち)引たまへやと珠數(じゆず)の
玉なす白露と消(きゆ)る其名ハ
香バしき。彼(か)の泥(でひ)中の
蓮華(はちすのはな)の。浮萍(ふへう)とともに
流ぬぞ善哉(よき)
木挽町の隠士
転々堂主人記 "		

東京日々新聞 N043

東京日々新聞 八百五十六号(近来詐偽の...)

明治7年(1874)12月 36×24.5

		
"近来(きんらい)詐偽(そぎ)の術巧(じゆつたくミ)を極(きは)め此謀計(ほうけい)に陥(おちい)る者(もの) 尠(すくなし)とせず彼(かの)有(ゆう)名
の角觝取(すまうとり)小柳常吉本年十月下旬(じゆん)越前の国武生に於て
角觝興行(かうぎやう)為(な)せしに或(あ)る夜同国坂井港(ミなと)なる清水磯吉が
手代なりとて小柳が旅宿(りよしゆく)に来り僕(おのれ) 商(しよう)用にて京阪に至(いた)る
べき主命(しうめい)を蒙(かうむ)りしが途(と)中にして小包ミを失(うしな)ひ路用(ろよう)に事欠(か)き
たり今主家(しうが)へ立戻(もど)らバ四五里の費(つい)へありて大に商法の機会(きかい)を
失(うしな)へり因(よつ)て関取りの旅宿を驚(おどろか)せしなり願はくバ旅費(りよひ) 聊(いささか)
借用致たしとありけるに清水ハ多分(たぶん)の恩恵(おんけい)を
蒙(かうむ)りし人なれバ
異議(いぎ)にも及ばず金拾五円を貸与(かしあた)へたり手代謝(しや)して
退(しりぞ)きし後(のち)清水角觝場へ来りければ小柳
其事を話(はな)しけるに清水驚(おどろ)き予(わ)が
手代を京坂に遣(やり)し事なし升(そ)ハ
全(まつた)く詐偽(そぎ)に罹(かか)りしならんと
小柳も是は四十八手の
外なりけれバ暗(あん)に引
手を以て投(な)けられ
なり "		

東京日々新聞 N044

東京日々新聞 八百六十号

不明 36.5×24

		
"客(かく)あり曰く
前(さ)きに福沢氏(ふくざわうじ)が楠公(なんこう)
権助(ごんすけ)の論(ろん)を出せしより或ハ之(これ)を
激(げき)し或ハ之を弁(べん)じ一時各(かく)新聞紙上此
論を載(のせ)せざるハ無し而して此一大議論も
漸(ようや)く陳腐(ちんぷ)に属(ぞく)し又人の之を論弁(べん)する者
無しと思ひしに今尚(なほ)此論を記載(きさい)する独(ひと)り朝野(ちようや)新聞に
ありと一樵(せう)夫あり微笑(びせう)して日く客知らずや朝野新聞ハ元と公文通誌
にして楠公権助の論出るより公文の二字ハ北條氏の旧称(きうせう)に係(かか)るを以て之を
廃(はい)し改(かい)元して朝野新聞と号(ごう)す蓋(けだ)し正成(まさしげ)朝臣(あそん)と
権助野郎(やらう)の頭(かしら)字を取り以て朝野の二新奇字(きじ)
を拈(てん)し来る是(こ)れ専(もつぱ)ら楠権二公の討(とう)論に従事(じうじ)
する所以(ゆゑん)にして更(さら)に怪(あや)しむに足らず何んぞ其陳腐(ちんふ)を
以て其本旨(しゆ)の存する所を斥くるや得んや余傍立(ほうりう)
して此問答を聴(き)き大に感(かん)ずる所あり夫れ新を
貴び旧(きう)を賎(いやし)むるハ宇内新聞の通弊(つうへい)なり
而して朝野の独り此弊風(へいふう)を追(お)ハず能(よ)く芳野
に孤立(こりう)して桜花の元気(ゲんき)を今日に維持(いじ)する者は
抑(そもそも) 誰(たれ)の力ぞや何んぞ知(し)らん此樵夫(せうふ)も亦南朝の
遺民(ゐミん)に非(あら)さらん "		

東京日々新聞 N045

東京日々新聞 八百六十一号

明治7年(1874)12月 36×24.5

		
"神風(かミかぜ)の伊勢に隣(とな)れる志摩(しま)の国志島(ししま)村の農(のう)に田畠(ばたけ)与太郎と
云(いふ)者あり其(その)妻(つま)たい十一月十日の朝十時頃(ころ)より産(さん)の紐(ひも)解(とき)きはじめ
十二時頃迄に女子三人を産(う)ミたり夫婦の歓(よろこ)び大方ならず能名を
附んとて或(ある)識者(ものしり)に商議(さうだん)せしに昔(むかし)白太夫と云(いへ)る者三男を
産(う)ミ賢(かしこ)くも御車挽(ミくるまひき)となりし吉例(れい)もあれバとて
おまつおうめおたけとぞ名づけける此者成長(せいちやう)なさバ
糸車取(と)りて家稼(しよく)を助くる歟 (か)汽車(きしや)走(はし)るべき都下(とか)に出て営業(えいぎやう)
なすか決(けつ)して人力車挽賤夫(ひくせんふ)を本夫(つま)となすの不幸ハあるべからず
此頃県庁(けんちやう)よりも養育(やういく)金若干(そこばく)を賜(たまハ)りたりとぞ
めでたしめでたし "		

東京日々新聞 N046

東京日々新聞 八百六十二号

不明 36.5×24

		
"千代八千代かはらぬ色のもろ
白髪それにハあらで一日を二世と
三世にこめたるハ武蔵(むさし)の国小諸(もろ)
村の男女(ふたり)になん現(この)世の縁(えん)のうすき
をうらみ覚束(おぼつか)なくも未来(さきのよ)を香花(たのみの)
院(てら)にて情死(しようし)せしに余時(そのとき)住僧(じうじ)の嚇死(かくし)
せし迄ハ既に前号に詳(つまびらか)なり両親(りようしん)これ
を悲(かな)しミ黄泉(よミぢ)のさわりと白雪(ゆき)の帽子(ぼうし)
姿(すがた)に女を粧(よそ)ほひ男もシヤンと麻(あさ)上下どこ
やらそぐはぬ三々九度色直しの床入り
まで宛然(さながら)生(いけ)る人の如く親類(しんるい)もお目出
度のおひらきと合(しう) (げん)の礼全く畢(おは)り再
同穴(けつ)の葬儀(そうぎ)を遂(と)げたり高砂(たかさご)の諷(うた)ひ終ハざるに
念佛(ねんぶつ)の声つぐ若しこの媒酌(なかうど)を件(くだん)の僧(そう)に
托(たく)せハ三人揃(そろ)ひし夜台(やたい)の奇縁(きえん)ああ
恋路(こひぢ)の闇(やミ)子ゆゑの闇いとも
黒白(あや)なき事になん
山人誌 "		

東京日々新聞 N047

東京日々新聞 八百六十五号(日向国...)

不明 36.5×24.5

		
"日向国(ひうがのくに)高千穂(たかちほ)山ハ
神代(かミよ)の古蹟(こせき)なり。此山中の
高千穂(たかちほ)村ハ素(もと)より頑固(ひらけぬ)土地(とち)
にして。人の心も直(なを)からず米(こめ)さへ
なくて常(つね)に食(く)ふ。物ハ
粟稗(あわひえ)のミなるよし。其(その)村内の農民(ひやくしよう)に
儀(ぎ)太郎と呼者(よぶもの)ありしが。妻(つま)ハ過(すぎ)し日世(よ)を去(さ)
りて独(ひと)り詫(わび)しく暮(くら)しける。又此近傍(あたり)へ折々(をりをり)
来(き)て古衣(ふるぎ)商(あきな)ふ女あり。儀(ぎ)太郎兼(かね)て知己(しるひと)なる
にや。明治七年四月の上旬(はじめ)。或日(あるひ)晩景(ゆふがた)彼(か)の女。
風(ふと)来(き)て泊(とま)り
を依頼(たのミ)しかバ。
心能(よく)承知(うけがひ)て。其(その)夜(よ)女を殺害(きりころ)
し。所持(しょじ)の金銭(きんせん)品物を。
奪取(うばひとれ)ども四隣(となり)さへ。
遠(とお)く離(はな)れし一軒家(いつけんや)。
誰(たれ)知(し)る人も嵐(あらし)より
実(げ)におそろしき人心
無慙(むざん)といふも愚(おろか)なり。夫(それ)より半月余もたちて。此村内の
飼犬(かいいぬ)が女の斬首(きりくび) 咥(くわへ)て来るに。人々驚(おどろ)き。其所(そこ)此所(ここ)と詮索(せんさく)
なせしに儀太郎が厩(うまや)の後(うしろ)に見馴(みなれ)ざる女の死骸(しがい)を荒菰(あらごも)に。
包(つつミ)ミてありしを
見出て俄(にハか)に県廰(やくしよ)へ
訴(うつた)へけれバ、即時(すぐさま)儀(ぎ)太郎ハ
捕縛(めしとられ)ぬ。嗚呼(ああ)我神国(わがしんこく)の徳(とく)たるや。
天此犬(いぬ)を以て兇徒(わるもの)が隠悪(いんあく)を。亮然(りやうぜん)
たらしめしハ恐(おそ)るべく又尊恭(とうとむ)べき
事(こと)にこそ。
墨陀西岸
温克龍吟誌 "		

東京日々新聞 N048

東京日々新聞 八百六十五号(摂州天王寺...)

明治7年(1874)12月 36.5×24.5

		
"摂州(つのくに)天王寺の東、平野の郷(さと)の支(えだ)村、新在家(しんざいや)と
云ふ所に住(すめ)る増(ます)田観(くわん)四郎ハ旧藩(きうはん)の
頃(ころ)農兵(のうへい)の長にて銃(ぢう) (けん) の術を
善(よく)せり。然(しか)るに甲戌
十月下旬、主人(あるじ)の
芸術(てなミ)を白浪(しらなミ)
等(ども)手に手に刃(やいば)を振(ふり)
ひらめかし、
乱入(ミだれいつ)たる
数名(すめい)を
相手(あいて)に
無刀(そらて)の憤闘(あしらい)
左右にわたり、
彼(かれ)が刃を奪取(うばいとつ)て
多勢に手痍(きづ)を負(おお)
ハせければ。兇賊(ケうぞく) 大(おおい)に僻易(へきえき)
して。他(ほか)より盗(ぬすミ)来つたる品をも遺失(おとし)て逃(にげ)
去(さり)しが。翌日(よくじつ)忽地(たちまち)阪府(おおざか)にて。一同
捕縛(ほばく)せられしとぞ
木挽坊隠士
転々堂述 "		

東京日々新聞 N049

東京日々新聞 八百七十三号

不明 35×23.5

		
"鎖戸(とざし)を破(やぶ)り墻(かき)
を越(こ)す。
小盗跖(しようとうせき)
神明いかでか
宥(ゆる)し給(たま)わん。東京府内
西紺屋町。質(しち)物渡(と)世の店(ミせ)
先へ。十二月のいと寒(さむ)き氷(こほ)りに等(ひとし)き
刃(やきば)を振(ふ)り五日の夜半に押入(おしい)りし。強賊(ぬすびと)あり。其(その)
家(や)の老母が手早くも。拍子(しようし)
木しきりに打鳴(なら)せば。
巡回(まハりの)査官(やくにん)是(これ)を聞(きき)。家(か)
内に這入(いり)て詮索(せんさく)なせ
バ。小暗(おぐら)き奥(おく)の一ト間
より磐城(いわき)無宿(むしく)
の何誰(がし)なりと。
白刃(はもの)引(ひき)提(さげ) 顕(あらハ)れ
出るを夫逃(のがす)なと言(い)ふより早く。モジリでからみ曵(ひき)倒(たを)し。
起(おき)んともがくを組付て。無難(なんなく)縄(なハ)をかけ替(かへ)の。ふたつハあら
ぬ悪徒(わるもの)が。生命(いのち)ハ爰(ここ)に流(なが)れ質、即剋(すぐさま) 庁(やくしよ)へ曵(ひか)れ
けり。此賊(ぞく)実(じつ)名ハ鍛冶職(かじしよく)の。加藤(かとう)勝(かつ)之助と
言(い)ふ者なるよし
待乳山麓
温克龍吟誌 "		

