政争



政争 N001

大坂卯年図

慶長20年(1615) 41.5×29.5

		
"大坂卯年図
{上段}ふくしま
ひんこ
北
わかさのかミ
もりくち
たんこしゆう
{中段}なかつ
てんま
むさししゆう
松平しもおさ
井いかもん
はしハちくせん
ゑちぜん少将
御はたもと
宰相様
ほん田いつも
ほんたみののかミ
とうたういつミ
ちやうす山
天王寺
松平かつさのかミ
まさむね
すみよし
みかわしゆう
いけたむさし
もりうこん
かとうさま
ほりを■
有馬けんに
せきなかと
いけ田備中
なか川ないせん
{大坂城内}山さと
{下段}御はたもと
中将様
きのくにしゆう
南"		

政争 N002

大坂卯年図

慶長20年(1615) 47.5×34

		
"■坂卯年図
{上段}ふくしまひんこ
北
わかさのかミ
もり
たん■
{中段}なかつ
てんま
むさししゆう
松平し■おさ
井いかもん
はしハちくせん
ゑちぜん少将
御はたもと
宰相様
ほん田いつも
ほんたみののかミ
とうたういつミ
ちやうす山
天王寺
松平かつさのかミ
まさむね
すみよし
みかわしゅう
いけたむさし
もりうこん
かとうさま
ほり■
せきなかと
いけ田備中
なか川ないせん
{大坂城内}山さと
{下段}御はたもと
中将様
きのくにしゆう
南
{奥}是は慶長二十年乙卯五月大坂の落いれるかたちを絵かきて其頃売あるきし物なるべし
元和古写本の表紙の裡より見出しひめおけるを広く好古の人々に見せんとして
桜木にちりばめはべりぬ 于時文化十一甲戍のとし 田口蔵 "		

政争 N003

大坂卯年図

慶長20年(1615) 45.5×33.5

		
"大坂卯年図
{上段}ふくしまひんこ
北
わかさのかミ
もりくち
たんこしゆう
{中段}なかつ
てんま
むさししゆう
松平しもおさ
井いかもん
はしハちくせん
ゑちぜん少将
御はたもと
宰相様
ほん田いつも
ほんたみののかミ
とうたういつミ
ちやうす山
天王寺
松平かつさのかミ
まさむね
すみよし
みかわしゅう
いけたむさし
もりうこん
かとうさま
ほりを■
有馬けんに
せきなかと
いけ田備中
なか川ないせん
{大坂城内}山さと
{下段}御はたもと
中将様
きのくにしゆう
南"		

政争 N004

大坂安部之合戦之図

元和1年(1615) 42.5×31.5

		
"{肉筆}大坂落城■■番付
安部之合戦之画図
摂戦之番付
大坂安部之合戦之図
{上段 大坂城内}秀頼様
御袋様
大蔵卿
同召使六人
右京大夫
三位
大野修理
同 信濃
はやと いつミ
津川左近
いとうむさし
もりなかと
竹部子
大い原八蔵
同 三十郎
藤四郎
かん長老
■■■う
かミ
北
あかしかもん
大野たうけん
{中段}まきの島けんた
千石ふせん
大野しゆり
大野しゆめ
東
をかやま
長そかめ
もりふせん
七くみ衆
さなた
天王寺
勝山
{下段}かたきりいちのかミ
かたきりしゆせん
かなもりいつも
くわ山いか
京こくわかさ
京こくしゆり
石川とのも
にしをのふんこ
原田たんこ
高木もんと
といのおおい
将軍様
本たさと
安藤つしま
わけへさ京
とくなかさま
ほんたぬい
松平ちくせん
ほりのたんこ
石川なかと
ふるた大せん
一柳けん物
東たういつミ
宰相様
ほんた大すミ
いいのかもん
ほんたふんこ
本たみののかミ
松平下おさ
さかき原遠江
ミつのひうか
おかさわらひやうふ
さかいうた
本多上助
まきのするか
御所様
千こくひようふ
さかいさゑもんのせう
立のやいせのかミ
さなたかわち
本多いつも
あさのうねめ
あさたしやうの介
常陸様
松下いわミ
ゑちせんのせうしやう
{奥}まさむね
西
ゑちこのせうしやう "		

政争 N005

大坂安部之合戦之図

慶長20年(1615) 40.5×28.5

		
"{肉筆}大坂落城■■番付
安部之合戦之画図
摂戦之番付

大坂安部之合戦之図{上段 大坂城内}秀頼様
御袋様
大蔵卿
同召使六人
右京大夫
三位
大野修理
同 信濃
はやと いつミ
津川左近
いとうむさし
もりなかと
竹部子
大い原八蔵
同 三十郎
藤四郎
かん長老
■■■う
かミ
北
あかしかもん
大野たうけん
{中段}まきの島けんた
千石ふせん
大野しゆり
大野しゆめ
東
をかやま
長そかめ
もりふせん
七くみ衆
さなた
天王寺
勝山
{下段}かたきりいちのかミ
かたきりしゆせん
かなもりいつも
くわ山いか
京こくわかさ
京こくしゆり
石川とのも
にしをのふんこ
原田たんこ
高木もんと
といのおおい
将軍様
本たさと
安藤つしま
わけへさ京
とくなかさま
ほんたぬい
松平ちくせん
ほりのたんこ
石川なかと
ふるた大せん
一柳けん物
東たういつミ
宰相様
ほんた大すミ
いいのかもん
ほんたふんこ
本たみののかミ
松平下おさ
さかき原遠江
ミつのひうか
おかさわらひやうふ
さかいうた
本多上助
まきのするか
御所様
千こくひようふ
さかいさゑもんのせう
立のやいせのかミ
さなたかわち
本多いつも
あさのうねめ
あさたしやうの介
常陸様
松下いわミ
ゑちせんのせうしやう
{奥}まさむね
西
ゑちこのせうしやう"		

政争 N006

大坂安部之合戦之図

慶長20年(1615) 48.5×34

		
"大坂安部之合戦之図
{上段}北
てんま
ひせんしま
{大坂城内}山さと
{中段}東
おかやま
天王寺
勝山
{下段}かたきりいちのかミ
かたきりしゆせん
かなもりいつも
くわ山いか
京こくわかさ
京こくしゆり
高木もんと
石川とのも
といのおおい
にしをのふんこ
原田たんこ
わけへさ京
将軍様
とくなかさま
本多さと
ほんたぬい
安藤つしま
松平ちくせん
ほりのたんこ
石川なかと
ふるた大せん
一柳けん物
藤たういつミ
宰相様
ほんた大すミ
いいのかもん
ほんたふんこ
ほん田ミののかミ
松平下おさ
さかき原遠江
ミつのひうか
おかさわらひやうふ
さかいうた
まきのするか
御所様
千こくひようふ
本多上助
さかいさゑもんのせう
ミつのやいせのかミ
さなたかわち
ほん多いつも
あさのうねめ
あさたしゆうの介
常陸様
まつ下いわミ
ゑちせんのせうしやう
{奥}まさむね 西 ゑちこのせうしやう 慶長二十年五月七日 "		

政争 N007

大坂夏の陣布陣図(仮)

慶長20年(1615) 47×60

		
"大坂安部之合戦之図
{上段}北
てんま
ひせんしま
{大坂城内}山さと
{中段}東
おかやま
天王寺
勝山
{下段}かたきりいちのかミ
かたきりしゆせん
かなもりいつも
くわ山いか
京こくわかさ
京こくしゆり
高木もんと
石川とのも
といのおおい
にしをのふんこ
原田たんこ
わけへさ京
将軍様
とくなかさま
本多さと
ほんたぬい
安藤つしま
松平ちくせん
ほりのたんこ
石川なかと
ふるた大せん
一柳けん物
藤たういつミ
宰相様
ほんた大すミ
いいのかもん
ほんたふんこ
ほん田ミののかミ
松平下おさ
さかき原遠江
ミつのひうか
おかさわらひやうふ
さかいうた
まきのするか
御所様
千こくひようふ
本多上助
さかいさゑもんのせう
ミつのやいせのかミ
さなたかわち
ほん多いつも
あさのうねめ
あさたしゆうの介
常陸様
まつ下いわミ
ゑちせんのせうしやう
{奥}まさむね 西 ゑちこのせうしやう 慶長二十年五月七日"		

政争 N008

大坂夏の陣布陣図(仮)

慶長20年(1615) 58×43.5

		
"{家康陣一段目}三十二万石藤堂和泉守
十五万石榊原遠江守
二十万石伊井掃部守
{二段目}坪内宗兵衛
渡辺弥之助
島内清右衛門
山岡主詳
蜂屋七兵衛
布施弥兵衛
三宅源兵衛
近藤登之助
小栗又平
{三段目}阿部四郎兵衛
保阪金右衛門
庄田小左衛門
杉浦内蔵人
{四段目}大久保彦左衛門
七万石本多上野助
三万石水野日向守
三万六千石永井右近大夫
五万石板倉内膳正
二万千石松平左衛門太夫
六万石秋元但馬守
二万五千石槙村新六
二万五千石成瀬豊後守
{五段目}横田甚右衛門
■■康■
元茶臼山
滝川豊前守
佐久間河内守
山城宮内
清水権之助
鈴木久左衛門
城和泉守
五万石水野監物
一万六千石細川玄番
二万石脇坂主水
一万八千石谷出羽守
{六段目}山本新吾左衛門
後備多し
真田隠岐守
米倉丹後守
初鹿伝右衛門
間部権右衛門
島弥左衛門
河村庄左衛門
一万石大田原山城守
一万石細川内記
十万石南部主膳
十万石立花左近{以下略} "		

政争 N009

此度御触書之写

天保14年(1843) 23×30, 22.5×29.5

		
"此度御触書之写(うつし)
一 近年以来諸(しよ)向追々(おいおい)及困窮難(こんきうなん)儀ニ付御世話
有之候得共累(るい)年借(しやく)財多之輩(ともがら) 容易(よふい)勝手向
取直来兼候哉ニ付今般(はん)為救厚(きふあつく) 思召を以
公儀諸御貸(かし)附御仕法替(がい)之上蔵宿貸金
年賦(ねんふ)済方被仰付候世上金限出入も元来相
対(たい)貸借ニ候上は裁許(さいきやう)ニも不及事ニ候間唯今
迄之分此節(せつ)を限り裁許之不申候自今貸出候分ハ前々の通
取上裁許可及勿論買
懸り諸職人へ
作科賃(りやうちん)等迄同断之事
但 唯今迄取上裁許日限等申付置候
分者向後済方
奉行所ニ相おゐて取扱致間敷候事
一 金銀利息之儀は去寅年相触(ふれ)候通弥相心得
融通(ゆうづう)第一ニ心懸(かけ)諸国共無差支実意ニ貸借
可致右利息之外品々名目を付け多分之
雑費取候決(けつ)て致間敷候
一 金銀貸借之儀古キ儀ニても相来(たがへ)ニ実意
を以対談(たいだん)いたし候ハハ容易ニ出訴裁科請候
儀ニも不及双方不実より多くハ猥(ミだり)ニ出訴ニおよび"		

		
"候儀も相聞候此度相対済被仰出候上は
諸事寛政九巳年金出入之儀ニ付相達(たつし)
候通厚(あつ)く相守実意を尽(つく)し取引可致候
奉行所より出訴不相成を見込棄捐(きゑん)可致杯(なぞ)
又は欲心(よくしん)を以事を巧(たくミ)出入ニ及或ハ利徳
己(のミ) 抱(かかわり)し候出訴之類何れも不埒(らち)ニ付吟味
之上急度可申付事
天保十四卯年十二月十四日
一 以来済方可申付分申渡之金高不足
致し毎度不束(つつか)ニ候者糺(ただし)之上急度
可沙汰及事
一 此度右之通被仰出候間此旨(むね)不洩(もれ)様其
支配限り地貸借家裏々迄相触しらせ
へき者也
此度右之趣被仰出候儀は格別之儀
困窮成者を御救ひ被下候御仁徳難有
太平之代世に生れしハ目で度事ニ候"		

