大阪日々新聞紙



大阪日々新聞紙 N001

大阪日々新聞紙 第二号

不明 29×19.5

		
"高砂町某の娘おのぶハ今年十一才にて学問に心を
とめ越後柏崎のはたごや相沢彦兵ヱ方に逗留(とうりう)
し古郷の両親と学門の師匠(ししやう)の写真(しやしん)と手紙
にそへて来るをよろこび守(まも)り居しに此宿の近辺より
出火しすでに類焼(るいしやう)するに及(およ)んで皆々にげ出たるにに此
娘おさなき身にて火中へとび込ミ彼(か)の写真手がみを
取出せしハ実に至孝(しかう)火中を貫(つらぬ)き余の童蒙(こども)ニ示(しめ)しの
亀鑑(てほん)と感(かん)ぜぬ人ハなし
文花堂誌"		

大阪日々新聞紙 N002

大阪日々新聞紙 第三号

不明 28×19.5

		
"大阪府下谷町通二丁目なる佐藤友吉ハ
其日暮(くらし)の人力(じんりき)を横(よこ)へは行(ゆ)かぬ真直(まつすぐ)な気質(きしつ)も
車の廻(まハり)かねて思わぬ病気に光陰(ひ)を送り心細道(ほそみち)
あとへ引く辛苦(しんく)の重荷(おもに)を娘(むすめ)のおつりが親(おや)に
かわりて恥(はじ)らわず往来(ゆきき)の人をハイ頼(たの)む足(あし)
弱車(よわくるま)の荒稼(あらかせ)ぎを初ハ女(おんな)に人力と不(ふ)
審儀(しぎ)に尋(たつぬ)る人もありしに
此こと次第(しだい)に世に触(ふれ)て
反甫(はんぼ)の孝(こう)の子(こ)烏(からす)
をカカアハ草葉(くさば)
の小陰(こかげ)から啼(なく)らん
物ととりどりに感(かん)ぜぬ
人ハなかりけり
つぼみから
泥を脱(ぬ)ぎケり
道の花
花源誌"		

大阪日々新聞紙 N003

大阪日々新聞紙 第四号

不明 28×19

		
"開化(かいくわ)ますます盛(さか)んにして
万民常闇(とこやミ)の長夢(ちやうむ)を覚(さま)す
爰に明治八年四月塩町通三丁目
柏原屋平兵ヱハ世々書籍(しよさく)
繁商(しようバい)よく人のしる所にして
万本(ばんほん)鬻(ひさ)ぐが中に店
先に地球議(ちきうぎ)を出(いだ)
せり或日一童子(どうじ)
親の杖を助け(たす)け此門に
佇(たたず)ミ童子地球義を指(ゆび)ざし其ゆへを問ふ父ハ其ゆへを
答(こたふ)ることあたハず童子(どうじ)細々(こまごま)大世界を導(みちび)き日月星辰(せいしん)
度数寒暖(どすうかんだん)に至る迄親に懇諭深切(こんゆしんせつ)なること感(かん)にたへたり
名を尋る内忽然(こつぜん)と立去る実に文明の時至り億兆(おくてう)の
民(たみ)見微鏡(けんびきやう)の究理(きうり)にかけて
知識(ものしり)賢才(かしこき)の徒(もの) 顕(あらハ)れ抽(ぬきん)で
勉強(べんきやう)おこたらず博(ひろ)く世界の
一員(ひとひと)となるハ此時にあらずや"		

大阪日々新聞紙 N004

大阪日々新聞紙 第五号

不明 24×17.5

		
"東京の相撲(すもふ)取綾瀬川の弟子(でし)玉手海ハ明治八亥二月二十二日
の大雪に両国橋を通りかかりけると六十年余りの
老人が四十八手の外ながら両手を合せ川中へとび込
んとす土俵ぎハ是ハと云つつ玉手海シつ
カリ押(おさ)へた力足におどろきてどふぞ
其手を放(はな)して下されと
おがめバさすが男気に
私ハ是でも角力とり
人の死(しぬ)のを見流して
済ものかと様子(ようす)を
たんだん尋しが誠に
恥(はづか)しい事ながら
今日食ふことも出
来ぬものどふぞ死(しな)
なせて下されと聞(きき)て
不便(ふびん)と持合せたる金をやり
彼(か)の老人に諭(さと)せしハ実(じつ)に助(たすけ)けた
かひな反(そ)り老の嘆(なげき)が
おひ投けを鴫(しぎ)の羽
がへしくりかへし云々(のみ)
諭(さと)したるに根を
おく人ごとに
唐(たう)■■■を
あげ誉(ほま)れと
なん
大水堂狸昇 誌 "		

大阪日々新聞紙 N005

大阪日々新聞紙 第九号

不明 24×17

		
"大阪鰻谷佐野屋橋に住る柴田大講義某の孫し太郎ハ
当年三歳七ヶ月にしてよく書をよミ文字をかき説教(せつきよう)
をなすまた哥を詠す
一月二十一日の朝雪のふりけれは
朝はやくおきて日の出をおかみにゆけハ日の影は
見る事もなく
此哥おのつから旋頭哥(せどうか)の調(しらべ)となりけり
お祖父さま雪のふるのにさむからむはやく帰りの
またれぬるかな
小児の詞(ことば)なれバ雅味(がミ)ハなしといへ
とも実に稀代(きだい)の才児(さいじ)
古来いまだ聞かず奇童(きどう)なること
新聞二百九十三号に見へ
たり"		