東京日々新聞 N050

東京日々新聞 八百七十六号

不明 36.5×25

		
"絵巻物の百鬼(き)夜行ハ筆頭(ふでさき)の怪(くわい)にして赤本の
重(おも)ひ葛篭(つつら)ハ欲(よく)の化たるなるベしいつの頃(ころ)の
御布告(ふこく)にや野夫(やぶ)と変化(ばけもの)ハ函根(はこね)から先の住居(すまい)
と世俗(けん)一統(とう) 承知(しようち)の上で境界(けいかい)が定まり往古(むかし)ハなんでも
鬼(をに)の業(わざ)と極(きめ)ておき、少し開た中古(むかし)ハ狐狸の外ハ一切化べからずと規則(きそく)が定り。今ハ
中々幼童さへ。モモンガアとおどしても。其手ハ食(く)ハぬ開化の聖代(ミよ)。野良(やろう)頭(あたま)が散髪(ざんぎり)に
化たが初発(め)で電信(でんしん) 蒸気(じやうき)。
練(れん)化(か)造(つく)りと追々(おひおひ)開(ひら)け悉(これ)皆(ミな)有(う)用人智の化(ばけ)もの
無用の怪異(ばけもの)厳禁(げんきん)の中にどうした間違(まちがひ)歟 (か)地名(ところ)ハ武州秩父(ちちぶ)在(ざい)横瀬(よこせ)
村の農民(ひやくしよう) 鉢山(はちやま)権(ごん)右衛門と言ふ者の居宅(たく)ヘ何者とも知れず
毎夜礫(つぶて)と打込むのミか飛(とん)だ茶釜(ちやがま)が野鑵(やかん)迄(まで)天井(じよう)裏ヘ
引揚(あけ)し怪事(くはいじ)に人々驚(おどろき)しを其近傍(きんぺん)の剣客者(けんじつつかい)
飯塚(いいつか) 某(それがし)是を聞(きき)見顕(あらハ)さんと
立越(たちこえ)て主人に対話(はなし)の
折柄(から)に一つの大石
飛来(とびきた)り頭上(かしら)を
かすりて後背(うしろ)なる
大釜(がま)徴鹿(ミじん)に打砕(くだ)
けバさすかの飯塚(いいづか) 仰天(ぎようてん)なしほうほう
其場(バ)を逃帰(にけかへ)りしが怪事(くわいじ)ますます止(やま)ざり
ける是ハ開化を怪化と見誤(あやま)りし狐狸の手段(しゆだん)
なるべし
墨陀西岸
温克堂龍吟 "		

東京日々新聞 N051

東京日々新聞 八百七十七号

不明 36.5×25

		
"深川西六間堀餅屋(もちや)渡世
菖蒲与吉と云ふ者久しく病ひの床に
ありしが其妻いとハ本年二十五才糸と云ふ名に背かず
して染り安かる水性にて夫(おつと)の甘(あまえ)も鼻に附きいつしか
小僮(こもの)鹽田(しほた)兼吉と人目忍びて寐の子餅契る数さへ重ね着る
夜るの衣の度重(たびかさな)り若しも本夫の全快なさバ二人りが中の自在餅
此快楽(くわいらく)ハ遂(と)げられまじ唯さへ枯るべき菖蒲与吉毒害なさんと胆(きも)太(ふと)くも
二人りハ法をかきつばた薬土瓶へ配剤(はいざい)の毒ありそとハ此病者あやめもしらで
飲むや否鼻耳口眼より血を吐(はき)て忽ち没命為しけるを内に喜こび
表に患ひ形の如く野送りし誰れ憚(はばか)りの関守も泣真似(なくまね)
なせしが発覚し遂に警視(けいし)の支庁へ呼ばれ
厳(きび)しく糾問(きうもん)あり
たるにありし次第
を白状せしかバ本月
九日東京裁判所(さいばんしよ)へ
送致(そうち)せらる
山々亭有人誌 "		

東京日々新聞 N052

東京日々新聞 八百八十五号

明治7年(1874)12月 36.5×24.5

		
"きのうハけふの昔々、洗濯(せんたく)ならぬ仙台(せんだい)にちよつきりやられた雀(すすめ)の子、飛(とん)でもない事
しでかした、爺(ぢぢ)イと婆(ばば)アとあつたとサ、其(その)また近所にひとり住む狸(たぬき)婆(ばば)アがこつそりと、
此(この)爺(ぢい)さんへ狸(たぬき)汁、一ぱゐ喰(くハ)せる居膳(すへぜん)も、竟(つゐ)にハ恥(はぢ)を柿(かき)のたねと、知(し)らぬ皴(しわ)手を握(にぎ)り飯に、
損得(そんとく)なしを舌切雀(したきりすずめ)、
夫からチヨツチヨツと御宿(やど)を
たづね、枯木(かれき)に花(はな)を咲せたる、
灰(はい)ならねども本妻(ほんさい)の、けんどん婆(ばば)アの
目には入り、ならす歯(は)がみのかちかち山、
背中(せなか)の柴ほど胸をバ焦(こが)し、蕃椒(なんバん)味噌(ミそ)の辛(か)らき
目に、あはさば夫(それ)でよい黍団子(きミだんご)と、日本(につほん)一の趣向(しゆこう)を
考(かんが)へお供(とも)につれる現在(げンざい)の娘(むすめ)も心(こころ)ハ鬼(おに)ヶ島(しま)、納(なん)戸の
岩屋(いハや)へ忍(しの)び入(い)り、起(おき)んとするをどつさりと、重い
葛籠(つづら)が臼(うす)ほどな、尻(しり)をのせかけ動(うご)かせず、
其間(そのま)に爺(ぢぢ)イは何処(どこ)へやら、かくれかさねた
夜着はねのけ、隠(かく)れ蓑(ミの)の毛引(ひき)むしり、
児槌(こづち)打出(うちだ)す宝物(たからもの)、手に入りたりと笑栗(えミくり)の、
毬(いが)もの作(つく)りの木(き)太刀(ち)をバ、洞(ほら)の奥(おく)まで押
込(こん)で、どうどう敵(かたき)を仕とめける、夫(それ)にて
いちがさかえたとハ、豈(あに)馬鹿(ばか)馬鹿
しき噺(はなし)ならずや。
霞亭乙湖述 "		

東京日々新聞 N053

東京日々新聞 八百九十二号

明治7年(1874)12月 36×245

		
"熊谷県管下武州秩父郡久那村農高橋六兵衛と云ふ者の娘に
お節と云ふ者あり同郡般若村の何某へ嫁して子ども二人まである
中なるにただ名のミおせつにて節操もなき水性にやありけん兼て密(ひそか)に
語合(かたらふ)男ありて水もらさじと契りしが其男いかに思ひ当る事のありしにや或る
時いつまで斯る事をして世の譏りを受けんも恥(はづ)かしけれバ此後互ひにフツと思ひ
切りて人の誹(そし)りを免(まぬ)かるべしと云ふにお節はもはや吾が身の上に秋風の冷たき
心に替りしかと悔しさの余り忽まち剃刀(かミそり)を取り出し来りて彼の男の鼻を
根本よりグサリとそぎ落したりけるより
大騒(さわぎ)と成り遂に大宮支庁の審判を経て
お節は六十日入牢せし上に罰金を課(くわ)せ
られ男は杖七十にて落着せしが
何処にも鼻をしき次第
なりとて痛く悔(くや)し
がりしとぞ "		

東京日々新聞 N054

東京日々新聞 九百号

明治8年(1875)1月 36.5×23.5

		
"駕籠(かご)の簾(すたれ)ハ嗅杖(いきづえ)より太(ふと)く
薬篭(くすりばこ)の金鏤物(きんかなもの)ハ、威議(ゐぎ)
揚々(やうやう)と輝(かがや)き、愚俗(そく)の眼(め)を驚(おどろ)
かす医(い)ハ稲荷(いなり)、能人(よくひと)を殺(ころ)
せとも尾(を)を出(いだ)さずと、古(こ)人三馬子
も論(ろん)じたり、古き川柳(せんりう)に曰く三枚
で、ばかだばかだと殺(ころす)なりとハ、世上(せじよう)の
内実(あら)を穿(うが)ちし洒落(しやらく)、夫等(それ)ハついと
昔(むか)しの事(こ)にて、かく文明(ぶんめい)の世(よ)に至(いた)りてハ、
医学(いがく)ますます盛(さかん)に開け人(ひと)の病気ハ
まだなれ、上医(しようい)ハ国(くに)を医(いやす)と言(い)ふ、名(めい)
医多(おお)かる其中に所(ところ)ハ浅草(あさくさ)裏(うら)門代
地(ち)嵐(あらし)にあらぬ花岡(はなおか)が、奸智(かんち)にたけて匕先より只口
先(さき)の調合(てうごう)に、金(かね)ある家(いえ)の娘(むすめ)をバ、妻(つま)に嫁(もらい)て難癖(なんくせ)つけ、
離別(りゑん)なしてハ持参(じさん)の品(しな)を、返(かへ)さぬ事(こと)も数度(すど)あるよし。
爰に近頃(ちかころ)一話(はなし)
あり、浅草(あさくさ)橋ハ近(ほと)傍(ちかき)炭薪
渡世(とせい)の北川(きたがハ)おいちのその長女
ふぢと云へるが弟の
病気の
薬取(くすりとり)
に来るを縁(えん)に手(て)なづ
けて、妻(つま)に嫁(もら)へど兼(かね)てより心
に工ミしことあれバ、無根事(ねもなきこと)
に柄をすげて、密隠と
罵り打擲はては
弟子なる某に
不義(ふき)言掛(いいかけ)よと難題(なんだい)に竟(つひ)に我家(わがや)へ逃(にげ)帰(か)りしを、花岡(はなおか)是(これ)を能
事ぞと裁判庁(そのすじ)へ訴出(うつたへいて)しと歟 、不日黒白判然たらん
待乳山麓
温克堂龍吟誌 "		

東京日々新聞 N055

東京日々新聞 九百九号

不明 35.5×24.5

		
"狸(たぬき)の人(ひと)に化(ばけ)たるハ怪(あや)しむに
足(たら)ねど。人(ひと)の狸(たぬき)に化(はけ)たるハ。眼病平癒(かんひやうへいゆ)
の流行仏(りうこうぶつ)に託(たく)して愚俗(ぐぞく)の眼(め)を暗ませ。
一杯半(いつぱいはん)を煎(せん)じつめ一杯(いつぱい)くわす薬師堂(やくしだう)に。
妖魔(もののけ)に罹(よ)る奇病(きひやう)の呪を。頼(たの)むハ武州秩父郡(ちちぶご)
横瀬村(よこせむら)の農(のう)某ヶ娘(むすめ)の房へ毎夜(よなよな)に通ひ来(きた)れる
美少年(びせうねん)ハ人歟 狸歟 。狸か人か。腹鼓(はらつづみ)うつ
太平(へい)の時代(ミよ)にもかかる奇事(きし)はありけん
転々堂主人戯記 "		

東京日々新聞 N056

東京日々新聞 九百十一号

明治8年(1875)1月 36.5×24.5

		
"三田四国町一番地に住める佐倉菊蔵(さくらきくざう)不断(ふだん)
から胆(きも)の座(すハ)りたる男(をのこ)なりしが去(さ)る十四日の夜(よ)八時
すぎ強盗(こうとう)三人おし入り其か二人ハ三尺余の
長刀(ながかたな)を帯(おび)
たるが襲(おそ)ひ寄(よ)
りて有(あ)り合ハ
せの金銀のこらず
差出(さしいだ)すべしと大声(おおこゑ)
におとしけるを菊蔵(きくざう)
やがて立て傍(かたわ)らに有(あり)し
箪(たん)笥の引出(ひきだ)しを明(あけ)ると見(み)えしが
突然(とつぜん)白刃(はくじん)をぬいて賊(ぞく)の鼻先(はなさき)へ突(つき)つけ
けれバ賊ハその不意(ふい)なるにやおどろき
けん周章して遁走(にげさり)しとぞ "		

東京日々新聞 N057

東京日々新聞 九百十三号(肥前国佐賀...)

明治8年(1875)1月 36.5×25

		
"肥前(ひぜんの)国佐賀へ出張(しつちやう)し
ゐたりし小野組の手代、塩谷(しおのや)麟蔵(りんざう)
長谷部(はせべ)逸三(いつざう)、田中与三郎の三名
ハ、自己(おのれ)が驕奢(おごり)に過(くわ)分なる私債(しせき)を負(おふ)て
窘迫(せめ)らるる、折から閉店(へいでん)したりしかバ、
償却(しようきやく)の術(じゆつ)いよいよ尽果(つきはて)、有金千
円(えん)余(あま)りを掠(かす)め、
夜に乗(まぎれ)て脱走(だつそう)し、
兵庫(へうご)県下(けんか)
福原町の
妓楼(ぎろう)に
数日遊(あそ)び
居(ゐ)て、多分の
散財(さんざい)したりしを、
兼(かね)て捜索(そうさく)
ある者なれバ、甲戌十二月三十日忽(たちま)ち捕縛(ほばく)せられたり、斯(か)く泥棒(どろぼう)を、餌置(かひおき)て
貨幣(かへい)の衛(ばん)をさせたりし、小野氏が瓦解(ぐわかい)ハ理(むべ)ならずや、よく人(い)口(い)膾(つた)炙(ふ)る
宗鑑(そうかん)が句(く)に、
盗(ぬす)人をとらえてミれバ
吾子(わがこ)
なり
転々堂主人酔録 "		

東京日々新聞 N058

東京日々新聞 九百十三号(疑ふ心ハ...)