政争 N010

禁門の変(仮)

元治1年(1864) 34×48

		
"元治元年子七月十九日辰刻頃
河原町二条より出火仕少し鎮方相成
候所巳刻より堺町丸太町辺より又候
出火仕候折節北東風つよく相成
丸太町通を寺町へ焼出革堂
残る夷川を河原町にて火留る西ハ
烏丸通を上長者町又下立売は
新町椹木町西洞院丸太町
東ほり川下ハ野原まて焼ぬけ
西堀川通別条なし並本国寺又
西本願寺御堂別条なし東本願寺
ハミなミな焼失不動堂にて火留る
又東は加茂川通り突抜寺町木や
町等ハことことく焼失並祇園
御旅道場ハ別条なく東辺も
同断依て東ハ河原町
上ハ下立売下ハ九条
西ハ堀川まて焼失仕候
凡家数
二万五千計
かまと数
四万七千計
土蔵落
千五百ケ所
神社仏閣
五百ケ所 "		

政争 N011

禁門の変(仮)

元治1年(1864) 39×52

		
"中央部の文}元治元甲子年七月十九日朝
五ツ時川原町二条下ル長州屋敷
焼失同四ツ半時堺町丸太町辺より
出火又烏丸中立売より出火折節
東北風強寺町へ焼出両側とも
錦天神迄此所より南ハ東側無別条
松原より東へ焼込木屋町両側七条
新地橋下不残西ハ東堀川南は
東本願寺七条野はつれ迄上ハ上長者丁
までやけぬけ爰にて火とまる但し
本圀寺又ハ本願寺不思儀ニ残る
北にても御霊社革堂一も無別条
大寺之内妙満寺本能寺仏光寺誓願寺其外小堂御社末寺なと
数多にして不相分候火ハ二十一日朝
四ツ時ニ木屋町松原上ル寺辻橋ニて留る
南ハ二十二日朝七条野はづれまで鎮り申候
{上部書き込み}東西御役所様より
類焼之者へ
御救米
銭を
被下候
此外所々
米
施行
あり
四条
川原町
そうめん
ところてん
ほどこし
縄手四条上ルより
ミそ汁
ほど
こし
加州様より
類焼之者へ
川原にて
飯炊物を
被下
諸方
ひわよう酒
暑気はらひ
其外
さとう水
せつたい
所々ニ
あり
祇園
絵馬堂にて
施行剃
薩州
御屋敷
施行米
類焼之
面々被下 "		

政争 N012

禁門の変(仮)

元治1年(1864) 26×38

		
"元治
元年
子七月
十九日
四ツ時より
出火
二十一日夜
四ツ時
鎮火
致候
本
しらべ
嵯峨天りうし向日丁山崎天王山離宮八まん向日明神宝寺
伏見屋敷皆々焼失仕候 "		

政争 N013

禁門の変(仮)

元治1年(1864) 30.5×43.5

		
{奥}杉浦蔵画 		

政争 N014

禁門の変(仮)

元治1年(1864) 31×47.5

		
"元治元甲子年
七月十九日河原町
二条下ル 御屋敷
朝五ツ時出火四ツ時堺町
御門より焼出シ其より
四方へ焼広かり東加茂川
北今出川南焼抜老若男女わか
ちなく東山あるいハ山しな北山辺へにげ
ゆき其そうどう筆紙ニいたしかたし
さが天龍寺山さき伏見出火二十二日火しず
まり
{付札}戦争場 "		

政争 N015

禁門の変(仮)

元治1年(1864) 31×43

		
"元治元甲子年七月十九日
朝五ツ時川原町二条下ル辺焼失
同四ツ時堺町丸太町より出火いたし
それより四方へさかんニ広かり東ハ
上にて川原町下ハ加茂川西は堀川北ハ中立売南ハ野限り
焼ぬけ漸二十二日暮時ニ火鎮り申候依て遠国為お知らせ
くハしく相印申候
凡家数 二万五千計
同かまど 四万七千計
同土蔵落 千百ケ所計
同神社仏閣
五百ケ所計
皇都 池田東籬亭考正
■ 中村有楽斉画図 "		

政争 N016

禁門の変(仮)

元治1年(1864) 30.5×43.5

		
"{左下スミ}皇都 池田東籬亭考正
■ 中村有楽斉画図 "		

政争 N017

平安大火末代噺

元治1年(1864) 37.5×52.5

		
"平安大火末代噺
元治元甲子七月十九日暁かわら町二条下ル辺より出火同四ツ時
堺町御門辺よりも出火益火はげしくして所々へ飛火又同日に
伏見出火山崎辺出火嵯峨天竜寺へ飛火暫時の間に洛中
一面の火と成候様見ゆる市中の混雑筆紙ニつくしがたし老若男女
共火勢ニ恐れ逃げさまよひけが人等も有之由誠ニ希代の大火ゆへ
近在ハ勿論大坂などへも若哉飛火もあらんかと逃支度の
外他事もなく安キ心もなき程の大火也同二十一日七ツ半頃火鎮り申候
{横書きで}洛外之部
{上段}伏見 家数二百三十九軒
山崎村 焼失
天王山 焼失
円明寺 焼失
さが
天龍寺 焼失
二尊院 焼失
逃ル人
近郷 近在其外
江州 摂州 丹波
丹後 和泉 河内
{下段}洛中町数 五百六十七町
同家数 七千五百五十軒
同かまど 五万八千三百二十軒
同土蔵 五百七十八戸落
洛中洛外寺院堂大小共百二十ケ所
同神社宮大小共百ケ所
洛外家数かまと五百軒余
けが人数多あるよし
■七百余人有よし
{袖}元治元年甲子七月火の用心
今まで出板せし早摺の画図を此画図と御見合可被成候但し此図ハ悉ク細見せしを図す
されバ遠近之縁者知音へ火難の安危をしらする便りともならんかと後篇を出す"		

政争 N018

京都大火之略図

元治1年(1864) 36×49

		
"京都大火之略図
元治元甲子年七月十九日朝
五ツ時川原町二条下ル辺より焼失
同四ツ時堺町丸太町より出火致
それより四方へさかんにひろがり東は
上にて川原町下は加茂川
西はほり川北は中立売南ハ
野限りに焼ぬけ漸二十二日
暮時火鎮り申候遠国へ為
御知らせくハしく相印申候
凡町数千百八十町計
家数四万二千計
土蔵落
千五百ケ所
神社仏閣
四百八十所計
{袖}極再三しらべ "		

政争 N019

京都大火之略図

元治1年(1864) 37×49

		
"京都大火之略図
元治元甲子年七月十九日朝
五ツ時川原町二条下ル辺より焼失
同四ツ時堺町丸太町より出火致
それより四方へさかんにひろがり東は
上にて川原町下は加茂川
西はほり川北は中立売南ハ
野限りに焼ぬけ漸二十二日
暮時火鎮り申候遠国へ為
御知らせくハしく相印申候
凡町数千百八十町計
家数四万二千計
土蔵落
千五百ケ所
神社仏閣
四百八十所計
{袖}極再三しらべ "		

政争 N020

京都大火

元治1年(1864) 36×48.5

		
"京都大火
元治元甲子年
七月十九日朝五ツ時分
河原町二条下ル長州
御屋敷より出火
又堺町門辺よりも出火
折節北風はげしく
夫より追々四方へ
焼広かり北ハ
中立売南ハ
焼ぬけ七条迄
西ハ堀川東ハ
加茂川迄二十一日暮
六ツ時分火鎮り候又
二十日九ツ時分嵯峨
天龍寺山崎天王山
両方共焼■相成候
其余筆紙つくしがたく
先はあらまし書記ス也
町数凡七百五十六町計
家数凡三万○二百四十軒
焼蔵凡千百三十四ケ所
極本しらべ "		

政争 N021

極本しらべ

元治1年(1864) 39.5×48.5

		
"元治元甲子年七月十九日
朝五ツ時川原町二条下長州
御屋敷より焼失同四ツ時
堺町御門より出火いたし
夫より四方へさかんニ広かり
東は上にて川原町下は
加茂川西は堀川北は中立売南は野限り
焼ぬけ申候漸二十二日
暮時火鎮り申候
遠国為御知らせ委敷相印候
{奧}極本しらべ凡家数二万五六千計凡かまど四万■■凡土蔵落千百ケ所計神社仏閣五百ケ所計
{奥に異筆}此墨筋ハ安政元年寅四月
六日火災仙洞裏御殿ヨリ
出火シ禁裏御所より追々西へ
拡かり浄福寺迄焼失ス "		

政争 N022

極本しらべ

元治1年(1864) 38.5×49

		
"元治元甲子年七月十九日
朝五ツ時川原町二条下長州
御屋敷より焼失同四ツ時
堺町御門より出火いたし
夫より四方へさかんニ広かり
東は上にて川原町下は
加茂川西は堀川北は
中立売南は野限り
焼ぬけ申候漸二十二日
暮時火鎮り申候
遠国為御知らせ
委敷相印候
{奥}極本しらべ凡家数二万五六千計凡かまど四万七八千計凡土蔵落千百ヶ所計神社仏閣五百ヶ所計
杉浦蔵画■■堂 "		

政争 N023

極本しらべ

元治1年(1864) 38.5×51.5

		
"元治元甲子年七月十九日
朝五ツ時川原町二条下長州
御屋敷より焼失同四ツ時
堺町御門より出火いたし
夫より四方さかんニ広がり
東は上にて川原町下ハ
加茂川西ハ堀川北は
中立売南ハ野限り
焼ぬけ申候漸二十二日
暮時ニ火鎮り申候
遠国為御知らせ
委敷相印候
{奥}極本しらべ凡家数一万五六千計凡かまど四万八千計凡 土蔵落千百ケ所計神社仏閣 五百ケ所計 "		

政争 N024

極本しらべ

元治1年(1864) 38.5×51.5

		
"元治元甲子年七月十九日
朝五ツ時川原町二条下長州
御屋敷より焼失同四ツ時
堺町御門より出火いたし
夫より四方さかんニ広がり
東は上にて川原町下ハ
加茂川西ハ堀川北は
中立売南ハ野限り
焼ぬけ申候漸二十二日
暮時ニ火鎮り申候
遠国為御知らせ
委敷相印候
{奥}極本しらべ凡家数一万五六千計凡かまど四万八千計凡 土蔵落千百ケ所計神社仏閣 五百ケ所計 "		

政争 N025

長門の国大火

元治1年(1864) 34.5×50

		
"元治元年
甲子八月
長門
の国
大火
小倉辺で逗留せし商
人の咄を聞に八月四日
前田より出火増々火さかん
になり六日壇の浦より出火
夫より杉谷三軒家八けんや
米土蔵とおぼしき四五ケ処
焼失之由七日朝より亀山
観音崎米土蔵と
おぼしき五六ヶ処焼失
之由八日朝鎮り申候
九日朝又候てし松辺より
出火十日朝鎮り申候四日より
の騒動筆紙ニ尽しがたし
三都の外ニかかる大火
珍らしき事共なり
家数五千軒余
死人怪我人数しれづ
但し其前より蒸気
船のやうな舟
二十艘程来り
居候よし "		

