日々新聞



日々新聞 N001

日々新聞 第六号

不明 28×19.5

		
"世の中に貧(ひん)程(ほど)つらき物はなしと爰(ここ)に
阪府東大組塩町一丁目に母と娘と二人
住居(すまひ)の者(もの)ありさせる稼(かせぎ)もあらず
して細き煙だに立かぬる
うち又さらに母は
病の床にふし娘ハとや
甘んからやせんと明暮
かなしむ折からに
母ハ去(さる)ル十二月二十七日の夜(よ)
にあハれむべし病苦(びやうく)を忍(しの)びて
家を抜出(ぬけいで)三休橋より身投して
死(し)せり娘は病人の居(お)らぬに驚(おどろ)きさがしもとめける内母の入水(じゆすい)の
由(よし)をきくやいなや其身(そのミ)も共に彼(かの)橋より飛入しに折ふし通りかかる
小舟の上に落(おち)けれバ船頭(せんどう)あつく介抱(かいほう)して命つつがなかりしといふ此(この)船頭ハ
権(ごん)兵衛とか云(いひ)し者なりと或(あ)る人の
語(かた)りしやう茲に記(しる)す"		

日々新聞 N002

日々新聞 第十一号

不明 28×19.5

		
"信州水田郡野尻(のじり)
駅(えき)木賃宿(きちんやど)某方(それがし)
にて仏事(ぶつじ)を営(いとな)みしに妻(つま)ハ
重筺(ぢうばこ)に強飯(こわめし)を詰(つ)め己(おの)が里(さと)方を
訪(と)んと着替(きかへ)などを一袱(ふろしき)に包(つつ)み隣家(きんじよ)の
女を雇(やと)ひ出行しが此日の夕方(ゆうかた)三人の男(おとこ)
此宿に一泊(とまり)を頼(たの)ミ夕飯(めし)の用意(ようい)ハあり此飯(めし)を握(にぎり)り焚(やい)て
呉(くれ)れよと重箱(ぢうばこ)を出(いだ)す是妻(これつま)の持行(もちゆき)し器(うつハ)なれバあやしき
事なりと三人を近所(きんじよ)の貰湯(もらひゆ)へ遣(や)り跡(あと)にて袱包(つつみ)を改(あらため)しに
正(まさ)しく妻の衣類(いるい)なれバ急(いそ)ぎ近隣(きんりん)打寄(うちよ)日此党(もの)を捕(とらへ)んと
するに一人ハ早く逃(にげ)て二人を取押(とりおさ)へ糾聞(きうもん)するに山沢(さんたく)に縛(しば)り置(おき)たりと
白状(はくじよう)す直(ただち)に其所(そのところ)を尋行(たづねゆき)しに哀成(あわれなる)かな二人の女ハ樹(き)下に赤裸(はだか)にて縛(くく)
られ疾(はや)く絶命(いきたへ)して腰(こし)より下ハ骨顕(ほねあらハ)れ肉(にく)なし是(これ) 狼(おほかミ)のために
喰取(くひとら)れ非業(ひごう)の死(し)を遂(とげ)たり此事長野県(ケん)へ
訴(うつたへ)出両賊(ふたり)ハ同県(どうけん)へ引渡(わた)されし
花源誌 "		

日々新聞 N003

日々新聞 第十四号

不明 28×21

		
"東京麻布宮川
町に久助といふ欲(よく)はり親父(おやし)
有(あ)りその娘におとみといへる
ハ親(をや)にも似(に)ぬ心も顔(かほ)も
美(うつく)しきによき鳥をかけん
と芝(しば)の丸山へ茶店を出(いだ)せしが
親の心も白銀辺(しらかねへん)に寄留(きりう)せし
元(もと)山口県(けん)の士族木田梅大郎といふ人今
巡査(じゆんさ)勤中折々の休暇(どんたく)に爰(ここ)に来り茶を
呑しか縁(ゑん)となりいつしか濃茶(こいちや)の中となりしを
親父(おやし)ハ知(し)りてやかましく云(い)へハ娘ハ死の
死(しな)ぬと古(ふる)い文句(もんく)に困果て
ぜひなく養子(ようし)に取(とり)なる
元よりこのまぬ聟なれ
ばり縁(えん)にされて梅大郎ハ
元の寄留(きりう)に帰(かへり)しが娘も跡(あと)を慕ひて抜出一と先(まず)浪門へと
横はまへ
走りしが
先(さき)へ親父
ハ廻りいて
娘をこつちへ
かへせばよしと判内
もどきの争(あらそ)へば終に
羅卒の眼(め)にとまり
双方説諭に娘ハ中々
聞入(ききい)れぬは是ハ爺の
欲(よく)の間違より
おこりし
ならんか
大水堂
猩昇誌 "		