明治8年(1875)1月 36×24

		
"疑(うたが)ふ心(こころ)ハ情(なさけ)に深(ふか)き。中仙道(なかせんどう)の深谷(ふかや)といふ駅(しゆく)の娼妓(ぢよろう)に馴染(なじミ)て通(かよ)ひ。
諛(そが)実家(おやもと)へも談(わたり)を整(つけ)。やがて吾家(わがや)の妻沼村(つまぬまむら)へ引娶(ひきとる)べしと約束(やくそく)の。他(ほか)にも
情郎(おとこ)のありときき。客(きやく)ハ勃然(やつき)となつて譴責(せむ)れバ。妓(をんな)ハ手管(てくだ)の
妙術(ミやうじゆつ)もて。死(しん)で誠(まこと)を明(あか)さんと云(い)ふ奥(おく)の手(て)を試(ためし)て
見ばやと。倶(とも)に死(しな)んと華美(はなやか)に粧(よそほ)ひ出(いで)て
或(あ)る蘭若(てら)の墓所(はかじよ)に到(いたり)て合掌(がつしよう)し男(おとこ)ハ死出(しで)
の案内(あない)をせんと。短刀(たんとう)腹(はら)に突立(つきたて)れバ。周章(あなや)と
愕(おどろ)き逃出(にげだ)す妓(をんな)を笑(わらつ)て呼止(よびとめ)しハ。之(そ)れ
糊紅(のりべに)の細工(さいく)にて互(たがひ)に却色(かひ)た伝奇(きやうげん)
ながら若(も)し過(あやま)つて躰(ミ)にたたバ貴重(きちよう)
の命(めい)を断(たつ)に至(いた)る。疑(うたが)ひ深(ぶか)きも
野蛮(やばん)にあらずや。此話(このわ)を
故人(こじん)の句(く)にしたりて。
白露(しらつゆ)や無分別(むふんべつ)
なる置(おき)どこ路
転々堂戯記 "		

東京日々新聞 N059

東京日々新聞 九百十四号

明治8年(1875)1月 36.5×24

		
"横浜元町の商某ハ (ちよう) 毒(どく)にて煩(わつら)ふ事
既に十三年の久しきに
及びたり此ころ寒サの
強き故にや只訳(わけ)もな
き譫語(たハこと)を発(はつ)する事
折々ありけるを家内
の者とも聞つけて是ハ
全く
憑物
のしたるな
らんと吉田
町辺に住
める大山講
とか御嶽
講とかの先
達の所へ駈(かけ)
行其次第
を咄して
頼(たのミ)たる
に
彼の先達ハ左官
にて出入のお店へ壁を塗りに
往て居たりしが其報知(しらせ)をきくや否や
仕事を休み俄に講中五六人を誘(いざな)ひ彼の病
人の許に至り是ハ護摩(おたきあげ)をせねバならぬとて病人の枕上(まくらもと)にて盛んに
火を焚き鈴(れひ)をふりたて珠数幣帛(じゆずごへい)などを持ち異口同音(いくどうおん)に真言(しんごん)を唱へ
つつ病人の頭より手足に至るまで所を嫌ハず打ち叩(たた)けば病人ハ苦痛
に絶へかねいつそ憑性(つきもの)の真似(まね)して一時の苦しミを遁(のがれ)んと思ひ速(すミやか)に立
ち去りますと云ふに先達目を怒らして出て行ならば証拠(せうこ)を立ろ
サア其証拠にハ何を出すと押し詰られ病人も
当惑(とうわく)せしが赤い毛を三本置て行ますといひしかば皆々一同立
かかり病床(びやうしやう)の辺を探(さが)し求むれども更になかりければ先達又
怒りを発し此畜生(ちくせう)め此上ハイサ鉄縛(かなしばり)に掛て呉んと
いふを聞つけ病人むつくと起直りコリヤ左官
庄次郎どの気を落つけてよく聞れよわしが
体(からだ)には只瘡毒(さうどく)という病気が付て居るはかり
外には何も付てハ居ぬお前(まへ)がたこそ狐か狸
に魅(つま)まれて居らるるならめサア此上にも益(やく)
にも立ぬ馬鹿な真似をさつしやると神
奈川県庁へ願ひ付るぞと目を怒らして
白眼(にらミ)つけられ先達ハ肝を潰(つぶ)し手持不沙汰
な顔つきにて講中もろともこそこそと
遁(に)げ帰りしハ不動
馬鹿にした咄し
ならずや "		

東京日々新聞 N060

東京日々新聞 九百十七号

不明 35×23

		
"芝新(しバしん)ぼりの戯場(げきじやう) 河原崎座(かハらさきさ)に
おいて吉備大臣(きびだいじん)支那物語(しなものがたり)と題(だい)し
たる新狂言(しんケうゲん)を取仕組(とりしく)めり吾朝(わがてう)の
吉備大臣日唐の間に於て
云々の儀に付唐(とう)の玄宗皇帝(けんそうこうてい)に
迫(せま)つて貢金(かうきん)を出(いだ)さしむるの場(ば)を演(えん)するの大臣に
扮するハ雷名(らいめい)の市川団十郎なりと聞(き)けバれいの
能弁(のうべん)を以て安禄山等との議論(きろん)妙(めう)なるべし
作者ハ有名の河竹翁(かハたけおう)なれバ定(さだめ)て興(けう)ある事ならんと評(ひやう)せり "		

東京日々新聞 N061

東京日々新聞 九百十九号(上総国...)

不明 36.5×25

		
"上総(かずさ)国市原郡新生村の佐久間(さくま)
十郎左エ門ハ其辺(そのへん)にてハ一と云(い)
ふて二とハ下(くだ)らぬ富家(ふか)なりその本
家(け)の佐久間忠七を押(お)し倒(たほ)して其財産(ざいさん)を
押領(おうりよう)せんと兼(かね)て折(おり)を伺(うか)かひ待(まち)しに忠七ハ淫欲(いんよく)
ふかき男なれバ十郎左エ門が妹(いもと)と奸通(かんつう)したり
けるを其妻(つま)それを聞(きき)つけて怒(いか)りに堪(た)へず抜刃(ぬきミ)を提(ひつ)さげて十郎左エ門が
宅(たく)に来りその妹に切て掛(かか)り数(す)ヶ所(しよ)の疵(きず)を負(お)ハせけるが幸(さひわ)ひ
に浅傷(あさで)なれバ命(いのち)ハ多分(たぶん)助(たす)かるべし扨(さて)も彼(か)の十郎左エ門ハ暗(あん)に是(これ)
を喜(よろこ)び忽(たちま)ち一計(けい)を案(あん)じ此度(ど)の始末(しまつ)を県官(けんかん)に報知(ほうち)せしかバ忠七外
両人とも忽ち捕縛(ほばく)に就(つき)たりしに付一笑(いつせう)談(だん)あり此辺(へん)貧窮(ひんきう)なる
者のミなれバ年々貢租(こうそ)の金に差支(さしつか)ゆるより遂(つひ)に十郎左エ門が
喰(く)ひ物と成り生活(せいくわつ)行(ゆき)立がたきを以(もつ)て村民(そんみん)ども日々に彼地(あち)此
地に集議(しうぎ)して訴状(そじよう)を作(つく)り十郎左エ門が暴行(ぼうこう)奸計(かんけい)を数(かぞ)へて
県庁(けんちよう)に告控せんとするの様子(やうす)を聞知(ききし)りて十郎左エ門
大いに驚(おどろ)き早くその手廻(まハし)をすべしと
思ひ走(はし)りて県(けん)治に至(いた)り只(ただ)何(なに)となく頻(しきり)
に御事宜(じき)をして歩行(あるき)けれバ県吏(けんり)ハ
彼(かれ)が同姓(せい)の者此節(せつ)まさに獄(ごく)に下(くだ)らんとする
の趣(おもむき)なれバ必らず其(その)罪(つミ)を贖(あがな)ハんとの意(い)なる
べしと誤認(ごしん)して遂(つい)に是(これ)が為(ため)に忠七等(ら)三
人を赦(ゆる)したり十郎左エ門案(あん)に相違(そうい)し益々(ますます)
憂悶(ゆうもん)したれども今さら詮方(せんかた)無(な)かりしとぞ "		

東京日々新聞 N062

東京日々新聞 九百十九号(去年十二月...)

不明 36.5×25

		
"去年十二月二十日の
頃(ころ)信州(しんしう)上田(うへだ)の
旅商人(たびあきうど)
なにがしだか一人碓井(うすゐ)
峠(とうげ)にさしかかりしに此
山中(さんちう)に住炭(すミ)焼のおのこ
彼(か)の商人(あきうど)の懐中(くわいちう)を
ものせんと夫婦(ふうふ)
の者とも云ひ合(あハ)せ
人無(な)きおりを幸(さいわ)ひと
かの商人を、手に持し
ナタおつとつて斬(き)り
殺(ころ)し所持(しよし)の金子を
奪(うハ)ひ取(と)りあらため
見しが思ひしより
わづか斗りとあきれしも
知る者たえてなかりしが
天網(アミ)いかで免(まぬか)るべき彼の鉈(な)に血(ち)の付(つき)いたるより
此事(このと)既(すで)に露(あら)ハれしと実(げ)に畏るべし畏るべし "		

東京日々新聞 N063

東京日々新聞 九百二十三号

不明 36.5×24.5

		
"農業休暇(のうのやすみ)に
群集(あつまり)て若き男女
の遊戯(あそびた)るハ郷村(いなか)の弊習(ならい)
なる中に淫婦(たふやめ)お雪と称(よび)なせど
貌(かほ)ハ名に似ず浅(あさ)黒き雲取(くもとり)
峯(ミね)に焼炭(やくすミ)の烟(けぶり)に薫(くすぶ)る体(やう)なるも山茶
も出花乃色盛此弁蔵(べんざう)と私通(なれあい)ゐたる
に又青梅(あふめ)より来りたる木屋某(なにがし)と
姦道(ちちくりあい) 猪追(ししおひ)小屋の密会(であひ)の胤(たね)を奸(やど)せし説(はなし)に
弁蔵ハ一向(ひたすら)妬(ねた)ミ憤(いきどふ)り一夜(あるよ)丸太を提携(ひつさげ)て
山 (かせき) する木屋某を打殺(うちころ)せしが
発露(はやあらハ)れ大宮(ミや)の区へ拘引(ひかれ)ツツ
裁判(さひばん)を経(へ)て絞罪(こうざゐ)に処せら
れたるもお雪ゆへ淡(あハ)く
消(きえ)にし命(いのち)ぞ
うたてき
転々堂略記 "		

東京日々新聞 N064

東京日々新聞 九百二十六号

不明 36.5×24.5

		
"秩父郡(ちちぶこほり)阿熊(あくま)
村なる畳(たたミ)屋某が
方へ或夜(あるよ)強(がう)
盗(とう)押(おし)入て家内(かない)
不残(のこらず)縛(しばり)あげ貯財(かね)を出せと譴責(せめたて)る
に二階(にかい)に寝(ね)たる此家の嫁(よめ)が戦慄(わななき)震(ふる)ひて庇廂(ひさし)より這出(はひつ)る
筈(はづ)見に土蔵(どさう)の家根(やね)の押(おさ)へにのせたる石に躓(つまつ)き其躬(ミ)ハ下へ
(どう)と落(お)つ響(ひびき)に継(つづゐ)て瓦落(ぐわら)瓦落転来(おちく)る
石を盗賊(とうぞく)ハ棟上(やね)に誰(たれ)やら人
ありて礫(つふて)を打(うつ)とや
思いけん畳(たたミ)の上に
突(つき)立たる刃(やいは)と風呂舗包(ふろしきづつミ)を捨置(すておき)
何所(いづこ)ともなく逃去(にげさり)ぬ嫁(よめ)も
気絶(きぜつ)ハしたれとも暫(しバらく)ありて
蘇生(よミかへり)家内一同(どう)怪我(けが)も
せで此災(さい)厄(やく)を
免(まぬか)れたり
転々堂主人記 "		