政争 N026

御進発御供奉御役人

元治1年(1864) 32×41.5

		
"御進発御供奉御役人
{上段}
御進発御供海軍惣御奉行御老中
〓[家紋] 奥州白川十万石阿部豊後守
〓[家紋] 信州高島三万石諏訪因幡守
〓[家紋] 丹後高津七万石松平伯耆守
同海軍惣奉行若御年寄
〓[家紋] 上州沼田三万五千石土岐山城守
〓[家紋] 奥州下平渡一万石立花出雲守
同御供御側衆
〓[家紋] 六千五百三十三石 坪内河内守
〓[家紋] 五千石 小笠原加賀守
〓[家紋] 七千石ヨ 酒井筑前守
同御供御目付衆
〓[家紋] 九百石 神保伯耆守
〓[家紋] 三百表 田村肥後守
御進発御留守御警衛御老中
〓[家紋] 羽州山形五万石水野和泉守
〓[家紋] 越後長岡七万四千石ヨ牧野備前守
浅草本所御蔵御警衛
〓[家紋] 奥州仙台十万石津軽越中守
{下段}
御進発御留守御警衛御若年寄
〓[家紋] 越前敦賀一万石酒井飛弾守
〓[家紋] 奥州泉二万石本多能登守
〓[家紋] 遠州相良一万石田沼玄蕃頭
〓[家紋] 五千石平岡丹波守
新宿勤番
遠州浜松六万石井上河内守
軍目付御使番
陸路芸州より 松平左金吾
岩国夫より山口へ 向井左衛門
攻寄候面々 小笠原鉄次郎
同石州より萩 内藤孫左衛門
夫より山口へ 大島主殿
攻寄候面々 朝倉小源太
海路四国より 水野采女
徳山夫より山口へ 服部 仲
攻寄候面々 遠山左衛門
同下之関夫より 多賀靱負
山口へ 曲渕涛市
攻寄候面々 岩瀬敬太郎
同萩夫より 天野民七郎
山口へ 平岩金左衛門
攻寄候面々 内藤平八郎 "		

政争 N027

長州三家老首実見の図(仮)

元治1年(1864) 34×48

		
"元治元年甲子十一月十三日朝長州より三人之首を同家老
志路毛利之両人持来り其節国泰寺ニおいて実検有之候節ハ
家老両人長はつにて麻上下無刀ニて首白木の長持ニ入首桶浅黄
きぬニ包しゆろう縄ニてくくり首ハ白もめんニて包有之を出して白木
の三宝ニ乗せ実検ニ備へ被為し由但し実検の節首
すこし左り向のよし "		

政争 N028

長州三家老首実見の図(仮)

元治1年(1864) 34×48

		
"元治元年甲子十一月十三日朝長州より三人之首を同家老
志路毛利之両人持来り其節国泰寺ニおいて実検有之候節ハ
家老両人長はつにて麻上下無刀ニて首白木の長持ニ入首桶浅黄
きぬニ包しゆろう縄ニてくくり首ハ白もめんニて包有之を出して白木
の三宝ニ乗せ実検ニ備へ被為し由但し実検の節首
すこし左り向のよし "		

政争 N029

筑波山御固出張所之図

元治1年(1864) 24×35.5

		
		

政争 N030

下関戦争の図(仮)

元治1年(1864) 11.5×36

		
{文章なし}		

政争 N031

陰徳太平記新図

慶応2年(1866) 33×47.5

		
"陰徳太平記新図
{太平記に見立てた第二次長州戦争の絵} "		

政争 N032

陰徳太平記新板

慶応2年(1866) 34.5×47.5

		
陰徳太平記新板		

政争 N033

中国戦場大島郡記大火砲大焼之図陰徳太平記図会

慶応2年(1866) 31×46

		
中国戦場大島郡記大砲大焼之図/陰徳太平記図会/{天}大しんばん/宮島/より/周防/大島/郡■/十里		

政争 N034

八月二日大合戦

慶応2年(1866) 31.5×44.5

		
八月二日大合戦/{宮島付近の第二次長州戦争を描いた物}		

政争 N035

尼子軍記 石州津和野合戦

慶応2年(1866) 31.5×45.5

		
尼子軍記石州津和野合戦/{第二次長州戦争を津和野合戦に見立てた図}		

政争 N036

九州小倉合戦図

慶応2年(1866) 31×44.5

		
"九州小倉合戦図/ {小倉城周辺の合戦図。チクゼン、久留米勢、小笠原勢、
島原勢、中津勢、細川勢、唐津勢などの文字が見える}"		

政争 N037

周防大島郡大合戦

慶応2年(1866) 33×47

		
"周防大島郡大合戦/
{長兵、長州の文字が読める} "		

政争 N038

玖波村戦争之図

慶応2年(1866) 33×47

		
"慶応二丙寅歳八月二日/玖波村戦争之図/
{山間部左から}峠 友田 浅原 川津原 玖波 小方 長兵/
{沿岸部左から}四十八坂 大野 "		

政争 N039

石州口周布之合戦

慶応2年(1866) 32×44.5

		
石州口周布之合戦		

政争 N040

小瀬川合戦図

慶応2年(1866) 31.5×45

		
"九州小倉合戦図
小瀬川合戦図/
{小瀬川周辺における長州隊と幕府軍の戦い} "		

政争 N041

小瀬川合戦図

慶応2年(1866) 31.5×45

		
"小瀬川合戦図/
{小瀬川周辺における長州隊と幕府軍の戦い} "		

政争 N042

御大名様御参集御本陣付次第不同

慶応2年(1866) 31×43

		
"御大名様御参集御本陣付次第不同/御惣督御高五十五万五千石紀州若山/〓 [家紋] 紀伊中納言様/
二十一万五千二百石備前岡山/〓 [家紋] 松平備前守様/御老中七万石丹後宮津/〓 [家紋] 松平伯耆守様/
御老中六万石肥前唐津/〓 [家紋] 小笠原壱岐守様/御付家老三万八千八百石紀州田■/〓 [家紋] 安藤飛騨守様/陸軍御奉行/五千石/
〓 [家紋] 竹中丹後守様/二千五百/〓 [家紋] 溝口伊勢守様/御老中五万石 駿河沼津/
〓 [家紋] 水野出羽守様/十一万石 備後福山/〓 [家紋] 阿部主計頭様/十万石 作州津山/
〓 [家紋] 松平三河守様/御付家老三万五千石紀州新宮/〓 [家紋] 水野大炊頭様/
兵糧固十万石 美濃大垣/〓 [家紋] 戸田助三郎様/十五万石 越後高田/〓 [家紋] 榊原式部大輔様/
六万石 信州松本 /〓 [家紋] 松平丹波守様/講武所御奉行一万二千石江州三上/
〓 [家紋] 遠藤但馬守様/十万石 播州明石/〓 [家紋] 松平兵部大輔様/三十五万石江州彦根/〓 [家紋] 井伊掃部頭様/二万石 越後与板/
〓 [家紋] 井伊兵部少輔様/五万千八十石 播州竜野/〓 [家紋] 脇坂淡路守様/
三万五千石 丹波田辺/〓 [家紋] 牧野豊前守様/{奥}■■堂板"		