日々新聞 N004

日々新聞 第十七号

不明 24×17

		
"麹町八丁目東京府士族(しぞく)河野
猛臣といふ人ハ糀町十三丁目に布沢某(それがし)
同居(どうきよ)加藤久次と至(いたつ)て懇意(こんい)兄弟(けうだい)の如(ごと)く
交(まじハ)り深(ふか)きに此河野我(われ)が眉毛(まゆげ)の薄(うす)きを
苦(く)にして墨(すミ)にて作(つく)るなどする一(ひと)くせ有る男なり
明治八年四月十四日の朝河野ハ加藤の家(かた)へ行(ゆ)き
いつも如く四方(よも)やまのはなしいろいろして居る内(うち)
折々妙(めう)な事をいふも兼(かね)
てのくせと加藤ハ合(あい)
手になつて居るう
ち河野がいふにハ残念(ざんねん)な
ことあり有(ある)る屋(や)しきの窓(まど)の
下(した)にて予(われ)が眉毛のうすきをバ
女中が笑(わら)ひしとくりかへしくりかへし
残念(ざんねん)がるを加藤ハ何も気(き)に
する事でハないと云ふ内坐敷(ざしき)に
ある刀を一見(いつけん)したしといふゆえ何
けなく河野へわたせばさらりと
抜(ぬい)て加藤を切付け大袈裟(けさ)に一太刀(たち)
あびせ倒(たを)れる処を又
二太刀切付る不意(ふい)を
討(うた)れ加藤ハ其場で死(し)にいたる直(すぐ)に召(めし)とられました"		

日々新聞 N005

日々新聞 第二十三号

不明 24×17

		
"大阪府下道頓堀なる川竹に洗ひ上げ
たる世渡りハぎりと意気地を立通その妓
のうへに限(かぎ)るべし爰(ここ)に三人を算(かぞ)へたるハ早く文明
の時に通(つう)し日々の新聞を見(ミ)て心を慰め
坐敷(ざしき)の秒(せこんど) 透間(すきま)なく誓て曰成「トウモ新聞
紙をよまぬと人情おくるるやうダヨ」つう「そうサ
まことに良(よい)ことをすすめわるいことを懲(こら)す
ハこれにかぎりますヨ」久「このせつ流行(りうこう)の新聞
錦画(にしきゑ)もよく心情(しやう)にかなひてきれいダヨと」世事
深情(しんじう)の美談(びだん)をなすも色(いろ)の諸訳(しよわけ)の勉強に
南枝(なんし)の花数また日々(にちにち)に盛(さかん)なり
たしなみし
こころに涼し
薄化粧
花源堂 "		

日々新聞 N006

日々新聞 第二十八号

不明 25×18.5

		
"東京内藤新宿の内藤久四郎が娘(むすめ)のおまつの
養子(よう)太三郎ハ放蕩者(ほうとうもの)ゆへ離縁(りゑん)せしを恨(うら)ミ久四郎が
世渡(よわた)り塩釜明神(しほがまめうじん)の贋(にせ)御札(ふだ)を売る事を蔭(かげ)
より訴(うつたへ)へ出しけり久四郎親子召(めさ)れて御捌(さば)きも
無程(ほどなく)相済(すミ)て後(のち)おまつハ新宿の若荷屋(めうがや)にて
娼妓(ぢよろう)となりしをふいと
太三郎と名染(なじみ)て再(ふたた)び
結(むす)ぶ悪縁(あくゑん)ハ日毎(ひごと)に
深(ふか)き泥(どろ)水の死(しぬ)ると迄(まで)
に云(いい)かわしおまつの心を引(ひ)
かんため太三郎ハ明治八年四月二十六日
の夜二人連立(つれだ)ち天竜寺の境内へ行
太三郎もくろみてお松にいふ身の置(おき)所
なきゆへに我ハ爰(ここ)にて死(し)ぬべしと刃物(はもの)を
出し玉子 (から)に仕掛(しかけ)し紅(べに)を腹(はら)に染(そ)め腹切(はらき)る
体(てい)の苦(くる)しげなるをお松ハ誠(まこと)と思ひ親(おや)を苦(くる)しめし奴(やつ)なれバと有合(ありあふ)手拭(てぬぐい)にて
太三郎の喉(のど)を〆れハ忽(たちま)ち男ハ死にたる是ぞ塩釜明神に贋(にせ)を
誓(ちかひ)し報(むくひ)なるか其手拭より事顕(あらハ)れお松直(ただち)に召(めし) 補(とられ)たり
花源記 "		