東京日々新聞 N065

東京日々新聞 九百三十三号

不明 36×25

		
"本郷(ほんごう)三丁目の飯島(いいしま)安五郎と申人の養女(むすめ)おしんと言ふが元の夫(おつと)喜三郎に
殺(ころ)されたそうだが一体(たい)此喜三郎と言ふハ常州真壁(まかべ)郡(こおり) 市(いち)野辺(のべ)村の白沢
与兵衛と申人の二男(なん)で経師職(きやうじしよく)なるをおしんが聟(むこ)に貰(もらつ)た処(ところ)が我意(わがまま)者で養(ようし)
父母の教訓(いふこと)を少(すこ)しも聴(きか)ず夫故(それゆえ)平日(ふだん)家内が不隠(もめ)て夫婦(ふうふ)中も
不熟(わるく)度々(たびたび)媒的(なこうど)をした人が立入て異見(ゐけん)して済(すま)した事もあれ
ど兎(と)角無法(むほう)斗(ばか)り言ふ故(ゆへ)ついに金子(かね)を遣(やり)て離縁(りゑん)して其事
を扱所へも届(とどけ)事済(すミ)になりしを如何(どうゆう)心得(こころへ)違(ちがい)か二月十一日の
夜中おしんが家へ忍(しのび)入て
同人の口へ短(たん)刀を突込(つきこミ)殺(ころ)しに
掛たをおしんが大声(こゑ)を揚(あげ)たので両親(おや)が驚(おどろき)ておしんが傍(そバ)へ行(ゆき)て見ても
行燈(あんどう)ハ消(きゑ)て真黒暗(まつくら)なんだか分(わか)らぬから火を燈(とも)して見ると離縁した聟殿(むこどの)が
匕首(たんとう)を持(もつ)て立て居(ゐ)ておしんハ血(ち)だらけで死(しん)で居る故(ゆへ)仰天(びつくり)して四隣(きんぢよ)へ知(し)らせ巡査(おまハり)へ
知らせたから河野(の) 某(なにがし)と言ふ巡査が直(すぐ)駈(かけ)附(つ)けて召捕(しばつ)たが何(いづ)れ人殺(ひところし)だ
から打首(うちくび)になるだろう誠(まこと)に痴愚人(ばか)にハ困(こま)り舛す。其愚(ぐ)にハ及ぶ
べからずと
聖(せい)人も
お歎息(なげき)
なされた
待乳山麓
温克堂龍吟記 "		

東京日々新聞 N066

東京日々新聞 九百三十四号

不明 36×25

		
"意(い)より
情(じよう)を生(せう)じ
情(じやう)凝(こつ)て煩(ほん)
悩(のう)を生ず
煩悩(ぼんのふ)より愚痴(ぐち)を
生じ是を名づけて妄想(もうぞう)といふ妄想(もうぞう)の中に色情(しきじやう)を生ず
此色情に四(よ)つあり互(たがい)に思(おも)ひ
慕(おも)ハれて天にあらバ比翼(ひよく)の
鳥(とり)地に有らバ連理(れんり)の枝と
玄宗(げんそう)真似(もどき)を真(しん)情と言ひ去日(きのふ)
の情人(いろ)ハ艮時(けふ)の仇(あだ)其日(そのひ)其日の風次第(しだい)
ハ是そ所謂(いハゆる)薄情(はくぢやう)にて不(いき) 粋([ママ])な人でも黄金(かね)さへあれバと枕(まくら)の下へやる手さへ握(にぎつ)
て掛(かか)るを慾情(よくじやう)とす痴情ハ是と事かハり先方(さき)で何(なに)とも思(おも)ハぬを自分(じぶん)ではまる恋(こひ)の淵(ふち) 行徳(ぎやうとく)
船の乗子(せんとう)なる早(はや)川伊太良と呼(よ)ぶ男あり新吉原龍(りう)ヶ崎屋(さきや)の娼妓(ぢよろう)かしくと言へるに馴染(なじミ)て百夜(ももよ)ハ
愚(おろか)千夜(ちよ)かけて通(かよ)へど先方(さき)ハ空(そら)吹(ふく)く風本年二月上旬(はじめ)かた例(いつも)の如(ごと)く遊宴(あそび)に来が如何(いか)なる事故のあり
けるにや髪剃(かミそり)をもて疵(きつ)を負(おハ)せ其(その)身(ミ)も自殺(じさつ)なしけるよし是又痴情(ちじやう)にせまりし事歟将外(はたほか)に
子細(しさい)ありける事歟(か)記者(きしや)も知(し)らず唯世(ただよ)の好男子(いろおとこ)の為(ため)に誌(しるし)て後世(のち)の
戒(いましめ)に備(そな)ふ
待乳山麓
温克堂龍吟誌 "		

東京日々新聞 N067

東京日々新聞 九百三十八号

不明 36×25

		
"六花(ゆき)の名(めい)
勝(しよ)の越後の国。
新潟街(にいがたまち)の呉服商(ごふくや)にて
巨万(づすしり)とある銀世界(ぎんせかい)。積(つもり)て白勢屋(しろせや)
仙次郎が弟(おとうと)の喜三郎なるものハ。他家(たけ)へ
養子(やうし)の離縁(でかへり)より。させる家業(つとめ)も無(なき)ものから兄に
迫(せまり)て産財(さんさい)より家倉(いえくら)地面(ちめん)に至(いた)る迄(まで)。亡父(ぼうふ)が
譲(ゆづり)の物あれバ分与(わけあたへ)よと
責(せむ)れども。放蕩(ほうとう)無頼(ぶらい)の
所行(しよけう)を知れバ。容易(ようい)に
許(ゆる)さぬ兄を恨(うら)ミ。其(その)
憤(いきどおり)に堪(たへ)さりけん。乙亥
二月二日の夜(よ)。兄仙次郎が
熟睡(うまい)せし房(ねや)に忍(しの)びて
刺殺(さしころ)し。他(ほか)より賊(ぞく)の
押入(おしいり)し体(てい)にもてなし
居たりしも。天網(てんもう)いかでか
如此(このごと)き悪逆賊(あくきやくそく)を洩(もら)すべき五日を経(へ)ずして縛(なわめ)に就(つき)たり
転々堂録               "		

東京日々新聞 N068

東京日々新聞 九百四十号(武州秩父郡...)

明治8年(1875)2月 36×25

		
"武州秩父郡(ちちぶごほり)上田野村の農(のふ)泰平(やすへい)が妻(つま)おちかハ家附きの
娘なれども名代の淫婦(いんぶ)にて
秩父結の小夜(さよ) 衣(ごろも) 重(かさ)ね
着(ぎ)なす事もままあれど
はじめハ泰平(やすへい)の己(おの)が
名の事泰平(たいへい)に
治(おさま)るがよしとて重ね
着の洗濯(せんたく)もせざりし
かど又もや去年の十二月の末同村の笠原
荒助に持かけしに笠原も竹の子笠の竹ならず桧
木笠の木ならねバ菅笠(すげがさ)のすげなくも断(ことわら)ず汗に濡(ぬれ)れたる笠紐(かさひも)の
くされ縁とぞなりにける然るを泰平之を見出し好(す)き好(す)かれたる
縁(えん)なれバ桑(くわ)の木(き)の喰ずに暮(くら)すも本意ならん我も其生(なま)木をバ裂(さか)じ
とて酒二升を結納とし一升中よく暮せよと与(あた)へて
以て追出せり家附(いえつ)き娘なり
とて身持あしけれバ
事茲(ここ)に及べり四方
の姉(ねへ)さん達(たち)
つつしミ
給へかし
山々亭有人記 "		

東京日々新聞 N069

東京日々新聞 九百四十号(当二月十九日...)

明治8年(1875)3月 36.5×25

		
"当二月十九日新富町の戯場(しばゐ)に於て打出(うちだ)し
の後(のち)該日(そのひ)ハ風の烈しけれバ火の
元注意の為め俗に
奈落(ならく)と唱ふる舞台の下迄
楽屋(がくや)番をして見廻(まは)らせしに
花道の床(ゆ)下に怪(あや)しき男の潜伏(せんふく)
せしを面燈(つらあかり)にすかし見て紋切形(もんきりかた)の曲者(くせもの)
動くなも出(いで)バこそ少しぶるぶる者にて近寄(ちかより)
見れバたんまりの幕開(まくあ)きに焚火(たきび)をして
居(ゐ)そうな風俗(ふうぞく)にて其(その)うへ傍(かたは)らに焼芋(やきいも)
及び大福餅(だいふくもち)杯(など)を貯(たくわ)へ居たり是を見て
楽屋番も取るに足(た)らずとて俄(にわか)に強(つよ)く
なりたたんで仕舞へと左右よりをり重(かさ)
なり遂(つい)に巡査(じゆんさ)の屯所(たむろじよ)へ送致(そうち)せり固(もと)
より何者かハしらざれども疑(うたか)ふらくハ
火でも放(はな)たんとする賊ならん若(もし)賊の意
のことくまんまと首尾好(しゆびよく)忍(しの)び入り大願(たいぐわん)
成就(じやうじゆ)とならんにハ三の切の世話場を
勤(つと)むる者(もの)多からんに其事(そのこと)なくして
今日ハ是切(これきり)となりしハ我人(われひと)の幸ひ
なりかし
山々亭有人記 "		

東京日々新聞 N070

東京日々新聞 九百四十四号

明治8年(1875)2月 36×25

		
"世に二度愕然(びつくり)といふ事ハ往々(わうわう)あれども実(じつ)に
二度びつくりの
話あり大阪仙坡(せんば)
なる一商人の手代
西京の取引先より
千円
余(あま)りの金
を受取り
其帰途(きと)伏(ふし)
見の舟に
乗後(のりをく)れ一人にて
仕立船も冗費(ついへ)なりと思(おも)ひ人力車を雇(やと)ひて徹(てつ)夜大
坂迄陸(りく)を急(いそ)がせしに何所(いづく)なりけん大坂へハ程遠(ほどとう)か
らぬ孤村(こそん)を過(すぎ)んとせし時夜ハ三時すぎ月ハ山の端に隠(かく)
れて物のあいろも分(わか)らず車夫も此時提灯(てうちん)の蝋燭(ろうそく)を
継(つぎ)かへんとなす折柄(をりから)雲(くも)突(つく)如(ごと)き大の男長刀を帯(おび)て
小蔭(かげ)より顕(あらは)れ出(いで)汝が所持なす金千円渡(わた)
さバよしさもなくバ唯(ただ)一突(ひとつき)と罵(ののし)りたり
手代ハ歯(は)の根も合ずして
震(ふる)ひ居(い)るのミ詞(ことば)なし
然るに車夫(しやふ)進(すす)め
て言(い)ふ斯(かか)
る上ハ是非(ぜひ)
がなし
吝(をし)ミて命を棄(すて)ん
より金を渡して
二ツなき命を保(たも)つに
しくハなし疾(とく)させ
玉へとありけるにぞ
手代も今ハ仕方なしと其意(い)に
任(まか)せ懐(くわい)中より金とり出(いだ)すを件(くだん)の車夫手はやく
之を奪(うば)ひ取跡(あと)くらまして逃去(にげさ)れバ手代も賊(ぞく)もあきれ果(はて)忙然(ぼうぜん)たる
事小一時間(くわん) 斯(かく)てあるべきならねバ力なくなく大坂へ帰(かへ)り直(ただ)ちに主家(しうか)へも
戻(もど)り難(がた)く実家(じつか)に帰(かへ)りて詫(わび)事をせんとなせしに府庁(ふちやう)より仙坡(せんば)の主家(しうか)に車夫一時の謀(ぼう)事を以(もつ)て手代の難(なん)を救(すく)ひたりと沙汰ありけれバ主家(しうか)は却(かへつ)て手代の宿を問はせ主僕
府庁(ふちやう)に出(いで)て該(その)金を受(うけ)とり厚(あつ)く車夫にも謝(しや)したりとぞ
山々亭有人記 "		