政争 N043

御進発供奉御役人付

慶応2年(1866) 31×43

		
御進発供奉御役人付/{一段目}御用御召ニ付/〓[家紋] 越後長岡七万四千石ヨ牧野備前守/〓[家紋] 越後村上五万九千石ヨ内藤豊前守/〓[家紋] 駿州沼津五万石水野出羽守/〓[家紋] 丹波篠山六万石青山左京大夫/〓[家紋] 信州飯山二万石本多伊勢守/〓[家紋] 若州小浜十万三千五百石酒井若狭守/〓[家紋] 三州西尾六万石松平主水正/〓[家紋] 江州膳所六万石本多主膳正/〓[家紋] 丹波福チ山三万二千石朽木近江守/〓[家紋] 美濃岩村三万石松平能登守/〓[家紋] 江州水口二万五千石加藤能登守/〓[家紋] 越前勝山二万二千七百石小笠原左衛門佐/{行列絵図}御旗本/御後備二頭/御側衆四頭/御旗本/左右御備四頭/御老中四頭/御若年寄四頭/御中軍二頭/御旗本/御先備二頭/○御若年寄/〓[家紋] 奥州泉二万石本多能登守/{二段目}○総督/〓[家紋] 紀州和歌山五十五万五千石正三位/紀伊中納言様/○御旗本御先備/〓[家紋] 江州彦根二十五万石井伊掃部頭/〓[家紋] 越後高田十五万石榊原式部大輔/○御中軍/〓[家紋] 伊予松山十五万石松平式部大輔/〓[家紋] 播州姫路十五万石酒井河内守/○御旗本左右御備/〓[家紋] 信州上田五万三千石松平伊賀守/〓[家紋] 丹後田辺三万五千石牧野河内守/〓[家紋] 信州高遠三万三千石内藤若狭守/〓[家紋] 志州鳥羽三万石稲垣信濃守/○御旗本御後備/〓[家紋] 日向延岡七万石内藤備後守/〓[家紋] 信州松本六万石松平丹波守/○御供奉御大名衆/〓[家紋] 越前福井三十二万石松平越前守/〓[家紋] 讃州高松十二万石松平讃岐守/〓[家紋] 上総大田喜二万石松平弾正忠/〓[家紋] 信州岩村田一万五千石内藤志摩守/〓[家紋] 越後与板二万石井伊兵部少輔/○御老中/〓[家紋] 備中松山五万石板倉伊賀守/〓[家紋] 御役料三万表小笠原壱岐守/〓[家紋] 奥州白川八万四百石松平周防守/〓[家紋] 丹後宮ツ七万石松平伯耆守/○若年寄/〓[家紋] 濃州苗木一万二十一石遠山信濃守/〓[家紋] 上総飯野二万石保科弾正忠/〓[家紋] 奥州下手渡一万石立花出雲守/〓[家紋] 勢州長島二万石増山対馬守/○御側衆/〓[家紋] 三千石 村松出羽守/〓[家紋] 五百石 竹本隼人正/〓[家紋] 五千石 酒井壱岐守/〓[家紋] 三千十五石 赤松左衛門尉/○講武所御奉行/〓[家紋] 江州三上一万二千石遠藤但馬守/〓[家紋] 三千石渡辺甲斐守/○陸軍御奉行/〓[家紋] 五千石 竹中丹後守/〓[家紋] 二千五百石 溝口伊勢守/○歩兵御奉行/〓[家紋] 二千二百石 河野伊予守/〓[家紋] 千七百石 小出播磨守/○大御番頭/〓[家紋] 六千石 斉藤摂津守/〓[家紋] 武州金沢一万二千石米倉丹後守/○軍艦御奉行/〓[家紋] 三百表 木下大内記/〓[家紋] 千百石 石野筑前守/○御書院御番頭/〓[家紋] 四千二百六十三石 本多日向守/〓[家紋] 二千石 太田筑前守/〓[家紋] 千五百石 水野伊勢守/〓[家紋] 三千二十石 柴田越前守/〓[家紋] 四千石 八木但馬守/○騎兵頭奉行/〓[家紋] 五百表 貴志大隅守/〓[家紋] 六百石 山角礒之助/○大目付/〓[家紋] 二百石 田沢対馬守/〓[家紋] 九百石 神保佐渡守/〓[家紋] 六千石 大久保紀伊守/〓[家紋] 二千七十五石 駒井相模守/〓[家紋] 三百表 塚原但馬守/○御小性組御番頭/〓[家紋] 四千石 井上志摩守/〓[家紋] 三千石 島津伊予守/〓[家紋] 五千石 宝賀美作守/〓[家紋] 五千石 酒井安房守/〓[家紋] 三千石 松平河内守/○大炮組頭/〓[家紋] 五百石 成瀬対馬守/〓[家紋] 八百石 佐久間幡五郎/〓[家紋] 五百石 高尾惣十郎/{三段目}御勘定奉行/三千五百石 松平対馬守/三百表 井上信濃守/御持小筒組頭/五千石 松平信濃守/三百表 大平鉱次郎/百五十表 大野満一/御旗奉行/五千石 斉藤佐渡守/■百石 山名壱岐守/御鎗奉行/六千二百二十石 花房近江守/二千七百石 仙石播磨守/御作事奉行/二百石 岡松伊予守/新御番頭/千石 中川備中守/三千石 勝田左京/二千石 岡部備後守/九百石 須田久左衛門/歩兵頭/三百表 富永相模守/三千五百石 久世下野守/千五百石 戸田肥後守/三百表 平岡越中守/三百表 城織部/三百表 徳山綱太郎/三百表 岡田左一郎/三百表 森川荘次郎/七百石 深津弥左衛門/五百石 井上啓次郎/二百表 都筑鐐太郎/五百石 朝比奈織之丞/御小姓頭取衆/四百表 諏訪安房守/三百七十五石 野村丹後守/三百表 木村備後守/五百表 坪内豊前守/三百表 内藤土佐守/二千五百石 石谷安芸守/御小納戸頭取衆/千石 須田淡路守/三百表 野田下総守/三百表 横山紀伊守/三百表 荒尾大和守/三百石 服部加賀守/御先手御鉄炮頭/千石 三枝左兵衛/二千七百四十三石徳山五兵衛/三百表 藤沢讃岐守/千八百石 本間弾正/三千石 加藤織之助/三百表 田付主計/七百五十石 大久保与三郎/二千二百石 水谷弥之助/三千石 進藤力之助/四百石 上野七太夫/五百石 戸田寛十郎/四千石 佐野鉄六郎/釼術師範役/三百表 榊原鍵吉/百俵 今堀千五百蔵/百表十人フチ伊庭軍兵衛/三百表 三橋虎蔵/百表十人フチ湊倍八郎/槍術師範役/三百表 加藤平九郎/三百表 駒井志津磨/百表 勝与八郎/二百表 杉浦藤馬/炮術師範役/三百表 飯田庄蔵/三百表 榊原鏡次郎/百表 吉田直次郎/{四段目}御鉄炮方/田付四郎兵衛/井上左太夫/御持筒頭/松平侶之允/曽我主水/水野主膳/朽木大和守/御武具奉行/松下誠一郎/千人頭 四頭/御徒頭 十一頭/御小十人頭 四頭/百人頭 十頭/釼術槍術御組下六十六騎/歩兵御差図役百二十人/御目付衆/二十五頭/木村兵庫頭/竹内日向守/小笠原摂津守/小俣稲太郎/伝田織部/向山栄五郎/牧野伊予守/新見河内守/井上元七郎/伏屋七之助/徳永鋳次郎/木原兵三郎/山田十太夫/長田六左衛門/松野孫八郎/松平鎌蔵/松平左金吾/岡部三右衛門/池田鎗三郎/杉浦兵庫/大屋頼母/永井真之丞/関保右衛門/本多左内/村越三十郎/御使番衆/五十二頭/溝口官兵衛/松平兵庫/朽木亀六/有馬式部/酒井数馬/大森金五郎/小堀大学/赤井一角/酒井君之助/阿倍進太郎/戸田熊之丞/土岐左近/渡辺鎌次郎/依田銚之助/筧助兵衛/永井大之丞/木原兵三郎/松平舎人/山田十太夫/松平主計/城隼人/落合将監/井戸大内蔵/柳生主膳/竹尾戸一郎/古郡孫太夫/松平劉之助/三好内蔵助/永見貞之丞/諏訪左源太/山岡十兵衛/松平伊織/安藤伝右衛門/黒田五左衛門/建部徳次郎/仙石儀兵衛/徳永鋳次郎/松野八郎兵衛/松野孫八郎/長田六左衛門/牧修理/伏屋七之助/河野勘右衛門/小笠原彦太夫/水上鐃太郎/長谷川久三郎/吉川金次郎/能勢惣右衛門/曽根政之丞/荒川■太郎/梶清三郎/本多作十郎/御進発之節御留守居/○御老中/〓[家紋] 遠州浜松六万石井上河内守/〓[家紋] 山城淀十万二千石稲葉美濃守/〓[家紋] 信州田ノ口一万六千石松平縫殿頭/○御若年寄/〓[家紋] 丹後峰山一万二千石京極主膳正/〓[家紋] 遠州相良一万石田沼玄蕃頭/〓[家紋] 上総玉造平岡丹波守/○別段江戸御警衛/〓[家紋] 武州忍十万石松平下総守/〓[家紋] 三州吉田七万石松平刑部大輔/〓[家紋] 羽州庄内十七万石ヨ酒井左衛門尉/〓[家紋] 奥州盛岡二十万石南部美濃守/〓[家紋] 羽州米沢十五万石上杉式部大輔/〓[家紋] 奥州弘前十万石津軽越中守/〓[家紋] 越後柴田十万石溝口主膳正/〓[家紋] 羽州久保田二十万五千八百石佐竹右京大夫/〓[家紋] 作州津山十万石松平確堂/〓[家紋] 奥州仙台六十二万五千六百石松平陸奥守/		

政争 N044

御触書(仮)

慶応4年(1868) 22.5×30

		
"此度京都より御軍勢御差向ニ相成
実ニ奉恐入候ニ付慎ニ御沙汰相伝候事ニ付
右御軍勢ニ対し決てそこつ之振舞いたひ間敷候
若右様ふるまい有之時は京都へ対し
恐入候儀は申迄も無之且江戸多く之人々に戦(セん)
場之苦(くる)しみを受させ候儀ニ付大不忠之至ニ候
もしこの旨をききいれす御差向之御いくさに手
向ひいたし候者は帝の心に背き帝の身に刃物をあて
候も同様之事ニ付此段篤に相弁心得達無之様致すべ
き旨夫々之達置候間市中来々至る迄洩さるよふ
触置可申もの也
三月二日 町年寄 役所
右之通被仰出候ニ付市中もの共決て動揺
不致諸事相慎火之元等別て厳重ニ心付
候様可致候地借店借裏々召仕至迄能々申
聞候様早々可相触候 "		

政争 N045

御触之写

慶応4年(1868) 24×29.5

		
"御触(ふれ)之写(うつし)
一橋大納言殿有栖川(ありすがハ)の宮(ミや)へ
御逢(あい)御 事情(じせい・ことなさけ)   御貫徹(くわんてつ・つらぬくとりて)   可(べく)相成(あいなる)手(て)
続(つづき)ニ候之間右(ミぎ)御沙汰(さた)不(ず)相待(あいまた) 委(ゐ・とどく)
動(どう・うごく)致し候者は公武(こうぶ・かうへん)之御為(ため)を
破(やぶ)り以(もつて)の外之筋(すじ)ニ付このむね
あつく相こころゑ候様すへすへ迄
可申渡候
三月十四日 "		

政争 N046

御触之写

慶応4年(1868) 24×29.5

		
"御触(ふれ)之写(うつし)
一橋大納言殿有栖川(ありすがハ)の宮(ミや)へ
御 事情(じせい・ことなさけ)   御貫徹(くわんてつ・つらぬくとりて)   可(べく)相成(あいなる)手(て)
続(つづき)ニ候之間右(ミぎ)御沙汰(さた)不(ず)相待(あいまた) 委(ゐ・とどく)
動(どう・うごく)致し候者は公武(こうぶ・かうへん)之御為(ため)を
破(やぶ)り以(もつて)の外之筋(すじ)ニ付このむね
あつく相こころゑ候様すへすへ迄
可申渡候
三月十四日 "		

政争 N047

御触書之写

慶応4年(1868) 23×30

		
"御触書之写
此度御征討使(せいとふし)御差下ニ相成今十五日御討入
風聞有之候ニ付御歎願(たんくわん・なけくねかい)ニ相成候様
大総督府(そふとくふ・ありすかハさま)へ 伺済(うかかいすミ)迄打入之儀見合
之旨参謀(さんほう)西郷吉之助御答ニ付屋舗
市中とも猥ニ動揺いたし意(い)外之
不都合相生(しやう)じ候ては以之外之儀ニ付
諸事静穏(せいおん・をたやか)ニいたし
御沙汰相待候様可致候
右之通書付出候間町中不洩様可被触候
辰三月 "		

政争 N048

御触書之写

慶応4年(1868) 23.5×30

		
"御触書之写
勅使(ちよくし) 御下向之儀ニ付ては都て(すべて)下人之
人心動揺(どうよう・うごきうごく)いたす間敷ものニも無之候得共
かくまで御恭順(きやうじゆん・うやうやしくしたがふ)  御叮嚀(ていねい)之御取扱(あつかい)を以
御迎被遊(むかヒされあそば)候儀は聊(いささか)御二心(にしん・ふたごころ)無之儀を
天朝(てんてう)へ御あかし被遊候儀ニて必ず御不当(とう・あたらざる)之
御所置(しよち・事をすること)は有之間敷事と被思召候て之
儀ニ候間
勅使(ちよくし)へ対(たい)し失礼之所業(しよぎやう・なすわざ)等決て致間敷候
右ニ付非常(ひじやう・つねならず) 御警衛(けいゑい)之ため夫々御固メ等
被為連(つれさせられ)候間都(すべて)下人民いつれも心得違之
所業(しよぎやう・するところ)  決て(けつして)無之様(これなきよう)精々(せいぜい)可被心付候事
辰 三月 奉行 "		

政争 N049

佐幕派の檄文(仮)

慶応4年(1868) 25×34

		
"一時之安ヲ偸て百年ノ大患ヲ醸半日之寿ヲ惜ミテ千歳
ノ汚名を残スハ小人の浅智真ニ憐むへし夫天地之間ハ
一正気のみ此気存すれハ綱常明白天下清寧億兆安
然たり此気滅すれハ天下冥朦臣君を弑シ子父を弑シ兄
弟親戚争間シ億兆塗炭ニ陥ルニ至る室町ノ末ニ至りテ
国乱極り又臣として君を弑し子として父を弑する者
幾数十人何れの浜浦何れの山谷にても陣設之士
凍餒之民横りて累々たり人心有者誰か是を痛さらん
況民の父母たるをやサレハトモ天地に落し事百有余年
皇統絶さる事糸の如く日々之供御ニも差支サセラレ公
卿大夫四方に離散シイカントモ手を下し玉ふ事能す時に我
神祖勃興シ玉ひ撥乱反正幼より稀老に至迄幾数十度之
難戦辛労一ツも王家億兆之為ならさる事なし六雄八
将之詐力を以て我領知を開拓せしと年を同して譚ル
へからす終に天地之正気を復し綱常明白億兆安寧初
て皇国に真之天子まします事を知ルに至ル早来徳川氏
世々賢君明臣交ル交ル出励精為治文運盛に開け野夫小人
と雖綱常廃すへからさるを知らさる者なし
皇国開闢以来未タ昇平如是之盛成ハなし苟も
皇国に生れて上公卿侯伯より下億兆に至る迄慶元以来
二百五十余年蓋一人も徳川氏ノ恩沢を蒙らさる者なし
況や譜代重恩の侯伯諸士をや然則人々必徳川氏を奉戴
すへし是則"		

