大阪錦画日々新聞紙



大阪錦画日々新聞紙 N001

大阪錦画日々新聞紙 第六号

不明 24×17.5

		
"明治七年十二月滋賀県下北大二区小学教員藤田庸中ハ酒楼(さかや)に独楽(どくらく)し五音(ごいん)五体(たい)も
泥々(どろどろ)に廻る車に補(たす)けのせられ新町通りへかかる折り美(うつく)しげなる女子一人車を
除(よ)ける粧(よそお)ひを見るより庸中うつつ
をぬかし車上(くるま)をとびおり
まだ室咲(むらさき)の蕾(つぼミ)さへ綻(ほこ)
びかねる風骨(ふうこつ)を一ト枝
折て活(いけ)ばやと袖と裾(すそ)とに
たわむれて花をいためる鬼蔦(おにつた)の這(は)い
まハわるに女子ハ騒(さわ)ぎとらへし袖をふり切て
雪(ゆき)散乱(さんらん)と逃(にげ)うせるを翁の秀句ならねども
さらば転(ころ)ばん所(とこ)までとさまよふ有様警察官ニ
見とがめられ局へ牽(ひか)れし振舞(ふるまひ)ハしるも白日(はくじつ)くら
やみの学者の嗅名(しうめい) 歎(たんじ)ヲ以テ恥(はづ)ツ可(べ)けんやと
報知五百五十五号笑話ス
文花山人述"		

大阪錦画日々新聞紙 N002

大阪錦画日々新聞紙 第二十四号

不明 24×17.5

		
"明治八年五月十八日東京芝西応寺町
尾張や勝五郎に身をよせる人力車曳の
時次郎といふハ高輪辺にあり
頃損料(そんりやう)
ふとんをかり
ながらかへ
さぬ催促(さいそく)
日々きびしく
既に高輪へつれ
ゆかれ起す短気(たんき)の損料や
時次郎を縄(なハ)にしばり打擲(てうちや)なして追放(おいはな)されその面目(めんぼく)に
芝将監ばしより身を投(なげ)んとせし折もおり時次郎巡査(おまわり)に助けられし
其原籍(もと)を糺してミれバ甲州より出たる女にて男姿となりわひに
厩(うまや)の飼士喧嘩(けんくハ)の先だち芸妓(げいしや)の筥まで廻わしまわつた七ヶ年妙な女と
云ながら女が男の姿となり男が女と身をやつすなど外に悪いことがなふ
てもお巡査につれてゆかれますふれた事ハこころへたしと読うり百六号ニ出"		

大阪錦画日々新聞紙 N003

大阪錦画日々新聞紙 第二十八号

不明 24×17

		
"明治八年第二月の頃(ころ)なりしが心斎ばし
北詰に丹波屋和助が娘(むすめ)のいとハやうやう今年(ことし)十七才の
春(はる)風に登(のぼ)りかねたかのぼされたか凧(いか)な
事かハ知(し)らねども細(ほそ)き心のもつれ糸(いと)
思ひ切(き)りなん肥後ばしより入水(ミなげ)を
なせしが夫(それ)が隣家(りんか)にも末吉(すへよし)が
娘りうといへるハ親(おや)ごの名
にも似(に)もつかず是(これ)も本年(ことし)
十八才かねて糸とハしたし
かりしが同(おな)じ流(ながれ)の川端(ばた)より
身を投捨(なげすて)けり二人が死骸(しがい)ハ木津川の
勘助島にかかりしを捜(さが)しあたりて埋葬(まいそう)ハ
済(すミ)なりしがすまぬハ双方(ふたり)の親(おや)心アア重(おも)き
命を軽々(かるがる)と捨(すて)るハ不孝(ふこう)の罪(つミ)とやいはん
大水堂 狸昇誌"		