日々新聞 N007

日々新聞(空寝入を...)

不明 25.5×18

		
"空寝入(そらねいり)を狸(たぬき)といひ年増(としま)
女郎(をんな)を古狸(ふるたぬき)といふ
是等(これら)ハ
さらに世(よ)に害(がい)なけねどぬくぬく饅頭(まんちう)と化(ばけ)て重兵ヱ(ぢうべい)に犬(いぬ)の
屎(くそ)をつかませバツチヨ笠(かさ)に化(ばけ)て雨夜(よ)に往来(ゆきき)を妨(さまたげ)るなぞ
害ありとこそいはめ八疂敷(ちようしき)の睾丸(きんたま)ハ風説(うわさ)に聞(きけ)ども
実況(じつきやう)を見す長(なが)サ六尺の大狸(おほたぬき)ハ雑話(はなし)に
さへも聞(きか)ざれども新聞紙上(しんぶんしじやう)に目(め)の前(まへ)に
見るソノ大狸を殺(ころ)せしハ当三月の
二十八日東京第三大区二小区の
麹町(かうじまち)
にて巡査(じゆんさ)
なる原(はら)
正則(まさのり)といふ
人の見廻(まは)る
向(むか)ふにカノ
怪物(くわいふつ)ランプ
を置(おき)て伺(うかが)ひ
居れバラン
フの傍(そバ)に
歩(あゆ)ミ寄(よ)り
油を舐(なめ)ん
とする処
正則得たりと
官棒(くわんぼう)にてカノ大狸打(うち)ころせり方今(いま)
世の中の野蛮(ばかなる)人狐狸を尊崇(そんそう)する惑(まどひ)を
解(と)かんとここに画(ぐわ)すなり
文福社中の狸親父九化野郎述 "		

日々新聞 N008

日々新聞(大阪府下...)

不明 25×18

		
"大阪府下浦江村方(かた)の小使(づかひ)寿造(ぢうぞう)が家に明治七年夏の頃(ころ)
有夜(あるよ)強盗(ごうどう)二人押(おし)入り寿造をとらへて村中有財(ゆうざい)の家に案(あん)
内(ない)せよと罵(ののし)るに寿造手早(てはや)く藻切鎌(もきりかま)を携(たずさへ)るを見て
凶賊(けうそく) 忽(たちま)ち白刃(しらは)を翻(ひらめ)かし切付るを女房(によぼう)ゆきハ夫(おつと)を
助(たす)んとあせるに甲斐(かひ)も情(なさけ)なく夫ハ四十年(いそじ)を一期(ご)として
空(むな)しく一命(めい)を果(はた)したり倅由松弟(おとと)を連(つ)れ村内
人家(しんか)戸長(こちやう)の宅(いへ)迄(まで)加勢(かせい)を触(ふれ)るに
多人数(おおにんずう)馳(は)せ寄(よ)る間(ま)に賊(ぞく)ハ逃伸(にげのび)
門辺(かどべ)に倒(たを)るる妻(つま)のゆきハ最前(さいぜん)
戸口に固(かた)めし一賊(ぞく)に鉄砲(てつほう)をもて
腹(はら)を撃(うた)れたるよし語(かたり)も果(はて)ず
息(いき)絶(たへ)たり寿(ながきいのち)もゆきと消(き)へ夫婦(ふうふ)
連(つ)れなる死出(しで)三途(づ)血(ち)で血を洗(あら)ふ
凶賊ハ天網(てんこう)免(のが)るる事叶(かな)はず間も
なく捕縛(ほばく)せられ斬罪(ざんざい)に処(しよ)せらる
花源誌 "		

日々新聞 N009

日々新聞(文明の...)