		
"天朝を奉戴する所以にして正大明白順義之道此外にあらさる事
なし論をまたす癸丑甲寅之歳亜船之為に要せられしより
失策なしとも云へからす  前内府之所置至当ならさるも
有へからす即今不量不臣之汚名を蒙らせ玉ふに及て謹
慎屏之甚して大城領地兵器をも■上旗本(下)数万の士をして
不敬ならかしむ恭順之至といふへし依て
朝廷速ニ寛典を以て大城領地兵器を返し賜り遺継の
御方を定て士民の心を安し玉ふ事当今之要務是より
急なるハなく民の塗炭を救ひ玉ふ之術業より善成ハ
なし然るに既ニ二十有余日未タ其宥詔なく弥暴論を
逞ふし猶軍艦兵器を奪んと謀り玉ふよし此事実
ならんにハ直にて怪之第一ならすや
神祖以来二百五十年間之大勲労を以て僅一時之失策に
換徳川氏を捨玉ハサル事ハ天下億兆之知る所也然るを今寛
典を捨て暴刻ノ挙アルハ何そや是君側之奸人徳川氏
威望を嫉ミ此時を幸として撲滅せんと欲するに似たり徳
川譜代之侯伯士大夫ハサラナリ億兆凡人心アル者誰か是を
痛哭せさらん只暴悪残忍不奪不厭之賊士眼前之
利欲ニ迷ひ三百年来之思義に報するに奸悪を以てし
天朝の名義をかりて一時僥倖して天下の権を握らんと
欲す奸謀鏡の表に明亮ナリ世之狗輩等是を不知猛
威に怖れて大義を顛倒シ苟も己か身家を保護するを以て
孝道とし錦旗に随従するを以て忠義と唱へ勤王従順を
口実として一時の安逸を偸半日之露命を貪り忠孝之
大義を忘れて昨日徳川之臣今日王臣となりて昨日之主"		

		
"君を討せんとす正気之掃地せん事如斯之甚敷ハなし
綱常乱離し天下瞑朦して慶元以前へ復せん事遠
かるへけんや此時に乗し外夷海浜を蹂躙し利を以て
導き害を以て威さんに誰か国難に殉フヘキ忽チ又王臣
改て戎臣たらん事火を見カ如シ天降以来幾千万年
皇統一姓堂々たる神国を以て夷狄の正朝を奉せん事
豈無るへけんや近畿一諸侯之祖先幼弱にして孤なりしに
神祖莫大之厚憐を以て膝下に生長し無比之恩寵を蒙
り大侯に列し世々重職を辱フスサレハ当今奸臣
朝廷ニ在て我主家をして不臣に陥ラシムルニ及てハ身家
抛チ哀訴忠諌し用ヒラレサレハ泣血痛哭して徳川氏之
為に主従共に微塵ニ成迄忠勤義挙を首唱して徳川氏
之柱名たるへきに豈計ンヤ速に王臣となり先鉾之従
卒錦章を袖にし意揚々として江府中を横行するハ狐
狸ニ魅セラレシナランカ左なくんハカノ綱常をいかん本心有
者縦令厚顔ナリトテモ何そ是を思ふへけんや是をも
思ふへからさらん
朝廷トモ人面獣心之不臣を用ひ臣をして君を討シム是一時之
権謀ならん歟然れとも天下大政ハ至誠大公一亳モ意を交ゆへか
らす天下之人ニ重代之臣をして其君を弑シメン事を教る
か如きに似たるハ王政之失策未タ是ヨリ甚敷ハあらん
朝廷此不臣を誅し玉ハすんハ天必誅を降さん明季ノ諸臣
己か身家を嗇ンテ清朝ニ随従せしもの悉く誅して後世
を懲し二臣伝を作りて悪名を万世に伝フ百歳之寿を保と
いへとも終ニハ必す死する身也何そ一時之安を偸ミ半日之"		

		
"寿を惜て不義之悪名を万世に残すへけんや庶幾ハ過
を改ルに憚る事なく人臣之節を正し己不義ニ陥サルノミ
ナラス
天朝をして不義ニ陥ス天下後世青史を汚サしむる事なく正
気を挽回して綱常を維持し奸臣掃蕩して
皇威を張り全界中独尊の神国たらしめハ武門之本
懐是に過んや死生ハ素より命成否ハ固より天也唯正義
を守りて祖先を辱シメス英名を万世に伝へキ事を人
臣タル者夫是を沈思熟考セヨ
慶応四年辰ノ初夏末  無名氏誌 "		

政争 N050

鳥羽・伏見の合戦(仮)

慶応4年(1868) 34.5×47.5

		
"人皇百九代後水尾院の御宇
慶長四年辰春惟任将軍光秀
小田春永父子賊逆の罪に依て
将軍職返上いたし本国へ
帰るべきよし勅定ありしを
幸ひとして御暇参内に事寄十万人
の大軍を操出し都を襲んと謀りしを
羽柴秀吉の加勢の官軍島津兵庫頭
義弘毛利左馬頭輝元山内猪右衛門
一豊浅野弾正長政等俄ニ
手配し中にも先陣島津勢
の加勢としても毛利勢
伏見鳥羽口に今や
おそしと待ちかけたり
然るに
閏正月
三日
未之刻
鳥羽
口の
光秀
の先陣桑山越中守
松山隠岐守等小枝橋まて
押寄島津の小勢なるをあなどり
鉄砲打かけけるを待まふけたる
島津の猛勢鉄砲打かけ煙の
下より切入けれハ一支もなく散々
に逃行ける也下鳥羽の入口法花
橋辺に毛利勢埋伏しけれハ敵勢の
横合より鉄砲を散々に打放せハ
何かハもつてたまるべき蜘の子を
散すかことく下鳥羽へ逃入村の
家々に火を放ちて防きける
是を戦の初として下鳥羽
横大路にて島津毛利の両勢
烈ケしく血戦しけれハ敵の死人
山のことく敵兵さんざんとなつて
横大路の入口に火をかけ
けるが官軍直様うち消追行
けれバ敵ハ富の森村へ火を放ち
防き戦けれとも終に打負納所
に足を留る事を不得して
鉄砲大筒鑓長刀鎧玉薬
等を足の踏場もなく打捨て
散々となつて淀へ落行ける
扨伏見ハ光秀の先鋒相頭
肥後大■高松入道等二万人の
大軍をもつて押寄浜側の民屋へ
鉄砲打かけ町々を焼立たり然るに
当年の官軍の先陣島津勢賊か
屋敷に火をかけ操出す扨又桃山近所明屋敷有けるに
光秀兼て浮浪の悪党を込め置けるが島津毛利の両勢
前より火を放ち後の方ぶんこ橋を切落たれハ籠の鳥のごとく
逃るあたハず不残打殺る此いきおひに乗じ島津毛利の両勢
血戦しけれハ敵勢伏見を追立られ淀へと落行ける然る所
相頭勢六百人計三栖の葦原に埋伏して薩州勢を遣り
過し両方より挟ミ討にせんと謀りしに薩州勢いさミ
進んて追行所を相頭の伏兵三栖より顕れ出既に
後を討んとする時毛利勢かくと見るより相頭の伏兵
目がけて鉄砲打かけ煙の下より切入けれバ忽ちミぢんと
なりて逃行けるをつづいて島津毛利の両勢
敵を淀へ追込ミ火急に攻立けれハ淀の町へ火放ち
橋本へ逃行けるを毛利勢狐川の渡しを越て攻立
けれハはしり出焼立楠葉へ逃行けるに楠葉小倉に「つつき」
「つつき」
埋伏の毛
利勢顕れ
出てさんざんに
攻立けれハ一支も
ささへず枚方さし
て逃行味方を
かぞへるに残りすくな
に相成けれハ迚も叶ず
とて枚方に火を放ち
ちりちりはらはらとなつて
大坂さして落行大坂城にも
たまりゑず同七日主従わづか
の小勢にて泉州堺へ落行
町屋へ火を放ち其ひまに
乗舟して本国さして
逃行ける秀吉方
の官軍勝時き
を作り勇ミ
進んで注進す
かかる大変なる
御混雑の中にて
伏見を
はじめ
枚方迄の
所々焼失の
窮民へ
朝廷より御救米
下され候と実に
君の恵ミのいと
ふかきを大海も
ものの数かハとうたひ
よろこびけるとぞ "		

政争 N051

鳥羽・伏見の合戦(仮)

慶応4年(1868) 37×50

		
"人皇百九代後水尾院の御宇
慶長四年辰春惟任将軍光秀
小田春永父子賊逆の罪に依て
将軍職返上いたし本国へ
帰るべきよし勅定ありしを
幸ひとして御暇参内に事寄十万人
の大軍を操出し都を襲んと謀りしを
羽柴秀吉の加勢の官軍島津兵庫頭
義弘毛利左馬頭輝元山内猪右衛門
一豊浅野弾正長政等俄ニ
手配し中にも先陣島津勢
の加勢としても毛利勢
伏見鳥羽口に今や
おそしと待ちかけたり
然るに
閏正月
三日
未之刻
鳥羽
口の
光秀
の先陣桑山越中守
松山隠岐守等小枝橋まて
押寄島津の小勢なるをあなどり
鉄砲打かけけるを待まふけたる
島津の猛勢鉄砲打かけ煙の
下より切入けれハ一支もなく散々
に逃行ける也下鳥羽の入口法花
橋辺に毛利勢埋伏しけれハ敵勢の
横合より鉄砲を散々に打放せハ
何かハもつてたまるべき蜘の子を
散すかことく下鳥羽へ逃入村の
家々に火を放ちて防きける
是を戦の初として下鳥羽
横大路にて島津毛利の両勢
烈ケしく血戦しけれハ敵の死人
山のことく敵兵さんざんとなつて
横大路の入口に火をかけ
けるが官軍直様うち消追行
けれバ敵ハ富の森村へ火を放ち
防き戦けれとも終に打負納所
に足を留る事を不得して
鉄砲大筒鑓長刀鎧玉薬
等を足の踏場もなく打捨て
散々となつて淀へ落行ける
扨伏見ハ光秀の先鋒相頭
肥後大■高松入道等二万人の
大軍をもつて押寄浜側の民屋へ
鉄砲打かけ町々を焼立たり然るに
当年の官軍の先陣島津勢賊か
屋敷に火をかけ操出す扨又桃山近所明屋敷有けるに
光秀兼て浮浪の悪党を込め置けるが島津毛利の両勢
前より火を放ち後の方ぶんこ橋を切落たれハ籠の鳥のごとく
逃るあたハず不残打殺る此いきおひに乗じ島津毛利の両勢
血戦しけれハ敵勢伏見を追立られ淀へと落行ける然る所
相頭勢六百人計三栖の葦原に埋伏して薩州勢を遣り
過し両方より挟ミ討にせんと謀りしに薩州勢いさミ
進んて追行所を相頭の伏兵三栖より顕れ出既に
後を討んとする時毛利勢かくと見るより相頭の伏兵
目がけて鉄砲打かけ煙の下より切入けれバ忽ちミぢんと
なりて逃行けるをつづいて島津毛利の両勢
敵を淀へ追込ミ火急に攻立けれハ淀の町へ火放ち
橋本へ逃行けるを毛利勢狐川の渡しを越て攻立
けれハはしり出焼立楠葉へ逃行けるに楠葉小倉に「つつき」
「つつき」
埋伏の毛
利勢顕れ
出てさんざんに
攻立けれハ一支も
ささへず枚方さし
て逃行味方を
かぞへるに残りすくな
に相成けれハ迚も叶ず
とて枚方に火を放ち
ちりちりはらはらとなつて
大坂さして落行大坂城にも
たまりゑず同七日主従わづか
の小勢にて泉州堺へ落行
町屋へ火を放ち其ひまに
乗舟して本国さして
逃行ける秀吉方
の官軍勝時き
を作り勇ミ
進んで注進す
かかる大変なる
御混雑の中にて
伏見を
はじめ
枚方迄の
所々焼失の
窮民へ
朝廷より御救米
下され候と実に
君の恵ミのいと
ふかきを大海も
ものの数かハとうたひ
よろこびけるとぞ "		