大阪錦画日々新聞紙 N004

大阪錦画 第二十八号

不明

		
"東京府下横田村の
竹次郎が女房おきくハ岸村
なる岡野喜太郎と悪いことし
夫婦になりたい囁(ささやく)はなしが男
の耳に入つたけれど空ふく風と穏(おだやか)に
節(ふし)もつけずに竹二郎ハきれい
づくて喜太郎やり祝言(しうげん)の日も
手傳て末兄弟の付合ひと其身ハ
後妻をむかえたる其当日ハまた喜
太郎夫婦が世話に来ていく代ことぶく
老松の酒酣(たけな)ハにおよびしに喜太郎竹二郎ニ
むかひ女房をとられ悔(くや)しくないかと
雑言(ぞうごん)次第つのるほどに
其場ハ品よく祝ひ済し
明治八年五月二十六日の夜喜太郎が内へ忍び入りおきかかるに
より喜太郎へ白刃あびせる竹二郎逃る所を又一太刀かへす刀に
おきくへ切
込ミ二人り殺(ころ)し
て我が腹を其場で
切り流るる血汐三ツせ川
三人命を失ひしハ元是おきく
が淫乱不埒(いんらんふらち)女の慎(つつし)ミ第一なる
ハ読うり百十六号ニ
厳戒(いましめ)せり"		

大阪錦画日々新聞紙 N005,N006

大阪錦画日々新聞紙 第二十九号

不明 25×17

		
"明治八年四月三十日邏卒(らそつ)井上徳三郎ハ西成三区上福島村を巡邏(じゆんら)
する時二人の童子(こども)木梃(きぎれ)の先(さき)を鋭(するど)くし地に投(な)げて刺(さ)し勝負を
決(けつ)す互(たがひ)に争(あらそ)ひ挑(いど)ミけるに近付き示(しめ)さんとせしに早く二童(ふたり)逃(にげ)て
其家に帰るを慕(した)ひけるに同村安藤佐七が倅(せがれ)米吉三木松なる
親へ説諭(せつゆ)して最早(もはや)八才五才の童子入学(にうがく)の年頃なるに
遊戯(ゆうげい)に耽(ふけ)らしむるハよろしからずと述(のぶ)るに家困究(こんきう)にて
学校(かつこう)入費(にうひ)行届かずとこたへけるを井上不便(ふびん)に
思ひ二児(ふたり)を同村事務
所へ連(つれ)ゆき自(ミづか)ら金一円
差出し入校(にうこう)の筆墨紙を
与(あた)へ後(のち)に戸長より五十銭戻り
学(がく)に導(ミちびき)せしに親の歓喜(よろこび)少からず
巡卒(じゆんそつ)の深志(こころざし)天意に叶ひ人民保護(ほご)の
有様(こと)なりと実(じつ)に感賞(かんしよう)すべきなりと
報知六百五十五号にのせたり"		

大阪錦画日々新聞紙 N007

大阪錦画日々 第三十四号

不明

		
"東京小石川富坂町馬具や熊五郎が女房ハ三河町の辰五郎といふものと密通(ミつつう)をして家を
逃出し越前ぼりの姉の家へ行しを熊五良が聞て湯島辺にて男をうる常政にたのミ
引戻さんと非(ひ)を理(り)にまげる言葉にふくし女ハ思ひなをし跡より常政か家へ来て心得
違(ちがひ)を侘(わび)る所へ三河町の辰五良が
来るより早く此女を
おのれが勝手に
すると無法(むほう)の
一言常政に
さしこまれ巡査(おまわり)に引かれ
罰金(ばつきん)取られさり其後常政と同道し女房を
熊五郎へわたしけるに母(はは)と中があわぬから女房のいふにハ
母上(かかさん)の気に入らぬわたし根岸の里の岡の助といわれたわたしを
受出したお金の冥加とこんどのまちがひ再び稼(かせ)ぎ言訳(いいわけ)せんと
中山道深谷宿へ三十ふり袖(そで)四十円その身の代をおつとへわけ
年があきなバすへ
長くとわびして家を
出てゆく
わるい心を改
めしハ是肝(かん)
要(よう)の一くだりハ
読売
八十二号ニ
出たり"		

大阪錦画日々新聞紙 N008

大阪錦画日々新聞紙 第三十七号

不明 24.5×17.5

		
"大阪府下釣かね町
産毛(うぶけ)抜(ぬ)き業(ぎやう)岩田
ゑいといふ者貰(もら)ひ
娘のはると呼ぶ年も
ようよう十六の名の春ならぬ
極寒(ごくかん)の川風さむき車堀
ひびの手先に洗(せん)だくのまだ垢(あか)ぬけのせぬ者を
万事につけて責(せめ)つかい手もぬくもらぬ荒稼(あらかせ)ぎ隣家(りんか)の
人もあハれみしが明治八年第五月十九日夜少しのことに春を呵(しか)り今より
内を出て行べしといへば娘ハ身のふつつかを侘(わび)しもきかず益々怒(いか)り毛抜(けぬき)で身をバ
挟まるる継(まま)子つめりに泣々も彼の世に至らん思ひきり天満ばしより
身を投(なげ)しハあわれ此世を仮(か)りの親鬼女(きじよ)にもまさる邪心(じやしん)の仕(し)
こなし其身に
報(むく)ふハ現然(げんぜん)たるハ
報知六百八十四号ニ出ル
狸昇記"		