東京日々新聞 N071

東京日々新聞 九百五十一号

不明 71×36.5

		
"博徒(ばくと)長脇差(ながきざ)しの類(るい)近来漸(やう)やく地を払ひて良民の此害に遇(あ)ふ者少(すくな)
かりしに此ごろ縛(ばく)に就(つき)たる伊勢の国一志郡(いつしこほり)戸水村の農(のう)勝田(かつた)角次郎が倅(せがれ)松
次郎こと変名(へんめう)して吉村熊五良と称(せう)する者あり実に天を畏(おそ)れざる賊なり去ル明治
二年十二月
国元を
逃亡(とうぼう)し
処々を
漂泊(ひやうはく)せし
が翌年(よくねん)八
月下旬の頃(ころ)
信州若幕(しやくまく)村の博(ばく)
徒竹五郎方に寄留(きりう)し
その子分菊太良を誘(いざ)なひて戸倉駅
小松屋といふ遊女屋に至り遊興(ゆうきやう)の上娼妓
と共に臥(ふ)し居たりしを夜半に至り忽(たち)まち
多勢(たせい)押入(おしい)り上意上意と声かけけれバ松次郎ムツクと起
上り兼て布団(ふとん)の下に隠(かく)し置(おき)たる脇差(わきざし)を取りて身を構(かま)へサア
来(こ)よと打見るに彼の押入りし者ともハ此近傍(きんぼう)なる八幡村の博徒(ばくと)
大五良の子分幸太良喜一郎貞吉光太良合沢四郎松城繁蔵
その外五六人手鎗(てやり)を引提(ひつさ)げ大刀を閃(ひらめ)かし無二無三(むにむざん)に切て掛(かか)りけれバ
松次良心得(こころゑ)たりと刀の鞘(さや)を払(はら)い多勢を相手に切り合ひけるが松次良
ハ手に四ケ所脚(あし)に四ケ所の疵(きず)を負(お)へども尚も屈(くつ)
せずして奮(ふる)ひ戦ふにぞさしもの多勢(たぜい)も叶はじ
とや思(おも)ひけんミな散々(ちりぢり)に逃げ失せたり然るに松次郎に
誘(いざ)なはれたる菊太郎ハ重傷(ふかで)なるを以て松代藩庁(まつしろはんちやう)へ訴(うつた)ヘ疵所検査(けんさ)を受(う)
けしが遂(つひ)に間もなく是が為に死去したり夫より松次郎ハ松代の春吉方
へ引取られ疵療養を加(くわ)へしに程なく全快に至りしかハ同じく十二月下旬のころ
彼の妓楼(じよろうや)へ切り入りし大五郎の子分とも笹平村なる豆腐屋(とうふや)に集(あつま)りて博夾(ばくゑき)
を催し居る趣(おもむ)きを聞(きき)出し先の仇(あだ)を報(むく)ゆるハ此時なりと再(ふた)たび六七名の
博徒を呼(よ)び集(あつ)め各々(おのおの)手(て)
鎗(やり)を携(たづさ)へ長刀を帯(お)びて直
に笹平村へ押し寄(よ)せ突然(とつぜん)と
彼の豆腐屋(とうふや)へ踏(ふ)ミ込(こ)ミけれバ四
五十名の博徒(ばくと)ども其勢ひに恐怖(けうふ)し
一支(ひとささ)へも支へずして蜘蛛(くも)の子を散(ち)らすが如く
に逃(に)げ失せけるを松次良は跡追(あとおつ)
かけて出たるが闇夜(あんや)なれバ
誰(たれ)とハ
知(し)らず一二人返(かえ)
し合ハせ踏(ふ)ミ止(とど)
まりて切結(きりむす)びしも
忽ち之を切り殺(ころ)しけれ
バ残(のこ)る者どもハ八方へ散(さん)
乱(らん)したり松次郎ハ胆太(きもふと)くも又
かの春吉かたに食客(しよくかく)たりしが
明治五年十一月五日の夜
近所まで遊(あそ)びに行(ゆ)かん
何心なく戸外に出たる
折から捕亡吏五六人
づかづかと立寄り
御用と声掛け木
刀を以て打かかるを松次良
心得(こころゑ)たりと抜(ぬ)き合ハせて
立ち向ひ捕亡二人に深(ふか)
手を負(お)はせ自分も
頬(ほう)を切られながら
辛(から)うじて其場を逃去(にげさ)り夫より直と
越後に遁がれ暫時(しハし)隠(かく)れ居しが
再び野州に立ち越(こ)しそれより又
神奈川横浜辺(よこはまへん)を徘徊(はいくわい)し遠州掛
川出生の玉五郎と懇意(こんい)を結(むす)び
明治六年十二月二十六日の夜玉五良
等と四人連(つれ)にて神奈川駅の
博夾場(ばくちば)ヘ抜刀(ぬきミ)を提(さげ)て踏(ふ)ミ込ミ
賭銭十八把(は)を奪(うバ)ひ取り各々
是を分配(ぶんぱい)して夫より生国伊勢
へ趣かんと玉五良を伴(とも)なひ東海
道を上(のぼ)りけるが昨年二月九日遠州
掛川駅の博徒(ばくと)亀七かたに至り爰(ここ)にて
徒(いたつ)らに日を費(つひ)したるに故郷(こきやう)に返(かへ)り
たりとて面白(おもしろ)き見こみもなしと
再(ふた)たび道を転(てん)して甲州に向ひ
東京へ登(のぼ)らんとする際去ル十二月
二十二日高井戸村におゐて忽(たちま)ち
捕縄(ほばく)に就(つ)きたりとぞ "		

東京日々新聞 N072

東京日々新聞 九百六十四号

明治8年(1875)4月 36×25

		
"相州江の島弁才天女の廟ハ往古より七年ごとに開帳あること世人の能く知る所なり然るに当亥年
四月一日より五月二十日に至るまで五十日の間臨時大祭(りんじたいさい)を行な
ハるるよし是に就(つい)て此島に住める一新
講(かう)社中有名なる
旅舘(りよくわん)ゑ
びす屋ハ此頃新(あら)たに三階の
高楼を築造したり其結構(けつこう)ハ日
本風の立かたにして尤も間取りの
注意より諸式ミな風雅(ふうか)を尽(つく)せり此楼上より望(のぞ)めバ三浦鎌
倉由井の浜の風景眼下
に集り富士は
遥(はる)かに白く
箱根ハ
近く翠(どり)
なり
空気
清快にし
て健康(けんこう)を補(おぎ)なふべく殊(こと)
に海味に富て佳肴(かこう)乏しから
ず御参詣のお方ハお上り有て御試
しなされ項日この三階の楼上に
掛んと坂東彦三良中村芝翫
菊五郎佐団次団十郎半四郎
等を始め俳優十余人其外作者
留場抔にて名前を染め付け
たる暖簾(のれん)を拵らへ恵
日寿屋へ送らんと専ぱ
ら其用意最(さい)中なりと云へり "		

東京日々新聞 N073

東京日々新聞 九百六十七号

不明 36×25

		
"芝西応(しハさいおう)
寺(じ)町米
屋仙蔵(せんぞう)
かたへ強盗(ごうとう)
二人押入(おしいり)所持
の金銭差出すべし
と云ひけるに仙蔵
ハ大に恐怖(きやうふ)なし
けるが妻
おさとハ
彼(か)の賊(ぞく)を見るに
思(おも)ひの外の小男なれバ忽(たちま)ち
軽侮(あなどり)有り合ハせたる米俵を取て投付(なげつ)け投付け左(ひだり)の
腕(うで)に疵(きず)を受たれども屈(くつ)せずあらそひしが夫仙蔵は妻を討(うた)せじと
賊に組付夫婦にてとうとう組伏(くミふ)せ誰(たれ)か
来てくれと呼(よ)び立るにぞ
巡査この声(こえ)をききつけ走り来て屯所へ引き行けり
この賊ハ松吉と云ふ者にて今一人はおさとが
勢(いきほ)ひに恐(おそ)れにげうせたりとなん "		

東京日々新聞 N074

東京日々新聞 九百六十九号

不明 36×25

		
"三月十四日
小舟町の
火事の時に
紺木綿(めくらじま)の股(もも)引はら
かけにて頭巾(づきん)を
かむり麻うら草(ぞう)
履(り)をはき差(さ)し子(こ)の半天(はんてん)を着(き)て
美(うつく)しき男があちこち火事見舞(みまい)にあるき
廻(まハ)る様子(ようす)が何(ど)うも女らしき物腰(ものごし)ゆへ
或(あ)る巡査(おまハり)が見とがめ呼(よ)び止(と)め住所
姓名(せいめい)をただしたるにお目ききの通り
芸者(げいしや)にて元大坂町まさきや
之
布袋(ほてい)軒とか富本(とみもと)
安和太夫とか
幾(いく)ツも名の
ある中村
清助と
云(い)ふ人の養女(ようじよ)おやまで
有ツたそれから屯所へ引かれたそうだが定めし罰(ばつ)金だろう "		

東京日々新聞 N075

東京日々新聞 九百七十五号

明治8年(1875)4月 36×25

		
"木挽町田毎(たごと)と云(い)ふ
料理茶屋へ近(ちか)ごろ折々(おりおり)来(く)る左官(さかん)清十郎
と云ふ男が馴染(なじミ)の芸者(げいしや)金春(こんぱる)
のおさくを呼(よ)びて酌(しやく)をさせつつ夜を
深(ふか)し強淫(ごういん)せんと
乗(の)り掛(かか)るをおさ
くは尚(なほ)もしたがハ
ず刎(は)ね起(おき)て逃(にげ)んと
せしに清十郎は隠(かく)し
持(も)ちたる出刃包丁(でバぼうてう)
を取り出しおさく
が咽喉(のんど)へグツと突(つ)き立
けれバキヤツと魂消(たまぎる)一声(ひとこえ)に
此家の者どもソリヤ
大変(たいへん)と躁(さハ)ぎ出すに
清十良ハ庭(にハ)へ飛(とび)をり折戸(おりど)を破(やぶ)
りて
遁失(にげう)せたりけるハ三月三十一日明がたの事(こと)なりと
ぞ全体(ぜんたい)此男ハ養子(ようし)にて内にハ
おさくとて二十一才になる然(しか)も此
芸妓(げいぎ)と同名の細君(かミさん)もある
と云事(いふこと)なり "		

東京日々新聞 N076

東京日々新聞 九百七十八号

明治8年(1875)8月 36.5×25

		
"長州小月村の京泊りと云ふ所の長谷川熊吉と云ふ
者の女房おすゑに去年十月ころより阿部(あべ)の清明(せいめい)とか
云ふ狐が乗(の)り移(う)ツたとて色々妙な事をしやべり
散(ち)らし本年十月にハ火の雨が降(ふ)り火の風が
吹(ふ)きて世界(せかい)がミな黒土(こくど)に成るなどと
云ひ触(ふ)らしけれバ近村の
人ま聞(きき)伝へて
何(ど)うそ火災免(まぬか)れ
る様(やう)にと祈祷(きとう)して京泊に
稲荷(いなり)の社
を建立(こんりう)して
小豆飯(めし)や
油揚を備(そな)へて
鼠(ねずミ)の油煎だのお洗
米だのと躁(さわ)ぎ立けるが国中の大
評(ひやう)判となり参詣(さんけい)する者引も切らず
灸点を下して貰(もら)へバ何(ど)の様(やう)な病気でも治ると云ひ或ハ
手の相を見て貰(もら)へバ運(うん)の吉凶(よしあし)が別(わか)るなどと持て林して蟻(あり)の如く集(あつま)りけるが風と或る人
より此稲荷にハまだ官位がないから京都へ位を受けに行くが能(よ)いと云ふ相談が始まりて
商人仲間で何程かの金を調のへ本年一月中旬におすゑハ亭主熊吉と隣りの金六が
女房おミすを連れ船にのりて出航せしが備後の尾ノ道にて上陸して或る酒楼(たかや)にて路用を皆(ミん)
な飲(の)んで仕舞(ま)ひ上京する事も出来ず詮(し)方が無く成りて遂に帰る事に成りしが三人倶(とも)に道々を
南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱(とな)へて人の門に立つつ稍々(ようよう)芸州(げいしう)の広島まで帰(かへ)り来り暫(しば)らく
爰に逗留(とうりう)して亭主の熊吉を国元へ戻(もど)し路用の工面(めん)をさせて帰国せしがおすゑ稲荷さまハ前に替らぬ
繁昌(はんじやう)なり此おすゑ様が広島を出る時に同国の瀬川(せがハ)百丸と云ふ役者を同伴(どうどう)して船の中て乳栗(ちちくり)あひ大恍(おほのろ)
惚(け)に成り国へ帰りて亭主に云ふ様私ハ男を禁(きん)じ身を清潔(きれいに)せねバ罰(ばち)が当(あたる)とて別に家を借りて居て
毎晩百丸と密かに枕を並べて楽(たのし)ミしと此おすゑ稲荷様も人の身の上吉凶禍(くは)福ハいろいろと
御しやべり成されて随分人を魅したれども神様も人間も恋(こい)ハ思(し)
案(あん)の外と見えて百丸に魅されたハ奇談(きだん)と申そうか愚談(ぐだん)と
申そうか呆れ返(かえ)ります "		

東京日々新聞 N077

東京日々新聞 九百八十一号

明治8年(1875)4月 36.5×25

		
"高輪(たかなハ)南町の小泉と云ふ茶屋(ちやや)の亭主(ていしゆ)
栄蔵ハ四月七日の夕がた余所(よそ)から返(かえ)つて
見ると妻のおたけがゐしきの一件(けん)たと見えて
制服(せいふく)制帽で大きな長い棒(ぼう)を持た長野政吉
と云ふ巡査に 押(お[ママ]) へ付けられて居(ゐ)る様子に付き
オや手前ハ何が悪(わる)い事をしたかとつかつかと立寄(たちよ)れバ
巡査ハ驚(おど)ろき姦棒を引堤(さげ)て遁(にげ)んとするをイや
此奴(こいつ)ハ好(よ)い事をして居(をツ)たナ太(ふと)い奴(やつ)めと打(うつ)て掛れバ
女房(かかア)ハなき出す野郎ハ飛び出(だ)すジタバタどさくさ
大騒(さわ)ぎと成りたる折からに巡査原雪これを見認(ミと)め
て巡査トおたけを拘引したり其とき亭主栄蔵ハ
手早く妻おたけが寝床(ねどこ)の辺(あた)りに取り散(ちら)したる
白紙を拾(ひろ)ひ取り
大区へ持参し
たる由
なれバ
慥(たし)かに何かの証拠(せうこ)に成る処が
あると見える笑(をか)しな咄(はな)しだ
アハハハアハハハアハハハアハハハ "		