政争 N052

鳥羽・伏見の合戦(仮)

慶応4年(1868) 36×48.5

		
"人皇百九代後水尾院の/
御宇慶長四年辰春/
従二位内大臣織田春永公の/
旗下羽柴秀吉逆賊明智/
光秀を征伐せんとて/
朝廷に奉伺御下知を相待ける/
仍て即日朝廷にて御評定/
あつて惟任将軍職をめし/
あけられ本国へ帰るへきよし/
被仰渡ける夫より逆賊光/
秀征伐之御綸旨を/
秀吉に下し給ふ則/
軍事/
勅使として/
人名路宮/
東九世大納言殿/
唐ス丸中納言殿/
志乗前中納言殿/
御旗奉行/
五上前中納言殿/
右御方御出陣ありける扨羽柴秀吉軍勢を/
桃山ニ集め同年閏正月四日暁軍勢を繰出しける/
秀吉方ニハ島津兵庫頭義弘山内土佐守一豊/
毛利大和守照政之三藩つかう三千余騎にて打出ける/
明智光秀方ニハ木代市正吉明惣大将として会津の/
城主上杉肥前守忠吉桑山越中守信政高松少将家督/
隠岐判官乗友松山備中守時方其外大田平守長末其外/
郎等永井主膳平山佐介竹中主計塚本丹平戸川平馬/
新見将雪設楽法印榎本田仲牧野時之介岡部貞小粟始/
大久保監物同兵衛同小十郎岡野三平高力主水戸田隼人/
小笠原大介室賀三平已上二十七騎にて軍勢都合四万余騎ニて/
伏見豊後橋ニ陣取し京橋口ニ火手を上りときをつくりて/
打むかふ秀吉勢三手に分つてたたかひけるか勇勢に切/
立られ敗ほくして明智方八丁綱手へ引退く秀吉勢/
勝にのつて下れハ横大路冨の森いつれも勝利あつて/
追行事急勢なり明智大軍といへとも数度戦まけて/
淀城に逃入かたく籠りて人数をかそふるに二万/
打死にし漸二万騎になりたりけるよく五日朝/
淀町人家に火を付城を出てにけ行に毛利/
勢狐川のワたしを越楠葉小倉にまい伏して/
落行を打立枚方にて三手を合せて大ニ戦ふ/
よつて明智方大はいほくして大坂城に入城中に/
火をかけ二十七騎ハかりの勢つれを安治川口より乗船し/
にげ行ける誠ニ近代未聞之大合戦にて秀吉方/
三藩の猛勢勝時を上ヶ注進す此後の/
合戦ハ豊臣軍功記ニあり略之/
又伏見を始枚方等焼失之場所へハ/
朝廷より御救米を被下玉ふ事難有/
御事とて万民大平をうたひけるとそ "		

政争 N053

鳥羽・伏見の合戦(仮)

慶応4年(1868) 35×49.5

		
人皇百九代後水尾院の/御宇慶長四年辰春/従二位内大臣織田春永公の/旗下羽柴秀吉逆賊明智/光秀を征伐せんとて/朝廷に奉伺御下知を相待ける/仍て即日朝廷にて御評定/あつて惟任将軍職をめし/あけられ本国へ帰るへきよし/被仰渡ける夫より逆賊光/秀征伐之御綸旨を/秀吉に下し給ふ則/軍事/勅使として/人名路宮/東九世大納言殿/唐ス丸中納言殿/志乗前中納言殿/御旗奉行/五上前中納言殿/右御方御出陣ありける扨羽柴秀吉軍勢を/桃山ニ集め同年閏正月四日暁軍勢を繰出しける/秀吉方ニハ島津兵庫頭義弘山内土佐守一豊/毛利大和守照政之三藩つかう三千余騎にて打出ける/明智光秀方ニハ木代市正吉明惣大将として会津の/城主上杉肥前守忠吉桑山越中守信政高松少将家督/隠岐判官乗友松山備中守時方其外大田平守長末其外/郎等永井主膳平山佐介竹中主計塚本丹平戸川平馬/新見将雪設楽法印榎本田仲牧野時之介岡部貞小粟始/大久保監物同兵衛同小十郎岡野三平高力主水戸田隼人/小笠原大介室賀三平已上二十七騎にて軍勢都合四万余騎ニて/伏見豊後橋ニ陣取し京橋口ニ火手を上りときをつくりて/打むかふ秀吉勢三手に分つてたたかひけるか勇勢に切/立られ敗ほくして明智方八丁綱手へ引退く秀吉勢/勝にのつて下れハ横大路冨の森いつれも勝利あつて/追行事急勢なり明智大軍といへとも数度戦まけて/淀城に逃入かたく籠りて人数をかそふるに二万/打死にし漸二万騎になりたりけるよく五日朝/淀町人家に火を付城を出てにけ行に毛利/勢狐川のワたしを越楠葉小倉にまい伏して/落行を打立枚方にて三手を合せて大ニ戦ふ/よつて明智方大はいほくして大坂城に入城中に/火をかけ二十七騎ハかりの勢を安治川口より乗船し/にげ行ける誠ニ近代未聞之大合戦にて秀吉方/三藩の猛勢勝時を上ヶ注進す此後の/合戦ハ豊臣軍功記ニあり略之/又伏見を始枚方等焼失之場所へハ/朝廷より御救米を被下玉ふ事難有/御事とて万民大平をうたひけるとそ/{袖}つけ候衆あとハ大つつにてやき候 		

政争 N054

鳥羽・伏見の合戦(仮)

慶応4年(1868) 37×51

		
"此度出火ニて大イに
おどろく人々又ハ遠近
の親類ゑん者の人々
の心をしづめ安心為
此画図を出し民
の人々安心致スたより
ニならん歟と
見覧ニ備ル
伏見大火の次第
辰の正月三日夜四ツ時いたはしより出火薩摩様御やしき辺夫より
京ばし北結はま通り西一丁目ばかりみどり前京新町迄夫より御奉行所夫よりぶんごばしまでやける
▲家数凡六百八十余りといふ
同五日辰ノ刻よりとばおせきもちやより南ふた口やより南へよこおちより淀城下焼る
同六日八幡焼る淀大はし北はし焼る又ひらかた二十軒余焼る
七日ニ鎮り納る
{袖}慶応四歳辰正月 "		

政争 N055

鳥羽・伏見の合戦(仮)

慶応4年(1868) 36×48.5

		
"{上段右}正月七日夜八ツ時
大坂なん
ばよりなんばしんちやける
家かす凡二百五十焼失
{上段中}さかい大火むかし神明ノ丁ノ
大火トいへとも
此度ノ大火ハ
さかいはしまつてノ
大火也辰正月七日
夜ハ八ツ時よしさノ丁より
出火あやノ丁大道
西は中はままで
東ハのうにん丁まで
やけぬける
{上段左}大阪御城正月九日
卯ノ刻御城
筋がね御門ノ内
火ノ手上ル次ニ京ばし御門内
夫より玉造御門外小家
夫より火ノ手三ツニナル
追手門の内
火ノ手二ツニナル
十日辰こく
ゑんしようくら
ヤケル
けか人凡六百人
{下段右}此度諸々の出火ニおどろき住処りさんの人々其のこんさついわんかたなし夫故遠近の
ゑん者又ハ人々の心をしづめ安心のために
此画図ヲ出していささかたよりともならんかト見覧ニ備ル
正月三日夜七ツ時大坂
とさほり
薩州様御くらやしき辺
同十日夜五ツ時出火
てんま与力丁出火
伏見大火次第
辰正月三日夜四ツ時いたよしより出火
薩州様やしき辺夫よりひこ様やしき辺
京ばし北つめはま通り西一丁ばかり
みどうまへ東新丁迄御奉行所夫よりふんご
ばし迄やける▲家かす凡六百八十ヨ
▲けが人凡七百人ヨ
鳥羽かい道
同五日辰ノ刻とばおせきもちやより南ふたくちゃ
より南二丁計りよこおぢより淀迄淀城下
やける小ばし切落未ノ刻火鎮申候
▲家かず凡三百八十軒けが人二百ヨ
{下段左}伏見の町 "		

政争 N056

鳥羽・伏見の合戦(仮)

慶応4年(1868) 36×48.5

		
{上段右}正月七日夜八ツ時/大坂なん/ばよりなんばしんちやける/家かす凡二百五十焼失/{上段中}さかい大火むかし神明ノ丁ノ/大火トいへとも/此度ノ大火ハ/さかいはしまつてノ/大火也辰正月七日/夜ハ八ツ時よしさノ丁より/出火あやノ丁大道/西は中はままで/東ハのうにん丁まで/やけぬける/{上段左}大阪御城正月九日/卯ノ刻御城/筋がね御門ノ内/火ノ手上ル次ニ京ばし御門内/夫より玉造御門外小家/夫より火ノ手三ツニナル/追手門の内/火ノ手二ツニナル/十日辰こく/ゑんしようくら/ヤケル/けか人凡六百人/{下段右}此度諸々の出火ニおどろき住処りさんの人々其のこんさついわんかたなし夫故遠近の/ゑん者又ハ人々の心をしづめ安心のために/此画図ヲ出していささかたよりともならんかト見覧ニ備ル/正月三日夜七ツ時大坂/とさほり/薩州様御くらやしき辺/同十日夜五ツ時出火/てんま与力丁出火/伏見大火次第/辰正月三日夜四ツ時いたよしより出火/薩州様やしき辺夫よりひこ様やしき辺/京ばし北つめはま通り西一丁ばかり/みどうまへ東新丁迄御奉行所夫よりふんご/ばし迄やける▲家かす凡六百八十ヨ/▲けが人凡七百人ヨ/鳥羽かい道/同五日辰ノ刻とばおせきもちやより南ふたくちゃ/より南二丁計りよこおぢより淀迄淀城下/やける小ばし切落未ノ刻火鎮申候/▲家かず凡三百八十軒けが人二百ヨ/{下段左}伏見の町 		

政争 N057

見聞細吟諸方出火画図

慶応4年(1868) 18.5×51.5

		
見聞細吟諸方出火画図/伏見正月三日酉ノ刻より京ばし北詰より/東豊後橋西ミす迄南中条/じま北大手すじ迄焼る又夜亥ノ刻下/板ばし西つめ薩州様御屋敷やける/かまど凡二千軒ヨ土蔵三十ヨ死人けが人かづしれず/下鳥羽同四日辰ノ刻より一村七分/通りやけるかまど凡三百けんヨ/横大路同日/一けんやける/冨の森同/一村のこらず/やける凡かまど二百ヨ/淀/同五日/小ばし/北つめ/東へ三丁/ばかり/小はし/大橋/まで/町家の/こらず/焼る/御城/別状/なし/かまど/凡三千/八幡/町家/七分通/焼る/其外/天神/やけ/山上本/社別状/なし/かまと/凡五百/橋本/六日町/家八分通/やける/かまと/凡三百/葛葉/同九分通/やける凡四百ヨ/枚方同夜やける/かまと凡二十けんヨ/大坂同四日朝丑ノ刻/土佐ほり二丁目/薩州様御やしきやける/同八日朝丑ノ刻なんば/土ばし西つめより東千日/までやけるかまと凡八百/堺/同日錦の町より/綾ノ丁西ハ中浜/まで東濃人町迄/やける凡かまど八百ヨ/大坂九日夜亥ノ刻北/在小曽根村/ゑんしよう蔵やける/同十日夜亥ノ刻天満/北町やしき一軒やける/同九日朝卯の刻より/御城すじかね門内より/火の手上ル京ばし/御門内    /御門外御小屋より/火の手上り又火手/三ツに成追手御門/内火の手二ツなる/十日辰ノ刻ゑんし/よう蔵やけはぜる/其音あたかも天/地のくつるるがごとし/猶遠国までも/ひびきけりとかや/辰正月十一月夜/御城火よふやくニ/しつまり人々まづ/あんしんのこころして/よろこびかたり/あへしとなり 		