不明 28×19

		
"文明の徳沢(とくたく)たるや。区々(ここ)に小(せう)
学(がく)を建築(けんちく)して。人財(にんざい)を養(やしな)い
開化(かいくハ)の仁恵(じんゑい)たるや。各(かく)府県に
病院(びやういん)を設立(せつりう)して健康(けんこう)を
保(ほ)す。方今(いまや)西京上十
二区に。一院をしつらひ
病者を助けんとの
くハだてから。砂持をなせしハ。明治八年
四月五日より晴天十日にして。区々の人数
材おとらじの花美(はなやか)ハ都ぞ春の錦を
着(き)錺り。各町(かくまちまち)の目印のだしハ八坂(ぎをん)
神事(まつり)の山鉾(やまほこ)にさも似たり
中にも一層。見事なり
しハ。下京の
第三区
第四区たり猶近日豊国
神社の砂持ありと是も
定めて。賑になるべし
浪花四橋■民
猩々堂九化 "		

日々新聞 N010

日々新聞(○内田利之助...)

不明 23×17

		
"○内田利之助といふハ去(さ)る人の家臣(かしん)
にして忠勇無双(ちうゆうぶそう)の士(し)なりしが閣老(かくらう)安藤
対馬守ニ意赴(いしう)ある訳(わけ)あれバ同志(どうし)
の武士四五人相かたらひ江府城辺
坂下といふ処ニ其下城(げじやう)を待受(まちう)け
彼(かの)外桜田の水府浪人ニ習(なら)ひ又々
一同安藤の主従の中へ討込(うちこミ)いづれも
憤勇(ふんゆう)突戦(とつせん)尽力(じんりよく)して相働きし処安藤ハ
痍負(きずおひ)しか共(とも) 邸(やしき)へ逃(にげ)入たり利之助ハ其後
名乗(なのり)出て屠腹(せつぷく)せしとかや是を此度
嵐璃笑若太夫の
芝居ニて相勤(あいつと)
むるも又ともに
新芸(しんげい)の誉(ほま)れ
をバ世ニ残(のこ)す
俳優(はいゆう)の
功績(いさをし)
なるべし "		

日々新聞 N011

日々新聞(しら菊の...)

不明 24×17.5

		
"しら菊(きく)の眼(め)に立(たて)て見(ミ)る塵(ちり)もなしと翁(おきな)が秀句(しうく)
せられしごとくさても美(うつく)しき其(その)風情(ふぜい)時(とき)しも
頃は如月の二十九日の事(こと)なりし山形(やまがた)懸下(けんか)
旅篭(はたこ)町浦宿(うらしゆく) 柏屋(かしわや)義八が家(いえ)に新庄(しんしやう)
在(さい)より泊(とま)り客ありて夜(よ)る二時頃(にじごろ)まで
物語して居(ゐ)たる折(おり)ふし障子(せうし)の外面(そとも)
よりさも艶(うるわ)しき声(こへ)
を出(いだ)し清吉(せいきち)さんと
呼者あり新庄(しんじやう)の
者(もの)は猟師(りやうし)ニて清吉(せいきち)と
いふ者なれば其(その)声(こへ)を聞(きく)
コハ人間(にんげん)ならず定(さだ)めて狐(こ)
狸(り)の業(わざ)ならんと彼(かの)障子(せうじ)
をわるやいな娘(むすめ)と見(ミ)せし
古狐を煙管(きせる)を以(もつ)て打殺(うちころ)し
屍を庁(ちよう)へ出(いだ)せしと"		

日々新聞 N012

日々

不明 25.5×18.5

		
"大阪新町二丁目板倉
喜兵ヱトいふ者雲州松江旅店
に逗留(とうりう)せしが日々飲食(のミくらひ)ト芸(あそ)
妓(び)・奢侈(おごり)を極メ千金遣(つかふ)事湯
水の如しされど楮幣(さつ)を用ひる事なく
只金貨(しゆうきん)のミつかひたるはうたがハし事と
見る目ニかぐられ或夜(あるよ)
捕縛(ほばく)せられ糺問(きうもん)
せらるるに件金(けんきん)ハ
明治七年九月大坂
三井ノ金庫(かなくら)毀(こぼ)ち
二万七千円盗(ぬす)ミ取(とり)たる
大盗(ぬす)人成(なり)とハ報知新聞ニ
つまびらかなり "		

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