東京日々新聞 N078

東京日々新聞 九百八十二号

明治8年(1875)4月 36×25

		
"武州秩父郡贄川村の
或る家の娘が一旦(いつたん)嫁(よめ)入し
たれと離縁(りゑん)して実家へ戻(もど)
り居けるを誰(た)レ云ふとなくかの
娘ハ穴(あな)なしだから嫁に往(いつ)ても
置かれないと評判(ひようばん)しけれバ
村内の無分別なる若(わか)い
者連中が四五人にて
相談(さうだん)し穴があるか無いか
引かつぎ出して試(ため)して
見やうと或る夜この娘を
連(つれ[ママ])れ出して
有無(うむ)を云ハせず
四五人して交(かハ)る交る
に輪奸(まはしとり)に及び
けれバ娘の親が大宮
区へ訴(うつた)へ
出たり
とぞ "		

東京日々新聞 N079

東京日々新聞 九百八十三号

不明 37×25

		
"本所石原町久松某氏に寄留(きりう)する岡田某の息子市太郎ハ横浜に
存(あり)けるころ不老町の佐野文蔵が娘おたつに浮(ふ)と馴(な)れ染(そ)めて
深(ふか)く云ひ交(か)ハせしが其のち市太郎ハ再(ふた)たび東京に帰り
居けるに此ごろ病気なる由を知らせし者ありけれバおたつハ元
より姿色(きりやう)の美(うつく)しきのミならず心も優(やさ)しき娘なれバ大に驚(おどろ)きて
若し此侭(このまま)にて死別(しにわか)れとなりもせバ後悔(かうかひ)して返(かへ)らぬ事なりと
蒸気
車に
乗(の)りて東
京に着(つく)や
否(いな)や本所石
原を探(さが)して岡
田氏に尋(たづ)ね来り私ハ
斯(こ)う斯う云ふ
訳(わけ)の者でござりますが市太郎
さんの大病と承(うけたま)ハり甚だ心配(しんぱひ)に成りま
すから耻(はぢ)をわすれて参りました何(ど)うぞお枕元(まくらもと)
まで参(まゐ)つて御様子を伺(うかが)ハせて下(く)ださりませと涙(なみだ)に
呉(く)れて云ひけれども岡田氏ハ以の外に憤(いきどほ)りて其様
な女が尋(たづ)ねてきた杯(など)と知れてハ世間へ顔向(かほむけ)が出来
ませぬ早速(さつそく)に帰り居(を)ろうと取ても付かぬ挨拶(あいさつ)
ゆゑおたつハ情(なさけ)なく情(なさけ)なくも詮(せん)かたなけれバ凄(すご)すごと岡田の
宅を立ち出で巡査屯所へ参りて涙(なみだ)と共に右の趣(よし)を
述(の)べ願(ねが)ひけれバ巡査も其真心(まこころ)を感心(かんしん)し再たびおたつを
連(つ)れて岡田の内へ往(ゆ)き此娘の様子を見るに世の中の
薄情(はくじやう)にて慾(よく)に耽(ふけ)り色を売る者の類とハ思ハれず一旦契(ちぎ)りし
男の為(ため)に実意(じつい)を尽(つく)すの貞節(ていせつ)ハ感心(かんしん)の事なり枉(まげ)て病人に
逢(あ)ハせ候へと説諭(せつゆ)すれども岡田ハ聞(き)き入れず然らバ唯今(こ)
よひ一夜を明(あ)かさせ遣(つか)ハすべし対面(たいめん)させる事ハ思ひも
よらすとの事ゆゑ巡査も秋(あき)れて扨も頑陋(かたいぢ)なる親父(おやぢ)かなとハ思ひしが争(あらそ)ふへき事
にもあらねバ
其夜ハ其まま
娘を差し
置きて帰り
しとか其後
如何なりしや
知らず "		

東京日々新聞 N080

東京日々新聞 九百八十四号

不明 36.5×25

		
"吉原角町の妓楼(かしざしき)鶴本のおわかハ去ル頃(ころ)遊女解放(かいはう)の令ありしとき其ころ買ひ
馴染(なじミ)の客にて上槙(まき)町の芦名(あしな)安次郎が妻となり夫婦に老母と共に暮(くら)しけるが
安次郎は今年三十三才にて老母ハ七十歳なり家業ハ魚屋にて病身なる上に薄(うす)
元手なれバ追々朝夕の姻(けむ)りも立かねるにぞ妻おわかと熟談(しゆくだん)の上睦ましき中をも
余儀なく離(り)縁し父が許に在しが兎角安次郎が事を案じ何とぞして活計(なりわい)を立させ
ざれバ年老たる姑か飢渇(きくわつ)にも及バんと歎(なげ)き暮せども女の身にて工風も
無けれバ爰でこそ夫の為に身を売る所ならんと昔し風に思ひしが
古ぼけたれど廃(すた)らぬ品にて殊に売り方も手馴れたれバ先月
二十八日鶴本に相談整(ととの)ひ二度の務(つとめ)と出稼(でかせぎ)の給金六十円を前
借しその内十円にて衣類(いるい)手道具を求め残る五十円をバ
安次良方へ送(おく)り是を家業の本銭(もとで)として活計を立て老母を過(すごさ)せ
玉へと云遣(つか)ハし自から憂(う)き川竹の流れに身を沈(しず)めけれバ安次郎母子も深く其
義を感(かん)じ涙(なみだ)と共に是を受取りしが借財の方より一度に責(せ)め入られて彼の五十
円も忽(たちま)ち残り少なになり以前に替らぬ貧乏(びんぼう)にて其日も渡り兼る程なれバ折
角おわかが貢(みつ)いで呉れた深き情愛(なさけ)も功能も無く老母にこの難儀(なんぎ)をさせるが心憂く
おわかに対し面目なけれバ此世に在りて甲斐もなし淵にや沈まん梁(はり)にやぶら下らんと思ふも度々なれども
切なる胸を堪へつつ今度逢(あ)ひてその親切を謝し且つハ厭ぬ別れの憂をも晴し此世の暇を告んと去ル九日の夕がた
安次良ハ母に向ツて吉原へ往(いつ)ておわかに逢ひ此間の礼を云ツて来たいと思ふが事に依ると今晩ハ泊ツて来る
やも知れませんと云ひ置き速かに鶴本に至り娼妓おわかを買ひ揚(あ)げ快(こころ)よく酒食し頓(やが)て両人とも打臥(うちふし)
したるに其夜の暁がたアツと叫(さけ)びたる声におわかハ驚(おど)ろき見れバ安次良ハ咽喉(のんど)突(つ)き俯臥(うつふし)たりおわか
ハ直と取り縋(すが)り誰ぞ早くと声立けれバ家内中が駈集り速に手当なし死にハ至らぬよし "		

東京日々新聞 N081

東京日々新聞 九百八十八号

不明 36×25

		
"蛎売(かきがら)町中島座の芝居(しバゐ)ハ此
たび紅皿(べにさら)かけ皿と云ふ狂言を
仕組(しくミ)しが初日より大入にて前名
さだ助とうじ路鳥(ろてう)のすね平といふ奴が
かけ皿を責(せめ)る所がいかにもにくらしく見
功者(かうしや)連中も大出来(でき)だとほめ居しが
当月十五日に仕事師(しごとし)の見物が
土間(どま)に居てナンボ狂言でも
ひどい事をしやアがると大ふ
せうちにて彼(か)のすね平に出
立たる中島路鳥が楽屋(がくや)へ
入るを待合せにぎりこぶしを
ふりあげ鳶(とび)が鷺(さぎ)をさんざん
に打しとぞ此鷺助が
すね平も余りよく出来
たから此拳(こぶし)を二ツ三ツ
頂戴したるなるべし
御ひゐきの
ちからこぶしぞ
有(あり)がたき
路鳥 "		

東京日々新聞 N082

東京日々新聞 九百八十九号

不明 36.5×25

		
"八丁堀岡崎(おかざき)町の大工
熊五郎が妻おとく
ハ身持(みもち)のよくない女で
酒をのむやら花を引
やら銭遣(づか)ひが荒(あら)くて自分(じぶん)
の物だの亭主(ていしゆ)の品だのと差
別もなく質(しち)に置(おい)て奢(おご)り散(ち)らす
ゆえ熊五良も呆(あき)れかへり離別したりしに
おとくハ旨(うま)い物も喰(く)ひたし酒も飲みたしするから
是から当時はやりのごくらくとか何とかを遣つ
て見やうと思(おも)ひついて同町のすし屋の奥ざしき
を借りて居(お)る処へ本月五日九時ごろ
おとくさんおとくさんと外(そと)から
呼(よ)ぶ者があるゆゑアイと出掛(でか)けるを何者とも知(し)
れず鑿(のみ)を持てかおやからたへ幾処(いくとこ)も疵(きず)を付けて
直(すぐ)と其場(そのば)をにげ失たり早速(さつそく)医者(いしや)を招(まね)きて
手当をしたれども深(ふか)手と見へて終(つい)に死去(しきよ)
せしとぞ彼の曲(くせ)者を探索(たんさく)ありしが遂(つい)に元の
夫熊五郎を捕(とら)へて吟味せし処(ところ)私が傷(きづづ)けし
に相違(ゐ)なしと白(はく)状に及びしといへり "		

東京日々新聞 N083

東京日々新聞 九百九十二号

明治8年(1875)4月 36.5×25

		
"困(こま)ツた困ツた。
何(ど)うも斯(こ)う
も成(なら)んぞ成んぞ
幾ら亜細亞
洲の癖(くせ)だと云ても
其所ても幽霊ここでもお化だ十八日
にハ御崎明神が腹を立て人を
取り殺す十九日にハ伊世の国
で神明の鳴(なつ)たのハブウの音も
なく成たと余(あん)まり続け
玉に怪談(くわいだん)ばかり書ても
円朝から小言が来るかも知
らないが併し此様な事も出
して置たら世間の者
の夢の醒(さ)める足(た)しにも
なろうかと又妙的(めうちき)な咄を
記します是ハ武州秩父郡の上田野村の清四郎の
娘おかねと云ふ女がある夜近所へ湯入に往とて風と内を出か
けたまま帰ツて来ぬゆゑ父は大に心配し親類や懇意を集めて
近村までも三日が間残る所なく尋ね探(さが)したれとも一向に行方が知れず
一同心配して居たりしに二十日の夜深に至りて忽まち清四良が前の山にて怪(あや)しき
声が聞ゆるゆゑ近所の者も打ち連れて山へ尋ね登りて見れバ大木の茂(しけ)りたる
中におかねハ髪(かミ)の毛を揮(ふ)り乱し六尺ばかりなる青竹を杖(つえ)につき我(われ)ハ讃岐(さぬき)の
金毘羅なりおかねを同道(つれ)て日光より古峰(こぶ)が原へ参ツて来た何れ来年の
三月十七日にハおかねを連て日光へ参るへしと云ふかと思へバ
夫れなりに金毘羅さまハ
上られ玉ひて夢の醒(さめ)たる
如くなりしと是も前
号に記したる長
州小月村のおすゑ
稲荷の類かも知れ
ませぬ "		

東京日々新聞 N084

東京日々新聞 千九号

明治8年(1875)8月 36×25

		
"上総(かづさ)の国(くに)市原郡(いちはらがふり) 矢田村(やだむら)に平田(ひらた)留次郎(とめじらう)といへる奴(やつ)。年ハ
四十に余(あま)れども。陰痿(いんい)の症(しやう)にて陽物(あてもの)の勃起(おつたた)ないのを
嘆(なげ)きゐたるに。或時(あるとき)六部(ぶ)に出会(いてあい)て不斗(ふと)此ことを問(とひ)たれバ。
死(しに)たる女を犯(おか)すときハ立(たた)ない病(やま)ひが全快(なほる)ときき。喜(よろこ)ぶ折節(おりふし)
寉舞(つるまひ)村(むら)の何某(なにがし)とやらの娘にて。十七才にて黄泉行(なくなり)しを。一昨日(おとつひ)埋葬(まいそう)
したとの話(はなし)を逐一(ちくいち)聞(きい)て墓場(はかば)に至(いた)り。埋(うづ)めし土を堀揆(ほりあバ)き棺(ひつぎ)を
毀(こわ)して引出し。無言(むごん)の死骸(しにん)を強奸(がういん)なし。埋(うづ)めも
やらず棄(すて)おきたるが。明治八年五月二日事(こと)
発露(あらハれ)て縛(ばく)せられ。裁判所(さいばんじよ)へと
拘引(ひかれ)しハ例(ため)し少(すく)なき
曲者(くせもの)なり。
転々堂略記 "		