政争 N058

本しらべ城州伏見大火の図

慶応4年(1868) 28×40

		
"本しらべ
城州伏見
大火の図
慶応四年
辰正月三日
申の刻より
出火いたし候
同五日鎮火いたし候
伏見
淀其外
所々合て竈(かまど)
数凡四千五百
六十七軒土蔵数凡三十八ケ
所と云神社仏格もあまた
あるといへとも此しばしつまびか
ならず "		

政争 N059

道行誰入家留

慶応4年(1868) 23.5×62

		
"道行(みちゆき) 誰(たれも)入家留(いやかる)
難波津や伏見ノ里ニ九重ノ都ノ空をはるはると東路さして
行旅ノ海つ山つ川お心ぼそくも落こちま川崎を行過
ぬ沖こく舟ノ数々や品川おきかもめさへつがいはなれぬ
女夫連あの嘸しさおミるニつけ心ほそくもすこすこト早
高輪や大木戸ニこの余年も早昔よかんをしのぎ軒々
と花ノお江戸ニ着ミれハかおもや多き梅ノ匂ニつれて
せへすニし也つとやあまたのほのになさけ無とハおもへ共旅ノ空梅ノ匂ニにたるむしかのこへ諸共ニ裏や表ノいとい
なく男女わきまへもなくなくかくす鉢巻やしよ
てニさむけノする時ニ用心すれば能物をがまんがまんてひへる
のニ酒は元より酩もの生物迄もしたたかニ喰より早キくるしミニかつこんとうの教しれず呑はお軽々出るむしか
いさ喰物能毒ト主親兄弟祖父母迄心遺山房事留れせひなへも此世をさりし心ちして内じや
くりかぎり居りルるツツテンツツテンおんらハ西国風都きてむくつけが
ねんましせがとてきましたなれバ嬉しかんろノ桃や柿ハまたもないツンテンツンテン九十九人花嫁殿ニおんだてられてもわら
われてもねごんそほれたか承知かへそなたハとふやら
ミたよふなあいわたしやお風ぜござんすおおそうじや
何故ここへハあいわたしやお前のあとおふてはるはる
尋てきやんしたわたしが其心ハいせおんど鳴物いり
チチテンチチテンチチテンさむけしいいでせくのかあれバせかぬのも有ハ
此比はやり物ヨイヨイヨイヨイよいやさチチテンチチテン若いもあれバ
年寄も有ハ引風子供といやいやいやいやだよ心てい
立た我ニも増ル心ざし今よりそなたとあい嬉うご
ざんす我ハ是ニそあたり年一て町々軽役目
済ハ此地ニ有てゑき無身上用意能ハ早来ト
口にハ言ど心ニハなごりおしげにふりかへれバお風
も共ニ手お引れちり引桃ノ花より先ハ銚子ノ
沖へぞいそぎ行 "		

政争 N060

城州伏見其外所々出火之図

慶応4年(1868) 37×71.5

		
"{右上}
大坂御城
正月九日卯ノ刻御城
筋金御門の内
火の手上ル次ニ東ババ
御門内夫より玉造
御門外小家夫より
火の手三ツニなる
追手御門の内火の手
二ツになる十日辰の刻
ゑんしよ
蔵
けが人
六百人
計と云
{右下}
泉州堺
大火之図
辰正月七日
の夜八ツ時
よしさノ丁より
出火あやノ丁
大道西ハ
中はま迄
東ハのうにん丁
までやけぬける
正月八日夜
大坂なんバ
しんち出火
家かす
凡二百五千軒計焼失
{左部}
城州伏見其外所々出火之図
慶応四年辰正月三日
申之刻より出火同四日鎮火
いたし同五日淀出火同六日
八わた橋本楠葉牧方辺
出火いたし候由伏見寵数
凡四千五百八十二軒計土蔵
百八ヶ所計寺院十ヶ寺神社
三ヶ所計
同八日難波新地同十日
天満辺焼失致候由
極本しらべ "		

政争 N061

大阪城炎上の図(仮)

慶応4年(1868) 18×24.5

		
大坂城 		

政争 N062

諸御役御大名方警衛之略図

慶応4年(1868) 38×51

		
慶応四辰年春諸御役御大名方警衛之略図/南門 尾張元千代様 尾州ナゴヤ/日御門 山内土佐守様 土佐高智/堺町御門 松平越前守様 越前フク井/清和院門 前田宰相様 加賀金沢/同 池田備前守様 ビゼン岡山/公卿門 伊達遠江守様 与州 宇和島/朔平門 浅野安芸守様 芸州広シマ/猿ケ辻 本願寺御門跡様 西六条/下立売門 藤堂和泉守様 勢州津/蛤御門 毛利大膳太夫様 長州萩/中立売門 池田因幡守様 因州鳥取/乾御門 島津修理太夫様 薩州カゴ島/今出川門 有馬中務大輔様 筑コ久留米/石薬師門 井伊掃部頭様 江州ヒコね/寺町御門 細川越中守様 ヒゴクマ本/京都御取締役/青山因幡守様 丹州ササ山/松平図書頭様 丹州カメ山/本多主膳正様 江州ゼゼ/京都御見巡り役/亀井隠岐守様 石州ツハノ/小出伊勢守様 丹州ソノベ/加藤遠江守様 与州大洲/植村駿河守様 和州高取/御加勢 前田宰相様/御火消役 永井日向守様 摂州高ツキ/八幡 前田宰相様/同 柳沢甲斐守様/山崎 藤堂和泉守様/大阪取締/毛利大膳太夫様/島津修理太夫様/兵庫 島津修理太夫様/同 毛利大膳太夫様/同 蜂須賀阿波守様 阿州徳シマ/神戸 毛利大膳太夫様/灘 池田備前守様/同 毛利大膳太夫様/西之宮 池田備前守様/同 池田信濃守様 ビゼンチカ山シン田/堺台場 島津修理太夫様/堺見廻り 山内土佐守様/{左下}禅多庵		

政争 N063

彰義隊戦争(仮)

慶応4年(1868) 22.5×32.5

		
頃ハ慶応四年/辰五月十五日朝五ツ/時より下谷広かうじ/辺より出火いたし/折しも南風はげ/しく池のはた/仲丁のこらず/きんたんゑ/んまでやける/しり火にて/元黒門丁/二ケ所御すきや丁四丁北大門丁三丁ゆしま/天神下同朋丁上の丁二丁目のこらず/やける同一丁目四丁目六あミだやける仁/王門前丁のこらず上の御けらいやしき/くろ門前役人やしき五条天神同所/前丁下谷丁一丁目二丁目はいりやう/やしき寺四ケ所小やしき少々又一口ハ山下仁/王門前丁はいりやうやしき御家らいや/しき立花さまやしき角辻ばんや/しき丁やけるこのへん三四ケ所やける/したや山ざき丁五六ケ所やける山/下とおりけいうんじ/南小やしき少々やけ/るくるま坂丁のこらず/やけるこうとく寺まへ/どおり中ほど柳の/いなり両がハ半丁ほ/どやける三丁目じし/んばん一軒やける根津惣/門内五軒やける仮宅のこる/番やかミゆひどこ其外▲印ヨリ/▲印ヨリ/五軒やける/岡田さま其/外二軒やける/ぜんかうじ坂/湯や一軒やける/外五ケ所とびとびにやける上せうじやける/たんご坂りやう理や二軒やける千駄木町両かハ/板倉様のこる三さき丁かさもりいなりにて止ル/谷中天王寺門前丁二丁やける古門前丁のこらず/軒茶町少々やける天のふ寺やける五重のとう/のこるうら門前丁少々同地中ようせんいん/やけるいも坂町五軒程やける入谷百姓五六軒/ほどやけるねぎし百姓家七八軒やける夜五ツ半/時頃火鎮り人々あんどの思ひをなす 		

政争 N064

江戸 上野大火の説

慶応4年(1868) 24.5×36

		
江戸上野大火の説/時に慶応/四年辰五月/十五日山下辺にて/戦争はしまり砲/戦はげしくよつて/出火いたし折ふし西南/風にて北ハ根津ミのハ辺/まで焼行しか四ツ時上野ニて/火手をあけ大ひに戦ふゆへに/宮様御立退に相成しかハ官軍/十分に戦ひかゆへに浮浪子大はいぼく/して或ハ打れ或ハ手負等おびたたしく/大半うたれて残りすくなになりて何国とも/なく逃のびけるよつて上野堂塔からん不残/焼失いたし候其火谷中西ハ湯しま天神下/東ハ浅くさ菊やはしまで南ハ御成道迄焼行しか/火勢つよくよく明六ツ時いまた火しつまり不申候誠に江戸のさう動/上をしたへとさハきける尚追々御しらせ申候/右江戸表より到来のまま書写しぬ 		

政争 N065

戊辰の役(仮)

明治1年(1868) 31.5×40.5

		
爰に明治元辰年十一月朔日徳川脱走ノ/人艦一艘松前ノ大洋福山より/東南白神洋へ相見へ候ニ付こふ台より/ごふはつ発し候処津軽藩ノ旗章押立/候故しばらく見合る折から次第ニ右ノ艦/ちかづき見れば旭ノはた印故炮はついたして/よきやあしきやはかりがたく其内脱走ノものと/見切て三熕台一時に打出し賊勢よりも打/火焔漲り暗夜ノ如く福山勢より四十八斤ノ/大炮賊艦くるまニ当りたちまち/傾覆ノ様子にて逃さり白神ノ岬を/すぐる時わづかに一ぱつ打て其まま/とふくしりぞきける夫より右艦同日未ノ刻/福山より五り福島村海岸へ又々相迫り/兼て出張ノ陣代蛎崎民部惣隊長鈴木鉄太郎/両人尽力防戦いたし申ノ下刻ニ賊艦傾/ついに敗走ニ及ひ同夜脱走勢陸軍ノ/先鋒百五十人あまり知内村出立ハキチヤリ/といふ所迄侵入候ニ付福山勢隊長渡辺氏副隊長/目谷小平太一小隊ヲ引率して小舟に棹さし/小田西村より上陸間道進げきあんやに/じやうじて知内村に宿陣之賊脱ノ様子を/見るに十分けたい酊飲之体ニ付臨時ノ/計を以高声に大隊すすめといふをききつけ/あハてふためく其内にたんぺいきうに打入て/ざんじに六十人あまり切たほす内ニ金の/ゑぼしに紫の衣を着したものあり是ハ/大将と見うけ候又ふらんす人の死がい二人有/其外手負多すうの様子福山勢十分ノ勝利にて/引上ケ此戦争は敵三千余味方/三百人ニて目ざましき戦なり/其時/手負 副隊長 目谷小平太/戦死 銃卒荒井幾三郎/手負 同三浦清八郎/浅手 銃士浅利岑八郎/深手 同三浦此浩/同 同加藤健次郎/浅手 同穩高長蔵/同 同海野兼三郎/同二日福島より二里東一ノ渡り十五丁ほど隔て/野戦之時安田張一郎手/農兵治介一人討死/同夜山崎筋戦之時/手負銃隊長鈴木織太郎/同徒士吉村弥一郎/戦死 戦士宮島承之丞/四日五日ノ戦自大落城之節/隊長田村量吉城中において切腹 戦死大砲係り塚崎龍衛/戦死戦士蛎崎吉右衛門同砲台掛り池田修也/深手戦士牧田津盛浅手戦士園藤拝次郎/手負付僕岡田耕造同蛎崎勘之丞/浅手戦士/駒木根平二郎戦死医師藤竒自然/■■負切腹自割銃卒難波藤二郎手負同佐藤繁二郎/手負同熊谷延太郎同同鈴木和作/同十二日戦手負一人/戦死足軽二人/同十四日戦手負一人/戦士隊長氏家丹宮/同徒士田中作右衛門/深手徒士/岡羊平手負石川新吉/戦死水牧西村光二郎/松前勢討取/脱走ノ大将/小笠原壱岐守/戦死銃卒/小林甚兵衛/同従者寅吉/戦死三浦撰/脱走隊長/榎本釜次郎/同和泉/松平太郎/菅沼三一郎/成瀬藤十郎/大川弥惣次郎/中原昇/人見勝太郎/大原金五郎/富士見喜之介/本山小太郎/中目造酒之介		