大阪錦画日々新聞紙 N009

大阪錦画日々新聞紙 第三十九号

不明 25.5×18

		
"越後国長岡表町通り木野や金一郎の手代新次郎ハ主用にて東京へ
発足(ほつそく)せしハ明治八年四月二十二日其日に元長岡藩(はん)の渡辺敬太良
に出合ひ以前皃(かほ)見知(ミし)りたるゆゑ
道連となり浅貝宿の米や
へ同(とう)宿して二十五日の
朝の雪にて空(むな)しく
逗留せし
ほどに新次郎が
所持せし銀側(かハ)の時計十二と金八十四円外に
衣類を盗ミ取脱走(だつそう)せしに新次郎ハ商先(しりあい)の世話にて
東京へ着(つ)きたり此渡辺といふものハ長岡の牢(ろう)をやぶり
上役人の着類を盗み逃亡なせし族(もの)にて
兇悪つもる
大雪に跡のつい
たる足がたハ天の網目に橇(かんじき)
のもつるる罪料(ざいくハ)ハ遠
からぬ内と
読うり
九十三号に記"		

大阪錦画日々新聞紙 N010

大阪錦画日々新聞紙 第四十二号

不明 25×18

		
"東京南品川宿五丁目蒸気船水夫(かこ)田中市五郎ハ明治七年二月より
女房を置去り家出して丸一年と四カ月あまり幸さきわるき
鼬(いたち)の経(みち)切り暮(くら)しに尽(つき)て女房ハおつとの同職(しよく)何某と
心に染(そ)まぬ親(した)しみにようよう凌(しの)ぎいたりしに
今年五月の末の頃おつとハ近くへ
廻戻(まいもど)り家の様子を委しく
きき焼つけもせぬ気の石炭
我から炎(ほのう)を倍(ばい)にして轟(とど)ろく
胸(むね)の早車張(はり)さく筒(つつ)先内へ入
女房が首筋引おさへそぞ
ろに始末を礼(ただ)すや
いな口へ捻藁(ねじわら)ほうばら
せ火箸(はし)をやきてここかしこ手足五体(たい)に押
当てる半死半生火宅の責苦非道を
たどる恋の鬼跡くらませし事を
うらミ
母と女房が廰へ訴へ直に
市五郎ハ召とられ昨今
御吟味中なりと報知六百八十五号
ニ出せり
文花堂誌 "		

大阪錦画日々新聞紙 N011

大阪錦画日々新聞紙 第五十五号

不明 24.5×17

		
"土佐国第
八区北新町の川漆
兼吉ハ明治八年三月四日の暁
枕(まくら)を放(はな)れんとせし傍(かたへ)の障子(せうじ)
まだねむた目の細目に明(あ)き
たるを何故と訝(いぶか)る折しも
三人りの賊(ぞく)二階の梯子(はしご)を
のぼる所すはやと起(おき)て引捕(とら)
へんと取てかかるに三人ハ梯子を
転(ころ)び下りるに二人ハ逃去り一人を
取り押へたるに忽(たちま)ち白刃(は)兼吉の体(からだ)に浴(あび)せにげのびんとせしに手疵(きづ)を
屈(くつ)せず追詰組伏せ終(つゐ)に近傍(あたり)の加勢と共に兼吉が手に捕(とら)ハれし
兇賊(とうぞく)ハ予州松山の産住吉亀吉といい十八才斗りにて古郷(こけう)を捨る放蕩(どうらく)ハ
その松山の末(すへ)知らず裁(さ)ても流浪(るろう)の夜稼(かせぎ)に此脱刀(だつとう)ハ此家の一腰金若干を取りながら再ひ遺珠(のこり)をさぐらんと来たる
場合に此至体(しだら)三賊に向ひ刀傷(きづ)も顧(かへり)みぬ兼吉が剛気(ごうき)ハ高知新聞四十一号最(もつと)も非凡(ひぼん)と賞ずへし
文花堂誌"		

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