東京日々新聞 N085

東京日々新聞 千十五号

不明 36.5×25

		
"大坂(おおさか)天満(てんま)の横通(よこどほ)りに昔(むかし)よりして聞(きこ)へたる。はらはら薬(くすり)を売(う)る主(あるじ)ハ呂太夫(ろだいふ)
とよぶ義太夫(ぎだいふ)の師匠の女房ハ美麗(べつぴん)にて。売薬(はいやく)よりも名に高く京人形(きやうにんぎやう)と
混名(あだな)を
得(ゑ)しが。兼(かね)て此家(このや)の
寓公(いそうろう)と密通(ミつつう)したる
を呂太夫ハ。疾(はや)くも知(し)
りて大きなる熨斗(のし)を
つくりて女房に背負(しよ)ハせ。
彼(か)の寓公(いそうろう)を呼出(よびだ)して。年来(としごろ)
所持(しよぢ)の京人形を。足下(おまへ)の玩弄(おもちや)に進(しん)ぜる
ほどに。何処(どこ)へなりとも御持(おもち)なされと。追出(おひいだ)されて
二人とも不覚(ふかく)の涙(なミだ)はらはら薬(ぐすり)。手に手をとつて出(いで)ゆきしハ。
主人(あるじ)が語(かた)れる茶理場(ちやりば)に似(に)たり
転々堂戯録 "		

東京日々新聞 N086

東京日々新聞 千十六号

不明 36×25

		
"書置(かきおき)の事。
女に寝(ね)がえり残され
人の思ハくも恥(はづ)かしく只(ただ)
今(いま)此家に火をかけ我(われ)もろ
ともに焼死(やけしぬ)なり二人の者ハ添(そハ)
せぬぞ灰(はい)を掘(ほれ)バ我骸(わがからだ)あり。秋月(しうげつ)
光道信士(くわうどうしんし)。俗名(ぞくめう)大谷安五郎(おおたにやすごらう)。と愚文(ぐぶん)を
つらねて柱(はしら)に張(はり)おき。
囲炉(いろ)裏の柴(しば)に火を
移(うつ)し。茶碗(ちやわん)であをる焼酒(やけさけ)の酔(ゑい)に乗(しよう)じて蒲(ふ)
団(とん)をかつぎ。寝(ね)てハ見(ミ)たれど燃盛(もえさか)る焔火(ほのふ)の熱(あつ)
さに堪(たへ)かねて。繻伴(じばん)ひとつで遁出(にげいだ)し浪華(なにハ)に至りて
捕(とらハ)れしハ。河内(かハち)の国(くに)茨田村(まくたむら)の寡婦(やもめ)おふでと
私通(なれあふ)て。聟(むこ)ともなしに入こミし安五良
といふ白痴漢(しれもの)なり
転々堂筆記"		

東京日々新聞 N087

東京日々新聞 千二十七号

明治8年(1875)8月 36.5×24.5

		
"世(よ)に良(てて)人
なし児(ご)を孕(はら)める者ハ親(おや)に苦労(くらう)をかけ念仏(ねんぶつ)。
木魚講(もくぎよこう)を唱(とな)ふるハ大きな腹(はら)を抱(かか)えるゆゑなり。茲(ここ)に
武州(ぶしう)の吉田村(よしだむら)なる七之助が娘おさよハ。明治八年十八才にて
未(ま)だ婚嫁(よめいり)もせざるうち。腹(はら)膨(ふく)よかになりたるを父(ちち)七之助は一条(ひとすじ)に私通(しのび)
漢(おとこ)のあると想像(おも)ひ。該名(そのな)を具陳(あかせ)と責(せめ)さいなみ怒(いかり)に乗(じよう)じて打擲(てうちやく)し。小室(ひとま)の
中に籠(こめ)おきしが。無慚(むざん)やおさよハ其夜(そのよ)さり。細帯(ほそおび)を以(も)て自(ミずか)ら縊(くび)れ。死(しし)たる
傍(かたへ)の文庫(てばこ)の上に。
ふくれたる腹ハ病(やま)ひか但(ただ)し子か身(ミ)で身の知れぬ
ごうはらな腹。と辞世(じせい)の狂歌(きやうか)をのこしたるに
双親(ふたおや)大きに後悔(こうくわい)して。医者(いしや)を招(まねき)て
診察(みせ)たれバ、這(こ)は脹満(ちやうまん)の症(しやう)なりと聞(きい)て
いよいよ悲(かなし)ミ歎(なげ)き。後(おく)ればせなる木魚(もくぎよ)を叩(たた)き
念仏(ねぶつ)を称(いふ)て吊(とむら)ふも、返(かえ)らぬ愚痴(ぐち)の所業(しよけふ)にこそ
木挽街の隠士
転々堂主人筆記 "		

東京日々新聞 N088

東京日々新聞 千三十六号(信州飯田...)

明治8年(1875)8月 36.5×25

		
"信州(しんしう)飯(いい)田松尾町に。齢(よハひ)も長(たけ)て七十の上を九ツ腰(こし)さへも二重(ふたえ)に成て
ゆるミたる (たが)懸職(かけしょく)の甚助が近所(きんじょ)に住めるお犬とて六十七の老嫗(ばアさん)と。
私通(なれあひ)ゐたるを甚助の女房ハ六十
五才にて。良人の名に似た
嫉妬(ちんすけ)なれバ
土地の名
所の姥捨(おばすて)山と思ひ
桐原(きりはら)おき去(ざり)に幾(いく)らの山の
幾干(いくら)やら有明山の銭かき
集(あつ)め。走(はしり)て恥(はち)を更科(さらしな)や田毎(たごと)の
月の影(かげ)暗(くら)く。あ戸
隠山たどりつつ松の
木陰(こかげ)に休息て
「コレお犬主に引れ
て善光寺(ぜんこうじ)もはや近
付と嶮岨(やまミち)ゆゑ嘸(さぞ)草臥(くたびれ)やしつるらん。
大い苦労(くらう)をさせ申と。云にお犬は立
上り「抑(そも)や爺様(ぢさま)と逢(あひ)そめ川ハ
手鼻(ばな)かむさへ恥(はづ)かしき。些(ちく)とんばかり
筑广川(ちくまがハ)と。膝(ひざ)で背(せ)中をつくま川。
嬉(うれ)しひ中じやないか否(いな)と
戯(たハむ)れかかる其折(そのおり)しも
持病(ぢびやう)の癪(しゃく)に非(あら)ずしてお犬は俄(にはか)に
転(ふし)倒(たほ)れ。卒中風(そつちうふ)にて臥(ふし)脳(なや)む
老気(おひげ)の至(いた)りの道行(ミちゆき)ハ。河原崎座(かハらさきざ)の
浄瑠璃(しやうるり)にいささか似(に)て非(ひ)な珍説(ちんせつ)なり
転々堂主人戯記 "		

東京日々新聞 N089

東京日々新聞 千三十六号(浅草新谷町...)

明治8年(1875)8月 36.5×25

		
"浅草(あさくさ)新谷町に
住(すま)ゐする佐藤(さとう)鱗造(りんざう)が
家に。盗人(ぬすびと)忍(しの)び入たりし折
から泊合(とまりあハ)せたる鱗造(りんざう)が兄(あに)終吉(しうきち)ハ
跛(びつこ)で病身(びやうしん)なりけれど頗(すこぶ)る胆力(たんりよく)ある者なれバ。
夫(それ)と見(ミる)認(より)蚊帳(かや)ごしに彼(かの)曲者(くせもの)を捕(とり)押(おさ)へれバ。
揉(もミ)あひながら盗人(ぬすびと)ハ衣服(いふく)を脱(ぬい)で裸体(はだか)に
なり。逃(にげ)たる跡(あと)をしらぶれバ。木綿(もめん)の袷(あわせ)と
三尺帯(おび)と。鑿(のミ)一挺(てう)を遺(のこし)おけり。
兇器(はもの)を所持(しよじ)せし盗人が
(ちんば)の素人(しろと)に追剥(おいはが)れしハ。
明治八年六月八日
午後(ごご)十二時とも
おぼしき頃(ころ)なり
木挽街の隠士
転々堂主人
筆記 "		

東京日々新聞 N090

東京日々新聞 千四十三号 [一]

明治8年(1875)8月 36.5×25

		
"釣(つり)して網(あミ)せず宿鳥(ねとり)を射(い)ず。と
聖賢(せいけん)の書(しよ)ハさて休(おき)て教(おしへ)も恥(はぢ)も
白脛(しらはぎ)に見惚(ミとれ)て夜這(よば)ふ粂翁(せんにん)が。宿取(ねとり)
をしめる姦淫(かんいん)をしたや万年町(まんねんちやう)に住(す)む。
士族(しぞく)藤原直吉(ふぢはらなほよし)が還禄(ほうくわん)資金(きん)
を残(のこり)なく遣(つか)ひはたせし暁(あかつき)に。妻(つま)の
おたきを娼妓(しやうぎ)となし出稼(でかせぎ)に
出(だ)す相談(さうだん)ととのひ内藤(ないとう)
新宿裏町(しんじゆくうらまち)なる木賃宿(きちんやど)にて
名残(なごり)をおしミ。酔(ゑふ)て臥(ふし)たる薄蒲団(うすぶとん)
おたきが寝像(ねぞう)のわるけれバ 転(ころが)り出して
広(ひろ)げたる。一間(ひとま)に臥(ふし)し合宿(あひやど)の老恠(おやぢ)ハ横浜(よこはま)
元浜町(もとはまちやう)の山田文蔵(やまだぶんさう)なる者の。兄(あに)富五良
が五十余(よ)にて此為体(このていたらく)に謀叛(むほん)の気(き)さし
そろりそろりと乗(のり)かけしを。おたきハ寝惚(ねぼけ)たるままに
夫(つま)とおもひて自由(じゆう)になり。アア嬉(うれ)しやトいふ声(こゑ)に
愕然覚(おどろきさめ)たる直吉(なほよし)が。此畜生(このちくしやう)めと引捉(ひつとらへ)る騒(さわ)きに
巡査(じゆんさ)も駈来(はせき)りて。遂(つい)に分署(たむろ)へ拘引(つれられ)たる三人りハ
恥(はぢ)を白川(しらかハ)夜(よ)ふね。夢(ゆめ)おとろかす仮寝(かりね)ぞうた
てき
転々堂藍泉記 "		

東京日々新聞 N091

東京日々新聞 千四十五号 [二]

明治8年(1875)8月 36.5×25

		
"肥前(ひぜん)の唐津(からつ)といふ所(ところ)にていと吝嗇(やぶさか)なる老夫婦(らうふうふ)あり。平(へい)
常(ぜい)爪(つめ)に火を燃(とも)し貯(ため)たる金を他(ひと)にも融通(かさ)ず。
五百円といふを残(のこ)し死(しぬ)る老夫(おやぢ)が遺言(ゆひげん)に。金を
棺(ひつぎ)へ入よとて果(はか)なく成(なり)しを親戚(ミより)の者が。
姥(ばば)を諭(さと)して空財布(からさいふ)を棺(ひつぎ)へ入て葬(ほふむり)たる。其初
七日に親類(しんるい)から牡丹餅(ぼたもち)一重(いちぢう)もら
ひしが事に雑(まき)れて喰(くふ)を忘(わす)れ夜更(よふけ)て枕(まくら)に
つかんとするとき。二人の鬼(をに)ども現(あらハ)れ出。我等(われら)は閻王(ゑんま)の使(つか)ひなるか汝(なんし) 夫(おっと)の遺言(いげん)に
背(そむ)き。金(かね)を棺(ひつき)へ入ざるゆゑ老夫(おやち)ハ成仏(じようぶつ)する事ならず日夜(にちや)苛責(かしやく)
を受(うく)るなり。疾(とく)しまふたる金(かね)を出し仏(ほとけ)に謝(わび)を演(のべ)ずや。といふ
に老婆(らうば)ハ驚(おどろ)き嘆(なげ)き。毫(すこし)も疑(うたが)ふけしきなく
土蔵(どざう)へ金を取(とり)に行(ゆき)し跡(あと)に二人の鬼等(をにども)が。
傍(そば)に有あふ牡丹餅をつまんで喰(くひ)し
が忽地(たちまち)に吽(あつ)と苦(くる)しミ七転八倒(しちてんばつたう)。
眼口鼻(めくちはな)より血(ち)を吐(はき)し鬼の
死骸(しがい)を改(あらた)むれバ。婆(ばば)が
親族(ミより)の甲乙(たれかれ)なり。又(また)牡丹餅を送(おく)りしハ。
暗(ひそか)に婆(ばば)を毒殺(とくさつ)して金を奪(うバ)ハん謀計(たくミ)なる。這(こ)も親類(しんるい)の一人にて。鬼に紛(いで)
たつ盗人(ぬすひと)に増(まさ)れる悪事(あくじ)のいかでかハ。
発露(あらハれ)さるを得(ゑ)ざらんや
転々堂藍泉記 "		

東京日々新聞 N092

東京日々新聞 千四十六号 [七]