大阪日々新聞紙 N006

大阪日々新聞紙 第十八号

不明 24×17

		
"大阪府下西成区難波村荒井栄次郎ハ人力車曳業(ひきぎよう)なるが明治七年十二月十二日夜
一時の頃強賊(とうぞく)一人戸口の鎖(じよう)を捻截(ねぢき)る音に驚(おどろ)き覚(さめ)て
戸口に身を潜(ひそ)め居けるに盗賊すでに
押(おし)入しを今年二十八才の若者なれバ盗(ぞく)の
脊(せな)より無頭(むづ)と組(く)ミ
上を下へと車かへし前
びきあと押(お)し母衣(ほろ)だたみ
盗(ぞく)の白刃(は)に疵(きづ)をうけあやふき所を女房が
かの曲者(くせもの)の腕(うで)に噛(かミ)つき刀もぎとり二人にて
賊をおさへて高声(たかこへ)に来けたる巡卒(じゆんら)中山景之高尾貞造
が夫婦を助け賊ハ搦(からめ)め取たりける栄治が勇も
さることながら婦人の謄気(きも)ハ世に得(え)がたく夫の危急(ききう)
救(すく)ひし貞節(ていせつ)報知五百二十九号二其美(び)を賞(しよう)す
 文花堂誌"		

大阪日々新聞紙 N007

大阪日々新聞紙

不明 24.5×17

		
"大阪府下船越町に接骨(ほねつぎ)を業(ぎよう)とする松本
あいと号(いふ)一婦人(おんな)あり心に柔術(やわら)のたしなミ
あれど二十六年にて容貌(ようぼう)美なるに
其勇かくるる明治八年第一月
の初近傍(きんじよ)の女子一人を
連立(つれた)ち長柄堤(ながらつつミ)を
通るに川風寒(さむ)き黄(ゆふ)
昏(ぐれ)に四人の荒男(あらおとこ) 跳(おど)りかかり二女をとらへて
戯(たハむる)るにはじめハ弱(よわ)く云のがれしに不作法(ぶさほう)次第(しだい)に
強(つよ)うなり二人を倒(こか)し上へ乗(のり)かかる有さま松本あいハ最(も)
早免して置べきかと四人の男を一人にて馴(はね)のけ蹴散(けちら)し
手練(しゆれん)の早業川へざんぶと投(なぐ)るもあり悪党(わるもの)ハこれに
恐れ皆々(ミなミな)是ハと一同に跡(あと)白浪(しらなミ)の川岸(ぎし)を灰(はい)まく如く
逃散(にげちり)たり元此いかなる人の果(はて)やらん父の剣法柔術(けんはうゆうじゅつ)に定めて名を
得し人柱も長柄の橋のあと絶(たへ)て娘の勇気(ゆうき)が匡(かたミ)かと感(かん)ぜぬ
人ハなかりケり
花源堂誌"		

大阪日々新聞紙 N008

大阪日々新聞

不明 25×18.5

		
"米相庭師(こめそうばし)のならいとて
夢(ゆめ)を信(しん)じ占(うらない)を頼(たの)み霊有(れいある)
といへば鰯(いわし)の頭(かしら)を拝(はい)す爰(ここ)ニ
舩場辺(へん)の人仕合せ悪(あ)しく
堂島より帰(かへ)る後(うしろ)ろより二十
七八の女声(こへ)かけて君(あなた)に一(ひとつ)の願有(ねがひあり)
我(われ)ハ狸(たぬき)にて候が二疋の子狸(たぬき)
を取(とら)れ溝(ミぞ)の側(かハ)の医師(いし)にて
生肝(いきぎも)を薬(くすり)にせんとす哀(あわれ)
命(いのち)を助給(たすけたまハ)らバ君(きミ)の望(のぞ)み蔭(かげ)より
遂(とげ)しめんといふに男ハ此事請(うけ)がひ立別(たちわか)れ次(つぎ)の日医者(いしゃ)を訪(と)ひ価(あたへ)七十円(ゑん)に
買取り東馬場(ばんば)と聞(きき)し所へ持行(もちゆ)き親(おや)ノウノウと呼(よ)べども来(きた)らぬゆへに
子狸(こたぬき)を放(はな)し帰路(かへり)に医師(いし)の門(かど)を見れバ戸閉(とざし)て誰(だれ)も居(い)ぬ所から初て心に
当(あた)り隣家(りんか)で様子(ようす)を尋(たづ)ぬれば急(きう)に転居(やどがへ)なせしといふにカノ狸(たぬき)より
睾丸(きんたま)の釣上(つりあが)りたる大損(だいぞん)ハ大欲(よく)却て無慾(むよく)とハ是等(これら)の説(こと)を
いふ成べし
大水堂狸昇記"		

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