政争 N066

節分

明治1年(1868) 23.5×33

		
節分(せつぶん)/ヤブラ目出度イナ目出度イナめてたい事て/はらにおら今度(こんど)ふし見の合戦(かつせん)や/三日勝負(せうぶ)の土俵越(とひやうきハこし)にこされぬ/一ツ橋天の網(あみ)とて日月の下旗(はた)押(お)し/立くるよりも何(なん)の会津喰(く)ひ違(ちが)い/藤堂(とうどう)井伊も裏(うら)かへり味方(ミかた)の向(む)ふ/筒先(つゝさき)にその手(て)を桑名(くわな)と出て見れハ/勝(かつ)に乗りたる長州勢/枚方(ひらかた)にても追かくる/コハ叶ハじと高松の/生死(せうし)の酒井を逃出(にげいだ)ス町中サワギシその中に戸板(といた)に死夥(し■)なく/■(うさ)や美のゝ置所(おきところ)おくおくも此大坂/と落(をち)こちの人の噂(うハさ)も帰(かえ)り見す/蒸気舩(じやうきせん)とのり/こんで西の/海へとサラリ/跡ハ焼(や)払(はらひ)マショ/ とうさん/かかさん/あいつが/わるひ事/するから/もりを/よんでいナ 		

政争 N067

攘夷派浪人探索の達(仮)

不明 23.5×23.5

		
"{前欠カ}小川町本多伊予守様泊り山田作兵衛様本多ぶ前守様
土屋兵部様五島様平岡様松平為吉様
大沢様遠藤対馬守様石川様御馬屋半分残る
金森山城守様前田(おふけ)様白須様高木様
長谷川様北村様本所様わしのす様新庄様
倉橋様長谷川様戸田長門守様榊原様
戸田賀々([ママ])守様大岡弥右衛門様前田采女様
内藤大和守様大久保小八郎様○火けし○火のミのこる
山本様板倉伊予守様松平いき守様より
本郷丹後守様半分筑後守様
ニて泊り
同日市ヶ谷柳町より出火
入口夜光寺横手久貝因幡守様ニて泊り申候
町家不残浄栄寺長栄寺光徳寺
阿部左門様髪結どこ少々のこり六ばん組柳町より
尾張様と山口屋敷ノ所迄一面なり "		

政争 N068

攘夷派浪人探索の達(仮)

不明 24.5×33

		
"{筆写文}三月二十五日四ツ時頃高輪東禅寺ニ罷在候外国人旅館水府浪人/
十三人切込自殺手負五人右場所立去品川宿旅篭宿立寄/
御取締役人手配を請逃去兼候哉自殺いたし候もの/
三人合八人之外八九人逃去右之内性名分り候分/
国見留次郎/
木村幸次郎/
渡辺剛蔵/
小堀定吉/
黒津五之助/
右之外は名前不相分候得共品川表目黒村之方へ逃去/
段々当筋へ姿を替罷越候哉も難計村々厳重不目立様/
当分之内見張いたし昼夜不限怪敷風躰又は/
手負有之候間右等之処見留候上は速ニ召捕/
候様被致候旨御達有之候間精々探索方厚/
相心得手抜無之様召捕最寄我等廻村/
致居候間早々申聞事/
右之趣大小惣代相心得道案内其外取廻し方/
出来候ものへ手配申付可然事/
六月朔日 岡野庄四郎 "		

政争 N069

大新板 大功記十日目

不明 34×47.5

		
"大新板 大功記十日目
詞
さわくまいさわくまい
(おのれ)がよくで一てんの
君(きミ)を欺(あざむ)く慶喜(よしひさ)が一類(いちるい)此まけ軍(いくさ)ハ
理(り)の当然(とうゼん)系図(けいづ)正(ただ)しき我家(わかいへ)を逆賊非道(ぎやくぞくひどう)の
名(な)を穢(けが)す無方者(むほふもの)ども悪人(あくにん)とも譬(たとへ)がたなき人(にん)
非人(ひにん) 「(ジロイ) 下(しも)のなんぎハかへり見(ミ)ず交易(かうゑき)するを高名(こうめう)
顔壁(かをたと)へ将軍(せうぐん)になつたとて野末(のすへ)の小家(こや)の非人(ひにん)
にもおとりしとハ知(し)らざるか下(しも)をそだてて上(かミ)へ
つかへ国(くに)を納(おさ)むる気(き)にさへならバもつそふ飯(めし)の
切米(きりまひ)も百万石(ごく)に増(まさ)るぞや (おのれ)が心只(こころだだ)一ツで諸(しよ)
藩(はん)の中(なか)の上座(じやうざ)となり徳川(とくかハ)の家(いへ)もたつ死骸(しがい)
も多(おお)ひに其(その)怪我(けが)ハ鉄炮(てつぼ)きずの犬死(いぬじに)に武士(ぶし)御世(ミよ)に
そむきし天罰(てんばつ)のむくいハたちまち此通(このとを)り蒸気船(ぜうきせん)
にと乗(のり)こんで東(ひかし)へにげる其(その)ざまに皆(ミな)が横手(よこて)を打叩(うちたた)き合
サワリ「是(これ)見たまへ慶喜(よしひさ)どの軍(いくさ)のかどでにざハざハとおみかた
申たその武士(ぶし)が思(おも)ひ合(あハ)して居(い)たならバこふしたはいぽく
あるまいに合下(しも)の者(もの)とハ云いながら近在町屋(きんさいまちや)へ火(ひ)を
かけてにげるといふハ何事(なにこと)ぞ合せめてハ下(しも)の気休(きやすめ)に
じんじやうに腹切(はらきる)ルとのたつた一トこときかしてたべ頼(たの)むにいなと
手(て)を合(あハ)しうらむハ会桑高松(あいそたかまつ)め薩長土(さつてうど)おがむ嬉(うれ)しなき
ミやこハ光(ひか)りかかやきて民(たミ)こそまことゆたかなれ "		

政争 N070

近世やかま獅子退散図

不明 34×44.5

		
"近世 □(やかま)獅子(しし)退散図(たいさんのづ)
近年(きんねん)図(づ)の如(ごと)き獣(けもの) 都(ミやこ) 神泉苑(しんせんゑん)之辺(ほとり)ニ来(きた)り
大(おほひ)に乱妨(らんぼう)す元来(くハんらい) 常州(しやうしゆ)之産(うまれ)にして武(む)
蔵国(さしのくに)ニ来(きた)り十九川(とくかハ)といふ大川(おふかハ)に三橋(さんきやう)とて
三ツのはしあり其(その)一(いち)の橋(はし)にて成長(せいちやう)しとかく
水辺(すゐへん)を好(この)ミ横浜(よこはま)にて遊(あそび)て異人(ゐじん)に愛(あい)せらる
姿(すがた)ハ唐獅子(からしし)に似(にて)其(その) 勢(いきほ)ひつよく顔(かほ)大(おほ)きにして
鼻(はな)高(たか)く眼(まなこ) 大(おほひ)にするどく惣身(さうしん)毛(け)長(なが)々うこん色(いろ)
なるゆへ慶喜(けいき)といふ食(しよく)ハ柚(ゆ)を好(この)ミ深山(しんさん)ハ勿論(もちろん)
人家(しんか)たり共(とも)柚(ゆ)の木(き)有(あれ)ハ乱妨(らんぼう)して芽(め)をとりて食(くら)ふ
仍(よつ)て貘夫(ばくふ)といふ又(また)足(あし)早(はや)き事大坂(おほさか)へ飛行(ひぎやう)する事度々(たひたひ)也
なく声(こへ)カラカラと鳴(ない)て水(ミつ)を吹出(ふきだ)し田畑(でんばた)をあらし万民(はんミん)の苦(くるしミ)を悦(よろこ)ぶ故(ゆへ)一名(いちめい)今々獅子(いまいましし)といふ
◯馬鹿(ばか)馬鹿獅子(しし)ハ元来(くわんらい)美濃(ミの)の産(さん)にして奥州(おふしう)にて成長(せいちう)し武蔵国(むさしのくに)へ来(きた)り貘(ばく)夫と馴合(なれあい)
倶に田畑(でんばた)を踏荒(ふミあら)し万民(はんミん)を苦(くるし)め京師(けいし)に来(きた)り叡山(ゑいさん)の麓(ふもと)に住(す)む其(その) 勇(いきほひ) 貘(ばく)におなじ
鼻(はな)ひくけれど物(もの)を嗅出(かきいだ)す事早(はや)し面体(めんてい)人間(にんげん)に似(に)たり故(ゆへ)に人面獣心(じんめんしゆしん)ト云(いふ)
惣身(そうしん)青(あほ)ひ毛(け)にして尾(お)長(なが)く四足(しそく)の爪(つめ)するどく人(ひと)に疵付(きすつく)る事(こと)多(おお)し
尤食(しよく)を求(もとむ)るに乱妨(らんぼう)して喰(くろ)ふ空腹(くうふく)なる時(とき)ハただトロトロとなく又(また)
狐(きつね)ニ似(に)てクワイクワイと鳴(ない)て人(ひと)をだます怒(いか)る時(とき)ハ火(ひ)を吹(ふい)て人家(しんか)を焼(やき)
あらし難義(なんぎ)なさしむるゆへに一名(いちめい) 怖獅子(おそろしし)といふ此(この)二獣(けもの) 近年(きんねん)
乱妨(らんぼう)はげしく万民(はんミん)を苦(くる)しめけるゆへ不思儀(ふしき)雲上(うんしやう)より王城(わうせう)の
守護神(しゆごじん)八将軍(はつしやうぐん)あらハれ給ひ日月(しつげつ)の御幡(ミはた)を押立(おしたて) 両(りよう) 悪獣(あくじゆ)
退治(たいち)せんとて何(いづ)れも光明(くわうめう)をはなち天降(あまくた)り給ふ仍(よつ)て忽(たちま)ち
両獣(りようしゆ) 恐(おそ)れ恐れて行方(ゆきがた)しらずなりたりける是(これ) 誠(まこと)ニ神国(しんこく)の
御勇(おんいさほ)しいよいよ有(あり)かたくもとふとむべき事(こと)なり "		

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