不明 36.5×25

		
"「なふなふ舟人(ふなびと)こと問(とハ)ん。是(これ)ハ目黒(めぐろ)の辺(ほとり)に
住居(すまゐ)する某(それがし)が妻(つま)にて侍(はべ)るが。此(この)川(かハ)渡(わた)し
て玉ひてよ。といふに舟人うち驚(おどろ)き「賎(いや)し
からざる奥様(おくさま)のこの深更(まよなか)に (さま) (よふ)ハ。情夫(おもふおとこ)を寝(ね)
とりたる婦(ひと)を呪(のろ)へる時参(ときまいり)歟。葵(あふひ)の上(うへ)と。清姫(きよひめ)を二役(ふたやく)
かねた御形勢(おんありさま)。這(ここ)ハ日高(ひだか)にあらざれバ舟(ふね)ハ渡してまい
らせん。吟行(さまよひ)たまふ
事故(そのわけ)を語(かた)り玉へ
と。愚弄(なぶる)にぞ「あら
恥(はず)かしや吾姿(わがすがた)他見(よそめ)
にそれと照(てら)さ
るる野辺(のべ)の蛍(ほたる)
の光(ひか)る君(きミ)。いと
し殿子(とのご)に棄(すて)
られて。詮(せん)かた
夏(なつ)の短夜(ミじかよ)も
寝(ね)られぬ (かや)の広房(ひろさしき)なき
つつ明(あか)す時鳥(ほととぎす)。その初声(はつこえ)ハお
かしやと。泣(なく)か笑(わら)ふか生躰(しようたい)も
涙(なミだ)にむせぶ狂乱(きやうらん)の。女(をんな)の所作(しよさ)
ハ喜昇座(きしようざ)に羽(は)をのす鶴(つる)の
音羽屋(おとはや)が。技芸(てぶり) (やさ)しき
評判(ひやうばん)に大繁昌(おおはんじやう)を
するもむべなり
小説の作者
転々堂主人戯記 "		

東京日々新聞 N093

東京日々新聞 千四十七号 [三]

明治7年(1874)10月 36×74.5

		
"因果(いんくわ)ハ廻(めぐ)る蒸汽車(おかじようき)。応報(むくひ)ハ
迅速(はやき)新橋(しんばし)の憩車所(すていしよん)にて女房(にようばう)を。
殺(ころ)せし男ハ気(き)の知(し)れぬ麻布(あざぶ)谷町辺(たにまちへん)にすむ
吉五郎という者なるが。活計(たつき)に迫(せま)りて妻(つま)おかねを
外国人(ぐわいこくじん)の雇婢(やとひ)に出せしが。同寮(おなじ)洋客(いじん)の庸夫(ようふ)
なる虎之介(とらのすけ)と密(ひそか)に通(つう)じて。ゐると
きくより憤怒(いかり)に堪(たえ)す。斯(かか)る挙動(きよどう)に
及(およ)べども相手(あいて)の姦夫(おとこ)を討(うち)そんじ。其(その)
場(ば)をさらず吉五郎ハ割腹(はらかきやぶ)つて
死(しし)たりし。愚痴(ぐち)の惑(まど)ひぞ怖(おそ)るべきなり
物の本の作者
転々堂戯録 "		

東京日々新聞 N094

東京日々新聞 千五十号 [四]

不明 36.5×24.5

		
"遠(とをと) 江国(うミのくに) 浜松駅(はままつじゆく)
にて。山田某(やまだなにがし)とかいふ者
が勧進元(かんじんもと)にて大角力(おおすまふ)の第
三日目の興行半(こうきやうなかバ)に。降出(ふりだ)す
雨(あめ)ゆゑ半札(はんふた)を渡(わた)して置(おい)て
其後(そののち)に。札(ふだ)を持来(もてく)る見物(けんぶつ)
にも定価(ていか)を減(けん)ぜぬ
不條理(ふでうり)ハ。年寄(としより)どもと
木戸番(きどばん)の計(はから)ひなりと
聞(きく)よりも。山田(やまだ)ハ大い
に腹(はら)を立(たち)。長(なが)き刀(かたな)
を腰(こし)に佩(おび)土俵(どへう)の中へ
躍入(おどりいり)。四本柱(はしら)に張(はり)た
る幕(まく)を取(とつ)て引裂(ひきさ)き
暴動(あばれ)
し挙句(あげく)に。
我(わが)眼前(めのまへ)にて
木戸銭(きどせん)を見物方に
返(かへ)さずや。否(いな)と言(いい)なバ
一々(いちいち)に撫切(なでぎり)なるぞと
罵(ののし)るにぞ。猛(たけ)き力士(りきし)も
当然(たうぜん)の理(り)にハ刃向(はむか)ふ
事ならず。遂(つひ)に土俵(どへう)
も取崩(とりくづ)して角力ハ
廃止(おやめ)になりしとぞ
木挽町の隠士
転々堂主人略記 "		

東京日々新聞 N095

東京日々新聞 千五十二号 [五]

明治8年(1875)9月 36×25

		
"親(しん)を愛(あい)
するハ子たる
者(もの)の常情(じようしやう)なり
といへども。亦(また)
あり難(がた)き此(この)
孝子が年齢(とし)
ハ四十に及べども。小児(せうに)の
ことく父を慕(した)ひ。起臥(おきふし)
飲食(いんしよく)なにくれと心を
尽(つく)してよくつかへ。
閑隙(いとま)ある
日は
背(せ)におふて。東台(とうたい)。墨陀(ぼくだ)の花に
遊(あそ)びて。親(おや)の心を悦(よろこ)バし。幾十(いくと)
かえりも変(かハ)りなきハ浜松(はままつ)
県(けん)の貫属士族(くわんぞくしぞく)。田中金吾と
いふ者にて。輦下(れんか)に久(ひさ)しく
寄留(きりう)して芳名世上(はうめいせじやう)に
高(たか)くきこゆ
木挽街の隠士
転々堂主人録 "		

東京日々新聞 N096

東京日々新聞 千五十四号 [六]

不明 36×24.5

		
"人(ひと)の性(せい)ハ善(ぜん)なると。朱(しゆ)に交(まぢ)
ハれバ赤(あか)くなる諺(たとへ)にもれぬ紅(べに)
渡世(とせい)。情(なさけ)ハ浅(あさ)き浅草の紅屋(べにや)の
女房お仲といふハ。雇人(てだい)の安
川巳之助(みのすけ)と良人(おつと)が病中(びやうちう) 密(ひそか)
に通(つう)じ。設(もうけ)たる子を堕胎(おろし)て
しまひ遂(つひ)に良夫(おつと)を毒殺(どくさつ)し
公然(はれて)女夫(めおと)にならんとしたる
を。親類(しんるい)共(とも)に妨(さまたげ)られ目論見(もくろミ)
ちがひに巳之助ハ。去年(きよねん)
の暮(くれ)に陬防町(すハちやう)なる紅
屋の家に火(ひ)
を
放(はな)ち隣町(となりちやう)まで焼仏(やきはら)ひ。其後(そののち)お仲の方よ
りして心変(こころがハリ)のしたるをもて。巳の助大(おおい)に憤(いきどふ)りお仲を毒殺(どくさつ)して
くれんと。鮨(すし)にしこミし鼠取(ねづミとり)。地獄(ぢごく)おとしを喰(くわ)せたれバ。お仲をはじめ
其席(そのせき)に居合(をりあハ)せたる者どもが。忽地(たちまち)腹痛(ふくつう)吐逆(ときやく)して。大(おおい)に苦(くる)しミ
医(い)をまねき治薬(ぢやく)を需(もとむ)る騒動(さうどう)より。巳之助お仲を取(とり)
糺(ただ)せバ。良夫(ていしゆ)殺(ころ)しに。主殺し(しゆうごろ)。放火(ひつけ)。姦通(まをとこ)。堕胎(こをろし)まで。
数々(かづかづ)つもる
悪業(あくげう)を白状(はくぢやう)の
うへ捕縛(ほばく)につきしハ。
明治八年七月なり
小説の作者
転々堂主人記 "		

東京日々新聞 N097

東京日々新聞 千五十五号 [七]

不明 36×25

		
"五逆(ごぎやく)の罪(つみ)不孝(ふかう)より大なるハなしと爰(ここ)に安芸(あき)の国(くに)沼田郡(ぬまだごほり)楠木(くすき)村(むら)の
木挽職(こびきしよく)佐次郎の妻(つま)ハ容貌(ようぼう)見にくからざれど心(こころ)にとげある花茨(はないばら)を矯直(ためなほ)
さんと佐次郎が父柳平(りうへい)ハ折々(をりをり)に異見(いけん)
なせども馬耳東風(ばじとうふう)果(はて)ハ父(ちち)をも罵(ののし)れバ
柳平呆(あきれ)て佐次郎に離別(りべつ)
の事をすすめしかど艶(ゑん)な
る色(いろ)に心を奪(うば)はれ去(さる)
べき心あらざれバ柳平
之(これ)を苦(く)に病(や)みて重(おも)
き枕(まくら)に伏柴(ふししば)の凝(こる)ばかり
なる憂(うき)なやミ種々(しゆしゆ)
の医療(いりやう)も験(しるし)
なく遂(つい)に泉下(せんか)の客(きやく)と
なりしを彼(か)の女房(にようほう)
ハ一滴(いつてき)の涙(なみだ) 落(をと)さ
ず却(かへつ)て喜(よろこ)び
其後(そののち)母も病(やま)
ひに臥(ふせ)ども看(くわん)
病(ひやう)とても
等閑(なほざり)なり
しに或時背戸(せど)にて
よごれたる衣(きぬ)をそそぎて居(ゐ)
たりしに不思議(ふしぎ)や黒雲(こくうん)舞下(まひさが)り大(たい)
謁(かつ)一声(いつせい)叱(しか)つて曰(いは)く不孝(ふかう)の
女覚悟(かくご)せよイデ引(ひき)さらひ連(つれ)
ゆかんと聞(き)くに女は心も消(き)へアツト一声(ひとこえ)
叫びしまま悶絶(もんせつ)なして倒(たを)れしを良夫(をつと)佐次郎
怪(あや)しミて戸外に出(いづ)れバ思(おも)ひきや妻(つま)の気絶(きぜつ)に驚天(ぎやうてん)し医(い)を
呼迎(よびむか)へて薬(くすり)を与(あた)へ介抱(かいほう)なせバやうやうと我(われ)に返(かへ)りてありしを語(かた)り
夫(それ)より邪見(じやけん)の角(つの)折(を)れて優(やさ)しき者(もの)となりしとぞ "		

東京日々新聞 N098

東京日々新聞 千五十九号 [八]

不明 36×25

		
"白痴(ばか)につける薬(くすり)と等(ひと)し
くさて無(ない)ものハ風顛人(きちがひ)に。
のませる湯液(くすり)の袋井(ふくろゐ)と見(ミ)
附(つけ)の駅(しゆく)の間(あハひ)にて悴(せがれ)の旧敵(かたき)
おもひしれと切(きり)かけられしハ浜松(はままつ)
県(けん)に何某(なにがし)とよぶ士族(しぞく)の災難(さいなん)。うち
とつたるは大阪の米商人(こめあきうど)にて
根(もと)もなき。妄言(たわごと)はきて戸長
の宅(たく)へ。腥血(なまち)淋漓(したた)る散(さん)
髪(ばつ)の首級(くび)ひつ
さげて来りしハ。
狂病(きやうひやう) 俄然(にわか)に発(はつ)せしゆゑにて。治(ぢ)すべき
良薬(くすり)のあらざるを。憫然(あハれむ)べし又おそる
べし
東京木挽街第二坊に寓す稗宦
転々堂主人録 "		

東京日々新聞 N099

東京日々新聞 千六十号 [九]

不明 36.5×25

		
"三十(さんしう)振袖(ふりそで)四十島田(ししゆうしまだ)夫(そ)れにも
ましたる一奇話(いつきわ)ハ三千年(さんぜんねん)も若(わか)
かりし彼(か)の浦島(うらしま)に因(ちなミ)ある
神奈川県下(かながハけんか)小倉村(をぐらむら)に
素麺屋(そうめんや)源兵衛(げんへい)が養(よう)
母(ぼ)おたきハ今年(ことし)
八十七なれど
元来(もとより)浮気(うわき)
の性(さが)にして
今(いま)に
二上り三下り湯(ゆ)上り粧(よそを)ふ白粉(おしろい)の
恋(こい)にへだてはなきとても弥助(やすけ)と言(いへ)
る職人(しよくにん)といつしか露(つゆ)と寝(ね)たといふ
アレ寝(ね)ぬといふ風説(ふうせつ)が主人(あるじ)の耳(みみ)
に入(いり)しかバ世間(せけん)の口(くち)を留(とめ)んと
弥助(やすけ)へ暇(いとま)を遣(や)りしかバ夫より
おたきは恋煩(こひわづら)ひ明暮(あけくれ)弥助(やすけ)の噂(うわさ)のミ大声(ををこゑ)
揚(あげ)て言(い)ふ物(もの)から
狐(こり)憑の障碍(しようげ)
と家内一統(かないいつとう)
ここの御祈祷(ごきとう)
かしこの窺(うかが)ひ
されどしるしも
なき巳(のミ)ならず身(ミ)
体(うち)次第に衰(をとろ)へて
やや骸骨(がいこつ)の如(ごと)く
なりしと "		

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